ありがたい、には訳がある

 

ようやく頭が渡航モードに切り替わりつつある。

前回書いた夏風邪は、日曜に寝込んで回復の兆しを見せたが、その後月曜は丸一日東京出張でぶり返し、火曜水曜と出かけた長野では、甲府が34度の時に10度下回っていたものだから、半袖シャツしか持っていなかった阿呆の身体にこたえること、こたえること。水曜日に訪れた師匠のご自宅など、19度しかなく、セーターを借りも少し涼しいほど。そうやって騙しだまし、というより薄氷を踏む思いで、毎日汗ぐっしょりになりながらいると、まだ少し鼻づまり気味だけれど、ほぼ治ったようだ。

ついでに言うと、先週の金曜日、ごみの回収日だったのだけれど、清掃車の音を聞き、雨の中走ってゴミを捨てに出かけようとしたら、マンション入り口の鉄の排水溝で足を滑らせて、手と肘の皮がズルむけに。これも1週間たって、なんとかバンドエイドなしでも血が出ないように、快復してきた。そう思うと、この1週間は結構さんざんだったような気がする。

その間でも、竜巻のように様々な展開が進んでいる。長野でも東京でも、この半年の間に色々な企画が進行するらしい。風邪気味の頭であんまり集中出来てなかったのだが、それでもどうやら二つの企画とも大変そうだ、ということだけはわかる。しかも、足を抜くことも無理そうだし・・・さらには長野の企画のヘッドであるお姉様は携帯電話でこのブログをチェックされているとか・・・あな、恐ろしや。お姉様もひどい風邪だったけど、お加減はいかがでしょうか? 私は、夏休み前半に気張って(前倒しして)論文を書いておいてよかったです。どうやら、後半はそんな余裕もなさそうでございますねぇ。とほほ。

で、そろそろ渡航準備モード。
先週、オランダチームから、「音沙汰ないけど、ほんまに9月に来るつもりか? ホテルは予約した? とりあえずこんな感じでスケジュール組んだけど、これでいい?」とありがたいメールが来る。ここしばらくドタバタしていて、電話せんとまずいよなぁ、と思っていた頃だったので、何よりありがたい。そう言えば、ジャーナリストでもある師匠から、「アポイントメントさえ取れたら取材の半分は成功したようなもの」と言われたことがある。ま、師匠の場合、新聞記者には会いたくない、と思っている人びとにどうアプローチするか、で日々苦労されておられた。一方、研究者はジャーナリストほど対象と緊張関係を持っている訳ではないが、でもフィールド調査では事情は似ている。こちらは調査目的でお逢いしたくとも、向こうは別に会いたくなんかない、会って何の得になるのだ、と思われている可能性も高い。

なので、今回は三年前にお世話になったイエテボリのアンデシュや、昨年日本でお供したオランダのロールといった、「お顔馴染み」の相手の現場に飛び込むので、メールや電話だけでアポを入れていただき、ずいぶん助かる。去年からアメリカ調査も始めているが、最初のアメリカ調査など、日本からいきなり見ず知らずの現場にアポを入れまくって、ずいぶんと苦労した思い出もある。それに比べたら、向こうがある程度コーディネーションしてくださることがどれほど文字通り「有り難い」ことなのか、に思いをはせる。当然、この二つの現場とも、先輩研究者であるKさんが文字通り「開拓」し、親交を深められたからこそ、私がポコッと訪れても歓迎して頂けるまでになったのだ。そういう意味では、プー太郎時代に、「タケバタさんも少しは世界を拡げてみては」と、この分野へのご縁そのものを授けてくださった大先輩Kさんとの出会いそのものも「有り難く」、大感謝、なのである。Kさん、いつも本当にありがとうございます。

こう書くと、何だか大げさな、と思われる方もいるかもしれない。でも、例えば北欧に調査に行ったおり、現地の通訳の方からよくこんなことを聞かされる。「日本から来る人で、図々しい人も結構いる。○○に関係する調査をしたいのですが、それらしい現場の連絡先をいくつか教えてください。自分でアポをとって英語でやりますから、教えてくださるだけで結構です。」 一見、礼儀正しそうに見えなくもないが、実はメチャクチャ失礼なのである。だって、通訳の方も、苦労して様々な現場の担当者と時間をかけて人間関係を築き上げておられるのである。単に現場で言葉を翻訳するだけではない。その人の調査にはどういう現場が適切か、あの人だったらこの研究者の要望にこたえるためのネットワークを持っているのでは・・・というコーディネーション作業を担ってくださる通訳の方も少なくない。そういう方々に対して、苦労の末開拓された現場情報だけをそっくり教えろ、という言い方は、筋違いであり、何と慇懃無礼なことか。そして、こういう失礼な福祉系研究者が北欧には多い、とも聞いていたので、自分は襟元正さなければ、とことある毎に思うのである。大先輩Kさんの開拓してくださった現場に関わらせて頂けることに、感謝してもし尽くすことは出来ない。

ということは、国内外を問わず、調査や研究という営みも、ひとえにご縁というか、人と人のつながり、パスであることには、全く代わりないのである。と、こうまとめると平凡で古色蒼然とした感じだが、でも、この当たり前のことを、どれだけ誠実に出来るか、で、その人の価値が試されているような気がする。他人から託して頂いたパスは、誠実に運んで、次代にパスをつなげていく。なので、国内のパスも、ちゃんとやりますよ、Mさん。「今日も携帯画面では長すぎて読めない」とお姉さまからお叱りを受ける長文だなぁ、と思いつつ、パスつながりで言えば、あと一本残っている出国前の「最後の宿題」をさっさと片づけなければ。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。