場面設定のための雪かき

 

10月もあと1日で終わってしまう。
なんだか今月はじっくり書く間もなく、また書きあぐねているうちに、あっというまにブログを更新しないのに日にちが過ぎ去ってしまった。反省。なんだかどれだけの読者がいるか(いないか)わからないのに、変に気負ってしまっている、アホなタケバタがいる。昔から自意識過剰気味なのだが、実に疲れ果てる。

さて、今日は「文化的雪かき」(@村上春樹)的な一日であった。
アメリカとスウェーデンに郵便を送るはず、になっていたのに、放ったらかしていた。オランダ人に英語であるレポートをメールの添付ファイルで送る、といいながら、これも放置していた。あるところから頼まれた調査に関連したメールも、送れずにいた。こういう「たまったもの」があれば、次に新しいことは出来ない。一方、来月にある研究会で新ネタを披露する必要があり、そろそろ研究モードに突入しなければまずい。こういう時には、まずは一気にやらねばならない仕事をざっくり片づけるに限る。そう、洗濯物が溜まっていたり、食器が洗えていなかったり、机の上が散らかっていては、新しい発想は出てこないのだ。こういう片づけもの、いつかの段階できちんと済ましておかなければならない「雪かき」作業がちゃんと出来ているからこそ、新しい風が入ってくるのである。なので、今日はとにかくとっととっとと片づけものの日々であった。

ちなみに新ネタは、博論の頃からずっと考えてきた、支援者変革論から組織変革論へ、という大風呂敷を広げてみよう、と妄想している。当事者のエンパワメントをするはずの支援者達が、支援者間ではつぶし合いをしている現状を見ていて、なんだか変だと感じていた。それを変えるのが、支援者主体から当事者主体へ、それに基づいてポジティブに自由裁量を活かして、自分を変え、現場を変えるリーダーシップを発揮すること。それには、コーチングの発想や、相互依存など、従来の支援者のあり方論とは違うビジョンが求められていること・・・など、これだけでは大変アヤシイネタを、数珠繋ぎ、したいともくろんでいる。とにかく週末糸通しの「仮縫い」してみて、意外と糸が通りつつあることがわかってきた。あと3週間ほどで、どう本縫い出来るか、が勝負どころになってくる。これも、楽しみな仕事だ。

あと、研究室を空けておくと、最近学生さんがいろいろ訪れてくる。いろいろな学年の、多くの学生さんが、多方面の課題を抱えてやってくる。教員として、きちんと学生のエンパワメントに貢献できているか、は大きなファクターなので、なるべくいろいろお手伝いしたい。ただ、手取り足取り、ではなく、出来る限り学生さん達が主体的に役割を担えるような、そんな場面設定をする、しきりをするのが僕の役割だ、と思っている。この場の設定、がそう簡単ではない。場合によっては、結構時間と手間暇がかかる。僕がやった方がどれだけ楽だろう、と思うこともある。とはいえ、この手間暇を、場面設定にかけるからこそ、学生さん一人一人が輝き、主体的になれるのではないか、単純だけれど、そう思っている。なので、学生さんの問題の種も、なるべくきちんと拾いながら、次の展開につなげていく。そういうストーリーテリングが、今のタケバタに求められている、そう感じている。

今日、ある程度積み残しの課題を整理できた。明日、月末締め切りのレジュメと、先週取材した原稿に手を入れることを始めておけば、少し来月、考える余裕が出てくるはずだ。次の新ネタをきちんとモノにできるかどうか、は、この週末以後、真面目に勉強できるかどうか、が大きな要因になるはずだ。尊敬する多くの方々は、何かを削ってどこかでちゃんと時間を取っていらっしゃる。僕自身、その時間を取る前の、下準備すらまだ出来ていなかった。何とかギリギリ下準備は出来てきたので、さて、ほんまに今から出来るかどうか、が問われている。〆切のある仕事、は放っておいても、次から次へと襲ってくる。〆切に追われることを言い訳にせず、どう主体的にしたいことが出来るか、ここがどうも要のようだ。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。