正円から楕円へ

 

まる12時間近くかけて、実家に何とかたどり着く。

そして今日、年の瀬の31日。じっくり寝たので、まだ少しだけ体の疲れが残っているようだが、おおむね復帰してきたようだ。掘り炬燵にみかん、それから昼のビールまでついて、読書にふけるのだから、これは一種の極楽である。

で、極楽のお供には、編集工学の達人である松岡氏が帝塚山学院大学の教授時代に行った講義を編集して作った一冊。副題に「セイゴオ先生の人間文化講義」とある。年の瀬には仕事から離れて頭の中を整理する意味でも、こういう本はよい。とはいえ、今の自分に一番ピンときたフレーズは、やっぱり自分の仕事に関係している部分であった。

「日本人は素材で和風と洋風を区別したり、様式で和と洋を分けて感じることをしているということです。これを私は、素材による『コード編集』と、様式による『モード編集』があるというふうにみています。このことがさまざまな『和』というものをつくっているんですね。
(中略)
 古代から中世まではもっぱら中国とか朝鮮のコードを輸入しました。その後は南蛮文化をどんどん取り入れて、明治以降はヨーロッパ文化、最近はもっぱらアメリカの文化や技術ばかり気にするようになった。このように時代によって変化してきましたが、基本的には素材としての『コード』を輸入して、それをもとに日本なりの様式としての『モード』を生み出す独特の編集力を発揮してきたといってもいいのです。
 これを私は『外来コードを内生モードにする日本』という風に説明しています。」
(松岡正剛「17歳のための世界と日本の見方」春秋社 p202

「外来コードを内生モードにする」ということは、文化や技術だけに限らず、法制度にも大きく及んでいる。僕自身がスウェーデンやアメリカに出張しているのも、「素材としての『コード』を輸入して、それをもとに日本なりの様式としての『モード』を生み出す」ための「素材探し」をしているところが少なくない。そうして我が国では、これまでに様々な国の、多種多様なコードが輸入され、「独特の編集力を発揮」した上で、日本なりの「モード」として定着していった。

で、しつこくこのブログでもテーマにしていることだが、障害者の入所施設や精神病院だって、もともと日本固有のモードではなく、ヨーロッパのコロニー思想なり精神医療の思想をコードとして輸入し、日本なりのモードにしていったのだ。その後最近になって、施設解体や地域自立生活支援という欧米での新たなコードに着目した人々が、新たなモードにしようとしている。僕が海外に行っているのも、その末席の一人として、なのかもしれない。だが、ご案内の通り、旧体系のモードの持つ力はかなり大きく、そう簡単に新たなモードに移行する気配はない。その結果、諸外国とは異なり、未だに地域から隔離された障害者が何十万人と存在する、という独特のモードを作り上げてしまったのである。

で、ここから考えるのが、この新たなコードの輸入だけで事足れり、とはならない日本の実情についてである。旧来のモードには明らかに問題がある。だが、新たなモードにすんなり移ることはない。そういう時、新たなモードの語り手が、“You are wrong!”というモードで旧体系を否定してはいないか、その点が気になるのである。そうではなくて、旧体系のコードからモードに至る変遷や「独特の編集力」を綿密に分析した上で、新たなコードに基づいた「再編集」をどう説得力をもって果たせるか、そのあたりの編集力が問われているのではないか、そんなことを感じているのである。

で、その「再編集」に関連して、松岡氏の円と楕円の比較は、大変示唆に富んでいる。

「ルネサンスの世界観では宇宙はたった一つなんです。神秘主義思想の影響もあって、マクロコスモスとミクロコスモスというものがあるということは考えられていましたが、それらは神を中心にして完全に調和しているもの、秩序をもったものとして考えられていたんです。
 ところがバロックでは、そのような唯一型の宇宙観が崩れはじめ、マクロコスモスとミクロコスモスとが二つながらに対比してくるんです。かつ、二つの世界は必ずしも完全に対照しあっていない。それぞれが動的で、それぞれが焦点をもちはじめます。
 一つの宇宙(世界)というのは具体的に正円の世界です。コンパスを使えばわかるように、円は中心が一つしかない。そうですね。一方、バロックでは円ではなく楕円になる。楕円というのは焦点が二つあるわけです。」(同上、p304

コロニー思想でも、脱施設思想でも、その思想を中心にして「完全に調和しているもの」と、考えると、それは「一つの宇宙」であり、「正円」である。しかも、お互いが反目しあっていると感じている限り、両方の円が混じり合うことはない。だが、その起源を辿ると、実はどちらも支援という軸で、本当のところはつながっているのである。もちろん、専門家主導か、当事者主導か、集団管理的一括処遇か、個別支援か、という隔たりは、本当に大きな差として現れている。そして、僕自身は、もちろん後者の方がいいと思っている。

ただ、この後者の脱施設なり当事者主導なり個別支援というコードを、本当に日本の中での新たなモードに組み替える際には、これまでのモードや、それを構成するコードの分析を本当にきちんとした上で、使える部分は新たなコードと融合してモードの中に組み入れる、という楕円の思想が求められているのではないか、そんなことを感じているのである。

「私は正しい、あなたは間違っている」と言う正円の世界で閉じている限り、完結した世界観で、実に気持ちよい。でも、本当のところ、それでは動的な文化の組み替えなり、あらなた文化の創造にはままならないはずである。大切なのは、「間違っている」とされる旧モードの側の「退路」の確保であり、新たなモードと一緒にやっていける、という意味での動的な楕円的コード進行の確立ではないか。旧来のコードのおかしい部分はどこで、どういう風に組み替えていくことが、旧来のモードを信ずる人の核心に触れながら、移行を促すモードになりうるか。こういうことを、旧モードのコード分析と、新たなモードとの楕円の可能性に関する分析、という論理の構築の中から考えていく必要があるのではないか。そんなことを感じている。

年の終わりに、来年の宿題まで見つけてしまった。ということは、やっぱり来年はそろそろ本気で勉強しないとまずい時期なのか。いやはや、とんでもないことに気づいてしまった。さてはて、今から温泉につかって、一年の垢を落としつつ、来年のお勉強戦略でも考えてみるとしますか。

ではみなさん、よいお年を。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。