他責的文法を乗り越えるために

 

土曜日は朝一番の特急に乗って東京入り。早稲田で朝10時から午後4時半まで学習会に参加。よくわかっていなかった障害者権利条約について深い議論を聞きながら、なるほど、と頭の中にしみこませていく。久しぶりにパソコンでずっとメモをとり続けながら、なので、結構くたびれる。

で、その後、場所を変えて、今度は社会保障に関する勉強会。様々なバックグラウンドを持つ若手で集まって、障害者自立支援法や社会保障改革を規定している「大きな流れ」や枠組みときちんと向き合って、あわよくば「隙」を探そう、という勉強会。大学時代に所属していた社会学の授業すらまともにとってなかったのに、法学も、そして経済学も、これまでまともに取り組んだことはなかった。でも、権利条約をどう日本に取り入れていくのか、という議論は明らかに憲法や国内法の議論を掴んでおかないと頭に入らない。また、社会保障改革に関しては、経済財政諮問会議の流れや、その背後に伏流する新自由主義的なもの、そしてその文脈の中でのケインズやエスピン・アンデルセンなどの福祉国家論についても見ていかないと、全く見えてこない。現場のリアリティとマクロ政策をつなぐ中範囲理論を考えたいタケバタにとっては、どちらも抑えておかないと、説得力のある話は出来ない。ふーっ、結局両方勉強しなければ仕方のないことなのですねぇ・・・。

で、その勉強会飲みながらの議論、を終えて、土曜日は久々に新宿11時発の「終電」で帰宅。日曜日はぐったりしていたので、ソファーで寝そべって、ぶらぶら読んでいた一節が、実に面白かった。

「前近代の伝統も、近代の理性も、そして脱近代の感性も、自己を外部に開くよりはむしろ自己を閉ざす殻となっている。丸山は折に触れて、日本人の『他者感覚』の欠如について語っている。他者を他者=他在として認識するには自己を自閉の殻から解放しなければならない、というのがその積極的な主張である。自己を開かなければ、伝統主義は『ズルズルべったり』の共同体主義になり、啓蒙合理主義は理性や知性の専制主義に、ポスト・モダニズムは『処置なしのロマン主義』に変色してしまうだろう。モダニズムだポスト・モダニズムだといいながら、これらのイズムがえてして同類異種のイズムになりやすいのは、彼らの精神が閉じている点で共通しているからである。だがら時あってか、西欧主義者が一転して日本主義者となり、左翼が右翼に転轍する。ナショナリティの脱構築を唱えるポスト・モダン派がある日、ナショナリストに変貌しないと誰が保証できよう。全共闘の『自己否定』すら彼には自己の絶対的肯定と見えた。『現代流行の「自己否定」とは、昨日までの自己否定(=したがって昨日までの自己の責任解除)と、今の瞬間の自分の絶対肯定(でなければ、なんであのような他者へのパリサイ的な弾劾が出来るのか!)にすぎない。何と「日本的」な思考か』(「自己内対話」233頁)と、ノートに記されている。」
(間宮陽介著、「丸山眞男」ちくま学芸文庫、p46

丸山眞男氏が戦中から戦後にかけて日々付けていた3冊のノートが、氏の死後、「自己内対話」(みすず書房、1998年)という形で公刊された。この彼の思いの詰まったノートに基づき、「彼がどのような問題と格闘したかを理解する」ために、「思想家という生身の人間の歴史と社会の歴史とそして思想の歴史という三つの歴史の交わる地点」(同上、p13)を丹念に追いかけた力作が、この間宮氏による論である。大学1,2年の頃、社会思想史のO先生の講義で初めて丸山や大塚久雄、アダム・スミスやウェーバーの思想に触れ、その先生の研究室に通い、「日本の思想」や「忠誠と反逆」の読書会に参加してちっとは囓っていたので、間宮氏の議論はすっと頭に入ってきた。しかも、面白い。吉本隆明など、全共闘世代が信奉した思想家による丸山批判ともがっぷり対峙し、「丸山批判に一般的にみられる傾向は、丸山の思考の連鎖を追跡する労をとらずに、結論部だけをつまみ食い的にピックアップし、そればかりかその結論を自分自身の文脈に移植して、その欠陥をあげつらっている」(同上、p23)と喝破するあたりは、間宮氏の深い理解に基づく一刀両断に、すごい、と目を丸くしながら読んでいた。

以前から、全共闘世代とは何だったのだろう、と個人的に気になっていた。あんなに世の中を変えたい、旧体制を変革したい、と「身体を張って」運動していたはずの人々が、自分がいざ変革主体、というか変えられるポジション・世代になった時には、すっかり批判していた相手方以上に保守的になっている、この変遷はどう考えたらいいのだろう、と「団塊ジュニア」(最近では「ロスト・ゼネレーション」とか言われてますが)として考えていた。その疑問に、「現代流行の『自己否定』とは、昨日までの自己否定(=したがって昨日までの自己の責任解除)と、今の瞬間の自分の絶対肯定」と整理されると、なるほど、と見えてくる。結局、運動だ、社会変革だ、と言っても、それがその世代のみで通用する閉ざされたファッション(はやり)であり、自己変革を伴わない、他者に開かれないものであれば、潮の流れの向きが変われば、当然の帰結として、その中身も変容する。そのとき、ベルボトムをスーツに替えるような気軽さで、全共闘から保守主義へと着替える。その際、一応周りへの「エクスキューズ」として、「自己否定」という名の「昨日までの自己の責任解除」をしておく。それさえしておけば、「無責任男」は、社会の共同体の掟からはみ出さない限りにおいて、無罪放免、となる。なるほどねぇ。

僕自身、全共闘世代を生きていないのだけれど、何となく、あの世代の運動は、「他者を他者=他在として認識するには自己を自閉の殻から解放」出来るチャンスだったのではないか、と直感的に感じている。そしてそのチャンスに、本当に「殻から解放」せずに、内向きな同世代にのみ通用する論理で終始した結果として、その後の日本の物質的繁栄と、その代償としての民主主義の実質的放棄、というか、精神的貧困、のようなものへとつなげていったのだと思う。政治や選挙へのしらけ、も、彼ら彼女らの世代の「昨日までの自己の責任解除」の過程の中で醸成されていった部分が多分にあると思う。その上で、「今の若い世代の政治離れは・・・」なんて言われると、「自分の責任を問わずに他責的な文法で語って、なんて身勝手な」と思う。そして、団塊ジュニアの世代は、その「他責的文法」者達の物質的繁栄を「すり込み学習」し、いつの間にか、大人になること=他責的文法で語る事、と勘違いしていく。なんという悪循環。

その悪循環にくさびを打つにはどうしたらいいか、と以前からぼんやり考えていたのだが、結局は「隗より始めよ」。自分の中の「自己を閉ざす殻」をどんどん開く以外にはない。I am right, you are wrong!という「自分の殻に閉ざされた心情の表出」(同上、p17)ではなく、相手の論理と真正面から向き合って、どうしたら議論の可能性余地があるかを考える、という自己変容(自分の主張を変える必要はないが、少なくとも議論のアプローチを変える)こそ、求められているのだと思う。

「論点を共有しているならば、当の理論や思想は自己の思考の展開に活路を開いてくれる可能性を持つ。自分にとって死活の論点とは別の点で意見が分かれても、その不一致はささいな不一致である」(同上、p20)

そう、自分の不努力を「世の中はどうにもならない」と言い訳にすげ替えて諦めている暇はない。ちゃんとした論点共有のために、ちゃんとがっぷり勉強せねば。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。