教育と研究、スポーツの「型」

 

昨日、プールでの出来事。
クロールがどうもうまく泳げず苦しかったのだが、ゼミ生で元水泳選手、に聞いてみると、「息継ぎで顔を上げるとき、左手に顔をくっつけた形で、水面に半分くらい顔を出すつもりでやっていますか?」とアドバイスされる。「いいえ、溺れそうになるくらい沈んでいるから、必死に顔を上げていたら、何だか首がこって、こないだなんてサロンパスをはったくらいだよ」と答えると、「ちゃんと左手から顔が離れないよう意識したら、沈まないし、首がつることなんてありません」と。実際にやってみたら、ほんとその通りだった。

実はそのゼミ生には、平泳ぎについてもアドバイスをもらっていた。「水泳って、足でのキックより、ちゃんと水をかけるか、ですよ」と言いながら、どう水をかけばいいのか、教えてもらったのだ。それ以来、平泳ぎもずいぶん楽になり、背泳を泳いでいるときも、腕の使い方を気にしていると、泳ぎ方が変わってきたようだ。

結局、泳ぐ、というのは、きちんとした「型」を身につけておけば、実に楽に泳げるし、楽しめる、という実感がようやくわいてくる。で、そうやって昨日泳いでいながら、この「型」ってプールだけじゃないよな、と実感。以前スキーのレッスンを受けた事を書いたが、あのレッスンの中でも、「型」がいかに楽に滑るために大切か、を身をもって教わった。その昔、ちっとだけテニスのレッスンを受けたこともあるのだが、以後、運動不足のタケバタがテニスだけは好きなのは、テニスが楽に打てるから。力を込めなくても、すーっと返すことが可能だから。そういう「型」を教わり、実践することは、スポーツが長続きするために必須のような気がする。

この「型」は、何もスポーツに限ったことではない。仕事面だって、全く同じ。大学では、教育と研究という二つの大切な仕事を担っている。教育面では、何度もここに書いてきたが、10年間塾講師をやっていた時に身につけた「型」がずいぶん役に立っている。当初は「最高学府なんだから」と変にしゃちこばって、エネルギーが空回りし、授業もゼミ運営もうまく行けない、ということがあった。しかし、私が20代で塾講師のプロフェッショナルの先生方から学んできた「伝える」「教える」ということの「型」は、現場が大学に移ろうと、決して変える必要のない叡智だったのだ。大学教員3年目を迎えて、自分の「型」を改めて見直そう、と、斉藤孝氏の著作を数冊読んでみて、本当にそう思った。彼の著作は今まで何だかタレント教員なので「読まず嫌い」だったのだが、読んでみて「目から鱗」が多い。つまり、「伝える」「教える」の「型」に関して、徹底的な研究をした上で、そのメソッドを抽出化して伝えてくれているのだ。自分がこれまで現場のプロから非言語的コミュニケーションを通じて学んだことも、言語でわかりやすく書いてくれている。こういう事が出来る人こそ、「伝えるプロだ」と再確認。ちなみに彼は、ものすごい量の本を読みながら、常に研究し続けておられる、ということもよくわかった。

で、これにつながるのだが、研究においても、結局「型」が大切になってくる。僕自身は、大学院時代、元ジャーナリストの師匠について、徹底的に「ものの見方」を学んできた。普通の院生なら基本文献を読みあさっている時代、数々の現場に師匠について出かけ、師匠から多くのお話を伺い、様々に質問し、師匠の視点を徹底して盗もうとした。師匠を離れ、大学で教員を始めたとき、自身がこれまであんまり文献と付き合ってこなかったことに気づき、すごく恥ずかしい思いで、必死になって読み進め始めた。そして、今までのやり方でよかったのか、と自身に問うこともあった。でも、最近現場の人と話していて、どうやら私の話が現場の方に「通じる」「伝わる」のは、この院生時代に師匠に弟子入りして、徹底的に視点を盗もうとした、つまり「型」を学んだからである、と痛感し始めている。昨日もとある精神病院の家族会総会で、「退院促進支援」の話をしていた。普通、病院内でそんな話をすると、拒否的反応を受ける可能性もある。ただ、その病院が大変風通しのよい病院であることと、そして私が抽象的議論でなく、現場のリアリティに基づきながら、権利擁護の部分で筋を通した話をしたから、病院現場の方々にも伝わる話になったのでは、と思っている。つまり、ここでも「型」を身につけたことが、うまく作用したのだ。

論文は、一人でも読める。でも、視点という「型」は、自分一人で身につけるのは大変だ。スキーや水泳でアドバイスを受けたら変わったように、塾講師時代に様々なプロフェッショナルの先生方に身近に接して多くを吸収できたように、研究面でも、ちゃんと「型」を学んでいた、ということにようやく気づき始めた。だから、あんまり研究でもしゃちこばらず、楽しく肩肘張らず、20代で得たやり方をうまく活かしていけばよいんだよな。無心に泳いでいると、そんなことが頭に浮かんできた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。