気がついたら「正念場」

 

今日の午後、山梨県内の市町村の障害福祉担当者が集まる会議の場にいた。山梨県における相談支援体制確立の為の「特別アドバイザー」に、就任することになり、市町村の担当者の皆さんとお顔合わせの為に伺ったのである。

実はこの地域自立支援協議会の枠組みが提示された当初から、「『地域自立支援協議会』といった自立支援法の枠組みは、うまく使うと『現場からのノーマライゼーション』の具現化、となる」かもしれない、とブログだけでなく、県内外の学習会や講演の機会の度毎に、言い続けてきた。(この地域自立支援協議会の枠組みに関してはこちらなど参照)

この地域自立支援協議会について、単に年に一度集まって終わり、の会合をしているようでは、その地域の中で障害者を支援体制はまともなものにならないのではないか、これをきちんと出来るかどうか、がその地域の福祉力を試す試金石ではないか・・・ということを言い続けてきた。それを聞いた県から、「ほな、あんさんやりなはれ」と、ボールを向けられてしまったのである。

今回の障害者自立支援法という法律では、三障害と障害児でバラバラだった法律体系を一元化した、ということが大きな柱なのだが、実はもう一つ大きな柱として、市町村に大きく権限移譲をしていく、という点もある。これは介護保険の保険者が市町村なのでそれに合わせた、という部分もあるのだが、身近な市町村への権限移譲、というのは、ノーマライゼーションの文脈でも、大きく意味のあることである。

「ノーマリゼーションという新しい福祉概念を前提とするなら、ナショナルな政府や機関の比重が大きく後退せざるをえない。それに代わり、自治体あるいは人々が暮らす『地域』が重要となる。というのも、一人ひとりの個別具体的なニーズを適切に理解し、それに迅速かつ的確に対応出来るのは、彼らの身近にあって日常生活をともにしたり、直接見聞き出来る範囲にある集団や機関だけだからである。国民国家を脱構築し、統治力(ガヴァナンス)を地域的単位へと分解していくことは、ノーマリゼーションを実現するために、まず第一に必要とされる制度的措置と言えるだろう。」(厚東洋輔「モダニティの社会学」ミネルヴァ書房、p142)

山梨県内においても、人口20万を抱える甲府市と、合併して7万人口規模になった市、そして人口が1万近くの町村、あるいは山間部・・・では、その地域における福祉のあり方、は当然違ってくる。障害者専門の相談員を配置できる大都市と、幾つかの町が集まって寄合所帯で支援体制を考える地域、あるいは高齢者・障害者・児童といったニーズを一手に引き受けて困惑している町村・・・このように違う実情に対して、「ナショナルな政府や機関」がマニュアルを作って上意下達的にやった所で、実践現場では必ず齟齬を来してしまう。なので、一気に「統治力(ガヴァナンス)を地域的単位へと分解していく」ことになったのが、この障害者自立支援法である。そして、権限がおろされた各地域で、「一人ひとりの個別具体的なニーズを適切に理解し、それに迅速かつ的確に対応出来る」ための支援体制作りの一環として、地域自立支援協議会というものが立ち上げられてきたのである。そういう意味では、地方分権の試金石の一つ、に私自身がコミットする事になってしまった、とも言える。

そういう「脱構築」の現場は、やりようによっては大変面白いのだが、でも市町村担当者としては、必ずしもそうは思えない方も少なくないと思われる。なぜって、県内のほとんどの市町村は、障害者福祉担当だから、といって、社会福祉士や精神保健福祉士などの国家資格従事者を担当者に配置する、というわけでは必ずしもない。むしろ、ゼネラリストを育成する、という公務員の建前から、数年毎の配置移動で、この障害福祉にかかわることになられた方も少なくない。今日の会議を見ていても、この4月に配置換えされて新しく障害分野を一から担当者として必死で勉強している最中の方も、少なくないようだった。そういうリアリティの中で、いきなり「脱構築」といわれても、何を壊して、どれを創造したらいいのか、がわからない、という困惑の声も聞こえてくる。

そこで、昨年暮れの国の緊急経過措置、として現れたのが、現場の市町村担当者の支援役割を担う「特別アドバイザー」だったのである。概要を見てみると、こんなことが書いてある。

先進地のスーパーバイザーや学識経験者等23名を特別アドバイザーとして招碑し、チームで都道府県内の相談支援体制の整備や充実強化に向けて、評価、指導等を実施する。
特別アドバイザーは、毎月1回程度(集中的に何日聞か実施することも可)都道府県を訪問し、都道府県の担当職員及び当該県のアドバイザーと十分連携しながら、以下の事業を行う。
・都道府県自立支援協議会の設立・充実強化の支援
・ 県内を巡回するなどして、市町村(圏域)ごとの相談支援体制や地域自立支援協議会の立ち上げ・運営等についての具体的で丁寧な支援」

正直、これは障害福祉分野の「大物」がなるもんだ、と思っていたし、私のような若造がまさか「先進地のスーパーバイザー」なんかではない。なので、自分とは無縁だと思っていたので、本当に晴天の霹靂、であり、最初はお断りしようと考えていた。だが、それでも引き受けることになったのは、数年前に書いたこんな文章が頭によぎったからだ。(以下、恐縮ですが、拙文を少し長く引用してします)

「一方で、日本の知的障害者への地域生活支援の実状を振り返ってみたときに、ノーマライゼーションという言葉が『歴史的な言葉』になるほどまで浸透したであろうか? 言葉だけは輸入されるが、ベンクト・ニイリエ氏が言葉に込めた思想まで、日本に届き、それが政策にも活かされているのであろうか? これを振り返ってみた時、日本とスウェーデンの二国での大きな違いを感じざるを得ない。
 しかし、だからこそ、単なる外国のシステムや知識の輸入にとどまらず、知的障害を持つご本人達の想いや願いに基づいた、日本独自の本人支援や地域生活支援の体系を構築していかなければならない時期に来ている、と私は考える。今回、筆者が行った5ヶ月の調査の結果を、単なる『海外の知識の紹介と輸入』にとどまらず、日本の今後の本人支援のあり方や地域生活支援ネットワーク構築の上で、理念的基盤の一部として『使える』知識となるよう、出来る限り日本の地域生活支援の実状や課題を思い浮かべながら、そして日本の参考文献も踏まえながら、本報告書をまとめたつもりである。
 この報告書が、日本の知的障害を持つ人々の現状を変える一つの『武器』となり得るなら、筆者としては存外の喜びである。そして、筆者自身も、今回の調査の知見を元に、知的障害者ご本人の声に常に耳を傾けながら、日本独自の本人支援や地域生活支援の体系づくりに、知恵を絞り、汗を流して関わっていきたい、と考えている。」
(竹端寛「スウェーデンではノーマライゼーションがどこまで浸透したか?」平成15年度厚生労働科学研究 障害保健福祉総合研究推進事業 日本人研究者派遣報告書)

これは、スウェーデンで在外研究できた半年間の調査報告の、結論の最後に書いた、自分への「檄文」である。博論が終わったけれど、就職先が決まらず「フリーター」状態だったときに、ご縁をいただいてスウェーデンで半年調査させていただく機会があった。現地に住んでみて、肌で北欧の福祉を感じて、そのことをまとめた報告書を書きながら、横文字から縦文字への単なる輸入に対する限界を感じていた。もちろん北欧の先例に関して、学べることをきちんと学ばせていただいた上で、「日本独自の本人支援や地域生活支援の体系づくり」をちゃんと考えないと、日本の中でのまっとうなノーマライゼーションの実現は無理だ、と考えていた。そして、その実践のために、帰国後は「知恵を絞り、汗を流して関わっていきたい」と書いてしまったのだ。

そう書いた者の責任として、「知恵を絞り、汗を流」すチャンスとしての「特別アドバイザー」役がまわってきたのなら、お断りする理由はない。スーパーバイズなんてできないけど、各市町村で困っておられる担当者をサポートすることが、その地域における地域自立生活支援体制、ひいては障害者の権利擁護体制の確立のためにつながるのなら、一緒になって市町村の方と、その地域でできることを模索したい。そういう思いで、引き受けることになった。

今までは、批判する側、文句を言う側であった。今度は、己の実践が、批判される側、文句を言われる側、に変わる。言行一致かどうか、がまさに試される正念場に、気がついたら立っている。大変だけれど、やりがいはありそうだ。さて、これから二年間頑張れるように、まずは今日もジムで体力をつけてこようっと。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。