ドタバタな7月末

 

前回、前々回と久しぶりに二日連続でブログを書いていたので、ようやっと「週刊タケバタヒロシ」状態か、と思いきや、すんません、また「週刊誌」状態に逆戻り。そんな余裕をかましている暇が、全くなくなってしまったのだ。

それが発覚したのは先週の月曜あたりのこと。お盆頃だ、と思っていたとあるプロジェクトの〆切が、今月末、ということが発覚したのだ。こちらは、火曜日にテスト監督を一日こなしたあと、ようやく7月末〆切の原稿二つにとりかかり、それを終えてから8月上旬にこのプロジェクト原稿に集中的に取り組もう、ともくろんでいた。でも、チームで取り組み、どのみち9月の学会でも報告するテーマなので、7月末が〆切なら、最優先課題にせざるを得ない。しかも、プロジェクトチームのブレーン役のH氏から火曜朝に届いたメールには、割り振られた箇所(10ページ分)の他に、「竹端とH氏の担当分となっている所は、今週末に原稿を上げてしまい」という記述が。そんなアホな!とわめきたくなりながら、でもネジを巻かねば仕方ない。とにかく、火曜日は自分の試験も含めて4コマ連続でテスト監督、水曜午前は午後の会議の書類作り、午後からは2時間半の長丁場の会議でヨレヨレ。で、ようやっと取り組みはじめたのが木曜日の午前で、午後は現場他大学で会議、だった。その後何とか金曜日にとにかく骨格を仕上げて、息抜きにプールで一泳ぎ。その後、土曜の朝に書き足して、午後はオープンキャンパス。そして、日曜の午前中に何とか脱稿して、そこからようやく次の原稿に。

この次の原稿は、編者をさせて頂いているとある教科書なんだけれど、とある先生が〆切を2ヶ月もすぎてから「書けない」とバンザイされてしまったので、一番下っ端の私が穴を埋める必要が出てきた。しかも、編集者曰く「11月に出さないと私のクビがアブナイ」という大変な事態。で、初稿は7月末にこちらも入れないと、間に合わない。当然の事ながら、とてもひとりでは出来ないので、最近仲良くさせてもらっているMさんに泣きつく。何とかその章の3節分はお願いできたのだけれど、21世紀に入った後の福祉改革の歴史は、こちらが引き受けざるを得ない。これまで書き散らかした原稿を編集し、重複をさけ、さっさと整理してエイヤッと日曜日に仕上げてお送りする。Mさんがその前後を見事に整理してくださっていたので、何とか格好はついた。

以上、非常事態下にあった原稿を優先すると、25日が〆切だったアメリカの精神障害者の権利擁護に関するレポートに、ようやっと取り組みはじめたのが、〆切を5日過ぎた昨日になってから。その雑誌の編集者に8月第二週まで待って欲しい、と事前に交渉はしておいたけれど、でも情勢は非常によろしくない。というのも、一般に流通する雑誌に書かせてもらう、というのは、僕のような実力のない下っ端の研究者にとって、すごく大切な機会。編集者の信用を失うのは死活問題だから、〆切とその内容の両方を、きちんと守らねばならないのだ。実力もない私が〆切延長、というのは、信用失墜の一歩手前、崖っぷちなのである。

タイトな日程だけれど、きちんと書く事を決めておかないと、特に海外物は英語を読み返すのが億劫になって、お蔵入りしてしまう。そう思って「夏休みなら大丈夫なはず」と思って、お願いした連載のスペース。編集者のKさんも大変よくしてくださるので、期待を失望に変えてはいけない。トラブル続きで1週間、書き始めるタイミングを逸した、から、と言って、ズルズル〆切を延ばしてもいけないし、中身が薄くなったら、もっとやばい。でも一方で、英語の資料は、身体に馴染むまで数日かかる。馴染まないうちに書いてしまうと、何のヒネリもない、どうしようもない報告になる。さて、どうしようと焦りながら先週から仕込んでいたけれど、英語がようやくじんわりしみてきたのが、昨日の夕方から。ただおかげさんで、一端しみこんでみると、なぜ2回の連載をお願いしたか、という「書きたいポイント」もようやく思い出す。と、同時に、今回書くべきフレームも、やっとのことで見えてくる。この輪郭さえ見えると、あとは早い。今日は会議を挟みながらも、一日粘って、ようやくこちらも骨格が固まる。明日、書き上がったものをシェイプすれば、とにかく週末までに編集者に送れそうだ。

と、自分が忙しい事をひけらかすようで、何だかイヤな感じなのだが、世の中には僕より遙かに忙しい人々が確実に存在する。次の文章を読んでいると、えげつない、という思いが半分、これぐらいで根を上げてはいかんよなぁという思いが半分、ためいきがそれ以上、出てくる。

「仕事をしながら勉強を続けていくことは難しい。特に、能力があると見なされると、仕事が自分の要領をはるかに超えて任されるようになるので、それこそ睡眠時間を削り、土、日も大使館に行っても仕事を全部処理することは出来なくなる。『何を切り捨てるか』について真剣に考えなくてはならなくなる。僕の場合、大学で講義をする、学会で発表する、締め切りのある原稿を引き受ける等、のっぴきならない状況を作り、新しいことを勉強するようにした。」(佐藤優『獄中記』岩波書店、389-390

ご承知のように、僕に特段何らかの能力があるわけではない。だが、確実に30代に入ってから、「仕事が自分の要領をはるかに超えて任されるようにな」りはじめた。睡眠時間も削りたくないし、かといって全く休みをゼロにするのも忍びない。今回7月末の10日間、うんと集中できたのも、7月の中旬までに、何回か家でゆっくり出来たり、息抜きが出来たからだ。だからといって、「何を切り捨てるか」という局面で、「仕事をしながら勉強を続けていくこと」を僕が選択すると、これはおまんま食い上げ、の事態になる。すると、「学会で発表する、締め切りのある原稿を引き受ける等、のっぴきならない状況を作り、新しいことを勉強する」ことが、唯一の両立の機会になるのだ。

そう思うと、今回の締め切り直前のドタバタも、これを通じて一定の整理や、また新しいテーマ、それに積み残しの宿題の再確認とモチベーションアップなど、いろいろな「勉強」になった。標題通りのドタバタタケバタであったが、それはそれとして何かを得られたのだ。それにしても、これからは何らの事を「切り捨てる」ことも視野に入れないと、回りきらないのも事実。選択と集中、それをかみしめた7月末でもあった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。