内なる対話と再生産

 

教師と生徒の関係について興味深い記述に出会った。

「教師が自らの仕事に専心するならば、教師はマネされることを目的とはしないロールモデルである。教師の与えられるものと言えば、およそ次のものである。1,話をすることによって、教師は自分の専門のある側面に関して、生徒の関心を向かわせ、生徒にとってそれまで馴染みが無かった問題への関心を引き出す。2,教師は生徒と教師の持つ知識を共有することにより、生徒が学びたいという願いに答える。3,教師は生徒に教えた情報を生徒が吸収出来るように、そして生徒自身が自分独自のやり方で(既にその情報を改変しながら)その知識を再生産出来るように促す。4,生徒が教師をマネすることを望む代わりに、教師は生徒が教えられたことを自分の言葉で話せるように変えるように求めることによって生徒の独自性を刺激する。」(Peperzak, A.T,, Thinking; From Solitude to Dialogue and Contemplation, Fordham University Press, 2006, 38)

直訳調で本文の持つ雰囲気を伝え損ねているが、ぱっと開けたページにそんなことが書いてあると、思わず嬉しくなる。そう、「真似ぶ」ことから「学び」は始まるのだが、真似する(imitate)ことがゴールではない。「生徒自身が自分の独自のやり方で知識を再生産出来るように促す」ことを通じて、生徒がその知識を自家薬籠中のものにして、「自分の言葉で話す」「独自性を刺激する」、それが教師の役割なのだ。

この表現は、こないだ引いた橋本治氏の「『わかる』とは、自分の外側にあるものを、自分の基準に合わせて、もう一度自分オリジナルな再構成をすることである。」という発言と同じ事を言っているのが面白い。でも今日はこのPeerzakさんの考えをもとに、自分自身の経験について、自分なりの「再構成」をしてみたい。

彼の教師-生徒関係の議論は、これまで何人かの先達に師事してきた自身の学びとも一致する。最初は「真似する」ことから始まるのだが、師と同じ空間を共有し、師の話す中に自分が求めるべき何かを発見し、気が付けば自分もその師が追いかける何か、を希求するようになる(ステップ1から2)。ただ、ずっと師のやり方を真似ていても、師のやり方は師の性格に合ったやり方であり、自分がそのまま引き継ぐことが出来ない。ここで、弟子としては乖離状態、というほど大げさなものではないが、師のスタンスと、自分の出来なさの間に引き裂かれる。その際、師のやり方をずっと真似しているだけでは、真の意味での脱皮は出来ない。ここが苦しいところなのだが、「自分独自のやり方で(既にその情報を改変しながら)その知識を再生産」することが求められる。こういう考え方、理論、問題意識を、自分に引きつけたら、どう理解出来るだろう。これは自分の持っている世界観をどう改鋳し、拡げてくれるだろう。そのような内なる魂との対話が求められる(ステップ3)。この3番目のステップを通り抜けると、ようやく師に教わった内容を「自分の言葉で話せるよう」になる(ステップ4)。受験勉強の暗記数学で詰まった時も、大学院の世界に馴染むために苦悩した時も、結局はこの4つのステップを通らないと、少なくとも僕は「学ぶ」「わかる」「変わる」ことは出来なかった。

ちょうど今年度末で、いくつかの報告書に頭を悩まされている。毎日パソコンに向かいながら格闘しているのは、僕なりに、これまで追い求めてきたあるテーマについて、様々な先達から教わった内容を元に、自分独自のやり方で、その情報を改鋳させながら、自分なりの言葉で語り直そうとしている営みである。ついつい先達の言葉を鵜呑みにしてしまいそうになる。だが、そこで求められるのは、知識の複写ではなく、稚拙でもいいから自分なりに再生産することである。自分の頭を通さないコピー&ペーストではなく、がらくたしか詰まっていないかもしれないけれど、この自分の身体と脳を通して、自分の経験やこれまでのわずかなストックとも相談しあって、自分なりに理解出来ることを、自分が納得する文体で、語り直す。その作業が必要なのだ。そう思うと、今は本と格闘しているが、その本の筆者をどれだけ思い浮かべ、どれほどその筆者と対話出来るか、が求められている。この著者も言うではないか、「考える事によって、孤独から対話、そして深い思考へと導き出される」と。

内なる対話を通じて、「僕はあなたの差し出してくださったものをこう理解した」という自分なりの再生産の作業、やっていると、実はワクワクしてくるものでもある。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。