ミクロとマクロの接点

 

今日もまた、最終一本前の「かいじ」である。今宵は函館からの帰り道。

障害者団体の連合体であるDPI日本会議の総会が函館であり、分科会のパネリストとしてお話しさせて頂くために、土日の一泊二日で函館入りをする。函館駅までバスで来てみて、かなりビックリ。とにかく、寒い! 駅前の電工表示板では夕方の段階で13度! 春先の寒さである。パートナー曰く、甲府は30度を超えたそうなので、20度の温度差。長袖シャツにジャケットの姿でも、やはり、寒い。携帯用のウインドブレーカーを持っているのに、研究室においていて「宝の持ち腐れ」が続いている。荷物を一杯持って行くにもかかわらず、肝心の何か、を忘れるいつもの間抜けな癖がやはり出てしまう。

で、函館の二日間は予想以上に興味深い日々だった。勿論、ウニやサンマ、生牡蠣など美味い魚に舌鼓が出来たのは、めちゃ収穫だった。だが、それ以上に、最近の自分があれこれ考えていることに、様々な補助線を引き込める内容が目白押し、だったのだ。

今日の分科会のテーマは、「障害者総合福祉サービス法にむけて」というもの。え、そんな法律がいつ出来たって? もちろん、まだである。この自立支援法の対案と位置づけられたものは、私もお手伝いさせて頂いたDPI日本会議の研究チームが検討を積み重ね、まとめて内容だ。本当は今日、この分科会の日程にあわせてミネルヴァ書房から書籍化されて出版される、はずだったのだが、諸般の事情で一週間ほど発刊が遅れてしまった。しかし、来週くらいに出来ますので、また宣伝させてもらいます。結構良い本に仕上がりました。

閑話休題。そう、この本の編集に携わったこともあり、この本のお披露目と、あわせて自立支援法の対案とは何か、今の自立支援法をいじるだけではどう限界なのか、を整理して検討する場になっていた。

で、北野誠一さんや尾上浩二さんといった論客もおられ、そもそも障害の範囲は変だという難病当事者の山本さんの整理も受け、マクロ的・制度政策的議論としても面白かったのだが、ここまでのご発表は共同研究をしてきた皆さんの発表なので、織り込み済み。むしろ、その後の展開が予想外だった。休憩を挟んだ後で、地元北海道から3障害の3つの実践報告、それからフロアとのディスカッションという「ありがち」の流れだったのだが、実はこの中身が予想を遙かに超えて「刺激的」な場となっていったのだ。

3人のパネリストのお一人目の横川さんは、障害ゆえにささやき声しか出ない。マイクボリュームを全開にしても、隣で開かれているコンサートの声量の大きさで聞き取り辛い。。だが、耳を傾けてみれば、声の大小を超えた、本質的な提起がなされている。「運動の盛んな地域に障害者が集中する傾向にありませんか。自分が住みたい町に住めるような支援体制が必要ではありませんか。」と。

なんでも、進行性神経症筋萎縮症の彼女は、青春時代に長期間、病院・施設生活をした後、旅行に訪れた函館に「住んでみたい」と一目惚れして、その後移り住んだという。これは障害の有無にかかわらずよくあることで、例えば沖縄のホテルにとまると、従業員の非沖縄人比率が意外に高くてびっくりする。一目惚れして住む、ということが、しばしば見られる。横川さんも、その一例である。

だが、ここで障害の有無が、大きく左右する。彼女は夜間人工呼吸器をつけて暮らしているから長時間介護が必要。だが、この国では長時間介護をすんなり国が全時間認めてくれる、という仕組みになっていない。自立支援法では国庫負担基準なるガイドラインがあって、その基準以内であれば、国が予算の面倒を見てくれる。逆に言えば、その基準を超えたら、市町村はその経費を持ち出ししなければならない。自治体はどこも財政が豊か、とは言えないから、当然持ち出し分を削ろうとする。そのことで、札幌や和歌山など各地で裁判も起こっている(札幌の原告も来てお話しておられた)。つまり、住みたい場所に住む、という当たり前のことが、障害故に制約されるのだ。だから結果として、障害者運動が自治体と協議して、国基準を超える長時間介護への市町村支出を認めた地域に「障害者が集中する」という事態が生じるのだ。これは、ナショナルミニマムの不全がもたらした個人へのしわ寄せ、とも言えるだろう。

彼女は以前住んでいた東京よりも支給決定量が函館では減ったが、それでも好きな街に住みたい、という。これを自治体の財政基盤の強弱にかかわらずナショナルミニマムとして保障するか、「そういう障害者は住んでくれなくて結構」と実質的に排除する裁量を自治体に与えるか、という大きな問いかけなのだ。

次の能都さんのお話も興味深かった。NPO全国精神障がい者地域生活支援センターを主催されている彼は、一方で街作りの仕掛け人でもある。函館の庶民の台所である「中島廉売」という市場の事務所を無償で借り受け、そこに障害者だけでなく地元住民が集まる拠点を作り上げていく。「ここまで法人が活動してこれたのは、人の手助けと支援があったから。今度は私たちがそれを地域に還元したい」というアイデアから、市場の中に屋台村的な「中島れんばい横丁」を作る。精神障害者とは、という大上段の普及啓発ではなく、その場に集う人が、一緒に酒を飲んで、一緒に活動して、お互いの事を徐々に知り合いながら、一緒に何かを作り上げていく、という。

Social Capitalとか社会的起業とか言われているものを、実際に自然体で切りもりされておられるお話に、グイグイ引き込まれていく。制度が悪い、問題だという視点を一方で持ち、であるが故にこのDPIの全国集会をお手伝いする中で、何か函館で出来ないか、を考えようとする。他方で、自分たちに出来る地に足着いたボトムアップの活動をしておられる。こういう「地べた」の活動の積み重ねは、その地域の文化を変える非常に大きな力になるのでは、と実感しながら伺っていた。この中島廉売に是非とも行ってみたくて、能都さんからも「今晩も函館におられるのなら、ご招待します」と言われたのだが、山梨に戻るスケジュールを入れて後悔至極。是非とも一度、伺ってみたい場所だ。

で、最後に札幌みんなの会の三浦さんの話も色々考えさせられた。彼は知的障害の当事者として、自分たちの仲間の虐待や権利侵害に非常に心を痛めている。就労した障害者が、寄宿舎と職場で24時間管理されて逃げることが出来ず、年金や障害者雇用の助成金、賃金の3つとも雇い主に搾取され、挙げ句の果てに虐待を受ける、というケースが後を絶たない。権力関係が起きやすい入所施設や精神病院では、40年前から事件沙汰になってきて、未だに新聞沙汰になる話である。これは変わっていないし、その後の会場からの意見の中にも、ご自身が虐待を受けた当事者の方の訴えも聞かれた。こういう事態に対して、当事者の立場から「それはオカシイ」「制度や政策は私たちを交えて決めて欲しい!」と訴える三浦さんのお話は、非常に説得力がある。

3人ともそうなのだが、当事者活動という「地べた」の活動がしっかりあって、その上で、仲間のこと、地域のことを考えようとしている。こういう当事者主体のボトムアップ型活動が様々にされていることを伺い、非常に元気をもらった。そう、マクロシステムがどうであれ、自分自身を、仲間を、地域を元気にする活動をしておられる当事者も結構いるじゃん、と。

で、改めて深く学ばされたのが、この3人の「地べた」からのボトムアップ型の報告が、先のマクロ的・制度政策的議論とくっついている、ということだ。障害者自立支援法という制度政策上の問題点について、決して無視もしていないし、オカシイとも思っている。だが、単にそれに文句や批判を言ってオシマイ、ではなく、それぞれの「現場」で出来る「対案」となる活動を作り出し、着々と芽吹かせ、育んでおられる。この、批判だけでなく対案の形成とその実践、という点では、私もその作成のお手伝いをさせて頂いた「障害者総合福祉サービス法」も、まさに障害者団体という現場で作り上げた厚労省への対案であり、この作成を通じて、実践化にむけた様々な論点を検討してきた。こういう「地べた」の積み重ねは、ミクロ・マクロ限らず、ある内容を成功させる為には必須の動きであり、何かを本当に変える上での前提条件なのだ。

そう、その前提条件という歯車が、ミクロとマクロで一瞬であってもかみ合ったのが、今日の分科会であり、だから知的興奮も沸いてきたのだった。逆に言えば、これまでの多くの批判や提起といった言説の中に、ミクロとマクロのズレ、かみ合わせの悪さ、乖離などがあったのでは、とも考えさせられた。「地べた」から遊離している制度政策も、逆に現実にこだわりすぎて理念を見失う「地べた」も、共に中途半端である。別側の極を常に見据え、対極との接点を考える実践、それが大切だと興奮の余韻の中でかみしめていた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。