お稽古と「失敗する権利」

 

昨日読んでいたブログで、思わず「その通り!」と唸る説明してくれる一文をみつけた。

「素人がお稽古することの目的は、驚かれるかもしれないが、その技芸そのものに上達することではない。
私たち「素人」がお稽古ごとにおいて目指している「できるだけ多彩で多様な失敗を経験することを通じて、おのれの未熟と不能さの構造について学ぶ」ことである。
それは玄人と目指すところが違う。」
内田樹の研究室「失敗の効用」

先月から僕自身も久しぶりに新たな「お稽古」をはじめた。それは、合気道。高校時代に1年、いやいや柔道を授業でしたが、まさかその後、自ら進んで武道に入門するとは思いも寄らなかった。始めた理由は色々あるが、この内田氏の整理に深く頷く部分がある。

もともとのきっかけは、大学に合気道の授業も作って自ら教えている思想家、内田樹氏のブログやら本を読んでいて、興味をもったことが発端だった。また、昨年度まで一緒に仕事をしていた行政職員のTさんがずいぶんと長く合気道に親しんでいる、と言うのも聞いていた。だが、なかなか「では自分が」という段になると躊躇して出かけられなかった。

それがいったん出かけ始めると、何で今まで行かなかったのだろう、と悔やまれるくらい、楽しい。その理由は、きっと先生の教え方が、初めての素人でもとにかく他の方と一緒に型ををやらせて下さる、という所にあるのだろう。当然、いきなり「はいどうぞ」といわれて出来るわけがない。他の人がさらりと出来ることも、その構造が頭に入っていないし、例え理解出来ても身体が納得しないと、簡単にはいかない。まず、明治維新以後、国策として導入された西洋式軍隊行進が推奨した!?手と足のズレ(右手と左足を出すのが普通、という感覚)が染みついているので、ナンバに代表されるような、同じ側の手と足を出す、ということすら、出来ない。説明されて、そういえば、と上記のトリビアが頭に浮かんでも、実際身体がついてこない。毎週、下手な動きをして身体のあちこちが痛み、湿布をはることも少なくない。

でも、1時間半が滅茶苦茶たのしい。それは、先のブログを読む前までは、こんな風に考えていた。

仕事とは全く関係ない場所で、全くの一素人として、宇宙語のようなさっぱり理解出来ないことを、少しずつわかりかけていく面白さ。とにかく全身を使って、格闘するのではなく、身体の流れにあらがわずに技を身につけていく面白さ。全く使ってこなかった感覚を刺激する楽しさ・・・。

だが、内田氏は、僕の冗長な感想を「おのれの未熟と不能さの構造について学ぶ」と一言でまとめてくださった。まったくその通り。道場で感じるのは「おのれの未熟さと不能さの構造」なのである。そして、それを痛切に感じたい、と機運が高まっていた理由は、前回のブログにも書いていたりする。役割期待に構えてしまう、というのは、「おのれの未熟と不能さ」を出せない、と過剰反応していることに対しての、防御反応の一つ、なのだ、と。

これに関連して、「玄人」として働かなければならないある現場のことで、少し煮詰まっていた昨日、ピアの立場で関わる「おっちゃん」のお宅に相談に出かけた。ピアカウンセリングの名手でもある「おっちゃん」からは、いつも多くのことを学ばされる。今回も、一言、「タケバタさんにだって『失敗する権利』があるのではないですか」と。この言葉は効いた。

そう、入所施設や精神病院にいる障害者は、安心・安全が守られていても、いや守られているが故に、「失敗する権利」が奪われている。食べ過ぎたり、包丁で手を切ってみたり、人に騙されそうになってみたり・・・社会人として経験する、自らの愚かさから学ぶ、つまり、「おのれの未熟と不能さ」から学ぶ機会を奪われてしまっているのだ。日本の障害者の自立生活運動が唱えてきた「失敗する権利」とは、そういう社会人として当たり前に出来ることを奪わないで、というメッセージだった。

自らも自立生活運動の闘志である「おっちゃん」は、僕にも、「失敗する権利」があるよ、と伝えてくれる。肩肘張って、成功しようと必死になっていませんか、と。図星だ。ある枠組みが動き始めたら、それが失敗しないように、必ずうまくいくように、とそこに無理な力をかけ、肩肘を張り始めている自分がいた。だからこそ、役割期待なんていうゾンビに捕らわれ始めていた。それゆえに、無意識的反動として、ゾンビとはまったく関係ないお稽古が猛烈にしたくなりはじめた。

もちろん、その構造に気づいたからお稽古はおしまい、ではない。自らの陳腐な「成功」体験を絶対化することなく、「失敗する権利」を最大限に行使するためにも、武道場ででくの坊のような身体を今日も動かす。「おのれの未熟と不能さの構造について学ぶ」喜びにひたる。本務に関係ない部分で、失敗をしながら学ぶから、本務における無駄な肩肘も張らなくて済むようになる。まさに一石二鳥、とはこのことだ。

僕自身、料理をすること以外は、しばらく無趣味であった。そういえば、中学まで電車オタク、高校時代は白黒写真、と凝ってみたが、15年ぶりくらい持った、本格的お稽古なのかもしれない。今晩のお稽古のことを考えたら、もうすでにワクワクしている。

 

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。