本の数珠繋ぎ

 

昨日まで怒濤の日々で、身体がへたっていた。お盆も飲む予定があるので、ここらで一つ休肝日。中野翠の『会いたかった人、曲者天国』(文春文庫)を読みながら、久しぶりに風呂読書をする。クーラーに飲み過ぎににオーバーワークに、と、へとへとになっていたのだが、ゆっくり風呂に浸かる余裕もここしばらくなかった。汗をたらたら、エッセイの名手の誘いで、明治から昭和期の「いぶし銀」的な人物評伝を何十人分も読み進める。仕事に関係のない本ほど、頭の中がさっぱりすることはない。1時間半ほど浸かって、酒を抜き、早く寝ると、何とか今日は体力を持ち直した。

この中野翠の本、だけでなく、夏休み用にと今まで食指を動かさなかった著者の本を、アマゾンの古本屋やあるいは丸善などで10冊ほど、購入。全ては米原万里『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫)を読んでしまったばっかり、である。月並みな言い方を敢えてすれば、この本にこそ、「打ちのめされ」た。

佐藤優の本を色々読んでいて、米原万里への尊敬を込めた書きぶりが気になっていた。そういえば、昔ブロードキャスターに出ていた陽気なおばさん。そんな断片的知識で、まずは『言葉を育てる米原万里対談集』(ちくま文庫)を読んで、人となり、そしてかなりの読書家であることなど、何となく知っていた。しかし、これほど「読ませる」書評家だとは、全然知らなかった。例えば、ぱらりと開いただけでも、

「発見の驚きと喜びに満ちた本だ。読了後、付箋を付けた頁の方がつけない頁を上回っていることに気づいた。その付箋が、私の眼から剥がれた鱗にも見えてくる。」(p321)
「『通訳になるにはどのくらいの語学力が必要なのでしょうか』と尋ねられるたびに、私は自信満々に答えている。小説を楽しめるぐらいの語学力ですね、と。そして、さらに付け加える。外国語だけでなく、日本語でも、と。」(p465)
「旅に似て、魅力ある本はこちらの心をまたたくまに日常のしがらみから解き放ち異なる時空へ運んでくれる。だから旅に持って行く本にはくれぐれも注意を要する。せっかく高い旅費を投じ時間を捻出して肉体の方は秘境を訪れているというのに、心の方は飛行機の中で読み始めた長編推理小説の部隊である大都会の片隅を彷徨っているなんていうお馬鹿な経験が私にもある。」(p438)

短文で、簡潔。かつ、ぐいぐい読者を引き込むスピード感と、落語のような味わいのあるオチ。話芸でも、文章でも、ここまで書けるひとはそう多くない。そんな「目利き」が選んでくれた書評集なのだから、自分の目が見開かれる本、読んでみたい本がわんさか詰まっている。そして、彼女が面白い、という本は、ほんとに面白かったりする。読書音痴にとって、こんな有り難いことはない。

小さい頃は福音館書店の絵本(こどものとも、かがくのとも)を毎月買ってもらうのが楽しみだったのだが、小学校以後、ルパンシリーズや「ズッコケ三人組」以外の「名作」は読まずに、特に小学校高学年以後、トラック雑誌!電車雑誌写真雑誌、とオタク系趣味雑誌ばかり読んでいた。途中で星新一のショートショートなり、北杜夫のエッセイなど読んでいたが、生活の一コマにオタク系雑誌以外の本を読み出したのは、高校生とか予備校生から、だったろうか。相当の遅咲きであり、特に大学時代は、岩波文庫や講談社学術文庫なんぞをめくっている友人や、名前は知っていてもまだ読んだこともなかった村上春樹の世界に18歳で入り込んでいた友人などに圧倒され、自分の無知や空虚さを少しでも埋め合わせようと、焦り始めた。

そんな青年タケバタは、「こいつは面白い」と感じた友人・知人・先生に出会うと、片っ端から「何かお勧めの本はありませんか?」と聞いていった。村上春樹の全集二箱を買ってしまったのも、丸山真男や大塚久雄を囓ったのも、パール・バックの「大地」の続編を探しに雪道をチャリで本屋巡りしたのも、皆、「読書案内」してくれる先達のお陰、である。

そんな読書後発組にとって、米原さんのような乱読家は憧れの的。予備校生時代に図書館で借りて読みあさった森毅先生のエッセイと同型の縦横無尽さと、独特の「おばさん感覚」的な親しみやすさ、それにプラスして専門のロシア関連の書籍を紹介する際の深い洞察力、それに上記でさわりを紹介した、キレとコクのある文体。こういう書き手には、本当に憧れる。

こう書いていて思い出したのだが、高校時代に、家の近所に吉祥院図書館ができた事が大きかった。何せ、誰も借りていない新刊の本がどかんと置かれた図書館。そこから、本格的な読書が始まったのかも知れない。当時はエッセイがとにかく好きで、上述の森毅先生や北杜夫、遠藤周作、椎名誠のエッセイを読みながら、エッセイストに憧れた。河合隼雄の『こころの処方箋』(新潮社)やユングの『個性化とマンダラ』(みすず書房)に出会ったのも、上野千鶴子と中村雄二郎の往復書簡『人間を超えて』(青土社)や森岡正博編著『「ささえあい」の人間学』(法蔵館)、山口昌男の『人類学的思考」(筑摩叢書)に出会ったのもこの図書館だった。具体的な学問の中身、よりも、学そのものに憧れていた10代後半だったから、山口昌男の博覧強記ぶりには、文字通りぶったまげた記憶もある。そう思うと、大変なる学恩をこの図書館には感じる。

こんな本話、を書いていると、つかの間のお盆休みのお供に何を選ぼうか、楽しみになってきた。久しぶりに数日間、仕事以外の本に耽りゆこう。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。