濃厚な、実に濃厚な

 

今日は最終の「ワイドビューふじかわ」号の人。今年初めての三重での仕事の帰りである。午前中は県職員の方々への研修、午後はこれまで二年間やってきた、僕がコーディネートのお手伝いをした、三重県の市町の障害福祉担当職員エンパワメント研修の評価と振り返りの会議。その後、次の事業展開の打ち合わせをすませ、名古屋行きの近鉄特急で1時間爆睡し、静岡に向かう新幹線の中で原稿に赤を入れ、そして今こうしてPCを立ち上げている。今日もまあ濃度が濃いが、火曜日からずっと濃厚な日々だった。

一昨日のことなのに遠い昔のような感じもするが、火曜日はもともと、朝1限、大学で担当科目(地域福祉論)のテストだった。僕のテストは、穴埋め式ではなく、じっくり考えてもらう形式。そのため、持ち込みは配布プリントもテキストもノートもどうぞ、としている。毎週の講義ではDVDや新聞資料を見せたあと、その日のテーマに関する幾つかの疑問に自分の考えを書いてもらうことにしている。その記述をもとに、学生達に自分の考えを発表してもらい、そこから更に問い、考えてもらいながら、講義主題に結びつけていく、というスタイルを取っている。ソクラテスの産婆術の妙味を、主に池田晶子の著作(『帰ってきたソクラテス』等)から学んで、それを講義に活かしている、といえようか。その講義で学生達が書き続け、考え続けてきた内容をつなぎ合わせたら、全体像として何が言えるのか、というのが、テスト課題の大枠。あくまでも知識の有無ではなく、自分の頭をフル回転させて考えて、それを筋道だって伝える事を求める内容にしてみた。テスト後に聞いてみたら、お世辞半分でも、難しいけど、一生懸命考えられるないようだった、とのこと。テストを通じたエンパワメント、とか、内容整理、も少しは板についてきたようだ。

さて、そのテストが終わるや否や、荷物をひっさげて「あずさ」号の人。午後はお台場で知的障害者福祉協会の地域支援セミナーのシンポジウムに呼ばれて、会場まで駆けつける。その場で「アラ還」(アラウンド還暦!)の二人のパワフルな支援者・弁護士のレイディズが話をした後だったので、私ともう一人の30代男子、ナカノさんは「若いねぇ」と言われながらの登壇だった。このナカノさん、今の職場は北海道だが、イントネーションが関西弁。関西ご出身ですか、という話から、なんと阪大の4年先輩であることを知る。あちらは法学部出身で官僚に、こちらは人間科学部出身で研究者になり、同じ障害者福祉の分野で接点を持てるのだから、不思議なご縁。そのご縁やナカノさんの魅力だけでなく、北海道で展開されている実践内容が今の自分の実践・研究課題に直結しているので、興味津々で話を伺う。これは近々北海道で話を聞かせてください、と再会を約束して、会場を後にする。

その後、りんかい線モノレールを乗り継いで、羽田空港の地下で靴磨きをしてもらってから、伊丹行きに乗りこむ。最近ずぼらで革靴の手入れをほとんど怠っているので、一番磨きが必要な靴を履いていって、プロにきっちりケアして頂く。たった600円で見違えるように美しくなるのだから、本当に有り難い。で、伊丹ではMKタクシーの京都行き乗り合いタクシーの空きがあったので、捕まえて自宅経由で西大路駅に。そこでナカムラ君と合流して、8時半から2時間半、旧友と久しぶりに飲み交わす。彼はずっと写真を続けている一方、僕はすっかり遠ざかっている。そういえば我が家には、ニコンF3という銀盤写真機の名器が、ほこりをかぶって鎮座している。単なる鉄くずやオブジェではもったいない、とナカムラくんに使ってもらう事に。その話をしながら、僕も一眼のデジカメを中古で探そうか、という意欲が突如、沸いてきた。

さて、翌水曜日も濃度は朝から全開だった。京都駅地下の知る人ぞ知る京都の老舗珈琲店、イノダコーヒーで、ちえちゃんと待ち合わせ。彼女は翻訳家や語学の講師という側面と、以前から介護保険分野での市民活動への関わりという二つの側面を併せ持つ才女だ。そのちえちゃんと、朝から高齢・障害分野の地域作りやネットワーク化、voluntary actionの相異について議論の花を咲かせる。タコツボになりがちな僕に対して、もっと別の見方も出来るんじゃない、と温かく提起してくれるちえちゃん提供の現場実践に耳を傾けながら、自分の硬さや頑なさ、器の小ささ、というものに改めて思いが至る。そういうディープな議論に付き合ってくれる友人は、本当にありがたい限り。

そのちえちゃんとは阪大での仲間だったのだが、実はその後、阪大豊中キャンパスに移動して、オムニバス講義を受け持つ事になっていた。共通講義のボランティア論の一コマである。今年は阪神・淡路大震災からちょうど15年。僕自身は京都だったが11階で大きな揺れと部屋の散乱を経験し、被害は小さかったとはいえ、「自分事」として地震を経験した。ゆえに、その後ボーイスカウトの救援隊に地震3日後に参加し、その経験から気が付けば、ちょうどテスト前の1月最後には、阪大人間科学部1年生の有志で「阪大ボランティア隊」の呼びかけを、この豊中キャンパスの1年生の学部必修授業で行っていた。その時、150人を前に、緊張でガタガタ震えながら呼びかけの説明をしていた自分が、今、200人ほどの学生を前に、ペラペラと講義をしている。あの震災ボランティアの経験が、自分の研究者としての入り口に深くつながっていると思うと、今回の講義は実に感慨深いものだった。

その感慨をうまく言葉として現したかったので、講義の最後には、「15年前の自分」に向けてのメッセージ、というお節介を行う。まあ、ボランティア論そのものが、お節介の科学、でもあるので、5分くらいなら許容されるだろう、と。レジュメ作りの最後に思いついたものである。積ん読、乱読、斜め読みをしながら世界を広げよ。面白くない本に時間を使うより、合わないならさっと読むのをやめて、次の出会いに賭けよ。自分で「○○は俺には関係ない」と興味関心の範囲を限定するな。今、わからなくても、将来じんわりわかることもあるのだから、わかる・わからないの白黒がつかなくとも、「わからないまま抱える」ことに寛容に。学生時代こそ、試行錯誤の最大のチャンス。評論家として他人事ではなく、自分事として関わってみるべし。などなど、自分が学生時代に先達から受け継いだメッセージを、15年後の後輩達に伝え続ける。単なるお説教と取るか、少しは役立つ助言と受け取るか、は彼ら彼女ら次第。でも、そういうパスの連鎖の中で、次につなげることが出来る年代になったのだな、と改めて感じながら、先達への感謝と、後輩への期待を言語化していたような気がする。

もう、ここまで書いただけでも濃厚なのだが、その日は更に濃厚な夜が待っていた。場所は豊中から高槻に移動して、障害者福祉の研究者・実践家としての大先輩Tさんのご自宅で、パートナーの方の手料理と美味しいワインに舌鼓をうちながら、も、5時間あまりのしっかりとした議論。福祉政策や支援のあり方、など僕が聞きたかった事も沢山やりとりさせて頂く中で、思わず聞いてしまった。「僕の専門って、どうも社会福祉学でもないし、社会学も囓っただけだし、ソーシャルワークとも言えないようだし、なんと言ったらいいでしょうね」 それに対するTさんの返信は、完結にして明瞭だった。

「福祉を巡る政治・行政でしょうね」

確かに、である。福祉に関わっていることには間違いがない。だが、ミクロソーシャルワーク(対人直接援助)の枠内に収まらず、またその志向性もない。かといって、地域福祉研究者か、と問われても、そういうコミュニティのあり方や地域福祉計画そのものに興味がある訳でもない。障害のある人の支援の実態が何とかもう少し良くなって欲しい、という社会変革的なものを志向して、そのための手段として、官民が政策形成や実践場面でどのように連携出来るだろう、とか、支援組織のあるべき姿や変容のどう支援が出来るだろう、とか、そのための行政職員や支援者に向けた研修のあり方はどうしたらよいのだろう、といったことを、ここ数年考え続けている。これは、学とつけるなら、「自治体福祉行政学」とか、「障害福祉政策学」といった領域。確かに「福祉を巡る政治・行政」そのものなのである。すこーんと天井が抜ける、というか、深い部分で腑に落ちて、実に納得する。その後のアルコールも入った議論も実に気持ちよく過ぎていった。

そんなこんなのうちに、そろそろ終電の時間。新快速で京都まで行き、のぞみ号に乗り換えて、名古屋経由で日付変更線を過ぎた頃に津に辿り着く。興奮していたので鎮静作用を持たせようと、奥田英朗の『サウスバウンド』(角川文庫)の下巻を読み始める。上巻の東京編とはうってかわって、舞台は沖縄に。本屋大賞にも選ばれただけあり、ひとたびページをめくると、文字通り、やめられない・とまらない面白さ。2時間ちょっとの移動で貪るように最後まで読んでしまった。至福の議論と食事にワイン、さらには上質のエンターテイメントまでついて、豪華絢爛な夕べであった。

で、ようやく今日に至る。濃厚すぎて、火曜の朝のことが遠い昔に思える理由の一端がわかるでしょ。

今日も今日で、県職員の皆さんに研修をさせて頂く中で、自治体福祉政策における都道府県の課題を改めて考える機会をもらった。世の人の考え方の癖として、ある程度の情報整理や論理構築してから実践化に至る方向性と、実践現場に浸った断片的現実感からパズルのように仮説の構築に至る方向性、という、演繹と帰納の二つの方向性がある。僕は、間違いなく、現場の現実感からパズル的な構築をすることが得意な方。というか、それがなければ、リアリティを描けない、という意味で、アームチェア理論家には絶対になれない。ただ、本物のアームチェア社会学者の凄さを間近で知っているだけに、現場の絶対化のような陳腐なものでは歯が立たないことは、百も承知しているつもりである。現場での気づきや意識化、現場からの研修のオーダー、これらを、理論的なコンテキストを紐解きながら、現場の方々が腑に落ちる言葉や理屈で伝えていく。その中で「福祉を巡る政治・行政」を考えるダイナミズムや、それが社会を変えるお手伝いの役割の末端を担う、という機能にもつながる。

そんなことを何となく意識出来るようになったのは、やはり山梨県や三重県のアドバイザーの仕事をさせて頂くご縁が出来たここ2,3年のこと。しかし、この数年は、以前よりはかなり勉強をするようになった(というか、それまではかなりドグマちっくな、不勉強の塊だった)。今回は、研修の下敷きにならないか、と火曜日朝にふと思い立ち、鞄の中に詰めていったPaul Spicker“Social Policy”second editionがどんぴしゃりで役に立つ。社会政策における価値の位置づけ、とか、真偽問題と善悪問題の両義性、とか、昨日の講義や今日の研修でも早速パクれるものばかり。この本の第一版は日本語になっていて、それも僕には偉大なる参考書であり何度か読み返しているのだが、大幅に内容を変えたこの第二版は、2008年に出たのだが、残念ながらまだ翻訳になっていない。第一版と第二版で内容が大きく変わる、と言えば、リカバリー概念に関する名著『ストレングス・モデル』(Rapp & Goscha)は、第二版も日本語が出て、第一版で感じた翻訳のひどさはようやく解消された。(ただ、あの本も原著で読んだ感動が忘れられない)。あの本と違い、このスピッカーの『社会政策講義』は翻訳も優れている。訳者チームのお一人は、面識のある優秀な社会学者。なので、早くそのチームで第二版を訳してくれないかなぁ、と他力本願になってみる。

そんなことを書いているうちに、普段の分量の1.5倍くらいになってしまった。そういう濃厚なことは、忘れないうちに書いて血肉化しておかないと、という目論見は、今日はうまくいったようだ。さて、列車は甲府盆地の一番南、鰍沢口まで戻ってきた。繰り返すが、実に濃厚な二泊三日だった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。