時代を超える重みある論考

 

情報過多で移ろいやすい社会にあって、文章の比重が、相対的に軽くなっている事は、多くの識者が指摘している。ブログやツイッター、ネットニュース、電車の電光掲示板の1行ニュース等に代表されるような速報性メディアは、右から左(表示的には左から右だが)に流れていき、少し前の情報は、星くずの彼方に消え去ってしまうのが恒常的になっている。だからこそ、30年近く前の書物に触れて、その本の「今日性」を感じるとき、改めて「比重の重い文章」の凄さに恐れ入る。例えば、1980年代に書かれた村上春樹の作品群しかり。しかし今日紹介するのは、小説ではない。

「小さな島の、小さな部落の、そのまたはずれの小さな家の中で家族と身を寄せ過ごしている一人の人の心の中にも、大きくひろがっているいわば一つの宇宙が存在するので、彼が自立の道を歩もうとしても、すぐぶつかる社会の巨大な流れと壁に私自身が遭遇するとき、私たちの非力感はさらに深まるのである。
しかし、更に考えてみるならば、私たちが陥るこの絶望感は、現在の病者が感ずる状況の苛酷さに根源をもつものであり、私たちの活動も、彼らがおかれている抜け道のない立場に一度身を置いてみることなしには、共感をもった真の救助活動はありえないのだと思うのである。」(島成郎『精神医療のひとつの試み』批評社、p115-116

安保闘争の元リーダーで精神科医の島成郎が、本土復帰直前からの沖縄で地道な地域精神医療の実践を続けてきた論考をまとめた、1982年の作品。アマゾンの古本屋で買ったのだが、ある有名な哲学研究者(思想家?)の所蔵品であったようで、サインがされている。長い間「積ん読」だったのだが、久しぶりの休日に選んだつもりが、すっかりあちこちにドッグイヤーとマーカーだらけで、本気の論考に、うなる。安保闘争などの運動史はよく知らないが、社会を変えたい、世の中をよくしたい(役立ちたい)、という思いや願いを、アジビラやゲバ棒を持って、ではなく、久米島などの離島への継続的で長期的な訪問活動の実践の中から紡ぎ出し、昇華させているからこそ出てくる、本質的な考察。心の病を持つ人を、「○○症患者」と局所的にみるのではなく、「一つの宇宙が存在する」と捉え、現実社会との軋轢や壁の中で「抜け道のない立場」に苦しんでいる、そのことに「共感を持った真の救助活動」の原点を置こうとしている。リカバリーや当事者主体なんて言葉が言われるずっと前から、そのことに気づき、向き合っていた実践がある。不勉強な僕はようやく出会った本から、多くのことを教えられた。そして、28年後の現在でも、構造自体は全く変わっていない、と思い知らされる。

「戦後日本の精神障害者の処遇の変遷は、ただ単に、国家・社会の施策に由来したというのではなく、精神科医の真面目な努力によるものであるといわざるを得ない。現行の精神医療の体系が法的、経済的に治安的、反医療的なものであるとしても-すくなくとも戦後においては、患者処遇の基本形態である精神病院内収容隔離は、精神科医の承認と積極的関与なしには、法的にもありえなかったのである。」(前掲書、p57)
「精神科専門医である私が、入院の決定を行うと、家族、住民らの『社会からの排除、隔離、収容』の要求は『医学的根拠』を与えられたことになり、患者の拘禁は医療行為となり法によって保障されたことになり、彼らの困惑は安堵になる」(前掲書、p230)

精神障害者を「隔離・収容」することに重きをおいた戦後の政策は、「精神科特例」「保安処分・予防拘禁」「障害者施策からの排除」などの問題とも重なり合い、「国家・社会の施策」としての問題が前提としてある。だが、そこには「精神科医の真面目な努力」が常に存在した。「家族、住民らの『社会からの排除、隔離、収容』の要求」に呼応する中で、『医学的根拠』としての「自傷・他害」カテゴリーの中への当てはめと、強制的な収容に結果的に荷担したことになる。だが、勿論これは医師一人の責任ではない。そういえば、以前、この「真面目な努力」部分に呼応するような文章を読んだのを思い出した。

「医者だからこれを治せばいい、医者だから治さなくてはいけないと、ある種暗黙の期待や了解の下に、医者はそこで頑張らされている。医師だけが役割を背負って、結果的に家族やスタッフの負担を減らすために薬をたくさん出して、とりあえず、目先の困難を沈静化するといことで、周りを何とかなだめなくてはならない、となっているのです。
その現状を、多剤大量という形で批判するのは簡単です。しかし、それは精神科医が自らそうしているわけではなくて、医師に多剤大量という形で責任を押しつけているのは地域支援の責任だ、ソーシャルワーカーの責任だ、と私は勝手に思っています。(略)地域支援が頑張らないから、結局これだけ病院を増やし、病院にこれだけのことを押しつけてきたのです。」(向谷地生良『統合失調症を持つ人への援助論』金剛出版、p203-204

「医者だから」という「暗黙の期待」。それは「治してほしい」というポジの形で現れることもあれば、「病院に長く置いて欲しい」というネガの形で現れることもある。どのような形にせよ、精神科における医師が背負わされている比重は、一般科の治療を行う医師が背負わされているものだけでなく、遙かに「対社会的」な重みが強い。すると、「真面目な」医師ほど、入院の、医療化の「努力」に邁進する。その結果としての、諸外国に比べた病床数の多さや平均在院日数の長さにつながる。これは、意図せざる結果、というより、精神科医が「真面目な努力」をした成果とも言える。そして、その成果とは、社会的入院という形で、現在は「失敗」というカテゴリーの中に入れられている。

この認識の元で、どうしたら状況をひっくり返すことが出来るのか? つまり、今流行の言葉で言うならば、どうすれば「退院促進」や「地域生活移行」を進めることが出来るのか? このあたりも、褐色に焼けた古本になっている同書の中に、次の二点としてまとめられている。

「精神病院の変革はこの閉鎖性の打破が前提であると考えるとき、私は病院内医療者がもっと気軽に地域に出て地域での患者の生活の実態を知るようにすると同時に、地域活動に携わるものがもっと積極的に病院に関わる必要を感じる。」
「私たちの『医療』『地域精神衛生活動』の協力者を作り出すという考え方を捨て、地域内での患者の苛酷で悲惨な生活を知り、この処遇を強いている地域の状況を少しでも変えていこうとする、そしてこのことによって患者の自立を助ける、患者自身の協力者を作るのだという観点に立たなければならない。(略)彼らは患者と最も密接に生活しているだけ、それだけ一生懸命に患者を『医療』にのせようとし、あるいは『排除』しようとするのである。私たちは彼らに『医療』の幻想を与えることによって彼らの期待に応えるのではなく、また彼らを『教育』することによって『医療者』の協力者に仕立て患者の管理を依頼するのでなく、患者の生活を最も身近に知っているものとして、彼が地域内で暮らせる条件を作り出す援助者、共同生活者として期待するのである。」
(島、前掲書、p168-169)

退院促進事業という国事業が、72000人の入院患者の平成23年度までの退院という数値目標を出している。何度か書いたが、この数値目標は、諸外国に比べて「低すぎる」一方で、我が国では達成がおそらく不可能であろう。その阻害要因として、1980年代当初と比べて大きく改善されてきたとはいえ、島医師の指摘する「病院と地域の交流」のなさ・消極性や、地域における「排除や管理の担い手」ではない「患者自身の協力者」の少なさ、などは、未だに本質的課題として残っているような気もする。

この文章が「過去物語」になっていない現実を、さて、どうするか。読み手の私たちに、バトンが託されている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。