今日も移動中

 

今朝、移動の途中に、甲府盆地を上空から眺める機会があった。黄金色の朝日が輝き、釜無川や荒川がきらきら光っている。富士山もくっきり見え、その麓には精進湖か河口湖が見える。上空から眺めると、それらの湖が、甲府盆地と山を隔てて標高が一段高い場所にあることがわかる。なるほど、郡内と国中地域では確かに気候が違うよな、と上空からの俯瞰図でみると、改めて理解出来る。で、そんな鳥瞰図を楽しんでいる僕は、大阪から福島への旅の途中だった。

木曜日、3人の学生の卒論(A4で計100ページ以上!)を受け取り、卒論発表会用にごっそり印刷して、3,4年生と新3年生の計13人に渡す。みな一様に、驚きのため息をつく。そう、2月初旬の卒論発表会までに、全員がこれを読み通し、何か質問する事が求められているからだ。竹端ゼミでは恒例のイニシエーションになっている。学生は、教師からよりも同級生や先輩・後輩から学ぶことが実に多いのだ。

そして、無事に渡し終わり、主に公務員志望の学生さん向けの政策提言研究というオムニバス講義の解説も終えた後、すばやく研究室からキャリーケースをひっさげて、身延線経由で京都に向かう。金曜朝9時半から、奈良でのお仕事があるので、久々に実家に投宿。両親とべちゃくちゃオシャベリする中で、ひろしに言いたいことがある、と母親。何のことか、と思いきや、「あんたはブログの中で、父の好きなおでんをがんもどきと書いているけど、違う。お父さんが好きなのは巾着やで」とのこと。今年の年賀状でブログサイトを知った母親は、ご丁寧にも過去ログも読んだらしい。身内に読まれていると恥ずかしいよね、と思いつつ、やっぱりこうして今日もそのことを書いてしまう阿呆な私がもう半分にいる。

さて、備忘録的な日誌を続けると、金曜日はあちこちで、色々「聴き手」となった。午前中は支援現場のミッションって何だろう、と、ある支援組織の皆さんのリアリティに耳を傾ける。真面目に愚直に地域支援に取り組めば取り組むほど、矛盾や課題を引き受けながら、でもそれらの課題に逃げずに答えよう、という志をもった支援者の皆さんとのやりとりには、こちらも学ぶことが多く、襟を正す思いだ。

その後、甲子園口まで移動して、いつもの漢方医と美容室に立ち寄る。山梨に移り住んでからも、律儀にその二つだけはずっと通い続けている。それだけ、医師も美容師も、単なる馴染みの域を超えた魅力的な存在だからだ。そして、今回はその漢方医に、長年疑問に思っていて、最近特に気になる「あの話題」を真正面からぶつけてみた。「先生、なぜ僕はジャンクフードも喰わないし、野菜を沢山取っているし、玄米食中心なのに、痩せないんですか。また、汗かかきなのに冷え性なのはどうしてなのでしょうか? どうしたら、全体的な体質改善のバランス感覚の取り戻しが出来るでしょうか?」 この、うるさい患者の直球に、ニシモト先生も剛速球で投げ返してくる。

「あなたは、食毒やね」

しょ、食毒! 文字通り、食べ過ぎて、毒になる。玄米ご飯なのに、お代わりして2杯も食べているようでは、そもそもよく噛んでいない。三食もがっつり取りすぎている。そういう食生活では、カロリー過多になっていて、身体がカロリーを消化し切れていない。だから、脂肪や毒素として身体に溜まり、その溜まりカスのおかげで、血の巡りが悪くなり、冷え性にもつながる、と。それを治すためには、その先生自身も実践して効果のあった、炭水化物を極力減らすダイエットと食事の総摂取量の減量がぴったり、と。

数日前から『レコーディング・ダイエット』やらためしてガッテンダイエット本などを読んでいて、体重量の増減の「見える化」「意識化」や、それに基づく総摂取量の削減が、ダイエットのポイントであり、自分にも何となく実現可能な方向性であることは、うすうす感じていた。だが、文字通り「食毒」と規定されると、ショックだが、瀬戸際まで追い込まれて、案外良いショックかもしれない。実を言えば、食べている時は「もっと、もっと」という気持ちになるが、食後に胸焼けしていることが少なくない。ということは、食事量の過剰摂取そのもの、なのだ。

正直、他人に言われなくても、内心知っている。だが、それを顕然化させることは、自分に変容を突きつけたり、これまでの自分のやり方に関する自己否定になるから、勝手に自分自身で歯止めをかけていた。その歯止め(=保身!?)が、「食毒」という言葉を聞いて、文字通り吹っ飛んでしまう。Now or Never? やるか、やらんか? 単純な二者択一である。やらんとしゃあない所まで、うっちゃられた、とも言えるかもしれない。

そういう、とほほ、な気分の落ちこみを聴いてもらうべく!?、髪も短く切ってもらい、その後は西宮の現場に行って、ひたすら「食毒」ネタに盛り上がる。転んでもタダでは起きない。がめつい。だが、そう意識すると、その後の飲み屋に繰り出しても、「意識化」とカロリーセーブは頭にすっかりこびりついているようである。悪くない傾向だ。

で、西宮から帰って京都でPCをいじくっていたこともあって、睡眠不足を抱えながら、今朝は6時前にはMKタクシーの伊丹空港乗り合い便に乗って、冒頭の福島行き。今日は障害者団体の「タウンミーティング」が郡山であったのだが、一方で昨日くらいしか甲子園口の漢方医と散髪屋には行けそうな時間的余裕がない。そこで、山梨大阪福島山梨、という大移動になったのである。そして、今このPCを打っているのは、いつもの最終「かいじ」である。

郡山では、自立生活センターを支える地元の障害者の方々とワイワイ話し込んでいるうちに、シンポジウムも懇親会もあっという間に過ぎ去ってしまう。魅力的なリーダーのもとに、個性豊かな当事者も集う。そういう当事者から学んで、支援者や行政関係者のセンスも磨かれる。そういう相乗効果が発揮されている様子を見て、文字通りこちらも元気をもらったし、やはり当事者主体が地域を変えていくんだよなぁ、と改めて感じ入る。目まぐるしい移動でも、実に大収穫の2泊3日強行軍であった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。