昨日は8時の汽車で東京にでかけ、25時前に帰宅するまで、金沢文庫→茗荷谷→新宿と場所を三回変えて、対話し続けていた。
まずは山梨で一緒に仕事をさせて頂いているイマイさんのお見舞い。以前にお見舞いした時に比べてだいぶ顔の表情もよくなられ、久しぶりに話が弾む。山梨に戻ってからの「悪だくみ」の話に花が咲いているうちに、気が付けば奥様がお越しになっていた。夫婦水入らずの邪魔をしては、というだけでなく、午後からの予定に合わせて移動すべき時間でもあったので、「では続きは山梨で」を合い言葉に退散。
その後、京急→東海道線→地下鉄丸の内線を乗り継いで、1時半から茗荷谷のイタリア料理店で遅めのランチを食べながら、研究会メンバーと議論を続ける。メンバーのお一人が先月生まれたての赤ん坊を連れて登場したので、昨日はずっとその子を見ていた。お人形のようにかわいい。カンガルーのように子どもを前に背負われ、「揺らしていたら、眠り続けているから」とf分の1揺らぎのようなリズムで揺すり続けておられる。僕もマネしてゆらゆら揺れながら発表者の話を聞いていると、実に気持ちよい。そういえば、そのお子様も実に気持ちよさそうに寝ていた。赤ん坊は「寝るのが仕事」とは、よく言ったものである。
研究会が終わった後、生まれて初めて、夕刻6時の新宿アルタ前、という強烈な待ち合わせ場所に馳せ参じる。東寺の側にある高校の同級生達のうち「東京組」の集まりがあったのだ。広義の意味での「東京組」に入れてもらい、8年ぶり、10年ぶり、の仲間と居酒屋に繰り出す。田舎者でもわかる待ち合わせ場所、という幹事ミワ君の配慮は、僕のような存在のためにあるのだろう。おかげで場所は迷わなかったが、いざ現場に着いたら人が多すぎて、現場の中で迷子になってしまった。
さて、男子校ゆえに35歳のオッサンばかりの飲み会では、隣に座ったこのブログを読んでいるというヨシダくんから、「おまえはブログで良い子ぶりっこしすぎだ」と突っ込まれる。そりゃあ、「良い子」ではない邪悪な部分がタケバタにない、と言えば、嘘になるし、確かにこのブログにその部分は決して出さない。でも、それは「良い子ぶりっこ」ではなく、そんなおぞましいものを公衆の面前に出す事に価値を置いていないから、に過ぎない。日々の文章の中で、自慢や俗な側面は十分に出ているだろうが、そういえばこのブログの個人的な倫理的指針として、「一定程度の張りとツヤのある文章」を目指しているんだよなぁ、と、指摘されて改めて気づく。ブログという本来的な性質上、自己陶酔的な部分は決してゼロではないが、なるべくナルシスティックな、閉塞的なものではなく、どこかに通じるような、ある程度開かれた文章を書くよう、気にかけている事を改めて再認識した次第。でも、それが読者に伝わっているかはアヤシイのだが。
そして今日は本当は長野に日帰り出張、のはずだが、飲んでいる時にMさんから「明日は都合により順延です」というお知らせが入る。来週末が例のセンター試験で全く休みがないので、正直に言うと、今日のお休みは実にありがたい。土曜日は大学で同じ分野の研究を外国でされているYさんと議論をしていたので、休みではなかった。最近、休みのない日々が続くと、一気にヘトヘトになるので、調査は楽しみだったが、休息も大切。4日の仕事始め以後、割と精力的に動いていたので、身体もへばっていたようだ。
で、最近の読書、というと、精神的にもへたばっているからか、なぜか臨床系のものが続く。先週読み終えた読んだ河合隼雄の『心理療法序説』(岩波書店)は大学に持って行ってしまったので、今日ご紹介するのは、別の一冊。
「不在によって存在のあり方があぶりだされる、ということがある。本来そこにあるはずのものが、そこに見あたらないことほど、雄弁に存在のありようを示す方法はない。けれども、そこに何かがあるはずだということに気づかない人たちの中では、その存在はまったくの無に帰されてしまう。そこにはあらたな暴力が発生する。この暴力は日常生活の中にあふれすぎるほどあふれている。その暴力が蔓延することを、今か今かと待っている人たちもいる。存在を不在に追いやり、自分たちの罪をも存在から不在に追いやりたい人たち。アーレントの言う『忘却の穴』は確実にある。」(宮地尚子『トラウマの医療人類学』みすず書房、p122)
こういう文章に接すると、改めて臨床家の持つ視点の鋭さ、に心を揺らされる。「存在を不在に追いや」ろうとする人たちの「暴力」の被害にあって、トラウマやPTSDに陥った人々のケアに携わる精神科医のエッセイゆえに、「忘却の穴」への批判の手は揺るぎがない。僕自身が、ちゃんと想像力を行使出来ているか? 「不在」という形での「存在のありよう」に、ちゃんと気づけているか? 自らの問題をも、「不在」とごまかして、葬り去ろうとしていないか? 様々な投げかけを、この文章からもらう。
それと共に、臨床家と自らの違いについて、改めて考えさせられる。以前、べてるの家の向谷地さんと話した時、「医者や臨床心理士は、大学の教員になっても臨床を持ち続けているのに、どうしてソーシャルワーカーは、臨床を持たないのだろうか?」と言われた。向谷地さんご自身は、大学の教員もされながら、ワーカーもずっと続けておられるし、ここのところ沢山の著作も書いておられる。この宮地さんも、大学の教員と精神科医を両立しておられる。一方で、私自身は、臨床実践家の経験もないし、現時点でも臨床は持っていない。
このことについて、臨床を持つことによる視点の偏りからの自由、という結論を、大学院生の時には出していたように想う。だが、実際にはどうなのだろう。臨床家(当事者、家族、一般市民…)とは違う、独特のレンズを持てているか。他の専門性(当事者、ワーカー、医師…)とは違う、オリジナルでユニークな視点を持っているのか。不在は存在を雄弁に語る、というが、僕の場合は、持ったことのない不在、ではないか。果たして存在したことがあるのか。今後、何らかのものが存在するのか。その時、どのような存在が、臨床家でも当事者でもない、研究者タケバタとしての「存在」として落ち着くのか。それは、表層的で橋にも棒にも引っかからない「良い子ぶりっこ」とはどう違う内容になりうるのか?
そういえば、大学の賀詞交歓の場で、お世話になっているM先生からも、僕自身の「寄る辺なさ」について指摘された。今年はそういう意味での、存在根拠、というか、「寄る辺」を作るため、自立のための藻掻き、が更に必要とされているような気もする。