風が通る本読みとは(前編)

35歳にして、遅まきながら、生まれ変わりはじめている。

変な話だが、文字通り、今年は世界が違って見えている。最近あちこちで「タケバタさん、痩せましたね」と言われるが、確かに1月には80キロを越えていた体重は、71キロ前後まで落ちた。お陰でユニクロでスラックスを二本、チノパンを一本、半パンに短パンも買った。特に82キロを超えていた頃のジーンズなどは、ダイエット広告そっくりにブカブカである。結局ズボンは4,5本は処分しただろうか。
体重の変革は、実は考え方やとらえ方の変革と同期している。というか、変わりたいと望み続けた志向性が、まずは体重というフィジカルなもので劇的に効果を見せ始め、それで心の強ばり、というか強い思いこみも、とうとう折れた。今まで体重は減らない、どうせやっても無理、という呪縛に基づく諦念感やそれに基づく言い訳に支配されていたが、そこから自由になることで、「変わる」ということに関しての基礎的信頼を持ち始めた。すると、他の変われていない部分での囚われも気になり始めた。もしかして、体重が減らない時の思いこみと同じように、他の部分の「出来なさ」も、単なる思いこみでは無かろうか、と。特に2月の香港の旅や、3月の学会での出会い、などが大きなきっかけになり、内面の変容の真っ直中にいる。
で、4月以後は前回のブログでもご紹介した「総合福祉法部会」の仕事がかなりハードで、講義もあるし、そんなに忙しくなると思いもしなかった時期にエントリーしてしまった海外学会の口頭発表とそれに向けたフルペーパー書きで忙殺されていた。ま、その間に沖縄に遊びに出かけたりしているので、充実しているのだが、なかなかタフな前期だった。ようやく木曜日に講義は全て終了し、金曜日に来月の韓国での国際学会のフルペーパーもとりあえず送ってしまったので、晴れて一息つける。いやはや、特に連休以後は突っ走り続けましたよ、ほんと。
久しぶりに土日がオフになったので、昨日はパートナーと朝からことりっぷ。蔵元のカフェで聞き酒をしたり、野菜をたっぷり買い込んで、お昼過ぎには我が家に戻ってリンゴのシードルで乾杯。暑い夏の盛りにライなイギリスのシードルは非常に合うのです! で、昼寝をして、読書三昧に餃子パーティーをして、幸福な一日を終える、ちょっと前になって、実は更にスリリングな展開が。それは、読書を巡る「生まれ変わりの体験」であった。
発端は先週に遡る。水曜日がちょうど月曜日の補講日で講義がなくお茶の水大学で研究会を入れていたので、火曜の総合福祉法部会の後、秋葉原に投宿。水曜朝一から、最近のお気に入りの丸の内丸善にまた入り浸る。で、4階の松丸本舗に足を運んだ時、以前から気になっていた、エプロンをつけたブックショップエディターに声をかけてみた。その日にふと浮かんだ、今から突拍子もないオーダーで。
「あの、すいません。エプロンをしておられる方は、本をいろいろお薦めいただけるんですか?」
「はい、そうですよ(笑顔で)」
「実は、自分の中で風が通るような本を読みたいんですが…」
とんでもない未分化でへんてこなオーダーだが、ブックショップエディターのお一人、Mさんとやりとりする中で、自分がどんな風通しをもとめているのか、の片鱗が見えてきた。それは、今まで本と本の間でのネットワークを張っていなかった、関連づけていなかった部分を主題化したい、それによって、タコツボ的知識を越えた、風通しが良く、関連性のある読書体験がしたい、ということだったのだ(かなり後付的だが)。でも、そこで勧められた本は、僕がこれまで手に取ろうとすらしなかった本で、かつ魅力的な本ばかり。今は「猫町」(萩原朔太郎著、岩波文庫)を読んでいるが、じんわり面白い。その後も、連関性のある本を薦められたので、丸善から送ってもらった本が着き次第、数珠繋ぎを始めるつもりだ。
で、数珠繋ぎといえば、その日何となく籠に入れていた「闇屋になりそこねた哲学者」(木田元著、ちくま学芸文庫)もキーブックになってくれた。これは、先週末、京都の書店で買い求めた「思想家の自伝を読む」(上野俊哉著、平凡社)に触発されて買い求めた本。もともと自伝好きだったが、こういう視点もあるのか、と学ぶ事の多かった一冊。
「ある意味で哲学者にとっての本質的な仕事は自伝である。もちろん、哲学が学問(規律と訓練の過程をしっかり備えた専門領域[discipline])であるかぎり、大切なことは先行する仕事を尊重し、そこから活かせるものを取捨選択し、かつて語られたことがらや概念に現在の視覚から光をあてなおし、しっかりした注釈や解釈をほどこし、すこしでも思索を前に進めることであるだろう。」(p41)
こういう視点で自伝を読んでみたら確かに面白い、と思い、筆者の師匠であり、筆者曰く「自伝めいた思索や経験がエッセイ的な挿話や逸話としてではなく、哲学の理解や認識の根底で生きているような文章を書く哲学者」である木田元氏の上述の著作も、大判時代から気になっていたのだが、文庫版がようやく出たので、何気なく手に取ってみた。そして、ここから、上野氏が言うことと、ブックショップエディター氏に教わった事が、大きく交錯し始める。
と、ここまで書いて、そそろそ合気道の時間なので、発作的に「続く」。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。