「厳しい自律」ゆえのハイパフォーマンス

前回のエントリーのタイトル、「魂がわたしにおいて考える」というフレーズが殊の外気に入ったので、そのままエントリーをせずに2週間たってしまった。

このようなエントリーをすると、「宗教臭い」「精神世界系にイッてしまったのでは?」「科学的手続きを無視しているのか」などという批判があるかもしれない。以前の僕なら、そういう「世間の目」を気にして、あまりブログでもそういうことは書かなかった。だが、「正しく考える」とは何か、を終生考え続けていた池田晶子さんの著作を読み直す中で、そういう表層的な批判ではない、本質的な何かを、このフレーズを通じて学びつつある自分がいる、と改めて気づかされる。
「普遍を経験する個人固有のやり方、それが個性である。もし小林の言葉が、己の個性を主張するためのものであったなら、なぜそんなものが他人に感動をもたらすことが可能だろう。彼の言葉が彼の個性によって、われわれの普遍に触れている、われわれの心は敏感にもそれを感じて、それに感動を覚えるのである。感動とは、生もしくは心が、自身に深く触れたときに生じるわななきのようなものだろうか。」(池田晶子『新・考えるヒント』講談社、p107)
小林秀雄の「言葉」を用いながら、別の観点から同じ事を照らし直す池田晶子という作家の力量が存分に現れている一冊。7年前より、今の方が滋味深く感じられ、読み直す中で様々なエキスを頂く。その中でも、もっとも今回グッときたフレーズが上記の中でも、特に次の一節。
「普遍を経験する個人固有のやり方、それが個性である」
たった一行で本質を突いている。そう普遍という魂は、私という個人固有のやり方を通じて、現前に現れる。だからこそ、「魂がわたしにおいて考える」=「個性」でもある、といえよう。その時、考えられた言葉は、個人というビークルに乗って運ばれてくるが、「彼の言葉が彼の個性によって、われわれの普遍に触れている」からこそ、受け手側も「感動を覚える」のである。
更に続けると、この個性とは、決してエゴや自己主張の類ではない。「私」の存在証明や自己顕示欲の陳列をしている限りにおいて、自分の殻の内側の壁を越えることが出来ない。そう言えば養老孟司氏はそれを「バカの壁」と言っていたような気もするが、その時代のドミナントストーリーを鵜呑みにして、それに無意識に依拠しながら他人の悪口を言って糊口をしのいでいる「評論家」にこそ、まさにその壁が当てはまる。更に言えば、全てを唯脳論的に語りながら、実は私を越えた普遍にアクセスする氏の語り口は、あれはあれで「普遍を経験する個人固有のやり方」という意味での「個性」なのだと思う。
すると、ここで月並みな、でも僕自身にとってはアクチュアルな問いが、回転して突き刺さる。
「タケバタ自身の発言は、『私(=エゴ、自己顕示欲、バカ・・・)の壁』を越えているのか、個性といえる何かなのか?」
現在はどうか、は後になって振り返ってみないとわからないが、残念ながら自信を持って言えるのは、20代後半までは、特にこの壁の中でもがき苦しんでいたような気がする。
きちんと考える事が出来ず、単に焦ってばかりいた20代後半。大学院生という不安定なポジションで、ひたすら声高に、わあわあ叫んでいた。「○○は間違っている(オカシイ、変だ、ダメだ・・・)」と口泡飛ばして力説している時、実は「そう主張(査定)している私こそ正しい」と言う事を、他人に認めてもらいたくて仕方なかったのかもしれない。そういうゆがみ・ひずみは、男子より女子の方が直感的に感知しているようで、とある年上の研究者から「元気だけはいいね」といつも皮肉を言われていた。力説の内容よりも、その口調への皮肉に終始する彼女に、内心すごく腹立たしかったが、それは彼女が僕自身の内容の薄っぺらさが形式に現れていることを、直感的に指摘してくる事に、耐えられなかったから、かもしれない。つまり、自分の歪みが、自分の発言に全面的に現れていたのだ。そりゃ、喋れば喋るほど、他人は説得されるどころか、拒否的反応を示すのも、実に真っ当だ。そうやって、悪循環のサイクルに陥っていた。
その悪循環から、どうにかこうにか抜け出せた(と思いこんでいるだけかもしれないが)のは、おそらく30代で大学の教員になってから。ブログを通じて、ずっとこの「査定者の無謬性」問題を考え続けてきたのも、大きな助力にはなっている。だが、それよりも大きかったのは、大学院生の頃は「参与観察者」という傍観者の立場だったのだが、それ以後の現場では、アドバイザーなどのより踏み込んだ形で関わるアクション・リサーチ的立ち位置が求められるようになった、というのも多い。簡単に言えば、「高みの見物」という名の「傍観者的批評家」では済まされず、現在進行形の何かにアクチュアルに関わる事が求められ始めたのだ。その時、言葉の責任と重みを改めて再認識させられると共に、軽い言葉では現場では全く通用しない事、いい加減な言葉使いや態度では現場を荒らすだけでまとまりが付かないこと、正しい言葉できちんと伝えることが出来れば現場の変容に役立つこと、などを、体験しながら学んで来た事が大きいと思う。
現場の変容の支援とは、一言で言うならば、その現場の雰囲気を正確に掴んだ上で、そこに作用するゆがみやひずみを突いて、ダイナミズムを変容させる、という仕事だと思う。その際、自分のこれまでの経験や先入観という「私」に左右されていては、決して現場のリアリティに届かない。自分の枠組みを相手に当てはめたところで、何の解決も産まないどころか、返ってゆがみの肥大化に寄与してしまう。百害あって一利なし、になりかねない。
その際求められるのは、まずはひたすら虚心にその現場の声や雰囲気を感じ、聞くことだ。そうしてチューニングが合った段階で、第三者である僕からみて、その現場に共通する論点を整理して伝えること、これがどうも「普遍を経験するタケバタ固有のやり方」であり、タケバタの「個性」であるようだ。この癖をうまくつかみ、現場で素直に活かす事が出来た時、思いもしなかった展開の中から新たな可能性が見開かれる。逆に、焦ったり、偏見の眼鏡で曇っていたりして、きちんと耳をすましたり、五感をとぎすませることが出来なかったら、出来合いのストックフレーズを押しつけて、その現場でのセッションは全く実りのないものになってしまう。
そういう経験をしているからこそ、次のフレーズは実にアクチュアルな内容として、僕にも響いてきたのだ。少し長いが引用してみる。
『「なまもの」相手のときは、マニュアルもガイドラインもない。
「なまもの相手」というのは、要するに「こういう場合にはこうすればいいという先行事例がない」ということだからである。
どうしていいかわからない。
どうしていいかわからないときにでも、「とりあえず『これ』をしてみよう」とふっと思いつく人がいる。
そういう人だけが「なまもの相手」の現場に踏みとどまることができる。
どうしていいかわからないときにも、どうしていいかわかる。
それが「現場の人」の唯一の条件だと私は思う。
私が知り合った「理系の人たち」はどなたもそういう「なまの現場」に立っている方たちである。
現場にとどまり続けるためには「わからないはずなのだが、なんか、わかる」という特殊な能力が必要である。
そのことを先端研究にいる人たちはみんな熟知している。」
(内田樹ブログ 『特殊な能力について』
私は内田氏が挙げているような方々と肩を並べられる実力では、勿論ない。だが、この「『わからないはずなのだが、なんか、わかる』という特殊な能力」というのは、強く同感する。単なる妄想なのかも知れないが、僕も現場の方々との共同作業をやっていて、たまに『わからないはずなのだが、なんか、わかる』という経験をする。そして、その予期は、大体において外れることなく、ピタッとあたる。自分の認知の歪みや理論などに盲目的に支配されず、現場の風が意味するところを体得し、その流れに抗うことなく、でも適切に棹することが出来ると、全く予期しない場所まで気づいたら運ばれていることもある。そういう経験をしているからこそ、その後に書かれている内田氏の分析にも、鳥肌が立ってしまった。
『だから、その「特殊な能力」をどうやって高いレベルに維持するか、そのことに腐心する。
先に名前を挙げた方たちのふるまいをみていると共通点がある。
それは「やりたくないことは、やらない」ということである。
これは領域を問わず、先端的な研究者全員に共通している。
やりたくないことを我慢してやっていると、「わからないはずのことが、わかる」というその特殊な能力が劣化するからである。
どうしてだか知らないけれど、そうなのである。
だから、自分に負託された使命が切迫している人ほど「特殊能力の維持」のため
に、さまざまなパーソナルな工夫を凝らすようになる。
池上先生が水に潜ったり、三砂先生が着物を着たり、池谷さんがワインとクラシックにこだわったり、茂木さんが旅したりするのは、それぞれのしかたで「そうすると、自分の特殊な能力が上がる」ことがわかっているからである。
別に趣味でなさっているわけではないのである。
「やりたくないことは、やらない」という厳しい自律のうちにある人たちは、だから総じていつも上機嫌である。
上機嫌であることが知性のアクティヴィティを(「おめざ」のあんこものと同じくらいに)向上させることを彼らは知っているから、「決然として上機嫌」なのである。
オープンマインドとハイ・スピリット。
これが知的にアクティヴな人の条件である』
(内田樹、同上)
この中でも最も気に入っているのは『「やりたくないことは、やらない」という厳しい自律のうちにある人たち』というフレーズだ。一見すると、「やりたくないことは、やらない」というのは、ワガママに見える。この高度資本主義社会は、このテーゼに「ワガママ」という強固なタグを付けて、人々を飼い慣らしてきた。また、そうやって他律的に支配されて、マニュアル的に働いている方が、「やらない」という自律的判断を選び続けるしんどさ、断る面倒くささ、その後のコンフリクト・・・を考えるより、ラク、なのである。だからこそ、「やりたくないことは、やらない」というのは、「厳しい自律のうちにある人たち」しか出来ないのだ。
これを逆から考えてみよう。「やりたくないことをやる」ということは、マインドセットを呪縛される、ということでもある。他者の呪縛的な言葉に表面上従って、中身では反発している身体は、そのアンテナの感度を下げ、無神経・無痛状態になることで、どうにかこうにか、日々をやり過ごす。すると、考える事自体が毒になってしまうので、やがて「こんなもんでいいか」と投げやりになり、身近な安逸に専心し、その先の何かを目指そうとしない。ゆがみやひずみも、「仕方ない」と自分の中に死蔵させ、そのままにしてしまう。すると、「確定的にわかる範囲」以外の何かのセンサーも切れてしまい、狭い範囲で自閉的な繭にくるまれたような日々になってしまう。これが、「やりたくないことを我慢してやっている」ことの代償だと思う。その代償を払っても、世間の中では浮かない、という日本の風土に土着的な「疾病利益」が大きいからこそ、なかなか「やりたくないことをやる」呪縛の外に出るのは、特に日本においては大変だ。
だが、僕も30代になってから少しずつ、特に昨年の変容の後から大胆に、「やりたくないことは、やらない」という実践を積み重ねつつある。そうすると、実に体内の風通しもよくなり、従来の固い頭(=固着した精神)では受け容れられなかった様々な新しいアイデアも、すっと身体に馴染み始めている。その中で、自己主張や自己顕示欲がだんだん狭隘なものに感じられ、その先にある「わたしを通じて考える」「魂(=普遍)」へのアクセスを志向するようにもなってきたのだ。そして、その「魂がわたしを通じて考える」営みを生の現場で続けてみると、「わからないはずのことが、わかる」瞬間が、どうも増えてきたような気がするのである。
さて、この気づきからどう展開していくのか、僕にはさっぱりわからない。だが、「決然として上機嫌」というのは、これまでも、そしてこれからはなおさら、大事にして行きたいと思う。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。