今回の東日本大震災で、被災された全ての方々の、安全確保が一刻も早くなされることを祈っています。また、原発の危機的状況が、一刻も早く回避されることも。
今はあまりに目の前の出来事の悲惨さに私自身も目を奪われがち。だが、被災地の事を思えば思うほど、少し長期的な展開を見据えて考える必要がある感じている。
阪神淡路大震災のからの復興支援を丁寧に研究された西山さんによると、被災後の復興支援とボランティアやNPOなどの関わりは、次の6つのフェーズに別れる、という。
第1期:緊急救援期(震災後1週間)・・・生命の救済、緊急避難、物資供給
第2期:避難救援機(1995.1~3月)・・避難所での緊急支援、物資供給、生活再建に向けて支援
第3期:復旧・復興期(1995.4~12月)・・・生活再建、仮設住宅での生活支援、自立支援活動への展開
第4期:生活再建期(1996~1997年)・・・ボランティア活動の再構成、事業化への展開、被災者の生きがいづくり
第5期:まちづくり・社会のしくみづくり期(1998~1999年)・・・運動方向の明確化、ミッションの再確認、情報公開、ネットワーク形成
第6期:市民社会の再構築期 (2000~現在)・・・企業、行政、地縁組織へのインパクト、
NPO・NGOの自己変革
(西山志保 2007 『改訂版 ボランティア活動の論理』東信堂、p69)
今日明日、の緊急救援期に、遠くにいて、避難支援の専門家でもない素人の私が、すぐに出来ることは、まずは募金。災害緊急対策用の道路を自家用車で渋滞に巻き込んだり、あるいはニーズの高くない物資を勝手に送りつけるよりは、義捐金の方がよい。ただ、この義捐金なら即効性が高くない、と思われる方もいると思うが、例えば、そういう緊急支援に長けたボランティア団体への寄付などは、実に有効だと思う。
たとえば災害救援で定評の高い日本災害救援ボランティアネットワーク(NVNAD)は、すでにブログで必要な情報を流し始めておられる。こういう情報に眼を向けて、現地でその時期その時期に本当に必要とされる物資を届けたり、あるいは現地や現地以外でもボランティアできることがないかを考えるのも一つの手である。
ただ、阪神淡路大震災の教訓を、今回の東日本大震災に活かすとするならば、この復興は、間違いなく長期戦になる、ということだ。そして、少なくとも第二期の避難救援期から、第三期の復旧・復興期にかけて、外部のボランティアや物資などで、必要とされるニーズも沢山出てくる事が予想される。たとえば、多くの自治体でボランティア受入のためのボランティアセンターを、地元の社会福祉協議会などで立ち上げるだろう。また、そのボランティアセンターを通じて、避難所の運営ボランティア、あるいは被災地の片づけなど、人海戦術が必要な場面も紹介されるだろう。さらに、第四期の生活再建期以後は、「わが町の復興」を地元市民の手でどう創り出していくか、それを外部の市民もどう支えるか、が問われる。(たとえば中越復興市民会議のHPなどを参照)
であれば、僕自身には何が出来るだろうか。正直、昨日は呆然とテレビに釘付けになっていたが、今朝からまずは自宅の食糧備蓄やガスボンベ確保などの安全の確保をした(世界平和の前に、まずは家庭の平和が大切)。そしてその後、自分自身の溜まっている仕事を片づけ始めている。来週は卒業式に出張に、と公的に入っている仕事も少なくないので、その対応をまずする。その上で、仕事を前倒しに片づけて日程的な余裕を作っておいて、また上記のウェブやツイッターなので情報を追いかけながら、自分がどのタイミングで、何をしたらよいのか、を考える。そのためにも、今は冷静に自分のすべき本業をしながら、時間を確保するために仕事を前倒ししようと考えている。
もちろん、こんなものに唯一の正解は、当然ない。みなさんも、ご自身なりの「これから出来うること」をお考えになればいいと思う。そして、募金だとか、あるいは例えば東北の商品を買ったり、あるいは第三期以後なら東北旅行をしてお金を現地に落としたり、もそれはそれで大切な貢献だと思う。トルコの地震の直後、現地の救援チームに同行したが、現地では観光業がかなり打撃を受けていて、地元経済に深刻な影響を与えていた。復興とは生活復興だけでなく、経済復興も大切なので、自粛すべき時と内容は、冷静に見定めた方がいいと思う。
いろいろ書いたが、言いたいことはシンプルだ。「ほっとかれへん」と思うからこそ、浮き足出さず、情報を分析しながら、自分の立ち位置も冷静に考えて、自分でも役立てる行動に移すべきタイミングを考える。これに限ると僕自身は、現時点では考えている。