春の蠢き

昨日は久しぶりに平日にお休みを頂き、奥様とドライブ。

本当は一泊二日で温泉に出かけるはずだったのだけれど、諸般の事情でキャンセルして、御殿場のアウトレットに出かける。僕は何にも買うつもりは無かったのだけれど、彼女が見たいと言って入ったレイバンのグラサンをかけてみたら、あまりに顔の骨格や作りにピッタリで自然。これまでかけていたグラサンは妻に大変不評だったし、6年前の代物なので、グラサンにしては高かったけど、買ってしまいました。意外とヤッピー系なところもあり、ですね。
で、買ってしまいました、と言えば、昨晩デジカメの一眼レフまで買ってしまいました。
事のはじまりは、昨日、御殿場でふらっと入ったニコンのアウトレットショップ。もうカメラから遠ざかって随分立つが、これでも一応高校時代は写真部にいて、中古カメラを何台か持っていたのです。あの当時、白黒写真が主流で、部室兼暗室に入って写真を焼いたりするのが、非常に面白かった事を覚えている。あと、あの時代の友人は今でもやり取りする仲間が多いのも、写真部で得た大きな収穫。このブログサイトの管理人N氏も、1年後輩の写真部部長繋がりだから、もう20年近い付き合いに。彼には本当にお世話になっております。
さて、高校時代は熱狂的に写真にはまっていたのに、飽きっぽいのと、大学の写真部になじめなかったのと、写真以外の刺激が沢山ありすぎる中で、いつしか写真から遠ざかってしまった。デジカメも、研究室と自宅にコンパクトのものを二台ほど持っているが、何だかおもちゃみたいで味気なく、プリントアウトするのもまとめるのも面倒で、ほとんど使っていない。妻と結婚した後もそんな感じだから、結局結婚して8年間、あちことに旅行に行っても殆ど写真をとらない、記録に残さない、という有様。本当に面倒くさがり屋も甚だしいですね。
だから、カメラとは縁が切れたのかな、と思っていたのだが、ところがところが・・・。昨年以来の身体と心の変容の中で、イスタンブールのガタラ橋や熊野の本宮の風景が妙に鮮やかに心の中に残っている。もちろん、写真を撮らずにじっと凝視していたから残っているのだけれど、一方で、そういう心象風景を記録として写真に撮っておきたい、という思いが、少しずつもたげていた。そんな折りにアウトレットショップの中にあったニコンショップに吸い寄せられてしまい、ふと気づくとデジタルの一眼レフカメラをいじっていた。軽いけど、ホールディングが実にしっかりしている。実は20年前、写真部に入った際、初めて手にしたカメラが「ニコマート」(コンビニじゃないよ、40年前の廉価版カメラ)、その後F501とニコン続きで、F3なんていう玄人カメラも持っていたこともある、ニコンとのご縁が深い私。その後、オートフォーカスの方がラクじゃんね、とEOS10に鞍替えしたが、もともとニコン派だったのだ。そんな古い血が、再び流れてしまった。
というわけで、D3100というニコンのデジカメ一眼レフ入門機に惹かれるものの、買おうか買うまいか、かなり悩んだ。アウトレットそっちのけで、色々考えていたのだが、結論は出ず。一世代前のD3000なら4万円で手に入る、というのも魅力だったが、なんか引っかかる。やっぱりここは写真を今もやっていて、使わなくなったF3を使って頂いているナカムラ君に相談するしかない。そこで、一旦おうちに帰って、ゆっくりしてから、ナカムラ君と電話で相談。彼は早速スペックを調べてくれて、出した結論は、「ちょっとくらいケチらんと、最新型のD3100を買いなさい」。素直に従って、アマゾンで早速注文。今日中に届く予定だとか。本当に、早いですね。
カメラを再び手に取りたくなったのは、大げさにいうと、世界と自分との関係のあり方が大きく変容しているから。思えば、10代は単純に写真を撮る、ということに夢中だった。でも、20代に入って、様々な興味関心が指数関数的に増える中で、カメラに費やす時間もエネルギーも縮減していった。そして、専門家になるための修業時代には、一方で生計を立てる為にバイト三昧をしながら、ある種のタコツボというか、深く穴を掘り下げるために、様々な余暇も切りはなしていった。それが、30代になり、大学教員として仕事をし始めて、はや6年。指数関数的に今度は対外的な仕事が増えていくが、でも昨年春のブレークスルー以後、再び「やりたいこと」が強く主題化されてきた。旅に出たい、新たな何かに出会いたい、という思いは、旅をしていない日々でも、例えばヘラトリなんかを読みながら、掘り下げている。すると、地中海の国境警備と難民受入を巡るヨーロッパとアフリカの国と市民の攻防に、例えば行路人を巡る行政間の駆け引きに似た何かを感じてしまう。そういった、「自分事」と捉えられる範囲が、これも指数関数的に増えているのだ。
関連づけを強く意識し始めたから、カメラという装置が、その関連づけの大きな補助具になってくれそうな気がし始めている。そういう意味で、カメラ「との」関連づけが、まずもって強く意識され始めたのかも知れない。
こういうことを感じるのは、春独特の蠢きなのかもしれない。でも、その胎動が、やがて見知らぬ風景の前に、自分を突き動かす。そんな次の瞬間をもとめて、カメラをお供に、量子力学的跳躍(quantum leap)の旅に漕ぎ出してみようと思う。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。