まちづくりの転換期

今日の文章のフックは、先ほどツイッターに書いた3つの連ツイから。

takebata7:43
ヘラトリの「革命と職の関連性」を興味深く読む。失業者が独裁者の職を追いやった、という指摘に納得。曰く、中国も米国も同様の課題を抱えている、と。我が国だって同じ。ケインズなら公共事業で解決した問題を、市場・準市場中心でどう解決出来るか。  http://bit.ly/ib9x8q
 
takebata7:52
少子高齢化と職のなさ、は共通する課題。この課題の前景化は、土建型福祉国家の衰退・後景化と軌を一にしている。公務員か医療・福祉職か、という公か準市場しか職がない、というリアリティ。中央集権的発想のインフラ整備ではなく、ボトムアップ型での職作り、基盤整備の方法論が求められている。
 
takebata7:58
田中角栄は土建型福祉国家において、優秀な社会主義的指導者であったとも言える。ただ、全国一律の底上げの物語は、もう消費し尽くした。これからは、個々の地域の独自性を再び取り戻す物語が必要な気がする。道路整備と合併で街独自の物語が薄れる中、土木ではない形でどう物語を再生出来るか。
上述のヘラトリ=NYタイムズの記事では、失業と公務員給与削減が大きな課題となっている米国において、グリーン革命のような、新しいインフラ整備が国難を救うのではないか、というジャック・ヴェルチやグーグル幹部のコメントなどを載せている。なるほど、地デジ化、という名のインフラ整備が、こんなに消費者の財布のひもを強引にでも緩ませるものか、ということは、この騒動を見ていてよく分かった。天の邪鬼、というか頭の固い僕はまだブラウン管を見ていますけど・・・。
さて、公共事業と職作り、という話を考えていると、こないだ出かけた熊野や松本、などの光景を思い出す。公共事業が衰退すると、土建業を中心として栄えた地方の多くの街が、衰退の一歩を辿っている、と。特に熊野や新宮などは、明治期に木材の切り出しで栄え、新宮には遊郭まで存在するほどの繁盛した街だった。だが、安い海外の木材に押されてしまい、林業の衰退と共に、街の活気は消えていく。松本の郊外の温泉は、かつて県の会議が泊まりがけであった時代には大きく栄えた。だが、高速道路というインフラ整備によって日帰り会議がデフォルトとなると、会議→宴会という公共事業の固定客がいなくなり、一気に衰えた、という。高速道路や飛行機、新幹線などの物理的インフラと、インターネット等の情報のインフラ整備が進むことにより、その土地の独自性が逆に失われつつある。
それにある意味で追い打ちをかけているのが、平成の大合併だ。山梨でも64市町村あったのが、27市町村まで減った。確かに行政事務の効率化や、市町村ごとの同じようなホール・会館を作る、という無駄を省くには、この市町村合併は有効だったのだろうと思う。ただ、僕は山梨で市町村を廻るようになったのは、28市町村に合併された後の時代からだが、そうやって地域を回ると、合併による弊害の話も聞く。曰く、住民サービスが低下した、町独自の物語やアイデンティティを失いつつある、市役所本庁が置かれた地域に対して周縁化してしまっている・・・。これは山梨だけでなく、三重でも長野でも、同じような声を聞く。効率化は行政機能やハコモノだけでなく、地域の特色まで効率化(=ある種の収奪)がされてしまっているのだ。
政治行政学科という場所に身を置くと、一方で基礎自治体の数をある程度減らすことのメリットについても、オーソリティの先生方の話を聞きながら、頷ける部分もある。例えば福祉現場のリアリティを見ても、1万人以下の人口をカバーするより、例えば7万人らいの人口を抱えた方が、ある程度のスケールメリットのあるパッケージを創り出すことも出来る、と実感もする。ただその一方、「お顔の見える関係作り」というリアリティで考えると、山梨で言うなら、64市町村時代の旧○○町村単位なら十分に知り得るが、27に合併された後なら、なかなかリアリティがわかない、知らない、という実態も生じている。これは一方で、濃すぎる人間関係が薄まる事により良くなった部分もあれば、逆にセーフティーネット機能として薄まった部分もあるので、単純な評価は出来ない。
ここ最近、南アルプス市の社協のコミュニティーソーシャルワーカーの方の実践から学ばせて頂く機会があるのだが、旧6町村ごとに置かれているワーカーさんのお話を聴いていると、同じ市でも、住民課題やニーズがかなり異なる事がわかってくる。総体としての7万2000人として行政運営を画一化・効率化していくと、こぼれていくニーズが結構沢山出てきそうだ、というのが、ここ何回かワーカーの皆さんの実践を伺う中で感じていることだ。山間の旧芦安村の課題と、市役所のある旧櫛形町の課題は各々違い、かつどちらが良いとか悪いとかいう優先順位が付けられない、各々の地区固有の生活課題・住民課題を抱えているのだ。
例えば「困難事例」という言葉がある。これは、福祉現場でよく使われるジャーゴンで、ケアマネさんや相談支援の専門家が、簡単に解決出来ない事例の事を指している。その例として出てくるのは、認知症のおばあさんと統合失調症の娘の二人暮らし、あるいは知的障害のあるお母さんと自閉症の子供、など生きづらさを抱える人が、行政の縦割りを越えて重なる場合である(これもジャーゴンで『多問題家族』なんてラベリングの仕方もある)。
だが、問題は、誰にとってか、というと、単純ではない。ご本人にとっての生きづらさ、もあるかもしれないが、ここで「困難」や「問題」というのは、支援者にとって、あるいはその地域の中で解決するのに「困難」や「問題」がある、と言った方がよい。合併されて行政の縦割りやセクショナリズムが強くなって、以前ならお顔が見える関係で解決出来たのに、今では関係機関の連携が弱くなった、というのが「問題」であるかもしれない。あるいは、社会資源などが少なくて、対応出来る機関が少ないことが「困難」要因かもしれない。つまり、他の地域なら解決出来たかもしれない課題が放置されている事こそが「問題」であり、「困難」を創り出している例が、結構少なくないのだ。
そう考えていくと、各々の地区固有の生活課題・住民課題、とは、その地域の街作りの課題であったりもする。今、そういう視点から「地域福祉」の推進が叫ばれているが、ここも丁寧に考えないとアブナイと思う。福祉の理屈だけで、つまりは行政中心、あるいはそこに社協も加えた官と半官中心で考えると、限界があるのだ。住民が主役、というならば、商業や農業をしている、あるいは建築業をしている、様々な民の人々の声を拾い集めながら解決の方向性を模索しなければならない。それが例え福祉の街作りであったとしても、そう思う。
すると、新しい公共、ではないが、もう一度住民が「自分たちの地域をどうしたいか」を話し合う場を、福祉的枠組みを超えて持つ場面が大切ではないか、と最近感じ始めている。それも、働く世代と長老、若者などが、世代間を越えて話し合う場面が大切ではないか、と感じる。たとえて言うなら米国の開拓者精神ではないが、その土地に住む人々の自主・独立を鼓舞しながら、自分たちで出来ることは何で、行政に手伝ってもらうべきことはこれだ、という、新たな事業仕分け、とも言えようか。自助の力を再活性させながら、共助と公助のあり方を再検討する場のようなイメージだ。これは行政の末端組織化した町内会・自治会であれば、担いきれない役割であるとも思うのだが。
福島県の矢祭町や、徳島県の上勝町、あるいは鹿児島県の「やねだん」などの再生物語を見聞きすると、そこは危機意識を感じた個が、問題意識を共有する仲間のネットワークを創り出し、それが地盤を変えていく素地に繋がっていった、という、クライシスにおける物語の捉え直し、とも感じる。もちろん、そこにトップダウン的な素地もあるのかもしれないが、問題は一方通行的な指示・命令ではなく、そこに共感する人の輪ができ、ボトムアップ型の問題意識の共有と行動化が伴っていたような気がする。そのボトムアップの共有と行動化こそ、実は「まちづくり」と言われるものの成否を分けるポイントであるとも感じる。そんなストーリー、物語を、その地域の中で創り出し、共有出来るか、という本気度が、地域福祉にも求められているような気がする。
田中角栄の時代なら、あまりにも強いローカリティと、あまりにも弱いインフラ整備という条件が揃っていたので、「日本列島改造計画」という物語に強い親和性が持たれ、キャッチアップ型の政策としては大成功を治めた。ただ、内田樹氏のフレーズを援用するなら、それに「成功しすぎた」とは言えまいか。日本列島を改造し尽くした結果、使用頻度の低い道路や空港も含めたインフラ整備をしすぎた結果、辺境性=ローカリティが薄れ、モノクロな単なる都市の郊外と化し、商店街や街の物語も薄れ、規格化・均一化・衰退化を辿る場所が圧倒的に増えた、とも言えないだろうか。つまり、真面目に列島改造をした結果として、今では希薄化したローカリティと、強すぎる(便利すぎて定着化しない、流動化をもたらす)インフラ整備、という結果に収まった、とも言えないだろうか。
では、どうしたらいいか?
僕がこれまで上記で書いたことは、一見すると、ベクトルを逆に進めるように見えている、かもしれない。だが、インフラを潰して、ローカリティを昔の形で再生させる、というのは、単なる復古主義にしかすぎない。今を所与の現実として、そこから何を書き変えることが、物語の再生に繋がるか、という視点でないと、まちづくりは語れないような気がする。であれば、恐らく大切なのは、この行き詰まり=クライシスの局面において、の代表者にのみ「お任せ」したり、コンサルティング会社に「丸投げ」したりするのではなく、住民同士で本気になって考え合う、語り合う、見つめなおす、そんな場面が必要とされているのだと思う。それが、都市部ならコミュニティカフェのような所からスタートするだろうし、田舎なら「○○地域を考える会」といった何かを作るのかもしれない。その形態はどうであれ、少子高齢化と産業の衰退という、特に地方の二重三重苦の現実をきちんと共有し、逆転の発想で何かを生み出す場をどう作り出すか、が求められていることだけは、間違いないようだ。
上手く書けなかったが、本気のボトムアップ型のまちづくり、を巡る課題について、もう少し考え続けてみようと思う。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。