江里ママは社会起業家

ある本を読んでいて思わず引き込まれるのは、想定したジャンル・内容を裏切られる意外性や面白さがあったときだ。たとえば仕事柄、福祉の本に目を通すことは多いが、福祉業界の「想定内」のことが書かれている本には、正直そんなに感動しないし、読み飛ばす。場合によっては目次だけ眺めて終わり、だったりする。それが5000円とかする本なら泣きそうだが、そういう高い本に限って「目次で終了」だったりする。
今日ご紹介するのは、それとは全く間逆の一冊。狭い意味での「福祉」の本として読むと「想定外」だった気付きをいただく本を、しかも著者から贈っていただいた。
「障がいをもつ子どもを地域の普通学級で育てると、発達をあきらめたり、必要な教育が受けられないと思ったりしがちではないでしょうか。私たちは、『普通学級で育てることが、何かをあきらめることではない』と、はじめから考えていた気がします。何かをあきらめたり、失ったりするのではなく、『地域のなかでともに育ち学ぶために必要なものをすべて用意していく』という発想。『そのためには、どう動いていったらいいのか?』と考えてきました。」(西田良枝『ひとりから始まるみんなのこと-<パーソナル・アシスタンス とも>の実践』太郎次郎社エディタス、P28-29)
日本社会では、障害のある子は特別支援学校に行くことが「当たり前」になっている。小学校に上がる段階で就学前検診を受け、障害があるとわかれば、その障害者向けの学校に振り分けられることが「普通」になっている。もしも「普通学級」に行くことを望めば、最近は行ける場合も出てきたが、それでも特別な支援が受けられず、両親が付き添ったり介助をすることが求められる場合もある。医療的ケアの必要な人はなおさらハードルが高くなる。
そんな日本の福祉・教育業界のこれまでの慣行や「当たり前」に真正面から挑んできたのが、西田さんであった。原因不明の代謝異常による脳障害を持つ江里さんの母親になることによって、西田さんは様々な当時の「常識」とぶつかりはじめる。先ほどの就学前検診も、そのひとつだ。ただ、それに対する西田さんの対抗策が実に興味深い。
「『子どもの権利』として、行きたい学校に行かせてほしい、地域のみんなと分けられることなく一緒にいたいよ、と。みんなと一緒の場で教育を、言い換えれば発達の保障をしてほしいのです。そして、ひとつの具体的な結論が出ました。就学時健康診断を受けないことで、就学指導委員会を通らずに入学をしようと。(略)私たちの理屈はこうです。就学時検診にはふたつの要素がある。ひとつは健康診断。私たちの子どもは何らかの理由で医療につながっている子どもが多く、健康診断が必要なら、自分たちの主治医に診てもらい診断書を出せばいいだけです。就学時健康診断のもうひとつの要素は、知的な遅れを発見する場、イコール文部省(当時)の考える『適切な』就学の場への振り分けの機能です。少なくとも私たちは自分の子どもの状態は理解したうえで選んでいるのですから、振り分けられる必要はない。」(同上、p73-74)
就学前健康診断という文部省が用意した「枠組み」。その必要性や根拠について分析し、実質的に機能が担保される部分(診断書)と選別や差別につながる部分(振り分け機能)を峻別し、両者への対応を適切に示すことによって、当時の常識の枠組みの無効化を無意識的に勝ち取っていく。こう書けば小難しいけれど、江里ママが他のママたちと立ち上げた<浦安共に歩む会>の中で勉強する中で、「何かおかしい」「納得できない」という素朴な気持ちを、「どうせ」「しかたない」と諦めたり腐らせたりすることなく、あくまでもひたむきに取り組んでくる中で、たどり着いたひとつの戦略。そして実際に交渉術に長けたパパなどの協力もあって、それを実現してしまう行動力。
そうやって西田さんの実践を読み進めるうちに、この本は「お涙頂戴ものの障害者家族の奮闘記録」などではなく(とはいえぐっと泣きそうになった箇所は何箇所かあったが)、あるミッションに出会った一人の社会起業家の、社会変革の記録である、と気付き始めた。そういう視点で見てみると、西田さんは、これまでの教育・福祉の枠組み自体を問題にし、それとは変わるオルタナティブを提起し続けてきたことが、この本の随所にあふれている。
「いくら『市役所に要望を出す』といっても、会議になれば議論になります。自分たちが何も知らずにいるのは、あまりにも主体性がなさすぎます。いまある制度をはじめとする現状をそのまま『ありがたく受けるだけ』ならば、会の必要性はありません。悩みは持たずに解消です。『文句を言わずに暮らすだけ』です。けれども、私たちが望むのは、この子どもたちが『障がい』という理由だけで、みんなと同じように暮らせないのなら、『そこは変えていこう』とするものです。趣旨を実現するためには、自分たちが考え、勉強し、提案し、当然、人任せではなく、自分たちも動かなければいけないと思っていました。行政と話し合うにも、『こうしてほしい。そのためには、こうやったらできませんか?』とか『このようなものをつくってもらえませんか?』と、私たちの願いをより具体的に提案する必要があるのです。」(p56)
問題を解決するために、要求反対陳情を行う、というのが一般的だったその当時に、西田さんたちは単に要望書ではダメだ、と気付いた。お願いをするだけで、行政と対等な関係ではない。「ありがたく受けるだけ」の受身ではなく、自分たちが「主体性」を持って、「変えていこう」という趣旨を実現するためには、「人任せではなく、自分たちも動かなければいけない」。そのためにも「自分たちが考え、勉強し、提案」する。こう書けば実にごく当たり前のように見えるが、問題を抱えた当事者が、行政に「要望」することは当たり前でも、その枠組みにとどまるならば、要望が実現されたら『ありがたく受けるだけ』の形に戻る事になる。だが、「私たちが望むのは、この子どもたちが『障がい』という理由だけで、みんなと同じように暮らせないのなら、『そこは変えていこう』」という主張は、その枠組み事態への捉えなおしといえる。就学前健康診断を受けない、というのと同じように、障害を理由に平等な暮らしが出来ない理由(=教育委員会による枠組み)自体に疑問を呈し、おかしければ変えていけばいい、というのである。しかも、理念や運動、理論が専攻したのではなく、「これって変」という当たり前の母親の感覚から、枠組み自体を鵜呑みにせずに捉えなおす営みが進んでいく。
この枠組みの捉えなおしは、たとえば江里さんが林間学校に行くときをめぐるエピソードにも現れている。
「学校との話し合いのなかで、親の私には否定的な発言に聞こえることもありました。たとえば『江里ちゃんは山登りは無理なんじゃないか』『鍾乳洞には入れない。別のプログラムを考えるのはどうか?』など。けれども、その一つひとつにどんな気持ちが含まれているのかに注目して聞いていくと、障がいのある人とともに学ぶ経験の少なさ、責任感や管理体制、不安感が先生方のなかにあってそれらの発言になっていることがわかりました。それならば、先生方がしり込みしてしまったり、無理だと思うことを超える具体的な提案をすればよいのだと思いました。」(p134)
私たちは何かを否定されたときに、「どうせ○○だから無理」「仕方ない」と諦めるか、「それはおかしい」「許されない」と批判や反発を強めるか、の二者択一に陥ることが多い。だが、その二者択一は、否定の根拠まで辿ることなく、表面的な「否定」への、表面的な対応になってしまうかもしれない。その際、否定の発言の背景にある、相手側の内在的論理へと思いをはせることがないから、感情的な反発・諦念に終始する。それをもう一皮めくって、否定の裏側にある気持ちに注目して聞いてみると、「障がいのある人とともに学ぶ経験の少なさ、責任感や管理体制、不安感」という背景要因、先生方の思いの本質にたどり着く。では、その本質を捉えなおすような「具体的な提案」をすることによって、表面上に現れる否定要件を覆すことができるのではないか。そこからエアタイヤで山登りが出来る車椅子を用いる、などの具体的な方策を用いることにより、親の付き添わない2泊3日の林間学校を実現させたのだ。そして、この両親の枠組みへの問い直しは、江里さんにも伝播する。それは林間学校の翌日のことだった。
「翌日は、代休。江里と二人で家でゆっくりしていると、江里の様子がおかしいのに気がつきました。いままでに見たこともないような顔をして、ずっと考えているようでした。二泊三日、初めて家族以外の人と過ごした強烈な林間学校での体験を整理していたのでししょう。夕方まで考え込んで、やっと整理がついたようです。(略)どんな障がいがあっても、体験や経験が人を成長させるのだと思えた瞬間でした。親や介助者の都合でそれらを決して奪ってはいけないと思えて瞬間でもありました。」(p139)
江里さんの中で感じた、強烈な林間学校での体験。家族といることが当たり前、それ以外の暮らしの経験がなかった江里さんにとっては、おそらく世界観の転換、というか、常識の意味づけそのもののコペルニクス的転換だったのではないか。重い障害があっても、体験や経験がもたらす内的世界の変容は、同じようにもたらされる。であれば、その機会を他者の「都合」で奪ってはいけない。教育や福祉の専門家、行政担当者は、自らの枠組みや都合に固執するあまり、「○○だから無理」とその体験や経験、変容可能性のチャンスを奪うことが少なくない。それは江里さんの成長可能性を奪うことに直結する。それだけはダメだ、という西田さんの思いは、後に彼女が事業所を立ち上げた後も、きっちりとした柱として提示される。
「相談者や支援者にありがちなのは、『私がつくった』『自分がやった』というような発想。『ぼくがこういうふうに療育したから、この人は問題行動がなくなった』『私の最新手技でリハビリしたから、こんなによくなった』・・・、たしかにそれはそうなのでしょう。けれどもそれを施した人だけのお手柄にはしてほしくないのです。コントロールするのは全部私たちで本人は受け身、という関係性になっていないか、そんなふうになりやすいということを理解しながらケアに臨んでほしいと思っています。そうしないと、うまくいけば『支援者のおかげ』で、そうでなければ『障がいのせい』という構図からは抜け出せません。私たちは”黒子役”。本人が主体的に生きていけることをサポートしたいと思っているのですから。」(p212-213)
“黒子役”と自称する専門家は多い。だが、その実態は「うまくいけば『支援者のおかげ』で、そうでなければ『障がいのせい』という構図」から抜け出していない支援者は、決して少なくない。権力の非対称性が多い支援現場では、支援者が支配的、ひどければ全能感に浸り、利用者をコントロールする場面も、僕自身も垣間見てきた。西田さんも、江里さんへの支援者の接し方をみながら、そういうことを痛感してきただろう。だが、この本に通低するのは、その「全能者と受身」の関係性は「おかしい」といい続ける西田さんのスタンスだ。あくまでも当事者が主体的に生きることをサポートするためには、支援者の支配的アイデンティティ強化の枠組みを捉えなおすことを、支援者自身が行わなければならない。僕はこんな風に感じた。
社会起業家は「生産様式の革新ないし革命化」をもたらすといっているのは、かのシュンペーターである。西田さんたちの浦安の取り組みも、障害者への慈善・恩恵的な支援(支配)のあり方を革新し、あくまでも当事者主体として支援体制を作ることによって、どんなに重い障害がある人でも、人間的成長や経験が出来るように支援すべきだ、という枠組み(=生産様式)の捉えなおしと、それを事業として成立させることではなかったか。
「ひとりから始まるみんなのこと」。このタイトルは、西田さんのミッションそのものであり、そのミッションに基づく社会変革をしてきた西田さんの歩みそのものだと、読了後に改めて実感していた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。