「底」の向こう側にあるもの

学生の夏休み期間は、ようやく研究にも時間がとれる。自由に本が読める。その間に、仕事の間には手に取りにくい、射程の広い本に出会って自分の思考と視野の範囲を広げておかないと、気づいたら狭隘な自家薬籠中の世界に幽閉、いや自縛してしうことになる。

と、前置きはもったいぶるが、引っ越して本棚を入れ替えたから、手に取りやすい位置にあった一冊。今だからこそ、強い感応をした。それは第一次世界大戦時のあるエピソードから。
「そのときに、レーニンはベルン図書館で、ヘーゲルの研究をはじめたのだ。『大論理学』『エンチクロペディー』『哲学史講義』・・・彼は、深く、深く『後退』した。より強く矢を射放つために、弓をいっぱいに引きわたるために、彼はマルクスをこえて、その思想の生みの父であるヘーゲルに、深々と入り込んでいったのである。なぜこのときに、ヘーゲルだったのか。レーニンはこの危機のときに、マルクスのしたことを模倣してみることで、突破口を見出そうとしたのだ、と私は思う。(略) レーニンは、このマルクスの創造の行為を再現することで、最大の思想的危機に、立ち向かおうとしたのだ。『資本論』を創造しているとき、マルクスの前には、広大な未知が広がっていた。そして、いまレーニンの前に広がっているのも、未知なのである。世界大戦発生という新しい事態に立ち向かうための、出来合いのマニュアルなどなにもなかった。彼は、それをはじめから、自力で作り出さなければならなかった。その創造のときに、彼はヘーゲルにまでたちもどることによって、マルクスの創造の身振りを、再現しようとした。」(中沢新一『はしまりのレーニン』岩波現代文庫、p69-71)
レーニンは、第一次世界大戦という自らの「思想的危機」を前にして、「深く、深く『後退』」することを選ぶ。最前線に出られない亡命環境にあって、なおかつ自身の「危機」とも戦うために、「より強く矢を射放つために、弓をいっぱいに引きわたるために」図書館に閉じこもるのだ。一見すると「世間の喧噪から隔絶された」図書館の中で、「弓をいっぱいに引きわたる」ことを通じて、自らの思想的危機を乗り越え、次の闘いのための準備に没頭する。僕の頭には、『獄中記』を書いた佐藤優氏の東京拘置所時代の姿が重なる。ロシア外交分析のスペシャリストの彼だから、きっとこの本も読んでいたのかもしれない。「弓をいっぱいに引きわたること」としての膨大な読書とそのノートが、出獄後の作家、佐藤優氏の仕事の大きな基板になっていることは、あまりにも有名なエピソードだ。
横道にそれたが、レーニンの話。
レーニンが「ヘーゲル研究」という「マルクスの創造の行為を再現」することで、「マルクスの創造の身振りを、再現しようとした」というフレーズが、深く身体に染みこんでいた。それも柔道場で。
ちょうど当該箇所を読んでいた日曜日の夕方、いつものように合気道の練習に緑が丘の武道場まで出かける。蒸し暑い道場のなかで、汗だくになりながら両手取りの二教を練習している時に、ふと頭に浮かんだのだ。
「なるほど、これは、あれか」と。
このブログに最も多く引用されているのは、思想家の内田樹氏のフレーズであることは間違いがない。彼の「商業デビュー」が2001年頃だと思うが、その直後から読み始め、以来貪るようにほぼ著作のほぼ全てを読んでいる。池田晶子と村上春樹と内田樹だけは、とにかく全部読む、という事にしているくらいだ(村上春樹に至っては、ついに全集まで買ってしまった)。内田樹氏には、フランス哲学やレヴィナス研究者という顔だけでなく、映画評論家として、そして合気道6段という武道家としての顔を持っていた。僕は映画はほとんど見ないので、彼の映画評論は面白いのだが、内容はあまりわかっていない。同様に、合気道もしていなかった当時は、彼の身体論は「想像」の範囲を超えることはなかった。
だが、ちょうど一緒に働いていた県庁の職員の方が合気道有段者であると知り、その方の勧めもあって、2年前から道場に通い始める。内田樹氏の思想に近づきたい、という想いも勿論あったが、その当時、いろんなことで煮詰まっていたので、それを打破する為にも、そしてダイエットのためにも、自分を変えたい、という衝動から、始めたのだった。始めた当初の理屈っぽい感想がブログに綴られているが、このときに感じたのは、身体で感じる壁と、それを乗り越える楽しさだった。自分の至らなさ、出来のわるさ、煮詰まり感を、身体を動かす事によってフィジカルに感じ、それを練習というプロセスを通じて一つずつ、型を身につけ、身体で理解し、乗り越えていく。そういう「模倣」としての合気道の体系にはまっていくなかで、内田樹氏の言葉が文字通り身に染み渡るのである。レーニンは、「ヘーゲルにまでたちもどることによって、マルクスの創造の身振りを、再現しようとした」。これは、次のようにパラフレーズ出来るのではないか。
僕は、合気道にまでたちもどることによって、内田樹氏の創造の身振りを、再現しようとした。
実はこのパラフレーズの仕方自体、内田師から学んだ骨法であり、よく見れば僕の文体の多くは彼から「真似びて(=学んで)いる。でも、道場で汗だくになりながら練習している合間、ふと浮かんだのだ。なるほど、レーニンと僕は、同じ事をしているではないか、と。そう思うと、自分の思考回路が開かれてくるような気がし始めるのだから、不思議なモノだ。
「新しい事態に立ち向かうための、出来合いのマニュアルなどなにもなかった。彼は、それをはじめから、自力で作り出さなければならなかった。」
これは、僕が感じていた煮詰まり感、とも共振する。僕の場合は思想的危機、とまではいかないが、2年前の段階で、本当に手詰まり感を強く感じていた。大学の准教授、という社会的役割に何となく適応してしまっている自分。しかし、それは役割期待(=という名の常識や同調圧力)への適応であり、自分が構築していく何かではないので、ぴったりフィットする訳ではない。現場で様々に「なんか違うなぁ」と感じることがあっても、それをオルタナティブな対案として提示できないもどかしさ。それは論文や学会に対する違和感に対しても感じていたのだが、何とも出来ない未熟さ。そういうった煮詰まり感を前に、「出来合いのマニュアル」に頼れないことを、思い知らされていた時代でもあった。
だからこそ、「自力で作り出」すためにも、レーニンはヘーゲルという型を、僕は合気道という型を、一から学び始めた、とも言えるかもしれない。大いなる「型」の世界と格闘する中で、自分が未開発だった、思い描くこともなかった何か、をつかみ直す。それがマルクスや内田樹という、自分が出会っていないのに「一方的に師事」する偉人に近づく為の、命がけの跳躍の手段だったのだ。それは「身振り」を真似ることを通じた、文字通りの「フィジカルな格闘」の中から、だからこそ、気づく何か、なのかもしれない。そう言えば、僕も合気道を始めて二年たつが、合気道の面白さにはまり続けると共に、内田樹氏の言わんとすることが、以前よりも深く、理解できるようになってきた(気がする)。
と、自分に引きつけ始めたら、本の紹介などほとんどそっちのけになってしまったが、もう一カ所、どうしても引用しておきたい部分がある。
「言葉が意識に『底』をつくりだし、そこからガイストが生まれるように、商品が資本主義の『底』」であり、『細胞』であり、そこから資本主義のガイストが発生しているのだ。(略) 商品社会のコスモスにたいして、まるで違和感をいだくことのない意識には、資本主義社会についてのこういう分析をできないし、またできたとしても、そんなことはたいして意味をもたない。そういう意識は、いってみれば、商品という『底』の内側にいても、そのことに気がつかず、自分たちの意識の『底』をつくっているもののむこうに、異質な運動をおこなうリアルが実在することを感知できないのだ。ところが、マルクスの知性は、商品社会のその『底』をはっきりつかみだそうとした。彼の精神は、商品の『底』のむこう側にひろがっている、異質なリアルの実在を、たしかに感じ取っていたはずだ。」(p179-180)
この資本主義分析は、以前のブログで触れた「現象学的還元」のプロセスとよく似ている。
私達は言葉や商品に、ごく当たり前に接している。このあまりのごく当たり前さに対して、言葉とは何か、商品とは何か、という事を考え出したら、頭の中が溶けそうになるので、普通はしない。でも、だからこそ、言葉や商品が「底」となり、その背後にある何かにまで思い至らないような仕組みが構築される。言葉を産み出す意識全体、商品を生み出す資本主義全体への疑いへの「蓋」として、「底」が機能し始める。すると、それは言語中心主義、商品中心主義の内在化を引き受けることであり、そこから生じる様々な歪みも結果的に引き受けてしまうことになる。
その「底」の向こう側に、何があるのか。言葉や商品という中心対象ではなく、その背景野としての「意識」や「資本主義」に眼を向ける。この現象学的還元の方法論を通じて、マニュアルなき「意識」や「資本主義」、「構造」分析を行ったのが、フロイトやマルクス、レヴィ=ストロースなどの知の巨人であり、中沢新一氏も、内田樹氏も、この三者との格闘を通じて、自らの思想的基盤を構築してきた。
そんな連関の延長線上に自分自身も位置づけられるのかもしれない。そう思い始めた夏の日の朝であった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。