「創発的な出会い」について

先週末、勤務先の仕事で、2泊3日の静岡出張に出かけた。そこで、創発につながる、貴重な出会いがあった。

その前に、この聞き慣れない「創発」なるキーワードについて。広辞苑で引いてみると、こんな風に定義されている。
「進化論・システム論の用語。生物進化の過程やシステムの発展過程において、先行する条件からは予測や説明のできない新しい特性が生み出されること。」
創発やイノベーションとは、先行条件から予測や説明できない新しい特性、ということ。時として、無から有が生み出されることであったり、これまでの関係性から別の新たな関係性が紡ぎ直されることであったり。僕は今、この創発的コミュニケーションを強く希求しているような気がしている。で、この創発的コミュニケーションについては、安冨先生の定義を補助線にすると、わかりやすい。
「社会をよりまっとうな方向に動かしていくためにすべきことは、創造的な出会いを通じて、一人一人が自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気を持つことである。暗黙知の十全な作動が価値を生み出すのであり、そのためには創発の作動を疎外するものに勇気を持って目を向け、取り除かねばならなない。個々人のこの努力を背景として、人々は創造的な出会いを積み重ねることが可能となり、それが社会の要素たるコミュニケーションの質を高める。組織もまた同じように、自らの真の姿に直面し、それを改め、社会という生態系のなかにふさわしい地位を見出す必要がある。それは個々人の創造性の発揮を促すことではじめて可能となる。」(安冨歩『経済学の船出-創発の海へ』NTT出版、p258)
安冨先生の本を読んで、上記の引用をした1年前のブログでは、まだ僕自身、創発を頭の中で理解するだけで精一杯で、自らの実践として受け止める事は出来ていなかったと思う。だが、最近少しずつ、創発的コミュニケーションの面白さ、にはまりつつある。そこで出てくるのが、静岡での話。
今回はマーケティング論がご専門のH先生とご一緒した。マーケティングとは、お客様に何らかの新たな価値を提供し、ある商品購入へとつなげてもらう戦略である。そこには、創発的コミュニケーションが当然のことながら、必須条件となってくる。その領域のことについては耳学問でしか知らない僕は、行きの車の中から二泊三日の旅の中で、仕事の合間、あるいは飲みながら、色々マーケティングと創発にまつわるお話を伺い続けた。その中で、僕の心の中に強く残ったのは、次のフレーズだ。
「創発とは、関係性を紡ぎ直し、新たな関係性をコンテキストの中に埋め込むこと」
これは、H先生が言ったのか、僕が言ったのか、あるいは今飲み屋の記憶を思い出している僕の創作なのか、よく覚えていない。でも、案外このフレーズは大切なよう気がしている。
安冨先生のいう「創造的な出会い」とは、関係性を紡ぎ直したり、予測不可能な新たな関係性が生まれ出す出会いである。その中では、自家薬籠中のものであったり、当たり前、とされたものが、別の角度から再度、捉え直される。あるいは、固定観念に囚われていた枠組みそのものへの疑いのチャンスが到来する。それを「あいつはわかっていない」とか、これまで構築したブランドやアイデンティティの危機だ、として蓋してしまうことも出来れる。だが、安冨先生が言うように、「創発の作動を疎外するものに勇気を持って目を向け、取り除かねばならなない」。そうしないと、新たな何かを生み出す努力が、いつのまにかこれまでの関係性の枠組みの墨守に、結果的につながる可能性もあるのだ。
つまり、「創発的な出会い」を感じた時、これまでの暗黙の前提世界に引きこもるのではなく、時として量子力学的跳躍(quantum leap)をする事が求められるのである。それが「創発の海」へ飛び込むための、条件なのかもしれない。ちょうど、出張時に買い求めた内田先生の最新刊の中にも、安冨先生の指摘と通底するフレーズがあった。
「新しいものを創り出すというのはそれほど簡単ではありません。創造するということは個人的であり具体的なことだからです。」(内田樹『呪の時代』新潮社、p18)
安冨先生は組織の創発とは、「個々人の創造性の発揮を促すことではじめて可能となる」という。そう、何か新たな価値や関係性が生まれる時には、それを作り上げる「個人的」「具体的」な物語が付随している。これは法や制度であっても、同様だ。最初のモデルは、脱法的で、反制度的な、個々人の努力である。たとえば、富山の看護師の惣万さんが始めた時には「脱法行為」とまで言われた宅老所が、各地に伝播する中で、「小規模多機能ケア」という形で介護保険制度の中に組み込まれたのは、局所的な「成解」のユニバーサルな「正解」への昇華だった。(その事は以前のブログでも触れた)。そう、法や制度は何らかの標準化としての安定的・継続的な「正解」として認識されているが、その内実は、局所的(ローカル)な「創発」が、その地域やコンテキストを書き換える中で「成解」となり、そのエキスが他でも利用可能なものとして抽出される(=普遍化される)中で、結果的に「正解」として機能するのである。つまり、「成解」としての「創発」は、非常に「個人的」「具体的」な何か、からしか生まれない、ということである。そして、その「個人的」で「具体的」な何か、というのは、これまでの関係性の閉塞感を超える、関係性の紡ぎ直しや書き換え、であるのだ。
同じく出張先の静岡で、森まゆみさんの『起業は山間から』(バジリコ)を買い求め、今日読み終えた。世界遺産となった石見銀山で郡言堂というアパレル会社を作り出し、人口500人の村で100人もの雇用を生み出し、旧家を再生させたりリノベーションさせていく達人、松場登美さんと、地域雑誌の古株『谷中・根津・千駄木』の仕掛け人との掛け合いは、非常に面白い。僕もこの松場さんの事は、確か「ソロモン流」で取り上げられていて知ったのだが、彼女のライフヒストリーを、聞き手の名手である森さんが上手に整理してくださった同書を読んでいると、松場さんの創発は実に「個人的」で「具体的」な物語である、と気づかされる。旦那がたまたま石見銀山の出身で、たまたまデザインや服飾にご縁があって、たまたま自分の着たい服がなかったから、という入り口から、松場さんが様々な人との「創造的な出会いを通じて」「自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気」を持ち続けた事によって、地域に根ざした会社作りから、街作り、地域アドバイザー的な存在として全国で講演に引っ張りだこになるほど、の活躍をしておられるのだ。彼女の人生には、何らかの「正解」があったのではない。あくまでも現実との出会いの中で、「自分自身の真の姿」と向き合い続け、「関係性を紡ぎ直し、新たな関係性をコンテキストの中に埋め込むこと」としての創発的な出会いに賭け続けた中で、結果論としての成功や注目に結びついたのである。
前回のブログでも書いたが、僕はこういう「個人的」「具体的」な物語形成が、「福祉の街作り」に決定的に欠けている、と感じ始めている。行政が主導になった時、「個別性」と「具体性」は捨象され、ついつい普遍性と公平性の原則に縛られてしまう。しかし、地域の再生とは、本来、行き詰まった関係性を紡ぎ直す、という意味で、創発的な何か、である。そこで、マクドナルドのマニュアルのような、普遍的なものを外部のコンサルティング会社が持ってきても、そのローカルなコンテキストにはまる訳がない。あくまでも、ローカルなコンテキストにおける一回性や偶有性の土壌の中で、その土地の人びとがどう「関係性を紡ぎ直し、新たな関係性をローカルなコンテキストの中に埋め込み直すのか」が問われている。そこで、高齢者や障害者、児童福祉の問題も、行政課題として、だけではなく、町のこれからの大事な問題(の一つ)として、町のコンテキストの中で、他の問題と重ね合わせながら論じられ、具体的な解決策を模索しない限り、いくら制度や法の編み目をかぶせても、絶対にうまくいかない、と感じ始めている。官民の協働も、結局個々人の「創発的な出会い」がその土台にない限り、うまくいかないのではないか、と。
つまり、福祉の街作り、なるものも、お顔の見える個々人の「創発的な出会い」を通じた関係性の変容や、そこから生まれる新たな価値という個人的・具体的な物語が土台にあって、初めて可能になるのではないか。
今日のエントリーは、たまたまご一緒したH先生との「創発的な出会い」からスタートした。そういう「出会い」に気づける主体でいるか? そういう己自身の課題が創発の鍵を握る、ということに、遅まきながら気づき始めている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。