“本物の”地域包括ケアの可能性について

ここのところ、忙しくって、ずっとブログの更新が疎かになっていた。まあ、三月の頭に家族のご先祖のお墓参りもかねて6日ほど、沖永良部島と沖縄に旅に出ていたのも、その理由の一つ、ではある。だが、2月3月はとにかく研修がてんこ盛り、なのだ。今日は障害者の相談支援従事者の現任者研修だったし、昨日は調布市で障害者制度改革の講演、先週土曜日は甲府で医療ソーシャルワーカー向けの研修や、金曜は長野で介護保険の苦情受付担当者研修・・・と、なんだか内容も変わり、目も回りそうな研修・講演付けの日々なのだ。
そんな中で、是非とも備忘録的に書いておきたいことがある。それは、地域包括ケアについてである。
僕自身、厚生労働省が介護保険改正のこれからの方向性として指し示している地域包括ケアについて、よく知らないくせに、否定的な先入観を持っていた。介護保険という公的サービス(公助)への財源投入に限界があるから、リハビリして自助努力で何とかすごしてください、それが無理なら地域のボランティア(共助)で済ませてください、という公的サービス切り下げの言い訳として使っているように見えていたからだ。
ちょうど先週の水曜日から木曜日にかけて、全国の地域包括ケアのモデルになっている岡山モデルや、現在では高知モデルも構築されている、高知県立大学の小坂田稔先生をお招きして、山梨の地域包括ケアについて考える研究会+研修が行われた。僕も、この山梨の地域包括ケアの推進のお手伝いをするチームに加えて頂き、予習をしていたので、小坂田先生の講演は実に楽しみだった。そして、その講演の中で、僕の想像は半分当たっていて、半分は外れていたことがわかってきた。
元津山市社会福祉協議会のコミュニティーソーシャルワーカーとして17年間、地域福祉の現場に入り込んでいた、バリバリのソーシャルワーカーの小坂田先生。今でも授業をこなしながら、高知と岡山の各地の小地域ケア会議にもちゃんと足を運ぶ、時には課題となっている地域訪問にも同行するという根っからの臨床家。なので、地域包括ケアも、社協マンとして感じていた問題意識から立ち上げていったという。
「介護保険が始まった際は、在宅介護支援センターが重視されていた。だが、これは文字通り、在宅で介護を支援する、という仕組み。そこには本人と家族の二層構造にしか目が向いていない。一方、地域包括ケアとは、本人と家族に加えて、地域という視点が重要である。本人が家とデイサービスを単に往復しているだけでは、地域に開かれている、とは言わない。『二箇所に閉じこもっている』のが実態だ。地域包括ケアとは、地域とのつながりが弱体化したり、切れてしまった、支援を必要とする人が、再び地域とのつながりを取り戻す支援をすることである。一方、国が今言っている地域包括ケアとは、中学校区に何らかのサービスパッケージを当てはめて、対応が不可能な部分は自助・共助でやりなさい、というサービス当てはめ型である。あんなものは本当の地域包括ケアとはいえない。」
この説明を聞いて、厚労省のモデルに対する胡散臭さは実にその通りだったが、厚労省モデルとはオルタナティブな実践としての岡山モデルや高知モデルに、随分心を惹かれはじめている。そうそう、これこそ、僕が山梨で研修をしていて、現場の人のお話を伺いながら、問題や課題と感じていた部分に手が届くモデルである、と。それはどういうことか。
福祉の業界用語の一つとして、「困難事例」という言葉がある。たとえばお爺さんが認知症で、娘さんがアルコール依存症のシングルマザー、子どもさんが発達障害というように、一つの家族の中で何らかの困難性を抱えた人が複数いる家庭のことを「多問題家族」なんていったりする。あるいは、いわゆる「ゴミ屋敷」問題、虐待事例、認知症の高齢者を同年代の虚弱の家族が支える老老介護、時には認知症の夫婦という認認介護、あるいは独居老人や孤独死に至る事例など、様々な「困難事例」が、研修やケース検討の場で寄せられる。だが、これらの「困難事例」を、その個人・家族のみの問題、と矮小化していいのか、ということが問われている。実はそれは、無縁社会、ではないが、地域社会やコミュニティの中で支えられない、声がかけられない、見守られなくなった人の、つまりは「その地域における解決困難な事例」と捉えなおすことが出来ないか。個人の「困難」も、そういう事例を蓄積する中で、その地域のなかで生きる困難性、と捉えなおすことが出来ないか。するとそれは個人の問題と片付けることが出来ず、地域や社会構造の変容課題と捉えられないか。いつも研修ではそういうことを話し続けてきた。
その視点で小坂田先生の地域包括ケアの定義を眺めると、僕の問題意識とつながってくる。実は小坂田先生が提唱する実践型地域包括ケアとは、「その地域の中での解決困難事例」とされたケースを実態的に改善していくための具体的方策であるのだ。
たとえば、地域(時には家族)とのつながりが切れ、問題を抱えながら孤立している個人のお宅にコミュニティソーシャルワーカーが何度も足を運ぶ。そういう孤立している人ほど、他人への信頼感が低くなっていて、ソーシャルワーカーの訪問を拒むかもしれない。でも、何度も何度も訪問を続ける中で、少しずつ本人との信頼関係を構築し、そのうちに、孤立した個人の困りごとの本音にアクセスできるかもしれない。あるいは、独居老人が末期がんと診断され、子ども達は遠く離れて暮らしており、地域での看取りケアの仕組みを急に構築しなければならない。こういった、介護保険サービスだけでは全てを解決することが出来ないケースに関して、その地域で力になってくれそうな民生委員さんやご近所の方々、あるいはケアマネージャーや社会福祉協議会職員、ホームヘルパーなど関係者を一同に集めて、ケア会議を開き、解決方法を模索する。そして、そういう事例に対応する中で見えてきた地域課題を、小地域ケア会議のような場で議論し、これからあり得るほかの事例について、対処や解決(場合によっては予防)していく方策を見つけていく。その中で、現場レベルで対応可能なことと、行政の施策として対応すべきこと、などを整理して、改善が必要なものは事業化していく。
このような、困難事例といわれるミクロのケースを、チーム連携で解決する中で、その地域の課題というメゾレベルの問題を発見する。そして、そのメゾレベルの課題を集積しながら、その地域で克服すべき課題として整理し、それを分析検討する中で、行政の施策といったマクロレベルでの解決も含めた具体的な改善策を、官民共同で提案していく。こういうボトムアップの創発的動的プロセスが、小坂田先生のおっしゃる実践型地域包括ケアの中に含まれている、というのだ。それは、障害者分野でも行われてきた、障害者地域自立支援協議会でやろうとしている事とも一致している。実は小坂田先生は、自らが手がけた高知県の地域福祉支援計画において、ひきこもりや自殺対策にも、このような小地域ケア会議や地域に開く仕掛けを作り、実体化しようとしている。社会との接点が切れて、家族や個人の枠の中に撤退せざるを得なくなった人が、再び社会とのつながりを取り戻すための仕組みと仕掛けを、作ろうとしているのだ。
「ただ」と小坂田先生は留保もしていた。「僕のモデルは中山間地モデルです。大都市でこのモデルがどれだけ機能するかはわかりません」と。
そう、その部分は同じ危惧を僕も共有する。上記のようなネットワークは、民生委員や町内会・自治体がある程度実態的に機能していたり、お顔の見える関係が比較的に出来ている中山間部では、かなり有効な手立てとなるだろう。だが、大都会で、人口も事業所も多いけれど、人々のつながりが薄くなってしまっている地域でこの小坂田先生のモデルがどれほど機能するか・・・。これは、正直、未知数である。
だが、こないだブログでご紹介した内山節さんの議論にも通底するのだが、実は都会においても、ほんとはコミュニティのつながり、というか、共同体精神が再び強く求められているのではないだろうか。もちろん、その共同体精神のあり方は、田舎であれば地縁や血縁といった文脈の共有度も高い一方、都会ではその共有度が極端に低いかもしれない。だが、その地域で安心して暮らし続けていく、という「つながり意識」のアソシエーション的共有をすることで、契約的に、というか、自覚的に地域の中で「つながりなおす」ことが、特に超高齢社会が加速するなかで必要ではないか。
その地域の中で自分らしく暮らし続けたい。この気持ちからもう一歩踏み込めば、だからこそその地域が暮らしやすいように変わってほしい、そのために何とかしたい、というボランタリーアクションの萌芽へとつながる。社会福祉協議会や地域包括支援センター、行政の地域福祉課、と言われる公助のセクターは、このような住民達の「地域のために何とかしたい」という自助の力が、やがてネットワークとしての共助につながり、それが公助で補い切れない・あるいは公助が手を出さなくても予防的に対応可能な部分に関与できるよう、支援をしていく。そのことによって、本当に公助の力を必要としている人に、効果的な支援の手を差し伸べられる。こういった役割分担をすることによって、その地域で死ぬまで満足して暮らせる、そんなコミュニティーへと変革していくための切り札として、機能する可能性がある。
そういう「より大きな地図の中での位置づけ」として地域包括ケアを捉えるなら、当然、街づくりや観光、商工といった行政の縦割りの外とも有機的に連携することが求められる。たとえば、徳島県の上勝町や、高知県の馬路村など、町や村の特産品作りに成功している自治体が、その商業的成功で得られたノウハウを地域福祉にスライドさせて活用している。であるならば、逆に「その地域における解決困難な事例」に向き合うことは、その自治体の街づくりや観光、商工の課題とも直結しているはずである。そこまでを射程にいれられるか、も問われている。
ここまで書いて感じるのは、4人に1人が高齢者になる社会において、その最適な解決策は、霞ヶ関ではなく、現場に転がっている、ということだ。しかも、都会ではなく、田舎に。中央ではなく、周縁に。周縁革命、ではないが、今まで都会を憧れ、都会をまねし、都会にキャッチアップすることで必死だった中山間地。だが、気がつけば、都会をモデルにしても、正解が得られるわけではない(むしろ失敗する)ということは、50年かけて痛いほどわかってきた。であるならば、ローカルな文脈を最大限に活用することによって、その地域における解決方策を、その地域の資源を最大限に活用しながら構築していくことの方が、持続可能なプロセスといえないか。しかも、国やコンサルタント会社に与えられるのではなく、自前でそういうモデルを作り上げることが出来たなら、その地域にとっての誇りともなり、自分達でメンテナンス可能ともなる。
実はこういう、住民の持っている潜在能力を引き出しながら、それを組織化することを通じて、自助・共助・公助のバランスを捉えなおし、最適化していくこと。これは、地域包括ケアとして重要なだけではなく、被災地におけるコミュニティの再生の鍵にもなるのではないか。そんなことも夢想している。小坂田先生に伺ったお話を、自分の中で一週間ほど寝かせていたら、こんな帰結になってしまった。
*追伸:今日読みはじめた『災害ユートピア』には、「つながりの民営化」概念が出ていた。確かに都会におけるコミュニティは、つながりのモナド化、民営化と関連性がありそうだ。だが、このことは、今週末、広島で著者の講演を聞くので、その話を聞いた後、考えてみたい。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。