同じ事を逆から眺める

ここのところ、中山間地における地域包括ケアシステムと、コミュニティのあり方や街づくりとの接合点について考えていた。そんな矢先の先週末、広島で開かれた日本NPO学会のシンポジウムにおいて、
そのことを逆の方向から考えている方々と出会った。

「中山間地域におけるNPOの役割」というセッションで、NPO法人ひろしまねの理事長の安藤周治さんと、過疎と戦うインターネット古書店エコカレッジ代表でNPOてごねっと石見副理事長尾野寛明さんのお二人である。お二人とも、広島と島根の間という中山間地で過疎化が進む地域において、コミュニティ・ビジネスや街おこしなどを通じて、中山間地を活性化しようと取り組んでおられる。この営みが、実は僕自身が最近ブログで書き続けている、地域包括ケアやコミュニティの再生において、必要不可欠な部分である、と、お話を聞きながら痛感し始めた。
前回のブログでも触れたが、厚労省が提唱するサービス当てはめ型ではない、本物の地域包括ケアを実現していくためには、行政だけでは、あるいは行政のトップダウン的な発想では、うまくいかない。そして、日本はスウェーデンのような政府信頼型国家でもなければ、貯金をする代わりに税金を沢山納めようという高福祉高負担型国家には、今までも、そして多分これからもなれないので、政府(=公助)が出来ることには限りがある。
そんな中で、個々人が、高齢になっても、障害を持っても、末期がんなど病気が重くても、住み慣れた地域で役割を持って自分らしく暮らしたい、という自助力を持ち続けるためには、公助だけでは限界があり、地域の助け合いシステムという共助が必要になってくる。従来はそれを地縁・血縁組織である町内会や自治会、あるいは社会福祉協議会などが担ってきたが、都会だけでなく、山梨であっても町内会や自治会の組織率は年々低下し、また介護保険以後、少なからぬ市町村の社会福祉協議会は、独立採算と事業に追われ、
地域福祉のミッションを展開できていない。
そこで、地域における「お顔の見える関係作り」から、支えあいの体制、あるいはその町で暮らし続けるための支援システム作りは、役所や介護保険の地域包括支援センター、また障害者地域自立支援協議会などに託されているのだが、これらの機関やそこで働く人々とお付き合いし、また研修をする中で、高齢者や障害者の支援のプロは一般に、ミクロレベルの1;1の支援には非常に優秀であっても、そのミクロの課題の集積としての、その地域におけるメゾレベルの課題を見つけ出すこと、またそれをメゾからマクロレベルの課題として解決する力はまだまだ弱い人が多い、ということを痛感し始めている。個別援助技術には長けていても、ソーシャルアクションを非常に苦手とする人が大半ではないか、とすら思える。
これも前回のブログに書いたが、多問題家族などの「困難事例」と呼ばれるケースは、「その地域における解決が困難な事例」である。個人の問題だけではなく、支える仕組みが不十分である、という点で、地域課題そのものである。そういう地域課題と、地域包括支援センターや社会福祉協議会の職員、あるいは民生委員の方々は日々向き合っているのだが、その個別ケースというミクロ課題をメゾ・マクロ視点という「より大きな地図の中の位置づけ」でマッピングしなおすという、「地域診断」の力が欠けている。ゆえに、問題がおきてしまった後の、個別ケースへの事後対応に終始し、そういう類似の問題が次に起こらないための、予防的なアクションへとつながらない。これが、介護保険の地域包括支援センターや障害者の相談支援事業所がまじめにケースに取り組めば取り組むほど疲弊する、という悪循環にもつながる。この悪循環から抜け出すためには、狭い意味での高齢者福祉、障害者福祉の領域だけに埋没していてはいけないのである。
と、ここまでは山梨や三重での障害者福祉のアドバイザーや、山梨の地域包括ケアのお手伝いをする中で感じていた。だが、その先に、具体的なビジョンというか、どういう方向で、メゾ・マクロ的な課題を解決するか、についての具体例や手がかりが、僕の中で、まだつかめていなかった。
ながーい前置きになったが、それであるが故に、安藤さんや尾野さんのお話には、僕が感じていたメゾ・マクロ的な地域福祉的課題の解決の一例が示されていたのである。
お二人が拠点を置かれる中国山地の山間は、早くから高齢化率が高まり、過疎化や限界集落の問題を抱えていた。消滅寸前の部落、というのも一つや二つではない。そんな地域において、安藤さんは「過疎を逆手に取る会」の活動を展開する中から、街づくりのNPOが生まれてきた。これまでの町内会や自治会中心の「総ぐるみ型の集落運営には限界がある」と、「もうひとつの役場」としての集落支援センター構想を立ち上げ、地域プランナーを配置した、集落の維持・継続支援に力を注いでこられた。 この地域マネージャーが集落の全戸訪問=悉皆調査をする中で、集落の課題をつぶさに聞き取り、課題を析出して、事後救済ではなく、事前予防的に問題に対応しようとしている。
一方、尾野さんは西日本で二番目の蔵書数を持つ古本屋を島根県川本町に作り、そこでは積極的に障害者雇用もしている、という。また、NPOではU・Iターン創業の仕掛け作りのため、行政とタイアップして、江津市でのビジネスプランコンテストや「しまねでコトおこし・弾丸ツアー」など、島根県内に若者を呼び込むプロジェクトをいくつか手がけている。ご自身は東京と島根を1週間ごとに往復しておられ、都会と田舎の、都市部のNPOと地方自治体の、若者と年配者の「通訳者」の位置づけにいる、とおっしゃっておられた。
このお二人の活動は、表面的に見れば中山間地域を活性化させる街づくりや、コミュニティ・ビジネスの支援、という感じと捉えられるかもしれない。だが、田舎に人を呼び込む、顕在化しなかった集落の課題を「開く」、という営みは、実は、自助力や共助力に限界がある地域の課題を、福祉だけでなく産業や商工、観光などあらゆる手段を使いながら開いていくことでもある。その中から、地域の活性化が生まれ、それはひいては自助力や共助力の強化と、公助力の効果的な集中投入の道を開く鍵となるのではないか、と感じているのだ。
こんな気づきや出会いがあったNPO学会、記念シンポジウムに『災害ユートピア』の著者、レベッカ・ソルニットさんの基調講演があった。彼女の本の中に、実はこのブログで書いた内容と非常に親和性のある記述がなされている。
「近年の歴史は民営化の歴史だとも読めるが、それは経済のみならず、社会の民営化でもあった。市場戦略とマスコミが人々の想像力を私生活や私的な満足に振り向け、市民は消費者と定義し直され、社会的なものへの参加が低下した結果、共同体や個々人のもつ政治力は弱まり、民衆の感情や満足を表す言葉さえ消えつつある。”フリーアソシエーション”(自由に誰とでも係わり合いになれる権利や能力)とはよく言ったもので、それでは深い人間関係はできない。代わりにわたしたちはマスコミや宣伝により、互いを怖がり、社会生活を危険で面倒なものだとみなし、安全が確保された場所に住んで、電子機器でコミュニケーションをとり、情報を人からではなくマスコミから得るようにうながされる。」(『災害ユートピア』レベッカ・ソルニット著、亜紀書房、p21)
「社会の民営化」とは「つながりの市場化」のことでもある。高度消費社会において、つながりや人間関係も消費財として市場化されていった。確かにそれまでの地縁・血縁は、人々をその紐帯の枠内に押しとどめる、抑圧的な作用ももたらした。よって、つながりの開放としてのフリーアソシエーションやグローバライゼーションによって、閉塞感を超えて、つながりを勝ち得た「つながり勝者」もいる。その一方で、「つながりの市場化」の結果、特に中山間地域ほど、もともとあった紐帯がずたずたになりつつある。そこに、過疎化と高齢化が重なり、日本の中山間地域は三重苦を抱えている。
レベッカさんの本の中では、実は「災害時」こそ、その紐帯を取り戻し、「つながりの市場化」以前の世界に戻る世界が世界各地で垣間見られる、と書いている。だが、何も「災害」でなくとも、限界集
落や中山間地の少なからぬ地域が、過疎化や高齢化問題が、放置できないほどの問題として極まってきている。この問題の顕在化局面において、地域包括ケアの問題と、街づくりの問題を分けて考えていては、大きすぎる問題は解決不可能ではないか。むしろ、福祉の人間こそ、福祉に埋没するのをやめ、町おこしや産業振興、観光振興などの異なる領域で、その地域の持続可能な発展や住みやすい・暮らしやすい街づくりといったテーマについて「同じ事を逆から眺める」人々と手を携える時期に来ているのではないか。地域福祉計画や介護保険事業計画、障害福祉計画が、そういう他領域とつながらないで、タコツボであっては、問題の解決からは遠のくのではないか。
広島からの帰り道、そんなことを考えていた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。