「企業災害」と「否認/再認」

東日本大震災から10年たって、やっと、原発問題に関する書籍をぼちぼち読み始めている。

正直言って、そのことを考えるとキャパオーバーになりそうで、原発関連の新聞記事やテレビ番組は、見ないようにしてきた。原発のような危険なエネルギーは論外だという想いと、その一方でクーラーや携帯、PCにZoomなど電力を使いまくっている自分。電力の必要性と原発の危険性などを考えると、単純に矛盾のるつぼに陥りそうで、他にも考えるべき事が多いから、と目を背けてきたのだ。

だが、きっかけは、昨年NHKで緒方正人さんのドキュメントを見て、その後『チッソは私であった』を読んだことだ(そのことはブログに書いた)。そして、先日にオンラインで開かれた「原発災害と社会的分断」というラウンドテーブルに発話者の一人として誘われた事がきっかけとなり、本棚に買ってはいたけど読めなかった原発関連の書籍を読み始めた。10年経った今なら、やっとそれらを読んで考えられるようになってきた。

一冊目は、森永ヒ素ミルク事件や水俣病などに医師として関わり続けた山田真さんの本である。

「森永ヒ素ミルク中毒事件は食品公害と呼ばれる。水俣病も公害と言われる。だが、公害という言葉は実はふさわしくないように思う。これらの事件は加害者がはっきりしていて、その加害者は企業なのだから、『企業災害』と表現すべきではないだろうか。東電福島原発の事故も、同じく企業災害の範疇に含まれるだろう。
企業の犯罪は、最初に被害を出しただけではなく、事後処理のレベルでも行われてきた。この事後処理における犯罪のくり返しが、ぼくを『何度も見た』という思いにさせるようだ。つまり加害企業が被害を隠蔽し、被害者を切り捨てることのくり返しである。」(山田真『水俣から福島へ 公害の経験を共有する』岩波書店、p4)

僕はその名前くらいしか知らなかった森永ヒ素ミルク事件は、ドライミルク生産工程で起こった、明らかに企業コストを下げるためのずさんな品質管理の中で起こった人災であり、「企業災害」である。そして、当時このドライミルクが流通していた岡山県内で「奇病」が発生している事は小児科医は気づいていた。どうも森永のドライミルクと関係があるらしい、とも気づいていた。だが、岡山大学の小児科は教授が、「もし森永ドライミルクが『奇病』の原因ではなかった場合森永に大変な迷惑をかけることになる。だから森永ドライミルクが原因でないかなどということを軽々しく口にすべきではない」と箝口令がしかれた(p15)。これが被害の蔓延につながったという。

さらに被害者への検診をする段階において「ヒ素中毒の影響と確認される病状はない」と判断することにより、被害が専門家によって認められない被害者が多く発生する。これは「異常ではない」と言わず、「ヒ素中毒と関係があるかは確定できない」から、被害対象の範囲外である、という対象範囲の極端な制限であり、被害者外しの論法である。そして、これは広島や長崎の原爆被害者に対する論法と全く同じだ、と筆者は述べている。数日前に「黒い雨訴訟」で広島高裁が被害者全員を認定せよ、という判決を下したが、戦後76年たっても、被害者範囲を限定した専門家や国の判断が、被害者を苦しめる構図は変わっていない。

この大企業と国が結託して、「企業災害」の範囲を限定し、被害者を極端に制限し、なるべく問題を矮小化する構図は、水俣病でも福島原発事故でも同じだ、という。さらに、この「企業災害」における被害者軽視に、医者や科学の専門家が加担し、国家や大企業の論理に迎合して、被害範囲をできる限り狭めたり、「直接の因果関係は確認出来ない」などと認定することで、問題がないかのように「お墨付き」を与える論理が生まれてきたのだ。

そのことについて、哲学者二人による論考は、アルチュセールの「否認」「再認」の概念を用いて、次のように整理する。

「アルチュセールはこのメカニズムを、イデオロギー的主体化=服従化のメカニズムと名付けている。これを私たちの文脈に当てはめるなら、国家と資本は、自らが経済的、軍事的な目的で構築した原発を維持し、発展させるために、諸主体に働きかけ、『原発は安全であり、事故を起こしてもその影響はほとんどない』という『イデオロギー的再認/否認』のメカニズムに従って諸主体の認識を構成しようとする、ということになる。私たちが『安全』イデオロギーと呼ぶのは、原発の安全性と原発事故の影響に関わる、このような『イデオロギー的再認/否認』のメカニズムの総体である。」(佐藤嘉幸・田口卓臣『脱原発の哲学』人文書院、p94)

「原発は安全だ、アンダーコントロールだ」というのは、事実確認的発言ではなく、そういうものだと自分に思い込ませる意味では、行為遂行的発言である。そして、ある種の価値観を「再認」し、別の価値観を「否認」するために、そのような発言を繰り返すことは、確かに「『イデオロギー的再認/否認』のメカニズム」である。さらにいえば、国家がそのような『イデオロギー的再認/否認』の言説をくり返しながら、人々を一定の方向に導く、という論理構造こそ、まさに「イデオロギー的主体化=服従化のメカニズム」である。

これは、まさにコロナ危機の2020年から2021年夏において、ずっと僕たちが垣間見たことではなかっただろうか。突然の学校休校に始まり、GoToキャンペーンやオリンピックの延期や開催に向けた朝令暮改、そしてワクチン接種の加速化と失速化、など、様々な問題が起こるたびに、「安全神話」がどんどん揺らいでいく。まさに行為遂行的発言の恣意性が暴露され、統治メカニズムとしての「イデオロギー的再認/否認」の暴力が可視化され、人々がそれに翻弄されているプロセスのように思えてならない。

「彼らが、事故の危険性に関する様々な指摘をイデオロギー的に再認/否認するのは、そのような危険性を否認しなければ、内部に巨大なエネルギーと膨大な放射性物質を内包する点において極めて危険な、原発というシステムを運用することが不可能になってしまうからだ。そして、こうしたイデオロギー的再認/否認のメカニズムは、私たちの『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズムと共振して、互いに強化し合う。従って、イデオロギー的再認/否認の悪循環から抜け出すためには、過酷事故の可能性を直視して、原発を廃止するという決断を下す以外に方法はないのである。」(p158-159)

僕自身にも「『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズム」が働いていた。それは、原発事故の後も、そうだ。2011年3月、毎日テレビとツイッターに釘付けになって動けなくなっていた僕は、当時の枝野官房長官がくり返し述べていた「直ちに健康に影響はない」というフレーズを、「信じたい」と思っていた。それは、広島や長崎の原爆被害者の事を想起すれば、あるいはチェルノブイリの事を考えたら、「直ちに影響はあるはず」なのだけれど、「まさか」そんなはずはないと思い込みたかったし、それは佐藤さんと田口さんの指摘する、「『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズム」そのものだった。

そして、国民の側の被害があって欲しくない、という「否認のメカニズム」は、企業災害を起こした側やそれを管理する国側の、統治機構の「否認のメカニズム」と軌を一にする。「まさか水俣の奇病とチッソが関係しているはずはない」「寒村に一大産業をもたらした足尾銅山が公害を起こすはずはない」・・・などという「否認」および、貧しいこの地域が生き残るには原発(工場、鉱山)と共に生きるしかない、という「再認」のメカニズム。そこに電源三法交付金などの国家による「買収」=アメが結びついていると、「この利益誘導のシステムはいわば、経済的権力によって地方を麻薬中毒患者のように原発に依存させ、その依存から抜け出せないように服従化し続けるものなのである。」(p200)

その上で、以下の表記は、コロナ危機にある現状の構造を見事に射貫いているようにも思える。

「官僚機構は、政権がいかに交代しようとも、また、どれほどカタストロフィックな原発事故が起きようとも、一貫して従来通りの政策を実行しようとする。原子力国家とその官僚機構の本質的性格とは、『何が起きようとも自らの前提、原理を決して変えない』という極めて硬直的なものである。」(p447)

この硬直性は、コロナ危機における政府や政権の対応のまずさにも表れている。今に始まった問題ではない。結局、明治以来の官僚機構の一貫性は、平時には日本型統治の良い部分にもつながっていたが、グローバル化してDX化している21世紀においては、その一貫性や前例踏襲主義は、全く役立たないどころか、弊害になっている。それは、未だに保健所からFAXで連絡させることとか、海外から帰国した人への検疫体制のアナログ的展開とか、あるいは大阪市に代表されるパソナへの外部委託問題とか、色々なところで露呈している。

それらの個別事情を、「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」と補助線をつけたうえで、僕たち市民の一人ひとりに、その「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」が内面化されていないか、を批判的に問い直す事が改めて必要なのだと思う。

ぼくは最初の単著、『枠組み外しの旅—「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)を書いたのは、2011年の震災後のショックからだった。2012年の春に論文を書いたのがきっかけになり、深尾先生と安冨先生にお声がけ頂き、3ヶ月ほどで一気呵成に書き上げた。

あのときは、今から思えば、あの本で問い直したかった枠組みとは、福祉に関する「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」だったのではないか、と思っている。そして、それを問い直す中で、原発問題や沖縄米軍基地問題の膠着性にも、この枠組み問題があるという事には気づいていた。だが、編集者から「その辺りをもう少し深く書いてみませんか?」と言われても、その時にはどう書いてよいかわからず、放置していた。

それからまもなく10年が経つ。そして遅まきながら、日本社会に蔓延する、福祉以外の「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」との共通性というか、同根性のようにも、目を向けるようになってきた。それは僕自身の「『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズム」と向き合う事であり、緒方さんの言葉を借りれば、「チッソは私であった」とはなにか、を自分に問い直すことでもある。やっと、そんな地平に経ち始めたのかも、しれない。

そろそろ、あの本の続編を書くべき時期なのかも、しれない。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。