井の中の蛙が

大海を知り、愕然としてしまった。

時は水曜の夜、3つも会議を終えた後、学科の先生方が主催される研究会での出来事。
地方分権が進む中での、市民と自治体の関係の在り方、政府の役割などについて、個々の専門の立場から論議を重ねていこう、という趣旨の会で、福祉の現場から考えてみては、とお誘いを受け、僕も参加させて頂くことになった。そこで、我が大学の先輩の先生方の研究分野やその内容について、ほぼ初めて、聴かせて頂くことになった。どの先生も結構興味深くって、ついついあれこれ質問したい衝動に駆られてしまう。それに対してタケバタは、自分自身でもまだしっくり来ない、多少分裂気味の話をして、とっちらかしてしまう。

スウェーデンのノーマライゼーションが思想法制度実体、という、ある種上からのノーマライゼーションが現場にまで浸透している。一方、日本の場合、法制度がノーマライゼーションの思想なども反映しておらず、法レベルでの不備が多いから、現場でその穴埋めをするために、個々人のネットワークが組織間ネットワークへと昇華し、その中で地方独自のサービスや制度を作り上げていく。そしてそれが全国各地に広まり、普遍性の高いものについては厚労省など国レベルでも目を付けられ、やがて法改正時に組み入れられていく。つまり日本では「下からのノーマライゼーション」が築き上げられているのだ。この際に、僕が今、障害者福祉の現実に照らして考えると、気になるのは次の二点。「下(現場)でどのようなネットワークを構築して行くべきか」という問題と、では法制度や国レベルでは現場の声を待たずとも、障害者差別禁止の法整備やノーマライゼーションなど、ちゃんと守るべき・構築すべき思想、価値、法制度は無いのか? この二つについて、考えていきたい。

ほんとは、地域レベルでは、福祉関係者と他のNPO、社会起業家、そして既存の自治会・町内会組織などとの連携の在り方について、とか、政府間関係や財源論の在り方について、だとか、キーワードは色々頭に浮かぶのだが、まだ練り切れていなくて、きちんと説明出来ない。口で言った時より、多少は書いてみた方がこなれたような気もするが、どうもまだまだ「練り不足」であることは事実だ。

その後、場を近くの飲食店に移して、議論は続いたのだが、そこで、とうとう僕の地金が出てしまう。色々質問したい、言いたい病が出てしまい、先生方の議論に随分水をさしてしまった。主催者のM先生は、笑顔で上手にフォローしてくださりながら、僕の至らぬ発言をわかりやすくまとめてくださったり、あるいは怪しい言説をそれとなく軌道修正してくださったりする。また、論旨の矛盾をそれとなく訂正してくださる先生もいる。二杯目のビールが疲れた頭と身体に回ってしどろもどろになりながら、でも「まずい、やばい、勉強が致命的に足らん・・・」という警告音がドンドン大きくなっていく。議論全体は聴いていて楽しいのだけれど、自分が決定的に文脈理解力に欠けている事実を突きつけられ、急に拡がった大海を前に、茫然自失としてしまう。なんて視野が狭かったんだ!、と。こんな気分は、院生の時以来だ・・・。

「あの時いらんことをしゃべらず、黙って聞いていたらよかったなぁ」と帰りのタクシーで考えてみるが、まあ後の祭り。それにこれまでだってタケバタの定石パターンは、とにかく口出しする自分の不勉強が明らかになり大恥をかくようやく気づいてトボトボ勉強し始める、という回路だ。まあ、今回だって、本気でこのことも一から勉強せんとまずい、というインセンティブにはなった。そう思うと、最近外部講師などもさせて頂き、ちょっと天狗になりかけていたタケバタに、「冷や水」と「大海」を知らせてくださっただけでも、この研究会に本当に感謝せねばならない。ああ、日々精進精進。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。