授業改革の所信表明演説

後期の授業が始まる。大学もとたんに活気づき、それと共に教員の忙しさも加速する。

昨日は一日、今日やる二コマの授業のイントロダクション作りに追われていた。前期と授業方針を変えるつもりなので、作り込むのに時間がかかる。前期の授業での反省点を踏まえ、資料の出し方や学生さんにコミットしてもらうやり方、その中身などについて、「きっちりした枠組みの中で自由に考えてもらう」という方向へと方針転換を目論んでいる。

これまで非常勤も含めて大学や専門学校で教える際は、「自分が教わった時の記憶・印象」を授業に反映させる部分が多かった。僕は大学時代もあまり授業に真面目にコミットしてなかったし、また先生方もレッセフェール(自由放任)的授業スタイルの方が多かったので、僕自身が授業をする際も、そのスタンスを基本的に踏襲していた。だが一方、大学や専門学校教師よりもキャリアが長い塾講師に置いては、それとは全く違うスタンスで臨んでいた。最近で言うとあの阿部寛演じる「ドラゴン桜」みたいに、徹底的にたたき上げる予備校英語講師だったのだ。偏差値30からの東大受験、と同じノリで、実際に高校3年の4月に中学英語も怪しかった学生さんでも、「やる気で本気になれば、偏差値の20や30くらい数ヶ月で上げる」という成果は数多く出してきた。中身は単純な話で、一番わからない底(例えば中学二年の現在完了形ならその部分)まで降りていき、そこからわかるまで教え、あとは短期間で徹底的にわかる範囲の拡大をしながら、基本例文の暗唱を含めた基礎力を徹底すれば、ドラマの姿は現実化可能なのである。もひとつ言えば、英語がそうやって変わると、他の教科でも「変えられるんだ」という自信がつき、自分自身への低いセルフイメージと低い学力の両方を数ヶ月で吹っ飛ばすことも、実際にしてきた。

そんな徹底的に学生に介入して、基礎から鍛え上げる予備校教師のタケバタも、大学や専門学校では変に遠慮して、オブラードに包んだような「優しい」授業をしていた。元教え子が大学の授業にモグリで聴講して、「先生、手ぬるいですね」と言われたこともある。その時は、まあパートタイムだし、仕方ない、と割り切っていた(もちろん予備校教師だってパートタイムには変わりなかったのだけれど)。

それが常勤でこの大学にやってきて、半年間授業をしているうちに、少しずつ考え方が変わってきた。確かに受験勉強と違い、○×で割り切れる問題を教えているわけでもない。ボランティア・NPO論も、地域福祉論も、まさに割り切れない問題だ。だから、偏差値型教育の「○×の精度を上げる」という論点と同じ伝え方は勿論出来ない。しかし、とはいえ、全く予備校教師タケバタのメソッドが大学講師として使い物にならないか、といえば、それは違う。むしろ、「徹底的に学生に介入する」「やり方や枠組みを提示して、基礎から鍛え上げる」という方法論を、大学の授業にアジャストするように一部改変しながら使うことだって出来るのだ。現に、日本とは根本的に教育スタイルが違う、と勝手に思いこんでいたアメリカの大学でも、僕が追い求めていたような教師像の延長線上で努力されている先生方が多数いる、ということがわかった(「授業をどうする!カリフォルニア大学バークレー校の授業改善のためのアイデア集」東海大学出版会)。UCバークレーの先生方だって、学生が飲み込み易いように、基礎から高度なレベルまで橋渡し出来るように、授業を必死に組み立て、そのやり方も日夜向上を目指そうと努力されている。この本に出逢って、「変に優しくする必要はない。これまでの予備校講師タケバタのやり方を、うまくアジャストさせる方法を探した方が、自分らしい授業が展開できるはず」と思い直した。

この方針転換の要点は「難しいけど、面白い」だと現時点では感じている。ある程度ハードな内容を授業時でも課すけれど、「言葉として何が言われているかわかるんだけど、結構難しいし全部は今すぐには理解できない。でも何となく面白い」という水準にどう高めて行けるか。そのために、捨てるべきなのは、「学生にわかることしか言わない、伝えない、授業内容として提供しない」という意味での「優しさ」からの脱却なのだ。全てがわかる話しかしない、というのはある種、目の前にいる学生さんを馬鹿にした内容にもなりかねない。学生さんは、何とかわかろうと努力すれば、変わるのだ。わからないけど、理解したい、と願うから、本気になって変わるのだ。その潜在的可能性に賭けて、彼ら彼女らが挫折しないでついてこられるギリギリのラインを探し、そのラインに向けて授業を組み立て、学生へのコミットも求める必要がある、と思っている。それをすれば「難しい」「大変だ」「面倒くさい」という批判は受けるかも知れない。「・・・でも、面白いよね」と、思ってもらえれば、大成功。だって、本当に面白いものって、面倒くさいしハードルも高い壁を越えるから、見えてくる世界でもあるのだから。

まあ、このように、所信表明演説は鮮やかだけれど、あとは授業の実践での実証作業が求められる。だから、勿論授業に手を抜けない。でも、この方向性なら、僕の元々持っているポテンシャルを生かす形で授業が展開できるのではないか、と感じている。なので、忙しさは増えるけれど、学生さんの満足度と、それを通じた自分自身の授業への満足度向上の為にも、いっちょ頑張ってみますか。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。