どんな「様式」の授業?

 

みなさんは、どんな「様式」の授業を受けたいだろうか?
僕自身なら・・・と考えてみると、よくわからないのだ。

一方で、その分野のスペシャリストが繰り広げる知の饗宴の現場に立ち会いたい、という思いがある。様々な議論や先達の考えに基づき、今こうしてある○○が、いかにしてこうなってきたのか、こういう考えしか取り得なかったのか・・・を、理論の流れの中で一望させてくれる授業を聞いてみたい気がする。その一方で、常識になっている私たちの考えに、「それほんと?」と問いかけられ、その語義や社会状況を、多くの情報を元に根源的に考え、私たちがある対象について抱いていた偏見や先入観を根本的にひっくり返す授業も魅力的だ。

この二つの系譜を、佐藤学氏はアメリカの教育学者のフィリップ・ジャクソンの「模倣的様式」と「変容的様式」を用いて、次のように説明している。

「『模倣的様式』の『教える=伝達』という概念は、19世紀以降の各国における国民教育の制度化において普及し、20世紀の産業主義を背景とする生産性と効率的を求める学校教育において、いっそう徹底されました。大量の知識を効率的に伝達する授業の様式の普及であり、大量生産の大工場のアセンブリ・ライン(流れ作業)のような学校教育が、『模倣的様式』としての『教える』という行為を支配的なものにしてきました。」(佐藤学「教育の方法」放送大学教育振興会、p34)
「ソクラテスの『産婆術』に起源をもつ『変容的様式』の『教える』という概念は、20世紀においては、子ども中心主義の新教育の実践と理論の中に継承されてきました。子ども中心主義の授業の革新運動においては、知識の伝達の効率性や生産性よりも学習者の創造的思考や自己表現の価値が重視されてきました。『変革的様式』は、学習者のアイデンティティの追求に根ざした『教える』という概念なのです。」(同上、p36)

僕が向かい合う学生さんの多くが、福祉についてはほとんど何の予備知識もない場合が多い。しかも、うちの大学の場合、福祉を掲げた学科やコースもないので、ヘタをすると福祉に関する知識を仕入れるのは、4年間で僕の授業のみ、という学生さんだって少なくない。ならば、半年なり1年なり、の履修期間の間に、出来る限りたくさんのことをお伝えしたい、という気持ちも出てくる。そこで、「大量の知識を効率的に伝達する」「アセンブリ・ライン」的な伝え方の方が、情報をたくさん届けられるのに、という想いを、一方では持っている。

だが、「本人中心主義」といった、支援者や家族ではなく障害当事者の「想い」や「願い」を実現するためにどうすればいいか、を研究テーマとして掲げている人間が、「学生中心主義」と真逆のことをしていてよいのか、という想いも強い。僕のたった十数回の授業でしか「福祉」と出会わない人々に対して、「知識の伝達の効率性や生産性」を単に追求することに、そんなに重要性があるのだろうか? それよりも、福祉に関して学習者が持っている偏見・先入観を「産婆術」的に洗い直し、「学習者の創造的思考や自己表現」を支援する学びのあり方の方が、はるかに学生にとっても実りあるものとなるのではないか、そんなことも思っている。

僕自身の「学び」で言うと、僕は色んな師を「真似ぶ」(=模倣する)ことから、たくさんのことを学んできた。塾の恩師、予備校教師、大学教授・・・その時々で出会った尊敬すべき様々な方々をロールモデルにして、その方々の口調や声色、発想形式やファッションの好みまで、似せていた時期があった。「○○っぽい」と、その時々に言われたものである。原始的な「真似び」であったが、その中から、今にも息づく様々な体系的知識を学ばせて頂いた。また、受験勉強に学生として、そして塾や予備校講師として関わったものとして、「大量の知識を効率的に伝達する授業」を、いかに効率化させるか、ということにも、心血を注いだ部分もあった。

その一方で、それと同じくらい、産婆術的なものに学ばせてもらうことは多かった。現代に蘇るソクラテスといわれる池田晶子氏の著作に影響を受けた部分も多いが、「わからない」、と問い続ける中から、議論を続ける中から、様々なものを学ばせてもらったのもまた、事実である。実際に教える立場になっても、「なぜ?」と学生に問い続ける中で、多くの受講者の考えや意見を分かち合ってもらう中で、学生自身が自ら気づき、考える、そんな形態の授業を評価してくれる学生も多い。

佐藤氏も、どちらか一方に善悪や優劣をつけられる訳ではなく、どう統合するかが大切だ、と述べている。

ただ、10数回しかない授業において、その両方をうまく統合する方法を見つけ出す、これはなかなか容易なことではない。今のところ、自己評価で言えば、模倣的:変容的様式の比率は3:7くらい、と思う。去年の学生の感想を読んでいると、そのやり方への評価の声も多かったが、自分の中で「伝達すべき知識の不足」に対する懸念も持っている。また、それについて、間接的な批判的意見を述べている学生もいた。今年の僕の目標は、この割合を5:5に持っていきながら、でも変容的様式の部分もきっちりと持ちながら、というものにどう高めていけるかだ、そんな風に感じている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。