科学者と器用人の接点とは?

 

「人間にとってたいせつなのは『新しい状況』にそのつど『新しいスキーム』をあてはめるせわしない知のアクロバシーを演じ続けることではない。そうではなくて、人間がこれまで拾い集め、蓄え、作り上げてきたすべてのものに向かって、『でも、これにも何か使い道があるんじゃないかな?』と問いかけることではないのか。レヴィ=ストロースはそういうことが言いたかったんじゃないか。」(内田樹「東京ファイティングキッズ・リターンズ」バジリコ p115)

先週の大阪出張時に内田樹さんと池田晶子さんという、僕が「即買い」する二人の哲学者のエッセーが出たので、ここしばらく、家で風呂読書が実に楽しい。池田晶子さんの話はまた今度するとして、内田氏のこの対談本の中で出てきた、レヴィ=ストロースの「ブリコラージュ」についての解説に、なんだかピンときた。そこで、今週末の出張地である静岡の書店で、これまで不勉強で読んだことがなかったレヴィ=ストロース大先生の「野生の思考」を購入。読み始めると、これが実に面白い。で、出張先のホテルで折り目を付けたのが、次の部分だった。

「科学者と器用人(ブリコロール)の相違は、手段と目的に関して、出来事と構造に与える機能が逆になることである。科学者が構造を用いて出来事を作る(世界を変える)のに対し、器用人は出来事を用いて構造を作る。」(レヴィ=ストロース「野生の思考」みすず書房、p29)

そう、新しい構造なりスキームなりシステムなり制度なりで、旧体系を壊す、という「出来事を作る」前に、これまで蓄積してきた「出来事」を組み合わせる中で、何らかの寄せ集めの「構造」が立ち上がってくるのではないか。そして、それは、新しい「構造」でなくても、案外「使い道がある」「構造」になりうるのではないか。

この、内田先生とレヴィ=ストロース大先生のご指摘は、今日の静岡から帰りの電車の中での議論につながっていく。

今日は経営学の先生と病院経営について議論をしていた。その中で、病院のマネジメントに関して、議論が出てきた。医療費がこれだけ社会保障費全体を圧迫する中で、病院経営も楽ではない。その中で、マネジメントやコンサルティングの専門家が病院経営に助言や参画する場面も増えてきた、とのことである。で、そこで気になったのが、経営の専門家達の立ち位置である。やはり経営の専門家が病院経営の分析をする中で、圧倒的な人件費の比率の高さをいかに抑制するか、が課題になるという。確かに(特に国公立の)病院における人件費の比重の高さは、よくニュースでも話題になっている。で、そこで興味深いのが、「かといってなかなか看護の人件費を削減できない」という経営側の視点をどう捉えるのか、という点であった。

確かに、病院の売りを突き詰めて考えると、どれだけ名医がいるか?という点に収斂される。だが、では名医さえいれば、看護やコメディカルはどのような質であってもよいのか、というと、それは違う。執刀するのは医師でも、病態の急変に気付いたり、病室での適切な処置をする最前線にいるのは、看護職である。また、病気療養後の「社会復帰」へのつなぎをつけるのは、ソーシャルワーカーといったコメディカルの仕事である。そして、看護やコメディカルの専門家は、医師に比べたら低い立場で見られやすいが、彼ら彼女らが病院組織にかける思いは、決して医師にひけをとらない。医師に比べて(時としてとんでもなく)低い給料でも、多くの看護やコメディカル職員が、その現場で、自分たちの専門性を活かして、最大限の「出来事」を蓄積してきたのだ。それを、コストカットという新しい「構造」の錦の御旗の下で、古い「出来事」をバッサリ切り捨てて、経営改善一色で進んでいって、果たして非営利組織、ヒューマンサービス組織が立ちゆくのだろうか。

ここで付記しておきたいのは、決してコストカットが必要ない、というつもりは毛頭無い、ということだ。どんな組織であれ、マネジメントの側面は必要であり、経営の効率化と収支の改善、無駄を省く、ということは、ごく当たり前の常識として必要とされる。この部分には全く異存はない。ただ、収支改善をする一方で、ヒューマンサービス組織としてのミッション、「利用者本位」「患者本位」というミッションを時に忘却していないか、それが経営学サイドから書かれる病院や福祉組織分析の本を読んでいて感じる疑問であった。医療や福祉で「いいことをしているんだから」というお題目を「隠れ蓑」にして、自身の改善を放置することは、今や許されない。だが、その一方、コストカット、経営改善という新しい「構造」を「錦の御旗」にして、これまでの「いいこと」をするために培ってきた、蓄積してきた、現場の「出来事」の大部分をばっさり切り落としてしまっていいのか? その部分が疑問なのだ。ようは、経営改善と現場の蓄積の活用を、どう両立出来るのか? そこに医療や福祉組織の改善のヒントがあるような気がしている。

そうすると、ここで大切になってくるのが、「科学者」と「器用人」の接点といえよう。「器用人」である現場の人々が蓄積してきた「出来事」と、「科学者」である研究者や経営者、コンサルタント、厚労省・・・が持ち込んできた収支改善といった新たな「構造」がどう出会えるのか? その際、従来の蓄積された「出来事」をどれほど活かしながら、新たな「構造」の良い点を取り込んでいけるのか? その際、「科学者」と「器用人」がどのように「チーム」を組みうるのか? こういった点が、新たな課題なんだろうなぁ・・・。そんなことを考えていた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。