己の偏差(増補版)

 

「あんたの文章は、ほんまジャーナリスティックやなぁ・・・」

昨日の朝、学会の抄録提出の最終打ち合わせをしていた際、共同発表者がふと漏らした。今関わっているとあるテーマで学会発表をする、と決めたのが、連休明け。バタバタしていて、作り始めたのが今週になってから。で、何度も練り直し、関係者に見て頂いて、多くの本質的なコメントを頂いて、ようやく提出〆切当日の朝になって、何とか形になった。その最終原稿を巡るやり取りである。

何人かの助言をまとめると、私の書くものには、「価値観が出過ぎ」で「口語調」、そして「くどい」とのこと。自分一人でるんるんブログを書いている分には良いのだが、共同研究を学会の場で発表するにあたっては、この3つは致命的。「価値観が出過ぎ」であれば事実ではなくその価値観のとらえ方で発表内容が攻撃されてしまう。「口語調」になりすぎると、せっかくの発表の品格が揺らいでしまう。で、「くどい」とそもそも話を聞きに行く気がなくなってしまう。だから、絶対やってはいかんことなのだ。

学会抄録って、印刷されたものが後に残るだけでなく、「顔見世興行」的に発表のダイジェストを書くため、多くの聞き手にとってはそれを頼りに「どれを聞こうか」と値踏みするものでもある。いや、聞けなくても、残された記録を頼りに、当該研究の進捗具合や成果などを、外部から眺めることが可能なものである。研究チームの一員として、外部資金も頂いて、一定の社会的使命を持つ研究であればなおのこと、その成果をストレートに世に問いたい。その際、事実ではなく価値論争になったり、品格がなかったり、そもそもまわりくどいなら、せっかくのチームのやっている意義が台無しになってしまう。だから、直前にもかかわらず、関係者の方々が時間を割いて見てくださったのだ。関係者のみなさま、ほんとうに、ありがとうございます。

で、僕はずぼらな人間なので、これまで基本的に一匹狼的に、学会発表も文章も一人で書いてきた。ということは、他人とのコラボレートでこのような発表を作る、ましてや研究チームを代表して、なんていうことがなかったので、今まで自分の偏差を指摘される機会があんまりなかったし、あってもすっと頭に入ってこなかった。それが今回、原案を書いたのは僕だが、それを共同発表者で僕より遙かに頭の切れるH氏と毎日のようにやり取りをしていて、かなり色々ダメ出しを受ける。これって院生時代以来のしんどさ。ある程度まとまった、と思って切り返しても、「これじゃあ研究発表ではなく、何だかまだ実践報告だね」「まだ変だよ」とクールに返される。もちろん、代案も示してもらうのだが、そこから格闘が続く。その間も県の仕事関連の打ち合わせなどもあり、いつも深夜か早朝にクチクチ直す始末。その結果、ようやく最終稿が固まった後で、冒頭の発言を、しみじみ言われたのだ。

大学院に入学の際、僕はあるジャーナリストに弟子入りした。その師匠からは文章のイロハからものの見方、人生観まで実に様々なことを学ばせて頂いたが、書くプロでもある師匠から何度も言われたことは、「文章は省略と誇張だ」、ということ。見出しの一行でいかに引きつけるか、でその後読者が読んでくれるかどうかわかる。徹底的に考え抜いて、インパクトのある一文をぴりっと書けるか、が勝負だ、と言われてきた。で、「くどい」と指摘されることは、まだ省略が足りない、精進が足りない証拠なのだが、「誇張」というか、価値観を全面に押し出して、インパクトのある言葉を探す営み、というのは、身に染みついているような気がする。その部分をさして、先の共同発表者は「ジャーナリスティック」というのだ。

実は彼から以前にもそう指摘されていたのだけれど、そのときはその意味が正直わかっていなかった。だが今回、そうやって僕の文章に赤を入れるやり取りの中で、わかってきたのだ。あ、この業界では、僕のやり方の方が偏っているのね、と。

ただ、だからといって師匠に教えられたことが問題、とは思わない。むしろ逆で、中途半端な「省略と誇張」だからこそ、研究者からも、ジャーナリストからも批判される文体になってしまっているのだ。超一流のジャーナリストは、凡庸な学者を遙かに超えたよい「研究」をされておられる。それを、二人の超一流ジャーナリストに身近に接するチャンスを持って、実感した。問題は、その教えを、きちんと自覚した上で、体内化、徹底化出来ていない己の問題なのだ。この偏差を、血肉化できるか、が最大の論点なのである。

ことほど作用に、一匹狼、ということは、お作法がなっていない、ということの証拠でもあった。基本が出来てない、なんて、あな恥ずかしや。でも、よう勉強させてもらいました。おかげで、昨日原稿を出し終わり、その後家を飛び出して、午前は県の仕事で役場への聞き取り、午後は講演、を終えて駅まで送ってもらって気が抜けたら、とたんに急にヒドイ頭痛肩こりに。あんまり真剣に頭を使わないタケバタは、基本的に肩がこらない。久しぶりに真面目に頑張った、のであろう。昨晩はサロンパスが本当にじわーっと効いた。どうやら偏りは、ほんとうに「身体にくる」ようだった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。