あわてんぼうのサンタクロース

 

コペンハーゲン空港、時刻は午後1時を迎えるところである。

前回は水曜の現地時間午後、ストックホルム空港からお伝えしたが、その後、イエテボリに移動。イエテボリでは、以前の調査でお世話になった団体の支援者Aさんとその息子さんが迎えてくれる。なんでも風邪を引いて学校を休んでいるんだけれど、よくなった、とかで、二人で出迎えてくれた。ストックホルムでは全く知り合いがおらず、風邪を引きかけたこともあって心細かった。だから、余計にこういう歓迎は嬉しい限り。第二の我が家に戻ってきた気分である。

落ち着ける、というとノルドスタン(イエテボリ最大のショッピングセンター)の中にある投宿したホテルでは、バスタブがあった。ストックホルムのホテルではバスタブがなかったので、これは嬉しい限り。昔はさして気にならなかったけど、年を取ると、海外に出かけた際、普段と同じ環境でくつろげるかどうか、で仕事の質が全然違ってくる、と感じている。

それは、昨日の晩、ある日本人のご家庭で頂いたみそ汁をすすりながらも感じる。わざわざホテルやレストランで高いお金でかつあまり美味しくなさそうなshishiやらsobaを食べたいとは思わない。だが、例えば即席みそ汁であったり、あるいはこういったおよばれの席でみそ汁が出てくると、それだけでふわっと安らぐ。お風呂にしても、食べ物にしても、ダイレクトに身体に効くものは、海外出張時のような環境変化の負荷が大きいときほど、ありがたい。両方ともまさに「身に浸みる」効果があったのだ。

で、数珠繋ぎ的に書いていくと、調査自体も今回はきちんと内面化(=身に染み渡る)ものとなった。4年前、スウェーデンに住んでいたおり、最終報告書としてこんなことを書いた。

「スウェーデンではノーマライゼーションがどこまで浸透したか?」

この報告書は副題に「グルンデン協会におけるself advocacyのあり方とイエテボリ市における地域生活支援ネットワーク調査に基づいて」とつけたように、知的障害者の当事者団体(セルフアドボカシーグループ)の活動を追いかけた内容と、ある市における障害者支援の実情を調べたものの二本立てになっている。で、その調査の続きとして、前回スウェーデンに訪れた際(2006年秋)は、そのグルンデン協会のその後を追いかけていた。今回のスウェーデン調査では、後者の、スウェーデンにおける障害者の地域生活支援のその後、を調べていたことになる。(と今こうやって書いてみて、ようやく気づいた!)

4年前の報告書にはもちろん様々な限界やもっと書くべきであったことなどを感じたから、こうやって追加調査に訪れている。だが、でもそれを割り引いたとしても、手前みそだが、わりかしこの報告書は内容がてんこ盛りだと思う。ただ、半年の現地滞在で見聞きしたことを一つの報告の中にギュッと入れようとがんばりすぎて、読み手にとって(ということは後で読む僕自身にも)話題が広範すぎて、というか、情報の編集が下手くそで、きちんと書いている際に伝えたかった事が、伝えにくいパッケージになっていた。今回4年ぶりにその報告書を読み直し、またフォローアップの調査をしても、わりかしこの調査時の知見がポイントを突いていた、と再発見する。そして、この4年間で失敗の中から少しは学んで、次に書く際は、もう少し的を絞って(焦点化して)、まとまりあるものが書けるのではないか、と思っている。

この地に来る直前に、友人の研究者に現地で会う人のことを尋ねた際、こんなやりとりが帰ってきた。

「北欧研究も第二世代、あるいは第三世代に入り、理念紹介と現場紹介の中間部分を丁寧にやっていく時代に入っています。」

断っておくが、僕自身はスウェーデン語の読み書き話は出来ず、今回も半分英語で、半分通訳をお願いして調査をしたので、北欧研究者とはいえないし、今後もそうはなれない。あくまでも日本の障害者福祉の研究者である。でも、スウェーデンのことを紹介する際に「理念」か「現場紹介」か、の二者択一的な(しかもその表層を伝える)やり方では、限界があることは、まさに身に浸みてわかる。障害者の権利法であるLSSの実態についても、あるいはセルフアドボカシーグループの活動についても、実態から見ると、必ずしも手放しで喜べない問題点も抱えている。でも、よく考えたら、それってどこの組織にも共通する話。日本の実情を調べる際に、そういうバランスを欠いた論文では許されないのに、海外のことであれば、特に英語圏以外では、まずは紹介が先なので、そのあたりは不問にされてきた。だが、いよいよ友人含め、北欧研究者が増えてくると、その先にあるかの国の「実態」と我が国のそれとの比較のまなざしが求められている。もちろん、それは僕自身とて例外ではない。

今回通訳をお願いした方も、こんな事を仰っておられた。「日本人によるスウェーデンの紹介は、時としてユートピア的になり、そうでなければ批判ばかりになる」。この発言は、まさに正鵠を得ている。バランスを欠いたワンサイドの見方では、誰も納得しない。良いものの中にも問題があり、悪いと見なされている事の中にも、そうではない部分もある。そのどちらにも目を配り、そこから何を抽出(=抽象化)できるか、が研究者に求められていることなのだと思う。

4年前の足跡を辿りながら新たな情報を入れていく中で、今回の旅では、そんなバランス感覚の大切さ、を改めて実感していた。

そうそう、ブログを終える前に、表題にかいたことにも触れておかなければ。
いつもお世話になっているM先生から、前回のブログを拝読され、こんな書き出しのメールを頂いた。

「ブログを見る限り、『あわてんぼーのサンタクロース♪♪』のような感じで現地に行かれたようですが、ヒアリング自体は有意義なようで何よりです。」

コペンの空港ではトランジットでたっぷり時間があり、4時間分のワイヤレスインターネット代金を払ってしまったので、グーグルで今、ひいてみたら、こんなyou tubeの映像に出会った。イヤホンをヨーヨーマによるバッハの無伴奏チェロ組曲を奏でるipodさんからレッツノート君に差し替えると、こんな楽しげな歌詞が飛び込んできた。

「あわてんぼうの サンタクロース
えんとつのぞいて おっこちた
あいたた ドンドンドン
あいたた ドンドンドン
まっくろくろけの おかお」

確かにそうですね。今回は出国前があまりにドタバタしていたので、「えんとつのぞいて おっこちた」かのように色々忘れ物もしたし、まあ大変だった。でも、帰国する直前の今の気分は、この歌詞の最後のフレーズに託することができそうだ。

「あわてんぼうの サンタクロース
もいちどくるよと かえってく
さよなら シャラランラン
さよなら シャラランラン
タンブリンならして きえた」

スウェーデンだけでない、いろんな現場は何度も何度も「もいちどくるよ」と訪れなければ、その本質はわからない。でも、どうせ戻ってくるのなら、帰る際は「シャラランラン」と「タンブリンならして」楽しく消え(=日本に帰り)たいよね。時差ぼけも1週間たってようやく直ってきたようだし(=日本でまたしんどいのだろうけど)、せめて気分はるんるんと、日本に戻ることにしよう

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。