大著に刺激された連休最終日

 

連休最終日の今日も「スーパーあずさ」の中。今日は甲府から新宿の上り列車は満席だったので、指定席を取っておいた価値があったが、帰りのこの列車は指定席も自由席もガラガラ。ならば、自由席にしておくべきだった。とはいえ、連休中の混雑具合をよくわかっていなかったので、連休中の列車は全て指定席を取る。27日から確か明日まで「あずさ回数券」は使えないのだが、その間、27日は国の会議で、29日は打ち合わせ、1日と今日5日は勉強会で、都合4回も東京に向かう日々だったので、回数券が使えないのは痛い。だって、指定席をとったら、2往復で16000円超え。ちなみに回数券は6枚綴りで16800円。細かい話で恐縮だが、でも1往復分が安くなるのは、僕にとっては大きな違い。連休中は出費多端でございました。

だが、文字通り自腹を切っても今日の勉強会は価値があった。今日の勉強会のネタは、全部で485ページある大著であり、全米障害者運動の軌跡という副題が付けられた『哀れみはいらない』(シャピロ著、現代書館)。著者のシャピロ氏はジャーナリストだけあって、広範な取材に基づきながら、インパクトのある見出しと引きつける内容で、読者をグイグイと引き込んでいく。以前のブログで我が師匠大熊一夫氏の名言「文章は省略と誇張だ」を紹介したが、まさにそのジャーナリスト魂が籠もっている大作である。この本は原作が93年、翻訳が出たのが99年と10年前の本だ。僕自身、7,8年前に読んでいて、その時も感動しながら読んだが、今回再読して、以前は全く読めていなかった事に改めて気づかされた。以前に何が読めていて、どこを読み落としていたのか、という事に触れながら、この本やそれをダシに展開された今日の勉強会の議論を振り返ってみたい。

例えば第一章からして、なかなか刺激的なタイトルである。「ちっぽけなティム、超がんばりやのかたわ、そして哀れみが終わるとき」。いきなり放送コードに引っかかる文言が飛び込んでいく。ポリオ撲滅運動に使われた「ポスターチャイルド」の障害者自身のエピソードから始まるこの章では、慈善や哀れみの対象としての障害者から、障害者像がどのように変容していったか、をインタビューやエピソード紹介を通じて掘り下げていく。その例として出された「テレソン」は、日本の某局が行っている「24時間テレビ」のモデルになったチャリティー番組である。洋の東西を問わず、スタート当初は「かわいそうな障害者」という取り上げ方をされていたが、そこから「障害を持ってもそれを克服しようとする障害者」、そして今では「障害がある人でも社会参加を」という風に取り上げ方が変わってきている。その背景に、障害者自身の固定観念との闘いや権利獲得運動が密接に結びついている、と整理してくれる。

ここからは、ネガとポジの両方の議論で盛り上がっていた。「障害者をこういう風に扱って欲しくない」という抗議運動と、でもそうすることで差別が隠蔽されてしまう、という論点である。障害のある人とのおつきあいがほとんどない人にとって、障害者のイメージは良くも悪くもテレビなどのメディアを通じての出会いになる。そこで例えば精神障害者を「わけのわからぬ殺人者」のようなステレオタイプで描くドラマがあるとすると(実際にいくつもあったのだが)、そういうイメージが強固なものになる。だが、国民的アイドル時代の酒井法子が手話を使っていたドラマによって、聴覚障害者の理解がかなり進んだ側面もある。どちらにせよ、テレビというメディアはイメージの増幅器の為、うまく使えば普及啓発に、逆方向では差別偏見に、大いに「役立つ」装置である。一方、この章のタイトルにもある「かたわ」をはじめ、障害者関連の幾つかの用語は「放送禁止用語」として登録され、実際にテレビに出てこない。このあたりは森達也の『放送禁止歌』に詳しく書かれているが、こういう「言葉狩り」をする事によって、差別が解消されるどころか、むしろ言葉を使わないことによって何となく議論を誤魔化し、差別の実態と正面から向き合わない事態が生じていることも、また、事実である。一方で、マスコミの取り上げ方次第で、「哀れみの対象」にも、「社会参加している普通の人」にも、パラリンピックの日本代表のように「一流選手」にも取り上げ可能だし、「放送禁止コード」でそもそも「無かったこと」にされる事も可能であるのだ。

実はこの研究会には障害者支援の中間組織NPOの関係者もいたので、そもそもNPOのアドボカシー側面や、そこにおける広報戦略に、議論が飛躍していく。障害者のことをもっと知って欲しい、という普及啓発をするにあたって、これまでNPOの宣伝戦略は下手くそではなかったか、と。例えばアートやメディア、広告代理店などのPR戦略のプロときっちりと障害者NPOが連携出来ていたか、と。今、NPOのパブリシティ戦略を支援するNPOも出始めているが、そういう広報や宣伝などのイメージ戦略にどれほど障害者NPOが自覚的であるか、も問われているよね、と議論が展開する。当日体調不良で不参加だった、アートにも造詣の深いHさんが、そういえばそういう視点の重要性を訴えておられたことを思い出す。このあたりは、僕自身の勉強課題でもある。

で、全章をこの感じで紹介するのは時間がかかるので、特に議論がふくらんだ章をあと1つ2つ、ご紹介する事にしよう。

4章「障害者の公民権確立に尽くした『隠れ軍隊』」では、差別禁止法である「障害を持つアメリカ人法(Americans with Disabilities Act: ADA)が90年に成立するまでに、いかに多くの障害当事者だけでなく、民主・共和双方の議員や、彼ら彼女らに説得するロビースト、弁護士などの多様なステークホルダーが動いてきたか、という事についての物語が展開される。実はこのADAの興味深い点は、共和党政権のパパブッシュ時代に、与野党の賛成多数で成立した、という点である。その際、次のような戦略がとられていたのは興味深い。話はADA以前の共和党レーガン政権時代、ADAの前身とも言われた、公共施設への障害者アクセスの義務づけをしたリハビリテーション法504条の履行を巡る闘いを巡るエピソードである。

「ブッシュ副大統領との交渉の場で保守派のレトリックを使った。障害者は自立を求めている。福祉による依存から脱却して仕事を得たがっている。行政からのパターナリスティックな援助はいらない。こう言った。(略)ブッシュの目からうろこが落ちたのは、今の障害者は従来の利益集団のように官僚を説き伏せて言いなりにさせることを求めていない、自分たちの力を付けたい(セルフ・エンパワーメント)のだと言われた時だった。」(同上、p180-181)

実はこのことは、ADAが施行後のほぼ20年間の動きをフォローした本にも、次のように書かれていた。

「アメリカの障害者権利獲得運動のレトリックの多くが、自分を恃むこと(self-reliance)や自立(independence)などの極めて保守的な用語に焦点化されているし、ADAは年々強まりつつある福祉(削減)改革を求める政治状況の中で採択された。障害者の権利獲得運動は革新的な目標を持っていたが、そこで使われたレトリックは伝統的な正当性をもって保守派に訴えかけるものが使われた。」(Bagenstos “Law and the contradictions of the disability rights movements” Yale University Press)

アメリカの障害者権利獲得運動が、ADAという形で差別禁止法を、世界に先駆けて90年に生み出す土壌に、アメリカらしい開拓者精神に適合的な「自分を恃むこと(self-reliance)や自立(independence)」というレトリックが用いられた事。それが「福祉による依存から脱却して仕事を得たがっている。行政からのパターナリスティックな援助はいらない。」という独立独歩の思想に結びつく形で展開されたこと。こういう保守派も納得するフレーズが使われた点が大きかった、というのも、読んでいて興味深い点だった。ただ、Bagenstosの本では、その後のADAの展開がうまくいかない理由として、最高裁判所がこの法律の効力を弱めた事に加えて、ADAだけでは何ともならない問題、を指摘している。このに関しては、例えばパーソナル・アシスタントや移動支援というような、職場にたどり着く前の身辺介助や移動手段の確保は福祉領域の問題であり、その部分が差別禁止法で解消されず、むしろ90年代の財政赤字と福祉削減の潮流の中でより厳しい状態に追い込まれ、障害者雇用率が格段に進まなかった事を指摘している。

おそらく、我が国に議論を引きつけるなら、障害者に対する差別を禁止する法律だけではなく、スウェーデンのように障害者への福祉サービスを権利として保障するサービス法が求められている、と整理出来るだろう。今、内閣府が設置した障がい者制度改革推進会議において、親会では差別禁止法とサービス法の双方が議論され、先月から後者の内容を集中的に議論する総合福祉法部会も設置された。僕自身、その部会の委員にも就任したので、上記の議論はとても他山の石には思えない。もちろん「自立」は大切だが、経済的自立やADLの自立以外にも、自立生活運動が提起した「自己決定・自己管理の自立」がある。この「自己決定の自立」は「行政からのパターナリスティックな援助はいらない」という議論に適合的だが、でも、それだけを言うと、自己決定や自己管理が苦手な当事者はどなるのか、という議論につながる。このことについて、以前ある教科書の中で、こんな風に整理した事がある。

「これまで自立生活運動の流れを汲んだ新しい自立観について見てきた。だが、「自己決定」にハンディのある障害者もいる。重度の知的障害や精神障害のいずれか、あるいは両方ともがある人など、「自分で決める」ということについても、不可能ではないが、多くの支援が必要だ。例えば24時間介護が必要で、かつ言語的コミュニケーションが難しい重症心身障害児(者)と呼ばれる方々の地域自立生活支援においては、その方の快不快を支援者が読みとった上で、その方の最適な生活を組み立てることが必要とされている。このような重度な障害を持っていても、その地域でその人らしい個性を持ち、尊厳を持って暮らせるように支援していく、という「個性や尊厳の自立」の支援も大切な課題である、といえる。」(竹端寛「障害者福祉の理念」『シリーズ基礎からの社会福祉 障害者福祉論』ミネルヴァ書房)

「自己決定の自立」だけが重視されると、その「自己決定」やコミュニケーションによる選択の指示が苦手だったり出来なかったり聞き取りづらい人の意見はないがしろにされるおそれはある。アメリカの障害者福祉のダークサイドは、そういう人がナーシングホームに閉じこめられていて、そこから出てこれない、という「幸・不幸の分水嶺」(第10章)がある。それは保守的な「自立」思想ともある意味結びついているADAでは解消出来ない部分でもある。そこで、「自立」の4つめの柱として、「個性や尊厳の自立」という柱を立ててみたのである。ついでにいうと、この「個性や尊厳の自立」については、北野誠一先生の議論に引き寄せながら、以下のようにも整理してみた。

「「自立生活支援モデル」について北野は「身体障害者が『やりにくい時』だけでなく、知的障害者や精神障害者が『分かりづらい』時に、支援者による障害者の個性と関心に基づいた情報提供や情報解説によって、本人の自己意志や自己選択が表明できるまで支援を活用すること」と述べている。これは、「自己決定」にハンディのある障害者への支援、という点で、「個性や尊厳の自立」と同じである、と言えよう。」(竹端、同上)

おそらく「個性や尊厳の自立」を射程に入れた際、ADAのような差別禁止の法制度でカバー出来る部分と、それとは別の福祉分野でのサービス法による支援の双方がくっつかないと、うまくいかない。「福祉からの依存の脱却」の論理だけでは生活出来ない重度障害者の事を見据えたシステム検討が強く求められている。この本を読みながら、改めてそのことを感じた。

こう書いていたら、既にいつもの文章量の倍になってしまったので、今日はこの辺で。とにかく、様々な論点を触発させられる大著だった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。