日常世界の蓋を開ける

一昨日、ある本をきっかけに、ツイッターに連続書き込み(連ツイ、なんて言っていますが)をしていた。こんな感じだった。
takebata1/29 11:59
『影の現象学』を読み終える。道化論を読んでいて、1年半前、僕もバリのバザールで道化に出会っていた、と気づかされた。あの頃から、僕の中で「影」が胎動し始め、少しずつ抑圧の水門から漏れ出て着始めた、と考えると面白い。ちょうど合気道にはまり、心身二元論の殻の限界を感じていた頃でもある。
takebata1/29 12:02
僕にとっての「影」とは何か? 何に光をあて、何を置き去りにしていたのか。その事を、他者の光と影の分析物語を読みながら、ぼんやり考えていた。村上春樹は河合隼雄とはおしゃべりはするけど、彼の著作は読まないと断言していた。確かに、大変よく似ているが故の、直感なのだろう。
takebata1/29 12:06
正月休みに「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読み直していた。影を無くした世界と、暗闇で闘う二つの世界の交錯物語。これは「影の現象学」と重ね合わせると、大変味わいの深いテーマである。どちらがよい、のではない。どちらの道を辿っても、漸近線に到達する良さなのだ。
takebata1/29 12:08
実は、僕は村上春樹全作品の中で、今まで「世界の終わり…」が一番苦手な作品だった。その世界に入り込みにくいと感じていた。「ねじまき鳥…」に訳も分からず埋没していたのとは、対称的だ。だが、「影」について今回考える中で、今だからこそ、ようやくあの作品と向き合えるようになった、と感じる。
takebata1/29 12:11
アクセルを踏み続け、七転八倒してきたのが、20代後半から30代前半だった。一筋の光を求め、影を封印してきた。ようやくうまく回転し始めた後になって、自分の中での空虚さが見え始めた。それが「影」の主題化だったのかもしれない。そして、影と共に生き始めると、違う味わいを感じ始めている。
takebata1/29 12:14
20代を思い出すと、モノクロで単調な印象しか残っていない。それはそれで必死だったのだろうけど、この二年ほどの鮮やかさとは、違う感じもする。あるいは、実はその頃こそ、暗闇の真っ直中にいたのかもしれない、とも思う。今、潜り終えたから、客体化して見れるようになったのかも。
takebata1/29 12:18
善と悪、光と影、天と地…単純な二項対立にすがり、正義の審問官の立場を求めると、息苦しい。両者を認識し、そのバランスを体感的にとりながら、どう自分の中で育んでいけるか。そろそろ、自分の風向きも変わってきたのかもしれない。
『影の現象学』とは、河合隼雄氏の講談社学術文庫に収められた名作。この間、割とフーコーや現代思想に関係する本を読んでいたので、何となくバランスを取りたくなって読み始めた。その中で先述のトリックスター=道化論が大きなフックになったのだ。
バリ島に初めて出かけたのは、2009年の9月。数年前から沖縄や台湾などのアジアに急に興味を持ち始め、昔出かけて良い思い出が無かった奥さんを説き伏せて、バリ島に出かけたのが、丁度1年半前。かなり奮発して高級ホテルに泊まっていたのだが、道化にあったのは、バリ島の中心地、デンパサールの市場。突いて2,3日目で、まだ土地勘もバリの流儀もわからず、かつ疲れていて、暑い市場。地元の人ではない人はあまり見変えない、ディープな場所。そこに、奴がいた。
「気を付けて!」
ゴミゴミした街にグッタリしていた僕に、妻の鋭い一言が投げかけられる。何ごとか、と思ってみてみると、ナップサックのチャックが半分開いている。そして後ろを振り返れば、奴が居た。袖半ズボンで、にたにたしている、「住所不定無職」という言葉がピッタリ似合いそうな同世代風の男。変な声をかけながら、後ろからブラブラついてくる。非常に鬱陶しくて、またすられかけた事に腹も立って、とにかく妻と歩き続けた。すると、ずっと笑いながら、マニー、なんて声をかけながら、着いてくるのだ。更にうちの奥さんが振り返って厳しい目線をかけたら、物陰に隠れて、いないいないばあ、みたいな事もしてくる。呆れてものも言えず、とにかく止まらず歩いて居た。彼は地元のごろつきとしては知られているようで、途中、市場のオバサンに「こら、何しとるかぁ」みたいな現地語で怒られている。でも、我知らぬ顔で「こんちわ」なんて言っている。そんな「奴」だったのである。それが何故、道化だったのか。
「影の現象学」においては、山口昌男のトリックスター論に依拠しながら、道化の現れるカーニバル(=市場)という祝祭空間とセラピールームの共通性について、次のように整理している。
「それは『開かれた世界』であり、人々の『自由な接触』を可能として、そこでは誰も『平等、または対等』であり、人や物が常に移動する『流動性』が存在する。そこで人々は所有物を手放したり、獲得したりする『変貌』を経験し、そこに生じる増幅された声、音、笑いなどは『非日常』のイメージを喚起する。そして、『これらのイメージが分かちがたく融合されて、市場の『象徴性』が成り立つはずであり、それは日常世界を支配する<分けられた><距離感を主軸とする><固定的な><変わることのない>生の形式と対立するはずである」(河合隼雄『影の現象学』講談社学術文庫、p222)
僕が出会ったごろつきが、単なるスリか道化なのか、という真相は、むしろどうでもいい。それより、その時には単なるグッタリする思い出にしか過ぎず、忘れていた何かを、河合氏の著作を通じて、新たに再解釈した中身の方が、僕にはアクチュアリティのある面白さだ。つまり、僕はバリ島で、カーニバルに出かけて道化に出会い、セラピールームの如き変容の過程にいた、という仮説を立ててみると面白いのではないか。それが、上記の連続ツイートに繋がっていく。
2009年と言えば、肩書きが准教授に変わった後でもある。気持ちは大学院生の自分にとって、何だかしっくりこずに、またその立場にも慣れていないのが正直なところであった。また、その一方で、世間的な肩書きは増え、社会的な仕事も増えていく。「対等」「平等」な仲間との付き合いよりも、「先生」と言われる機会も増えていった。自分の中で様々な何かが固着し、流動性を失い、このまま静かに沈殿していくのではないか、という無意識の恐怖を感じていたのかもしれない。それが、バリに行く少し前に始めた合気道でもあった。上記で少し書いたが、合気道では、先生として敬われることもなく、一初心者としてリセット出来る。毎回練習する技が、なぜ、どうしてそうなっているのか、さっぱり分からない。バンバン投げられる。でも、それがなぜだか気持ちいい。そうそれは、<分けられた><距離感を主軸とする><固定的な><変わることのない>日常世界では味わえない、ある種の非日常性だったからではないか、と今なら感じる。
その中で、日常世界を大過なく過ごすために抑えつけていた蓋を開け、心の中での「流動性」を取り戻し始めたころだからこそ、バリではそれとは気づかずに道化に会い、また少しずつ「変貌」もし始めたのかも知れない。そう言えば、と思って、その時のバリ島の記録を今、検索をかけて見直してみて、笑ってしまった。山口昌男も村上春樹も、ちゃんとバリ島で読んでいるのである。繋がっていますね。
あと、村上春樹の事をツイッターで書いていたので、彼の該当部分も探し出してみた。
「僕は、ユングの著作ってほぼ読んでない。ただ僕が物語という言葉を出したときに、それをいちばん正確に受けとめてくれるのは、やっぱり河合(隼雄)先生かなという気はするんですよ。僕は、河合さんとは難しい話はほとんどしないんです。会ってもバカ話ばっかりしてるんだけど、ときどきふっと『物語』という言葉が出てきて、あ、この人、僕の考える物語っていうのがどういうものなのかをちゃんと知っているんだなという風には思いますね。そういうのがあんまりわかり過ぎちゃうとまずいと思うから、あんまり話さないようにしているんです(笑)」(村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』文藝春秋 p108-109)
また、昨日出たばかりの彼のエッセーを集めた本の中にも、こんな一節が載っていた。
「僕は何度も河合さんにお目にかかって、話をしているんだけど、本当に核心に突っ込んだ話をしたことはなかった。『そういう事を話すのは、もう少し時間を置いた方がいいだろう』という気がしたから。しかしそうしている間に河合さんは病を得て亡くなってしまわれた。本当に残念です」(村上春樹『雑文集』新潮社 p320)
村上春樹と河合隼雄といえば、一冊だけ短い対談を『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫)という形でまとめている。だが、その本では、確かに物語論の入口はあっても、あくまでもイントロダクションで終わっているような気がしていた。もちろん、お互いがその「物語」の深淵について、少なからぬものを共有していながら、『そういう事を話すのは、もう少し時間を置いた方がいいだろう』という直感が、それ以上の二人による共通の井戸掘りの可能性の機会は、遂に訪れないままとなってしまった。
そこで、僕が勝手に想像する二人の「物語」論の共通性について。両者とも、単純な二項対立や、システムという名の日常性を重視していない。村上春樹の小説は、現実という表層のすぐ下に、恐ろしい魑魅魍魎や純粋な悪の世界が跋扈していて、たまたま開いた裂け目から、その悪に引きずり込まれた(=召還された)「僕」が、それとどう闘っていくか、を主題にした内容が多い。これは、河合隼雄氏が「影の現象学」で述べていた、夢の中でどのような事が主題化され、それが生きている日常世界と、その本人の中でどう繋がっているのか、についての考察と共有する部分が高い。共に、自分がコントロール出来る範囲の自我だけでなく、その背後に拡がる広大な自己の世界を描くため、負のエントロピーの高い統制されたシステム的物語からは、かなり逸脱している。だが、それだからこそ、太古の神話性とも共通する普遍性が高く、両者とも日本語話者以外の広い世界でも読者を獲得している、とも言える。つまり二人とも、日本語というエクリチュールに依拠しながらも、その文体や話法に限定されない普遍の深みに、物語という方法論を通じて降りたっているのではないか。
さて、この考察が正しいのかどうか、はわからない。だが、村上春樹と河合隼雄の両氏は、膨大なテキストをアウトプットしている。村上春樹氏は、これからも出し続けてくれるだろう、と、ファンとしては期待もしている。だがその一方で、僕は二人の物語論を受け、僕自身が抱く影や悪、システムについて考えながら、自分なりの物語を描き出せばいいんだ、と少しずつ思い始めている。偉大な二人の先達から受け継いだ(と勝手に思いこんでいる)バトンを、僕という個性を通じて、どういう形で表現していけばいいか。それを、いつまでも先達に甘えているのではなく、自分ならどう書くか、を考えたいと思い始めているのだ。
日常世界を大過なく過ごすために抑えつけていた蓋を開け、心の中での「流動性」を取り戻し始めて、はや一年半。日常世界と少しずれたところで、沢山の事を感じ、考えてきた。それが、少しずつ、シントピカルに繋がっている。また、関連性を、自分の中で見出す中で、今、この本と出会う意味や必然性(=妄想?)が、以前より強まっている。
連ツイの最後の言葉が、今日の締めくくりにもピッタリだ。
「そろそろ、自分の風向きも変わってきたのかもしれない。」

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。