風が吹き始める (枠組み外し その3)

シンクロニシティという言葉は、自らのアイデンティティが固着する以前には、割と好きだった。

10代の終わり頃、ユングや河合隼雄の著作を読みかじる中で、ある布置状況の中での意図せざる同期性の妙味に、何となく心惹かれていた。だが、大学院生で、社会問題としての精神病院という研究テーマに取り組みはじめた頃あたりから、精神分析系の本も封印する。精神病院の構造的問題と、そのオルタナティブとしての地域生活支援とは何かを、フィールドワークを通じて考える、という研究スタイルを確立する上で、現場で生起している事を追いかけるのに必死で、それを生半可に分析するのはまずい、と思っていたのかもしれない。あるいは、社会構造の問題(障害の社会モデル的分析)を安易に個人化する(障害の医学モデル的解釈の)愚を犯しそうだから、封印していたのかもしれない。とにかく、シンクロニシティという言葉は、院生になって以後、10年以上は封印していたフレーズだった。(そして、今から思うと、これも一つの呪縛というか、後述する魂の植民地化の一つだったのかもしれない。)
このシンクロニシティという言葉が、2010年3月というタイミングで、突如、ありありとした実感(アクチュアリティ)をもって、迫ってきた。あまりに沢山のことが、たった数週間のうちに起こり始め、自らの暗黙の前提という枠組みが、竜巻に飲み込まれていった。
香港から帰った数日後、今度は学会のために、京都に出かけた。自分の発表と理事の仕事以外はサボろうと思っていたのだが、なぜか自分の発表とは全く関係ない、中国における環境問題についての、ある人のスピーチだけが、すごく気になった。そのときのアクチュアリティについては、帰りの列車の中で興奮しながら書いていたブログの一節を、少し長くなるが引用する。
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この旅で大きな収穫だったのは、「魂の脱植民地化」という言葉に出会えた事。阪大の深尾先生の研究発表の中で、環境問題も社会的な文脈のコンテキストの中で読み込まねばならない、という議論に興味を持ち、懇親会で質問していたら、出てきた。まだ、ちゃんとその言葉を理解している訳ではないので、あくまで印象的感想しか書けないのだが、私たちのパースペクティブや行動は、テレビや習慣、「○○すべき」という規範など、様々な外因性のものに「植民地化」され、情報化が進む中でその「植民地化」と個々の「植民地」の隔絶度合いが、個人の中である種の解離状態を引き起こすくらい、深刻なものになっている。しかも、その「植民地化」された状態について個々人が無自覚なので、何だかしんどさを抱えながらも、解離状態に気づかない。自身の「植民地化」された状態に気づけなければ(相対化出来なければ)、当然の事ながら、他の類型の「植民地化」された状態にある人の事も理解出来ないし、ましてや態度変容を迫る、なんて事は出来ない。少しアルコールが入った場面で先生の話を聞きながら、そんな風に解釈してみた(だから、この説明は完全に僕の読み込みである)。
そして、昨日から、この「魂の脱植民地化」というフレーズが、頭の中でワンワン鳴り響いている。そう、僕自身の「魂」の「植民地化」とは、以前書いていた、香港で相対化し始めた、「目の前の一点にしかすぎない」「明晰さ」への固執につながるのではないか、と。また、それを穿つ<明晰さ>とは、見田宗介氏によれば、「生き方を解き放つ」、固着された自分自身の視点から普遍的な世界へと開かれた「窓」であり、それが「魂の脱植民地化」ではないか、と。
別に他責的に「誰かに乗っ取られた」という意味で、「植民地化」と使っているのではない。そうではなくて、自分が納得して、その通りだよな、と思いこんでいて、かつ「自分らしさ」と思いこんでいる、自分の中での支配的な言説なり視点なりの少なからぬ部分が、ストックフレーズや手垢にまみれた思想の焼き直し・刷り込みに過ぎないのではないか、ということである。しかも、それを主体的に選び取った、と思いこんでいるけど、どこかで「選び取らざるを得ない」場面に構造的に追い込まれていませんか、とも、この「植民地化」から読み取れる。
深尾先生は、中国の黄土高原での砂漠化と、その対策としての植林を例に挙げ、人為的に砂漠化し、その反転として植林しているけど、そのどちらにも、「自然のご都合」というものを無視した「人為的な良きこと」が支配的に流れていて、それって結果的には「不自然」ではありませんか、と仰っている(ような気がした)。この場合、「魂の脱植民地化」とは、人間のあれやこれやの思惑・都合に「植民地化」されるのではなく、「自然のご都合」を考慮の対象にして、計画的植林ではなく、里山的な「自ずから」の世界を大事にする、というメタファーが当てはまる、と僕は受け取った。整然と規格化され、雑草抜きまで暑い中している植林地は、結果的に自然の快復力を奪っていませんか、と。
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「魂の脱植民地化」という語に、ダイエットは無理という体重の「植民地化」そのものの呪縛から解き放たれつつある、まさにそのときに出会ったことに、共時性(シンクロニシティ)を感じざるを得ない。かつ、単に共時的なだけでなく、この新たな枠組みで眺めてみると、自他の多くの固着した現実が、「植民地化」として見えてきたのだ。そして、その先にある「魂」のアクチュアリティについても。
そのことについて、一つ一つ書いてみよう。
また、しつこく体重の問題に戻る。
以前僕は、「食べ過ぎて、胃薬を飲む」というサイクルを繰り返していた。「食べる前に、飲む」というコマーシャルも、何の不思議もなく眺めていた。子どもの頃、夏休みなどは外に遊びに行かず10時間くらいテレビに齧り付いていた元「テレビ少年」の中では、コマーシャルで流されていた内容を、所与の前提と受け止めている節があった。
だが・・・。食べ過ぎて、胃薬を飲む。このサイクルは、そもそも「食べ過ぎ」という身体への介入を押さえる為に、「胃薬」という対処療法を人為的に行う事を指す。さらには、「食べる前に(胃薬を)飲む」というのは、食べ過ぎて苦痛を引き起こすという生起しつつある事態への方法論的介入である胃薬を事前予防的に
投入する、ということである。これは、方法論の自己目的化ではないか。これは砂漠化と無茶な植林の結果、黄土高原が結果的にやせ細っていったのと同じ帰結を人体にもたらさないか。そもそも、製薬会社の「必要以上の儲け」のためには、不必要な薬の需要が必要であり、「食べる前に飲む」とは、その目的と方法の転倒なのではないか。そして、その方法論の自己目的化されたコマーシャルをずっと見続けている中で、「食べる前に胃薬を飲む」ことに違和感を抱かないこと自体、製薬会社やテレビ局の枠組み(アジェンダ設定)の内面化であり、魂の植民地化を唯々諾々と受け入れることではないか、と。
このプロセスがありありと実感できはじめた時に、深尾先生から、ご一緒に研究されている東大の安冨先生の主催される研究会にお誘い頂いた。そこで話されていた内容もあまりに私自身に刺激的だったが、その後、安冨先生も引用しておられる次の本を読んでみて、目が点になるようなフレーズが飛び込んできた。
「私はたくさん食べます、消化不良になります、医者のところへ行くと、錠剤をくれます。私は治ります。またたくさん食べて、また錠剤をもらいます。こうなったのは薬のせいです。もし錠剤を使わないとしたら、消化不良の罰を受け、二度と過食しないようにしたでしょう。医者が間に入ってきて、過食を助けてくれたのでした。それで身体は楽になりましたが、心は弱くなってしまいました。このようにして最後には、心をまったく抑えられないような状態になってしまいました。」(ガーンディー『真の独立への道』岩波文庫、p78)
まさに「心をまったく抑えられないような状態になってしまった」私自身の姿が、そこには記載されていた。いつの間にか、「身体は楽になりましたが、心は弱くなってしま」っていたのだ。胃薬を飲んで自分自身で食べ過ぎ(=過食)のコントロールを自発的に行っている、と思い込んでいたが、事態は正反対だった。過食の苦しさを十二分に経験した上で、食べ過ぎしないという身体のリズムを作るのが健全なる魂とするならば、そこから逸脱して、薬という方法論に安易に依存する事によって、身体と魂のリズムを仮の安定に導く。つまりは目的と方法の転倒であり、魂の植民地化、ひいては胃薬の「麻薬化」や胃薬への「依存」にはまり込んでいたのである。
この3月の度重なるシンクロニシティの中で、僕の中で固着していた窓は、完全に穿たれた。それまで窓の外の世界を、自分とは関係のない別の世界だと感じ、自分なりの「明晰」な世界に自閉的に満足して、窓の外は見ないようにしていた。だが、2010年の2月末から3月にかけてのめくるめくシンクロニシティの重なりの中で、窓を眺める位置が反転していた。気づけば、開いた窓から風に誘われて、窓の外に出ていたのだ。
深尾先生からは「過剰摂取による『智恵熱?』にお気をつけになって」とアドバイスされていた。確かに、この3月は、智恵熱、というか、自己の枠組みというリミッターが外れてしまって、竜巻の中に巻き込まれたような、どこに行くかわからない存在論的な不安と共に、何かが始まる予感のようなものが、感じられていた。
そしてそこには、因果論に支配されたそれまでの私の枠組み(=信念体系)とは別の、しかしよりアクチュアルな世界が開けていた。この別のアクチュアルな世界にたって、魂の植民地化問題を眺めてみると、実は僕が関わる福祉の世界にも、沢山の呪縛や思い込みが支配していることにも、少しずつ気づき始めた。
(たぶん、つづく)

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。