個性化への道

2週間ばかり、ブログの更新が止まっていた。
連休明けの週末から週明けにかけては、大阪や三重の現場で、研修をしたり、議論をしたり、の外回り。一方、先週末から今週の冒頭は、今取り組んでいる単著の書き直しに没頭。そして、平日は大学の講義もあるし、今年から学内委員会の委員長になってしまったので、その学務の段取りや仕込みもある。とかく、いろいろ忙しい。
だが、そうやって日々動き、考える中でも、とくに今の時期は、自らのあり方を捉え直す時期なのだと感じている。たとえば、個性化について。
何を今更、個性なのよ、と言われそうだ。そんな、くよくよ悩んでいるのですか、と。
いや、そうではない。自らの個性化への道に、素直に向き合いたい、とようやく思うようになってきた、ということだ。
以前のブログで、福田和也氏の本に出てきた「やりたいこと」「できること」「世間が求めること」について、取り上げた。久しぶりに自分が2年前に書いていたブログの内容を読み返して、この2年での変化を感じている。2年前の段階では、「世間が求めること」に取り組むこと、そして「できること」のレパートリーを広げること、に必死になってきたのだが、それだけでいいのだろうか、と疑問を感じ始めた頃だ。もちろん、自らの技芸を磨くことは大切である。また、対価を頂く仕事として、その品質を保つことは社会人として当然の責務である。だが、その一方で、技芸を磨き、責務を果たすだけでは、常に「他者」という評価軸を意識していることになる。その「他者」軸に依拠し続けることに、何だか閉塞感というか、苦しさというか、そういうものを感じ、それを乗り越える為にどうすればいいのか、もがき始めたのが、ちょうどこの2年前という時期であった。
そして、今更ながらだが、個性化についての古典の中に、自らのプロセスが見事に言語化されている一節があった。
「個性化とは、まさに人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすことになるのである。というのは、個人の特性に十分な配慮が払われれば、それが軽視されたり抑圧されたりしたときよりも、より大きな社会的功績を期待できるからである。すなわち個人のユニークさとは、けっしてその実質や構成要素が変わっているということではなく、むしろ、それ自体は普遍的な機能や能力の組み合わせが、ユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っているということなのである。」(ユング『自我と無意識』レグルス文庫、九四頁)
そう、「人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすこと」としての個性化。それは、たんに「やりたいこと」をやるだけでは、僕の場合は恐らく達成できない。「できること」を広げ、「世間が求めること」に応え続けるなかで、少しずつ醸成されてきた何か、ともいえる。
大学の教員になって8年目になるが、去年あたりから、少しずつ変化していることがある。去年までは、講義において、ある程度確定的になった理論や価値観について、その背景知識も含めて説明していた。その際、それを説明なり解説なりする僕の価値観、についての表明はなるべく抑制的であった。僕自身の「押しつけがましさ」という限界は理解しているつもりであり、それが教育場面で逆効果にならないよう、様々な社会問題そのものを学生にぶつけ、そこから考えてもらい、対話しながら論点を深める、という形での講義を展開していた。
その際、学生さんにしばしば問われたことがある。それは、「一つ一つの講義で取り上げる素材は面白いけど、全体としてどう繋がっているのかわかりにくい」ということ、また、「先生はその問題についてどう思っているのか、教えてほしい」ということ。この2つは、何度も言われてきた。でも、敢えて言わない方がいいのではないか、と思い込んでいた。それが、先ほど書いた自らの「押しつけがましさ」に関してのわきまえである。だが、最近波長が少し変わってきた。それでは、学生を信じていないのではないか、と。僕が、「自らの価値観の表明だから、鵜呑みにしなくて良い」と宣言した上で、事実や理論と、自らの価値を分けて表明したら、学生さんにも誤解なく伝わるのではないか、と。
実際、そうしてみると、実に伝わる。昨年より、反応が随分よい。また、僕自身、講義で取り上げるひきこもりや自殺、認知症ケアやシングルマザー支援などについて、講義の最後に自分の価値や考えをしゃべってみると、実はこういう事を「語りたい」と思っていたことに、遡及的に気づき始めた。つまり、僕はこれまで教員として「できること」のレパートリーを広げ、学生に「求められていること」を伝えているつもり、になっているが、それと自らの「やりたいこと」を講義という枠組みの中でつなげきっていなかった。それが、自らの中で消化不良であり、学生さんにとっても不全感や消化不良として残っていたのではないか、と。
僕自身は、音楽や絵画、スポーツなどでの自己表現が得意ではない。ただその分、しゃべったり、書いたり、という表現方法を選んだ。いや、最初のうちは、それしか考えられなかった。でも、その書く・話すという表現方法においても、「できること」の幅を広げ、「世間に求められていること」に応える中で、いつのまにか、「やりたいこと」の追求がおろそかになっていた。そして、数年来感じていた閉塞感とは、この自己表現としての「やりたいこと」の追求が出来ていないことに起因する何かではないか、と感じ始めている。たとえばこのブログでの自己表現だって、読んだ本から考えた事を表明する、という意味で、「できること」の拡充の手段であり、そして、無意識に書く内容を「世間に求められていること」から逸脱しない範囲に勝手に自己規制している側面がある。そういう点で、「やりたいこと」としての自己表現から、随分逸れた中身になっていたと気づき始めた。
そして、昨年あたりから、講義や講演、あるいは書き物で、少しずつ、自己表現しはじめている。話したいことを話し、書きたいことを書く、というシンプルなことだ。すると、今までより評判が良くなってくるから、不思議なものだ。それは、僕の中で、「できること」と「世間に求められていること」の全体像がおぼろげに見えてきた上で、単にそれに応えるだけでなく、その上で、僕が表現したいことを付け加えようとしているから、かもしれない。それが、ユングの言う「普遍的な機能や能力の組み合わせが、ユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っている」ということなのだろう。そんなにオリジナルなことを書いても語ってもいない。だが、その「組み合わせがユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っている」ことに興味を持ってくださる方が、少しずつ増えてきている、のかもしれない。
すると、この個性化の過程、というのは、何もどんなブランドに身を包んで、とか、どういう思想に傾倒して、ということではない。むしろ、日々の暮らしの中で、「できること」の技芸を磨き、対話の中で「世の中に求められていること」の責務を理解し、それに応えながらも、その2つに埋没しないこと、を意味しているのだろう。そのうえで、自分なら、どのような「組み合わせ」と「分化」を選びたいか。この「したい」の本性を大切にし、この本性の流れに身を任せて、自己表現を続けて行く。それが、僕の場合はたまたま本業に近い、文章を書いたり、講義をしたり、で実現できそうだ。だが本業でなくても、土との対話、もの作り、山登り、絵や音楽、スポーツ・・・でも何でもよい。そういう自己表現の中に本性を落とし込むことができたとき、人は個性化の道をたどり始めるのではないか。
今朝起き抜けに「個性化の過程にいる」と感じた。その直観がどこまで文章に落とし込めたかはわからない。でも、僕自身、そんな個性化の旅に身をゆだねようと決意した。そういう自己表現を大切にしよう、と。今週末も、その創作期間に入ります。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。