時の精霊

2023年3月26日、娘のこども園の卒園式が開かれた。雨が降って春冷えの園内で、心暖まる素敵な卒園式に参加しながら、ぼくはクロノスとカイロスの二つの時間を考えていた。

クロノスというのは、昨日から今日へ、過去から未来へと客観的に刻む時のことを指す。一方カイロスは、主観的な時間であり決定的な「いま・ここ」という瞬間のことを指す。子どもたちは、この卒園式を少し緊張しながらも笑顔で過ごし、園の先生とわかれるのはさみしいけど、4月から始まる小学生に向けて、前途洋々な気分でいる。その一方、保護者や先生方は、子どもと共に作り上げてきた園生活が終わるのか、と思うと様々な思いがこみ上げてきて、あちこちで何度も涙を流し、鼻をすする音が聞こえる。ぼくも何度か涙を流し、胸が熱くなっていた。これからどんどん時間が早くなっている娘たち。一方、「いま・ここ」の時が永遠であってほしい保護者や先生たち。ここで、クロノスとカイロスが交差するのだ。

そして、これは5日前の3月21日に本番を迎えた卒園記念親子ミュージカルのテーマでもあった。「時の精霊」と題されたミュージカルのあらすじは、こんな感じだった。

「時間の無い国で、人々は毎日幸福に暮らしていました。ある日、広場の真ん中の大きな木の前でひとりの子どもが言いました。「この木、花が咲かないね」。そこで子ども達は魔法使いを訪ね、「木に花を咲かせる」方法を聞きます。魔法使いは、「やめておけ」と子ども達の願いを聞いてくれません。ところが、双子の魔法使いの妹ボタンが、子どもを弟子にすることを条件に、願いを聞き入れます。ボタンは、時間の扉を開いて、閉じ込めていた時の精霊クロノスを解き放ってしまいます。やがて、時間は動き始め、木に花が咲きました。しかし、クロノスは暴走し、時間はますます早く動いて、花は枯れ、大地は荒れ果ててしまいました。人々はその国に住めなくなり、散り散りに別れていきます。「貧困」や「争い」に巻き込まれた人々は、放浪を続けます。やがて、子ども達が平和な国を取り戻すため、立ち上がります。」

娘がこども園に入った3歳の頃、大混乱の最中だった。そもそも娘は、親と離れることに不安が高まっていた。しかも、2020年春はコロナ危機のせいで臨時休校になり、出鼻をくじかれた。そんな情勢で、親も相当緊張感が高く、それが娘にも伝わって、娘は園でじっとしていず、ギャアギャア言って、一人で座っていられなかった。それは、今から思えば、命がけのSOSの表現だったのかもしれない。全身で「苦しいこと」を表現しようとしていた。でも、親も子どもにどう関わってよいかわからず、親子三人の「苦しいこと」が続いていた。

だが、娘が通ったこども園では、大人が全力になって「子どもの成長を止めるな」を合い言葉に、コロナ下でも、出来る限りふつうに子どもと接してくれ、子どもの遊びを保障してくれた。コロナ下でも夏祭りは近所の山から竹を切り出して櫓を組んだし、運動会では子どもたちが一枚一枚クレヨンで描いた重い万国旗がはためていていた。8キロハイキングやマラソン大会など、親も一緒に出場する行事も多く、四季折々のイベントもあった。日々の基本は毎日園庭でサッカーや泥遊びに興じ、ダイナミックに遊び続けていた。先生方は、娘の不安をしっかり受け止め、娘の可能性を沢山見いだし、応援してくださった。そんな環境の中で育ったおかげで、娘は安心してエネルギーを発散することができ、大混乱はいつの間にか鎮まっていった。時間の無い国で、娘たちは毎日幸福に暮らしていた。

そんなカイロスの時間を二年経て、娘は混乱期を超え、少しずつ落ち着いて、園での生活に安心感を持っていった。そんな心の拠り所が出来たあと、小学校との移行期にあたる年長組あたりから、意識的にこの園では時間の扉を開き、カイロスではなく、閉じ込められていた時の精霊クロノスが解き放たれるように、一気に時間が動き始める。年中組までの緩やかな雰囲気とは一変して、年長さんとして年下のお友達のお世話をし、小学校に向けて数字の書き取りやクロスステッチ、サッカーのリーグ戦など、頭も身体もフル活躍する。

実は、父も母も娘も、この卒園式を、夢物語のように迎えている。それは、たった5日前まで、園行事の集大成として、先述の親子ミュージカルの練習にかかりっきりだったからだ。妻は、時間のない国にクロノスを解き放つ魔法使いボタンの役を演じ、娘は魔法使いの弟子、父は暴走するクロノスを演じた。それは、実に象徴的な舞台だった。

クロノス役の父ちゃんは、子どもが生まれるまで、「クロノスは暴走し、時間はますます早く動いて、花は枯れ、大地は荒れ果ててしまいました」という世界を生きてきた。まさにそれは、生産性至上主義にどっぷりつかっていた時代であり、身も心も枯れ果てていた。父ちゃんは、馬車馬の論理にどっぷりはまり込んでいた

でも、こども園の3年間で感じたのは、そのような暴走する時間とは対極の、「いま・ここ」を大切にする、主観的な時の感覚だった。娘が混乱している時も、あるいは落ち着いていたり、家で荒れているときも、すべて「いま・ここ」を真剣に生きるからこそ、娘なりの世界観を必死に構築しようともがいているからこそ、の表現である。それは、「早くしなさい」というクロノスの指導や叱責が及ぶことない、「いま・ここ」のしたいことがぎゅっと濃縮されて詰まったカイロスの時間である。そして、娘は3歳から6歳の三年間で、そのカイロスの時間をこども園で十分に体験出来たからこそ、小学校以降のクロノスの時間に飛び込む勇気と自信を与えられたのだ、と思う。

一方、クロノスの時間にどっぷり浸っていたお父ちゃんとお母ちゃんにとって、この三年間は、カイロスの時間を取り戻す日々であった。全力で子どもと共に楽しもうとする先生方や他の保護者たちと出会う中で、「いま・ここ」の時間を子どもと全力で過ごすようになっていった。他の子どもと比較して出来ているとか出来ていないとか比較する視点を横に置き、他のお友達の名前もどんどん覚え、我が子のように他のお友達も愛おしくなり、その成長を喜べた。この1年くらい、彼ら彼女らの成長にじんわりきて、行事でも娘よりも他のお友達をじっくり観察することもあったくらいだ。そして、同じようにこども園生活を乗り越えてきた同志のお父ちゃん、お母ちゃんと沢山仲良くなった。

それは、日本社会の同調圧力的な標準化された時間とは別の、「いま・ここ」を娘やお友達、その父ちゃん母ちゃんと共に楽しむ、まさにクロノス的なせき立てられた時間から一歩距離を置いた、祝祭的な時間だった。園の行事は沢山あり、土日も含めてめっちゃ忙しかったけど、それはクロノス的な時間に追い立てられるのとは逆で、いま・ここ、の濃密なカイロスの時間を堪能するプロセスでもあった。

その集大成のような親子ミュージカルは、親子三人にとって、文字通りの試練であった。この園は、子どもも大人もみんな本気で容赦しない。本番前日のリハーサルで、娘は立ち位置を覚えずそわそわていると、総合監督の理事長先生から娘に向かって「たけばたぁ、何やってんだ!」と怒声が飛ぶ。娘が泣くと、理事長は「自分の頭で考えろ、泣いたらそれで済むわけではない」とさらに追い詰める。でも、その後担任の先生が「なぜ怒られたか?どうしたらよいか?」を本人が納得できるように時間をかけて説明してくださったので、娘は当日間違えずに立ち位置に立て、「今日は出来ているな」と理事長先生からも褒められた。

同じように、父も母も、浴びるほどダメ出しをされて、腹が立ったり、落ち込んだりする一ヶ月だった。でも、それは娘が新たな学習回路を開き、未知で不確実な世界に飛び込んで試行錯誤するときに、感じる不安やしんどさそのものである。夫婦とも、親子ミュージカルに出演させて頂き、葛藤の最大化場面に立ち会ったからこそ、娘がどのように暴れたり、しんどい思いをするのか、がわかった。おそらく小学校に入った移行期においても、同じように混乱するだろう。だからこそ、3歳の葛藤の最大化を乗り越える支援をしてくれた先生方が、6歳で小学生になるための移行期混乱の時期に、別の新たな試練をあえて親子三人に与えてくださったことに、文字通り「有り難い」と感じた。

時間の扉は、一度開いてしまうと閉じることが出来ず、その時間はもっともっと早く過ぎ去るばかりだと、娘が三歳の頃まで、思い込んでいた。でも、この園に親子三人がどっぷり関わる中で、カイロスの時間は十分に取り戻すことが可能なのだ、と学ぶことができた。むしろ、カイロスの時間を安心して生きることが、クロノスに魂を奪われないこつなのだと、知ることができた。

ミュージカルの練習においては、クロノス役の父親たちにも、総監督の理事長先生からの怒声が飛ぶ。「もっと飛んでみろ」「子どもたちの方が立派に飛んでいるぞ」「ちゃんと子どもたちと戦え」・・・これらの声が、今でもぼくの中で、こだましている。そして、実はクロノスのぼく自身は、カイロスの子どもたちと、ほんまもんの戦いをせねばならなかった。頭でっかちの父ちゃんにとって、カイロスの子どもたちの純粋さや謙虚さを、クロノス世界の要領の良さとか「わかったふり」で誤魔化してはならなかった。だからこそ、本気で子どもとぶつかることが求められたのだ。おかげで父ちゃんは、ミュージカル当日はクロノスの「時の精霊」に憑依して、めっちゃ悪くなれたと思う。それは、子どもたちがクロノスを退治するのに、本当に必要不可欠な要素だった。そして、子どもたちのクロノス退治のおかげで、お父ちゃんはカイロスやファンタジーを取り戻しつつある。

子どもを預けるだけ、ではなく、フルに子どもと共に親が関わることが求められたのが、こども園の3年間だった。それは、正直に言えば、最初の頃は面倒だった。でも、そうやって、面倒に感じるクロノスの父を揺り動かしてくださったからこそ、いま・ここ、の子どもの喜びを共感できる、カイロスの時間を父が持つことが出来た。そういう意味では、時の精霊がこの園に宿っていたおかげで、娘や母だけでなく、父までも、平和な世界を取り戻すことが出来たのだと思う。

今つくづく痛感するのは、こども園で育てられたのは、子どもだけでなく、父も母も同じように鍛えられた、ということだ。子どもが生まれて6年、親業もたった6年である。知ったかぶりも出来ないし、いつまでも子どもに翻弄される。でも拙著のタイトル『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』の副題である、育ち直しをこの3年間、みっちり伴走してもらえた。こんなに豊かなカイロスの時間を味わえたのは、子どもにとっても、父母にとっても、まさに値千金である。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。