構造的暴力と有責性

精神科医の高木俊介さんは、「統合失調症への病名変更の立役者」であり、病院中心型の精神医療を変えるため、重度の精神障害者を多職種チームで訪問しながら在宅で支えるACT-Kを主催している、改革派精神科医の旗手の1人である。オープンダイアローグを日本に紹介した第一人者としても知られており、縁あって彼との関わりが深まり、2017年にはACT-Kで行われた集中研修にも参加させていただき、ACT-Kのチームの皆さんとも仲良くなった。

そんな高木さんは中井久夫も見田宗介も読み込む大の読書家であり、著作も沢山出しておられる(何冊か頂いたこともある)のだが、ブログで紹介するのは初めて。今回の本は、精神医療の構造的暴力が、現場の中の人(精神科医)によって、それこそ社会学的な視点で描かれて、実に印象深かった。例えば、「暴力」に関して。

「私が使命感に燃えて往診し、暴力的に入院させてきた患者が何人もいるのであるが、10年後にその病院を去る時に、一人ひとりの患者に挨拶していった。その時には、私が『暴力』で治療した患者、つまり力で押さえ込んできた患者のうち、良くなって喜ばれた患者は退院して目の前にいない。残っている患者の多くが、私が勤務を離れた慢性病棟の病室の隅で、人を拒否して時に暗く険しい表情でうずくまっている患者になってしまっていた。あるいは、病棟の中で一番扱いに困る患者になってしまっていた。
その時まで、ずっと同じ病院にいながら、自分は見ないようにしていた、あるいはすべて患者の病状のせいにして済ませていた。それらに気づいた時、私は愕然となった。この人たちは自分が作ったのだ。人が自分の暴力性に気づくことの難しさというものを、私は自分自身で体験したのである。治療という正当な『力』を行使しているつもりが、それは自分の力ではなく、病院というシステムの中にある力で、その力に自分自身が振り回されていたのだ。力を操るという自分の意気込みは、すべて病院の力であり、自分は精神病院という『全制的施設』が振るう力の操り人形にすぎなかったのだと気づいたのである。』(高木俊介『危機の時代の精神医療 変革の思想と実践』日本評論社 p83-84)

精神科医には、権力が付与されている。自傷他害の恐れのある患者に対して、本人の同意を得ることなく強制的に入院させることのある権限が付与されているのだ。そして、ここで描かれているのは、家族の要請に基づいて往診し、自傷他害の恐れがありと判断した患者を、病院チームが「暴力的に入院させてきた」事例である。強制入院経験のある多くの当事者は、この拉致監禁のような「暴力的な入院」そのものがトラウマ経験になった、と語る。だが、家族が困り切っていたから、とか、他の代替手段がなかったから、などの理由で、強制入院は未だに日本では多く行われており、そのうちの大半が、行政命令ではなく、家族の同意に基づく入院という玉虫色の「医療保護入院」である。(この構造的問題は以前、シノドスに書いた)。

当時の高木さんは、「患者さんの治療のために」という使命感をもって、自分が率先して往診していた。だが、病院を離れる際、「『暴力』で治療した患者」のうち、病院を退院出来ていない患者の大半が、「人を拒否して時に暗く険しい表情でうずくまっている患者になってしまっていた。あるいは、病棟の中で一番扱いに困る患者になってしまっていた」ことに気づく。

この時、高木さんが他の精神科医と違ったのは、「この人たちは自分が作ったのだ」と気づいた点である。専門家は、特に経験年数を経れば減るほど、無謬性に取り込まれる。専門性を持っている玄人の俺が間違うはずがない。治らない患者は、患者の気質や病気・病状の酷さ故に治らないのだ、と。これは、一見すると専門家によるアセスメントや見立てのようでいて、実は自らを免責し、患者に責任を押しつける、責任回避の論理を「科学的合理化」するプロセスでもある。医療過誤の中には、このプロセスがしばしばありそうだが、それはなかなか明るみに出ない。なぜなら、医師と患者には治療情報に対する圧倒的な非対称性があり、かつ精神科医と精神障害者では、社会的に付与された「立場性」にも恐ろしいほどの格差があるからだ。だからこそ、精神科医の「科学的合理化」は信奉され、患者の命がけの抗議や意義申してては「病状のせい」「興奮や幻覚・妄想状態」とラベルが貼られ、さらなる強制医療の犠牲になりやすい。

高木さんは、ご自身が病院を退職するとき、「自分は見ないようにしていた、あるいはすべて患者の病状のせいにして済ませていた」重大な真実に気づいてしまった。それは「この人たちは自分が作ったのだ」という、自らの有責性である。相手に責任を押しつけている間は、病気のせい、に出来てしまう。だが、自分に責任があるとなると、なぜ・どのように責任があるのか、という解釈フレームががらりと変わる。

「治療という正当な『力』を行使しているつもりが、それは自分の力ではなく、病院というシステムの中にある力で、その力に自分自身が振り回されていたのだ。力を操るという自分の意気込みは、すべて病院の力であり、自分は精神病院という『全制的施設』が振るう力の操り人形にすぎなかったのだと気づいたのである。」

これは、文字通り地と図が反転するようなパラダイムシフトであり、ルビンの壺の「壺」が「顔」に見えるようなゲシュタルトの転換の瞬間であった。それまで、往診して、強制的に入院させることは、「治療という正当な『力』の行使」であり、患者さんんには申し訳ないけれど、治療という良いことをするために、「しかたのないこと」だと思い込んで来た。そして、善意に基づく自らの行為を、そのような形で自己正当化してきた。

だが、それは「暴力」という権力行使だとラベルを貼り替えると、全く違う世界が見えてくる。自らの善意や「治療のため」という信念は、「強制入院を正当化する病院システム」を維持するために用いられていたのだ。そこから高木さんは、「力を操るという自分の意気込みは、すべて病院の力であり、自分は精神病院という『全制的施設』が振るう力の操り人形にすぎなかったのだ」という事に気づく。自分が主体的に治療している、と思い込んでいたが、それは「精神病院という『全制的施設』」が、その暴力的な管理支配を維持し正当化するための「力の操り人形にすぎなかった」のである。暴力的な精神病院システムの温存のために、自らの善意が搾取され、でもそのことに気づかず、自らの「使命感」を長らえさせてきたのだ。

恐らく、その構造的な暴力や、自らがその構造的暴力の手先になっていることに気づいた医療者は、高木さんだけではなかっただろう。だが、そのことに気づいても、「生活のため」と蓋をして暴力行使をし続けていると、滝山病院のようになってしまう(この問題についてはブログにも書いた)。あるいは、自分には何も出来ないと、そっと現場を離れて、口を紡ぐ人も沢山いたと思われる。

高木さんが違ったのは、「この人たちは自分が作ったのだ」と気づき、それを今回の本のように、自らの有責性を明るみしたことである。それだけでなく、「自分は見ないようにしていた、あるいはすべて患者の病状のせいにして済ませていた」構造への有責性を引き受け、その後ACT-Kを主催し、暴力行使を最小化しながら、入院をなるべくしない地域精神医療のシステム構築にその後の人生を賭けてきた点である。

この本を読んでいて、改めて高木さんの発見は、イタリアで精神病院廃絶に向けた立役者になった精神科医フランコ・バザーリアのそれと一致すると感じた。

「病気ではなく、苦悩が存在するのです。その苦悩に新たな解決を見出すことが重要なのです。・・・彼と私が、彼の<病気>ではなく、彼の苦悩の問題に共同してかかわるとき、彼と私との関係、彼と他者との関係も変化してきます。そこから抑圧への願望もなくなり、現実の問題が明るみに出てきます。この問題は自らの問題であるばかりではなく、家族の問題でもあり、あらゆる他者の問題でもあるのです。」 (ジル・シュミット『自由こそ治療だ』社会評論社、p69)

バザーリアは、治療すべき客観的対象だと思われていた「精神病」という「病気」を、「生きる苦悩」が最大化した状態だ、と置き直した。それは、精神医療におけるパラダイムシフトである。「病気」であれば、治らないのはその「病気」のせいである。医者の責任は最小化される。一方、「苦悩」が根源だと見立てやアセスメントを変えると、「彼と私との関係、彼と他者との関係も変化」する。その人の「苦悩」の一部が、強制的に入院させられたことへのトラウマや傷つきであるならば、その「苦悩」という「問題の一部」の責任は、強制入院を認めた・暴力的な権力行使をした精神科医自身にも降りかかってくる。だが、そういう形で自らの有責性を認めることで、「この問題は自らの問題であるばかりではなく、家族の問題でもあり、あらゆる他者の問題でもある」という構造的理解が、精神科医に出来るようになるのだ。

(このことについては、論文「「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」でじっくり論じたので、ご興味のある方は、ご一読いただきたい。)

高木さんの本に戻ろう。高木さんは、上記のプロセスを以下のように総括している。

「私たち精神医療従事者にとってもっとも解決困難なものが、今も昔も、精神医療そのものが生みだしてしまう暴力であろう。収容所環境—密室環境というものはどうしても暴力を生みやすくなる。さらに、その環境の全体が、E・ゴフマンの言う『全制的施設』となっている。その中で、私がそうだったように、治療者としての役割に誇りを持っていながら、勘違いしてしまう。『力(force)』のつもりで行使したものがいつの間にか『暴力(violence)』に変容している。そういうことを精神医療の現場は生み出す。
それに対抗するように、患者自身がその支配システムに抗議を行うための暴力、対抗暴力がある。そういう暴力に対して、私たちは精神医学の言葉でそれを『無効化』する。彼の怒り、抵抗、抗議—それが正当な抗議でも、『衝動性』『拒否性』『易怒性』といったレッテルを貼って治療の対象にしてしまう。このような患者の感情の否定、無効化は、精神病院の中だけでなく地域の中の処遇でも起こるものだ。精神障害者と私たち支援者との関係性の中で起こる問題である。」(p88)

支援対象者と支援者の「支配ー服従」関係の中で生じる暴力。それは、精神障害者に限った話ではない。「問題行動」「困難事例」「多問題家族」と地域でラベルを貼られ、支援者の指示・誘導に従わないクライアントは、人格障害などのラベルが容易に貼られ、「暴力」と「対抗暴力」のぶつかり合いになりやすい。その中で、支援者も当事者も共に傷つき、支援拒否に至り、地域で問題を拗らせ、強制入院など不幸な結末に陥る場合もある。

この時、「『力(force)』のつもりで行使したものがいつの間にか『暴力(violence)』に変容している」という現実に、治療者や支援者がどれだけ自覚的か、が大きく問われる。そして、「彼の怒り、抵抗、抗議—それが正当な抗議でも、『衝動性』『拒否性』『易怒性』といったレッテルを貼って治療の対象にしてしまう」という構造的暴力にも、しっかり意識化・自覚化が出来ているか、で変わる。それは、バザーリアの言葉を借りるなら、「病気ではなく苦悩に向き合う」ということである。病気なら「治療する・される」の関係性は、非対称になりやすい。だが、「彼の苦悩の問題に共同してかかわるとき、彼と私との関係、彼と他者との関係も変化」するのだ。

他にも引用したい素敵なフレーズがちりばめられているのだが、長くなったので、もう一カ所のみ、引用したい。

「今世紀になってますます加速する中間的共同体の崩壊によって、親密な人間関係は同一世帯の中にまで切り詰められ、家族の葛藤は行き場を失って家庭内に煮詰められる。社会の問題であった暴力は、いまや家庭内の問題となる。社会性を獲得するモデルは親子関係と夫婦関係にしか求められず、世代間の仕切りは失われ、社会と家族の間の防壁もあいまになる。
社会の成長の終焉は、個人の成長をも神話にする。『成長する人間』は理念型としての『人格』を形成していくが、その成長を失えば個人はそれぞれの発達段階に応じた『特性』の束に過ぎないものとなってしまう。精神医学において人格障害という診断が下されることが激減したように、社会からもその構成員の『人格』という概念が消滅していくのだ。
同時に『人格』に取って代わった『特性』は、社会的な評価としての『能力』で計られ、数値化されていく。こうして発達障害こそが、社会への不適応、社会からの逸脱、コミュニケーションを阻む『欠陥』として、教育の過程で、社会化の過程で絶えず見いだされる現代精神障害という地位に押し出されてきた。
これが今、私たちが立ち竦んでいる場所なのだ。」(p222-223)

高木さんは、臨床の中から見えてくる社会の構造的変化のダイナミズムを、社会学的に記述する能力にも長けている、と改めて思う。20世紀の終わりから21世紀の初めにかけて、確かに「人格障害」という名前はニュースや書籍のタイトルでしばしば目にした。だが、その名称が話題にならなくなるのと同時に、「発達障害」ブームが今に至る形で席巻している。それは、バブル崩壊以後の「社会の成長の終焉」と共に、「成長する人間」としての「人格」の終焉なのかもしれない、という高木さんの指摘は、実に深い投げかけである。そういえば最近、「人格の陶冶」という言葉も、とんと聴かない。

一方で、中間的共同体の崩壊の中で、夫婦関係や親子関係以外の関係性が見失われていくに従い、「発達特性」と「発達障害」が有徴化されるようになってきた。これは、社会の閉塞感、社会的規範の先鋭化、逸脱への監視や許容力のなさ、が個人に転嫁されたものだと考えると、わかりやすい。その人の「人格」や「個性」と言われていたものが、「能力」で計られ、情緒障害、適応障害、多動障害などの形で、欠陥として指摘される。それは、発達障害とラベルを貼られた児童生徒の急増や、そこにリンクする形での放課後デイサービスや療育事業の隆盛を見ていてもわかる。娘の通う学校でも、そのようなお子さんが沢山いる。

「これが今、私たちが立ち竦んでいる場所なのだ」と高木さんが指摘する時、「この人たちは自分が作ったのだ」という有責性を、僕には感じた。それは、他者や個人に責任を押しつけて、治療してあげるという善意や、批評家としてラベリングするような「高みの見物」をするのとは、正反対だ。この社会において、抑圧的な構造・システムにも関わる構成員の一人として、この社会的排除のシステムにどう抗っていけばよいのだろう、という意味で、コミットメントや責任を分有する感覚である。そして、このような開かれの感覚にこそ、次の時代を考えていくヒントがあるような気もする。

ろくでもないこと「も」起き続ける日本社会において、自分自身の有責性を自覚して、現場で出来ることからし続けること。それが、高木さんからもらったバトンかもしれない。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。