「親亡き後」をぶっ壊す「共事者」

最近、読み始めたら止まらない、オモロイ本を読み続けている。今日もそんな一冊のご紹介。

「ぼくは、被災地と呼ばれる場所で暮らしてきて、この『当事者』という言葉に翻弄され、複雑な思いを抱いてきた。当事者の存在を肯定・尊重し、当事者同士がつながりを持つ場を守りつつ、外側の人たちを『非当事者』にすることなく、自分にもある当事者性を自覚し、課題解決にゆるっと解決できるような、中途半端な立場を肯定的に捉えられる言葉があればいいと思うようになった。そこで生まれたのが『共事者』という言葉だ。
『共事』は、当事者性の濃淡や関与の度合い、専門性の高低などを競わない。素人や部外者、ソトモノの価値をもう一度見直しながら、当事者性を、遠くに、そして水平方向に拡張していく。ふまじめで個人的な興味や関心、『いるだけでいい』という低いハードル、だれもがワクワクする課題を社会に開き、既存の当事者の枠を超える新しい関わり方をつくり出すと考えている。」(クリエイティブサポートレッツ+小松理虔『ただ、そこにいる人たち:小松理虔さん「表現未満、」の旅』現代書館、p124)

小松理虔さんは福島県いわき市在住のローカルアクティビストであることは知っていたし、新聞などで彼の記事を読んでいたのだが、この本は積ん読本だった。ちょうど近々直接お目にかかるので目に通しておこうか、と消極的な理由で読み始めたら、抜群に面白くて、一気読みしてしまったのだ。

この本は、小松さんが静岡にある障害者支援の現場、クリエイティブサポートレッツに「観光」に訪れ、毎回そこで感じたことを原稿にした報告書を基に作られた本である。その支援現場の面白さについて紹介する前に、まずこの「共事者」という視点の良さを考えてみたい。

僕は障害者福祉を研究対象にして25年ほど経つが、いつも、どういうスタンスでいるのか、を表現するのは難しかった。現時点では、自分自身に障害があったり、家族に障害者がいた訳ではない。そういう意味では「当事者性」が低い。でも、非当事者と分けられるよりは、事情は知っている。とはいえ、障害者福祉の専門家と言われると、そうでもないような気がする。非当事者の仲間としてアライ(ally)という言葉も最近出てきたが、それがまあまあしっくりくる。でも、カタカナだしなぁ・・・、とモヤモヤしていたのだ。

そんな僕自身の立ち位置の中途半端さを見事に肯定してくれる「共事者」。「自分にもある当事者性を自覚し、課題解決にゆるっと解決できるような、中途半端な立場を肯定的に捉えられる言葉」というのは、実に素敵な言葉だと思う。そして、共事者という言葉は、当事者/非当事者という二項対立を切り開く可能性を持っている。

「ふまじめで個人的な興味や関心、『いるだけでいい』という低いハードル、だれもがワクワクする課題を社会に開き、既存の当事者の枠を超える新しい関わり方をつくり出すと考えている」

この「ふまじめさ」というか、「真面目も休み休みに」という視点が大切なのだと思う。被災地支援なんかでも、しばしば「当事者が悲惨な状況なのに不謹慎だ」という言葉がネットを飛び交う。でも、その当事者を代弁する「巫女」的な言葉遣いが、僕は嫌いだ。当事者に寄り添う気持ちが問題なのではない。「当事者に寄り添えていない」「こんな時に楽しんでいる」「空気を読めない行動をするのは不謹慎だ」・・・と、他者を断罪する姿勢が嫌いなのだ。実際、小松さんは福島で被災した当日、家族で缶詰パーティーをして楽しんでいた、という。そう、被災当事者だって、楽しんでよいのだ。

その上で、当事者という言葉に付随する「支援する・される」という関係性も、小松さんは括弧にくくろうとしている。「する・される」の関係性は、する側がパワーを持つので、気づけばされる側が支配される、という支配関係に簡単に転化しやすい。でも、支援関係を結んでいる訳ではないので、その現場で『いるだけでいい』という関係性。そこに、「新しい関わり方」の可能性があるというのだ。

それは小松さんの「当事者体験」による。

「福島を楽しみ、味わいつくし、その土地の歴史をふまじめに楽しむうち、震災や原発事故に接続してしまい、結果的に、その被害の大きさを知り、犠牲に対する慰霊や供養につながり、社会を見る目が変わったり、ライフスタイルを改めるきっかけをつかんでしまったり、復興の今を知ることにつながってしまう。最初は興味本位や物見遊山だったのに、その人の人生を変えるようななにかを受け取ってしまう。そんな回路を、小さくてもぼくはつくろうとしてきた。」(p77)

このうっかりさがいいな、と読んでいて僕は感じた。真面目な被災地支援は、今は能登地震の緊急避難期だが、本当に必要とされている。一刻も早く避難所への物資がしっかり運び込まれ、仮設住宅や、ホテルでの仮住まいなど、生活の質が向上し、被災者の生活再建が進んでほしい。それは真面目にそう思う。

でも、阪神淡路や中越、東日本、熊本など様々な被災地で、一定の時間が経つと大切なのは、震災後の街の賑わいをどう取り戻すか、である。そのとき、関係人口というか、その街に興味をもって、関わるよそ者の存在が大切になる。そして、そのよそ者は、興味本位で「ふまじめ」であってもよい。でも、そうやって楽しんだり味わったりしているうちに、「うっかり」被災状況とか、現地の歴史を知ってしまう。「最初は興味本位や物見遊山だったのに、その人の人生を変えるようななにかを受け取ってしまう」。ふまじめな関わりから、うっかり「共事者」になってしまう。このプロセスを、東浩紀氏の言葉を借りて、小松さんは「観光」の「誤配」だという。観光のつもりでやってきたのに、うっかりその土地の「共事者」になってしまう。そういう「誤配」が大切だ、と。そして、小松さんがオモロイのは、クリエイティブサポートレッツという福祉現場にうっかり訪れ、「福祉の誤配」に直面するうちに、共事者になっていく、そのプロセスがしっかり綴られている点である。

あるとき小松さんがレッツを訪れたら、言語表現が苦手な太田くんとこうちゃんが、梅雨明け前の7月の暑い日、庭の水道脇の桶で水遊びをしていた。あまりに楽しそうだったので、「思わずちょっとふざけたくなってきた」小松さんは、自分のサングラスを二人にかけてあげる。すると、「香港映画に出てくる怪しい中華料理屋にいそうな太田くん」(p107)になったので、その写真をパチリとる。この写真を見ながら、僕はゲラゲラ笑っていた。その横のページにはこんなことが書いてある。

「そこには『正しい支援』があるのかもしれない。けれど、こんなことをしたら怒られるんじゃないか、これはふさわしい支援じゃないのでは?みたいなことを気にして目のまえのふたりとコミュニケーションする機会を失うより、いま感じている『ノリ』みたいなもので接した方が健康的だし楽しいはずだ。ぼくは上機嫌でシャッターを押して、ふたりのニセ香港スターを撮影した。ふたりは小一時間ほど水浴びして、顔に水をかけたり、ぽちゃぽちゃ水の感触を楽しんだりしていた。隣にいる蕗子さんは、なにか起きたときにすぐに動けるようにしながら水浴びをしていた。なんというか、ものすごくハッピーな空間だなと思った。」(p106)

小松さんはレッツに遊びに来たヨソモノである。でも、彼が来た時に、水浴びしていた当事者二人があまりに面白そうだったので、非当事者ではなく共事者として、サングラスを渡してみる。すると、怪しい中華料理屋にいるニセ香港スターに変身して、みんなでゲラゲラ笑いながら、大撮影大会をする。ふまじめだけれど、ものすごくハッピーな空間だ。ただ、支援が必要な二人なので、支援者の蕗子さんはちゃんとそばに居る。でも、その蕗子さんも暑いので、「なにか起きたときにすぐに動けるようにしながら水浴びをしていた」という。蕗子さんも支援者なんだけれど、共事者として、そこで一緒に遊んでいる。でも、独りよがりになるのではなく、それとなく二人を観察し、見守っている。こういう感覚が、めっちゃええな、と思ったのだ。

そんなレッツに集まっている皆さんは「表現未満、」な状態である。

「ぼくはこう考えている。『表現未満、』とはメガネのようなものだと。それをかけると、『表現以上』の世界で『迷惑行為』とされたものがなぜか許容され、社会的な価値や意図や目的や成果から抜け出した本来の『その人らしさ』がじわじわと浮かび上がって見えてくる。蕗子さんがこうちゃんの水浴びを『飽くなき探究心』といったことにも似ている。『表現以上』の領域からではなく、『表現未満、』つまりその人の本来の『らしさ』を見ようとする、そんなメガネ。」(p31-32)

こうちゃんは水に強いこだわりを持つ。支援者が止めても、ポケットに水を入れたり、下着を濡らしたりする。これは「『表現以上』の世界で『迷惑行為』とされたもの」である。支援者からすると、何度も着替えさせなければならないので、面倒である。でも、「こうちゃんの水浴びを『飽くなき探究心』」と支援者の蕗子さんがラベルを貼り替えると、違う世界が見えてくる。「『表現以上』の領域からではなく、『表現未満、』つまりその人の本来の『らしさ』を見ようとする、そんなメガネ」で捉えたら、その探究心に付き合うのも、蕗子さんの支援という仕事の一つになってしまうのだ。だからこそ、先に紹介した水浴びは、こうちゃんの遊びであり、かつ「飽くなき探究心」の発露であり、それを生活介護という障害者支援の一形態で、蕗子さんは支援している。本人を矯正したり、社会的に好ましいやり方に強要するのではなく(社会的な価値や意図や目的や成果を脇に置き)、ご本人の「表現未満、」な「その人らしさ」に付き合う。だからこそ、「なんというか、ものすごくハッピーな空間」ができあがるのだ。

これは、「ふまじめさ」をもった「共事者」としての小松さんや蕗子さんがいたからこそ、できあがった偶然のエピソードだ。でも、そういう風に現場を作り上げていくことが、このレッツの魅力だと感じる。レッツの代表者、久保田翠さんは、こんな風に語る。

「この事業の肝は『他者』だ。親でもない、介助者でもない、普通の友だちのような知り合いのような人たちがどれほど入り込んでいくか。そしてもう一つ肝なのが『親が考えない』ことだ。つまり、私が考えないこと。親の都合で作らないこと。彼らの第一の理解者、代弁者を『親』と考えないこと。『親亡き後』という言葉がある。『親の死後、わが子が路頭に迷わないために今からなんとかする』といった親心を象徴した言葉。しかし私は『親なき後をぶっ壊せ』と言っている。」(p214-215)

翠さんは、レッツの利用者たけちゃんの母親である。美大の建築学科に進み、大学院で環境デザインを勉強した後、都市計画や地域計画のデザイナーとして働いていた翠さんは、重度知的障害を持つたけちゃんを産んだ後、仕事を辞め家に引きこもっていた。そんな閉塞感を超え、「私自身が生きていくためにレッツという現場が必要だった」(p286)。表面的に見ると、重度障害のある人を受け入れてくれる福祉施設がないから、母親が作った、というストーリーに見える。そして残念ながら日本は国が積極的に動かないので、翠さんのように、わが子がしっかり受け止めてもらえる場を自分で作る家族が沢山居る。その時に、「親亡き後のわが子の幸せを考えて」という「親亡き後」のフレーズはそういう家族が作った施設で、必ず聞く言葉でもある。

でも、翠さんは『親なき後をぶっ壊せ』という。この言葉は、入所施設や精神病院の研究をしてきた僕にとっても衝撃的だった。日本の障害者福祉は、「家族丸抱えか、施設に丸投げか」の二者択一である。そんな現実を「ぶっ壊す」ためには、「障害者の親」という重い十字架をひっくり返す必要があった。それが、「私が考えないこと。親の都合で作らないこと。彼らの第一の理解者、代弁者を『親』と考えないこと」である。これは非常にロックな、既存の福祉的価値観の破壊をも意味する。

実は、日本では家族丸抱えの現実を変えるために、障害者の家族(親)が集まって、多くの作業所や通所施設、入所施設を作ってきた。でも、その時の親たちは、特に子どもが重度障害であればあるほど、親こそが第一の理解者であり、代弁者である、と考えてきた。これは、国が無策だから仕方ない側面もあったが、非常に危うい発想である。本人の都合より、代弁者である家族・親の都合が優先されることで、本人と親が利益相反関係になる可能性があるからだ。そういう意味で、家族が代弁者となり続けると、支援は閉塞的になり得る。その論理を知り尽くした、重度知的障害を持つたけちゃんの親でもある翠さんは、発想の転換、というか、別の論理を構築し、実践する。

「この事業の肝は『他者』だ。親でもない、介助者でもない、普通の友だちのような知り合いのような人たちがどれほど入り込んでいくか。そしてもう一つ肝なのが『親が考えない』ことだ。」

この二つがどれほど大切か。

障害のある子どもの親が責任を背負いすぎている。その現状を変えていくためには、「親でもない、介助者でもない、普通の友だちのような知り合いのような」「他者」が「共事者」として関わっていく必要がある。だから、レッツには、支援者以外のアーティストや見学者を大歓迎している。その上で、親の代行決定ではなく、他者と支援者と本人が共事者として関わり、協働決定していく。実際、たけちゃんは金髪になったのだが、それは親の願いでなったのではない。一緒にたけちゃんと遊んでいた「共事者」が、金髪の方が格好良くない?という発想からはじまったのだ。そして金髪になったたけちゃんは、みんなに褒められてまんざらでもなさそうだった、という。

親だと保護的になりやすい。でも、原則的に親は子どもより先に死ぬ。その後の「わが子の幸せ」を親が保証することはできない。だから、入所施設を作って三食昼寝付きの生活保障が大切だ、と頑張った親も居た。でも、たけんちゃんの親の翠さんは、あくまでもたけちゃんの「表現未満、」を大切にしたかった。すると、その「表現未満、」に寄り添って、面白がって関わり合う共事者を増やしたかった。だからこそ、『親が考えない』ことを大切にしながら、レッツを作ったのだ。

「レッツでは、利用者がどんどんまちに遊びに行きます。まちの中に行かないと社会は変わりません。問題が起きないと社会は変わろうとしないんです。健常者とはちがう目線や感じ方を持っている彼らがまちに出ることで、波が立つようにあちこちに問題が起きる。それによっていろいろな人が考えたり、見方を変えたりする。だから問題を起こすのが彼らの仕事です。」(p69)

これも翠さんの痺れるような発言だと書き写していて、感じる。『表現以上』の世界で『迷惑行為』とされたものを、たけちゃんやレッツの当事者は持っている。そういう意味で、 「健常者とはちがう目線や感じ方を持っている彼らがまちに出ることで、波が立つようにあちこちに問題が起きる」。翠さんはたけちゃんの母親として、何百回何千回と謝り続けてきたのだと思う。でも、その上で、たけちゃんやこうちゃんの有り様を変えようとはしない。変えようとしたのは、私たちの「メガネ」の方である。「表現以上」の世界の外側にあるなにかを「表現未満、」とつけることで、この「、」のあとに続く世界に余白を作り出す。その余白から、「それによっていろいろな人が考えたり、見方を変えたりする」。実際、ケーズデンキが好きな利用者達が、展示品で遊んでいるのを、店員達が遠巻きに見ている。これは、まさに「それによっていろいろな人が考えたり、見方を変えたりする」可能性を秘めている。だからこそ、「まちの中に行かないと社会は変わりません。問題が起きないと社会は変わろうとしないんです」「だから問題を起こすのが彼らの仕事です」と言い切る。

今の日本社会を生きる若者達は、「迷惑をかけるな憲法」に縛られていると、拙著『ケアしケアされ、生きていく』のなかでは描いた。レッツの当事者は、そんな「迷惑をかけるな憲法」に縛られていない。すがすがしいほどに、この憲法に違反して生きている。それは「表現以上」の世界でみたら、そうなる。でも、そもそもあなたも私も、人は生きていたら、迷惑を掛け合う存在だ。にもかかわらず「迷惑をかけるな憲法」に縛られ、それを守らないと「問題行動」「困難事例」とレッテルを貼られることの方がおかしい。その意味で、レッツの皆さんが街に出かけることで、「問題を起こす」という彼らの仕事」を通じて、私たちの縛られている「迷惑をかけるな憲法」に自覚的になれる。それってしんどいよね、と思った人が、共事者になり、「それによっていろいろな人が考えたり、見方を変えたりする」。そういう展開こそ、ふまじめだけれど、めっちゃ可能性があるのではない、大真面目なインクルーシブ社会のありようではないか、とも思う。

今の障害者福祉は、多くの支援者が真面目で「いい人」であるがゆえに、制度に雁字搦めになってしまい、遊びや余白、ふまじめさに欠けていると思う。「世間にとって都合のいい子」を「脱『いい子』」して、「共事者」として楽しみ合う、オモロイ関係を作るのがすごく大切だと思う。

最後に、小松さんが捉えたレッツの活動の魅力を四点、抜き書きしておく(p222)。

1,社会の側に障害を顕在化させ、ぼくたちに考えさせる。
2,家族や支援者といった閉じた環境に外部を挿入する。
3,本人の周囲にある「当事者『性』」を外し、だれもが共事できる環境をつくる。
4,その人らしい人生や暮らしを、ともに見つけ、ともに歩める社会を増やす。

僕はこれからの福祉や、あるいは福祉教育のこれからを考える際に、この4点は欠かすことのできない鍵になると思う。

僕もレッツの観光事業「タイムトラベル100時間ツアー」に参加してみたい!

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。