正夢になるか!?

明けましておめでとうございます。今年は珍しく夫婦の両実家に帰らないので、山梨でのお正月。移動もないので、のんびりしています。

年末の31日に、思い立って本棚一列分をかなり整理し、100冊以上の本を整理した。読み終えた後、何となく残していた本。以前から興味があって、保存していた本。明確な意識を持って・あるいは何となく買ってはみたけれど、興味のレインジにその後入らずに読まないままの本・・・。色々な経緯があるけれど、今回それを一度部分的にではあれ、バッサリと断ち切る事にした。本棚に入りきらない、という物理的問題だけでなく、他者が評価している本であっても、自分のアクチュアルな関心に響かない本を置いておく必然性に欠ける、と思い始めたのだ。読んでいない新刊本まで売り払うことは心苦しいが、でもそれはその時点での自分心の虚栄心なり物欲を満たしたのだから、それで満足して、読まずに腐らせるより、誰かの目にとまり、お役に立つ方がいい、と方針転換。5袋分くらいが一杯になって、書棚もスッキリした。
本棚を整理しながら、本と向き合う自分の姿勢、も整理していく。
我が家の両親は本を読むタイプではなかったのだが、幼少の頃は「こどものとも」や「かがくのとも」などの児童書を定期購読してくれていたのでいたので、何度も何度も読み返していた。小学生に上がった頃から、図書館に通いルパンや伝記を読むも、偏見や先入観が強いタイプで、新しいジャンルに積極的にチャレンジする、というタイプではなかった。
それでも10代の初め頃、友人のMくんの薦めで、星新一や椎名誠といった作家を知り、やがてエッセイというジャンルにはまり込み、北杜夫を読みまくった中学時代。そのころ、鉄道オタクだったので、「鉄道ジャーナル」という硬派な鉄道雑誌を読み、鉄道政策を知ったかぶりで語っていた。それが高校時代に入ると写真部に入って、毎月買う雑誌も「アサヒカメラ」へ「転向」。一転にわか芸術写真論などをほざくも雑誌経由の「訳知り顔」知識は相変わらず。太宰治も好んで読んだが、虚栄心を満たす為に古本屋に通って読みもしない小説を買ってみたり、友人に勧められたドグラ・マグラや渋澤達彦などをおっかなびっくり読んでみたりもした。このころ近所に出来た図書館を通じて、河井隼雄や山口昌男なんかも囓り始めたことは、以前書いた事もある。森毅先生のエッセイに影響され、一度にジャンルの違う本を何冊も平行読みする乱読を覚えたのもこのころだ。
その後、大学生になってから、人間科学部という場に居合わせたこともあり、社会学や臨床心理学、文化人類学などの本を読み囓り続ける。僕の中で「第一次村上春樹ブーム」というべき時期も丁度このころだった。だが、修士課程から博士課程に進む中で、自分がフィールドにしていた精神障害者の問題に、それも当事者側から見た世界観や、隔離・収容の問題について深く考える為に、フロイトやユングといった精神分析的視点から離れようとした。と、同時に、大学時代から読んでいた神田橋條司や中井久夫などの精神科医の書き物も意識的に遠ざけた。自分が専門家的スタンスで当事者の視点を「わかったつもり」になることの危なさのようなものを皮膚感覚で感じていたからだろうか。こないだ書いたが、フーコーやゴフマンを避けていたのも、同様の危惧を感じていたからである。ちょうどこの時期に、師匠に弟子入りをし始めたときと重なり、全身全霊で師匠の考え方や生き方から学ぼうとしていた時期でもあったので、仕方なかったのかもしれない。博論を書いている時期は、集中出来ないから、と、村上春樹の全作品も捨ててしまったこともある。
ゆえに、ちゃんと本を乱読ベースで読み直し始めたのは、博論を書き終わってから。村上春樹や内田樹などを貪り読みながら、徐々に読む領域を興味に任せてグイグイ拡げていくも、やはり格段に買う本が増えたのは、山梨で定職を得て以後のこと。一応の専門である障害者福祉に直接関連する分野だけでなく、福祉組織の改革論に携わったので経営学系にも手を染め、あと地方行政ともお付き合いするようになったので福祉政策や福祉国家論の本も読み漁っていった。また、大学院の講座が、今はもう無くなってしまった「ボランティア人間科学講座」という場に居たので、また授業でボランティア・NPO論を受け持っている事もあって、NGOやNPO、そして最近では社会起業家の本などもあれこれ読み続けて領域を拡げてきた。
それが大きく変化したのは、何度も引用しているが、昨年の3月の香港での読書体験ぐらいから。一言では言えないが、アクチュアルな問題意識として、活字をダイレクトに受け止め、生きる思考として自分の経験の中に投射し始めた事が、大きな変容に繋がりはじめた、とでも言えようか。「魂の脱植民地化」というフレーズとの出会いも重なって、自分の社会を見る眼が急激に変容し続けた昨年であった。ゆえに、以前と比べても、爆発的に本を読む・買う量が増え、ジャンルも増殖していった。それが、書棚に本が入りきらない最大の原因とも直結している。
だが、上述のように、単に本の量が増えただけでなく、「そろそろ本を書きたい」という思いが強くなって来ているのも、また事実である。本の一節を書いたり、編者を務めた事はあるが、自分だけの単著を出した事はない。通例では博士論文を一冊の本にする人が少なくないが、僕のはまだ本に出来ていない。博論を書いてから7年間、結局、その問題を様々な角度から掘り返し続けていた(ということもブログに書いてましたね)。そして、先のブログにも触れた安冨先生の論文なども引用しながら、まもなく出るある学会誌に、ノーマライゼーションをテーマに一本論文を昨年書き上げた。この辺りから、ぼちぼち思い始めたのだ。この物語を、もう少し究めないと、と。
このノーマライゼーションという理念については、博論のタイトルの一部にも使わせて頂いただけでなく、日本でこの理念を広めた第一人者のお一人である河東田博さんから直接学ばせて頂いたり、あるいはその後河東田さんとのご縁でスウェーデンで調査研究をするテーマの一つにもなり、スウェーデンでは実際、ノーマライゼーションの「育ての父」とも言われるベンクト・ニィリエさんから直接薫陶を受けるチャンスもあった。またその後、立教大学の「ノーマライゼーション論」も教えさせて頂いたり、とご縁を頂き続けている。その事について、エッセイのようなものも書いた事はある。だが、年末に本棚を整理する中で、ふと、ノーマライゼーションを巡る物語であれば、これまでの自分が乱読してきた本の素材も使いながら、もっと奥深くまで論として辿れるのではないか、と思い始めている。
北欧とアメリカ、日本での「ノーマライゼーション」という理念の受け止め方の違いと、その背後にある文化の違い。あるいは、知的障害の支援者・家族を中心に広まったノーマライゼーション概念と、それを乗り越えようとした自立生活運動・障害学の流れを組む身体障害者との文化間格差。入所施設でのノーマライゼーションもあり、という「日本型ノーマライゼーション」なる異文化受容と変容。これらの主題(図)を、国同士の、障害者と健常者の、あるいは三障害の文化間格差という枠組み(地)で捉えられないか、と思い始めている。
今年、どこまで追いかけられるかわからないが、何とかこのテーマで本になるまで登り切ってみたい、と思っている。有言実行とばかりに、壮大ではありますが、今年の具体的目標として、書いてみました。正夢になれば良いのですが・・・。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。