対話的に存在すること(dialogical being)

読み手にその準備が出来ていないと、しっかりと読み込めない本というのがある。そういう本って、よく言われるのは、概念や論理が難解で、一定程度の基礎文献を読まないとアタックできないようなものだとイメージされやすい。

今回ぼくが読んだ本は、ダニエル・フィッシャー著『希望の対話的リカバリー:心に生きづらさをもつ人たちの蘇生法』(明石書店)。この本は、上述の意味での難解さはない。翻訳本だが、リカバリーに精通しておられる訳者の松田さんの翻訳は非常になめらかで、意を尽くした日本語にしてくださっている。そこで出てくる概念や論理も、平易な日本語で書かれていて、理解できる。にもかかわらず、2019年の刊行当初、手に取った時に、自分の中にすっと入ってこなかった。今回読んだ時も、時間はかかった。でも、すっと入ってこないのとは真逆の、圧倒的迫力があって、読み飛ばすことが出来なかった。それはなぜだろう?

たぶん、ぼくの中で、ダニエルさんの言うことを理解できる素地が増えたからかもしれない。あるいは、ダニエルさんの言葉を受け止めるレディネスが出来たというか。

ダニエルさんは、アッパークラスのおぼっちゃまで、親も医者で、自身も医学部に入った24歳まで、順風満帆だった。でも本人はその時期を「ものまね鳥」の時期だったと語る。親や権威ある人の目や意向に忠実で、徐々に自分の気持ちを抑えていった。でも、その後、「精神疾患の急性症状」と呼ばれる事態に何度か遭遇し、これまでの自分が崩壊(ブレイクダウン)する3度の入院をした30歳までの間に、これまでの仮面を打ち破り(ブレイクスルー)、自分の声に出会う。その後、精神科医として独立開業をしながら、精神障害者の当事者運動にコミットしていく。その中で、リカバリーやオープンダイアローグの概念とも出会い、薬に頼らない(だが否定しない)、人間的な対話の中から生み出される希望に基づくリカバリーをご自身でも模索し、多くのピア(精神障害を持つ仲間)と協働しながらエンパワメントの道を探る。その記録が書かれた本である。

彼は入院の経験を経て、以下のように振り返る。

「私の3回の入院のあと長い間、私は自分自身に問うた。『私に何が起こったのか? なぜそれは起こったのか? どうすればそれが再度起こるのを防ぐことができるのか? どうすれば学んだ教えを他の人たちに伝えることが出来るのか?』 私は、姿を現すことを切望している本当の私が、内なる深いところにいた—そして、いる—のだということに気づいた。青年だった頃、私はそれが姿を現すのを妨げていた。性的虐待を受けたことや、父のハンチントン病や、50%の確率で私がハンチントン病をもつ可能性があることや、肺炎で死にかけたことや、母のうつ病、そういったことのトラウマによって私は傷ついていた。私は、研究室で、偉大な発見をするための作業に没頭していた。そうした発見は、すべての人の不幸を解決し、私にノーベル賞をもたらすであろうものだった。生の他の面はすべて二次的なものであるように思えた。私は人々の目を見るのが怖かった。私はオープンになったり、自らの感情を見せるのが怖かった。私は、傷つけられたり、拒絶されたり、見捨てられるのが怖かった。そういった私の怯えた部分は生きることを恐れており、それは生に対して『ノー』と言っていた。その偽りの自己は、私の本当の『自己』を過度な合理性による保護的なモノローグに閉じ込めていた。」(p144)

「その偽りの自己は、私の本当の『自己』を過度な合理性による保護的なモノローグに閉じ込めていた」というフレーズは、精神病院への入院経験のない僕にも、強く響く。「頑張って良い高校、良い大学に行けば、良い未来が切り開かれる」「だからもっと頑張らなくちゃ」・・・こういう狭い因果論というか、「過度な合理性」に、ぼく自身も10代からはまり込んできた。大学院に行った後も、「博士号をとって、常勤の就職先を見つけて、論文を書きまくって・・・」と目標を変えるも同じような狭い因果論=過度な合理性から抜け出せなかった。特に20代の僕はまさに「傷つけられたり、拒絶されたり、見捨てられるのが怖かった」。ただ幸いなことに、27歳の時にパートナーと一緒に暮らすようになり、相手が自分の感情をむき出しにしてくるので、こちらも感情を引っ込めている場合ではなかった。それでも30歳で大学教員になってから、論文書きや講演・研修にしゃかりきになっていた間は、仕事面では「過度な合理性」にやはり囚われていた。

だが、2017年に子どもが生まれてからの6年間は、「本当の声」を持つ存在と向き合う日々だった。「過度な合理性による保護的なモノローグ」を「社会性」とするなら、それを獲得していない状態。そんな状態から6年間の育ちに付き合うなかで、逆に、「過度な合理性による保護的なモノローグ」を「社会性」だとする、その「社会性」そのものへの疑いが強まっていった。それよりも、いつでもオープンに自分の感情を素直に表現する娘の方がよっぽど「まとも」ではないか、と思った。そんな娘の言動に対して、「ちゃんとしなさい」「他人に迷惑をかけてはいけません」と「しつける」こと、そのものが、娘の本当の声を奪い、「過度な合理性による保護的なモノローグ」なのではないか、と思うようになった。それは、娘がこども園に入った3歳以後、特に感じるようになりはじめた。

その視点を持つと、僕の感情や魂がいかに抑圧されているかも、この数年、思い続けてきた。繰り返しになるが、ぼく自身は精神科病院への入院経験もないし、虐待を受けた経験もない。でも、3歳で弟が生まれて以来、彼がアトピー性皮膚炎で大変辛い思いをしたこともあって、両親は弟にかかりっきりになった。「お兄ちゃんだからしっかりしなければならない」を内面化してきた。「ひろしはちゃんとしているから」と親に言われ、それを誇りに思ってきた。でも、そうやって実年齢以上に背伸びして「しっかりする」「ちゃんとする」と、それは己の子どもらしい感情や伸びやかさに蓋をしてきたのだと思う。それに加えて、小学校の5,6年生の頃、いじめで学級崩壊する経験をしていて、生きることに絶望していた。これを書きながら思い出したのだが、こないだ娘と共に谷川俊太郎の絵本「ぼく」を読んでいて、「ぼくはしんだ」というフレーズに一番近かったのが、小学校の5,6年生の頃だった。家が11階だったので、ここから飛び降りたら楽になる、と思っていた。 それは別の絵本『橋の上で』の少年と同じだった。中学から猛烈進学塾で猛勉強していたのは、10歳くらいのときに、それまでの豊かな感情やオープンさの一部分が文字通り死んで、「過度な合理性による保護的なモノローグ」で生き残ることに専念したのではないか、と。

ダニエルさんは、24歳で精神病院に入るほど、それまでの古い自我が崩壊(ブレイクダウン)した。一方僕は、10歳くらいまでに、野生の(Vernacularな)自分自身の「声(Voice)」に蓋をして閉じ込めて、「ものまね鳥」よろしく社会的に評価される何かを追い求めて走り続けてきた。精神病院に入るほど自我の崩壊の危機はなかったけれど、それは野生の自分の声に固く蓋をしたから、であった。一方、ダニエルさんは、その野生の自分自身の声に蓋がしきれなくなって、24歳から30歳まで、意識の変性状態を通過した後に、自分の声を取り戻した。果たして、どちらがより人間的な人生なのだろう?

こういうことを考えながら彼の本を読んでいたら、ほぼ全ページに線を引き、ドッグイヤーしまくりで、どのフレーズを引用して良いのやらわからない状態になってしまった。なので、とりあえず目に付いた2,3のフレーズを引用する。

「私がつねに感じてきたのは、どれだけ深く混乱していても、それぞれの人の内部には、しっかりした、強さの核が隠れているということである。私は、そういった、しっかりとした、力に満ちた核を、その人の本当の『自己』と呼んでいる。人がどれだけ苦しんでいても、力に満ちた、核となる、本当の『自己』がつねにそこにあるのだということをいつも忘れないでいることが重要だと思っている。危険な時期を体験している誰かを私が助けているとき、私はつねにその人とともにいようとする。その際、私は自信を運ぶようにしている。その人は自らの中にある隠れた強さを頼りにできるのだという自信を。」(p84-85)

幻覚や妄想、あるいは言葉を失うなどの急性期の精神症状が出ている時には、「自我が崩壊」していると言われていた。確かに、「過度な合理性による保護的なモノローグ」から逸脱している、という意味では、その人の社会性は「崩壊」しているように見える。でも、ダニエルさんは、自分や仲間の数多くの経験をもとに、「どれだけ深く混乱していても、それぞれの人の内部には、しっかりした、強さの核が隠れている」と宣言する。そして「人がどれだけ苦しんでいても、力に満ちた、核となる、本当の『自己』がつねにそこにあるのだということをいつも忘れないでいることが重要だと思っている」と述べる。

「本当の『自己』」なるものは、取り出すことは出来ないし、検証可能性がない、という意味で、非科学的である。だが、それは科学的手続きでは検出できない、という意味で、既存の科学の範囲の外であるだけで、だから「ない」とは断言できない。それは、6年間娘の成長を横で見ながら感じていることである。娘の社会的な自己を「本当の『自己』」を切り分けて取り出すことなんて出来ないし、それを科学的に証明も出来ない。小学校に入って、集団登校に順応している娘が、こども園の年長組から急速に社会性を身につけつつある。でも、ありがたいことに、家では「本当の『自己』」を見失っていない。だからこそ、娘と関わるのは時にややこしくて、面倒だ。とはいえ、彼女は「親にとって都合のよい子」に育たなかった分、「力に満ちた、核となる、本当の『自己』」が力強く存在する。それが、彼女の魅力なのだと思う。

そして、ダニエルさんが教えてくれるのは、精神症状が急性期の人であっても、「力に満ちた、核となる、本当の『自己』」がその人の内側にしっかりと存在するということである。自我が崩壊しているように見えても、そんな状態でさえ、「本当の『自己』」はあるのである。ここから、さらに妄想が浮かぶ。「過度な合理性による保護的なモノローグ」に適合的な人の方が「本当の『自己』」に蓋をして、遠ざけているのではないか、と。それは、かつてのぼく自身のことを振り返っても、思い当たるところが結構あったりする。ダニエルさんは、ご自身の経験から、「過度な合理性による保護的なモノローグ」によって抑圧されている、「力に満ちた、核となる、本当の『自己』」は、精神的な危機の状態でも、たとえ言葉がしゃべれない状態にあてっも、しっかり存在すると知っているのだ。

「機械化による、力を奪うような攻撃はこれまで以上に広がってきているので、私たちは『人間』であることの意味を思い出す必要がある。私たちの協働的な任務は、『モノローグ的に何かをすること』(monological doing)から『対話的に存在すること』(dialogical being)へと物事の方向を変えることによって、平和で凝集的な世界コミュニティを築くことである。」(p270-271)

2023年はオープンAIの実力を見せつけられた年でもあるが、マニュアル通りの回答や自動運転や顔認証装置も含めて、『モノローグ的に何かをすること』(monological doing)は、この10年以内に急速に機械化されていく。そんな今だからこそ、ダニエルさんがいうように、「私たちは『人間』であることの意味を思い出す必要がある」のだ。そしてその肝こそ、『対話的に存在すること』(dialogical being)だと教わり、これも深く納得する。

思えば集団管理型一括処遇というのは、20世紀型の教育や医療の肝であった。それはフーコーがパノプティコン(監視塔からすべての牢獄を管理できるシステム)の例を用いながら、学校や病院が、まさにこのような監視装置になっている、と喝破したことでもあった。ベルトコンベア式の効率的な収容・処遇の方法論を、自動車や機械の製造だけではなく、人間に当てはめる。そして、標準化された知識や標準化された医療を提供し、標準的な教育や治療を受けさせる。それが、20世紀型の教育や医療の肝であり、それで識字率があがり、平均寿命も格段に向上した。だが、それらは機械モデルである。人間が人間らしく生きるためには、そのような『モノローグ的に何かをすること』(monological doing)だけでは、成り立たない。人間らしさの核には、『対話的に存在すること』(dialogical being)がある。その部分に教育や医療がどれだけ着目できるか、が問われているのだが、残念ながら精神病院は『モノローグ的に何かをすること』(monological doing)の極地である。それは、以前のブログでも触れた通り。

だからこそ、地域のなかで、『対話的に存在すること』(dialogical being)がどう豊かに展開されるか、が問われる。ダニエルさんも学んだオープンダイアローグとは、まさに精神病院ではなく、地域の中で、「対話的に存在すること」を応援する仕組みだ。娘が「本当の『自己』」を奪われないためにも、教育の分野においても、「対話的に存在すること」は必要不可欠な要素である。そして、それは子どものため、だけではない。娘の父である僕が、10歳の時に部分的に封印して、以後30年以上「死んだことにした」なにかを取り戻すためにも、「対話的に存在すること」というのは、重要なプロセスなのだと思う。そして、それこそが「リカバリー」の中心概念にあるとも思う。

「いつもトレーニングの最初に参加者に思い出してもらっているのは、参加者は、他の人を『直す』(fix)という衝動を抑制する必要があるということである。参加者は、苦しみにある本人が内なる知恵を持っているのだということを覚えておかなくてはならない。そういった知恵は、自らの苦しみを理解して小さくするための自分自身の方法を作り出すものである。にもかかわらず、トレーニングを受ける人達は〔直そうとしてしまうので〕、我慢することや、他の人を直そうとする衝動に抵抗することを頻繁に思い出す必要があるだろう。」(p206)

急性期の精神症状を持つ人であっても、「苦しみにある本人が内なる知恵を持っている」のだし、「自らの苦しみを理解して小さくするための自分自身の方法を作り出す」力を持っている。これは、僕で言うなら、我が娘や大学で接する学生と言い換えても同じだ。そういう相手を前にして、ぼく自身が「他の人を『直す』(fix)という衝動」を持っていなかったか、という嘘になる。でも、その衝動に自覚的になり、それを我慢する必要がある。なぜならば、それは本人の「内なる知恵」や「内なる声」を邪魔することになるからだ。

苦しみの渦中にいる人間相手に対して、『モノローグ的に何かをすること』(monological doing)という行為は、相手の苦しみをさらに増幅させかねない。そうではなくて、『対話的に存在すること』(dialogical being)によって、その苦しみを共に受け止め、本人が自分で方法論を見つけ出すのを応援することこそが、リカバリーへの道につながるのだと思う。それが「心に生きづらさを持つ人たちの蘇生法」への道なのだろう。こちらが勝手によかれと思って道を示すと、それは「苦しみの理解」ではなく、「苦しみの抹殺や封印」になりかねない。そのような「他の人を『直す』(fix)という衝動を抑制する必要がある」のだ。これは肝に銘じておきたい。

まだまだ語りたい、引用したい部分は沢山あるが、今日はこの辺で。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。