「生きた労働」と本源的蓄積

沖縄が好きで、子どもが産まれる前は毎年必ず出かけ、沖縄本も結構読んできたのだが、訳者の増渕さんに頂いたこの本はめちゃくちゃ面白かった。

「生産サイクルの中で必要な労働時間として割り当てられた部分を増やすことは、労働者階級が自覚的なカテゴリーとして出現するにつれ、『生きた労働』(労働者と生産者の需要や欲望に関連した労働)と『死んだ労働』(資本の有機的構成の中で非創造的で非生産的な部分)との闘争として正しく理解された」(ウェンディ・マツムラ『生きた労働への闘い—沖縄共同体の限界を問う』法政大学出版局、p22)

僕は不勉強なので、マルクスが用いた「生きた労働」「死んだ労働」という概念は本書に出会うまで、知らなかった。でも、人間らしい充足感とか、必要以上に働かないことも含めて、労働を自分の裁量の範囲内に収め、強迫観念的に働き続けないことを、「生きた労働」とするなら、今にも通ずる整理だと思う。他方、「死んだ労働」とは、システムや利潤の本源的蓄積の維持・形成・発展のためには必要だけれど、労働者個人にとっては「非創造的で非生産的な」労働を指す。これは今の言葉で言えば、「くそどうでも良い仕事」と訳されるブルシッド・ジョブにつながるのかも、しれない。

私やあなたの仕事のなかに、「生きた労働」と「死んだ労働」の割合は、どれくらいあるだろうか?

ありがたいことに、大学教員という仕事は、割と裁量が残っているので、「生きた労働」の部分が多い。でも、大きな組織に属していると、「お役所仕事」は当然ながらあるし、あるいは自己点検評価のように、方法論が自己目的化したようなペーパーワークは、「非創造的で非生産的な」仕事と思わざるを得ない。前回のブログで「午後4時に帰る」ために徹底的に業務を効率化したデンマークの話を書いたが、それは「死んだ労働」をなるべく減らし、「生きた労働」を増やすための国レベルでの努力なのだと思う。

で、近代日本史を専門とするウェンディ・マツムラさんの本が非常に面白かったのは、「沖縄の近現代史は、このような資本主義の発展過程で、死んだ労働と生きた労働の衝突や、それによって生じる対立のモーメントによって形成されてきた」(p22)という視点から描いていくことである。つまり、唯々諾々と死んだ労働に従うのではなく、生きた労働を勝ち取り続けたいと闘ってきた人々を、沖縄の近現代史からあぶり出しているのが面白いのだ。

「女性神官や霊媒師、不品行な女性への攻撃は、十六世紀から十七世紀にかけて本源的蓄積の過程にあったヨーロッパの魔女狩りときわめて似ている。魔女狩りは、女性たちの財産を没収し、共有地から閉め出し、女性が自分の身体を自分で管理する能力を奪った。沖縄では、古い慣習の近代化という名目で、女性神官から暴力的に土地を奪い、女性の財産に攻撃を加えるとともに、農村における女性の活動を厳しく監視することにより、ジェンダー規範や合理性の再コード化が行われた。土地整理事業でノロから土地が没収されたのと同じ時期に、風俗改良運動は、女性の刺青(ハジチ)、野外での歌や三線の演奏、芝居の鑑賞や役者への部屋の貸し出し、そして他村の人との交流さえも禁止した。
全体としてみると、ミースが言うような、『経済的にも性的にも独立し、新興ブルジョアジーの秩序を脅かす』女性を従属させるための組織的なプロジェクトがあったことは否定できない。」(p164)

明治以前の沖縄では、女性神官や霊媒師が大切にされ、一定の地位や権力を持っていた。ただ、これは西洋の近代的合理性だと、「非合理」である。また資本主義における男性中心主義的な視点に基づくと、そのシステムや秩序から外れたところで自立している女性は「不都合」でもある。また、土地をみんなで使う共有化の思想は、大規模な工場を作ったり、その土地や木材を売買して儲けるという資本の本源的蓄積の観点からすると、「障壁」にもなる。だからこそ、土地整理事業という形で、共有地を私有地や国有地に引き剥がし、風俗改良運動なる名称で女性を秩序化し、「ジェンダー規範や合理性の再コード化」=近代資本主義の合理性にあうように再秩序化したのである。そして、この沖縄の女性神官達への攻撃は、魔女狩りと通底している、という指摘を呼んで、昔のブログに取り上げた一冊を思い出した。

「ちょうど囲い込みが農民から共有地を奪ったのと同じように、魔女狩りは女性からその身体を奪ったのである。こうして女性の身体は、それが労働力を生産するための機械として機能することを拒むいかなる障害からも『解放された』。火刑の恐怖は、共有地の周りに巡らされたどんな柵よりも手ごわい障壁を女性の身体の周りに築いたたのだ。(略) 魔女狩りは、女性が生殖の管理に用いてきた方法を悪魔的手段と断罪することを通じて破壊し、女性の身体を労働力の再生産へ従属させる前提条件として、それを国家の管理下におくことを制度化したのは間違いない。」(シルヴィア・フェデリーチ『キャリバンと魔女』以文社、p296-297)

実は、本書にも『キャリバンと魔女』が引用されている。つまり沖縄近現代史を舞台にした『生きた労働への闘い』という本は、『キャリバンと魔女』の本歌取りというか、「労働力を生産するための機械として機能することを拒むいかなる障害からも『解放された』」女性の存在と、それにあらがった人々の闘いを記録した本とも言えるのである。

そして、「古い慣習の近代化という名目」は、植民地化の発想ともつながる。当時の沖縄の地元資本家が何を恐れていたか、を、当時の「琉球新報」はこのように描いている。

「殖民政治とはどんなものか。其土地を見て其人を見さる政治である。土着人を国民として取扱はず、一種の機械として取扱ふ政治である。土着人の頭を圧へて本国人の利権を保護する政治である。」(p109)

薩摩藩に実効支配をされながらも清とも冊封貿易をしていた琉球王国が、明治の開国の時期に大日本帝国によって吸収合併されていく。この琉球処分の時期において、沖縄は隣国台湾に近いこともあり、文化や慣習が違うこともあっても、台湾と同じように植民地になりかけていた。そのような中で、東京で学び、資本主義の論理を理解し、沖縄でブルジョアになっていった沖縄の知識人層は、このままでは沖縄の利権が剥奪されてしまうことに危機感を抱いた。沖縄が植民地化されると、自分たちも「一種の機械として取扱」をうける。それは嫌だ。だが、そこで一般住民達と「島ぐるみの抵抗」をするのではなく、土着人を支配するのは、本国人ではなく俺たちだ、と考えていく。それを著者は、「「『使う側』の人間になりたいという野心」と喝破する。

「『使う側』の人間になりたいという野心は、十九世紀末に有力な現地指導者の知識人グループであった太田派の最終目標だった。県外からの急激な人口流入や国家による官僚化が進む中で、誰かに雇われることほど不自由なことはないという主張は大きな意味を持っていた。日本帝国における沖縄の自由と現在の地位を維持するためなら、どのような手段も許されるという太田の信念は、この時期沖縄の指導者の多くに共有されていていた。」(p178)

沖縄の自由を獲得する、沖縄を属国化・植民地化させない、という理念は立派だ。「一種の機械として取扱」を受けたくない、「死んだ労働」をさせられるのは嫌だ、と感じると、「生きた労働」への闘いも生まれる可能性がある。だが当時の沖縄の指導者の多くは、そういう闘いをしなかった。それよりも、「『使う側』の人間になりたいという野心」の方が強かった。つまり、自分が統治者になり、資本家になることにより、一般住民を自分たちの秩序に従わせ、雇用関係を結んで搾取することも「野心」の中に含まれていた。近代化された日本帝国の論理を沖縄住民よりもいち早く内面化し、この論理の中で「沖縄の自由と現在の地位を維持するためなら、どのような手段も許される」と思い込んでいた。これは、実に変わり身の早い考え方であり、一般住民からしたら許されない発想である。

だからこそ、沖縄では、支配層への抵抗や闘いが起こった。

「沖縄本島から三百キロ以上南西に位置する宮古島では、数百人の小規模耕作者が、中規模地主や実業家たちとともに、マルクスが言うところのある種の『好機』を見いだし、1893年春に集団的な闘争を始めた。闘争の参加者達は、かつての権力者にはもはや政治的権威はないと考え、明治政府が旧慣政策により手をつけずにいたもの(ドゥルーズとガタリのいう『完全に現代的な機能を持った復古主義』)を廃棄するよう要求した。明治政府が二度目の琉球処分を行ってから十四年後に勃発したこの闘争は、宮古島人頭税廃止運動の名で知られる。本章では、この運動を、アントニオ・ネグリが『圧政に対する抵抗を通して共同体が構築される』と評した構成的権力の一例として分析する。」(p89)

「明治国家は、その形成の初期団塊で辺境地域を植民地化し、それを正当化するために旧慣政策をとったわけだが、宮古島の住民は、従来の『生産諸関係の総体』を維持しようとする国の企てを拒絶し、その正体を白日の下にさらした。明治政府にとって旧慣政策は、いわば首をはねた獲物を役立つ限り手放さないでおくようなものだった。宮古農民が旧慣政策を拒絶したのは、自分たちの生活が根本的に変えられたと気づいたからである。」(p90)

この本の魅力は、沖縄の近現代史を、資本の本源的蓄積のプロセスと捉え、そのプロセスに対抗した市井の人々の闘いを、先ほどの「キャリバンと魔女」と同じように、ネグリやドゥルーズ・ガタリなどの反・資本主義的な分析と接続させて捉えている点である。日本の問題を英語圏の人に紹介する時、「そんな特殊な事例を紹介して、何の意味や価値があるのか?」が問われやすい。現に僕も国際学会で発表した時に、自分の発表にさっぱり関心をもってもらえず、ひどく落ち込んだ記憶が何度もあるが、それは、世界的な歴史や思想、理論と引きつけた議論が展開できていなかったからである。マルクスやネグリであれ、これをヘーゲルやフーコーと言い換えても良いのだけれど、そういう欧米世界でも共有されている思想や理論、哲学と引きつけることによって、宮古島の人頭税廃止運動という局所的でローカルなイベントが、一気に世界史的な文脈を持つ。

とはいえ、この著者はネグリなりマルクスの理論の一事例として沖縄を当てはめようとしたのではない。沖縄近現代史の「死んだ労働」と「生きた労働」の闘いを、資本主義の本源的蓄積のプロセスにおける労働者階級と資本家の闘いとして描くことにより、当時の沖縄知識人が語っていた「沖縄主義」や「沖縄共同体」という理念の危うさを描き出したのだ。沖縄を植民地にしない、という論理はその通りかも知れない。でも、土地整理事業とか風俗改良運動をそのものとして受け入れ、むしろそれを追認・推進した沖縄のリーダーや知識人階級だって、結局のところ、「「『使う側』の人間になりたいという野心」を持っているという意味で、本国人の搾取者と同じ穴の狢だったのではないか、と。それって、植民地化反対運動に見せかけて、つまるところ植民地の支配層としての己の権益保護と通底しているのではないか、と。そういう「野心」によって、一般住民はどんどん「生きた労働」を奪われ、「死んだ労働」へと取り込まれていったのではないか、と。その危機に直面したからこそ、宮古島のみならず、沖縄では様々な農民達が集団的な闘争をしたのではないか、と。

沖縄の本は趣味であれこれ読んで来たけど、こういう歴史の多相性を描いた本は読んだことがなかったので、本当に面白かった。今度沖縄に遊びに行くときにも本書を持参し、そのような「闘いの歴史」に触れられる場所をいくつか見てみたいと思った。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。