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「二人の協定」と互いの成長

子育てをしながら、いろいろな父ちゃん母ちゃんの話を聞いていると、どうもパートナーとの対話をじっくりされていない、する場合でも限定的な対話の方が、結構いるような気がする。仕事に家事育児まであったら、パートナーとの会話は二の次、三の次、になるようだ。

でも、実は仕事も家事育児も大変だから「こそ」、パートナーとの対話が必要不可欠なのだと思う。それを痛烈に感じさせる一冊を、ゆっくり読んだ。

「誰だって、自分の成長を育んでくれる関係、パートナーが自分という人間を丸ごと理解してくれる関係を望むだろうが、そういう関係を育てるには長い時間と手間がかかる。些細な物事に常に関心を払い、同時に将来を見据え、パートナーがどんな成長を望んでいるかに絶えず目を向けておく必要がある。その努力が絶えれば、カップルとしてなんとか関係を続けることはできても、理想の関係になることはできない。」(ジェニファー・ペトリリエリ著『デュアル・キャリア・カップル』英治出版、p258)

この本は、共働きで子育てにも向き合う多くのカップルにヒアリングをし、人生の移行期の課題を探った一冊である。パートナーがフルタイムで働いているか否かには関わりなく、パートナーが仕事と子育てと人生をどのように豊かに送っていくのか、を考える上で、様々な「よそ様のご家庭の実情」がわかって、そのエピソードを読むだけでも、実に示唆深い一冊である。

その中で、特に大切なのが「パートナーがどんな成長を望んでいるかに絶えず目を向けておく必要がある」というフレーズ。子育てに忙しく、仕事もなんとかこなさなければならない、と思うと、パートナーの成長は優先順位の3番目以下に下落しやすい。正直、子どもが小さかった頃は、そんな風に感じていた時もあった。でも、パートナーと意見が分かれて、口論になるような事態を振り返ってみると、だいたいにおいて、「パートナーの成長」を気にかけられないときだった、と思い出す。子どもの成長を見守りながらも、自分自身も成長したい。そして、それは自分だけでなく、パートナーも全く同じはず、である。

だが、性的役割分業が大分減ってきた、とはいえ、ケア領域を「女の仕事」と思い込む男性も少なくないので、家事育児の時間は妻に偏りやすい。すると、夫は自分の成長に投資する時間や余裕を残す一方で、家事育児を押しつけられた妻の側は、その物理的・心理的余裕がないまま、置いてけぼりになりやすい。その不均衡が不満になり、夫と妻の間での認識にずれが残り続けていると、不満や認識のずれが爆発し、言い争いになりりやすい。「相手がわからずやだ」と避難したくもなる。

その際、この著者が言うように、「些細な物事に常に関心を払い、同時に将来を見据え、パートナーがどんな成長を望んでいるかに絶えず目を向けておく必要がある」。自分がどんな成長を望んでいるのか、は、頭の中で常に考えているから、わかる。でも、パートナーがどんな成長を望んでいるのか、は、絶えず聞いてみないと、わからない。しかも、自分自身の成長課題も、状況に合わせて変化するのと同じように、パートナーの成長課題も変化する。仕事に家事育児と精神的に追い詰められていると、自分のことでいっぱいいっぱいになって、つい、パートナーの成長課題にまで気を配れない。でも、そんなときこそ、相手は「わかってくれない」「気を配ってもらえない」とイライラしがちで、それは「些細な物事」に現れやすいのだ。ぼく自身もその「些細な物事」の変化に気づかず、何度もドンパチしたことがある。

それを回避するために、著者は「二人の協定づくり」をしている、という。それは、二人で意識化したい・常に確かめ合いたい価値観と限界、不安について話し合い、共通した基盤を見つけるのである。そこにはこんなことが書かれていた。(p65-69)

価値観・・・何を幸せと感じ、何を誇りと思うのか? 何に満足を感じるのか? いい人生とはどんな人生か?
限界・・・地理的限界(どこに住むのか、転勤するか)、時間的限界(どこまで仕事に時間がとられても許されるか、出張はどれくらいOKか)、在・不在に関する限界(別居や配置転換はどれくらい許容されるか)
不安・・・仕事や育児に対しての、あるいはパートナーとの関係性の中での不安が高まらないうちに、率直に話し合うことが出来るか

そして著者は、人生の転換期は、二人が一緒に生活を共にしはじめ「どうしたらうまくいくか?」を模索する「第一の転換期」、中年期にさしかかり「ほんとに望むものは何か?」を自らに問いかける「第二の転換期」、子どもが巣立ったり退職期にさしかかることによって「いまのわたしたちは何者なのか?」を振り返る「第三の転換期」があり、それぞれの時期に「二人の協定」を見直せるか、も問いかけている。

ぼくとパートナーの場合、「どうしたらうまくいのか?」の最初の協定づくりそのものが、大プロジェクトだった。価値観や生き方が全く異なる他人と暮らしはじめ、大いに戸惑うことだらけで、その違いが最大化して、些細なことでもめることが何度も何度もあった。そのたびに、お互いの不安をさらけ出しながら、何を大切にしたいのか、を何度もなんども話し合った。面倒に感じることもあったが、それをしないと離婚の危機は「いま・ここ」に迫っていたので、仕方なくし続けた部分もある。だがそうやって、二人で確認する中で、「二人の協定」は明文化されていないものの、共有されるようになっていった。ただ、限界については曖昧で、その分、ぼくは仕事が集中してくると、家にいないことが多くなったが、そのぶん、たまに二人で旅行に行って埋め合わせる、などでお互い了解していた。

ただ、子どもが生まれたのは42歳で、ちょうど二人とも中年期にさしかかっていたので、「ほんとに望むものは何か?」を再定義する必然性に迫られた。特にシビアな問いになったのが、地理的限界、時間的限界、在・不在に関する限界である。

放っておいてたら死んでしまう小さな命を前にして、「どこまで仕事に時間がとられても許されるか」は大幅に変更が必要になった。少なくとも子どもが小さい間は、自分自身の成長課題より、家事育児にリソースを注ぎ込まないと、二者関係から三者関係への移行期混乱は乗り越えられない。自分では仕事を減らして家事育児に注力しているつもりでも、パートナーから見れば、「なんでそれもしてくれないの?」と怒りが爆発することもある。そんな中で、子どもが生まれる以前は出張しまくっていたが、それをほとんどなくす、という大幅な仕事の仕方の転換が求められる。出張が自分の生活や成長の一部になっていた、と錯覚していたので、そのモードをやめるのは、ある種、自分の身を切られるような辛さだった。でも、子どもと妻との三人の生活を豊かにするためには、必要な「成長の痛み」だった。その上で、二人の親は関西で、当時僕たちは甲府に住んでいて、あまりに実家が遠いことへの心配や不安もあり、二人で話し合って、ぼくの職場を姫路に変えることにした。妻は専門職なので、甲府でも姫路でも、すぐに仕事に就けた。

この第二の転換期でも、子どもが生まれて最初の数年は、本当に何度も何度もぶつかり合い、話し合った。それまで15年ほど一緒に暮らし、何度も話し合い、「二人の協定」がしっかりできあがっていたものだと思っていたが、子どもが生まれて三者関係に移行すると、「二人の協定」は全く新たに書き直す必要があったのだ。

だからこそ、この本は、すごく味わい深く、自分たちの試行錯誤(七転八倒!?)のプロセスを言語化してくれるようで、実に味わい深く読んだ。そして、冒頭にも書いたが、「パートナーの成長」をどれくらい意識化出来るかが問われている、というのは、本当に胸に響いた。気がつけば、視野狭窄気味になり、自分の成長やそれにまつわる不安でいっぱい一杯になる。子どもの成長については夫婦で日常的に話し合うが、その話し合う二人の、お互いの成長を、そこで話題にすることは、意識化しないと出てこない。ぼくはそれを忘れている場面が多い、と痛感させられた。そして、この本を読み始めてから、何度かパートナーの成長について話題にし、それを一緒に考え始めている。

そういう良い変化を与えてくれる良書でもある。パートナーがフルタイムで働いているかは関係なく、カップルとしての成長を考える上で、重要な一冊になりそうだ。

意思決定支援のキーブック

本を読んでいて、様々なことが結びついてくると、読んでいる最中に、うぉーっ、つながってきたぜー!と嬉しくなることがある。そんな雄叫びを上げたくなる本は、ぼくにとってのキーブックである。今回ご紹介する、『子どもアドボカシーと当事者参加のモヤモヤとこれから:子どもの「声」を大切にする社会ってどんなこと?』(栄留里美/長瀬正子/永野咲著、明石書店)はまさにそんな本だった。

この本の素敵なところはたくさんあるのだが、最もぼくにとって、うぉーってなったのは、宮地尚子さんのトラウマの環状島理論を、現場に使える形でわかりやすく提示した、という部分である。p72のこの環状島の図を見て、ほんとうにうなったのだ。(環状島モデルを知らない人は、ちょっと長いけど、斎藤環さんのnote記事も参照)

p72の図

栄留さんは、アダルティズム(子ども差別)や被害者性について以下のように書いている。

「虐待自体がアダルティズムの最たるものです。虐待までいかなくても、日常的に『子どものくせに』『子どもだまし』のような言葉が使われている現状では、子どもを低くみるアダルティズムが普通になっていて、子どもの『声』を尊重する社会になっているとはいえないと思えます。
このアダルティズムに加えて、『成長途中』だからということで発達や能力を強調し話を聞く機会を設けないこと、また虐待を受けた子どもなどは特にその『被害者性』に焦点があてられるために、本人のためにまわりが良い選択を与えてあげようというスタンスになってしまうことがあります。そして、障害のある子どもも同様の傾向があるのですが、『ぜい弱性』(vulnerability)に焦点があてられ意思決定の機会が与えられにくくなっています。
こうしたことが<内海>の<水位>を高くし子どもが『声』をあげにくい環境を作っていると考えられます。」

これを読んでなぜ、ぼくはうなったのか? それは、これまで読んで・学んできたトラウマの切り口と、アドボカシー、そして今自分自身が経験し続ける子どものケアの話が、バッチリつながって記載されていたからである。そして、子育て中の父として、子どもの環状島の水位を上げている、と、いてて、と思いながら読んだのである。

『子どものくせに』『子どもだまし』というのは、さすがにぼくは娘につかっていない。でも「子どもを低くみるアダルティズム」の芽がぼくの中に全くないか、と言えば、嘘になる。子どもをうまくなだめようとしてみたり、あるいは子どもに了承をとらずに勝手に判断しそうになるとき、子ども差別としてのアダルティズムがぼくの中から抜けきっていない、厳然としてあると感じるのだ。

さらに、年長さんの子どもが理路整然としゃべれないのは、『成長途中』なのだが、それゆえ子どもの話を「話半分」に聞いてしまうときがないか、といわれたら、これもあやしい。「本人のためにまわりが良い選択を与えてあげよう」と子どもの意思確認をすることなく勝手に決めてしまうことがないか、と言われると、胸を張って答えられない時がある。

そういう意味で、アダルティズムや脆弱性が、子どもを「言えなくさせている」可能性も十分に考えられるのだ。そして、それは虐待や社会的養護の家庭に限った話ではなく、普通の家庭でも十分にあり得る話なのである。

そして本書が大切にする子どもの「声」というのは、理路整然としたものではなく、「もっと幅広いイメージが大切」(p17)という。内なる「声」や、怒る、踊る、泣く、絵を描くなども「声」のイメージとして重視されている。我が娘を見ていても、5歳児が理路整然と声を発している時もあれば、そうではない時もある。言えないときは、机をたたいて「怒るで!」と叫んで泣いている時もある。嬉しくて踊ったり絵や字を書いて伝えようとしてくれるときもある。時たましゃべってくれるけど、内なる「声」も色々息づいているようだ。

そういう様々な「声」を持つ主体としての子どもが存在しているのに、親や支援者が、アダルティズムや被害者性・脆弱性の偏見や先入観で子どもの世界をドボドボにしてしまうと、そこで溺れて・窒息して、子どもが声を出せずに沈み込んでいく。そういうイメージがこの絵を見ているうちに伝わってきた。それだけでなく、これを書きながら気づいたのだが、大学生と日々接していて、「他人の目が気になって自分の意見が言えない」「他の人と違うことを言ったらどうしうよう、と気になる」「正しいことを言わなきゃ、と感じている」といった声をしばしば聞く。これは、親や教師によるアダルティズムや脆弱性の言動がたくさん注ぎ込まれた結果、同調圧力や空気を読むことになれすぎて、自分の声を封印して生きている「よい子」になった・・・そんな「妄想」すら浮かぶ。

「気持ち、そして感情は、『声』を発していくための源泉になります。しかし、当事者の経験からは、気持ちや感情を押し殺したり、他者の感情が優先されたりすることが語られます。自分の感情をおさえこむことが日常になるという経験は、当事者の『声』を失わせてしまいます。」(p37)

この長瀬さんの指摘は、「しんどい家庭」で育った子どもの解説部分で書かれているが、実はごく一部の限られた家庭に限定された話ではない、残念ながらごくありふれた世界なのかも知れない、とすら、「妄想が爆発」してしまう。

子どもが言えないのは、「幼い」とか発達・能力不足だからではない。親や支援者が、様々な言語的・非言語的な子どもの「声」をそのものとして尊重しているか。そして、子どもの「声」をしっかり聞くために、親や支援者の方が試行錯誤しているか。そうやって、内海の水位をさげて、子どもの「声」がそのものとして発することが出来るようなサポートを大人が出来ているか、が問われているのだ。

そして、子どもの「声」を尊重することで、そもそも環状島モデルそのものの構造が変わっていく、と永野さんは指摘する。

「当事者参画は、社会的養護の環状島をくっきりと浮かび上がらせ、実態を明らかにし、環状島の内と外にある格差をなくしていきます。さらにその先には、社会的養護の環状島の形を変えていくのではないかと考えています。それは、多くの人が生き延びていけるよう<内海>を浅く、また環状島へ上がりやすくなるよう島の傾斜を緩やかにし『丘』のようにしていくのだろうと思います。そうなっていくと、家族がしんどい時、家族が安全ではない時、浅い<内海>をじゃぶじゃぶと渡って、社会的養護の環状島へやってくることができます。そして丘へ登って、休息したり、同じようにやってきた仲間たちと過ごすことが出来ます」(p126-127)

p127の図

これは、子どもだけではなく、障害者や認知症の人など、当事者参画が求められる多くの領域で共通して言えることではないか、と思う。意思決定支援が必要な、認知症や精神障害、強度行動障害、重症心身障害などの障害を持つ人は、子どもと同じように、社会的弱者差別や被害者性・脆弱性の海の中で溺れかけている。そのとき、どんなに重い障害がある人でも、言語的表出が苦手な人でも、当事者参画の中心に位置づけられると、環状島の内海の水位はどんどん下がってくる。その上で、当事者と家族、支援者などの関係者が一緒になって「環状島の形を変えて」「丘」のように行き来がしやすい傾斜角角度にならしていくことができれば、往来がしやすくなる。

そして、これを書きながらイメージしていたのは、ぼくが関わってきたオープンダイアローグや未来語りのダイアローグ(OD/AD)との共通点だ。OD/ADは、他者の他者性を大切にしていて、相手の声をすごく大切にする。理路整然と話していなくても、途中で割り込まず、最後までまずはじっくり聞く。なぜなら、他者は自分には理解し得ない、わからない部分がある他者だからだ。その他者の他者性を尊重するためには、まずはじっくり聞く必要がある。

そのような「いま・ここの瞬間における他者の他者性の尊重(respecting otherness in the present moment)」が対話の中でなされていくから、「聞いてもらえた」という実感が当事者にもわく。「じっくり聞く」プロセスの中で、当事者は「話してもいいんだ」とか「この空間は安心して話せる場所かも知れない」という安心感が少しずつ膨らんでいく。そして。このような対話空間を当事者参画の中で作っていくことで、対話空間における障壁が下がり、それがひいては環状島の急斜面がなだらかになり、丘に変容していくダイナミズムなのかも知れない、と浮かび始める。

つまり、意思決定支援が必要な状態にある人、というのは、環状島の内海で溺れかけている人である。そして、支援者に求められていることは、内海の水位を下げるために、自分自身の権力性や偏見を自覚し、相手の話をじっくり理解しようと試みることである。そのプロセスの中で、この人になら話してもいいんだ、と希望が膨らむことで、内海と外海の間にある断崖絶壁は、少しずつ丘のようになだらかに変化し始め、それが支援者と本人の意思疎通を図りやすくする、大きなきっかけになる。そんなことを受け取った。

そういう意味では、子ども領域だけでなく、高齢、障害、生活困窮など、領域関係なく、意思決定支援に関わる多くの人に是非とも手に取ってほしい一冊である。最後になるけど、お三方の文章はすごくわかりやすくて読みやすく、本を読むのが得意ではない人でも、十分に読み通せる。そして、今回ご紹介したような、魅力的でわかりやすい挿絵もふんだんに使われていて、真面目な本なのにほっこりする。本当に素敵なキーブックである。

「生きる苦悩」と出会う訪問診療

日本では、諸外国に比べて、精神病院からの脱施設化がなかなか進んでいない。これは、もちろん制度的問題が大きいのだが、それだけでなく、「受け皿がないから」とよく言われる。家族で抱えきれない、地域で支え続けることができない、そういう「重度障害者だから入院・入所もやむを得ない」という論理である。ただ、これはあくまでも日本的な表現である、とも言われている。障害者権利委員会のラスカス副委員長は、先日の日本滞在時に以下のように発言した。

「日本では、『重度障害者(person with severe disability)』という言葉をよく使います。しかし、それは医学モデルに基づく言葉、医学モデルの評価です。人権モデルでは『より多くのサポート(those who require more intensive support)』と表現します。
ラスカス教授によると、「重度障害」「重度障害者」という表現は「重度だからできない。重度だから考えられない」につながり、ほかの人との平等、尊重の考え方にそぐわないという。」(障害者教育、国連が日本に突きつけた厳しい課題

重度障害者だから入院・入所もやむ得ない。この言葉は僕もしばしば耳にしてきた。精神医療に関しては、「重度かつ慢性」なるカテゴリーもあって、そういう人は退院促進の対象外である、という認識もなされている。だが、重度障害者を『より多くのサポート(those who require more intensive support)』が必要な人、と捉えると、視点が全く異なる。地域の中で「より多くの・集中的な支援」がなされたら、精神病院に入院し続ける必要はないのだ。

では、地域の中で「より多くの・集中的な支援」を具体的にどうすればよいのか。その課題に真正面から向き合う良書と出会った。青木藍さんの『暮らしを診るこころの訪問診療』(日本評論社)である。

訪問診療やACTなど、精神科における在宅診療の前提知識がない人には、第一部の「訪問診療の基本」を読むと、その流れを大まかにつかむことができる。そして、僕自身がすごく興味深く読んだ、この本の売りは、第二部の「支援の現場から」における、具体的なエピソード事例である。各章のタイトルにあるように「障害が重たい人の生活を地域で支える」「日常生活が少しでもよくなるように支援する」「粘り強く関係を構築する」「支援の枠組みを作る」「関係構築の失敗」「主体的なかかわりを引き出す」「家族を支援する」と、実にバラエティに富んだエピソードが語られる。AさんからVさんまで、23人の「生きる苦悩」と出会うだけでも、ずいぶん心が揺さぶられる。

そして、様々な「生きる苦悩」に出会う青木さんや訪問チームの視点がすごくいいな、とも感じている。例えば訪問は受け入れるけど服薬をかたくなに拒否するFさんへのアプローチについて、こんな記載があった。

「変わらないように思える拒絶的な態度の裏に、Fさんなりに訪問診療を受け入れているのではと考えられるサインに気づいた。たとえば、いつも訪問の時間に合わせて玄関の鍵を開け、スリッパと座布団を準備してくれる。予定より早く訪問したときやFさんが予定を勘違いしていたときには鍵は閉まっているし、スリッパも出ていない。そして、スリッパと座布団がしょっちゅう新しくなっている。家の調度品は30年は経っていそうな古いものばかりで、新しいものといえばスリッパと座布団だけなのである。また、Fさんはよほど寒くならなければこたつのヒーターを使わないのだが、訪問するとわざわざヒーターをつけてくれることもある。」(p103)

この記述を書き写しながら改めて感じるのだが、観察するまなざしが、やわらかく、深い。スリッパや座布団、ヒーター、というのは、「ごく当たり前」の調度品である。だが、その調度品がどのように使われているか、という「モノの状態」は、実はモノと人の関係性、あるいはFさんと訪問チームの関係性を表す、それを象徴する「モノの状態」なのである。それを、訪問の繰り返しの中でキャッチし、受け止めていく。この視点が、すごくいいな、と感じる。

診察室で患者さんを迎えるとき、医師は自らのホームで患者さんを診る。僕も経験があるが、診察室ではどきどきして、言いたいことが半分もいえない。一方、患者さんの家に医師が訪問する時、相手のホームに医師は乗り込む。医師の方が当然ドキドキする。

そんなアウェーの場に出かけるとき、訪問診療の現場で、何をどのように見て、どの部分を観察するか、は、医療チームにおいても千差万別だろうと思う。法律上では、単に患者の身体と話すことのみを観察する点が求められているし、それができればOKとなっている。でも、それでは「診ることのできる範囲」が限定的である。訪問先の部屋の様子を観察すると、整頓ができているか、ゴミ屋敷なのか、などが色々見えてくる。だが、そのような「相手の状態を理解する」ことにとどまらず、青木さんの記述の中に出てくるのは、「モノが象徴する相手と自分の関係性」の観察、である。そこまで診ていくと、訪問することによって、診察室で見える風景と違う何かを理解できる。そして、「生きる苦悩」が最大化して、それが精神症状と結びついた患者さんを診察する際、「患者の身体と話すことのみを観察する」こと以外で得られる情報が決定的に大切になってくるのだ。これは、知的障害を伴う自閉症のTさんとの非言語的なコミュニケーションでも見えてくる。

「訪問診療を続けるうちに、Tさんの叫ぶ声にも、気持ちのいい声のときと、イライラして苦しい声のときがあることに気づいた。『今日は穏やかないいお声ですね』などと言うと、母親が『そうなんです。実は今週は朝機嫌が悪くて、もう通所できないかなと思っていたら、持ち直して午後から行けたということがあったんですよ』『あんまり通所できていないんですが、玄関に座って外を見ているんですよ。気持ちが外向きになってきたんだと思います』などTさんの細かい変化を話してくれるようになった。母親がこのように話すと、Tさんはこころなしか嬉しそうであった。」(p178)

クライアントの状況を、言語的で論理的な訴え、のみに限定して観察すると、スリッパや座布団は入ってこないだけでなく、「気持ちのいい声のときと、イライラして苦しい声」といった声の変化もなかなかキャッチしにくい。でも非言語的なコミュニケーションが主流であるTさんに関しては、その「叫び声」の質的違いを捕まえることができると、より深い理解が可能になる。こういう観察眼の豊かさは、本書の随所に出てくる。それに関して、以下のような記述もあった。

「<メモ>さりげなく観察する
生活環境の観察は重要である。しかし、ジロジロと評価するように見られるのは患者さんにとっては不愉快であろう。筆者は、室内に入り、患者さんが先導しているときや、書類にサインする間、書類を取りに行っている間、退去する際など、患者さんの注意が筆者に向いていないときにさりげなく観察するようにしている。何気ないものや出来事をこころに留めておくことが、支援に役立つように思う。」(p116)

これを読んでいて、あー、やっぱり一緒だ、と思った。何と一緒なのか。それは、「名探偵コナン」である。コナンは、警察の公式見解や人々の話すことを、鵜呑みにしない。いろいろな人と話をしながら、さりげなく観察しながら、声のトーンやモノの配置・状況、モノと人との関係性までを「さりげなく観察する」。そして、そういう情報を関連付けて統合した上で、真犯人を見つけていく。僕はアセスメントにおいて、そのような主観・客観の混ざった断片的情報を関連付けていくことが大切だと思うし、仲間と作った『困難事例を解きほぐす』(現代書館)の中でも、そのことは整理した。

そして、青木さんの本を読んでいても感じるのは、地域の中で「より多くの・集中的な支援」が必要な人と向き合う際に、青木さんがされていたようなアセスメントを豊かにすることで、支援が可能になっていく、ということだ。逆に言えば、診察室での3分診療では見えない何かを捉えることで、クライアントの最大化した「生きる苦悩」と向き合うきっかけになると改めて感じた。

この本は、訪問診療に携わる医療者だけでなく、相談支援や訪問介護・看護にも関わる多くの実践者が読んでほしいな、と思う、実に読みやすい一冊だった。

戦略的母性主義という可能性

「母性」というのは、悩ましい言葉だ。子育てをするなかで、子どもを包み込み・無条件に承認するような愛情が自分のなかにもあること発見して、「母性的」と言いたくなる自分がいる。でも、ぼくは生物学的にも性自認も男性である。そのぼくが「母性的」と自らを名乗るのも何だか変な気もするのだが、それを「本質主義的だ」と批判するのも違うような気がする。

そういうモヤモヤを抱えていたので、元橋利恵さんの『母性の抑圧と抵抗:ケアの倫理を通して考える戦略的母性主義』(晃洋書房)を読んで、そうかそんなふうに考えればいいんだ!と、少し風通しがよくなった。

「母親業の営みは、パターナリズムに特有の、『優れた』者がそうでない者を代弁するという発想には基づかない。ケアとは非対称な関係性のなかで相手を1人の人間として尊重するということから始まり、ゆえにそこは常に自分と相手との間のぶつかり合いや葛藤が生じる。母親業では子どもの意思を尊重しつつ、彼彼女らが人間として尊厳をもてるような選択肢や問題解決を具体的な文脈に寄り添いながら思考し導いていくことが要請される。それはマターナル(maternal)な営みであると言えるだろう。」(p204)

パターナリズムとは父権主義や温情主義とも訳される言葉で、「『優れた』者がそうでない者を代弁するという」ある種の上から目線の、恩着せがましいアプローチである。そこでは、「可愛そうだから何とかしてあげよう」という温情的な視点はあるが、あくまでも父的な存在が絶対的な力を持ち、絶対的に非力な子どもは父に言われるがままに導かれる、という非対称な関係を前提にしている。そして、その非対称な関係は、「仕方ない」「そういうものだ」とデフォルトにされる。ゆえに、親子がぶつかった時は、親に子が従うのが「仕方ない」「そういうものだ」と理解されやすい。

一方マターナルな営みは、「非対称な関係性のなかで相手を1人の人間として尊重するという」ケアからスタートする。赤ちゃんや幼い子どもでも「1人の人間として尊重する」ということは、相手の意思決定を大切にすることであり、親が思う方向ややり方と違う動きをしても、押さえつけることなく、そのものとして尊重する必要がある。その際、「自分と相手との間のぶつかり合いや葛藤が生じる」。五歳の娘と日々過ごしていても、服のたたみ方とか、片付け方とか、本当にささいなことで、「自分と相手との間のぶつかり合いや葛藤が生じる」。

その時に、「お父さんのやり方の方が正しい(効率的だ、上手くいく・・・)から、このやり方でしようよ」と提案しても、娘は頑として受け付けない。その時に、父の中に存在するパターナリズムは、「そういうもの」だから聞いてくれたらいいのに、とつい温情主義から暴力的な抑圧に転化しそうになる。でも、ここで一呼吸を置いて、子どもを観察して、待つことが出来るか、が問われる。それはまさに、元橋さんが描くように、「子どもの意思を尊重しつつ、彼彼女らが人間として尊厳をもてるような選択肢や問題解決を具体的な文脈に寄り添いながら思考し導いていくこと」なのである。その時、ぼくはパターナリスティックな部分とマターナルな営みに引き裂かれる。そして、何とか後者に踏みとどまろうとする。

元橋さんの論考が圧巻なのは、このようなマターナルな営みとしての、母親達の政治運動に関して、歴史的な視点を持ちながら、フィールドワークを行った点である。第二次世界大戦中の「軍国の母」が大政翼賛会に参加していったことや、その反転としての反戦運動に転じていった歴史を踏まえた上で、1980年代のチェルノブイリ原発事故以後の反原発運動、そして2011年以後の反原発・反戦運動を俯瞰するし、近年の母親によるアクションが、「戦略的な母性主義」に基づく、と指摘している。

「本書の視座である戦略的な母性主義は、『個』であることと母性を相反するものと捉え母親を社会の中で劣位に置く近代個人主義的な母性観に対して、母親業のなかで鍛えられ培われた思考や判断力を社会構想の基盤に置こうとする。戦略的母性主義の視点からは、母親の活動は、個としての存在を抑圧するものではない。むしろ、個としてしか主体であることを認めない従来の枠組みを批判し、母であるという『わたし』から始めるという視点を有しているものである。」(p141-142)

ここで言う「母であるという『わたし』から始めるという視点」は、「個としてしか主体であることを認めない従来の枠組み」とは違う視点である。子どもと抱えた母である、という複数性を抱えた主体であり、「常に自分と相手との間のぶつかり合いや葛藤」を抱えている、という点で、単数の個とは異なる存在である。そして、「近代個人主義的」においては、そのように1人に割り切れない母なる存在を、「社会の中で劣位に置く」価値判断をしてきた。子どものケアを母に押しつけ、父は外で主体的に働く、というあの構図である。でも、それによって見えなくなっている視点がある。それを社会構想の基盤に置こうとするのが、「戦略的母性主義」の視点なのである。その結果、反安保法制に関するママの会において、以下のような展開がスタートしていく。

「ママの会のメンバーたちは、政治活動の場で『母としての私』として日々の母親業の経験や不安について話す。そして、その語りが集団において承認されることによって、母親である自分は政治にふさわしくないと考えていたことが、実は、母親業に価値を見いださない政治の仕組みや文化のほうに問題があるのだという認識の転換を行っている。このようにして、自らの行う母親業には政治的価値があるという確信を得ることが、メンバーたちを励ます。そして、エリート政治の空間に子どもを連れていき、母親の日常の延長に『政治』を置こうと試み、政治の当事者であることを奪われている他の母親たちにアプローチを行う等といったママの会の活動の特色をつくることにつながっていったと考えられる。このように、彼女たちが母親であることを掲げながらも、『自分の子どものため』だけに留まらず、『他の母親や他の子どもたちのために』という思考や行動につながっていく。」(p190)

「母親である自分は政治にふさわしくない」というのは、明らかにパターナリスティックで近代個人主義的な日本の政治が、母親にそう思わせてきたことである。そして、ママ達もそれを疑うことなく内面化してきた。だが、「日々の母親業の経験や不安」に基づく、政治や行政に関する違和感や疑問を言葉で表現することで、「その語りが集団において承認されることによって」「実は、母親業に価値を見いださない政治の仕組みや文化のほうに問題があるのだという認識の転換」が始まる。

これは、「保育園落ちた、日本死ね!」という1人のママの怒りの発言が、待機児童問題を政治化させたプロセスを思い出させる。あるいは「エリート政治の空間に子どもを連れていき、母親の日常の延長に『政治』を置こうと試み」は、熊本市議会で子どもを連れて出席しようとしてバッシングされた議員の試みを思い出させる。パターナリズムに染まった人々(男女問わず)は、二つの出来事に批判やバッシングを浴びせかけた。だが、この2人の母親の行動によって、「彼女たちが母親であることを掲げながらも、『自分の子どものため』だけに留まらず、『他の母親や他の子どもたちのために』という思考や行動につながって」いったのである。これらは、まさに「母親業のなかで鍛えられ培われた思考や判断力を社会構想の基盤に置こうとする」戦略的母性主義の一例である、と言えそうだ。

そして、こういった戦略的母性主義はケア倫理にも結びついている、と元橋さんは整理する。

「母親業を担う者としての『母親』の政治的アイデンティティは、あらかじめあると措定された本質としての母親ではなく、ケア行為の事実や、ケアの価値をないがしろにする政治への対抗から創出されたつながりである。政治的アイデンティティとしての『母親』は、子どもの尊厳を傷つけるものや、母親業の遂行を妨げる社会のあり方を不公正とみなし闘う者であることがその本質であると言える。そのため、母親業の政治的アイデンティティは、親の性別やセクシャリティ、家族形態を問わない。」(p205)

パターナリズムに染まる人々が称揚する母性を持った母親とは、子どもを無条件に愛するが、政治には口出しせずに慎ましく慕う像であろう。一方、ママの会も含めて、社会的にバッシングも受けた上記の女性たちは、政治的主体性を剥奪されていないし、それを主張している。これは本質主義的な「母なるものは父なるものとは異なり、政治的な発言は父に任せる」というパターナリズムに染まった主張とは真逆である。「ケア行為の事実や、ケアの価値をないがしろにする政治への対抗から創出されたつながり」であり、発言である。女子どもは黙って男に従え、という旧時代の抑圧的価値観に対して、「子どもの尊厳を傷つけるものや、母親業の遂行を妨げる社会のあり方を不公正とみなし闘う者である」。これはケアを重視した倫理的な態度、という意味で、ケア倫理に基づいた政治的主体性を引き受けた存在であり、「本質としての母親・母性」とは異なる「戦略的母性」である。

そして、そのような「戦略的母性」について、「母親業の政治的アイデンティティは、親の性別やセクシャリティ、家族形態を問わない」とも彼女は語る。ぼくは十分に出来ているとは言えないけれど、「子どもの尊厳を傷つけるものや、母親業の遂行を妨げる社会のあり方を不公正とみなし闘う者」ではあり続けたい、と思っている。「ケア行為の事実や、ケアの価値をないがしろにする政治」については、アカンもんはアカン、と言い続ける。そういう意味で、「戦略的母性」をぼくも生きたいと、心を新たにした。

「うっかり」のダイナミズム

以前から何度かお話しさせて頂き、めっちゃ魅力的な社会起業家である河内崇典さんが初めての著書を出された。

『ぼくは福祉で生きることにした お母ちゃんがくれた未来図』(河内崇典著、水曜社)

ずいぶんストレートなタイトルである。でも、彼の波瀾万丈な人生と思いがギュッと詰まっていて、読み出したら止まらなくなって、あっという間に読み終えた。

福祉の領域にも、沢山の社会起業家はいる。マスコミでちやほや評価されている人も少なくない。その中でも、自分に光が当たることをガンガン追いかける、「ぼく見てぼく見て」系とか、「福祉はめっちゃ儲かる!」系、「どーだ!こんなこともできて、オレっちすごいだろう!」系の人も少なくない。そういう人は、必要以上に小洒落た、いわゆる「バエる写真」を載せたり、ツイッタで刺激的・好戦的な発言をしたり、とにかくセルフプロモーションに抜かりがない。

河内さんは、それと真逆である。「どーだ!すごいぞ!おれ!」ではなく、御自身の弱さや至らなさをさらけ出している。そこに、誠実さを感じるのだ。

「こうして事業説明をしていると、どうしても『すごいことをしている人たち』『正義感が強く、真面目な人たち』といった印象を持つ人も少なくないでしょう。おまけに、ぼく自身のことを『すごい人』『立派』と思う人がいるかもしれません。
でも、ちょっと待ってください。
ぼくを知っている人なら、わかると思います。ぼくは、子どものころから勉強は一切出来ず、小中高通してビリが当たり前の生徒でした。一浪の末なんとか合格した大学はそうそうに行かなくなり、昼夜逆転で遊びとコンパに明け暮れる・・・。福祉にふれたこともなければ、絵に描いたようなやる気のない学生だったのです。
そんなぼくが、なぜこの世界にのめり込むことになったのか。
そこには、ぼくの大切な『お母ちゃん』がいつもいます。」(p17)

自分のことを『すごい人』『立派』と「思わせたい人」は、世の中に沢山いる。承認欲求の塊というか、他者評価へのとらわれ、というか。ぼくだって、そういう部分がゼロか、と言われたら、極めてアヤシい。でも、河内さんは、自分の人生を語る冒頭で、自分のことを「福祉にふれたこともなければ、絵に描いたようなやる気のない学生だった」と語る。『すごいことをしている人たち』『正義感が強く、真面目な人たち』ではないんだ、学校では落ちこぼれの方だったのだ、と語るのだ。

「福祉」というと、どうしても「良いこと」というイメージや価値前提のラベルが貼られる。そして、実際に「他人のために何かしたい」という「善意志」を持っている人も少なくない。そういう気持ちを持っている人が結構いるがゆえに、『すごい人』『立派』というラベルが貼られるのも、あながち間違いではない。でも、それは諸刃の刃である。「自分はあんな風に『すごい人』『立派』ではないから、福祉の仕事なんて出来ない」と思い込んでいる人も多い。現に、ぼく自身も学生さんからそういうことを言われる機会が少なくない。

でも、いま・ここ、の段階で『すごい人』『立派』な人しか福祉の仕事が出来ない、という訳ではない。そして、『すごい人』『立派』な人になるために、福祉の仕事を手段化するのも、違う。

実は本書を読み終えると、河内さん自身はやっぱり『すごい人』『立派』な人だと伝わってくる。でも、彼はそれを目標にした訳でもないし、福祉をその方法論に用いた訳でもない。河内さんは19歳の時に、「話すだけで時給1800円」というバイトのお誘いにうっかりのってしまった。実際の所は、脳性麻痺の男性Tさんの入浴介助だったと知り、話が違うと思ったけれど、断れないまま自宅に出かけてみたら、Tさんのお母ちゃんが大歓迎して、唐揚げをてんこ盛りに揚げくれていた。ご飯も沢山炊いてくれていた。流石にそれで断ることがようできひんと、唐揚げご飯を食べてしまったばっかりに、障害者介助にはまり込んでいく。

一般的に、成功した社会起業家というと、自分で市場開拓をして、ゴール設定をして、そのアジェンダに基づいた資金戦略を練って、と「計画的」に物事を進めるものだ、という「固定観念」があると思う。でも、河内さんの場合は、それとは真逆。たまたま、高収入バイトの誘いにひっかかり、話は違うけど唐揚げをあげてくれたお母ちゃんに出会ってしまい、ずるずる障害者福祉に引き釣り込まれていく。最初から善意志があった訳ではない。そこら辺にいる、グダグダな学生さんの一人だったのだ。

ただ、入口はそうだったかもしれないが、単にグダグダなだけでは終わらなかった。

茶髪で大学に行かないまま、でも入浴介助をし続けているうちに、「地震が起こったらこの子はどうなるがね」と言われて、「肩にのしかかってくる重たい何かを、一人で感じる」ようになった、という。

「(俺は知らんで、無理やで)(やばい。ほんまこんな仕事はよやめな・・・)(俺は関係ないで。俺は関係ないけど、世の中には腹立つな・・・)
自分とは関係のないことだ、と思おうとするのですが、引っかかりがおさまりません。そのうち、ぼくは怒りに近い疑問を抱くようになりました。
お母ちゃんみたいないい人が、どうしてこんなに困らなくてはいけないんだろう? なぜ障害を持った人やその家族たちが、『迷惑がかかる』と言って、こんなに肩身の狭い思いをして生きていかないといけないんだろう?と。」(p46)

河内さんは、うっかりお母ちゃんの唐揚げを食べてしまったばっかりに、入浴介助を続けていた。その中で、障害者を取り巻くしんどい現実に出会ってしまった。そこで、「俺は関係ないで。俺は関係ないけど、世の中には腹立つな・・・」と「怒りに近い疑問」を持ってしまった。

実は、この「問いを持つ」というのが、彼のその後の原動力の源泉にあったと思うし、彼がぐだぐだな学生から、「すごい人」で「立派」な事業展開をしていく原点にあったのだと思う。これは、PDCAサイクルだとか、企画書を書くことでは、絶対に生まれてこない。自分の魂につながるような、怒りや疑問、それを生み出す強烈な出会い。そんな運命の偶然やうっかりが重なる中で、その後の「み・らいず」の展開が始まる。

その後の話も、興味深いけど、下手にぼくが紹介するより、是非とも本書を手に取ってほしい。特に、就職活動をする前の、どんな仕事をしていいのかわからない、と思っている若者には、是非とも手にして欲しい一冊だ。頭でっかちで色々考えてみるよりも、まずは出会ってみる。そこで、何かをやってみる。対話してみる。そういう風に、動いてみることで、「うっかり」何かが始まる。それが、自分の人生を変えうる出会いになることもある。

そんな「うっかり」のダイナミズムが知れて、この本は実に良かった。

「他者からの目」を越える「爽快さ」

平尾剛さんがミシマガジンに連載しておられる「スポーツのこれから」は、ぼくにとって心を震わせる内容である。それが、「父親のモヤモヤ対話」と題して9月11日に対談イベントをさせて頂く原動力になった。今回は、その平尾さんの連載の中から、もっとも刺さった部分をご紹介したい。

「娘たち園児を見ていると、私はなぜだかからだを動かしたくなる。「他者からの目」を気にせず、ただただ無邪気に動き回る彼女たちに、デスクワークで肩や腰が凝り固まったこのからだが恨めしくなってきてからだが疼く。「劣等感」を言い訳にせず、どうにかして上手な動きに近づけようと真剣に取り組む彼女たちの姿に、私は知らず知らずのうちに勇気づけられている。
「他者からの目」に臆さず、「劣等感」を冷静に受け止めた上で「勇気」を出して動いてみよう。そうすれば懐古的な「爽快さ」が味わえる。跳び箱が跳べず、逆上がりやマット運動や球技ができなくたって、「他者からの目」を振り解きさえすれば私たちは運動を楽しむことができるのだ。」(「他者からの目」を振り解く

平尾家の娘さんより1才年長の我が娘さんも、確かに「他者からの目」を気にせずに、「爽快さ」全開で動き回っておられる。特に、今お世話になっているこども園は、サッカーや駆けっこ、どろんこ遊びなど、全力で外遊びを応援してくれ、先生も一緒になって真剣に遊んでくれる。そして、最近は本気でサッカーをやっているので、ぼくも娘に引っ張られて、休みの日に娘とボール蹴りをするようになった。すると、娘の「爽快さ」が伝染してきて、めっちゃボールを蹴るのが楽しいのだ。それは、「他者からの目」を気にしまくった父さんを、逆照射する。

ぼくは「運動ギライ」だと長年自己規定してきた。でも、平尾さんの論考を拝読して、改めて感じるのだ。ぼくはまさに「他者からの目」を気にして、「運動ギライ」になってしまった、と。華麗にプレーする友人に比べて、ドリブルもキックも下手だし、強いキックは怖いし・・・と怖じ気づいて、そこから劣等感をコンプレックスに感じてしまった。それは他者比較の牢獄の中に、入り込んだ瞬間だった。そして、その頃から、スポーツにおける「爽快さ」を見失ってしまったのだ。

そして、続きの連載を読んで、思わず声を挙げた。

「部内でのレギュラー争いや、全国大会への出場およびそこでの戦績アップを目指した活動は、過度に競争的な環境をもたらす。優劣を自覚させられ、そこから半ば強制的に発奮させられる。常に「右肩上がり」を求められるなかで、子供たちは「できる/できない」で運動を解釈する見方や考え方に徐々に染まってゆく。」(「下手でもいい」と思えるために

この「「できる/できない」で運動を解釈する見方や考え方」に囚われたので、ぼく自身は早くから、「できない」自分はずっと劣っているから、とスポーツが楽しくなくなった。「運動ギライ」で固まっていった。ただ、これは実は「勉強」における「能力の点数化」が元になっている。そして、たまたま小学校時代は勉強が出来てしまったがゆえに、ぼくは運動ではなく、受験勉強において「過度に競争的な環境をもたらす。優劣を自覚させられ、そこから半ば強制的に発奮させられる」プロセスにのめり込んでいった。中学校で入った猛烈進学塾で、夜中12時まで勉強することはザラになった。そして、有名進学校と言われるところに、潜り込むことになる。

「やがて指導者やチームメイトからの査定の目が張り巡らされている環境に疲れてしまい、途中で辞める部員や、たとえ卒業まで続けたとしても、それ以降はするだけでなく観るのも嫌になる部員もいる。突然やる気を失う、いわゆる「燃え尽き症候群」になることもさほど珍しいことではない。その予備軍を含めれば、多くの生徒や学生たちがいまも頭を悩ましていることだろう。」(前掲)

これは、スポーツ強豪校だった前任校のカレッジアスリートの中に一定割合いたし、スポーツを勉強に変えたら、高校生の頃のぼくそのもの、だった。高校入学当初は成績が良かったのに、右肩下がりで成績が落ち、そのまま浪人生まで突っ込んでいった。それは、まさに「査定の目が張り巡らされている環境に疲れて」しまった、「燃え尽き症候群」だった。たまたま入った写真部で、友人とだらだら喋りながら、勉強以外の別のことをずっと考えている、勉強がイヤで仕方なかった高校・予備校時代だった。学びの爽快さを失い、「他者からの目」に支配されて生きていくことを、生きづらいと感じながら、どうすることもできなかった。

「「できる/できない」で運動を捉える凝り固まった体育・スポーツ観を変えるには、下手でもいいから思いっきり楽しめばいい。そう考える人が社会に増えれば、運動嫌いの人たちもちょっと運動でもしてみるかと思い腰を上げやすくなるし、部活動を辞めてからもそのスポーツを続けていきやすくなるだろう。下手くそだからと苦笑するのではなく、ガハハと笑い飛ばせる人たちがたくさんいる社会になれば、「他者からの目」が温かくなる分だけ運動することへのハードルは下がる。」(前掲)

ぼくがそう思えたのは、「下手でもいいから思いっきり楽し」んでいる娘と出会えたからだ。サッカーの苦手意識が極端に強かったぼくが、この夏ボール蹴りを楽しむだなんて、思いも寄らなかった。それは、ボール蹴りをして、あらぬ方向に飛んでいっても、「ガハハと笑い飛ばせる」娘と一緒だったから。娘がぼくと遊んでくれたおかげで、ぼくは、娘を通じて、「他者からの目」の牢獄から、少し、楽になった。

そして、もう一つ、平尾さんの連載を読んでいて、僕の中でずっと鳴り響いているフレーズがある。それが「勝利至上主義」である。

「「競争主義」における目的は「全体の質が高まること」である。これに対して「勝利至上主義」は勝利そのものを目的とする。競争相手より秀でることを最優先すればどうなるのか。対戦する相手が有利にならないように情報を隠す、あるいは相手の失敗や失策をよろこぶようになる。そうして次第に全体の質が低下してゆく。ここに大きな違いがある。
個人や団体が成熟を果たすための方便にすぎなかった競争が、いつのまにか目的化する。競争原理の導入がその効力を失うデッドラインの先に、「勝利至上主義」は出来するのである。」(「競争主義」と「勝利至上主義」

勝ったり負けたりする競争。これは、「個人や団体が成熟を果たすための方便」であり、プロセスである、と平尾さんは喝破する。本来はスポーツにおける勝負を通じて、人や組織が成熟する。それが目的とするなら、勝利至上主義は、勝利という方法論を自己目的化することになる、と。

これは、受験勉強でも全く同じである。どこの高校・大学に入るか、というのは、あくまでも方法論にしか過ぎない。でも、その方法論の自己目的化をするからこそ、偏差値至上主義が生まれ、ぼくも巻き込まれ、燃えつきていった。そして、それは、新自由主義的価値前提が蔓延していくこの社会における、生産性至上主義とか男性原理主義が、子ども世界に蔓延することによる、あだ花であった。

つまり、平尾さんはトップアスリートとして、ぼくは受験勉強して、別ルートではあるけれど、同じような方法論の自己目的化や原理主義に巻き込まれていったのである。そして、これらの方法論の自己目的化こそ、子どもの学びや動きの「爽快さ」を奪い、「他者からの目」に釘付けにしてしまい、ひいては子ども集団全体の質が低下する根源にあるように、思う。そして、このような原理主義は、大人世界の、それこそ昭和の「24時間働けますか」的な価値観を色濃く引きずっている。

平尾さんもぼくも1975年生まれの団塊ジュニア世代。この二人が、自らも背負い続けてきた昭和的価値観の牢獄性、呪縛性に気づいて、それを言語化しようともがいている。そして、平尾さんもぼくも、幼い娘との関わりの中で、モヤモヤし、それが言語化にむけた大きな補助線になっている。今回の対談では、おっさんにこびりついた方法論の自己目的化の牢獄とか、そこからどうやったら自由に、それこそ「爽快に」生きられるだろうか、を平尾さんと共に考え合いたいと思う。

そういう意味では、「かつての子どもだった時代のわたし」を捉え直す時間にもなりそうだし、「これから育ちいく子ども」とどう関われそうか、を大人が考え直すきっかけにもなりそうな対談だ。日曜日が、ほんとうに楽しみである。みなさんも、良かったらご一緒にモヤモヤ考え合ってみませんか

動感を充実させる

9月11日に平尾剛さんと対談をさせて頂く。ラグビー元日本代表であるが、恥ずかしながら、彼が現役時代にそのプレーを拝見したことはない。ずっと内田樹さんのファンだった僕は、内田さんのブログや『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)で彼のことを知り、興味を持った。そして、彼のツイッターをフォローして読んでいるうちに、競技中心主義や教育のありようについて書かれていることにすごく共感し(今のミシマ社の連載もオモロイです)、ルチャ・リブロの青木真兵さんがつないでくださって、今回、初めて対談させていただく事になった。

そして、読んだつもりになっていたけど実は未読だった『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)を拝読。この本は、今だからこそ、その中身が深く味わえて、すごくよかった。

「スポーツでも人生でも、ときおり訪れる『うまくゆかない場面』は、まるで複雑に絡み合った結び目である。どこをどう解けばよいかがわからない。結び目を眺めながら解けそうな場所に目星をつけて、一つ一つ根気よく紐を引っ張るしか解決方法はない。
しかしながら端的に結び目をなくす方法が一つだけある。それはナイフで一刀両断にすることだ。そうすれば結び目はなくなる。
だが、果たしてこれで解決したといえるだろうか。ちぎれた紐が散乱する様を見て、これで落着したと思えるだろうか。もしこれがからだなら、『全身協調性』をぶった切ることになるし、人間関係なら傷ついた人たちが増えることになりはしないだろうか。
このシンプルな解決法に頼らない思考を私は『脱・筋トレ思考』と名付ける。『うまくたちゆかない場面』を克服するときには、その本質としての複雑性をそのまま認めるという態度が、スポーツ界のみならずあらゆる場面で、今、求められている。」(p187)

ぼくはなぜだか、福祉現場の『うまくゆかない場面』が持ち込まれて、何とか紐解くことを求められる案件が多い。色々な現場から、「これはどうしたらよいのでしょう?」という案件が持ち込まれる。相談する当の主体が解決方法をわかっていないのに、ぼくにわかりっこない。その時、「ナイフで一刀両断」したくなることもある。でも、それでは全くなにも解決しない。だからこそ、「結び目を眺めながら解けそうな場所に目星をつけて、一つ一つ根気よく紐を引っ張る」ことしか、できない。それを専門性と言って良いのかわからないけど、現にナイフを使わなくても、ほどけたり、何とか切り抜ける場面と何度も遭遇してきた。

そして、そういう風に複雑に絡み合った結び目を解き続けているうちに、ぼくの中に宿ったある種の感覚的な何かがある。そして、平尾さんの本の第5章から第6章を読むうちに、それはトップクラスのアスリート達が身につける「身体知」と共通している、と気づかされた。発生論的運動論に基づくと、身体知はうまれつきの運動能力である「始原的身体知」と、特定の動きを身につけるための能力である「形態化身体知」、そして動きの質を高めるための能力である「洗練化身体知」の三つがある、という。それぞれ、土壌、木の幹、枝葉にあたる部分だそうだ。

ぼくは現場の人のこんがらがった話を聞くときは、まず話の全体像を把握しながら、気になる部分の気配や直感を大切にし、「問い」を発して対話をするなかで、モヤモヤした直観を予感に変えようとするのだが、これは始原身体知にあたる、という。その上で、これまで解決してきた先例と紐付けながら、この問題ならこういう対処方法もあるかも、というコツやカンを働かせて、相談相手に働きかけてみるのだが、これは形態化身体知という。そして具体的な解決策に落とし込んでいくのだが、これはどうも洗練化身体知で書かれている内容に共通するようだ。それなら、先週末もやっていた(^_^)

なんと、運動は苦手なはずなのだが、こんがらがった問題に取り組むとき、無意識で無自覚に、身体知を使っていたのですね。だからこそ、なぜかぼくのところに沢山こんがらがった問題が持ち込まれるし、ある程度はほどけてしまうけど、自分ではなぜそれがほどけたのか、よくわからないままだった。でも、こうやって現象学的なフレームに基づいて整理されると、なるほどな、と心より納得する。

「動きを実践するときに、運動主体の内面に生じる感覚を『動感』という。たとえば跳び箱を前にしたときに、『なんとなくこんな感じでからだを使えば跳べるはずだ』と思える人は、跳び箱を跳ぶための動感が充実している。(略)
ボールを投げる、蹴る、バットあるいはラケットで打つといった動きにもそれぞれに必要とされる動感がある。運動取得という現象そのものを厳密に掘り下げれば、この動感を充実されることが最大の目的であり、ポジティブな心構えも、発達した筋肉やからだの柔軟性も、つまりのところはこの動感の充実に収斂される。」(p134-135)

「動感の充実」! それこそ、福祉現場の『うまくゆかない場面』を前に、ぼくが活用していることである。そして、スポーツに当てはめるなら、ぼくが知りたかったけど、教わらなかったことだ。であるがゆえに、スポーツ音痴だと思い込んで、ずっと体育の時代が嫌いだった、最大の理由にも繋がる。ぼくは跳び箱、バスケ、サッカー、野球、鉄棒、駆けっこ・・・様々な競技で、動感が空虚なまま放置され、ほんとうにつまらなかったのだ。

ぼくはスポーツは小学校の頃から苦手意識が強かった。サッカーも野球も、集団プレーは「どんくさいから、他人の邪魔になる」と思って、積極的に関わらなかった。でも親がテニスを本格的にしていたので、スクールにもかよって、ストロークに関する動感は辛うじてつかめた。とはいえ、試合となると「へまをしたら」と思って、極端に苦手になる。運動とは縁遠いまま、だった。それが、30代で大学教員になった後、内田樹さんの著作で憧れて、山梨で合気道をはじめたあたりから、風向きが変わった。自分のペースで出来るスポーツなら出来そうだ、と、登山をしたり、ジョギングをしてきた。幸いにして、この三つに関しては「動感の充実」があったのだ。

そして、子どもが生まれ、こども園に通い始めると、ボール蹴りをし始めるようになった。本格的にサッカーをするこども園で、保護者サッカー大会もあるので、この夏はサッカーのトレーニングシューズを生まれて初めて買って、夏の間、ずっとボール蹴りをしていた。そのうちに、テニスでラケットの芯に当たるのと同じような感覚を、ボール蹴りでも時たまするようになってきた。これは、合気道で言うなら、相手の力を上手く導いて、何の力もいれなくても、すーっと技が決まっていく、あの感覚に近い。まだまだボール蹴りは初心者なので、そこまではいかないけど、純粋に、娘とボール蹴りをしていて、面白い、もっと蹴りたい、と感じる感覚である。まさにそれは、サッカーに空虚な気持ちを持っていた状態が、徐々にボール蹴りなら「動感が充実」してくるように、変わりはじめたのかもしれない。

そして、平尾さんの本を読んでいると、「どんくさい」「スポーツが苦手」というのは、「動感が空虚」だという風に置き換えられる。すると、その動感を充実させていきながら、そのスポーツなり動きを楽しめたら、オッサンになってからでも、そのスポーツに親しめる可能性がある、ということだ。確かに、合気道を始めたのは2009年で34歳の時だった。体重も増えていたし、ジムでバイクを漕ぐだけだったり、最初は先生の模範演技を見ても、全くわからなかった。でも、毎週コツコツ稽古を重ねていくうちに、動感が身についていくと、面白くなっていく。そのうちに、「袴を着けたい」という憧れというか目標が出来、稽古に打ち込めるようになった。無事に有段者になった後、子どもが生まれて家事育児に必死で3,4年は休眠状態だったが、最近、姫路の道場で再開している。今は、さび付いた動感を再び満たすために、コツコツ基本から抑え直している、というところである。

そして、秋の日差しで風も涼やかになる休日夕方は、そろそろ娘と公園でボール蹴りをする時間。子どもが生まれて、仕事が出来る時間が極端に減った。でも、ケアって、義務感だけではない、生の充溢という意味で、「動感が充実」しているのだと思う。生産性至上主義や競争原理主義とは違う、ケアにおける生の充溢とか、子育てを巡るオモロサやトホホさとかを、次の日曜日に平尾さんに色々伺えるのが、めっっっちゃ楽しみだ。まだお席に余裕があるようですので、皆さんもよかったら、対面でもオンラインでも、お越しくださいませ

嬉しい書評とイベントのお知らせ

2022年9月11日、新刊本を巡ったトークイベントをジュンク堂梅田店で開催していただく事になった。

残暑のモヤモヤ父親対談! 仕事中心主義を降り、ケアの世界を取り戻すために

この対談は、ラグビー元日本代表で、うちの娘と同じ年長組のお子さんがおられる平尾剛さんとの対談。勝利至上主義や生産性至上主義に共通する「男性中心主義」がいかに人間を追い込んできたか、とか、ケアの発想を取り戻すことが、どんな盲点に気づかせてくれるか、を、平尾さんにじっくり伺ってみたいと思っている。対面とオンラインのハイブリッド開催なので、ぜひともお待ちしております♪

さて、今回はこのイベント主催者であるジュンク堂のカリスマ書店員、福嶋聡さんが、ジュンク堂の店頭で配布される丸善ジュンク堂のPR誌「書標(ほんのしるべ) 20229月号」に、以下の書評を書いて下さった。ご本人の了解を得たので、ブログに転載させてもらう。

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『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』 竹端寛著、現代書館、1980円。

ケアや教育の現場では、その対象と対話をし相手から学ぶことが何よりも大切であることを、バザーリア、ニィリエ、フレイレといった先達に学び、『「当たり前」をひっくり返す』(現代書館)ことを熱く読者に訴えた竹端寛にとっても、その本の執筆中に誕生した娘の育児は、かなりの難事業のようだ。

訪れた雑貨店で商品を壊す、お出かけ時にむずがる、食事中に遊ぶ、おもちゃを片付けない・・・。そのたびに、「何やってるの!あやまりなさい」「ちゃんとしなさい」と声を荒げて叱りつけてしまう。そんな態度が子どもを決していい方向に向かわせないことを重々承知していながら、いざそうした状況に直面すると、あたふたし、腹を立て、同じ失敗を繰り返す。

気づけば、自分じしんを馬車馬のように動かしていた「ちゃんとしなくちゃ」という価値観を、娘にも押し付けているのだった。自分のかたくなさ、娘を思い通りに支配したいという気持ちが見えてきて、竹端をゲンナリさせる。

だが、失敗を重ねながら、竹端に「わからなないことを聞く」耳、「他者を主体としてみる」目が備わっていく。そうした姿を読みながら、ぼくたち読者も、ケアとは何か、育児とは何かを学んでいく。

かつて、ブラジル北東部の貧民地区の労働者を教えたフレイレに、妻エルザは「あの人たちを理解していないのは、あなたのほうじゃないの?」という一言を突きつけた。竹端と娘の関係に危機が訪れるたびに娘目線で事態を収拾する妻に、そんなエルザの姿が重なる。

思わず竹端に、(古い表現で恐縮だが)「この果報者め!」と呟く。(フ)

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福嶋さんからお送り頂いた書評を最初に読んだ時も、そして今こうやって書き写しながらも、こんな優れた書評を書いて頂けること自体がありがたいし、まさに「果報者」だと思う。書評に解説を加えるのは野暮とはわかっているのだけれど、少し文脈も理解してほしくて、『「当たり前」をひっくり返す』(現代書館)のp135-137から、引用しておく。

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「「理解していないのは、あの人たちを理解していないのは、あなたのほうじゃないの、パウロ?」そういって、エルザはつけ加えた。「あの人たち、あなたの話はだいたいわかったと思うわ。あの労働者の発言からしても、それは明瞭よ。あなたの話はわかった。でも、あの人たちは、あなたが自分たちを理解することを求めているのよ。それが大問題なのよね」」(フレイレ、『希望の教育学』:三四頁)

これは、世界的なベストセラー『被抑圧者の教育学』の著者で教育学者のパウロ・フレイレが、同書を執筆する十年以上前の、一九五〇年代後半に出逢った現実である。その日、彼はブラジル北東部レシーフェの貧民居住区にある産業社会事業団のセンターで、労働者たちを相手に、ピアジェの理論を使いながら、親が子どもたちに体罰しないように、というレクチャーをしていた。彼の話が終わった後、「年のころ四十歳くらいの、まだ若いのに老けた感じのする男」が発言を求めた。「よい話をききました」「私のようなものにもすっとわかりました」とお礼を述べた後に、次のように問い始めた。

「パウロ先生。先生は、ぼくがどんなところに住んでいるか、ご存じですか? ぼくらのだれかの家を訪ねられたことがありますか」(前掲書、三一頁)

彼はフレイレの暮らしと自分たちの暮らしがどのように違うのか、説明し始めた。自分たちはシャワーもお湯も出ない、「からだをおし込む狭苦しい空間」で、「おなかを空かせ」「のべつまくなしに騒ぎ立てているガキたち」と共に「辛くて悲しい、希望とてない一日」を「繰り返す」日々だった。その上で、こう述べたのだ。

「わたしらが子どもを打ったとしても、そしてその打ち方が度を超したものであるとしても、それはわしらが子どもを愛していないからではないのです。暮らしが厳しくて、もう、どうしようもないのです」(前掲書、三二頁)

この言葉は、フレイレにとって「全生涯を通じて聞いたもっとも明快で、もっとも肺腑をえぐる言葉」(前掲書、三〇頁)であった。その日の夜、打ちひしがれながら帰宅する車の中で、たまたまその集会に同伴していた妻エルザからフレイレが言われたのが、冒頭の発言である。当時フレイレは、貧困地区の労働者「のために」働きたい、と熱意をもって仕事に取り組んでいた。だが、彼はあくまで一方的に労働者に話しかけているだけだった。彼ら/彼女らから学ぼうとしていなかった。労働者たちは、フレイレの話を理解していた。その一方、フレイレは、労働者自身が置かれた現実や生活環境のことを理解してはいなかったのである。その時のことを、彼はこんな風に振り返っている。

「ぼくは学ばねばならなかった。進歩的な教育者は、すべからく民衆に語りかけねばならぬときも、それを、民衆に、ではなく、民衆との、語りあいに変えていかねばならぬのだと。」(前掲書、三三頁)

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優れた読者は、著者が思いも寄らなかったことまで、文脈を読み込み、関連付けてくれる。それが、本の面白さであり、素晴らしいところでもある。ぼくは自分の子育てエッセイを書きながら、『枠組み外しの旅』や『「当たり前」をひっくり返す』という著作のケアバージョンである、とは思っていた。でも、まさかフレイレがエルザに言われたあのエピソードにつながるとは、思いも寄らなかった。でも、福嶋さんに指摘されて、当該箇所を読み直すと、ほんとうにその通りである。

子ども「のために」と思って、必死に頑張ったところで、子どもの声に基づいて動かない限り、その「あなたのために」は、親のエゴであり、暴力的な関わりになる可能性だってある。そして、最近痛感するのは、年長組の娘は、親の言うことはしっかり理解出来ている、ということだ。出来るかどうかは、さておいて。一方、彼女が出来ない、言うことを聞いてくれない時、「理解していないのは、あの人たちを理解していないのは、あなたのほうじゃないの」というエルザの箴言は、まさに妻に言われているフレーズとも共通して、耳が痛い。どうして福嶋さんは我が家の夫婦の会話を知っているのですか?と思ってしまうほど、図星の指摘である。

そして、ぼくは失敗を繰り返し、頭を打ちながらも、他者である娘や妻のことを理解しようと少しずつ右往左往する中で、福嶋さん曰く「「わからなないことを聞く」耳、「他者を主体としてみる」目が備わっていく」のだと思う。そのプロセスを言語化したのが、このエッセイだ、と言われてみて、なるほど、確かにその通り!とびっくりし、他者の解釈で自分の本がより深く出来る、という不思議な体験を得られた。

だからこそ、フレイレの言う「ぼくは学ばねばならなかった」というフレーズも、改めて突き刺さる。娘や妻「のために」という説得や恩着せがましいabout-nessのモードを脱却して、妻や娘「とともに」というwith-nessモードの「語りあい」をし続けることができるか、が、常に問われている。

そんなことを、9月の頭に気づかせて頂いた。福嶋さん、素敵な「ギフト」、本当にありがとうございました。

ジェネレーターという生き方

本を読んで、自分がやってきたことに「適切な言葉」が与えられて、「そうそう、そういうことだったんだよね!」と思うことがある。今回ご紹介する本も、その種の一つである。

「ジェネレーターシップとは、出来事・物事が生成することに参加し、(主客・自他の境界を溶かし、あいまいにしながら)そこで起きていることをよく見・聴き・感じ・拾い上げ、その出来事の内側でその生成を担う一部となるということ、そして、世界へのそのような関わり方」(市川力・井庭崇『ジェネレーター:学びと活動の生成』学事出版、p164-165)

一年前のブログ(役割規定からの自由)で、ぼく自身のファシリテーターとしてのあり方に限界を感じていた時に、友人のてっちゃん(小笠原祐司さん)が、「ファシリテーターから探求者に」というモードの転換が必要じゃないか、と教えてくれた。ぼく自身、まさにそこで苦しんでいたので、「我が意を得たり」だと思っていた。そして、この「探求者」のコンセプトって、確かに何かを一緒に産み出す、という意味ではジェネレート(generate:生成)することだし、それをする人は、まさに「ジェネレーター」そのもの、なのである。以前のブログには、「教員の僕が一方的に押しつけるのでも、あるいはファシリとして黒子になるのでもなく、対等な探求者として共に考え合うことができたら、もうちょっとおもろい何かが出来るのではないか」と書いていたが、それを明確に言語化してくださったのが、上記の定義である。

実は、最近ぼくは授業において、このジェネレーターシップモードで関わり、学生たちの評判が良くなっている。従来の授業が一方通行の「教える—教わる」関係だったのだが、フレイレの銀行型教育と課題提起型教育の違いについて深く学び著作化もする中で、一方的な銀行型教育を自分がしていたら言行不一致になる。よって、ここ10年くらいはファシリテーターモードで、学生たちの意見を活発に浮かび上がらせるアプローチをしてきた。でも、僕がファシリで黒子になると、みんなの声は浮かび上がっても、ぼく自身の声は消えていく。オープンダイアローグを学ぶ中で、「いま・ここ」で浮かび上がる自らの声を垂直な対話で浮かび上がらせ、それを他の人との水平な対話で伝える重要性も学んでいたので、自分の声を消すファシリのあり方は、なんか違うと思っていた。

そこで、コロナ下のオンライン講義の頃から、完全に反転授業に変えて、テキストやテーマの文章を事前に読んで来てもらい、授業ではグループでその内容について議論した後、全体で討議しながら、そのテーマについて考え合う内容に変えて行った。その際に、ぼく自身のあり方は、みんなの声を聞いて活性化させるだけでなく、「いま・ここ」で浮かび上がるぼく自身の声もきちんとその場に差し出してみるようになった。そしてそれこそ、「出来事・物事が生成することに参加し、(主客・自他の境界を溶かし、あいまいにしながら)そこで起きていることをよく見・聴き・感じ・拾い上げ、その出来事の内側でその生成を担う一部となる」営みだったのだと思う。

そして、それは教員のぼく自身にとって、新たなチャレンジになった。

一方通行なら、自分が作った(からこそよく知っている)授業レジュメやパワポの内容を一方的に話せば良い。ファシリテーションなら、その場で皆さんの声を豊かにすればよく、僕が責任を取る範囲は限定されている。でも、ジェネレーターは、その場に一緒に参加し、どうなっていくのかわからない不確実さに一緒に関わり、その中で、「出来事・物事が生成する」場面に一緒に遭遇するのである。この際、自分自身の偏見や先入観から自由になり、いま・ここで「起きていることをよく見・聴き・感じ・拾い上げ」ないと、「主客・自他の境界を溶かし、あいまいに」なることはない。一緒に考え合うwith-nessのモードは、その前提として、参加する学生たちの声をしっかり聞いて、真剣に向き合って、例え不適切・しょうもないと思える声でも「いま・ここ」に差し出された声だから意味があるはずだ、と大切にしながら、その声が全体状況の中でどのように位置づけられるのだろう、と、みんなで一緒に考え合う、そんな胆力が求められる。そうしないと、「主客・自他の境界は溶か」すことはできないのだ。

で、ぼく自身は、最近探求者=ジェネレーターとして、「その出来事の内側でその生成を担う一部となる」という関わり方を授業でもしてきた。すると、授業の最後に、こんな感想が寄せられるようになった。

「講義の分野を専門とする先生と「対話」を経験することも重要であり講義の本質なのではないかと考えた。「先生」と「学生」で主従関係のようなものができるかもしれない。しかしこの講義はそうではない(先生は誘導していると感じている人は、おそらく銀行型教育で慣れているがゆえの、課題提起型の講義である福祉社会学への防御反応なのではないかと私は考えている←もちろん全くそういう意味でない人もいる)。あくまでも先生は私たちが考えやすいように学生の声を板書をしてくださっており、最終的に自分がどう考えるのかは自由である。なので、先生と学生という立場を越えた議論はできるのだという学びを実感するためにも、「先生」という存在は議論に必要なのではないかと考える」

「竹端先生の授業で自分の意見を言うことは怖くないことなんだと感じた。周りの子も相手の意見をしっかり聞いてコメントしてくれたのも自信につながった。また。先生が根気強く質問してきて、上手く自分の気持ちを言語化できないときもあったが、その悔しさのおかげで次の議論ではしっかりいえるように準備することが出来た。もしこの授業を受けていなかったら一生周りの意見にあわせて、自分を殺して生きていたと思う。」

改めて読んでも心がじんわり暖まる、嬉しいコメントである。主従関係を越えた対話。その中で、「立場を越えた議論」から何かが生まれてくる(ジェネレートする)。そういう事を積み重ねるなかで、「周りの意見にあわせて、自分を殺して生きていた」学生さんも、詰まりながらでも、自分の声を出してみる。ジェネレーターの僕は、「上手く自分の気持ちを言語化できない」学生さんの声を「よく見・聴き・感じ・拾い上げ」るお手伝いをする。そのプロセスで、「自分の意見を言うことは怖くないことなんだと感じ」、対話が深まっていく。

そして、そのプロセスから生み出されていくものを、政治学者ハーシュマンの有名なExit & Voice(離脱と発言)モデルを修正し、ジェネレートとリフレームという再定義をする。

「現状においてヴォイスが起きにくいのは、発言・告発したところで、それをまともに取り上げてもらえないという諦めが蔓延しているからだ。(略)『頼む、変えてくれ!』ではなく、『こうしたらよいのではないか?』『なるほど、それならこういうやり方もあるね』『いいね、さらにこれもできそう』とどんどんアイデアを出してつなげていく。これが、ジェネレートだ。」(p98-99)

「現状においてイグジットが起きにくいのは、どこも似たようなもので、イグジットしてもたかが知れているからである。(略) そうであれば、いまあるものの別のものに移るのではなく、新しいやり方やあり方をつくって、そこに移行すればいい。(略) その場の意味を捉え直すことによって、まったく新しい場として再定義してしまう。そういうことが、イグジットに変わるリフレームだ。」(p100)

長年、地域福祉に関して様々な自治体や社協などとの協働プロジェクトをやってきた。その時に、ぼく自身が大切にしていたのは、まさにジェネレートとリフーレムであった。

厚労省の政策は、あかんもんはあかん、と批判し続ける必要がある。一方、実際の支援対象者や地域住民と直接関わる基礎自治体や市町村社協は、批判だけでは困る。じゃあどうするねん?が問われいるし、ぼくのもとにも自治体や社協職員がどうしてよいのかわからない案件が沢山持ち込まれてきた。そういう時に、地域福祉政策のジェネレーターとしての僕がしてきたことは、相談に来た人と「起きていることをよく見・聴き・感じ・拾い上げ」るプロセスに参加することだった。そのなかで、いま・ここ、の場において浮かび上がってきた直観を大切にし、「『こうしたらよいのではないか?』『なるほど、それならこういうやり方もあるね』『いいね、さらにこれもできそう』とどんどんアイデアを出してつなげていく」ことをし続けてきた。まさに、それはジェネレートそのものである。

そして、予算も人手も方法論も限られている現場において、ないものねだり、をするのではなく、あるものさがし、をしながら、「その場の意味を捉え直すことによって、まったく新しい場として再定義してしまう」というリフレーミングも、し続けてきた。このリフレームとジェネレートをするなかで、「どうしてよいのかわからない案件」にコミットし続けることが出来るし、その場の人々と、新しい何かを産み出してくることも出来たのだと思う。

そういう意味では、「学びと活動の生成」という副題のついた「ジェネレーター」というのは、まさにぼく自身が教育や福祉現場でやってきたことを、しっかりと裏打ちのある理論で言語化してくれた、背中を押してくれる一冊であった。そして、ブログでは紹介できなかったけど、ご自身もジェネレーターとして、小学生と共にオモロイ何かを探求し続けてこられた市川さんの実践は、ほんとうに面白い。ついでに、パターンランゲージを世に広めてこられた井庭さんが、なぜこんな研究者になったのか、という彼の成長物語(ジェネレーティング・ストーリー)も面白かった(お二人のことを以前のブログにもご紹介していた)。

誰かと共に相互変容したい、と思う人には、オススメの一冊である。

精神病院を媒介子と捉え直す

『アクターネットワーク理論入門 「モノ」であふれる世界の記述法』(ナカニシヤ出版)を、著者のお一人である伊藤嘉高さんからご恵贈頂く。科研の研究班でアクターネットワーク理論を勉強し続け、昨年は伊藤さんをオンラインゲストにお呼びしての研究会も開いたご縁があって、頂いた。単なる概説書ではなく、この理論はどんな風に「使えるか」という展開可能性についてまで論じられていた。ぼく自身もアクターネットワーク理論を「義父の死」を巡るエピソードに当てはめた論考を書いた後だったこともあり、非常に刺激的だった。

そこで、自分自身の頭の整理もかねて、四半世紀追いかけてきた「精神病院」とアクターネットワーク理論がどう接続しうるか、この本のいくつかの論考から拾いながら、書いてみたい。

「近代的なオブジェクトの特徴について少しまとめておこう。まず、それは限定された現場でのみ分節化が行われた後、次々と他の現場へと移送されていく点に特徴がある。有用性が強調され、その性質は自明のものとされ、問いを発することを許さない。仮に問いが発されたとしてもそれを無視し続けるというある種の強靱さをもっている。より正確には、そのような強靱さをもつような形で構築されているモノである。ラトゥールは、これをリスク・フリーなオブジェクトであると言い換えていもいる。それは本質的にリスク・フリーであるということではなく、リスク・フリーに見えるように扱われてきたモノという意味である。」(12章、p234)

ここで「リスク・フリー」としてあげられているのは、建設資材として安易に使用され、その後「静かな時限爆弾」と「翻訳」されるようになったアスベストであり、私たちの身の回りに沢山ある・今は海洋汚染の原因ともされるプラスティックである。

そして、精神病院というモノも、「リスク・フリーに見えるように扱われてきたモノ」であった。医師の診断と社会の必要性という「限定された現場でのみ分節化」された後は、その「有用性が強調され、その性質は自明のものとされ、問いを発することを許さない」。欧米では脱施設化という形でその有用性や自明性が否定されていったが、日本では精神病院協会の会長が「医療を提供しているだけじゃなくて、社会の秩序を担保しているんですよ」と豪語するくらい、「問いが発されたとしてもそれを無視し続けるというある種の強靱さをもっている」。ラトゥールは事実を「厳然たる事実(matter of fact)」と「議論を呼ぶ事実(matter of concern)」に分けているが、欧米では精神病院の必要性は「議論を呼ぶ事実(matter of concern)」である一方、日本では未だに「リスク・フリーなオブジェクト」であるかのように精神病院が扱われ、「厳然たる事実(matter of fact)」だと思い込もうとする。

だが、このような言説が構築されるアクターを辿ることで、違う可能性が見えてくる。

「ラトゥールは、representationの意味が二つに分裂してしまっているのもまた、「近代」の枠組みのもとで、人間のみから成る「社会」に関わる政治と、非人間のみから成る「自然」に関わる科学という二分法が成立しているせいであると考える。ラトゥールは、この枠組みを取り外して非近代的な思考へと至ることで、政治家が誰かの利害を代弁することも、科学者が何らかの非人間の性質等を発話することも、いずれも適切な手段を用いて、誰/何かの声を代表/表象する営みであるという点で同等のものとして捉えようとするのである。そうすることで、人間も非人間も交渉のテーブルにつくことができると主張するのである。」(8章、p146)

政治と科学は、一見、二つに分裂しているように見える。だが、精神科医が「医療を提供しているだけじゃなくて、社会の秩序を担保しているんですよ」と述べるとき、彼は政治と科学の両者の言語を話している。それでは一体「誰/何かの声を代表/表象する」のであろうか。精神科医に限らず、医者は「病気」「症状」という「声なき声」であるモノを代弁しようとしている。その一方、政治家は、同じ声なき声でも、サイレントマジョリティや社会的弱者などの「声なき声」を代弁し、その再配分に采配を振るうことが求められている。だが、少なくとも日本の精神医療においては、社会的弱者の代弁機能(政治)と、病気や症状の代弁機能(自然)の二つが、精神科医という象徴に統合されている。ラトゥールは自然と人間の分離とは逆の、自然と人間のハイブリッド化という言い方をしている。そして、日本の精神医療におけるハイブリッド化が、権力の一元化や権力の濫用に繋がっている。

こう言うと、権力の一元化や濫用は、一部の粗悪な精神病院だけだ、という反論も聞こえてくる。それに対して、アクターネットワーク理論(ANT)からは、どのように言えそうだろうか。

「従来の社会学においては、「疾病」(disease)と「病い」(illness)を区別するのが常道であった。疾病は生物医療の対象であり客観的に実在するものであるのに対して、病いは患者の主観的なものである。そして、かつての医療者は前者の単一性に傾倒し、後者の多様性・複数性を等閑視してきたとされるなかで、社会科学者は後者の重要性を訴え、とりわけ、患者にその疾病の意味を問うことのない医師の権力性を問題にしてきた。
しかしながら、ANTにおいては、客観/主観の区分自体が無効化され、したがって、患者の主観や解釈が医療批判の根拠になることはない。むしろ、客観的(オブジェクティブ)なものこそが多重的である。(略)
したがって、大切なことは、上記のような専門家のパターナリズムを問題視して、自律的な患者の選択の多様性を認めることではない。解釈の複数性を説けば説くほど、実在の複数性が遠ざかる。解釈や選択を支える中立的なデータセットは存在しない。データーセットこそが政治的なのである。」(9章、p167)

精神医療においても「むしろ、客観的(オブジェクティブ)なものこそが多重的である」。イタリア・トリエステでは、総合病院精神科と地域精神保健センターが機能すれば、長期社会的入院はなくても済んでいる。フィンランドの西ラップランドでは、クライシス状態の患者の求めに応じて、24時間以内に専門チームが訪れ、毎日のように対話を継続する中で、入院を最小化したり、なくても済んだり、そもそも病状が消失している。これらの実践はトリエステ方式やオープンダイアローグとして、客観的な論文や書籍として、多数紹介されている。他方、日本では、未だに長期社会的入院が続いていて、それらの人の入院継続の必要性が、医師によりお墨付きを与えられている。精神医療という自然科学の「客観的実践」が、あまりにも「実在の複数性」によって支えられているのである。こういう実践を比較すると、まさに「データーセットこそが政治的なのである」という箴言に、深く、頷く。

「ANTのテクストは、各々の人やモノが媒介子として扱われるアクションの連鎖(ネットワーク)をたどるものであって、諸々の存在を中間項に貶めるような客観的説明や批判を行うものではない。ANTは新たな媒介子を見いだす為の方法なのであり、「ここまで事物の連関をたどればよい」という基準はない。どこまでも連関をたどり、どこまでも分節化することが可能であるからだ。」(3章、p57)

このフレーズを書き写しながら、僕は反省している。これまで、日本の精神病院や精神医療政策を数多く批判続けてきた。だが、現に目の前にある病院や政策を、「厳然たる事実」として批判してきた。その上で、病院や政策は現にこういう状態であるのだから、どう変えるべきか、を論じてきた。その際、病院や政策を、中間項と捉えるか、媒介子と見立てるか、でずいぶん見方が変わる。この部分はラトゥール自身の説明から引用してみよう(下記についてはブログ「中間項から媒介子へ」でも引用した)。

「中間項は、私の用語法では、意味や力をそのまま移送する(別のところに運ぶ)ものである。つまり、インプットが決まりさえすれば、そのアウトプットが決まる。」「媒介子は、自ら運ぶとされる意味や要素を変換し、翻訳し、ねじり、手直しする。」「正常に作動するコンピューターは複合的な中間項の格好の例と見なせる一方で、日常の会話は、恐ろしく複雑な媒介子の連鎖になることもあり、そこでは、感情や意見、態度が至るところで枝分かれする。」「学会で開かれる非常に高度なパネルディスカッションが、どこかほかでなされた決定を追認するだけであるならば、まったくもって予測可能で問題をはらまない中間項になる。」(『社会的なものを組み直す』(法政大学出版会)p74-75)

これまでは、精神病院協会の会長発言など、特定の人間に対しての批判はしてきたが、精神病院そのものは「インプットが決まりさえすれば、そのアウトプットが決まる」「中間項」だと見なしてきた。だが、精神病院の機能の仕方が、無くしたイタリアと最小化したフィンランド、世界最大規模で残っている日本では異なっている。つまり、日本の精神病院が何のどのような「意味や要素を変換し、翻訳し、ねじり、手直し」ているのか、という精神病院の媒介子機能を分析しないと、精神病院そのものの複雑性を理解したことにならないのである。

日本の精神科病院では、未だに虐待が起き続けている。これを、「厳然たる事実」や「中間項」として批判し続ける限り、その批判が「厳然たる事実」を揺り動かすことはないだろう。そうではなくて、虐待事件を「議論を呼ぶ事実」であると考え、精神病院における虐待が発生し続けるメカニズムの中には、精神病院や精神保健福祉法、病院スタッフや入院患者など、いかなる「人やモノが媒介子として扱われるアクションの連鎖(ネットワーク)」があるのか、を辿る事によって、見えてくるものがあるはずだ。それが、媒介子を辿る、という意味でのアクターネットワーク理論の醍醐味なのだろうと思う。

この入門書は、優れたアクターネットワーク理論の世界への手引き書、だけでなく、自分自身が抱えているテーマのアクターをどのように追いかけていけばよいのか、に気づかされてくれ、議論を呼ぶ事実を喚起させる、優れた媒介子の一冊である、と感じた。