対話と「結び」

最近、ゼミをしていても、あるいは福祉現場の人との対話の場においても、相手の話をじっくり伺っているなかで、相手と「つながった」と感じることが少なくない。今日は午前中、1:1で福祉現場の方のモヤモヤのお話しを伺った後、卒論〆切Ⅰ週間前の4年ゼミでの対話の時間だったのだが、どっちも深く「つながった」感覚があって、なんかめっちゃいいなぁ、とほっこりしていた。

この「つながった」感覚って何だろう、と考えていたら、それは合気道で言うところの「結び」かもしれない、と思い始めている。合気道は、武道の一つなのだが、勝ち負けを目的にしていない。相手を負かすことではなく、相手とつながり、二つの身体が一つのものとして機能していこうとする。ぼくは、合気道の稽古が十分に出来ていないこともあって、技にこだわってしまい、相手との「結び」が出来てない。だが、日常生活に置き換えてみると、対話の場においては、もしかしたら「結び」が出来つつあるのかもしれない、と思い始めている。

相手と対話する際に、邪な意図を持っていては、絶対につながれない。話を導いてやろうとか、こういうことを聴きたいとか、こちらが勝手な先入観や意図を持っていると、その自分の意図に支配されて、その枠組みでしか、相手と出会うことが出来ない。すると、その意図が相手に伝わり、その枠内に縮減して話を伺うことになったり、それに不同意で怒った相手にこちらの枠組みをぶち壊されたりする。いずれにしても、相手の話を部分的にしか理解出来ないことになる。相手が伝えたい全体像を、そのものとして受け取ることは出来ない。

だから、最近では、対話の場では、向こうが用意して下さった資料があっても、事前に目を通すことはあっても、なるべくそれを手放して、ぼんやり話を伺いはじめる。

相手の話をじっくり聴きながら、いくつかのきっかけになるような質問を出してみながら、その人の思いや全体像のようなものを、語られる中身や雰囲気を味わいながら、聴き続けていく。感じようとする。すると、ジワジワ、言外の想いも含めた、その人のありようみたいなものが、みかん汁で書いた「あぶり絵」のように、浮かび上がってくる。こちらも感応できはじめる。それをさらに掴もうと、「いま・ここ」で感じる感想や質問をしてみた上で、さらに「あぶり絵」がし見えてくるのを、一緒に探る。

ここで大切なのは、実は話を聴く相手も、最初から結論(あぶり絵の中身や実態)をわかっていない場合が多い、ということだ。自分にとって当たり前すぎて、考えたこともなくて、わからなくて・・・言葉にしたことも人に伝えたこともないことを、ぼくの質問がフックになって、話し始めてみる。その中で、対話を深めていくなかで、ふと口をついて出たフレーズが、実はすごく大切なその人の「思いの核」になっているような何かで、それが出てくることによって、これまで寸止めしていた・言語化出来なかった・せき止めていた感情や感覚が、あふれ出る泉のように湧き出すことがある。そういう場面に、数知れず立ち会ってきた。嬉しくて溢れるような笑顔になって見る見る自信が持てた瞬間とか、蓋をしていた感情があふれ出して涙が止まらなくなる瞬間とか。対面であれ、オンラインであれ、そういう瞬間に立ち会うことが、ほんとうに最近しばしばある。

そして、そういう瞬間とは、対話を通じて、自分と相手の区別を越えて、相手と「結び」を作れた瞬間なのではないか、と思い始めている。聞き手のぼくが溶け込んで、発話者の相手の思考が開かれて、それが拡張し、華開いていく瞬間に立ち会う喜び。こちらが相手の中に意図して入り込む、とかではない。計らいは邪魔なだけだ。そうではなくて、ぼくの存在が自然と消えていき、相手の思いや感情がそのものとして賦活され、流れが生まれはじめ、その流れが蕩々と言葉になってあふれ出し、その物語の豊穣さが対話空間にあふれる瞬間、ああ「つながっている」と感じるのだ。そして、その感覚こそ、相手の身体と一つに繋がる「結び」の感覚なのではないか、と。

たまに、「相手の顔に書いてある」ことをこちらが言うだけで、「そうそう、それこそがいいたかったんだ!」とか、「なんで、誰にも言えなかったあのことがわかるんですか?」とびっくりされることがある。ぼくには別に超能力があるわけでもないし、相手の心が読めるわけでもない。ただ、じっくり相手の話を聞いているうちに、相手の伝えたいポイントが見えてくるのだ。それを言語化して、それってこういうことですか、と差し出すと、さっきのような反応が来る。これは、本当に「相手の顔に書いてあること」を読み取るかのように、相手の話をじっくり聞いて・感じて、理解できたことを伝え直すだけなのだが、もしかしたらそれはなかなか世間ではできていないのかもしれない。だからこそ「こんな深い話を初めてしました」と驚かれることが最近しばしばあるのだ。

そういう対話のコツはなにか。純粋な興味を持って聴き続けること。その際に、「相手の思いの背景や全体像のようなものまで教えて欲しい」とただ願うこと。そう願いながら聞いているうちに、全体像につながる「あぶり絵」が浮かび上がってくる瞬間がある。そうすると「それってこういうことですか」と差し出してみる。そこから聞き手のぼくが徐々に消え始め、語り手である相手の全体像が、ぐわーっと対話の中で、その姿かたちを表し、動きはじめる。そうすれば、しめたものも。後はその動き出したなにか、がどんな感じなのかを、相手と一緒に探求していくだけで、物語が大きく動き始める。

ひとたび「結び」ができてしまうと、そのつながりを邪魔しなければ、物語は自己生成的に豊かに膨れ上がっていく。だがそれは、ChatGPTといったオープンAIのように既に語られた何かから生成されるものではない。相手の心の中に確かに存在していて、でも未分化な、言語化されてない、もやもやな何か。そんな何かが、ぼくとの対話の中で立ち上がってきて、初めて自己生成される瞬間なのでる。オープンAIのプロセッシングなんか比べものにならないほど、感動するし、予測不能な創発が生まれる瞬間である。

それって絶対内田先生ならブログに書いているはずだ、とググってみると、2005年に「コヒーレンス合気道」と言語化されていた。

「「コヒーレンス」coherence というのは「一貫性、整序」という意味であるが、ようするに「足並みが揃っている」状態を表す。」
「強いコヒーレンスをもった生物がコヒーレンスの弱い生物とコンタクトをとると、強いコヒーレンスに「足並みが揃ってしまう」ということがあるのではないか。」

ここで書かれている「足並みが揃う」、というのは「空気を読む」とか「同調圧力」とは次元が違う量子物理学の話であり、「それぞれの波動の位相が揃い、同調するにつれ、ひとつの巨大な波やひとつの巨大な原子内粒子として活動しはじめる」という話である。それを読み返していると、最近読んだ別の本にも触れたくなった。

「『存在するもの』は、その網のはかない結び目(ノード)でしかない。その属性は、相互作用の瞬間にのみ決まり、別の何かとの関係においてだけ存在する。あらゆる事物は、ほかの事物との関係においてのみ、そのような事物なのだ。」(カルロ・ロヴェッリ『世界は「関係」でできている—美しくも過激な量子論』NHK出版、p196)

一貫性や整序がより整った存在が、そうではない存在と相互作用をすると、相手に同期して、弱いコヒーレンスの人の足並みが揃ってくる。相手との相互作用の瞬間における「結び」が「はかない結び目(ノード)」を生み出し、それが「そのような事物」性(=存在するもの)となる。

今まで書いてきたことを整理するならば、対話という場面において、何をどう言っていいのかわからない、言葉が出てこない、モヤモヤしていて訳がわからなくなっている場面の人(ゼミ生や福祉現場の人)とお話しする機会が多い。その際、僕が自分の一貫性や整序を大切にして、ぼんやりリラックスしながらも、「いま・ここ」を大切にしながら相手の話をゆっくりじっくり聴いていく。すると、相手の中での一貫性や整序(コヒーレンス)も整いはじめる。その中で、相手との「結び」が生まれ、そのはかない結び目(ノード)が徐々に複雑で豊かな結び目として立ち現れ、それが圧倒的な物語の自己生成につながっていくのではないか。だからこそ、ぼく自身は、対話で邪な意図や計らいを捨て、自分自身とつながる。自分自身の一貫性や整序を大切にして相手に向き合えば、自ずと相手がそのものとして存在しはじめるのではないか。そんな仮説を抱いている。

問題は、これが合気道では上手く出来ないこと。また、稽古をしながら考えてみよう。

復讐よりも連帯可能性を

ウェンディ・ブラウンの最新刊『新自由主義の廃墟で』を読む。前作では、「新自由主義的合理性」の内在的論理が骨太に描かれ、自分自身がその論理をしっかり「所与の前提」にしてしまっていることに気づかされ、圧倒された。そのことはブログにも書いた。

今回の本は、アメリカ社会において、この新自由主義的合理性が、女性や黒人、LGBTQや障害者を保護する為になされた様々なアファーマティブアクションという「社会的なもの」と「政治的なもの」を毛嫌いし、「表現の自由」を縦に、政府による規制や介入を外していく様が描かれていて、背筋が寒くなった。

「拡張された『個人の保護領域』の保護は、伝統と自由がその敵−すなわち政治的なものと社会的なもの、合理的なものと計画されたもの、平等主義的なものと国家主義的なもの−を撃退するための方法である個人の自由が、正しくも制限をとりはずされた領域を広げることは、伝統的な信念や習律が、もしくはハイエクが『人間の交際に関する・・・しきたりや習慣』と呼ぶものが、かつては民主主義に支配されていた場所における市民的なものと社会的なものを合法的に取り返し、さらには再植民地化することを可能にする。」(p145)

この本で味噌となるのは、「政治的なものと社会的なもの、合理的なものと計画されたもの、平等主義的なものと国家主義的なもの」という社会民主主義的な価値前提を破壊しようとするのが、「伝統と自由」である、という点だ。家族主義とキリスト教原理主義が、市場原理主義と結びついたとき、経済の領域だけではなく、アファーマティブアクション全体への攻撃となる、という点である。

「コスモポリタン的な都市住居者たちがフェミニズム、非規範的なセクシャリティ、非伝統的な家族、世俗主義、学芸、そして教育を擁護するのに対して、傷ついた白人の内陸居住者たちは反射的に中絶、同性婚、イスラム教、『白人に対する攻撃』、神を信じないこと、そして知性主義に反対する叫び声をあげる。ここで声を上げているのは『伝統』でもなければ道徳でさえなく、彼らの伝統や道徳を押し流したいと願っていると認識された世界に対するヘイトの声なのだ。」(p162)

「政治的なものと社会的なもの、合理的なものと計画されたもの、平等主義的なものと国家主義的なもの」という社会民主主義的な価値前提それ自体が、poor whiteと呼ばれる「傷ついた白人の内陸居住者たち」を攻撃している訳ではない。ただ、社会的なものや政治的なものが、異性愛的で家父長的でキリスト教原理主義的な価値観以外のものを認める多様性(diversity)や包摂性(inclusion)を社会制度の中に取り込んだとき、「傷ついた白人の内陸居住者たち」は、「彼らの伝統や道徳を押し流したいと願っていると認識された世界に対するヘイトの声」をあげ始めた。それが、ケーキ店と妊娠相談センターを舞台とする裁判において象徴的に描かれる。

アメリカ合衆国憲法の修正第一条には「連邦議会は、国教を樹立し、若しくは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない」と書かれている。これを土台に奇妙な裁判が起こされた。

「マスターピース・ケーキショップに同性の結婚式のためにケーキを作って売ることを要求することで、修正第一条の権利が侵害されるだろうというジャック・フィリップスの主張は、そのひとつひとつは単独では成立しないさまざまな主張の布置の上になりたっている。この布置は表現の自由と宗教活動の自由を結びつけて、公的領域における伝統的道徳のための新たな空間と力をつくりだす。」(p182)

同性婚に反対するケーキ屋の店主が、ケーキの注文を拒否した。これは公共施設法の違反であり差別である、と、カップルは不服申し立てをコロラド州市民権委員会(CCRC)に行い、CCRCはカップルの主張を受け入れる。だがその後、連邦最高裁判所において、公共の店舗が差別的な扱いをしてはならない、という社会的・政治的な判断を、「表現の自由と宗教活動の自由を結びつけて」拒否したのだ。彼は普通のケーキ店の店主であり、彼のケーキはことさらキリスト教のテーマや図像、メッセージが入っていた訳ではないのに、「最高裁は同性婚のためのウェディングケーキを作ることは『彼のもっとも深いところで信じている信仰に反するようなお祝いに参加すること同等だろう』と断言している」(p186)のである。

この最高裁判決も実に変なのだが、さらに変なのが「妊娠相談センター」とカリフォルニア州法務長官の裁判である。

アメリカには今、約4000の緊急妊娠相談センターがあるが、これらは中絶やアフターピルに関する相談を受け付けるのではない。逆に「望まない妊娠をした女性たちに、中絶をしないように説得をすること」(p198)が目標とされている。キリスト教保守主義団体から組織的な援助を受けている。しかも、「資格のある医療スタッフはいないにもかかわらず、彼らは白衣やスクラブを着て、受付書類に健康状態の情報を書かせ、病院のような見た目や雰囲気を模倣している。フェミニズム団体の精神や調子を登用するセンターもある。」(p199)

こういうセンターに対して、カリフォルニア州法は、「非認可の緊急妊娠相談センターに、自分たちは医療施設ではないという通知を明示し、すべての緊急妊娠相談センターに、両親のケアや妊娠中絶もふくむ、カリフォルニア州によって提供される無料もしくは低価格の総合的な生殖医療が利用可能であることを示す通知を掲示もしくは頒布することを要求した。」(p197)

この訴訟に関するブラウンの整理に、アメリカ社会の変質の本質が詰まっている。

「<マスターピース・ケーキショップ>訴訟と同様に最高裁は、表現の自由が、保守的キリスト教が私的領域から離脱して、商業的・公的領域における勢力となるための手段となることを許し、また同時に商業的・公的領域を規制する法から、それを宗教だから(「信仰」だから)という理由で保護するものである。これこそが、修正第一条の適用範囲を考える際に、『職業上の表現』には何も特例的な部分はないという最高裁の主張の真の重要性なのである。この訴訟を、職業上の表現についての訴訟であり、同時に深い信仰の場における表現規制についての訴訟であるとあつかうことによって、誤表象さらには詐欺行為を保護された表現へと変換するための理路を、最高裁は創造しているのである。真実、透明性、説明責任はすべて、職業的なサーヴィスの仮面をかぶった宗教的な目的のために、二の次にされてしまうのだ。」(p209)

同性婚に反対するから、ケーキショップが同性カップルにケーキを売らない。中絶に反対するから、妊娠相談センターが相談者に中絶に関する情報を提供しない。どちらも、商業的・公的領域の施設であり、信仰施設ではない。そして、商業的・公的施設では、対象者に差別的な取り扱いをしてはならない、という社会的で政治的な配慮がなされている。この社会的で政治的な配慮より、修正第一条で保証された信仰の自由の方が勝るのだ、と、連邦最高裁は判断したのである。つまり、信仰施設だけでなく、商業的・公的領域の施設であっても、同性婚への反対や中絶への反対行動は、そこで働く人々の「信仰上の理由」に基づき、差別とは当たらない、と判断されたのだ。これは、女子教育を制限・禁止したり、ブルカをかぶらない女性を思想警察が取り締まることも許されるイスラム原理主義と同様の宗教原理主義が、アメリカにおいても最高裁で認められた、ということでもある。

トランプ政権で、最高裁判事の勢力が逆転し、保守派に牛耳られた、という報道は耳にしていた。表現の自由に関する修正第一条については、たまにニュースでも聴く。だが、これらが合わさることによって、公的・商業的な施設における差別的な取り扱いを禁じる法規制という政治的・社会的なものよりも「表現や信仰の自由」が勝る、とされてしまうと、1960年代からアメリカ社会が構築してきたものを、根底から根絶やしにするのではないか、という戦慄・旋律が、本書には通底している。

黒人解放運動に端を発し、フェミニズム、障害者運動、先住民の権利回復、LGBTQや宗教的少数者の権利確保など、アメリカ社会では「未だ優遇されていない人々」のエンパワメントと尊厳を重視する法政策がとられてきた。不平等な状態を是正するためのアファーマティブアクションも制度化されてきた。だが、その一方で、アメリカの白人労働者階級は、製造業の没落と共に衰退し、ラストベルトとして放置された。もともと労働者の党であった民主党は、マイノリティの権利擁護に邁進する一方、エリートな知識層はpoor whiteを馬鹿にしているのではないか、キリスト教的な家父長主義や異性愛主義は重視されていないのではないか、と白人男性労働者たちは感じていた。だからこそ、「福音派キリスト教徒たちは、文化的エリートに軽蔑され、世俗的な勢力によって攻撃されたという共通の経験のために、トランプに深く同一化した」(p130)のである。

そして、ブラウンはトランプや、トランプを応援する内陸部の白人男性に共通するのは、怨嗟や怒りであり、脱昇華されたルサンチマンであり、「復讐しかなく、出口も未来もない」(p245)と言い切る。本書の結論部でそう書いていて、はっきり言って、何の夢や希望もなく、本書は締めくくられる。

本書の元々の副題は、「西洋における反民主主義的な政治の隆盛」であった。アメリカ社会において、民主主義的な政治の成果として、アファーマティブアクションといった政治的で社会的なものが半世紀以上書けて法制度化されてきた。だが、それが、白人労働者階級の没落と特権の剥奪される事態を前にして、彼らはマイノリティを攻撃し、「反民主主義的な政治」を遂行するドナルド・トランプを選んだのである。そして、この攻撃に対して、「いかなる種類の左派の政治批判やビジョンが、それをとらえて変容させることができるだろうか?」(p256)という締めくくりで本書は閉じられている。つまり、それができていない現状への、著者の嘆きのようなものが、本書の結末になっているのだ。

これを読んでいて、思い出さざるを得ないのが、選択的夫婦別姓に頑なに反対するのが、日本会議と統一教会という二つの宗教団体であり、そこにつながる自民党の保守勢力であった、ということである。また、児童手当の拡充に反対するのも、家族の役割が制約されるから、という同じ保守勢力の意向が働いた。これは「子ども庁」発足時に「家庭の役割が大切だから」と「子ども家庭庁」と名前を変えさせた経緯にもつながる。異性愛的で家父長的な家族主義が宗教原理主義と結びついた時、洋の東西を問わず、社会的・政治的な法規制や国会による制度の拡充に反対し、「家族のことは家族で」と責任を押し戻す流れになるのである。個人の自由と伝統的道徳(家族主義と家父長制)は、社会的なものや政治的なものより優先される、というのは、日本も同じなのだ。ただ、アメリカの場合は、何事も極端なので、それが最高裁レベルの判例にまでなってしまった。でも、アメリカのトレンドの10年遅れで日本でも同じ事が起こる、と言われているのでは、日本だってこのトレンドが現実になる可能性があるのである。

では、これはどうやったら回避可能なのか。それは、年末にブログでご紹介した、江原由美子さんの本の中で、以下のように示されている。

「異なる属性をもつ人々の間でも、『経験の共有』は可能である。アイデンティティの回復そのものを求めるのではなく、『貶められた経験を共有』することで、『他者を貶めることがない』社会の実現のために連帯することができるはずだ。このような連帯を可能にするためには、『アイデンティティの非本質化』という第二波フェミニズムの『文化主義』的方法論が、有効に機能するはずである。」(江原由美子『持続するフェミニズムのために – グローバリゼーションと「第二の近代」を生き抜く理論へ』(有斐閣)p195)

特権が失われた、という「貶められた経験」。ここから、「復讐」に向かうしか方法論がないと、白人労働者階級は思い込まされている。でも、「復讐」しなくてもよい。障害者や女性、黒人や様々なマイノリティは、そもそも以前から「貶められた経験」を持っていた。今ようやく、白人男性も、その経験を共有できた。それを奪い返すという復讐モードではなく、誰もが貶められるのは嫌だから、『他者を貶めることがない』社会の実現のために連帯しないか、と提起することは可能だと江原さんは述べる。これは、確かに時間はかかるけど、希望だと思う。

SNSにおいても、表現の自由を建前に、社会への怨嗟やルサンチマンに基づき、復讐心に燃えた書き込みをしばしば見かける。でも、そのような「貶められた経験」は他者への復讐ではなく、『他者を貶めることがない』社会の実現のために連帯するための原動力として活用することもできるはずだ。そのような社会的な連帯の可能性、つまりは政治的・社会的なものを否定するのではなく、アップデートして、これからのよりよい幸せをもたらす原動力として用いることはできないか。そう、夢想している僕がいる。

初めてなのに、懐かしい

先週の土曜日に、内田樹先生と青木真兵・海青子夫妻のトークショーで初めて出会った建築家の光嶋裕介さんに、日曜日に拙著を三冊お送りしたら、火曜日にサイン入りのご著書三冊が届く。そのうちの一冊を読み出したら面白くて、圧倒されてしまった。

光嶋さんは自らの生き様を”Always Think, Always Feel”(p250)と表現している。建築家は美的感覚に優れた人が多いが、光嶋さんの場合、思弁的で美的であるだけではない。地べたの感覚をしっかりつかんだ上でのThinkであり、Feelなのだ。だからこそ、ほんまもんの迫力がある。

彼はお子さんが生まれて気づいたことを、こんな風に書いている。

「赤ちゃんの行為についていくのは、なかなか大変です。大人の体力も消耗します。しかし、赤ちゃんは、生きることに必死なので、こちらも必死に応えてあげないと、すぐにうまくいかなくなります。自分の思うようにならない子育てという時間において、何かを計画通り執行することは難しく、その場その場で柔軟に対応するしかありません。
これこそ、レヴィ=ストロースのいうブリコラージュではないでしょうか。予定調和に事が進まない中で、いかにして、身体知のようなもの、あるいは野生の思考を発動させながら娘と豊かな非言語的コミュニケーションを成り立たせるかを考えています。この自分が最も愛情を注いでいる対象が、まったく思い通りにならないことが、自分という個人の枠を大きく広げてくれるように日々感じています。
合気道のお稽古のように、僕はこの娘をこの胸の中に抱えて、可能な限り彼女と同期しようとしています。まさに自分の想像を一気に凌駕するような行動をする娘とのかけがえのない時間を介して、生命力の神秘を少しの間だけ体験しているのかもしれません。」(光嶋裕介『建築という対話』ちくまプリマ−新書、p198)

光嶋さんに出会ったその日、梅田から帰りの新快速で芦屋でお別れする前、少しだけしゃべった後、「今日は初対面とは思えない、懐かしさがありました!」とリプライを頂いた。それは、この本を読んで本当にそうだと感じた。自分が感じてきたこと、言語化してきたことを、別のアプローチから言葉にしておられる。子育てがままならないこと、娘が圧倒的に他者性を持っていること、その中で娘の声に耳を傾けながら父が変わる柔軟性が求められていること。それらは、僕も6歳になる娘から教わり、その一部は『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』という拙著に書かせてもらった。

だが、光嶋さんの手にかかると、この生活実感の「わかる、わかる」に、ブリコラージュと合気道、そして美しさが乗っかってくる。僕は娘と可能な限り同期しようなんて考えてこなかった。合気道の稽古を続けてきたけれど、娘と結びを作ってつながる、とは意識してこれなかった。また、ブリコラージュはもちろん知っていたし、僕の仕事のあり方も、福祉現場の人から問いを投げかけられて、その現場やメンバーの持っているものからなんとか解を導き出そうという「ありもの仕事」なのだが、娘との関わりが「ブリコラージュ」だとは想像してもいなかった。計画制御で頭でっかちの父ちゃんが、娘に予定調和を投げ倒されてとほほ、という記録は、上記のエッセイには書き込めた。確かにそのプロセスのなかで、父の枠は広がったと思う。でもその先に、「自分の想像を一気に凌駕するような行動をする娘とのかけがえのない時間を介して、生命力の神秘を少しの間だけ体験している」と言われてみて初めてそうだと気づいたけど、そんな風に言語化する力が、僕にはなかった。この深い思考と、それを表現する美しい言葉に、そしてそこにこもっている思いの力強さに、圧倒されていた。

こんなに僕が光嶋さんの考えに圧倒されるのは、先に光嶋さんの建築物を「体感」しているからかも、しれない。彼の建築物の一つである無形庵に通い、開放的なスペースで施術を受けている。もともと駐車場だったスペースに建てられた、文字通り小さな庵なのだが、中に入ってみると、天井が高くて、窓も大きくて、木のぬくもりがあり、開放感がある。ベッドで仰向けになると、細長い窓から空をずっと見上げられる。そこで、山本さんが好きなジャズやボサノバなどのLPをかけてもらいながら施術を受け、彼と合気道話で盛り上がっていると、何というか第二の我が家というか、ほっこりとした安心感に包まれるのだ。有名な建築家の設計した建物、といえば、使い勝手よりオリジナリティや美的感性が先立つもので、暮らしづらそう、と思い込んでいたのだが、無形庵はその逆で、もうちょっといたいなぁ、と思わせる、気持ちの良い庵なのである。

彼がそのような建築を生み出す理由を、「クライアントと同化していく」ことにあげている。

「自分が溶け込んでいくと、何か設計しているというより、自然と立ち上がる感覚、つまり、設計させられているように感じることがあります。過剰な作為が消えて、そこにあるであろう自然に形を与える作業のように思えるときがあります。自らデザインしているという気持ちが強すぎると、つい作為的な線になってしまうもの。クライアントと同化するということは、なるべくそうした自我を抑制しながら設計するということだと思っています。
そういうときは、途中でクライアントに何か言われたとしても全然嫌な気になりません。なに注文つけてるんだ、と怒るのではなくて、なるほど、そういう可能性もあったかと一緒になって考えるようにしています。相手と対立しないで、同化することは、対話を通して習合的に合意形成を図ることであり、そのようにして強度ある建築を作りたいと思っています。」(p157)

「過剰な作為が消えて、そこにあるであろう自然に形を与える」というのは、まさに無形庵を思い浮かべてぴったりな表現である。その場と対立しない、その場に溶け込んでいく、クライアントの生き様に同期しながらも、「対話を通して習合的に合意形成を図る」からこそ、光嶋さんの建築家としての英知が、山本さんの主催する場の中で花開く。そんな風に感じている。

そして、「初対面とは思えない懐かしさ」と言えば、実はぼく自身も、自分の仕事の仕方そのものが、「クライアントと同化していく」ことにあるのだ。

20年前、博論を書き終えて仕事を始めた頃は、誰も自分のことを見てくれない、評価もしてもらえない、と、「我が、我が」「僕見て、僕見て、ワンワンワン!」と吠えまくって自己主張していた。単にうるさいやつだった。でも、それで頭を打って失敗する中で、あるいは当時住んでいた山梨で様々なクライアントから非定型な相談が持ち込まれる中で、気がつけば、「自らデザインしているという気持ち」が消え始めた。なんともならない現場をなんとかしてほしい、というオーダーに応えるためには、ただひたすら現場の人々の声に傾ける必要がある。その中で、「相手と対立しないで、同化すること」によって、真の課題がおぼろげながら見えてくる。すると、「対話を通して習合的に合意形成を図ること」によって、依頼された仕事は、時には想像も及ばない方法で、深化していく。そうすると、研修でも講演でも、こちらの自意識をできる限り抑えて、「そこにあるであろう自然に形を与える作業」に没頭していくうちに、オーダーメイドの、唯一無二の、そしてクライアントがしたかった研修なり講演が実現できる。これは、僕が20年かけて生み出した極意なのだけれど、こんな風にやっている人が他の業界にいたんだ、しっかり言語化されていたんだ、と思うと嬉しくなった。

そんな光嶋さんの半生が綴られたこの本は、元々中高生向けの新書であり、将来娘さんに読んでもらいと彼女を想定読者(宛先)にして書いているので、彼の青春時代の葛藤も、隠すことなく綴られている。その率直さも、すごく共感できる。

「自分はあの人たちと違う、あの人たちは輝いているように見える、それに比べて自分は・・・と、劣等感を感じていた中学時代と違って、いま、俺は俺のフィールドをちゃんと開拓していけばいいのだ、と感じるようになっていました。要するに、そもそも他人と自分を比較することをしないということかもしれません。
何かを排除することでつくった表層の統一感よりも、ときにノイズのような雑多なもの、異物をも同居させることの方がよほど豊かなのではないかと思うようになって、ずいぶんと気が楽になりました。」(p113)

憧れと自己嫌悪の牢獄である他者比較に囚われると、その自己呪縛から抜け出すのは、簡単ではない、ぼく自身も若い頃はずいぶんそこでがんじがらめになってきたし、今でもたまに亡霊のようにとりつかれる時がある。でも、光嶋さんが書いてくれているように、自分のフィールドをどう開拓するか、の方が大切なのも、中学生から30年以上経って、本当にそう思う。さらに言えば、僕は正直、「○○の専門家です」という一芸に秀でた存在ではない自分への引け目をずっと感じてきた。結局はブリコロール(ありもの仕事)をする人なのだけれど、その雑種性への引け目、とでも言おうか。でも、光嶋さんはその有り様を、「何かを排除することでつくった表層の統一感よりも、ときにノイズのような雑多なもの、異物をも同居させることの方がよほど豊かなのではないか」と書いてくれている。そうなんだよね。ぼくはノイズや異物がたくさん自分のポケットに入っていって、興味関心もあちこち移り変わるし、「表層の統一感」がぜんぜんない。でも、そのほうが、「よほど豊かだ」と言われたら、そりゃそうだ!と思うし、嬉しくなる。引き出しが多いほど、対応力が豊かになる。一見すると関係ないAとBを掛け合わせ、Cという異なるものを作り出したり、AやBの世界を豊穣にすることだってできるのだ。

この本は、共感する部分が多すぎて、ドッグイヤーだらけなのだが、もう一カ所だけご紹介しておきたい。

「目の前の現実に満足しないで、より豊かな天命とのご縁のために、日々自分の中の人事を尽くす、そうした積み重ねは、果てしなく続きます。何かができるようになるための準備を怠らないということです。
その準備のための実りある対話を目指すには、やはりタイミング(時間)とシチュエーション(場所)が鍵となってくるのではないでしょうか。自分の行動力に対して、自分のセンサーが反応したとき(いわゆる「ピピピ」ですね)に、ふと我に返って考えて、少し間をとることだと思うのです。ゆとりを持つこと、それは、心の声を聴くための時間と言えるのかもしれません。物事には偶然と必然があると先にも書きましたが、誠意を持って他人と接していると、ご縁は『向こうからやってくる』と思うに至りました。
奇妙に聞こえるかも知れませんが、僕にとってのご縁とは、本当にそういうものなのです。理屈を超えています。運もとても大切な要素でしょう。ただ、自分なりの人事を尽くすことの先にある運だと思います。」(p50-51)

これも「初めてなのに、懐かしい」フレーズである。僕の人生そのもの、でもある。

大学院生では、ジャーナリストの弟子入りをしていた。福祉社会学も社会福祉学もどちらもなじめず、その境界領域にいた。50の面接に落ちて、初めて採用されたのは、法学部政治行政学科だった。誰も知り合いのいない山梨で、13年間対話を続けてきた。それは、「より豊かな天命とのご縁のために、日々自分の中の人事を尽くす」こと、そのものだったのだと思う。そして、どんなに忙しくても、「誠意を持って他人と接」することだけは、ぶれない軸として持ち続けていたと思う。だからこそ、確かに「ご縁は『向こうからやってくる』」と感じている。

「ただ、運が良さそうな人と一緒にいるのが一番いいように思います。そうした嗅覚が備わってくると、これぞというタイミングを逃さず、必ずしかるべき機械がくると信じて、備えつつ、じっと待つことができるようになります。そして、たいていの場合、そのタイミングとは「いま」なのです。」(p51)

光嶋さんと出会って本を贈り合う関係になったのは、ほかでもない2023年1月という「いま」だった。でも、だからこそ、彼の書いていることが、「初めてなのに懐かしい」ほどよくわかる。僕は建築家ではない。でも、彼が愛読してきた内田樹先生や村上春樹の作品を僕も読んできて、深い井戸を掘る感覚は、僕も共感している。このブログを書くのも、井戸を掘る、井戸の中で自分一人でたたずむ感覚である。そこからどこに向かうのか、書く前にプランがあるわけではない。書きつつあるプロセスのなかで、そのときの文章や思考に導かれて、文章を紡ぎ出していく。合気道で、光嶋さんほど、自分の感覚を研ぎ澄ますことはできていないけど、どこかで身体感覚を回復させたいと右往左往している。そういうプロセスの共通性があり、お子さんの年齢も近いこともあって、明らかに運の良さそうな光嶋さんと「いま・ここ」で出会えたのが、めっちゃ嬉しい。

書いてみたら、結局彼へのラブレターのような読書感想文になってしまった。

あと、この本を読んでいると、生命力のある家に住んでみたくなる。実家を出て四半世紀、ずっと借家暮らしだったのもあって、快適で生き心地のよい家に住んでみたい、志ある建築家と対話を重ねみたい。そんな夢想を抱かせる一冊でもある。

我執を吹き飛ばす出会い

昨晩は久しぶりにトークショーに一観客として参加し、めっちゃ興奮していた。ジュンク堂梅田店で開かれた、内田樹先生と青木真兵さん、青木海青子さんの対談である。内田樹さんは日本を代表する思想家で、青木夫妻はオムラヂで対話させて頂く「若き友人」である。こないだは海青子さんと「彼岸、幽霊、狂うこと」についての対話が盛り上がった。(「声がなんだ」

最もガツンとやられたのは、内田先生が「合気道の稽古とは、良導体をめざすことだ」と語られたことだ。野生のエネルギーが自らの身体を通じて発露するために、余計なことを考えたり、無駄な動きをせず、そのエネルギーがうまく通るように素直な身体をつくり、我執を捨てよ。身体の自然=良導体のパフォーマンスの最大化の邪魔をしないために、我執を捨てる必要がある、と。

何がガツンときたかと言えば、気がつけばぼく自身は「我執の塊」だったからだ。最近、自分の中で何かがくすぶり続けているな、と思ったが、それは「我執の腐臭」がくすぶり続けていたのである。それを突きつけられたようで、本当に、いてて、だった。

2009年から甲府で合気道を始めた。子どもが生まれたり、姫路に引っ越したり、コロナの自粛期間が続いたり、と飛び飛びになっているが、細々と続けている。甲府の道場でなんとか二段まで頂いていたが、それ以後、子育てに忙しく、なかなか稽古に行けていない。何より、よくわからない壁にぶち当たり、全く前に進めないように感じていた。道場が変わって、教わり方も変わったことも、ぼく自身の混乱に拍車をかけた。にっちもさっちもいかないような、閉塞感があった。

でも、もう20年も本を読み続けて、自分の中で勝手にスターであった内田先生に初めて生でお目にかかり、その謦咳に触れた際、「我執を捨てよ」と言われて、グサッときた。合気道でぼく自身が全く成長できていないのは、この「我執」に囚われているからだ、と。そして、「我執」に囚われているのは、もちろん合気道だけではない、ということも、痛感している。

トークショーの冒頭で、青木真兵さんや海青子さんの本が2刷り、3刷りと売れている、と聴いた。お二人とこの数年、仲良くさせて頂き、オムラヂなどにも出させて頂いている「若き友人」が活躍して、評価されているのは、素直に嬉しい。嬉しいのだけれど、「でも、ぼくのこないだ出した単著はまだ初版を超えていないよな」というドロドロとした我執が、つい漏れ出てしまう。青木夫妻に嫉妬や競争意識を持つことはない。でも、ツイッタで同業他者の活躍を見ると、憧れと自己嫌悪の自己愛モードに囚われて、しんどくなるときがある。そういうくすぶり=腐臭こそ、良導体のパフォーマンスを悪くする元凶である「我執」なのだ。そう、合気道だけでなく、生き様でも、我執の塊じゃん、と。そう思っていると、本当にいてて、なのである。

さらに言えば、良導体の話は、内田先生の本で何度も書かれていて、何度も読んでいる「はず」。にもかかわらず、しっかりわかっていなかった=身についていなかった、という事実にも、グサッとやられた。頭でっかちじゃん、と。

この「書かれていて情報として知っているはずのことが、現実にできていない=わかっていない」というのは、他にもあった。それが論語の「述べて作らず」である。

オリジナルな何かを自分は作れるはずだ、というのは「オリジネーター幻想」である、と内田先生は喝破する。そうではなくて、先達の師から受け継いだものを、自分なりに受け止めて、レシーブし続ける中で、自分なりに継承していくことができるよね、と青木真兵さんは受ける。そうだった、そうだった、『先生はえらい』にも書かれていたことだよね、とこの対話を聞きながら、僕は深く頷く。

実はオリジネーター幻想は、我執に強く結びついている。自分が生み出したものなのだから、自分が独占支配できるし、それによって競争に勝てるのだ。そんな弱肉強食の勝ち負け思考。意図や計らいに埋め込まれて、「我が、我が」と自らの占有権を主張しまくり、他者を蹴落とす思考。気がつけば、そんな「幻想」に何度も誘惑され、飲み込まれそうになる自分がいる。

でも、だからこそ、内田先生の言葉は、まっすぐ僕に届いた。「先生が、他でもないこの僕宛に、何かを伝えてくださった」という「コンテンツはわからないけど、宛先は僕だ」という「思い込み」を持つことができた。これも、内田先生が贈与論を用いながら何度も書いておられるけど、この「私宛に届いた」という「被贈与の感覚」が、「述べて作らず」の原点にある。師から受け継いだものは何か、を探り、やがてそれを語るようになる、というポジショニングは、まさに「我執」や「オリジネーター幻想」を超え、「述べて作らず」の「良導体」になる第一歩なのだ、と。その「被贈与の感覚」を、まさにライブで感じることができた瞬間だった。

実は、2005年からこのブログを始めたのは、内田先生のブログのまねだった。2003年に博論を書いた後、禁欲していた読書生活を再開した時に、当時話題になっていた『「おじさん」的思考』を手に取って、めっちゃくちゃはまった。以来、ブログを読みまくり、出される書籍は次々に読み進めていった。ぼく自身にとって、ほぼすべての本を読み続けているのは、内田先生と村上春樹、池田晶子だけ、である。そして、2005年に大学教員になった際、文章修行をするに当たって、内田先生がブログで書かれている骨法をまねて学ばせてもらおうと思った。

そして、山梨で県庁の仕事をしていた時に、ずっとお世話になっていた担当者のTさんが合気道の有段者だと知り、彼に導かれて合気道の道場に通うようになったのが2009年。以来、本だけで読んでいた合気道の世界を体感できるようになり、通っていた合気道三澤塾の先生や同門の方々のフレンドリーで開放的な姿勢に受け止められて、熱心に合気道に通うようになった。2013年には初段を、2018年には二段を頂いた。

こうやって勝手に師事していたが、内田先生ご本人には直接お目にかかったことはなかった。こういうのは「ご縁」であって、無理に接点を求めて近づくもんじゃない、と感じていた。そのときが来れば、どこかでつながるはずだ、とも感じていた。なので、2020年に青木真兵さんから突然メールが来た時、あの内田先生のブログやツイッタで登場する人から直接連絡が来た、とめちゃくちゃ嬉しかった。以来、真兵さんや海青子さんと何度も対話をする中で、すごく豊かに学ばせてもらっている。

そして、もう一つの結節点となったのが、無形庵の山本さんだった。これも内田先生が以前ツイートで姫路に来られていたのを見覚えていたことがきっかけ。凱風館の門人で合気道の有段者の山本さんが、三軸修正法の施術家として開業したのでお祝いに出かけた、と書かれていた。三軸修正法といえば、内田先生と池上六朗さんの対談ももちろん読んでいたので、その記憶が元になって、昨年から通い始めた。無形庵は、すごく独特な外観なのだが、施術されている間に空が見えて、狭いはずの空間なのに圧迫感が全くない、気持ちよい空間。聴けば、凱風館を設計した・そのご著書も読んだ光嶋裕介さんの設計だという。僕が読んできて、勝手に慣れ親しんだ世界が、そこにある・つながっている、とびっくりした。以来、施術を受けながら、合気道話にも花が咲いている。前回のエントリーで書いた「ファスティング」も、山本さんに助けてもらって、達成できた。

そして、その山本さんに誘われて、昨日のイベントに出かける。様々な弱い結びつきが、一気につながった瞬間だった。お手紙を入れた拙著は持って行ったが、膨大な献本があると山本さんから聴いていたので、内田先生にお渡しするのは迷惑かな、と逡巡していた。でも、内田先生が話すのを聴いているうちに、「宛先は私だ」と感じてしまったので、終了後、拙著をお渡しすることもできた。

そして、終了後の凱風館門人の皆さんが参加された食事会にも、ちゃっかり混ぜて頂き、その帰りの電車の中で、光嶋さんとお話しすることもできた。「今日は初対面とは思えない、懐かしさがありました!」とツイッターに書いてもらったが、まさにその通り。ぼく自身が読んできて、勝手に慣れ親しんできた世界に一気につながったような、懐かしさ満載、であった。

我執を捨てることは簡単ではない。でも、述べて作らず、を大切にして、良導体になるような文章を書き続けることは、僕にとって日常的にできる練習だ。このブログの備忘録メモもその一つ。最近、色々な閉塞感を感じていたが、それが一気に吹き飛ぶような、良い時間を頂いた。

2022年の三題噺

今年もブログの締めくくりは私的な三題噺。大きく動き始めた1年だった。

1,『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』の刊行

4年ぶり・4冊目の単著は、まさかの子育てエッセイ。エッセイは書いてみたいと思っていたが、まさか子育てエッセイになるとは思っていなかった。かつ、子どもが生まれたあと、家事育児をしながら感じる男性中心主義や男らしさ(マスキュリニティ)、生産性至上主義などをがっつり問い直し、ケア中心の社会に至るためにどうしたらよいか、を地べたから考えるエッセイである。読んで下さった方は、「読みやすけど、具体的な子育ての話と抽象的な話の往復の度合いが激しい」という感想も頂く。現代書館の編集者Mさんとかなりやりとりをして、文章を何度もなんども書き直した。おかげさまで、今まで出した3冊の単著は全く読めなかったうちの母親も「これなら読めた」といってもらえた(^_^)

今年は、この本の刊行に合わせて、色々なイベントもした。平尾剛さんと梅田のジュンク堂で、青木海青子さんとは京都の誠光社で、トークイベントもさせてもらった。あと、メディアにも色々出させて頂いた。朝日新聞の高橋さんとポッドキャストで対談させてもらったことがご縁になって、朝日新聞ポッドキャストに出演してもらい、ファンだった神田さんと対談までさせてもらった(それはwithnewsで前編後編と記事になりました)。「こここ」では僧侶の松本さんと対談させてもらった(「ちゃんとしなきゃ」の呪いをとくには?福祉社会学者 竹端寛さん× 僧侶 松本紹圭さん)。そして、Wezzyでは、男性と家事、というテーマでお話しさせてもらった( 「家事しなくてもしゃあない」で許されていた中高時代 竹端寛さんの場合)。

本を巡る対話を色々重ねる中で、ぼく自身がケアや子育てについて考え直すことが多かったし、書籍化することで、それをネタに対話が深まるのはすごく豊かな経験だった。来年もこういう対話の機会が増えたら良いな、と思っている。

2,子どもの成長に驚く

子どもは年長組。この1年、様々な成長があった。その成長は「○○ができるようになった」と他者比較・能力主義的にまとめたくない。そうではなく、娘の唯一無二性が、どんどん育っている。そんな風に感じるのだ。

こども園ではサッカーのチーム戦!をしていることもあって、夏休みや冬休みは、しっかり父親もサッカーに付き合わせて頂く。ぼくはそもそもサッカーが嫌いで、小学校1年の時に親に入れられたスポーツ少年団を1週間で辞めた苦い思い出があったのだが、娘はそんな父親のトラウマなど気にすることなく、サッカーしよう!と誘って下さる。父は40年ぶりにサッカーのトレーニングシューズを買い求め、大晦日の今日も子どもとサッカーする。公園で子どもが遊ぶのを見ているのではなく、一緒に○○して遊ぶ、というのは、言葉以外でのコミュニケーションで、めっちゃ面白い。

そして、子どもは数字や文字、音楽など、様々な世界に興味を急速に深めている。そして、「自分で○○したい」と強く主張している。ここで親が「危ないからやめときなさい」「言うとおりにしなさい」と押さえ込むと、子どもの自主性が縮こまる岐路なのだと思う。昨日もカレーの具材を子どもと一緒に切っていて、包丁使いが危なっかしいと思うのだが、見守りながら一つ一つ、「自分でもできたよ!」という経験をしてもらいたい、と思う。子どもが自立的・自律的存在として、一人で判断し行動できるように、親がいかに観察して、伴走しながら、子どもが主体的に取り組めるように応援できるか。親がやってしまった方が早いことも多い中で、観察と一呼吸置くことができるか、が大きく問われていると感じる。

そして気づけば後数ヶ月で小学生になる。実は子どもより親が小学校に適応できるか、ドキドキしているのだが。。。

3,ファスティングをしてみる

ファスティングのコーチをして下さる方とご縁があったので、12月に1週間のファスティングに生まれて初めて取り組んでみた。断食である。最初の2日間で、炭水化物を抜き、食べる量を減らしていく。次の3日間は酵素ドリンクのみで過ごす。そして、最後の2日間は、重湯から少しずつならしていく。そんな一週間。実は手でグーをした量が胃の大きさで、一回の食事で咀嚼する量としては、ほんとうはそれくらいが理想的、とも学ぶ。

もともと最近食べ過ぎで、ベルトが1穴緩めなければならず、胃もたれしたり、でも食べる量を減らせず・・・と生活習慣が悪化していた。だが、自分では自制できなくて、どうしたものか、と思っていたので、渡りに船だった。断食期間より、準備食の2日目が一番きつくて、眠気が出たり、イライラしたり、としていた。でも、それを乗り越えると、嘘のように凪の日々で、酵素ドリンクのみの3日間は、仕事をしていても、身軽に動けた。75キロ以上あった体重が、最終日には70キロちょっとまで下がり、その後、72キロ前後で推移している。すごくありがたい。

で、このファスティングのあと、食事に関しての認識が深化した。食べ過ぎなら、食べる量を減らせば良い。酵素もとれるから、朝は生野菜をジュースにしたら良い。それを学んで、せっせと毎朝、生野菜とリンゴやバナナ、豆乳でジュースにして、朝ご飯はそれだけにしている。空腹感も出てくるが、ファスティングでなれてきたので、「ああ、あのいつものやつ」と思いながら、昼ご飯までかわしていくこともできる。それで、昼夜は楽しく食べ、飲んでいる。そういう生活ができるようになったのは、大きな成果だ。

体重が増えたら、たまに一日野菜ジュースのみで終わると、元に戻るとも言われたのが、大きな収穫。75キロから戻せない、と思い込んでいたので、サッカーもそうだが、思い込みを外せると、ことのほか嬉しい。

というわけで、今年も家事育児の合間に、あれこれしていて、本当にあっという間の一年でした。皆さん。よいお年をお迎えください。

「他者を貶めることがない」社会に向けて

年末に原稿を書きながら、読み始めたらめちゃくちゃ面白くて一気読みした本がある。それが、江原由美子さんの『持続するフェミニズムのために – グローバリゼーションと「第二の近代」を生き抜く理論へ』(有斐閣)である。この間、フェミニズムに関してモヤモヤしていた事が、まさに主題化されていた。それは「1%のフェミニズム」、またの名を「リーン・イン・フェミニズム」に関してである。

少し前に話題になった、政治学者のナンシー・フレイザー達による『99%のためのフェミニズム宣言』(人文書院)に僕も衝撃を受けた。そのことについて、江原さんはこんな風にまとめている。

「ナンシー・フレイザーの『第二波フェミニズムとネオリベラリズムの関係』に関する見方は、人の心をつかむよくできたストーリーである。第二波フェミニズムが求めた『女性の解放』=『自由の希求』が、皮肉にも歴史の仕掛けた『罠』の中で、フェミニストをネオリベラリズムを推し進める加担者にしてしまったというストーリー・・・。」(p70-71)

『リーン・イン』を書いたフェースブックのCOO、シェリル・サンドバーグは、「ガラスの天井」を越えて、子育てをしながらも、GAFAのトップの1人になった、という意味では、世界を変えた女性の1人である。2018年に日本語訳が出た当初、この本を読んで、女性リーダーの台頭を手放しで喜んでいた。だからこそ、『99%のためのフェミニズム宣言』を読んだ時に、ぼく自身の盲点を射貫かれるようで、衝撃を受けたのである。シェリル・サンドバーグは確かに『女性の解放』=『自由の希求』の体現者でもある。でも、彼女は子どもたちのケアを有色人種のナニーに任せて、猛烈に働いているではないか。それはまさにネオリベラリズムを推し進める加担者の1人ではないか。そんな1%のリベラル・フェミニストの影で、「貧困の女性化」により有色人種のナニーを初めとした99%の女性たちには光が当たらないままではないか。このフレイザーの提起は、「人の心をつかむよくできたストーリー」であって、ぼくもフレイザーの意見に同調していた。

フレイザーは問いかける。「承認」と「再配分」の政治において、第二波フェミニズムはマイノリティの「承認」にエネルギーを割き、権力や財の「再配分」に注力してこなかったではないか? だからこそ、80年代から隆盛を極めはじめたネオリベラリズムと結果的に軌を一にして、1%の成功者の女性を承認する代わりに、99%の「貧困の女性化」に対応せず、財の再配分がなされてこなかったことを放置したではないか?「女性の解放」は、結果的には男同様に働ける女性にとっては「自由の希求」だったかもしれないけれど、男性中心主義的働き方が変わっていない、という意味では、何も変容していないではないか?

このフレーザーの批判に対して、江原さんは丁寧に反論していく。その詳細は本書を読んでほしいのだが(僕はほぼ全てのページに赤線を引き、ドッグイヤーだらけになった)、特に心惹かれた部分を引用する。

「『リーン・イン』フェミニズム批判には、フェミニズム批判とは別に、『個人的自立のための資源や増大する選択肢、能力主義的達成』を思考するという女性に対する批判も読み取れる。(略)フェミニズムに対する『個人主義』的だという批判は、そもそも、女性が『個人』であろうとすること自体を身勝手と非難する近代家族の『家父長的ジェンダー観』に基づく価値判断を基礎としている。そして、そのような『身勝手な女性』の集まりであり、『恥知らずにもそのように身勝手な女の生き方を奨励する』フェミニズムを批判する人々も、多く同調者としてしまうのだ。しかし、男性ではなく『個人主義』的な女性のみを『身勝手』と批判することは、まさに近代社会における女性抑圧構造の一部なのである。」(p161)

シェリル・サンドバーグが男性だとしたら、「個人主義」なり「身勝手」と批判されただろうか。この江原さんの問いかけにも、グサッときた。そう、男性は家事育児をしない前提が日本では保たれているから「加点モデル」で、女性は家事育児をすることが前提だから「減点モデル」なのである。シェリル・サンドバーグにもその「減点モデル」を当てはめて、「家父長的なジェンダー観」に基づいて査定をしていなかったか? 少なくも、彼女を責めるなら、彼女の夫や他の共働き男性も、同じように責められてしかるべきではないか。この「なぜ女だけ批判に値するのか?」というのは、あまりにその通りである。

次に、承認と再分配についての江原さんの解釈にも、深く頷く。

「多くの場合、マイノリティは、何を主張する場合にもまず、自分たちがマジョリティと「同じ資格で存在』していることを、マジョリティに『承認』させなければ、その声を『聞いてもらうことができない』位置にいる。だからこそ、たとえ主要な主張が『再分配』であっても、『承認の政治』をも問わざるを得ないのである。」(p172)

これは、障害者運動を追いかけてきたぼくとしては、すごく良くわかる。障害者の分離教育や入所施設・精神病院への隔離が当たり前だった時代、自立生活を望む障害者達は、「母よ!殺すな」と訴え、強烈な自己主張をしてきた。以前ブログで紹介した横田さんは、こんな風にも言っている。

「障害者と健全者の関わり合い、それは、絶えることのない日常的な闘争(ふれあい)によって、初めて前進することができるのではないだろうか。」

日常的な闘争(ふれあい)をしないと、まず承認すらしてもらえない。その声を聞いてもらえないと、自分たちが求める再分配にたどり着かないのである。それはフェミニズムや他のマイノリティの社会運動にも共通することである、というのは、すごくよくわかる。

その上で、もう一つだけ引用しておきたいのは、右翼ポピュリズムとフェミニズムの対立と和解の可能性についての、江原さんの指摘である。

「おそらく白人男性労働者たちは、かつては自分たちこそ、地域の中心的支え手であるというマジョリティ意識をもっていたのではないか。自分たちの政治的立場を代弁してくれる政党もあり、さまざまな問題を解決する能力をもち、自信を持っていた。けれども、産業空洞化等により地域の産業は変化し、自らの経済状況も悪化した。かつて自分たちの政治的主張を代弁してくれた政党は、今は自分たちに関心を寄せないどころか、かつては中心にいた自分たちを差し置いて、マイノリティの方に頭を向けている。白人労働階級は、かつては政治の中心だったのに、今や『周辺化』されてしまいかねない状況に置かれているのだ。この状況に対する抵抗感が、自分たちをマイノリティに重ねて考えることを妨げる。マイノリティの奴らとは違う。自分達は『本流』なのだと。『右翼ポピュリズム』に傾倒する者は、まさにこの点において、マイノリティと自分とを重ね合わせることを拒否するのである。」(p141)

この記述を書き写しながら、それは廃藩置県後に没落した武士階級の「周辺化」と類似していると感じた。西南戦争に駆り立てた怒りや「右翼ポピュリズム」にも、同種の劣等感のようなものがあったのかもしれない。だが、江原さんはこのような整理で終わらない。こういう「マイノリティとして差別された経験」の共有から、「白人男性労働者」とフェミニストは、分かち合いの可能性がある、と指摘するのである。

「このような『属性ゆえに貶められる」という経験は、差別という社会構造が生み出すマイノリティに対する意味づけをマイノリティ自身に課すことで、差別という社会構造の責任をマイノリティ自身の属性に責任転嫁する差別行為を経験することだ。このような『周辺化』の経験は、属性やその属性に対するアイデンティティの強さにかかわらず、多くの人々が経験しているのである。つまり『共有されたアイデンティティ』が弱まってきたとしても、『貶められたアイデンティティの回復』ではなく、『貶められた経験』を共有できる可能性は広くあるのだ。異なる属性をもつ人々の間でも、『経験の共有』は可能である。アイデンティティの回復そのものを求めるのではなく、『貶められた経験を共有』することで、『他者を貶めることがない』社会の実現のために連帯することができるはずだ。このような連帯を可能にするためには、『アイデンティティの非本質化』という第二波フェミニズムの『文化主義』的方法論が、有効に機能するはずである。」(p195)

仕事や誇りを奪われたラストベルトの白人男性労働者たち。それは、「周辺化」されることで、蔑まれ、馬鹿にされ、その差別を内在化させることで、怒りをもつ。そして、そのやり場をフェミニズムや女性蔑視に向ける。一見すると、そんな右翼ポピュリズムと和解可能性などなさそうに見える。でも、マイノリティ同士で「貶められたアイデンティティの回復」を巡って競い合うと、それは「内ゲバ」になってしまう。そうではななくて、「貶められた経験」という共通体験で、繋がることは可能なのだ。差別され、理不尽な目にあってきたのは、家父長制の下で虐げられた女性であり、この30年で見捨てられた白人男性労働者であり、日本で言えば非正規雇用で食いつないでいる「ロストジェネレーション」だったりする。そういうマイノリティが、「『貶められた経験を共有』することで、『他者を貶めることがない』社会の実現のために連帯することができるはずだ」。

この指摘はまさにそうだし、ぼく自身が障害者運動にずっとシンパシーを持ちづけてきたのも、「『他者を貶めることがない』社会の実現のために連帯」することだったので、なるほど!と唸った。そして、それぞ実現するためには、『アイデンティティの非本質化』、つまり「女だから」「貧しい白人男性労働者だから」「非正規雇用だから」という「○○だから」というアイデンティティを「非本質化」することである。それは、女性運動や障害者運動が培ってきた伝統であり、グローバライゼーションの時代の今こそ、その論理を使えるのではないか。

この江原さんの提起は実に心強い。

それ以外にも、グローバライゼーション=ネオリベラリズムとイデオロギー的な理解をするフレーザーに対し、エスピン・アンデルセンの福祉レジームを用いながら、アメリカのようは自由主義以外の社会民主主義レジームの北欧や、あるいは日本のような家族主義のレジームは、グローバライゼーションの展開が別様である(北欧では再分配の政治は常に生き延びているし、日本では承認の闘争をし続けない限りジェンダーギャップ指数がいつまでも再下位であり続ける)という指摘など、刺激的な論考が多いのだが、ちょっと長くなったので、ご興味がある方は直接本書を手にして欲しい。

フェミニズムは全ての人を解放する思想である、というフレーズを改めてかみしめた良書で、この一年で読んだ本の中でも、最も心揺さぶられる本の一つであった。

「二人の協定」と互いの成長

子育てをしながら、いろいろな父ちゃん母ちゃんの話を聞いていると、どうもパートナーとの対話をじっくりされていない、する場合でも限定的な対話の方が、結構いるような気がする。仕事に家事育児まであったら、パートナーとの会話は二の次、三の次、になるようだ。

でも、実は仕事も家事育児も大変だから「こそ」、パートナーとの対話が必要不可欠なのだと思う。それを痛烈に感じさせる一冊を、ゆっくり読んだ。

「誰だって、自分の成長を育んでくれる関係、パートナーが自分という人間を丸ごと理解してくれる関係を望むだろうが、そういう関係を育てるには長い時間と手間がかかる。些細な物事に常に関心を払い、同時に将来を見据え、パートナーがどんな成長を望んでいるかに絶えず目を向けておく必要がある。その努力が絶えれば、カップルとしてなんとか関係を続けることはできても、理想の関係になることはできない。」(ジェニファー・ペトリリエリ著『デュアル・キャリア・カップル』英治出版、p258)

この本は、共働きで子育てにも向き合う多くのカップルにヒアリングをし、人生の移行期の課題を探った一冊である。パートナーがフルタイムで働いているか否かには関わりなく、パートナーが仕事と子育てと人生をどのように豊かに送っていくのか、を考える上で、様々な「よそ様のご家庭の実情」がわかって、そのエピソードを読むだけでも、実に示唆深い一冊である。

その中で、特に大切なのが「パートナーがどんな成長を望んでいるかに絶えず目を向けておく必要がある」というフレーズ。子育てに忙しく、仕事もなんとかこなさなければならない、と思うと、パートナーの成長は優先順位の3番目以下に下落しやすい。正直、子どもが小さかった頃は、そんな風に感じていた時もあった。でも、パートナーと意見が分かれて、口論になるような事態を振り返ってみると、だいたいにおいて、「パートナーの成長」を気にかけられないときだった、と思い出す。子どもの成長を見守りながらも、自分自身も成長したい。そして、それは自分だけでなく、パートナーも全く同じはず、である。

だが、性的役割分業が大分減ってきた、とはいえ、ケア領域を「女の仕事」と思い込む男性も少なくないので、家事育児の時間は妻に偏りやすい。すると、夫は自分の成長に投資する時間や余裕を残す一方で、家事育児を押しつけられた妻の側は、その物理的・心理的余裕がないまま、置いてけぼりになりやすい。その不均衡が不満になり、夫と妻の間での認識にずれが残り続けていると、不満や認識のずれが爆発し、言い争いになりりやすい。「相手がわからずやだ」と避難したくもなる。

その際、この著者が言うように、「些細な物事に常に関心を払い、同時に将来を見据え、パートナーがどんな成長を望んでいるかに絶えず目を向けておく必要がある」。自分がどんな成長を望んでいるのか、は、頭の中で常に考えているから、わかる。でも、パートナーがどんな成長を望んでいるのか、は、絶えず聞いてみないと、わからない。しかも、自分自身の成長課題も、状況に合わせて変化するのと同じように、パートナーの成長課題も変化する。仕事に家事育児と精神的に追い詰められていると、自分のことでいっぱいいっぱいになって、つい、パートナーの成長課題にまで気を配れない。でも、そんなときこそ、相手は「わかってくれない」「気を配ってもらえない」とイライラしがちで、それは「些細な物事」に現れやすいのだ。ぼく自身もその「些細な物事」の変化に気づかず、何度もドンパチしたことがある。

それを回避するために、著者は「二人の協定づくり」をしている、という。それは、二人で意識化したい・常に確かめ合いたい価値観と限界、不安について話し合い、共通した基盤を見つけるのである。そこにはこんなことが書かれていた。(p65-69)

価値観・・・何を幸せと感じ、何を誇りと思うのか? 何に満足を感じるのか? いい人生とはどんな人生か?
限界・・・地理的限界(どこに住むのか、転勤するか)、時間的限界(どこまで仕事に時間がとられても許されるか、出張はどれくらいOKか)、在・不在に関する限界(別居や配置転換はどれくらい許容されるか)
不安・・・仕事や育児に対しての、あるいはパートナーとの関係性の中での不安が高まらないうちに、率直に話し合うことが出来るか

そして著者は、人生の転換期は、二人が一緒に生活を共にしはじめ「どうしたらうまくいくか?」を模索する「第一の転換期」、中年期にさしかかり「ほんとに望むものは何か?」を自らに問いかける「第二の転換期」、子どもが巣立ったり退職期にさしかかることによって「いまのわたしたちは何者なのか?」を振り返る「第三の転換期」があり、それぞれの時期に「二人の協定」を見直せるか、も問いかけている。

ぼくとパートナーの場合、「どうしたらうまくいのか?」の最初の協定づくりそのものが、大プロジェクトだった。価値観や生き方が全く異なる他人と暮らしはじめ、大いに戸惑うことだらけで、その違いが最大化して、些細なことでもめることが何度も何度もあった。そのたびに、お互いの不安をさらけ出しながら、何を大切にしたいのか、を何度もなんども話し合った。面倒に感じることもあったが、それをしないと離婚の危機は「いま・ここ」に迫っていたので、仕方なくし続けた部分もある。だがそうやって、二人で確認する中で、「二人の協定」は明文化されていないものの、共有されるようになっていった。ただ、限界については曖昧で、その分、ぼくは仕事が集中してくると、家にいないことが多くなったが、そのぶん、たまに二人で旅行に行って埋め合わせる、などでお互い了解していた。

ただ、子どもが生まれたのは42歳で、ちょうど二人とも中年期にさしかかっていたので、「ほんとに望むものは何か?」を再定義する必然性に迫られた。特にシビアな問いになったのが、地理的限界、時間的限界、在・不在に関する限界である。

放っておいてたら死んでしまう小さな命を前にして、「どこまで仕事に時間がとられても許されるか」は大幅に変更が必要になった。少なくとも子どもが小さい間は、自分自身の成長課題より、家事育児にリソースを注ぎ込まないと、二者関係から三者関係への移行期混乱は乗り越えられない。自分では仕事を減らして家事育児に注力しているつもりでも、パートナーから見れば、「なんでそれもしてくれないの?」と怒りが爆発することもある。そんな中で、子どもが生まれる以前は出張しまくっていたが、それをほとんどなくす、という大幅な仕事の仕方の転換が求められる。出張が自分の生活や成長の一部になっていた、と錯覚していたので、そのモードをやめるのは、ある種、自分の身を切られるような辛さだった。でも、子どもと妻との三人の生活を豊かにするためには、必要な「成長の痛み」だった。その上で、二人の親は関西で、当時僕たちは甲府に住んでいて、あまりに実家が遠いことへの心配や不安もあり、二人で話し合って、ぼくの職場を姫路に変えることにした。妻は専門職なので、甲府でも姫路でも、すぐに仕事に就けた。

この第二の転換期でも、子どもが生まれて最初の数年は、本当に何度も何度もぶつかり合い、話し合った。それまで15年ほど一緒に暮らし、何度も話し合い、「二人の協定」がしっかりできあがっていたものだと思っていたが、子どもが生まれて三者関係に移行すると、「二人の協定」は全く新たに書き直す必要があったのだ。

だからこそ、この本は、すごく味わい深く、自分たちの試行錯誤(七転八倒!?)のプロセスを言語化してくれるようで、実に味わい深く読んだ。そして、冒頭にも書いたが、「パートナーの成長」をどれくらい意識化出来るかが問われている、というのは、本当に胸に響いた。気がつけば、視野狭窄気味になり、自分の成長やそれにまつわる不安でいっぱい一杯になる。子どもの成長については夫婦で日常的に話し合うが、その話し合う二人の、お互いの成長を、そこで話題にすることは、意識化しないと出てこない。ぼくはそれを忘れている場面が多い、と痛感させられた。そして、この本を読み始めてから、何度かパートナーの成長について話題にし、それを一緒に考え始めている。

そういう良い変化を与えてくれる良書でもある。パートナーがフルタイムで働いているかは関係なく、カップルとしての成長を考える上で、重要な一冊になりそうだ。

意思決定支援のキーブック

本を読んでいて、様々なことが結びついてくると、読んでいる最中に、うぉーっ、つながってきたぜー!と嬉しくなることがある。そんな雄叫びを上げたくなる本は、ぼくにとってのキーブックである。今回ご紹介する、『子どもアドボカシーと当事者参加のモヤモヤとこれから:子どもの「声」を大切にする社会ってどんなこと?』(栄留里美/長瀬正子/永野咲著、明石書店)はまさにそんな本だった。

この本の素敵なところはたくさんあるのだが、最もぼくにとって、うぉーってなったのは、宮地尚子さんのトラウマの環状島理論を、現場に使える形でわかりやすく提示した、という部分である。p72のこの環状島の図を見て、ほんとうにうなったのだ。(環状島モデルを知らない人は、ちょっと長いけど、斎藤環さんのnote記事も参照)

p72の図

栄留さんは、アダルティズム(子ども差別)や被害者性について以下のように書いている。

「虐待自体がアダルティズムの最たるものです。虐待までいかなくても、日常的に『子どものくせに』『子どもだまし』のような言葉が使われている現状では、子どもを低くみるアダルティズムが普通になっていて、子どもの『声』を尊重する社会になっているとはいえないと思えます。
このアダルティズムに加えて、『成長途中』だからということで発達や能力を強調し話を聞く機会を設けないこと、また虐待を受けた子どもなどは特にその『被害者性』に焦点があてられるために、本人のためにまわりが良い選択を与えてあげようというスタンスになってしまうことがあります。そして、障害のある子どもも同様の傾向があるのですが、『ぜい弱性』(vulnerability)に焦点があてられ意思決定の機会が与えられにくくなっています。
こうしたことが<内海>の<水位>を高くし子どもが『声』をあげにくい環境を作っていると考えられます。」

これを読んでなぜ、ぼくはうなったのか? それは、これまで読んで・学んできたトラウマの切り口と、アドボカシー、そして今自分自身が経験し続ける子どものケアの話が、バッチリつながって記載されていたからである。そして、子育て中の父として、子どもの環状島の水位を上げている、と、いてて、と思いながら読んだのである。

『子どものくせに』『子どもだまし』というのは、さすがにぼくは娘につかっていない。でも「子どもを低くみるアダルティズム」の芽がぼくの中に全くないか、と言えば、嘘になる。子どもをうまくなだめようとしてみたり、あるいは子どもに了承をとらずに勝手に判断しそうになるとき、子ども差別としてのアダルティズムがぼくの中から抜けきっていない、厳然としてあると感じるのだ。

さらに、年長さんの子どもが理路整然としゃべれないのは、『成長途中』なのだが、それゆえ子どもの話を「話半分」に聞いてしまうときがないか、といわれたら、これもあやしい。「本人のためにまわりが良い選択を与えてあげよう」と子どもの意思確認をすることなく勝手に決めてしまうことがないか、と言われると、胸を張って答えられない時がある。

そういう意味で、アダルティズムや脆弱性が、子どもを「言えなくさせている」可能性も十分に考えられるのだ。そして、それは虐待や社会的養護の家庭に限った話ではなく、普通の家庭でも十分にあり得る話なのである。

そして本書が大切にする子どもの「声」というのは、理路整然としたものではなく、「もっと幅広いイメージが大切」(p17)という。内なる「声」や、怒る、踊る、泣く、絵を描くなども「声」のイメージとして重視されている。我が娘を見ていても、5歳児が理路整然と声を発している時もあれば、そうではない時もある。言えないときは、机をたたいて「怒るで!」と叫んで泣いている時もある。嬉しくて踊ったり絵や字を書いて伝えようとしてくれるときもある。時たましゃべってくれるけど、内なる「声」も色々息づいているようだ。

そういう様々な「声」を持つ主体としての子どもが存在しているのに、親や支援者が、アダルティズムや被害者性・脆弱性の偏見や先入観で子どもの世界をドボドボにしてしまうと、そこで溺れて・窒息して、子どもが声を出せずに沈み込んでいく。そういうイメージがこの絵を見ているうちに伝わってきた。それだけでなく、これを書きながら気づいたのだが、大学生と日々接していて、「他人の目が気になって自分の意見が言えない」「他の人と違うことを言ったらどうしうよう、と気になる」「正しいことを言わなきゃ、と感じている」といった声をしばしば聞く。これは、親や教師によるアダルティズムや脆弱性の言動がたくさん注ぎ込まれた結果、同調圧力や空気を読むことになれすぎて、自分の声を封印して生きている「よい子」になった・・・そんな「妄想」すら浮かぶ。

「気持ち、そして感情は、『声』を発していくための源泉になります。しかし、当事者の経験からは、気持ちや感情を押し殺したり、他者の感情が優先されたりすることが語られます。自分の感情をおさえこむことが日常になるという経験は、当事者の『声』を失わせてしまいます。」(p37)

この長瀬さんの指摘は、「しんどい家庭」で育った子どもの解説部分で書かれているが、実はごく一部の限られた家庭に限定された話ではない、残念ながらごくありふれた世界なのかも知れない、とすら、「妄想が爆発」してしまう。

子どもが言えないのは、「幼い」とか発達・能力不足だからではない。親や支援者が、様々な言語的・非言語的な子どもの「声」をそのものとして尊重しているか。そして、子どもの「声」をしっかり聞くために、親や支援者の方が試行錯誤しているか。そうやって、内海の水位をさげて、子どもの「声」がそのものとして発することが出来るようなサポートを大人が出来ているか、が問われているのだ。

そして、子どもの「声」を尊重することで、そもそも環状島モデルそのものの構造が変わっていく、と永野さんは指摘する。

「当事者参画は、社会的養護の環状島をくっきりと浮かび上がらせ、実態を明らかにし、環状島の内と外にある格差をなくしていきます。さらにその先には、社会的養護の環状島の形を変えていくのではないかと考えています。それは、多くの人が生き延びていけるよう<内海>を浅く、また環状島へ上がりやすくなるよう島の傾斜を緩やかにし『丘』のようにしていくのだろうと思います。そうなっていくと、家族がしんどい時、家族が安全ではない時、浅い<内海>をじゃぶじゃぶと渡って、社会的養護の環状島へやってくることができます。そして丘へ登って、休息したり、同じようにやってきた仲間たちと過ごすことが出来ます」(p126-127)

p127の図

これは、子どもだけではなく、障害者や認知症の人など、当事者参画が求められる多くの領域で共通して言えることではないか、と思う。意思決定支援が必要な、認知症や精神障害、強度行動障害、重症心身障害などの障害を持つ人は、子どもと同じように、社会的弱者差別や被害者性・脆弱性の海の中で溺れかけている。そのとき、どんなに重い障害がある人でも、言語的表出が苦手な人でも、当事者参画の中心に位置づけられると、環状島の内海の水位はどんどん下がってくる。その上で、当事者と家族、支援者などの関係者が一緒になって「環状島の形を変えて」「丘」のように行き来がしやすい傾斜角角度にならしていくことができれば、往来がしやすくなる。

そして、これを書きながらイメージしていたのは、ぼくが関わってきたオープンダイアローグや未来語りのダイアローグ(OD/AD)との共通点だ。OD/ADは、他者の他者性を大切にしていて、相手の声をすごく大切にする。理路整然と話していなくても、途中で割り込まず、最後までまずはじっくり聞く。なぜなら、他者は自分には理解し得ない、わからない部分がある他者だからだ。その他者の他者性を尊重するためには、まずはじっくり聞く必要がある。

そのような「いま・ここの瞬間における他者の他者性の尊重(respecting otherness in the present moment)」が対話の中でなされていくから、「聞いてもらえた」という実感が当事者にもわく。「じっくり聞く」プロセスの中で、当事者は「話してもいいんだ」とか「この空間は安心して話せる場所かも知れない」という安心感が少しずつ膨らんでいく。そして。このような対話空間を当事者参画の中で作っていくことで、対話空間における障壁が下がり、それがひいては環状島の急斜面がなだらかになり、丘に変容していくダイナミズムなのかも知れない、と浮かび始める。

つまり、意思決定支援が必要な状態にある人、というのは、環状島の内海で溺れかけている人である。そして、支援者に求められていることは、内海の水位を下げるために、自分自身の権力性や偏見を自覚し、相手の話をじっくり理解しようと試みることである。そのプロセスの中で、この人になら話してもいいんだ、と希望が膨らむことで、内海と外海の間にある断崖絶壁は、少しずつ丘のようになだらかに変化し始め、それが支援者と本人の意思疎通を図りやすくする、大きなきっかけになる。そんなことを受け取った。

そういう意味では、子ども領域だけでなく、高齢、障害、生活困窮など、領域関係なく、意思決定支援に関わる多くの人に是非とも手に取ってほしい一冊である。最後になるけど、お三方の文章はすごくわかりやすくて読みやすく、本を読むのが得意ではない人でも、十分に読み通せる。そして、今回ご紹介したような、魅力的でわかりやすい挿絵もふんだんに使われていて、真面目な本なのにほっこりする。本当に素敵なキーブックである。

「生きる苦悩」と出会う訪問診療

日本では、諸外国に比べて、精神病院からの脱施設化がなかなか進んでいない。これは、もちろん制度的問題が大きいのだが、それだけでなく、「受け皿がないから」とよく言われる。家族で抱えきれない、地域で支え続けることができない、そういう「重度障害者だから入院・入所もやむを得ない」という論理である。ただ、これはあくまでも日本的な表現である、とも言われている。障害者権利委員会のラスカス副委員長は、先日の日本滞在時に以下のように発言した。

「日本では、『重度障害者(person with severe disability)』という言葉をよく使います。しかし、それは医学モデルに基づく言葉、医学モデルの評価です。人権モデルでは『より多くのサポート(those who require more intensive support)』と表現します。
ラスカス教授によると、「重度障害」「重度障害者」という表現は「重度だからできない。重度だから考えられない」につながり、ほかの人との平等、尊重の考え方にそぐわないという。」(障害者教育、国連が日本に突きつけた厳しい課題

重度障害者だから入院・入所もやむ得ない。この言葉は僕もしばしば耳にしてきた。精神医療に関しては、「重度かつ慢性」なるカテゴリーもあって、そういう人は退院促進の対象外である、という認識もなされている。だが、重度障害者を『より多くのサポート(those who require more intensive support)』が必要な人、と捉えると、視点が全く異なる。地域の中で「より多くの・集中的な支援」がなされたら、精神病院に入院し続ける必要はないのだ。

では、地域の中で「より多くの・集中的な支援」を具体的にどうすればよいのか。その課題に真正面から向き合う良書と出会った。青木藍さんの『暮らしを診るこころの訪問診療』(日本評論社)である。

訪問診療やACTなど、精神科における在宅診療の前提知識がない人には、第一部の「訪問診療の基本」を読むと、その流れを大まかにつかむことができる。そして、僕自身がすごく興味深く読んだ、この本の売りは、第二部の「支援の現場から」における、具体的なエピソード事例である。各章のタイトルにあるように「障害が重たい人の生活を地域で支える」「日常生活が少しでもよくなるように支援する」「粘り強く関係を構築する」「支援の枠組みを作る」「関係構築の失敗」「主体的なかかわりを引き出す」「家族を支援する」と、実にバラエティに富んだエピソードが語られる。AさんからVさんまで、23人の「生きる苦悩」と出会うだけでも、ずいぶん心が揺さぶられる。

そして、様々な「生きる苦悩」に出会う青木さんや訪問チームの視点がすごくいいな、とも感じている。例えば訪問は受け入れるけど服薬をかたくなに拒否するFさんへのアプローチについて、こんな記載があった。

「変わらないように思える拒絶的な態度の裏に、Fさんなりに訪問診療を受け入れているのではと考えられるサインに気づいた。たとえば、いつも訪問の時間に合わせて玄関の鍵を開け、スリッパと座布団を準備してくれる。予定より早く訪問したときやFさんが予定を勘違いしていたときには鍵は閉まっているし、スリッパも出ていない。そして、スリッパと座布団がしょっちゅう新しくなっている。家の調度品は30年は経っていそうな古いものばかりで、新しいものといえばスリッパと座布団だけなのである。また、Fさんはよほど寒くならなければこたつのヒーターを使わないのだが、訪問するとわざわざヒーターをつけてくれることもある。」(p103)

この記述を書き写しながら改めて感じるのだが、観察するまなざしが、やわらかく、深い。スリッパや座布団、ヒーター、というのは、「ごく当たり前」の調度品である。だが、その調度品がどのように使われているか、という「モノの状態」は、実はモノと人の関係性、あるいはFさんと訪問チームの関係性を表す、それを象徴する「モノの状態」なのである。それを、訪問の繰り返しの中でキャッチし、受け止めていく。この視点が、すごくいいな、と感じる。

診察室で患者さんを迎えるとき、医師は自らのホームで患者さんを診る。僕も経験があるが、診察室ではどきどきして、言いたいことが半分もいえない。一方、患者さんの家に医師が訪問する時、相手のホームに医師は乗り込む。医師の方が当然ドキドキする。

そんなアウェーの場に出かけるとき、訪問診療の現場で、何をどのように見て、どの部分を観察するか、は、医療チームにおいても千差万別だろうと思う。法律上では、単に患者の身体と話すことのみを観察する点が求められているし、それができればOKとなっている。でも、それでは「診ることのできる範囲」が限定的である。訪問先の部屋の様子を観察すると、整頓ができているか、ゴミ屋敷なのか、などが色々見えてくる。だが、そのような「相手の状態を理解する」ことにとどまらず、青木さんの記述の中に出てくるのは、「モノが象徴する相手と自分の関係性」の観察、である。そこまで診ていくと、訪問することによって、診察室で見える風景と違う何かを理解できる。そして、「生きる苦悩」が最大化して、それが精神症状と結びついた患者さんを診察する際、「患者の身体と話すことのみを観察する」こと以外で得られる情報が決定的に大切になってくるのだ。これは、知的障害を伴う自閉症のTさんとの非言語的なコミュニケーションでも見えてくる。

「訪問診療を続けるうちに、Tさんの叫ぶ声にも、気持ちのいい声のときと、イライラして苦しい声のときがあることに気づいた。『今日は穏やかないいお声ですね』などと言うと、母親が『そうなんです。実は今週は朝機嫌が悪くて、もう通所できないかなと思っていたら、持ち直して午後から行けたということがあったんですよ』『あんまり通所できていないんですが、玄関に座って外を見ているんですよ。気持ちが外向きになってきたんだと思います』などTさんの細かい変化を話してくれるようになった。母親がこのように話すと、Tさんはこころなしか嬉しそうであった。」(p178)

クライアントの状況を、言語的で論理的な訴え、のみに限定して観察すると、スリッパや座布団は入ってこないだけでなく、「気持ちのいい声のときと、イライラして苦しい声」といった声の変化もなかなかキャッチしにくい。でも非言語的なコミュニケーションが主流であるTさんに関しては、その「叫び声」の質的違いを捕まえることができると、より深い理解が可能になる。こういう観察眼の豊かさは、本書の随所に出てくる。それに関して、以下のような記述もあった。

「<メモ>さりげなく観察する
生活環境の観察は重要である。しかし、ジロジロと評価するように見られるのは患者さんにとっては不愉快であろう。筆者は、室内に入り、患者さんが先導しているときや、書類にサインする間、書類を取りに行っている間、退去する際など、患者さんの注意が筆者に向いていないときにさりげなく観察するようにしている。何気ないものや出来事をこころに留めておくことが、支援に役立つように思う。」(p116)

これを読んでいて、あー、やっぱり一緒だ、と思った。何と一緒なのか。それは、「名探偵コナン」である。コナンは、警察の公式見解や人々の話すことを、鵜呑みにしない。いろいろな人と話をしながら、さりげなく観察しながら、声のトーンやモノの配置・状況、モノと人との関係性までを「さりげなく観察する」。そして、そういう情報を関連付けて統合した上で、真犯人を見つけていく。僕はアセスメントにおいて、そのような主観・客観の混ざった断片的情報を関連付けていくことが大切だと思うし、仲間と作った『困難事例を解きほぐす』(現代書館)の中でも、そのことは整理した。

そして、青木さんの本を読んでいても感じるのは、地域の中で「より多くの・集中的な支援」が必要な人と向き合う際に、青木さんがされていたようなアセスメントを豊かにすることで、支援が可能になっていく、ということだ。逆に言えば、診察室での3分診療では見えない何かを捉えることで、クライアントの最大化した「生きる苦悩」と向き合うきっかけになると改めて感じた。

この本は、訪問診療に携わる医療者だけでなく、相談支援や訪問介護・看護にも関わる多くの実践者が読んでほしいな、と思う、実に読みやすい一冊だった。

戦略的母性主義という可能性

「母性」というのは、悩ましい言葉だ。子育てをするなかで、子どもを包み込み・無条件に承認するような愛情が自分のなかにもあること発見して、「母性的」と言いたくなる自分がいる。でも、ぼくは生物学的にも性自認も男性である。そのぼくが「母性的」と自らを名乗るのも何だか変な気もするのだが、それを「本質主義的だ」と批判するのも違うような気がする。

そういうモヤモヤを抱えていたので、元橋利恵さんの『母性の抑圧と抵抗:ケアの倫理を通して考える戦略的母性主義』(晃洋書房)を読んで、そうかそんなふうに考えればいいんだ!と、少し風通しがよくなった。

「母親業の営みは、パターナリズムに特有の、『優れた』者がそうでない者を代弁するという発想には基づかない。ケアとは非対称な関係性のなかで相手を1人の人間として尊重するということから始まり、ゆえにそこは常に自分と相手との間のぶつかり合いや葛藤が生じる。母親業では子どもの意思を尊重しつつ、彼彼女らが人間として尊厳をもてるような選択肢や問題解決を具体的な文脈に寄り添いながら思考し導いていくことが要請される。それはマターナル(maternal)な営みであると言えるだろう。」(p204)

パターナリズムとは父権主義や温情主義とも訳される言葉で、「『優れた』者がそうでない者を代弁するという」ある種の上から目線の、恩着せがましいアプローチである。そこでは、「可愛そうだから何とかしてあげよう」という温情的な視点はあるが、あくまでも父的な存在が絶対的な力を持ち、絶対的に非力な子どもは父に言われるがままに導かれる、という非対称な関係を前提にしている。そして、その非対称な関係は、「仕方ない」「そういうものだ」とデフォルトにされる。ゆえに、親子がぶつかった時は、親に子が従うのが「仕方ない」「そういうものだ」と理解されやすい。

一方マターナルな営みは、「非対称な関係性のなかで相手を1人の人間として尊重するという」ケアからスタートする。赤ちゃんや幼い子どもでも「1人の人間として尊重する」ということは、相手の意思決定を大切にすることであり、親が思う方向ややり方と違う動きをしても、押さえつけることなく、そのものとして尊重する必要がある。その際、「自分と相手との間のぶつかり合いや葛藤が生じる」。五歳の娘と日々過ごしていても、服のたたみ方とか、片付け方とか、本当にささいなことで、「自分と相手との間のぶつかり合いや葛藤が生じる」。

その時に、「お父さんのやり方の方が正しい(効率的だ、上手くいく・・・)から、このやり方でしようよ」と提案しても、娘は頑として受け付けない。その時に、父の中に存在するパターナリズムは、「そういうもの」だから聞いてくれたらいいのに、とつい温情主義から暴力的な抑圧に転化しそうになる。でも、ここで一呼吸を置いて、子どもを観察して、待つことが出来るか、が問われる。それはまさに、元橋さんが描くように、「子どもの意思を尊重しつつ、彼彼女らが人間として尊厳をもてるような選択肢や問題解決を具体的な文脈に寄り添いながら思考し導いていくこと」なのである。その時、ぼくはパターナリスティックな部分とマターナルな営みに引き裂かれる。そして、何とか後者に踏みとどまろうとする。

元橋さんの論考が圧巻なのは、このようなマターナルな営みとしての、母親達の政治運動に関して、歴史的な視点を持ちながら、フィールドワークを行った点である。第二次世界大戦中の「軍国の母」が大政翼賛会に参加していったことや、その反転としての反戦運動に転じていった歴史を踏まえた上で、1980年代のチェルノブイリ原発事故以後の反原発運動、そして2011年以後の反原発・反戦運動を俯瞰するし、近年の母親によるアクションが、「戦略的な母性主義」に基づく、と指摘している。

「本書の視座である戦略的な母性主義は、『個』であることと母性を相反するものと捉え母親を社会の中で劣位に置く近代個人主義的な母性観に対して、母親業のなかで鍛えられ培われた思考や判断力を社会構想の基盤に置こうとする。戦略的母性主義の視点からは、母親の活動は、個としての存在を抑圧するものではない。むしろ、個としてしか主体であることを認めない従来の枠組みを批判し、母であるという『わたし』から始めるという視点を有しているものである。」(p141-142)

ここで言う「母であるという『わたし』から始めるという視点」は、「個としてしか主体であることを認めない従来の枠組み」とは違う視点である。子どもと抱えた母である、という複数性を抱えた主体であり、「常に自分と相手との間のぶつかり合いや葛藤」を抱えている、という点で、単数の個とは異なる存在である。そして、「近代個人主義的」においては、そのように1人に割り切れない母なる存在を、「社会の中で劣位に置く」価値判断をしてきた。子どものケアを母に押しつけ、父は外で主体的に働く、というあの構図である。でも、それによって見えなくなっている視点がある。それを社会構想の基盤に置こうとするのが、「戦略的母性主義」の視点なのである。その結果、反安保法制に関するママの会において、以下のような展開がスタートしていく。

「ママの会のメンバーたちは、政治活動の場で『母としての私』として日々の母親業の経験や不安について話す。そして、その語りが集団において承認されることによって、母親である自分は政治にふさわしくないと考えていたことが、実は、母親業に価値を見いださない政治の仕組みや文化のほうに問題があるのだという認識の転換を行っている。このようにして、自らの行う母親業には政治的価値があるという確信を得ることが、メンバーたちを励ます。そして、エリート政治の空間に子どもを連れていき、母親の日常の延長に『政治』を置こうと試み、政治の当事者であることを奪われている他の母親たちにアプローチを行う等といったママの会の活動の特色をつくることにつながっていったと考えられる。このように、彼女たちが母親であることを掲げながらも、『自分の子どものため』だけに留まらず、『他の母親や他の子どもたちのために』という思考や行動につながっていく。」(p190)

「母親である自分は政治にふさわしくない」というのは、明らかにパターナリスティックで近代個人主義的な日本の政治が、母親にそう思わせてきたことである。そして、ママ達もそれを疑うことなく内面化してきた。だが、「日々の母親業の経験や不安」に基づく、政治や行政に関する違和感や疑問を言葉で表現することで、「その語りが集団において承認されることによって」「実は、母親業に価値を見いださない政治の仕組みや文化のほうに問題があるのだという認識の転換」が始まる。

これは、「保育園落ちた、日本死ね!」という1人のママの怒りの発言が、待機児童問題を政治化させたプロセスを思い出させる。あるいは「エリート政治の空間に子どもを連れていき、母親の日常の延長に『政治』を置こうと試み」は、熊本市議会で子どもを連れて出席しようとしてバッシングされた議員の試みを思い出させる。パターナリズムに染まった人々(男女問わず)は、二つの出来事に批判やバッシングを浴びせかけた。だが、この2人の母親の行動によって、「彼女たちが母親であることを掲げながらも、『自分の子どものため』だけに留まらず、『他の母親や他の子どもたちのために』という思考や行動につながって」いったのである。これらは、まさに「母親業のなかで鍛えられ培われた思考や判断力を社会構想の基盤に置こうとする」戦略的母性主義の一例である、と言えそうだ。

そして、こういった戦略的母性主義はケア倫理にも結びついている、と元橋さんは整理する。

「母親業を担う者としての『母親』の政治的アイデンティティは、あらかじめあると措定された本質としての母親ではなく、ケア行為の事実や、ケアの価値をないがしろにする政治への対抗から創出されたつながりである。政治的アイデンティティとしての『母親』は、子どもの尊厳を傷つけるものや、母親業の遂行を妨げる社会のあり方を不公正とみなし闘う者であることがその本質であると言える。そのため、母親業の政治的アイデンティティは、親の性別やセクシャリティ、家族形態を問わない。」(p205)

パターナリズムに染まる人々が称揚する母性を持った母親とは、子どもを無条件に愛するが、政治には口出しせずに慎ましく慕う像であろう。一方、ママの会も含めて、社会的にバッシングも受けた上記の女性たちは、政治的主体性を剥奪されていないし、それを主張している。これは本質主義的な「母なるものは父なるものとは異なり、政治的な発言は父に任せる」というパターナリズムに染まった主張とは真逆である。「ケア行為の事実や、ケアの価値をないがしろにする政治への対抗から創出されたつながり」であり、発言である。女子どもは黙って男に従え、という旧時代の抑圧的価値観に対して、「子どもの尊厳を傷つけるものや、母親業の遂行を妨げる社会のあり方を不公正とみなし闘う者である」。これはケアを重視した倫理的な態度、という意味で、ケア倫理に基づいた政治的主体性を引き受けた存在であり、「本質としての母親・母性」とは異なる「戦略的母性」である。

そして、そのような「戦略的母性」について、「母親業の政治的アイデンティティは、親の性別やセクシャリティ、家族形態を問わない」とも彼女は語る。ぼくは十分に出来ているとは言えないけれど、「子どもの尊厳を傷つけるものや、母親業の遂行を妨げる社会のあり方を不公正とみなし闘う者」ではあり続けたい、と思っている。「ケア行為の事実や、ケアの価値をないがしろにする政治」については、アカンもんはアカン、と言い続ける。そういう意味で、「戦略的母性」をぼくも生きたいと、心を新たにした。