処「法」箋の威力

青木志帆さんの新刊『相談支援の処「法」箋—福祉と法の連携でひらく10のケース』(現代書館)を読む。この本、法律の解説本でもあるのだが、そのジャンルのなかでは破格の読みやすさと、面白さ。それは、福祉現場の様々な「困難事例」に、法のアプローチならどう関われるか、を書いているからである。

青木さんは明石市役所に勤める弁護士で、社会福祉士で、ついでにいうとタニマーの活動もされている、魅力的でオモロイ人である。ぼくも以前から仲良くさせてもらっていて、2019年の年末に姫路の飲み屋で昼酒(コロナ危機では出来ないけど)をあおりながら、おしゃべりする中で、「こんな本を書いてみたい」と構想を伺い、めっちゃおもろいやんと、現代書館とお引き合わせをさせて頂いた。そして、出来てみたら、ほんまにオモロイ本で、ぼくもめちゃくちゃ勉強になった。

例えばケース7で出てくる「万引きを繰り返す高齢者」の話。青木さんは、福祉現場でソーシャルワーカー達と仕事を共にする弁護士、というニッチな立ち位置ゆえ、下記のようなエピソードが書ける。

「「なぜ悪いことをした人の支援をしなければならないのか」「私たちが支援をすることで、刑が軽くなるのはおかしいと思う」。
私が、法律相談を聞きながら更生支援をしていたときに、現場の専門職からよく聞いた意見である。私は、これはもっともなことだと思う。ただ、刑事手続きの登場人物たちが福祉的支援を求める目的は、「あるべき刑罰を軽くするため」ではない、ということはどうかわかってほしい。
たとえば、逮捕・拘留をきっかけに、その人の生活を困難にさせていること(障害、認知症、財産管理能力、親の介護と子育てのダブルケアなど)が外部に初めて明らかになることは実際多い。その人を犯罪に走らせたものが、そうした支援で社会内で更生できたほうが本人にとっても社会にとってもメリットが大きい。刑事手続きの関係者たちは、そうした思いで被疑者・被告人への福祉的支援を求めている。」(p133)

これは、法務省の視点だけでも、厚生労働省の視点だけでも、書けない文章である。そして、日本のお役所は一般的に縦割りであるがゆえ、省庁が違うと言語だけでなく価値前提も異なる。そのため、特にこのような罪を犯した障害者・認知症者のように、司法と福祉のどちらのアプローチも求められるけど、両者のアプローチがそもそもだいぶ異なる時に、この二つのアプローチをうまく接続させることは、そう簡単ではない。これは、現場でよく聞く話でもある。

そして、青木さんは、その両方の視点や内在的論理を知る、優れた通訳者的存在でもあるため、お互いの誤解を解くために、すごくわかりやすい例で解説してくれる。上記の場合なら、因果応報的な懲罰の論理に過度に囚われる福祉支援者に対して、「その人を犯罪に走らせたものが、そうした支援で社会内で更生できたほうが本人にとっても社会にとってもメリットが大きい」という論理をわかりやすく教えてくれる。そしてその背後にある「再犯防止推進法」の存在を挙げた上で、「なぜ更生支援を自治体でやらなければならないのか」も説く。そう、実はこれは福祉関係者と行政の間の価値観や認識のズレを埋める本でもあり、青木さんは市役所勤務ということもあって、自治体の論理と福祉・司法の論理の通訳もしてくれる。さすが、マルチタレント!

こういう認識のズレがなぜ生じるのか。青木さんはこんな風にも解説している。

「法律の世界は、原則として『合理的な判断能力のある人』をプレーヤーとして念頭に置いている。このため、福祉の当事者をめぐるケースマネジメントと法律とは、それほど相性が良くない。合理的な判断が難しい状況になる人に用意されている制度は、成年後見制度くらいしかない。医学的な意味で判断能力が低下している場合は成年後見制度を利用すればいい。でも、環境的要因のせいで『なんでそうなるのかなぁ』という選択をしてしまう当事者たちの場合、その困難を解決するのに法律は本当に使いづらい。
だからといって、『解決ニーズがないんじゃ仕方ないね』と権利救済を諦めてしまうのはいかがなものなのだろうか。すぐに分離できなくても、家計を立て直すのに時間がかかりそうでも、『法律にあてはめたら本来はこうなる』という結論を支援方針の軸としてチームで共有することができれば、少なくとも現状よりも権利侵害の度合いが深まってしまうことは防げるはずだ。将来生ずるかもしれない、深刻な法的な危機を予想し、そこから逆算して支援者としてできることを考えられたらよいと考えている。予防医学、予防法務的発想に近かもしれない。」(p187)

そう、福祉の分野でややこしいのは、意思決定支援が必要な状態にある人である。それは、「合理的な判断能力」なるものが、一時的であれ、部分的であれ、損なわれている状態にある人のことだ。その理由は千差万別。単に高齢者や障害者だから、だけでなく、そこに多重債務や虐待、DV、8050問題、あるいは周囲の差別的対応など、色々な問題が重なるなかで、「どうしてよいのかわからない」状態に追い込まれる。そういう時に、「福祉の当事者をめぐるケースマネジメント」が求められているのだが、青木さんはその状況は、「合理的な判断能力」を前提とした「法律とは、それほど相性が良くない」とも言う。

でも、この本の良いところは、『法律にあてはめたら本来はこうなる』という方針を支援チームで立て、そこに法律家も協力することで、「少なくとも現状よりも権利侵害の度合いが深まってしまうことは防げるはずだ」と明快に述べる点である。そう、法は福祉的支援に万全ではないが、使えるものはトコトン使おうよ、とその使い方を教えてくれる、道先案内人なのである。事実、弁護士と一緒に仕事をするにはどうしたらよいか(ケース10)とか、債務整理の類型と具体的な違い(ケース2)とか、虐待防止法とDV防止法の使い勝手の違い(ケース6)とか、法学部で勉強するか、公務員試験を受けるとかしないとお目にかからないような知識を、本当にわかりやすく解説してくれていて、ぼくも勉強になる(前任校では法学部に13年勤めたけど、不勉強で知らないことだらけだった・・・)。

そして、こういう具体的な知識を福祉現場の人が身につけることによって、「将来生ずるかもしれない、深刻な法的な危機を予想し、そこから逆算して支援者としてできることを考え」る、事前予防的なアプローチが取れるのである。さらに言うと、弁護士や司法書士クラスタの人は、この本を読むことにより、福祉現場の人が何に困って、法律クラスタの人と近づきにくいか、とか、福祉現場の支援者が大切にしている価値前提や、連携の際に躓きやすいポイントとはなにか、を知ることも出来る。行政職員であれば、これからの自治体行政において、福祉と法がどう連携してことに当たる必要があるか、を理解することもできる。

そういう意味では、一粒で何度も美味しい処「法」箋なのであった。

「企業災害」と「否認/再認」

東日本大震災から10年たって、やっと、原発問題に関する書籍をぼちぼち読み始めている。

正直言って、そのことを考えるとキャパオーバーになりそうで、原発関連の新聞記事やテレビ番組は、見ないようにしてきた。原発のような危険なエネルギーは論外だという想いと、その一方でクーラーや携帯、PCにZoomなど電力を使いまくっている自分。電力の必要性と原発の危険性などを考えると、単純に矛盾のるつぼに陥りそうで、他にも考えるべき事が多いから、と目を背けてきたのだ。

だが、きっかけは、昨年NHKで緒方正人さんのドキュメントを見て、その後『チッソは私であった』を読んだことだ(そのことはブログに書いた)。そして、先日にオンラインで開かれた「原発災害と社会的分断」というラウンドテーブルに発話者の一人として誘われた事がきっかけとなり、本棚に買ってはいたけど読めなかった原発関連の書籍を読み始めた。10年経った今なら、やっとそれらを読んで考えられるようになってきた。

一冊目は、森永ヒ素ミルク事件や水俣病などに医師として関わり続けた山田真さんの本である。

「森永ヒ素ミルク中毒事件は食品公害と呼ばれる。水俣病も公害と言われる。だが、公害という言葉は実はふさわしくないように思う。これらの事件は加害者がはっきりしていて、その加害者は企業なのだから、『企業災害』と表現すべきではないだろうか。東電福島原発の事故も、同じく企業災害の範疇に含まれるだろう。
企業の犯罪は、最初に被害を出しただけではなく、事後処理のレベルでも行われてきた。この事後処理における犯罪のくり返しが、ぼくを『何度も見た』という思いにさせるようだ。つまり加害企業が被害を隠蔽し、被害者を切り捨てることのくり返しである。」(山田真『水俣から福島へ 公害の経験を共有する』岩波書店、p4)

僕はその名前くらいしか知らなかった森永ヒ素ミルク事件は、ドライミルク生産工程で起こった、明らかに企業コストを下げるためのずさんな品質管理の中で起こった人災であり、「企業災害」である。そして、当時このドライミルクが流通していた岡山県内で「奇病」が発生している事は小児科医は気づいていた。どうも森永のドライミルクと関係があるらしい、とも気づいていた。だが、岡山大学の小児科は教授が、「もし森永ドライミルクが『奇病』の原因ではなかった場合森永に大変な迷惑をかけることになる。だから森永ドライミルクが原因でないかなどということを軽々しく口にすべきではない」と箝口令がしかれた(p15)。これが被害の蔓延につながったという。

さらに被害者への検診をする段階において「ヒ素中毒の影響と確認される病状はない」と判断することにより、被害が専門家によって認められない被害者が多く発生する。これは「異常ではない」と言わず、「ヒ素中毒と関係があるかは確定できない」から、被害対象の範囲外である、という対象範囲の極端な制限であり、被害者外しの論法である。そして、これは広島や長崎の原爆被害者に対する論法と全く同じだ、と筆者は述べている。数日前に「黒い雨訴訟」で広島高裁が被害者全員を認定せよ、という判決を下したが、戦後76年たっても、被害者範囲を限定した専門家や国の判断が、被害者を苦しめる構図は変わっていない。

この大企業と国が結託して、「企業災害」の範囲を限定し、被害者を極端に制限し、なるべく問題を矮小化する構図は、水俣病でも福島原発事故でも同じだ、という。さらに、この「企業災害」における被害者軽視に、医者や科学の専門家が加担し、国家や大企業の論理に迎合して、被害範囲をできる限り狭めたり、「直接の因果関係は確認出来ない」などと認定することで、問題がないかのように「お墨付き」を与える論理が生まれてきたのだ。

そのことについて、哲学者二人による論考は、アルチュセールの「否認」「再認」の概念を用いて、次のように整理する。

「アルチュセールはこのメカニズムを、イデオロギー的主体化=服従化のメカニズムと名付けている。これを私たちの文脈に当てはめるなら、国家と資本は、自らが経済的、軍事的な目的で構築した原発を維持し、発展させるために、諸主体に働きかけ、『原発は安全であり、事故を起こしてもその影響はほとんどない』という『イデオロギー的再認/否認』のメカニズムに従って諸主体の認識を構成しようとする、ということになる。私たちが『安全』イデオロギーと呼ぶのは、原発の安全性と原発事故の影響に関わる、このような『イデオロギー的再認/否認』のメカニズムの総体である。」(佐藤嘉幸・田口卓臣『脱原発の哲学』人文書院、p94)

「原発は安全だ、アンダーコントロールだ」というのは、事実確認的発言ではなく、そういうものだと自分に思い込ませる意味では、行為遂行的発言である。そして、ある種の価値観を「再認」し、別の価値観を「否認」するために、そのような発言を繰り返すことは、確かに「『イデオロギー的再認/否認』のメカニズム」である。さらにいえば、国家がそのような『イデオロギー的再認/否認』の言説をくり返しながら、人々を一定の方向に導く、という論理構造こそ、まさに「イデオロギー的主体化=服従化のメカニズム」である。

これは、まさにコロナ危機の2020年から2021年夏において、ずっと僕たちが垣間見たことではなかっただろうか。突然の学校休校に始まり、GoToキャンペーンやオリンピックの延期や開催に向けた朝令暮改、そしてワクチン接種の加速化と失速化、など、様々な問題が起こるたびに、「安全神話」がどんどん揺らいでいく。まさに行為遂行的発言の恣意性が暴露され、統治メカニズムとしての「イデオロギー的再認/否認」の暴力が可視化され、人々がそれに翻弄されているプロセスのように思えてならない。

「彼らが、事故の危険性に関する様々な指摘をイデオロギー的に再認/否認するのは、そのような危険性を否認しなければ、内部に巨大なエネルギーと膨大な放射性物質を内包する点において極めて危険な、原発というシステムを運用することが不可能になってしまうからだ。そして、こうしたイデオロギー的再認/否認のメカニズムは、私たちの『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズムと共振して、互いに強化し合う。従って、イデオロギー的再認/否認の悪循環から抜け出すためには、過酷事故の可能性を直視して、原発を廃止するという決断を下す以外に方法はないのである。」(p158-159)

僕自身にも「『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズム」が働いていた。それは、原発事故の後も、そうだ。2011年3月、毎日テレビとツイッターに釘付けになって動けなくなっていた僕は、当時の枝野官房長官がくり返し述べていた「直ちに健康に影響はない」というフレーズを、「信じたい」と思っていた。それは、広島や長崎の原爆被害者の事を想起すれば、あるいはチェルノブイリの事を考えたら、「直ちに影響はあるはず」なのだけれど、「まさか」そんなはずはないと思い込みたかったし、それは佐藤さんと田口さんの指摘する、「『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズム」そのものだった。

そして、国民の側の被害があって欲しくない、という「否認のメカニズム」は、企業災害を起こした側やそれを管理する国側の、統治機構の「否認のメカニズム」と軌を一にする。「まさか水俣の奇病とチッソが関係しているはずはない」「寒村に一大産業をもたらした足尾銅山が公害を起こすはずはない」・・・などという「否認」および、貧しいこの地域が生き残るには原発(工場、鉱山)と共に生きるしかない、という「再認」のメカニズム。そこに電源三法交付金などの国家による「買収」=アメが結びついていると、「この利益誘導のシステムはいわば、経済的権力によって地方を麻薬中毒患者のように原発に依存させ、その依存から抜け出せないように服従化し続けるものなのである。」(p200)

その上で、以下の表記は、コロナ危機にある現状の構造を見事に射貫いているようにも思える。

「官僚機構は、政権がいかに交代しようとも、また、どれほどカタストロフィックな原発事故が起きようとも、一貫して従来通りの政策を実行しようとする。原子力国家とその官僚機構の本質的性格とは、『何が起きようとも自らの前提、原理を決して変えない』という極めて硬直的なものである。」(p447)

この硬直性は、コロナ危機における政府や政権の対応のまずさにも表れている。今に始まった問題ではない。結局、明治以来の官僚機構の一貫性は、平時には日本型統治の良い部分にもつながっていたが、グローバル化してDX化している21世紀においては、その一貫性や前例踏襲主義は、全く役立たないどころか、弊害になっている。それは、未だに保健所からFAXで連絡させることとか、海外から帰国した人への検疫体制のアナログ的展開とか、あるいは大阪市に代表されるパソナへの外部委託問題とか、色々なところで露呈している。

それらの個別事情を、「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」と補助線をつけたうえで、僕たち市民の一人ひとりに、その「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」が内面化されていないか、を批判的に問い直す事が改めて必要なのだと思う。

ぼくは最初の単著、『枠組み外しの旅—「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)を書いたのは、2011年の震災後のショックからだった。2012年の春に論文を書いたのがきっかけになり、深尾先生と安冨先生にお声がけ頂き、3ヶ月ほどで一気呵成に書き上げた。

あのときは、今から思えば、あの本で問い直したかった枠組みとは、福祉に関する「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」だったのではないか、と思っている。そして、それを問い直す中で、原発問題や沖縄米軍基地問題の膠着性にも、この枠組み問題があるという事には気づいていた。だが、編集者から「その辺りをもう少し深く書いてみませんか?」と言われても、その時にはどう書いてよいかわからず、放置していた。

それからまもなく10年が経つ。そして遅まきながら、日本社会に蔓延する、福祉以外の「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」との共通性というか、同根性のようにも、目を向けるようになってきた。それは僕自身の「『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズム」と向き合う事であり、緒方さんの言葉を借りれば、「チッソは私であった」とはなにか、を自分に問い直すことでもある。やっと、そんな地平に経ち始めたのかも、しれない。

そろそろ、あの本の続編を書くべき時期なのかも、しれない。

『チッソは私であった』と向き合って

福祉社会学の講義で、緒方正人さんを取り上げたハートネットTVの映像を元に学生達と議論する。今年の授業は『なぜ人と人は支え合うのか』および拙著『枠組み外しの旅』をテキストに、相模原事件や優生思想など障害者福祉を中心に議論をしてきた。だから、水俣病問題とは、直接関係はない。また、僕の授業で、水俣病問題を取り上げたことは、一度も、ない。

でも、昨年末文庫本として復刊された『チッソは私であった』(緒方正人著、河出文庫)を読んで、強烈に魂が揺さぶられた。彼が狂った描写を読んで、決して他人事に思えなかったからだ。そして、これは深い意味で、僕が追いかけて来たテーマと共通している、と感じていたからである。

「『チッソってどなたさんですか』と尋ねても、決して『私がチッソ』ですという人はいないし、国を訪ねていっても『私が国です』という人はいないわけです。そこに県知事や大臣や組織はあっても、その中心が見えない。そして水俣病の問題が、認定や補償に焦点が当てられて、それで終わらされていくような気がしていました。(略)要するに構造的な水俣病事件と言われる責任というのが、結局はシステムの責任ですね。システムの責任が今まで言われていたのです。人間の責任という一番大事なものが抜け落ちている。平たく言えば、この世の中では、責任というのが、制度化されてしまう。医療制度の問題や、お金を払えばいいんでしょということになってしまう。」(p44-45)

僕自身は、例えば脱施設・脱精神病院の問題も、国がシステムとして対応すべきだ、と考えてきた。ハンセン病の国家賠償訴訟のことや、旧優生保護法での強制不妊手術の問題についても、国家が謝罪し、法的に対応するよう、市民運動のうねりが圧力をかけてきた訳であって、同じようなことが必要だと思っている。

だが、水俣病訴訟の原告団のリーダーとして、自分の父親が殺された敵討ちをしようと遮二無二頑張ってきた緒方さんは、制度的保障が不十分な形でも実現していくプロセスを見ながら、これはおかしい、と直感する。誰の責任か、を会社や国に問うても、そこで引き受ける人間が見当たらない。結局のところ、国や会社というシステムを回す個人は、人事異動でたまたまそのポジションについただけ、というスタンスを崩さず、その人々が全人格を賭けて責任をとろうとしないし、それも求められてない。すると、「人間の責任」が有限化され、限定されることにより、「この世の中では、責任というのが、制度化されてしまう。医療制度の問題や、お金を払えばいいんでしょということになってしまう」のを知る。

これでは、誰に敵討ちしてよいのか、わからなくなってしまう。さらに緒方さんは、チッソや国の責任が有限である、という論理を広げていく内に、被害者である自らへの責任問題も考え始める。

「私自身も今では車も運転し、船も木造からFRP(強化プラスティック)になって、情報を新聞やテレビから得、電化製品の中にあるわけです。確かに私自身が水銀を流したという覚えはないですけれども、時代そのものがチッソ化してきたのではないかという意味で、私も当事者の一人になっていると思います。しくみ全体が、そういうふうに動いてきているということがあると思います。かつては、チッソへの恨みというものが、人への恨みになっていた。チッソの方は全部悪者になっていて、どっか自分は別枠のところに置いていた。しかし、私自身が大きく逆転したきっかけは、自分自身をチッソの中に置いた時に逆転することになったわけです。水俣病の認定や補償や、医療のしくみを作ることではすまない責任の行方が、自分に問われていることにを強く感じていました。」(p73)

今日の授業では熊本出身の学生がいたので、水俣のことを教わったら、「魚がめちゃくちゃ美味しくて、ミカンが特産品で、鹿児島との県境に近いところ」といっていた。そんな風光明媚な場所だったが、工場誘致の結果、チッソが工場を作り、そこで地元の人々(農家や漁師の家の長男以外)の雇用が生まれた。そして、アンモニアやプラスティック素材の原料(オタノール)を作ることで、現代人の生活と強く結びついている産業であり、工場である。つまり、チッソを誘致し、チッソが作り出す化学製品を求めたのも、便利で快適な生活をしたいと望んだすべての近代人であり、「時代そのものがチッソ化してきたのではないかという意味で、私も当事者の一人になっている」と緒方さんは気づいてしまったのだ。

「問題の一部は自分自身である」

これを、ご自身も水俣病の後遺症に苦しみ、父親を急性水俣病で亡くした緒方さんが認めるのは、身をひき裂く苦痛であると思う。「チッソの方は全部悪者になっていて、どっか自分は別枠のところに置いていた。しかし、私自身が大きく逆転したきっかけは、自分自身をチッソの中に置いた時に逆転することになったわけです」と語るが、それは緒方さんにとっては、文字通り天地がひっくり返るような経験であった。

「私自身、その問いに打ちのめされて85年に狂ったのである。それは、『責任主体としての人間が、チッソにも政治、行政、社会のどこにもない』ということであった。そこにあったのは、システムとしてのチッソ、政治行政、社会にすぎなかった。それは更に転じて、『私という存在の理由、絶対的根拠のなさ』を暴露したのである。立場を入れ替えてみれば、私もまた欲望の価値構造の中で同じことをしたのではないか、というかつてない逆転の戦慄に、私は奈落の底に突き落とされるような衝撃を覚え狂った。一体この自分とは何者か。どこから来て、どこへゆくのか、である。それまでの、加害者たちの責任を問う水俣病から自らの『人間の責任』が問われる水俣病へのどんでん返しが起きた。そのとき初めて、『私もまたもう一人のチッソであった』ことを自らに認めたのである。それは同時に、水俣病の怨念から解き放たれた瞬間でもあった。」(p10-11)

被害者としての自分、加害者としてのチッソと国。これは絶対的な事実である。だが、緒方さんは被害者である自分も、「立場を入れ替えてみれば、私もまた欲望の価値構造の中で同じことをしたのではないか」と気づいてしまった。彼はそこでテレビを庭で壊し、車をぶつけた、という。つまり、自分が「欲望の価値構造」を持っていながら、「加害者たちの責任を問う」ことの矛盾や限界に気づいてしまい、それで狂ったのだ。でもそれは、僕たちが直視せずに「そういうものだ」「仕方ない」と諦めて蓋をした、パンドラの箱を緒方さんは開けたのだと思う。だからこそ、常識の箍が外れてしまうことで、狂ったのだが、それはまともな狂いというか、むしろ「私という存在の理由、絶対的根拠のなさ」の深淵に立ち向かう勇気を、緒方さんは持っていたのだと思う。ゆえに、かれは『私もまたもう一人のチッソであった』と認めることによって、被害・加害の二項対立軸の膠着状態としての「怨念」から解き放たれたのかも知れない。

これを、なぜ福祉社会学の授業で取り上げたのか。

例えば相模原事件の植松死刑囚に対して、「私もまたもう一人の植松死刑囚であったかもしれない」と思い始めている自分がいる。それは、この10年ほど、新自由主義がもたらす構造的剥奪について色々本を読み進めたり、議論を深める中で、結局のところ、能力主義が優生保護思想と強く結びついた時、「役に立たない障害者など、いなくなってしまえ」という極端な思考が生まれうる、という可能性に気づいてしまった。

もちろん僕はそうは思っていない。でも、役立つ・役立たないという能力主義は深く内面化してきたし、それで一定程度、勝ち残ってきた、と思い込んできた。そして、それこそが「立場を入れ替えてみれば、私もまた欲望の価値構造の中で同じことをしたのではないか」という緒方さんの問いに直結するのである。

また、精神病院が日本でいまだに「必要悪」と言われ、未だに30万人近くの人が幽閉されている現実の背景には、精神病院を必要としているこの社会構造を問うことなく、「加害者たちの責任を問う」アプローチでは限界を感じているからである。この日本社会で、未だに精神病院を求め続けている現状について、「自らの『人間の責任』が問われる」ような気がしているのだ。つまり、システムの問題を追及するにしても、その改善を求めるにしても、結局のところ、システムの漸進的改善=消極的なシステムの維持、を求めようとしていて、そのシステムのもつ構造的な膿のようなものと向き合おうとしていないのではないか。問題を寸止めで解決したふりをして、賠償や補償などの「お金」で解決したフリをして、結果的には精神障害を他人事と感じているこの社会の有り様までは問い直していないのではないか、と思い始めたのだ。

そう考えたら、拙著で取り上げたバザーリアもニィリエもフレイレも、自らの『人間の責任』をとろうともがいていた、とも言えるかも知れない。システムの問題点を糾弾や指摘するだけでなく、人間として自分はどのような責任をとりうるのか、を必死になって模索してきたようにも思える。それが、僕自身が拙著のタイトルにも込めた「枠組み外し」であり「当たり前をひっくり返す」の意味なのではないか、とも思い始めている。

そして、「人間としての責任」を考えたときに、僕自身がずっと気になっているのは、福島の原発問題である。このことは、又改めて、論じたい。

超アヤシくて実用的な本

「人生は悪循環か好循環のどちらかだ。悪循環に襲われている人は、感謝が足りない。日々、「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べるだけで、悪循環は好循環に変わり、家族関係の不全も見事に改善される。ついでに言えば、先祖供養も感謝の気持ちでやれば、守護霊が護ってくれる・・・」

一見すると、非科学的で非論理的で、スピリチュアル系満載のアヤシいフレーズに思える。その一方で、どこか真実味もありそうな気がする。とはいえ、こんな簡単に複雑で困難な問題は解決するはずがない・・・。

そんな想いに駆られるかも、しれない。

でも、これは心理療法の一つ、家族療法のマスターセラピストで、数々のクライアント家族の不全を劇的に改善してきたマスターセラピスト、東豊さんのメッセージだとしたら、認識は変わらないだろうか。事実、上記に書いていることは、東さんの新著『超かんたん 自分でできる人生の流れを変えるちょっと不思議なサイコセラピー P循環の理論と方法』(遠見書房)の概要だったりする。そして、一読して、科学的かどうかはさておいて、これは非常に実用的な役立つ一冊だと感じた。

東さんはP循環とN循環という二つを、家族関係の主軸におく。PositiveとNegativeの略称である。「N循環の家族関係はN循環の心身を作り、P循環の家族関係はP循環の心身を作ります」(p20)という。実際、東さんが出会うクライアント達は、みなこのN循環に家族関係や心身が陥っていて、夫婦の不仲や子どもの不登校、DVなど様々な「困難」や「問題」に陥っている。そして、N循環を相手のなかにみつけ、相手のせいにして、さらにN循環を強化している。それを受けた側もさらに相手のせいにして、N循環を強化し・・・。

このようなN循環を変えるために、東さんはシンプルで驚きの誘いをする。

「まずはあなたからP気を放つのですよ。それを誘い水として周辺のP気をおびき寄せるわけです。」(p34)
「最初のうちは、本心か否かに一切こだわることなく、形だけでも感謝の言葉を言うのです。」「これを感謝行(感謝の実践)」と呼びます。」(p35)

うーん、充分にアヤシいメッセージ。公認心理師より新興宗教家とかスピリチュアル系YouTuberとか祈祷師のほうが絶対に向いていそうな(儲かりそうな!?)メッセージ。そう思う一方で、10年前に東豊さんの名著『セラピスト入門』と出会って、システムズアプローチの魅力にはまり、東さんの本を含めて家族療法の本を読み続け、オープンダイアローグを学んできたので、この東さんのフレーズは、臨床的裏付けがしっかりした、説得力ある言葉だと感じる。

さらにこの本には先祖供養や守護霊の話など、一般的な「科学的」で「実証的」な「大学教授」の書く本には出てこない「課題」が出てくる。だが、おそらく東さんの臨床現場では、そのような「先祖のたたり」とか「守護霊に護ってもらえない」などの「主訴」を抱えてくるクライアントが沢山いるのだと思う。すると、それを非科学的だ、非論理的だ、と断罪したところで、そのような「主訴」で困っているクライアントの悩みを解消することは出来ない。

そのため、マスターセラピストは、使える物は何でも使う。神社で柏手を打つ、お神礼を家に飾って祈る、「ご先祖の皆様、ありがとうございます」と唱える・・・といったことも、使える対処法であれば、何でも活用しようとする。どれも、神や仏を信じろ、という宗教に引き寄せて述べているのではない。すべては、P循環を自分自身や家族関係のなかに生み出した上で、本人や家族が囚われているN循環の魔の手から解放されるために、徹底的に使える物は使い倒せ、と主張しているのである。しかも、N循環の呪縛力は強いので、「N循環からの脱出」よりも「P循環の形成」こそ先に目指すべきである、とも主張している(p123)。そういう意味で、徹底的にプラグマティックな本なのだ。

N循環は、社会学のいう「予言の自己成就」にも近いかも知れない。「どうせできるはずもない」「やっぱり無理に決まっている」、そう思って課題に取り組むと、必ず失敗する。それは自分自身にかけている呪いの言葉、つまりは自己呪縛に縛られているからである。

マスターセラピストの東さんは、この「予言の自己成就」を解くための方法論を徹底的に探ってきた。「どうせ」「しゃあない」「やっぱり」というN循環にはまっている人に、そのN循環の構造を説明したところで、その循環から出ることは出来ない。そこで「ありがとうございます」という感謝行を編み出した。「ありがとう」と毎日唱えることで、心の中にその時だけでもP循環を生み出す。それは、N循環に陥っている本人や家族にとっては、違う循環の芽生えである。悪口や他者批判、自己嫌悪に陥っていては、いつまでもN循環の沼から出られない。だからこそ、マスターセラピストはこう宣言する。

「『P循環の形成』が人生の主題であると自覚し、P気を大切にする生き方を選択する。これが真の問題解決につながります。」(p127)

ほんと、その通りだと思う。僕もこのマスターセラピストの教えに従い、P循環の形成を生きる指針にしようと思う。東さん、良い本を書いてくださって、ありがとうございます!

内在的論理を掴む極意

社会学の師である厚東洋輔先生の大著を、東大出版会の雑誌UP2月号に書評させて頂いた。

書評はしっかり読み込む必要があるし、ましてや自分の恩師の集大成のような大著を、まさか僕が書評することになるとは思っていなかったので、めちゃくちゃ時間をかけたし、ドキドキしながら、以下のような原稿を書き上げた。出版社からブログへの転載は良いと言われたので、元々のワード原稿を貼り付けておきます。折に触れて読み返したい大著です。

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厚東洋輔氏の『<社会的なもの>の歴史—社会学の興亡1848−2000』は700ページ近くをかけて繰り広げられる、壮大な社会学理論を巡る物語である。それを、理論・学説史を専門にしていないフィールドワーカーであり、福祉社会学と社会福祉学の境界領域をさまよっている私が取り上げるのは、正直言っておこがましい。さらに言えば、四半世紀前に卒論指導をして頂いた「先生」の本を、このように取り上げるのは、かなりハードルが高い。だが、授けて頂いた学恩を文章で返礼するチャンスゆえ、忖度せずに書かせて頂くこととする。

文献フィールドワーカー

この本を読み通して気づいたことは、厚東氏は、文献フィールドワーカーであった、という驚くべき発見(仮説)である。あるいは、アームチェアフィールドワーカー、と言ってもよいだろう。通常、アームチェア社会学者と言えば、家から一歩も出ずに、古今東西の文献を渉猟して、博覧強記の学者、というイメージである。情報処理能力や英独仏の原著読解力が極めて高く、様々な理論や学説を縦横無尽に結びつけていきながら、快刀乱麻に理論的課題を分析整理し尽くしていく、そんな姿が思い浮かぶ。

確かに、この著作の中では、上記のようなアームチェア社会学者の実力が、遺憾なく発揮されている。だが他の理論社会学や学説史の本と圧倒的に異なるユニークさが、本書には貫かれている。そのヒントは、あとがきに記載されていた院生指導の記述に垣間見えている。

「どうしたら<theoryに関する知識>を<theorizingする力>へと変換することが可能になるのか、自分なりの試行錯誤の結果到り着いたゼミ方式が、<原書を一行一行丁寧に読解する>という実にシンプルなやり方である。原文を一行一行辿り直す作業を繰り返すことによって、原著者の思考過程を追思惟することが、すなわち理論の組み立て過程を追体験することがようやく可能となるのである。「理論」の理解で大切なのは、推論結果を要領よく把握することではなく、原著者と同じような推論過程を自分でも確実にできるようになることである。本書では、学史上重要な業績が取り扱われる場合、結論の手際よい要約よりは、結論の引き出される推論過程を一歩一歩再構成することにエネルギーが注がれている。」(p678-679)

「推論結果を要領よく把握」したうえで、「結論の手際よい要約」がなされている本を読むと、切れ味の良さに圧倒される。だが、厚東氏はそのような<theoryに関する知識>の整理では満足せず、<theorizingする力>へと変換することに、重きを置いている。この本でも、社会学の巨人達が生み出した著作に関して、「結論の引き出される推論過程を一歩一歩再構成することにエネルギーが注がれている」のである。それが、圧倒的に類書と異なっている。そして、時には再構成の過程の中で、「この著者の推論過程を辿るなら、本来の組み立てはこのようになるはずだ」という大胆な読み替えまでしていく。このあたりは、情報処理能力の高さだけでは歯が立たない領域である。そして、この記述には、十分に思い当たる節がある。

今から20年以上前、全く勉強しないまま臨んだ秋の大学院入試の際、英語の試験で不合格の憂き目にあった私は、卒論の指導教官だった厚東氏に泣きついた。氏は本書第9章に出てくるウィリアム・ベヴァリジのVoluntary Actionをテキストに、<原書を一行一行丁寧に読解する>指導をしてくださった。当時の私は非常に雑な読み方しか出来ていなかったのだが、厚東氏は一行一行、どころか、一つの単語を前後の文脈に合わせてどう訳すか、という部分まで、厳密に訳し直すように指導された。「結論の手際よい要約」が出来ればそれで良い、と思いながら、それすら出来ていなかった当時の私にとって、ここまで綿密に精読するのか、と驚きながら、氏の手ほどきを受ける中で、気がつけば原文の論理を辿る面白さと、少しずつ出会い始めていた。

ではなぜ「原著者の思考過程を追思惟すること」が、文献フィールドワークといえるのか? それは、私自身のその後のプロセスと関わりがある。

対象にギリギリと迫ること

私は、大学院では厚東洋輔氏ではなく、大熊一夫氏に弟子入りした。1970年に酔っ払ったふりをして精神病院に潜入し、その劣悪な実態を朝日新聞夕刊に「ルポ・精神病棟」として連載し、以後半世紀、精神病院の構造的問題を追い続けてきた福祉ジャーナリストの第一人者である。大学行政人としても優れた采配を振るった厚東氏が中心となって大阪大学人間科学部に新設されたボランティア人間科学講座の初代教授として着任し、国立大学初のソーシャルサービス論を掲げた研究室を主催したのが、大熊氏だった。私はその講座の大学院一期生であった。

アームチェア社会学者の厚東氏と、ルポルタージュを専門とする大熊氏は、一見すると水と油のように思える。だが、二人には大きな共通点が存在する。それが、対象への迫り方、である。

大熊氏が口酸っぱく言っていたことは、「本を読んでわかった気になるな」「対象にギリギリ迫れ」「足で稼げ」であった。徹底した取材で閉鎖的な精神医療の闇に迫っていく大熊氏ならではのアプローチである。師匠に連れられて精神病院でのフィールドワークを始めた私は、ソーシャルワーカーの仕事にくっついて回り、ワーカー固有の論理を理解しようと心がけた。博士論文では、京都府内の117人の精神科ソーシャルワーカーにインタビュー調査をして、その内在的論理を掴もうとした。

その当時は、フィールドワークやインタビュー調査をするのに精一杯で、理論書は殆ど読んでいなかった。だが、20年後に厚東氏の上記の指摘を読んで、びっくりしたのだ。「原著者と同じような推論過程を自分でも確実にできるようになること」とは、対象にギリギリ迫って、対象者の内在的論理を掴む、フィールドワークの手法と通底しているということに。

他者の内在的論理を掴む

フィールドワークの基本は、他者の合理性の理解、である。他者の内在的論理を徹底的に辿ろうとする。インタビューや参与観察を通じて、その動きをトレースする。その中で、他者にとっては非合理に見えるものであっても、本人の中でどのような内的合理性があるのか、を追体験し、再構成する。

実は、それは支援における基本でもある。支援対象者の査定や評価の前に、対象者の世界観を理解することから始めないと、支援がズレてしまう。特に、家族や近隣の人々との相互対立や悪循環を深めているような、「困難事例」とラベルが貼られた人々の支援をする際には、世間的評価は脇に置き、内的合理性を理解することが必要不可欠である。周囲から見ればとんでもないこと、と思えるような言動でもあっても、そんな「結論の引き出される推論過程を一歩一歩再構成すること」によって、そこにどのような内的合理性があるのか、という対象者の「思考過程を追思惟すること」。これを、私は福祉現場のフィールドワークから学んで来た。

このフィールドワーク的な「足で稼ぐ」手法を、厚東氏は文献でやっていたのだ。フィールドワーカーが膨大な時間を現場に通って、現場の言葉や雰囲気を吸収するように、膨大な時間を文献の中に沈思させて、その著者がどのような思いでなにを語ろうとするのか、の背景まで探ろうとする。アームチェアに座りながら、対象となる文献と格闘する中で、その内的合理性を辿る、というアームチェア社会学とフィールドワークの驚くべき接点が、厚東氏の著作の中にあったのだ。

例えば、ベヴァリジの著作を紐解きながら、厚東氏はこのように肉薄していく。

「ベヴァリジの構想においてキーをなすのは「社会サービス」の概念である。彼は所得保障としての社会保障の意義を次のように述べている。
『社会保障の目的は、欠乏の廃絶を通して、自分の力量に合わせてサービスを提供する意思のあるあらゆる市民が、いかなる時にあっても、自分の責任を果たすのに十分な所得を持つことを保障することにある』
所得保障は、それ自身が目的ではない。それはある種の行為を人々に可能にするエンパワーメントとして=条件整備としておこなわれる。「ある種の行為」とは何か。それは「社会のなかで活動」することである。「自分の力に合わせてサービスを提供すること」という規定を勘案してもう少し狭く、「社会を作り上げること」という方が適切だろう。」(p431)

この著作においても、「引用文は、本文の私の用語法と整合するように、すべて「厚東」の責任で訳し直されている」(pⅩ)。この「原文を一行一行辿り直す作業を繰り返す」作業を通じて、ベヴァリジにとって「欠乏の廃絶」は「目的」ではなく「条件整備」であると厚東氏は喝破する。しかも、「理論の組み立て過程を追体験する」中で、この「条件整備」とは、「社会を作り上げること」であると本質を射貫く。しかも、「社会サービス」は「個々人の自閉的な欲求満足のため(だけ)でなく、「社会」を作り上げるために費消されるべきである」との論理を読み解き、前者を「社会的給付」と訳し、後者を「社会的奉仕」と整理して提示する(p432)。四半世紀前に氏に一行一行読み方を教わったVoluntary Actionとは、「「社会」を作り上げるために費消されるべき」「社会的奉仕」であったのか、と気づかされて、ベヴァリジの世界観や意図を追体験することができ、改めて<社会的なもの>の歴史の結節点を辿り直す知的興奮を覚えた。

40年の時を超えて

そして、内在的論理の把握に関してもう一点、触れておきたいのが、マックス・ヴェーバーに関する氏の記述である。

「ヴェーバーの後半生の課題は、自己の入り組んだ「感情—反応の複合体」(フロイトなら「エディプス・コンプレックス」と呼ぶだろう)を学問の力で切開し、原理や価値の争いに移し替える—理念の平面に身を移し替えて両親に対するかたくなになったこじれた想いから自由になることである。「父」と「母」をいかに調停するか、という難問に終生苦しめられるなかから、ヴェーバーは、「政治」と「宗教」を基軸に<非合理的なものの合理的把握>を試みるという根本視座を体得していったのである。」(p250-251)

この分析は、1977年に厚東氏が東京大学出版会から出した初の単著の「あとがき」と繋がっていると私は受け取った。

「定評あるヴェーバー解釈にあきたらず、それに異を唱えるような論文をあえて書いてきたのは、なぜなのか。顧みて考えると、学部四年の時に、「東大闘争」に際会するという体験が、一つの岐路であったように思われる。「闘争」の渦中で、ヴェーバーに対して、きわめて強いアンビバレントな感情を味わった。それまでヴェーバー批判をしてきた人々が、その批判どおり行動できず、自他を瞞着する様をまのあたりにみて、ヴェーバーの所説、とりわけ学問論は、あのような危機的状況において自己欺瞞なく行動しようとする際には、きわめて頼りになる指針だ、と一方では実感しながらも、他方、ヴェーバーの本をそれまでに若干読んできたばっかりに、ヴェーバーの「世界観」にがっちりとはがいじめにされ、態度が棒を飲んだようにすっかり硬直化してしまい、変転常なき状況に柔軟に対応できず、結果として、政治的無能力に陥ってしまった、という感情をもったこともたしかである。ヴェーバーに対するこうしたアンビバレンスゆえに、ヴェーバーは、私にとって、「研究対象」となったのかもしれない。」(厚東洋輔『ヴェーバー社会理論の研究』東京大学出版会、p230)

厚東氏は、学部四年の時に際会した「東大闘争」において、「ヴェーバーに対して、きわめて強いアンビバレントな感情を味わった」。そんな自己の入り組んだ「感情—反応の複合体」を「学問の力で切開し、原理や価値の争いに移し替える」ことを試み、ヴェーバーと格闘した。「「政治」と「宗教」を基軸に<非合理的なももの合理的把握>を試みるという根本視座を体得していった」ヴェーバーの内在的論理=思考過程を追思惟することで、厚東氏自体が<theoryに関する知識>を<theorizingする力>へと変換することに成功した。それが、40年以上前の初の単著であり、本書に受け継がれている厚東社会学の根幹にある。

「政治的無能力」に陥ることなく「危機的状況において自己欺瞞なく行動」するために必要なことはなにか。それこそが、若き厚東氏に宿命づけられた根源的問いであった。そして、ヴェーバーを皮切りに、社会学理論というフィールドを探求し、<社会的なもの>をtheorizingする先達の内在的論理を一つ一つ丹念に追思惟することを通じて、個人による異色の社会学通史を完成させるにいたった。

社会問題の縮図としての「東大闘争」から半世紀、きわめて強いアンビバレントな感情を抱いた厚東氏が、学問を通じて<非合理的なものの合理的把握>を切開した、そんな落とし前が本書で付けられていると私には感じられた。

「対話のことば」をめぐる対話

井庭さんの『対話のことば:オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』(丸善出版)を遅まきながら、やっと読む。この本は出たときから存在を知っていたけど、その当時はパターンランゲージの面白さや可能性を理解していなかったので、読まねばならぬ本リストの中に入れていなかった。でも、こないだブログで紹介した『クリエイティブ・ラーニング』を読んだ後、すごく気になってやっと買い求める。パターン・ランゲージの構造を知っていると、この本が何を伝えようとしているのかがよくわかり、読んでいる途中から「これは使える一冊だ」とひしひし感じるようになる。

その論理構造として僕が理解したものを、言語化してみたい。

この本は見開きで一つのテーマになっている。

例えば26番目のテーマとして書かれているのは、「混沌とした状態」である。見出しには、「その混沌は、変容の最中である」と書かれている。その下に、テーマを象徴する絵と、セイックラ・アーンキルの本が引用された上で、右隣のページには、「状況→問題→別のやり方→その結果」という四つの内容が示されている。例えば、こんな風に。(以下はp65の抜き書き)

【状況】「それぞれの人が自らの認識を語ることで、多様な認識が場にもたらされ、混沌としています。」

【問題】「わかりやすく整理したり、何らかの結論で話をまとめたりしようとすると、≪新たな理解≫が生まれる可能性が失われてしまいます。」

【別のやり方】「混沌とした状態は、意味が変容していく最中であると捉え、居心地の悪さに耐え、保留しながら、対話を続けます。」

【その結果】「安易に結論づけず、多義的で不安定な状態に耐え抜くことで、最初は別々だった認識がだんだんと混じり合っていきます。そして、そのような対話を続けることによって≪意味の変容≫が起き、≪新たな理解≫へとつながっていくのです。」

前半の状況と問題については、思い当たる人も多いのではないだろうか。ある会議で、一つの方向で話をまとめたいと思っていたのに、「余計なこと」(と自分には思われること)を言い出した人のお陰で、ドンドン違う意見が表明されていき、話がまとまらないだけでなく、議論の方向性も定まらなくなってしまう、そう、袋小路の瞬間。

それが袋小路に至るのは、そのような混沌とした状況を「問題だ」と感じ、そこで介入するから、かもしれない。こちらは良かれと思って、「わかりやすく整理したり、何らかの結論で話をまとめたりしようとする」のだが、そのような介入に対して、納得いかないその場の人が、さらに「余計なこと」を話し続け、介入が全く役立たないところが、混沌具合が増えていく、そんな場面である。

僕は自分がファシリテーターをしていたある研修会の場で、「なんでこんなことを議論しなければならないのか、わからない!」とある参加者に言われた時に、まさに混沌状態に陥ったことがある。その時に、仕事でその場をまとめなければならない、と思い込んでしまった僕は、「わかりやすく整理」しよう、「何らかの結論で話をまとめよう」と、必死になっていた。でも、その参加者は全く納得しておらず、僕が無理矢理まとめようとすることに反発され、場全体が崩壊しそうな瞬間が訪れた。

だが、ダイアローグを学んでいた主催者のお一人が、その時、僕に助け船を出してくれた。「この状況だと、先ほど話された方の意見が否定されてしまうようで、僕は心配です」と話してくれたのだ。その時になって、僕もハッと我に返り、安易にまとめようとしたり、一つの方向に結論づけようという意識も手放した。そうではなくて、めちゃくちゃぼく自身の居心地は悪かったのだが、とりあえずその状況に耐えようとしながら、会場の皆さんに、この状況について、どんな風に考えられるか、をさらに考え合ってもらった。

すると、「なんでこんなことを議論しなければならないのか、わからない!」という発言も含めて、多様な意見が出される背景を会場全体で理解し合おうとする雰囲気が生まれ、「別々だった認識がだんだんと混じり合ってい」った。その中で、自分たちが何のために対話をしているのか、について「の≪意味の変容≫が起き、≪新たな理解≫へ」向かっていった。

・・・と、このフレーズを読むだけで、僕には上記のエピソードを語りたくなってしまう。そして、この本は、そういうエピソードを一人一人が語るための、対話の補助線なのである。それが、パターンランゲージの魅力であり、面白さなのだ、と改めて思った。それが標題にこめた意味であり、「対話を引き出すためのことば=パターンランゲージ」なのだと思う。

そして、一定程度に抽象化されていて、主語がない、述語中心のセンテンスで書かれているので、「そう言えば、僕の場合は」と主語を自分として考えやすい。そして、数人でこの本の同じページを開きながら、自分の場合だったらどうだろうと語ることによって、議論の膨らみや拡がりが生じ、より多様な認識がもたらされていく。でも、パターンランゲージという共通の羅針盤があるので、混沌に陥ることなく、お互いの意味の変容を促し、多様な声に基づくポリフォニックな理解が進み、新たな理解が拡がっていく。

これは、まさにゼミでの議論でも目指していること、そのものである。

ということは、この本は例えばゼミ生に読んでもらって、どこかのページについて語ってもらうとか、そういう使い方も出来る。それは筆者が作っているリーディングパターンとかコラボレーションパターンでも促されていたけど、この本でも充分できるのではないか、と思い出した。

またオープンダイアローグを学びたい人の間でも、この本を使いながらの対話をすることで、理解が深まるし、自分自身の変容にも繋がるのではないか、と感じている。ダイアローグを学んで相手を変えたい、という前に、まずは自分自身のダイアローグのあり方を振りかえり、捉え直し、自分の対話姿勢を変える。それが、オープンダイアローグでもっとも求められているスタンスだと思う。それを、みんな共に考え合うツールとして、すごく役立ちそうだ。

能力主義ってやっぱり変!

マイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)を週末に読み終える。サンデルの本をちゃんと最後まで読み通せたのは、これがはじめて。正直、正義論や倫理の議論はあまり得意ではなく、ましてや流行の本にすぐに飛びつく性質でもないので、本当に珍しい読書体験。でも、僕がここ最近ずっと気になっている能力主義について、サンデルならどう描くか、を知りたかった。そして、めちゃくちゃ面白かった。

「人を鼓舞するにもかかわらず、能力の原則は専制的なものに転じることがある—社会がそれに従い損ねる時だけでなく、実はとりわけ、社会がそれに従う時にも。能力主義的理想の影の側面は、その最も魅力的な約束、つまり支配と自己実現の約束に埋め込まれている。この約束にはとても負いきれないような重荷が伴っているのだ。能力主義の理想は個人の責任という概念を極めて重視する。人々に自分の行動の責任をある程度まで背負わせるのは良いことだ。道徳的主体として、また市民として、自分で考えて行動する能力を尊重することになる。だが、道徳的に行動する責任を負わせることと、我々一人一人が自分の運命に全責任を負っていると想定する事は全く別である。」(p52)

この10年ほど、日本社会における「生きづらさ」について授業でもずっと取り上げてきて、自己責任論と向き合い続けてきた。そして自己責任論の背景に能力主義の弊害があるのではないかと思い続けてきた。ただ能力主義を頭から否定することはできない。なぜならばその能力主義社会の中で、僕自身も生きてきたのであり、ある時点まではその能力主義の果てしない競争に自分自身もしっかり乗ってきたからである。その自分が信じて疑わなかった価値前提を疑うのは、そう簡単ではない。だからこそ能力主義はどう考えていいのか、いろいろな文献を読みながら、毎年授業で学生達とああだこうだと言い続けながら、考えてきた。その課題を、サンデルは実に明快に整理している。

「道徳的に行動する責任を負わせることと、我々一人一人が自分の運命に全責任を負っていると想定する事は全く別である」

この2つが渾然一体となっているのが、能力主義のややこしいところだ。道徳的に行動する責任を免責するつもりはない。でもたまたま勉強ができたかどうか、受験勉強をうまくすり抜けることができたか失敗したか。それは、人間の様々な能力の中のごく一部分にすぎないのに、例えば高卒か大卒か、とか、有名大学を出ているかどうか、で、その後の自分の運命が大きく変わったり、それも自己責任といわれると、それは何だかおかしいのではないか、と思う。

そして論考は、民主党の大統領だったバラク・オバマがこの能力主義の申し子だったという考察を深めていく。僕自身、オバマ政権の誕生は単純にワクワクしたし、期待もしていた。サンデルも書いていたが、黒人乱射事件の後の「アメージンググレース」の弔辞は感動的で、いま見ても彼の訴える力は圧倒的でもある。そんなオバマがなぜアメリカ社会で評価を落としていくのか、そしてトランプに政権の座を譲ることになるのかが理解できていなかった。「リベラル左翼」と呼ばれる論者たちは、それをポピュリズムのせいだとか、アメリカの貧しい白人たちの最後の反論だとか様々な分析をしていたが、どうもそれらの分析にはしっくり馴染めなかった。だがサンデルの能力主義論を読んでいて、オバマが嫌われる理由がすごくよくわかった。

「能力主義者は、あなたが困窮しているのは不十分な教育のせいだと労働者に向かって語ることで、成功や失敗を道徳的に解釈し、学歴偏重主義—大学を出ていない人々に対する陰湿な偏見—を無意識のうちに助長している。」(p132)
「民衆的な統治についての見解になると、オバマは心底から一人のテクノクラートだった。これは、人望ある大統領に対する評価としては手厳しいと思われるかもしれないので、説明さしてほしい。民主的社会を統治するには、意見の衝突に対処する必要がある。意見の衝突に直面しつつ統治するには、意見の衝突がいかにして生じ、あれこれの瞬間に、あれこれの公共目的のために、いかにして克服されるかについて、一つの見解を想定することになる。オバマは、民主的社会において意見の衝突が生じる最大の原因は、一般市民が十分な情報を持っていないことだと信じていた。情報不足が問題なら、解決策は次のようになる。事実をよりよく理解しているものは仲間の市民に代わって決定を下したり、あるいは少なくとも彼らを啓発すべく、市民自身が賢明な決定を下すために知るべきことを教えてやったりすれば良いのだ。大統領のリーダーシップは、道徳的心情ではなく、事実の収集と公表めぐって発揮されることになる。」(p155)

オバマだけでなくイギリスのブレアも、政権の主要施策に教育を挙げた。これは「あなたが困窮しているのは不十分な教育のせいだと労働者に向かって語ること」であり、それは大卒でない人に対して、「学歴偏重主義—大学を出ていない人々に対する陰湿な偏見—を無意識のうちに助長している」のであり、その学歴偏重主義そのものを是正する気持ちがない、と表明することでもあった。また「事実をよりよく理解しているものは仲間の市民に代わって決定を下したり、あるいは少なくとも彼らを啓発すべく、市民自身が賢明な決定を下すために知るべきことを教えてやったりすれば良いのだ」という「上から目線」は、「大卒の知的エリートである私は事実を知っていて、高卒の無学なあなたはそれを知らない」という非対称性に基づく上から目線の「陰湿な偏見」をはらんでいる。さらには、「意見の衝突」は、知識の量如何ではなく、能力主義の前提の中で、労働者階級の意見がそのものとしてしっかり受け止められないことへの反発だ、と理解していないことが、オバマ政権やヒラリー・クリントンへの反感にも繋がった、というのは、すごく納得出来る整理であった。

さらにこの本では今の議会政治が普通選挙制以前の、財産資格に基づく制限政治と似ていると言う。普通選挙制度が始まった当初、労働者階級の、つまりは高卒の国会議員がアメリカでもイギリスでも一定数いたのに、現在は、本来労働者階級の政党であるアメリカの民主党も、イギリスの労働党も、大卒エリートで占められていて、労働者の意見を充分に反映できていない、という点で、普通選挙以前の議会構成員の学歴と同じ、というのである。ここにも確かに能力主義の奢りがある、というのもよくわかる。

そして、この本の主張の核心部分は次の部分だと僕は感じた。

「金儲けがうまいことは、功績の尺度でもなければ貢献の価値の尺度でもない。すべての成功者が本当に言えるのは次のことだ。類いまれな天分や狡猾さ、タイミングや才能、幸運、勇気、断固たる決意といったものの不可思議な絡まり合いを通じて、いかなる時も消費者の需要を形作る欲求や願望の寄せ集めに—それがいかに深刻なものであればかけたものであれ—どうにかして効率的に応えてきた、と。」(p207)

能力主義は成功を、努力の成果だと思い起こみたがる。確かに努力もあるだろう。でもサンデルが描くように努力以外の様々なファクターが不可思議に絡まり合う中で、ある人は成功し、ある人は失敗する。それは文字通り、運不運である。にもかかわらず、能力主義は、運不運という人間の計らいではどうしようもないことを、努力如何で、しかも大学卒業かどうかと言う狭い評価基準で克服可能なものだと縮減して決めつけようとする。そして、その能力があるのだから、高い給料がもらえるのは当然だ、ということで、企業のCEOに破格の給与を払うことを許してしまう。それは、99%の平民の賃金が下がっていっても、1%の能力主義の成功者を評価するためには仕方ない、と放置されることにもつながる。それでは、高卒の労働者達にとっては、その能力がない、と査定されていることとも同じであり、自分がバカにされていると怒り狂うのも、理解できる。だからこそ、彼等彼女らはトランプに信じて託したのである。

少しだけ、自分がたりもしようと思う。僕自身、今大学でフルタイムの仕事を得られているのは、自分の努力や能力のおかげもあるかもしれないけれど、それよりも運やご縁のなせる技だと思う部分が多い。

もともとは「京大合格至上主義」の高校にいたにも関わらず、「阪大しか受からなかった」ことに落ち込み、ヤサグレていた自分(それ自体がずいぶん不遜な能力主義的思い込みの表現であるとは、30代になってやっと認めることができるようになってきた)。でも阪大の人間科学部でほんまもんの学問に出会い、人生で初めて学ぶ面白さに気づいた。そして僕自身が大学院に入るタイミングで、ジャーナリストの大熊一夫師匠が新設講座の教授として、やってきてくださった。僕はジャーナリストに弟子入りした大学院生だったからこそ、なんとか潰れずに大学院をサバイブできたのだと思う。理論社会学とか必死に勉強しても、自分よりはるかに優秀な院生やポスドクの層の厚さの前に、絶対挫折していたと思う。博士号を取ってみて、でも出身講座の助手にはなれないと遅まきながら気づき、紆余曲折の中で2年間フリーター生活。でもそこで時間があったから、スウェーデンでの調査研究にも従事できた。50の大学に落ち続け、最初に拾ってもらったのが山梨学院大学だったからこそ、地域福祉のダイナミズムをリアルに学ぶことができた。山梨で13年間楽しく研究を続けたからこそ、こつこつと著作も出すことができた。

自分の想定外の事態にばかり遭遇したし、能力主義でコントロールできない不可思議な偶然の出来事が積み重なる中で、結果的に唯一無二の存在としての自分の人生が形成されてきた。そういう意味で努力も運の一部であるし、能力主義を無批判に信じる必要性はないと、この本を読んであらためて感じる。

であるが故に、残念なのはこの本の結論の部分である。この本は能力主義に代わる概念として、貢献的正義を定義する。だが能力主義の性質に関する膨大な分析に対比すると、貢献的正義に関する提案はごくわずかであり、正直「それだけ?」と拍子抜けする結論であった。その部分では、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』にも似ている。だが、マルクス・エンゲルスの秀逸な資本主義批判は100年以上経っても現実味を失っていないのと同じように、サンデルの能力主義批判も、今後何度も参照する立派な批判であることは確かだ。その意味で、半世紀前に提起されたマイケル・ヤングの「メリトクラシー」の概念を、サンデルはしっかり引き継いで、現代版の問題として問い直した力作だと感じる。

ではどうしたらよいのか?問題は、ぼく自身、引き続きぼちぼち考え続けたい。

発達の最近接領域(ZPD)としてのブログ

最近「積ん読本をちら読みしよう」というのがマイブームで、てっちゃんが誘ってくれて、井庭崇さんの『クリエイティブ・ラーニング』(慶応大学出版会)を読んで対話する読書会を行った。初見で4章だけを30分間で読んだ上で、その内容についてガッツリ1時間議論した。その内容がめちゃくちゃ気になったので、教わった井庭さんのLife with readingに関する動画を見た上で、さらに面白かったので、序章も風呂読書で読み切った。

読んだ上でふと気づいたことがある。それが表題の「僕にとってのブログはZPDだ」ということ。このZPDについて、井庭さんは次のように解説してくれている。

「ヴィゴツキーは、自分一人で自力で解ける水準(今の発達水準)と、他者の助けを借りて解ける水準(いま成熟しつつある水準)の間の領域を『発達の最近接領域』(ZPD:Zone of Proximal Development)と名付けた。現在の発達水準に「最も近接」する「発達」の「領域」という意味である。」(p87)

今まで読んだZPDの説明の中で、一番腑に落ちる説明である。自分で出来ること、と、他者に助けてもらわないと出来ないこと、の間にある領域のことである。さらに、井庭さんと対談しておられる市川力さんは、こんな風にも語っておられる。

「ヴィゴツキーは、できることだけを積み重ねていっても、できないことができるようになるわけではないと考えます。そうではなく、いまギリギリできそうだけれどもできない部分を見つけて挑戦することで、できなかったことができるようになる。この『できそうだけれどもできない』領域が発達の最近接領域です。発達の最近接領域にあるような課題や出会いを通じて、人は新しいことができるようになり、成長できるわけですね。」(p520)

市川さんは「『できそうだけれどもできない』領域が発達の最近接領域」だと語る。棒高跳びの高さを少しずつ上げていって、さっき飛べたけど、今回は飛べなかった、という領域。あるいは跳び箱で4段は跳べても、5段目は無理だ、という、あの領域である。(ちなみに鈍くさい僕は、跳び箱は苦手だった)

僕は受験勉強は本当に嫌いだったのだが、大学生以後の学びは徐々に好きになり、研究者として働き出してからは、めっちゃ好きに変わった。いま、人生で一番学びが楽しいかも知れない。それは、『できそうだけれどもできない』領域としての最近接発達領域(ZPD)に挑戦し続けながら、自分の可動域を広げてきたからであり、そこによって見える世界がずいぶん違ってきたからであり、その中でオモロイ何かと沢山出会い続けているからだ、と思う。そして、その時々の発見(My Discovery)を言語化するのが、16年間書き続けているこのブログという媒体だ。

このブログは2005年に大学教員になった年から始めている。最初は文章修行のつもりで、自分の意見を書くのはめちゃくちゃこわごわ、書いていた。イメージしているのは、当時から読み始めた内田樹さんのブログで、内田さんのブログの文体や引用して思考する記述スタイルを当時はこっそり真似をしたりしながら、言語化トレーニングを始めていた。

それがある時期から、自分が時々に読んだ本や出会った経験を主題化して、その時に自分が「これは書かねば!」と発見したことを言語化するブログとして機能し始める。猛烈に仕事が忙しくなってくると、読んだ本や浮かんだアイデアもすぐ忘れるので、外部記憶装置のように書いておいた。実際、検索して思い出すアイデアや情報も数知れず(苦笑)。

そして、さっき井庭さんの本を読みながら、僕がオモロイ本を読んでブログに記述して言語化する行為って、「いまギリギリできそうだけれどもできない部分を見つけて挑戦すること」なんだな、と深く了解した。論文のようにこなれていなかったり、自家薬籠中の物になるまえの、割と生な思考や感情を言語化しようとしている。そして、ブログで取り上げる本も、最近では子育て支援や教育領域が多いのは、ゼミ生のテーマを一緒に勉強しているから、もあるけど、娘が生まれて以来、やっと児童福祉や教育領域を自分事として考えるようになってきたから、かもしれない。いずれにせよ、自分の専門領域でない本を読んで、「そういうことだったのか!」と発見して、『できそうだけれどもできない』領域に関しての思考を深めるためのツールとして、ブログが機能している。井庭さんは、パターン・ランゲージが自分で自分の足場をかけることができるメディアだ(p521)、と言っているが、僕はそのことを知らなかったので、ブログを「足場かけ」として用いてきたのかも、しれない。

それに関連して、あと二つ、この本から紹介したい概念がある。一つ目は、≪発見の広がり≫(Discovery-Driven Expanding)である。井庭さんはこんな風に書いている。

「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)から始め、次に相手の発見も受け止められるようになる『Your Discovery』(相手の発見)を経て、みんなでコラボレーションして『Our Discovery』(自分たちの発見)に至るという三段階として設計するというものです。」(p547)

僕自身がプロジェクト型の探究をする時に感じていた疑問は、教員なりリーダーのプロジェクトに学生やフォロワーが従うときは、従う方は面白くないのではないか、というものだった。そして、その理由はまさに井庭さんがいうように、『My Discovery』(自分の発見)をベースとしないリーダーの『Your Discovery』(相手の発見)だったり、最初からの『Our Discovery』(自分たちの発見)だからではないか、と今日のてっちゃんとのZoom対話でも整理された。これはゼミでも同じで、僕のゼミでは僕がテーマを決めない。ゼミ生達は自分が探求したいテーマを自由に探して、それを深掘りしてほしいと願っているのだが、それは『My Discovery』(自分の発見)がないと、学びや発見は拡がらないからだ、と感じているからだ。

もちろん、これは僕自身の学び方に関係している。僕も、大学院生のころから、必死になって自分のテーマを探してきた。有り難いことに大熊一夫師匠は、「これでやれ」とテーマを最初から指示することはなかったので、僕は精神病院でのフィールドワークをする中で、自分が何をテーマに博論を書けるか、を模索し続けた。その中で、病院と地域を、当事者と家族や他の医療者を、シャバと医療界をつなぐ「つなぎ役」としての精神科ソーシャルワーカー(PSW)が気になっていた。だが、どうやって博論に高めてよいか分からなかったD2の秋に、師匠にこう言われた。

「竹端くんはPSWが大層気になっているようだ。であれば、フィールド先の京都府内のPSW全員に会って話を聞いて、そこからPSWの課題を探って博論にまとめよ。それが出来なかったら、竹端くんの博論はない!」

そのエピソードを思い出したのも、さっき引用した部分の続きで井庭さんが書いていたからである。

「プロジェクト学習のミッションは、先生が与えずに、生徒が自分で見つけないと主体的な学びではない、と考える人たちもいますが、市川さんはミッションを与えるという方法で実施していました。≪チャレンジングなミッション≫を設定するのです。ミッションをこちらから与える理由として、世の中において多くのミッションは天から振ってくるように与えられるからです。そこから自分なりにそのミッションとどう関わるかが大事。」(p547)

D2の秋の師匠からの一言は、まさに僕にとっての「天啓」であり、≪チャレンジングなミッション≫であった。何をすべきかはわかった。でも、1年強で100人以上のPSWにあって、そこからPSWの課題を見つけ出して、そのインタビューデータに基づいて博論を仕上げないと、僕には未来がない。めっちゃハードルは高いけれども、出来ないとは限らない。それを『できそうだけれどもできない』領域にして、期間内にやり遂げるという≪チャレンジングなミッション≫。沢山の方に助けてもらいながら、そこに猪突猛進で突き進んでいくうちに、僕なりの『My Discovery』(自分の発見)が開かれてきて、それが博論で発見した5つのステップという形で昇華され、後に支援者エンパワメントや『「無理しない」地域づくりの学校』など20年近く研究をし続ける原動力となる≪発見の拡がり≫につながっていった。

さらに、この師匠と僕との関係で言うと、「正統的周辺参加」と「好奇心誘発参加」の違いを市川さんが述べておられる。これが紹介したい二つ目の概念である。

「師匠に出会い、憧れて、師匠の仕事を手伝いながらだんだん師匠のようになるという学び方を、『正統的周辺参加』と言いますが、こうしたスタイルは、すでに確立された技の伝承においてはとても有効だと思います。一方で、単にブラックな働かせ方やハラスメントにつながる可能性も高い。
ジェネレーターとともに行うプロジェクトは、好奇心が主導します。あこがれの人を目指し、ついていくのではなく、いわば『好奇心誘発参加』。面白さにひきずられてみんな巻き込まれてゆくんです。だからジェネレーター気質の人って、仕事のプロセス自体を楽しんじゃう。」(p536)

これを書き写しながら改めて気づいたのだが、僕は大熊一夫氏に弟子入りした、という師弟関係を結んでいた意味では、今まで「正統的周辺参加」だったと思い込んでいた。そして、確かに「あこがれの人を目指し、ついていく」という形で学んできた。でも、師匠からは本当に幸いなことに、「ブラックな働かせ方やハラスメント」は受けなかった。別の教員にアカハラを受けて潰れそうになり、人生のどん底だったときも、既に大学を離れた師匠は折りに触れ僕にアドバイスをくださり、護ってくださった。「師匠に出会い、憧れて、師匠の仕事を手伝いながらだんだん師匠のようになるという学び方」そのものだったが、師匠自身はその後もイタリアに長期取材を続けてバザーリアを日本に紹介する数々の仕事をされるなど、師匠の好奇心を全面展開して、探求しておられた。僕は、師匠から時々の探求のお話を伺い、それらの「面白さにひきずられて」「巻き込まれてゆく」のだった。そういう意味では、師匠との関係は、「好奇心誘発参加」でもあったのかも、しれない。

そして、今、ゼミ生や社会人の方々と、色々な学びの場をコラボレーションしつつある。教わる側、ついて行くフォロワーから、教える側、に変わりつつある。その際、僕自身は上意下達的な教師は嫌だな、と思っていたので、なるべく話し合いを促すファシリテーターとして生きようとここ10年近くやってきた。でも、こないだてっちゃんに指摘されて、ファシリテーターから探求者のほうが良いのではないか、と思い始めた。

そして今日もてっちゃんから教わって井庭さんの本を読んでみたら、創造社会においてはティーチャーでもファシリテーターでもない、ジェネレーターが求められている、と整理されていた。

「ジェネレーターは、プロジェクトでの創発的な活動に、自ら参加者として入って一緒につくりながら、自分の創造性も他者の創造性も刺激しつつ、たくみにコミュニケーションを誘発し、アイデアを生成するという教師像です。」(p528)

これこそ、僕が探求者として求めていたアプローチそのものだ、と読んでいて嬉しくなってきた。そう、僕は僕での探求をしたいし、「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」をし続けたい。でも、関わるゼミ生や社会人の方々も、それぞれ「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」をしてほしい。そして、僕とみなさんが交錯する場に置いて、お互いの「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」に基づいて、「次に相手の発見も受け止められるようになる『Your Discovery』(相手の発見)を経て、みんなでコラボレーションして『Our Discovery』(自分たちの発見)」につながる。そういう学びの共同体を作っていきたいし、その中で率先してオモロイことを楽しみながら、他の人の面白さにも火をつけるジェネレーターでありたい。そう思い始めている。そして、『「無理しない」地域づくりの学校』でやってきたことも、一人一人の「マイプラン」作成を応援する中で、お互いの「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」を励まし合い、互いのプランを聴き合うプロセスにおいて、「相手の発見も受け止められるようになる『Your Discovery』(相手の発見)を経て、みんなでコラボレーションして『Our Discovery』(自分たちの発見)」を生み出してきたプロセスなのかも、しれない。

そう思うと、科研でやっている反抑圧的で対等な場づくり・地域づくり、という研究テーマも、実はこのようなクリエイティブ・ラーニングの場づくりなのかもしれない、と思い始めている。

と、つらつら書いてきたこのブログは、まさに「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」のプロセスであり、僕にとっての『できそうだけれどもできない』=最近接領域での大人の成長・発達にむけたチャレンジである、と改めて言語化しながら感じた。

異色のフィールドワーク

興味があって読み始めたら、あっという間に最後まで一気読み、という本がある。その一方、めっちゃ興味があって、読んでいて面白いのだが、その内容を咀嚼するのに時間がかかって、一気に読み通すことが出来ず、チビチビと時間をかけて読み進める本もある。今日ご紹介するのは、後者の代表例のような一冊。村上靖彦さんの『子どもたちがつくる町 大阪・西成の子育て支援』(世界思想社)である。

何が異色かって、現象学者が質的研究をするとこんな風に描けるのだ、という意外さであり、西成におけるソーシャルワークの底力が、著者のなじみ深い哲学的用語を殆ど使わずに豊かに描かれている鮮やかさであり、そのうえで、現象学的還元に基づいて現状を問い直し、「問題行動」や「困難事例」を見事に問い直しながら、関わり合いの相互作用の魅力をガッツリ描き出している、という意味で、幾重にも異色さがあり、ほんまもんのフィールドワークの成果を読んだ、という満足感が残る一冊である。

大阪の西成は、日雇い労働者の町として知られ、今でも生活保護受給者の割合が他の地区に比べて高い。簡易宿泊所など、一時的に住める住まいもあることから、他の地域から、しんどい状況を抱えた親子が逃げてくる場合もある。そういう意味で、子ども支援においても、「しんどい子」がたくさんいる。その西成における子ども支援については、学校現場の教育実践について調べている、大学院の同期だった柏木智子さんの著書を以前紹介したことがある。また、「「ホームレス」と出会う子どもたち」は随分以前から授業でも見続けてきた。それゆえ、子どもの里の荘保さんなどへのインタビュー調査から、西成における子ども・子育て支援の実態を明らかにするこの本は、すごく楽しみだった。

で、この本で一番印象的だったのは、以下の部分だ。

「二間続きの畳敷きの居間の片側でほかの子どもたちと遊んでいたときに、ちょうどもうひとつの部屋の奥にいたA君が、つーっと無言でやってきて、何も言葉を発しないままに、私の目を見ることもなく、私を本気で殴り始めたのだ(彼はとくに発達上の問題はない)。小学生だが、私の急所めがけて、本気でパンチをしてきた。打ちどころが悪かったら、ケガをするような勢いだった。そして、何も言わずにつーっと離れて、玄関から出て行ってしまった。
目も合わせず本気で殴り続ける様子に、私は殺気を感じた。その晩、私は大きな犬に襲われる悪夢を見たことで、この経験が言葉にならない仕方で残っていたことにも気がついた。」(p149)

フィールド先で、子どもに本気で殴られる。しかも殺気をもって殴られる。これは、フィールドワーク最中でなくても、ものすごく恐ろしい出来事だし、悪夢を見るのもよくわかる。だが、このA君が本気で殴り始めたのは、こんな理由だったと、児童相談所の勤務経験のある人に教わって、村上さんは腑に落ちる。

「先生によると、『お前は誰やねん。ここはおれの縄張りやぞ』というメッセージで、大人は『痛い痛い、暴力はんたーい』といって相手をすればよいというのだ(実際、私はほぼそういう対応をした)。そして、最後に子どもが一発本気で殴ってきたら、こちらをメンバーとして認めてくれたあいさつだ、というのだ。」(p150)

村上さんは、2014年から西成に関わり始め、2017年以後、集中的に西成に通い続け、色々な人に話を聞き続けている。A君とは「にしなり☆こども食堂」の川辺康子さんへのインタビューをしている中で、川辺さんが最も気になる子どもとしてあげた、複雑な生活環境を抱えた子どものことである(本文にその内容が詳しく記載されている)。「しんどい」家庭環境を抱えた、「しんどい」子ほど、関わりづらい。それは「処遇困難事例」「問題行動」などとラベルが張られがちであり、村上さんが受けた殺気ある暴力も、まさに「問題行動」である。

だが、その子にはその子なりの、そういう行動に至る内在的論理がある。村上さんは、ご自身のフィールドワークの積み重ねや、川辺さんへの継続的なインタビューを通じて、A君の内在的論理を理解しようと、探求し続けてきた。その中で、川辺さんとA君のつながり方に「拒絶と否認」があることを発見する。

「このあと何年か継続的に彼と川辺さんをみてきてわかったことは、川辺さんがA君とつながろうとして居場所をつくり出そうとするたびに、『そもそもお前と俺の関係はなんやねん』というようなメッセージをA君が出すということだ。これは関係を拒絶する言葉というよりは、どれだけ彼が孤独であるか、ということを表現しているように今は感じる。まさに川辺さんとはつながりがあり、切れることもない安心感ももちかけているがゆえに、切れてしまうのではないかという不安から、このような言葉を発しているように感じるのだ。
彼が要所要所でくり返す切断の身振りは、幼少期に両親が突然失踪した切断を無意識的に反復していると考えると理解しやすくなる。過度に心理学化したくないのだが、このような精神医学的な心的外傷の理解を踏まえないとわからないことがある。潜在的な外傷の表現としての『そもそもお前と俺の関係はなんやねん』というふるまいがあり、かつ、<つながることができない人とでもつながる装置>としての子ども食堂がある。」(p152)

書き写しながら、村上さんの、関係性を把握してそれをしっかりと描写する、その抽象化力と表現力の豊かさや確かに、敬服する。もともと現象学の研究者だった村上さんが、近年自閉症や看護、虐待など福祉や医療的な領域でのヒアリング調査に基づいた著作を積み重ねてこられたのは知っていたし、本もご恵贈頂いたり、自分で買って読んだりしてきた。でも、一読者として感じるのは、この本では、以前の村上さんの著作からはギアがぐっと入れ替わった、というか、村上さんの現象学的な視座と、西成におけるソーシャルワーク実践の魅力がガッツリはまり、そこに彼の時間をかけたフィールドワークの経験値が深く刻み込んだ上で成立した、骨太のフィールドワーク記録であり、現象学的質的研究の集大成の一冊である、という読後感である。

ご自身が本気で殴られる、という形で出会ったA君が、川辺さんという支援者とどのようなつながりを持ち続けているのか。『そもそもお前と俺の関係はなんやねん』というのを、表面的な拒絶や否認、自己決定や問題行動という狭い枠組みで捉えるのではなく、A君の辿ったかなりしんどい人生の中での、「潜在的な外傷の表現としての『そもそもお前と俺の関係はなんやねん』というふるまい」であり、でもそれを川辺さんには表現して良い、という、つながりの安心感と、それを表現してよいのかという不安と、でもそうせざるを得ない孤独と・・・というものがない交ぜになる中での、「暴力」であったり「暴言」であったりするのだ。親密さを、親密さとして表現することができないほど、絶望的な状態においやられた「しんどい子」であるA君の内在的論理を、長い時間をかけて捉えようとする、村上さんの思いが、行間に詰まっている、と感じた。

そして、この圧倒的なフィールドワークに基づく分析を読んでいると、社会福祉学や福祉社会学は一体何をしているのか、という問いも浮かんでくる。それは、必然的に、ぼく自身はフィールドワークをちゃんと出来ていないよなぁ、という自分自身へのリフレクションにもつながる。

村上さんは、荘保さんや川辺さん、「わかくさ保育園」の西野さん、アウトリーチと居場所をつなぐスッチさん、助産師ひろえさんという魅力的な5人に焦点化し、それぞれの人へのインタビュー記録を元に、現象学的質的研究という視点から、この本を編み上げる。だが、この本は単なるインタビュー本ではない。上記のように、村上さんがどっぷり西成の世界観にはまっていく中で、時には殴られたり!しながら様々な人と出会い、要保護児童対策地域協議会というフォーマルな会議に自身も関わっていきながら、つまり西成と村上さんの関係性を深める中で、その地域の・支援者の・子どもたちの発するメッセージを読み取る深さや濃度が高まる中で、レンズの解像度がぐんと上がるなかで、この本を書き上げられた、と一読者には感じる。

他方で、社会福祉学や福祉社会学で、こういう魅力的なモノグラフってあるだろうか?と問うと、自分の仕事も含めて、甚だ心許ない。川辺さんとA君の関係性の描写などを通じて、「しんどい子」の「しんどさ」の背景にある、心理的・社会的課題を村上さんはガッツリ描き出しておられるが、例えば社会福祉研究で、そこまでの迫力のある分析は、そんなにあるだろうか? 「問題行動」「困難事例」「要保護児童」を所与の現実として、そういう行動や事例、子どもがどのような内側の困難を抱え、社会的に構築され、そこから逃れられない状況に構造的に追い込まれているか、をしっかり分析出来ているだろうか? この本は、実質的にはソーシャルワークの魅力や可能性について提起している一冊であるが、ソーシャルワーク研究の文脈で、こういう現場実践を豊かに描き出しつつ、理論と接合させる記述が出来ているだろうか?

そういう疑問が読みながら次々と出てきて、自分への刃ではないけど、イテテ、と思いながら読み進めていたので、時間がかかったのかも、しれない。

最後に、これはこの本への不満や批判ではなく、この本を踏まえた上で、自分自身がずっと抱いている研究課題に引きつけたことを、一言書いておきたい。

こういう魅力的な実践やインタビューを読むと、いつも感じることがある。それは、「その人がいなくなればおしまいの壁」があるのではないか、ということである。ここに出てくる魅力的な5人も、他の普通のソーシャルワーカーや教員やボランティアが出来ないことを、やってのけておられる。だからこそ、魅力的だし、学びが多いし、こういうことを実践しなくちゃ、と勇気がもらえる。でも、ここに出てくる5人は、支援者のスタンダートではない。むしろ、カリスマであり、秀でた・ものすごく魅力的な人々である。そして、こういう魅力的な人の実践はすごく学びが多いし、刺激的である。だが、そういう魅力的な人々に支えられた組織や地域って、その人々がいなくなったらどうするのだろう、という不安が、つねに頭によぎる。

だが、繰り返し述べるが、これは村上さんの研究や西成への批判ではない。僕の20年前からの問題意識である。昔「ボランティアとは言わないボランティア」という論文を書いた時に感じていたのも、そうだった。ものすごく魅力的で、カリスマというか職人芸的に仕事をされている、精神科ソーシャルワーカーのやっていることを、フィールドワークに基づいて大学院生の頃に書いたものである。その時からずっと感じているのは、対人援助においては、現場の裁量性が大切だけれど、その裁量性によって、めちゃくちゃ魅力的な支援も、あるいはとんでもなくまずい支援もある、という裁量が担保されてしまっている、という現実である。おそらく西成では、要保護児童対策地域協議会が形骸化しておらず、地域の「しんどい子」「困っている子」を常に意識し、スッチさんのように「気になる子」を訪問する人材もそろっているから、現場の裁量がポジティブに活かされているのだろう。それが、「地域のすき間を見つける支援者が持つ<点のカメラ>と<面のアンテナ>」(p195)を通じて活かされていることも、よくわかった。

だが、西成以外の地域で、こういう「しんどい子」と向き合う時にどうしていったらよいのか、という時に、このフィールドワークの知見をどう活かせるのだろうか。常に僕の頭はそういう方向で考えてしまう。それは、ケアマネジメント=マネジドケアの枠組みのなかで、計画相談やケアプラン作成でアップアップしていて、パソコンを見るのが仕事になって、本人や家族とじっくり向き合うことが出来ていない、そういう一般的な支援者が、少しでもこの「子どもたちがつくる町」に出てくる5人の支援者のように、本気で子どもたちと出会い、子どもたちに教えられ、子どもたちと共に生き心地のよい町をつくるために、ソーシャルワーカーがどう関われるのだろう、そのためのソーシャルワーカーの変容課題は何だろう、という問いである。

いや、このあたりは、村上さんの本への評価ではなく、ぼくが考えるべき仕事であり、長年の宿題である。(その一部は、この春土屋さんや伊藤さんとともに出した『困難事例を解きほぐす』の中でも、部分的に考えている)。でも、そういう、社会福祉学と福祉社会学の境界領域を歩き続ける研究者のぼく自身の実存にも直接問いかけてくださる、本質的な課題提起がされている、そして何より西成の子ども・子育て支援の魅力が濃縮されている、実に読み応えのある一冊だった。そしてほんまもんのエスノグラフィーを読んでいると、僕も久しぶりにちゃんとインタビューとか調査研究を再開せねば!と思いを新たにさせてくれる、研究欲をかき立てる一冊でもあった。

子どもを中心にする視点

子どもが生まれてから、児童福祉や教育学領域の本を遅まきながら読み始めている。その中で、今年読んだ本のベストに入りそうな一冊と出会った。教育学者が子どもの権利条約をベースにしながら、学校にまつわる5つの論点(「不登校」「学力」「障害」「道徳」「校則」)を論じていくのだが、まず最初に読み始めた「障害」の章で痺れてしまった。

「日本の学校は、分類することによって『多様な』子どもたちを生み出している。なぜ、さまざまな基準を用いて細かく分けるのか。丁寧な指導のため、それがその子のため、と思い込んでいるのだろうが、実際には全体を統一(画一化)していくためである。
まず、分類されることによって、その分類されたグループ内は画一化される。その分類は能率性という観点からなされ、『問題』とされる者たちが集められていく。『問題』である限り、修正を施されることになる。つまり、分類によっていったん名付けられた多様性は、最終的には解消されなければならないということになる。落ち着きがないなどの『問題』を理由に、たとえばその状態に『発達障害』などの医学的な命名がなされ、特定の子どもたちが普通学級から分離されていく。『不登校』も同様である。その『問題行動』の背景に、受験等の競争的学力観によるストレスなどがあるのではないかといった問いが立てられることはない。現象的にわかりやすい部分にのみ着目し、似た者同士が集められ、訓練を施され、何らかの『水準』に達することが期待される。つまり、分類は画一化のための手段ということになる。」(池田賢市著『学びの本質を解きほぐす』新泉社、p146-147)

漠然と日本の学校教育や分離教育に感じていた疑問を、教育学者がこれほどズバリと射貫く表現をしてくれると、気持ちよい。「分類は画一化のための手段」とは、精神病院や入所施設と構造的同一性の論理である。

入所施設や精神病院は、「地域で暮らせない」と分類された人を、画一的に処遇する場所である。両者は本来「通過施設」であり、人生の一時期だけを過ごし治療や療育を受ける場所、という建前であるが、長期社会的入院入所の状態が続いている。その背後にある論理は、池田さんが指摘する以下の構造そのものである。

「その分類は能率性という観点からなされ、『問題』とされる者たちが集められていく。『問題』である限り、修正を施されることになる。つまり、分類によっていったん名付けられた多様性は、最終的には解消されなければならないということになる。」「現象的にわかりやすい部分にのみ着目し、似た者同士が集められ、訓練を施され、何らかの『水準』に達することが期待される。」

そして、障害のある人の差違を「能率性」に基づいて「分類」し、治療や改善が見られたら=差違が最小化されたら退院・退所可能、という論理構造になっていると、いつまで経っても退院や退所は可能ではなくなる。「画一化のための手段」としての「分類」が続いている限り、このような分類による排除はいつまでも再生産されていく。日本でこの20年間、「発達障害」とラベルを貼られる人が急増し、特別支援学校の高等部が雨後の筍のように急増した背景にも、このような「能率性」に基づいた「画一化のための手段」としての「分類」の発送はなかっただろか。そしてそれは社会的排除と軌を一にする。

「認識すべきは、『普通』という権力的・暴力的に設定された軸からズレていることを否定的なニュアンスで意識化させて、期待されている軸に乗ろうとするメンタリティの形成が目指されている、という点である。」(p147)

これは特別支援学校(学級)への指摘であるが、例えば障害者就労の現場でも、これと同種の論理が働いているように思えてならない。「普通の職場」に適合することが善とされて、そこに合わないから「障害者雇用」という特別枠での就労が期待される。いずれも「期待されている軸に乗ろうとするメンタリティの形成」が前提として目指されていて、その軸にどれくらい乗れるか・乗れないか、で査定されていくシステムである。

ただ、池田さんが本書全体で問い直そうとしているのは、そもそもこのような「『普通』という権力的・暴力的に設定された軸からズレていることを否定的なニュアンスで意識化」させる、そのこと自体の問題性である。なぜ学校・学級・社会における「普通」の言動が出来ない人は、社会的に排除されるのか。その時、この「普通」の暴力性や権力性を問うことなく所与の前提として無批判に受け入れ、この「普通」の軸に合うか合わないかで分類し、分類された特別支援学校や障害者施設、精神病院などでも、普通に戻る、という画一化された基準でしか捉えられないことの暴力性について、なぜ不問にしておくのか、という問いである。そういう意味で、精神病院や入所施設の構造的暴力や、社会的排除の論理は、特別支援学校における問題と全くの地続き(同一スペクトラム上)である、とこの本を読んで、再確認することが出来た。

上記の、問題の個人化を問い、社会構造の抑圧課題として問題を解きほぐす姿勢は、他の章でもしっかり主軸として語られている。

「なぜ学校に来られなくなってしまったのだろうか、という疑問は封印されている。学校はそのままの形で存在していてよいのであって、そこになじめない子どもに問題があるという発想をとっている。」(同上「不登校」p42)
「いまの大人たちが、まるでそれが避けがたい方向性であるかのように一定の状況を設定し、その中でうまく生き残っていけるような『力』『スキル』を子どもたちにあらかじめ身につけさせようと考えること自体が問題である。本当にそんなに『大変な』社会状況になるのならば、そのような社会にならないよう、その技術の普及にはストップをかけていくのが今の人間の未来に対する責任ではないのか。」(「学力」p81)
「思いやりなどの心の状態を強調し、『弱者』への配慮こそが問題解決のあり方として肯定的に示されていくとすれば、その『弱者』自身が、自らを弱者に追い込んだ社会を批判し、権利を主張していくことについては否定的にとらえられていくことになるだろう。そのような『主張』は『わがまま』だとされるか、『煙たがられる』ことになる。」(「道徳」p186)

書き写しながら改めて感じるのだが、教育の現場でこそ、「問題の個人化」「自己責任化」や、「社会構造や公的責任について不問とする姿勢」が再生産されている、と強く感じる。事実、僕自身も、大学院生の頃から精神病院問題に関わり、障害者運動に出会うまで、能力主義を鵜呑みに信じ、努力するものは報われると思い、だからこそそれが出来ない人は結果責任だ、と思い込んでいた。そうであるがゆえに、精神病院や入所施設の構造的暴力の問題に取り組んでいる間も、特別支援学校(学級)に関しては、自分の意見を述べるのを、10年前くらいまで、躊躇していた。学力差があったり、普通学級で落ち着いて学ぶことが出来ない子どもがいるならば、別の学級で学んだ方が、「その子のため」になるのではないか、と。

しかし、この「あなたのため」に私とあなたを分離・区別する眼差しこそが、実は当の排除を生むのである。「まるでそれが避けがたい方向性であるかのように一定の状況を設定し、その中でうまく生き残っていけるような『力』『スキル』を子どもたちにあらかじめ身につけさせようと考える」からこそ、その「力」「スキル」を「普通」の子と同じように身につけられない子が、有徴化され、排除される。でも、池田さんは、そもそも「学校はそのままの形で存在していてよいのであって、そこになじめない子どもに問題があるという発想」自体が差別を生み出す、と決然として述べる。「その『弱者』自身が、自らを弱者に追い込んだ社会を批判し、権利を主張していくこと」が「『わがまま』だとされるか、『煙たがられる』ことになる」、そんな差別的な社会構造を問わない限り、この構造は再生産され続けるのである、と。そして、それに僕は深く頷く。

では、どうすればよいのか。そこで出てくるのが、子どもの権利条約の「参加する権利」および「意思表明権」(第12条)や「子どもの最善の利益」(第3条)である。それに関しても、池田さんは至極真っ当な、それゆえキラリと光る発言をしておられる。

「『自己の意見を形成する能力』の<ある子ども>と<ない子ども>がいて、<ある子ども>に対して認められている権利だということではなく、子どもというのは、そもそも『自己の意見を形成する能力』がある存在なのだ、とこの条文は言っているのである。もちろん、うまく意見が言える子どももいれば、なかなかことばにならない子どももいる。だからこそ、『年齢および成熟度に従って相応に考慮』されなければならないのである。しっかりと大人にわかるように意見の言える子どもの意見をより尊重するという意味ではなく、どんな子どもも正しく自分の意見を述べているのであって、それを理解できていないのは、大人の側なのである。条約は、子どもによってはその表現が伝わりにくいこともあるから、その点を大人の側はしっかりと意識(配慮・考慮)して、その子どもの意見を受け止めるようにしなければならない、としているのである。」(「校則」p213)

これは、障害者の意志形成・意志決定支援についても考えてきた&4年間子育てで四苦八苦してきた僕からすれば、本当に我が意を得たり、のような発言である。

うちの娘は、まさに生まれた時から、様々に意思表明をし続けてきた。ただ、おなかが減った、眠い、疲れた、感情のコントロールができない、しんどい・・・と言語的に理路整然と表現出来ないから、泣いたり、叫んだり、ジタバタしたりして、懸命に表面しているのである。しかし、親は非言語的メッセージと出会っても、すぐに何を訴えるのか、が理解できるわけではない。だからこそ、おなかが空いているのか、眠たいのか、感情的に煮詰まっているのか・・・など、どのような意見を述べようとしているのかを推察し、色々試行錯誤しながら、何を伝えようとしているのか理解しようと努める。4才になって、だいぶ言語的表現は出来るようになってきたが、今日も西松屋で「この水筒欲しい」と言ってきかず、どうやったらその気持ちを収める事が出来るか、で15分くらい、ジタバタしていた。これが、『年齢および成熟度に従って相応に考慮』することの意味、そのものである。

そして、これは重症心身障害や重度の知的障害・認知症などで、論理的に言語的表現がしにいくい・できないとされている人を支援する時にも、必要不可欠な視点である。あるいは、自傷他害の行動に陥った人に関しても、同様である。

薬物依存の回復者である倉田めばさんと20年前に出会った時、次のような素敵な言葉を教えてくれた。

「母はよく私に言った「薬さえ使わなければいい子なのに」私は思った(いい子の振りをするのが疲れるから薬を使っているのに・・・・・・)」
「私にとって薬物とは言葉であった。ダルクのミーティングは本来の言葉を取り戻す作業である。自分の言葉を取り戻したときに、薬物が不必要になってくる。」

薬物依存状態の人は、薬物に頼らざるを得ない状況に構造的に追い込まれている。つまり、薬物依存を通じてでしか、自己表現出来ない状況に陥っている。それが、「私にとって薬物とは言葉であった」という意味だと僕は受け止めた。「いい子の振りをするのが疲れるから薬を使っているのに」というのは、「いい子の振り」をさせる(この場合は親子での)権力関係構造をそのまま放置しておいて、「薬さえ使わなければいい子なのに」という眼差しを大人が子どもに向け続けること自体が、薬物依存の悪循環を強化していくのである。これは、薬物依存に限らず、自傷他害と呼ばれる行為や、強度行動障害、認知症の人のBPSDと呼ばれる言動にも共通していると感じる。そのような行為は「普通ではない」し「注意をしても聞かない」から、上記のような症状としてラベルが貼られている。だが、そういう「問題行動」は、生きる苦悩が最大化した人々の、論理的に言語化出来ないが故の、非言語的なSOSの表現なのである。それを、周囲の人間が社会規範や世間的道徳で糾弾するのではなく、本人がそうせざるを得ない内在的論理を理解した上で、どうやったらその悪循環から脱出することが可能か、どうしたらその「自己表現」をしなくても安心して「本来の言葉を取り戻す作業」ができるのか、を本人と周囲の人が協働して考えることが出来ると、そのような悪循環は結果的に収まっていくのである。

そのあたりは4月に出た共著『「困難事例」を解きほぐす:多職種・多機関の連携に向けた全方位型アセスメント』でも一部書いている。そして、実は「解きほぐす」が同じタイトルだったので、この池田さんの新刊情報に興味を持って、著者のことは全く知らない状態で買い求めたら、教育と福祉と、別のアプローチから同じ山を登ろうとしていることがわかり、なおさら共感を持ってこの本を読んでいた。

すべての人には、障害の有無や年齢如何に関わらず、『自己の意見を形成する能力』がある。ただ、年齢や状態によって、その能力の発揮にはでこぼこがある。だからこそ、全ての人が「自己の意見を形成する」ことが充分に出来るように、教員や支援者、親などの応援者が、その人の意思形成や意思表明を応援し続けていく必要がある。それが安心して保障される社会こそ、障害者や子どもの権利が護られる社会であり、ひいては全ての人の尊厳が保障される社会である。

この本を読んで、そのことを改めて感じた。