僕自身の前提を揺らす入門書

ある人を表題に掲げた優れた入門書とは、論じる対象者だけでなく、その対象者が追いかけているテーマについてもよい見通しを付けてくれる。今回、ふと気になってよくわからなずに読んだ一冊は、そんな読後感をもたらしてくれた。バトラーという思想家が『ジェンダー・トラブル』という本を書いているのは、クイズ王的知識で知っていた。でも、バトラーという人がどんな人で、その本は何を書いているのか、さっぱり分からない中で読んだ本は、目が覚めるような鮮やかな記述で一杯だった。

「ラディカル・フェミニズムが『家父長制』という男性優位主義を問題にしたとすれば、レズビアン・フェミニズムはさらに、『家父長制』が社会の基盤的な制度といての『異性愛』と密接に関わっていることを問題にし、批判するものだった。つまり、ラディカル・フェミニズムは男女間の非対称な関係を問題にはしたけど、『異性愛』に関しては自明視していて、『異性愛』を家父長制という制度の根本問題として焦点を当てたのがレズビアン・フェミニズムだったと言える。」(藤高和輝『バトラー入門』ちくま新書、p32)

家父長制や強いパターナリズムという男性優位主義は確かに変だしおかしいと思っていた。でも、自分自身はいまのところ異性愛と自認しているがゆえに、この自らの前提自体を疑うこと、つまりは「『家父長制』が社会の基盤的な制度といての『異性愛』と密接に関わっていることを問題にし、批判する」ことを、してこなかった。そして、それ自体が問題を作りだしている、とロジカルに指摘されると、全くその通りなのである。

「そしてまさに、この『不確実性』—つまり、オスに生まれたら男になるというわけではな必ずもないこと、男だったら女性を性的な対象とするわけでは必ずしもないこと、男っぽかったらベッドで能動的であるというわけでは必ずしもないこと、メスに生まれたら女になるというわけでは必ずしもないこと、女なら男性を性的な対象にするというわけでは必ずしもないこと、女っぽかったらベッドでは受動的であるというわけでは必ずしもないこと、等々—、その肯定こそ、『ジェンダー・トラブル』の核心にあるものだ。あるいは、この『不連続性』の観点からジェンダーを読むこと、それが『ジェンダー・トラブル』の試みなんだ。」(p96-97)

この短い文章で、著者は6回も「ない」を強調している。逆に言えば、異性愛規範が染みついているマジョリティ(例えば僕自身)は、こうやって一々否定されないとわからないほど、当たり前の認識として刷り込まれているのだ。おちんちんがついているのだから男であるのは、当たり前。その男が性的な欲望を持つのは当たり前。女のひとはベッドでは受動的なのは当たり前・・・。こういう「当たり前」の価値前提にくさびをうつ。

ちなみに「不連続性」とは「欲望のスタイル」と「ジェンダーのスタイル」との間の「不連続性(discontinuities)」と筆者は表現しているが、女っぽかったとしてもベッドでは能動的な人がいるし、男でも男性を性的に対象にする人もいる。その意味で、「欲望のスタイル」と「ジェンダーのスタイル」が必ずしも連続している訳ではないというのが、「不連続性」だし、私たちがジェンダーってこういうものと思い込んでいることを不確定にさせ、異性愛規範の常識を困惑させる(トラブルに陥らせる)のが『ジェンダー・トラブル』だと言われると、バトラーの当該本を読んだことがなくても、なるほどと頷く。それはぼくたちのジェンダーの価値前提を激しく揺さぶっているのだと。

「一般に『生来の本質』が『外側』に表出されたものとして考えられがちなジェンダーという『行為』だが、実は、その『行為/パフォーマンス』の反復や積み重ねによって、『内側』にあるとされている『本質(と想定されているもの)』があたかも最初から存在するかのように事後的に作られていく、というのがバトラーの見方だ。」(p74)

これは娘の服を見ていると、わかる。赤ちゃんのころの「おくるみ」はユニセックスというか、男女の見分けがつかない。そして、乳幼児で男の子っぽい服を着せている子は、女の子には見えないときがある。ただ、親はその子のジェンダーに合わせた服を買おうとする。我が家のパートナーは、そこを意識して、ピンクなど女の子っぽい色味の服を買い与えようとしてきた。僕が青色の靴などを買おうとすると、「それはダメ!」と即答していた。これは、「『生来の本質』が『外側』に表出されたもの」ではなくて、女の子なんだからかわいい服じゃないと、という異性愛規範の親がピンクの色の服を買って子どもに着せるという「『行為/パフォーマンス』の反復や積み重ね」があって、娘の「『内側』にあるとされている『本質(と想定されているもの)』があたかも最初から存在するかのように事後的に作られていく」プロセスを、親の僕自身が見てきたので、めっちゃわかる。

そして、バトラーはこのことを「ジェンダー・パフォーマティヴ・モデル」と命名した。なるほど、パフォーマンス(行為)によってジェンダーが事後的に作られていくんだね。確かに。

「今風に、そして皮肉を込めて、言い換えるなら、『あいつは女じゃない』とジャッジするあれらの連中、『女の子らしくしなさい』と余計なお節介を働く人たちは語の厳密な意味で社会構築主義者なのである。つまり、彼/女らは(自覚はないだろうけどさ)、『ジェンダーが生まれつき決定されるものではなく社会的に構築されるものであるという事実』を私たちに実は教えてくれていることになるんだ(どうもありがとう!・・・なんてね)。」(p109)

ルビンの壺の例も出てくるが、これぞ文字通り図と地の反転のような鮮やかな整理である。『あいつは女じゃない』『女の子らしくしなさい』と何の疑問もなく・考えることなく口から出てしまう人って、「これこそが女だ」「女らしさはこうだ」というのには何の疑いも持っていない、という意味で、本質主義者のように社会的に評価されてきただろうし、本人もそこを一ミリも疑っていない。でも、その言説はまさに先に取り上げた、ジェンダー・パフォーマティヴ・モデルそのものなのである。女らしい仕草を躾ける、強制することによって、女らしい行為がその人に身につき、その人は初めて女として認定される。これは、社会の中で女として構築されていく、という語の厳密な意味で、社会構築主義者なのである。本質主義者と自分でも思い込んでいる人が、社会構築主義者だったとは!

「彼/女らは(自覚はないだろうけどさ)、『ジェンダーが生まれつき決定されるものではなく社会的に構築されるものであるという事実』を私たちに実は教えてくれていることになるんだ(どうもありがとう!・・・なんてね)。」

なんと痛快で、今風で、皮肉を込めた、かつ論理的でぐうの音も出ないステートメントだろう。そして、藤高さんは「はい、論破」と切り捨てるような決めぜりふの場面でこそ、「自覚はないだろうけどさ」とか「どうもありがとう!・・・なんてね」という「柔らかい言葉」を意図的に差し挟む。ジェンダーに関係なく、ロジカルな文章は言い切りで強い言葉(敢えてそれを男性的な・家父長的な言葉、と使ってみたくなる)で運用するのが「当たり前」とされている学術界を熟知しながら、決めぜりふで「どやさ!」とぐうの音も出ないほど見得を切る場面で、きちんと「自覚はないだろうけどさ」という言葉を差し挟み、アカデミックな文章とはこういうものだと思い込んでいる人の常識を揺らす(トラブルさせる)。このあたりも、さすが!である。

この藤高さんの下敷きがあるからこそ、バトラーの『ジェンダー・トラブル』の序章の言葉が響いてくる(引用は藤高さんの本から)。

「『可能性を開くこと』がいったい何の役に立つというのかと疑問に思う人もいるかもしれないが、社会的世界のなかで『不可能な』もの、意味不明なもの、実現不可能なもの、非現実的なもの、おかしなものとみなされながら生きるということがどんなことであるか理解している人の中にはそのような疑問を投げかける人はいないにちがいない。」(p168)

この記述を読んで、この社会において「狂った人」とラベルが貼られた人が置かれている状況と構造的同一性がある、と繋がってきた。

幻覚や妄想、幻聴がある状態の人をさして、そうではない人は、あの人はオカシイとラベルを貼る。すると、ラベルを貼られる側は、「意味不明なもの、実現不可能なもの、非現実的なもの、おかしなものとみなされながら生きる」ことを強いられる。これはその人の内在的論理や唯一無二性を毀損されることでもある。一般の人に聞こえない声が聞こえたり、感じ方が違っても、それは間違っている訳でもオカシイ訳でもない。その人なりの内的真実(=アクチュアリティ)がありありとある。それを「不可能」だと閉ざすことは、マジョリティの横暴である。(このことについては昔、「「合理性のレンズ」からの自由 : 「ゴミ屋敷」を巡る「悪循環」からの脱出に向けて」という論文を書いたことがある。) 

だからこそ、クィア理論はmad studiesとある種の価値前提を共有しているのだな、とやっと繋がってきた。

「クイア(queer)というのはもともとは『変な』とか『奇妙な』とかを意味する形容詞なんだけど、そこから派生して、セクシュアル・マイノリティに対する侮蔑語として用いられるようになった言葉だ。日本語に直訳すれば『おかま』とか『変態』と訳すことができる。他者をいじめたり、傷つけたり、侮辱するために用いられるから、基本的には他称として用いられる言葉だ。ということは、『クィア・セオリー』とか『クィア・スタディーズ』というのは直訳すれば、『変態理論』とか『おかま研究』になるだろうか。なかなかインパクトのある“きつい”言葉だということがわかると思う。」(p219)

この文章を書き写しながら、藤高さんは実に知的に誠実で、相手にわかってほしいという思いに溢れていると感じた。「これくらいわかって当然だろ!」と自分の価値前提を相手に押しつけることなく、相手のわからないところに関して、相手がわかるレベル・理解できる価値前提まで立ち戻って、丁寧にひもとく。「変な理論」であれば、その言葉の意味性がわからない。でも、『変態理論』とか『おかま研究』とまでハッキリ表現してくれることで、そう自称することは、「なかなかインパクトのある“きつい”言葉だということがわかる」のだ。この知的誠実さによって、ぼくはクィア理論の名称の背景が、やっと少しずつ、わかりはじめた。そして、精神病院を廃絶した医師フランコ・バザーリアの言葉に行き当たる。以前書いたブログを引用しておく。

『精神疾患が存在しないなんて、私は言ったことはない。精神疾患という概念を私は批判するが、狂気を否定しはしない。狂気は人間的な状況だからである。問題は、この狂気にどのようにして向き合うかということである。この人間的な現象を前にして、われわれ精神科医はどんな態度をとり、そしてこの[狂気の]必要性にどう応えることができるだろうか。』

バザーリアが言った「狂気」を「クィア」と言い換えてみたくなる。

「精神疾患という概念を私は批判するが、クィアを否定しはしない。クィアは人間的な状況だからである。問題は、このクィアにどのようにして向き合うかということである。この人間的な現象を前にして、われわれ精神科医はどんな態度をとり、そしてこの[クィアの]必要性にどう応えることができるだろうか。」

実は半世紀以上前までは、同性愛を異常性愛とか倒錯などのラベルを貼り、精神疾患と同定し、治療の対象としてきた。実際には治療は出来ないので、隔離収容の対象になってしまっていた。その意味では、政治犯を精神疾患とラベルをはるのと同じような、「政治的倒錯」を精神科医は同性愛者に対してしてきた。その背景には、家父長制の前提である異性愛を所与の現実として受け入れて、同性愛者を抑圧してきた歴史に、精神医療も加担してきた。その意味で、精神疾患という概念は厳しく批判されなければならないが、クィアは人間的な一つの状況として肯定されるべきだ。バザーリアの狂気の肯定の論理は、同じように『変な』とか『奇妙な』とされてきたクィアにも当てはまる。

その意味で、普段無意識・無自覚に使ってしまう「私たち」という表現そのものをも、藤高さんは問う。

「『家父長制』が“すべての女たち”に対する差別や暴力を説明する概念として振りかざされてしまうと、例えば『白人女性』と『黒人女性』『第三世界女性』・・・、それらの『女たち』の経験はみな『家父長制によって性差別を受けている女性』として一様に同じものとして扱われてしまうことになる。その結果、それらの『女たち』のあいだにある際は無視され、それどころか、西洋フェミニズムの下に『植民地化』されてしまう。」(p107)

家父長制を糾弾するために“すべての女たち”と使うことによって、異性愛のフェミニストはレズビアン・フェミニストの異性愛原則を押しつけられ、異性愛フェミニズムに「植民地化」されていた。そのことへの強烈な異議申し立てはこのブログの冒頭でも述べた通りである。同じように、「白人で中・上流階級で健常者の女性」のフェミニズムが是とされると、別の経験をしている「黒人の」「下層階級の」「障害のある」女性の差異のある経験が無視され、「植民地化」されてしまう。このような一元的な植民地化に抗うために、「交差する権力関係が、様々な社会にまたがる社会的関係や個人の日常的経験にどのように影響を及ぼすのかについて検討する概念」としてのインターセクショナリティ概念が出てきた(このことについてはブログでも検討しています)。

藤高さんもこのインターセクショナリティが産まれてきた背景についても言及している。

現実に存在しているのに『いないことにされる』ことになってしまうという差し迫った状況があったんだ。まさにそのような『抹消』に抗して生まれのが『インターセクショナリティ』なのである。」(p181)

これも以前ブログに書いたが、米津知子さんという女性障害者運動家が「モナ・リザ」にスプレーした事件を思い出してみても、米津さんは障害があり女性であるという二重の抑圧経験を持ち、「現実に存在しているのに『いないことにされる』ことになってしまう」というリアリティに対して、まさに「抹消」に抗してああいう行動を取ったのではないか、という妄想すら浮かぶ。

長々と書いたが、最後に藤高さんの知的誠実さが現れている場所をもう一カ所だけ引用しておきたい。それは『ジェンダー・トラブル』の日本語訳者である竹村和子さんへの言及箇所である。藤高さんは、原著を読んだ上で、竹村さんの翻訳とは違う解釈をいくつか提示している。その上で、以下のように言明している。

「読者のなかには私が竹村さんの訳に“いちゃもん”や“難癖”をつけているように思う人もいるかもしれない。でも、私は竹村さんの翻訳を介してバトラーに出会ったし、竹村さん自身の著作や論文に多大な影響を受けた人たちのひとりだ。もし竹村さんがいなければ、研究者としての私の存在は影も形もなかったにちがいない。だから、私が竹村さんの訳に“いちゃもん”や“難癖”をつけているにしても、それは私の竹村さんへの愛の表明、彼女に対する私なりの恩返しと考えて欲しい。」(p121)

この本を通じて、藤高さんはものすごく聡明でロジックもクリアだ、と受け取った。だが、自分の情報処理能力やCPUの高さを「はい、論破!」という形で相手を毀損するために用いていない。「私が竹村さんの訳に“いちゃもん”や“難癖”をつけているにしても、それは私の竹村さんへの愛の表明、彼女に対する私なりの恩返しと考えて欲しい」という言明は、自らの「すごさ」を賢しらに主張するのではなく、竹村さんの翻訳があったからこそ自分がいま・ここにいるのです、という先達への敬意溢れた表現である。そしてまさにそれこそ、アカデミズムの「正統派」なのである。

「『引用とは』、とサラ・アーメッドは語っている。『アカデミックなレンガであり、わたしたちはそれを使って家を建てる』。たとえば、『哲学』は明白に、白人の、異性愛者の、シスジェンダーの、健常者の男性たちからの引用=レンガから成る建造物である。その建造物はある人たちにとっては居心地のよい住処であり、ある人たちにとっては居心地の悪い場所であり、目の前に高く聳え立つ堅牢な壁である。引用—誰を、何を、どのように引用するのか—は決して事実中立的な行為ではない。それは政治的な行為なのだ。」(p257)

先行研究を引用する事は、一見すると価値中立であり事実中立的な行為に思える。でも、「『家父長制』が社会の基盤的な制度といての『異性愛』と密接に関わっていることを問題にし、批判する」論者の先行研究を引用しなければ、気づいたら異性愛規範を前提としている可能性がある。狂気を否定し精神疾患のみを肯定する言説を引用するうちに、生物学的精神医学の狭隘な枠組みから出られなくなってしまう(この問題点も、他のブログに書いてみた)。

つまり、藤高さんやバトラーは、「政治的な行為」として意識的・自覚的に引用している。だからこそ、本書の冒頭でファックやブッチやフェムなどの、学術書ではあまり見ない表現を引用して議論して、最初面食らったが、読み終えてみれば、そこに面食らう僕自身が「ジェンダー・トラブル」に面食らうという意味で、大切な通過儀礼への誘ってくれたのだ。この力量、しかもこの軽やかな文体で、本質を射貫く文体は、ほんまにすごいと思った。藤高さんの他の著作だけでなく、おずおずとバトラーの『ジェンダー・トラブル』も注文してみることにした。読めるかはわからないけれど。

二項対立的な枠組みをずらす

オンライン研究会で何年もご一緒している増渕あさ子さんの『軍事化される福祉(ウェルフェア) 米軍統治下沖縄をめぐる「救済」の系譜』(インパクト出版会)をやっと読み終えた。

軍事(warfare)は一見すると福祉(welfare)と相反するように思える。だが、米軍統治下だけでなく、そもそも戦前から地続き的に、沖縄では「救済」的な視点の中に「植民地支配」の暴力が内包されていた、ある種の同時並行であり時として共犯関係にあった歴史を丹念に辿っていく。一章では「アメリカ人宣教師」、二章では「公衆衛生看護婦」、三章では「ハワイ沖縄移民」、四章では「土地闘争の主体者」である。誰が救済の主体か、によって、その内実が大きく変化している。

一章「『神に見捨てられた島』で」では、「聖書とともに生きる村」というキリスト教的物語(ミショナリー・フィクション)の構造的問題が描かれている。

「聖書に象徴されるキリスト教信仰が『敵』と『味方』を峻別する文化的指標として機能している。誰が生きて、保護される価値があり、誰が『戦争の惨禍』の中に放置され、死ぬ運命にあるかを裁断する境界線として機能するのである。キリスト教は、米国社会において他者に関する公的言説を形成してきただけでなく、実際に冷戦政策構想の上で重要な役割を果たした。」(p45)

増渕さんはフーコーの生政治の概念を本書の下敷きに用いているのだが、これはまさに「誰が生きて、保護される価値があり、誰が『戦争の惨禍』の中に放置され、死ぬ運命にあるかを裁断する境界線」を当事者以外の誰か=権力側が保持している状況を指す。一般にキリスト教ではその裁断主体者は「神=キリスト」なのだが、植民地においては宣教師や軍隊が、その神の代理人として、神の論理に従順な人を「味方」とし、その論理に従わない・脅威となる人を「敵」と見なす。沖縄においては「ユタ」が最大の「敵」であった。戦後沖縄にキリスト教が他の植民地ほど根付かなかったのは、沖縄戦で生まれた膨大な「不幸な死をとげた者の魂(マブイ)」を鎮魂するためには、宣教師ではなく、ユタの需要が急増していったからである(p61)。植民地的な救済には相容れない鎮魂が、沖縄では求められていた。

第二章では、医療者が極端に不足していた戦後沖縄で養成された公衆衛生看護婦(公看)を主題化する。その際、注意しなければならない視点を増渕さんは指摘する。

「戦後沖縄の歴史学では、植民地主義に関する他の分野と同様、沖縄の人びとと米軍の関係を記述する際、しばしば『抵抗/協力』という二項対立図式が用いられてきた。鳥山は、このような枠組み自体が、沖縄社会の分断を再生産し、悪化させてきたと批判し、こうした分析枠組みから慎重に距離を置いている。そして、軍事主義の論理がいかに沖縄の現実を形成しており、人びとが米軍に協力せざるをえない状況を生み出しているかに焦点をあてている。」(p86-87)

先に「「聖書に象徴されるキリスト教信仰が『敵』と『味方』を峻別する文化的指標として機能している」と引用したが、「『抵抗/協力』という二項対立図式」も、まさにキリスト教的な植民者の論理である。だが、実際には「人びとが米軍に協力せざるをえない状況」という抵抗と協力の「あいだ」の状態があり、その中で人びとは協力しつつもその枠内に収まらないという形で抗ってきたのである。その「あいだ」の存在として公看を描こうとしている。

「公看は、占領下沖縄社会が抱えていた矛盾をより鮮明な形で体現し、またそれを間近で観察していた。彼女たちは、慢性的な医師・医療施設不足に悩まされていた米軍統治下沖縄社会で、地域医療の重要な担い手となった。米軍からは主として、基地周辺のいわゆる『キャンプタウン』における性病管理の担い手となることを期待されたが、実際の彼女たちの任務は生活改善、母子保健指導、衛生教育、結核予防、限定的な治療に至るまで多岐にわたるものであった。生活福祉に関わるあらゆる住民が必要とするもの/要求(ニード)を見つけ出し、自分たちの任務(ケース)として引き受けていった。」(p87)

自分たちは戦後沖縄の地域医療を支えたいと、アメリカ式の教育を受けて、公看になった。そのプライドを持って、「生活福祉に関わるあらゆる住民が必要とするもの/要求(ニード)を見つけ出し、自分たちの任務(ケース)として引き受けていった」。医師不足で日本の法律が適用されないという例外状況の中で、離島や郡部においては、この自由裁量に基づいた、創発的な仕事を展開できた側面「も」公看にはあった。でも、その一方、米軍が公看にミッションとして求めたのは、「『キャンプタウン』における性病管理の担い手となること」であった。この二重性は、公看内部でも矛盾や葛藤を生み出す。

「沖縄における性病対策は、占領者と被占領者の間だけではなく、沖縄女性たちの間にも境界線を引き、それを強化していたことがうかがえる。そこで公看は、職業行為を通して家父長制的異性愛規範を反復し再生産することによって、『敗戦の女達』との間に境界線を引いていた。」(p110)

「敗戦の女達」も公看同様、戦争の犠牲者である。だが、一方は植民地政府の庇護下の中で公看という性病管理の「専門職」として、他方は生活の糧としてキャンプタウンで自らの身体を売らざるを得ない売春婦として、境界線が引かれていく。それは、公看の内面であった差別意識、だけではなく、「職業行為を通して家父長制的異性愛規範を反復し再生産する」ことであり、その家父長制的異性愛規範は、まさにキリスト教的な前提に基づく支配者の米軍が求めたものでもあった。これも『抵抗/協力』という二項対立図式では描けない世界である。

第三章では、主にハワイに戦前に移住した沖縄人が、戦後の沖縄を救済しようと同胞として救済しようとしたプロセスが描かれている。ただ、ここにも、「軍事化された潮流」があったと増渕さんは述べている。

「『命を生かす』ことを本来の目的にしていた生政治的なプロジェクトは、実のところ、冷戦期アジア太平洋を横断するように拡大した軍事化・軍事介入による、いわゆる『殺す権力』の回路と緊密に連携しながら実施されていたのである。」(p149)

「命を生かす」ことと「殺す権力」の回路との緊密な連携とはどういうことか。増渕さんは「救済運動が帯びていた両義的な性格」として整理する。

「郷土の救済と解放を望めば望むほど、少なくとも公的には被占領民の救済と民主化を掲げていた米軍の沖縄統治計画と限りなく接近してしまう。」(p179)

アメリカに移住した沖縄人にとって「郷土の救済と解放」は、同じ郷土の同胞たちの「命を生かす」プロジェクトだった。だが、その救済と解放という理念そのものが、「公的には被占領民の救済と民主化を掲げていた米軍の沖縄統治計画」と通底している。その意味では、「拡大した軍事化・軍事介入による、いわゆる『殺す権力』の回路」と、繋がってしまうし、その影響力の範囲の中に組み込まれてしまう。占領者の論理や磁場に強く引きつけられてしまうのである。

第二次世界大戦中、敵国民と見なされたドイツ系や日系アメリカ人が、「モデル・マイノリティ」の兵隊として志願し前線で戦っていた。それと同じように、日系移民も「米国への忠誠を示す日系人」という「モデル・マイノリティ」(p169)として振る舞うことが期待されていた。その期待の内面化は、実は公看に求められた期待と同一地平上であった。これはまさに「救済と解放」が持つ米軍統治への協力の論理と同じである。その一端を担ってきた湧川清栄は、この矛盾について以下のように語っていた。

「琉球大学は急速に延びて大変立派な大学になりました。この大学はあくまで封建主義、天皇崇拝、軍国主義の温床である文科省によってあやつられている、いわゆる御用大学であります。(略)琉球大学の益々の発展を私は希望しますが、ただ植民地大学には転落しないでください。」(p203)

彼は戦後初期のハワイで沖縄の救済と再建のために大学設立に奔走した。だが、占領政府主導で出来た琉球大学は「植民地大学」であり、沖縄返還後に文科省に引き継がれた後も、「封建主義、天皇崇拝、軍国主義の温床である文科省によってあやつられている、いわゆる御用大学」である。この叫びは、「命を生かす」ことと「殺す権力」の回路との緊密な連携への苦痛の表明でもあるといえそうだ。

そして第四章では、「救済と解放」に抗う土地闘争を「『命』を乞う」という形で主題化している。自分たちが先祖代々受け継いできた土地を、強制的に「私有財産」として米軍による「買い上げ」の対象となった際、命がけで拒否する伊江島の住民が取ったのは、「乞食」だった。

「乞食することを、法に触れる恥ずべき行為としながら、それ以上に、武力でもって土地を取り上げ『乞食させる』ことこそが恥であると、米軍の暴力を糾弾している。土地から追い出され、生活基盤を奪われた人びとにとって、『法に触れる』乞食こそが、生きのびるための戦略となった。逆説的にいえば、『乞食する』という行為の、その無法性(lawlessness)ゆえに、米軍が行使し続けている主権権力に抗い、異議申し立てをする発話行為となりえた。すなわち、米軍によって強制された補償を受け入れて、『救済の法』の対象になるかわりに、自ら『乞食する』ことを選びとることで、強いられた『チョウダイ』という行為を、生への意思を表明する政治的・主体的行為へと転倒させたのである。」(p240)

先の公看やハワイに移住した沖縄人たちは、モデル・マイノリティとして、『救済の法』に協力し、その枠組みに従いつつも、植民地主義に抗おうとすき間を探していた。その一方、強制的・暴力的に土地接種をされていた伊江島の住民達は、「乞食」という形で触法行為をしながら、「武力でもって土地を取り上げ『乞食させる』」米軍の暴力を浮き彫りにさせる。法に触れる行為をさせるのは、法制定をして統治する米側にある。そこから、「『乞食する』という行為の、その無法性(lawlessness)」が浮き彫りになってくる。その無法性を際立たせるための「米軍が行使し続けている主権権力に抗い、異議申し立てをする発話行為」=パフォーマンスとしての「乞食」だというのだ。そして、この「生への意思を表明する政治的・主体的行為」は、終章におけるキャンプタウンの「コザ騒動」にもつながっていく。

僕は個人的に沖縄が好きで、プライベートで沖縄に毎年のように通い、昨年あたりから、沖縄の地域福祉や障害者福祉の人びとと仕事で交流をするようになってきた。その中で、沖縄に関する論考もぼちぼち読み進めてきた。沖縄こども調査などで、「いまだ2~3割の世帯が困窮世帯で深刻な状況にあるといえる」と指摘されていることも、眺めてきた。

その沖縄の貧困や困窮、生活支援の困難性の福祉課題のルーツとして、「軍事化された福祉」があり、『抵抗/協力』という二項対立図式がもたらした分断の歴史がある。このこんがらがった糸をほぐして理解するためには、沖縄の福祉の辿った道のりを歴史的に分析する増渕さんのような視点が必要不可欠だ。そして、この本では日本への返還以前の沖縄の歴史が整理されているが、その地続きとして、そこから半世紀の日本政府のアプローチの仕方を眺めていく必要があるのだと思う。

そういう意味で、沖縄の福祉を考えるのは、トランスパシフィックな視点に立った文脈と、日本政府の残余的福祉のあり方の交差性を捉える必要がある。

「戦後沖縄に関する学術研究はこれまで、協力と抵抗、支配と被支配の二元論に回収されてしまうか、あるいはそのいずれかの立ち位置に重心を置く傾向にあった。このような枠組みは、ある人びとがなぜ『基地との共存』のように見える道を『選択』したのか、そもそもなぜ『基地による経済発展』か『抵抗』か、いずれかを選択するように仕向けられているのか、といった問いの立て方を阻んでいく。
本書は、福祉と軍事主義の連携を分析するとともに、こうした状況でも、住民をケアし、命を守ろうとした人びとの日常的な抗い—『生への意思』—に焦点をあてたが、こうした視座が、これまでの二項対立的な枠組みをずらすことに少しでも寄与できればと願っている。」(p289)

そう、二項対立のほうがわかりやすいが、そのわかりやすさでは見えなくなっていることや、二項対立の図式を選択させるように仕向けた統治権力への問いを覆い隠していることを、本書では実感することができた。それと共に、日本人宣教師も、公看も、ハワイやアメリカでの沖縄人も、「乞食」闘争の人びとも、「二項対立的な枠組みをずらす」営みを続けている。そして、それは現在の沖縄の地域福祉や障害者福祉の現場でも、その潮流は続いているのではないか。そんな妄想を抱くこともできる。今度出張した時には、そういう議論もしてみたいと思った。

増渕さんの本は、本当に豊かな問いを生み出してくれるし、考えるきっかけを与えてくれる魅力的な一冊だった。

追記:ちなみにいきなり学術書を読むのはハードルが高いと思う人は、増渕さんのインタビューポッドキャストおすすめ。「第91回 増渕あさ子さんインタビュー『軍事化される福祉(ウェルフェア)〜米軍統治下沖縄をめぐる「救済」の系譜』」

原学級でのほんまもんの学び合い

仮住まいの我が家では本棚が足りず、段ボールに入れた本が落ちてきた。その本を拾い上げて何気なく読み始めたら、めちゃくちゃ面白くて一晩で読み終えてしまった。今日はそんな本のご紹介である。

「『ついてこれない』とは、その子どもがついてこなかったのか、ついてこれなかったのか、またついてこさせなかったのか、の状態の分析と原因を明らかにし、何とが子どもが意欲的に取り組むようにした。
また、ある集団から疎外されている子供を、その子自身の問題としてのみ受け止めるのではなく、むしろ、疎外・差別している集団の側の問題として受け止め、個々のケースでの研究、指導を行った。」(橋本直樹著『子どもを「分けない」学校(「ともに学び、ともに生きる」豊中のインクルーシブ教育)』教育開発研究所、p48-49)

橋本さんは、大阪の豊中市の公立学校教員である。そして彼が校長を務めた南桜塚小学校の研究紀要の1977年度研究に、上記の記述を発見している。

「ついてこれない」というと、どうしてもその子ども個人の問題のように、一見思える。だが、「ついてこさせなかった」と補助線を入れると、教員や学級など「疎外・差別している集団の側の問題として受け止め」る必要がある。このような視点を半世紀前から持っている学校なので、「すべての教職員がすべての子どもの担当である」という意識を持ち、「障害のある子どもが、通常の学級で他の児童・生徒とたちとともに学び生活することを保証する」「原学級」保証を半世紀かけて積み上げてきた。(その教育実践はルポ「教室から席がなくなるのはイヤ──「ともに学び、ともに育つ」大阪府独自のインクルーシブ教育、揺らぐ足元」などに詳しい)

この学校のことは報道で知っていたが、具体的な支援のあり方を読んで、すごい!と思ったのは、以下の部分だ。支援学級の先生が原学級に入ってアシストする「入り込み」について触れた場面である。

「支援学級に在籍する子どものなかには、子どもたちの人間関係や学級担任の配慮次第で十分学校生活を送ることができる子もいます。ほとんどの子どもが、学年が進むにつれて入り込みの時数を減らしていきます。人間関係の深まりや変化をよく見ながら、情報を教職員で共有し、議論もしながら、安心して学校生活を送ることができるように対応しています。
支援学級担任と3人の介助員の12人はインカム(無線)を常に身につけて、子どもたちの状況を共有しています。1日のうちに子どもの状況は変化していきます。たとえば、入り込みの時間にあたっていない教職員が廊下を巡回し、『○○ちゃんの状況がよくない』ことに気づけば、インカムで『○年○組の○○ちゃん、今入り込みないんですけど、気になるので入ることができる人いますか。いなければ私が入ります』と流すと『○○ちゃんなら私がいいと思いますので、行きます。こちら○年○組みのほうをお願いします』というようなやりとりをしています。また、緊急事態の際にも、すぐに集合して、早い対応ができます。」(p126)

この公立小学校では半世紀以上にわたって、「すべての教職員がすべての子どもの担当である」という理念が浸透してきた。だからこそ、支援学級担任も介助員も、自分の担当する特定の子どもだけに関わるのではない。インカムを通じたチーム支援が徹底していて、『○年○組の○○ちゃん、今入り込みないんですけど、気になるので入ることができる人いますか。いなければ私が入ります』と巡回中に変化に気づき、対応を始める。そして、この呼びかけを受けて、『○○ちゃんなら私がいいと思いますので、行きます。こちら○年○組みのほうをお願いします』と個別性の高いニーズへの対応を買って出てくれるのみならず、別のクラスのサポートにも回れる。この機動力と対応力がすごい。

「支援学級在籍の子どもだけでなく、応援があれば前に進める子どもがたくさんいます。子どもたちは入り込みの先生を『おたすけ先生』と呼ぶこともあります。支援学級担任が通常学級の担任と授業を交代し、通常学級担任が個別に子ども対応をすることもあります。とにかくそのときどきの最善を求めて柔軟に対応します。」(p127)

うちの娘も算数が苦手で、まさに「応援があれば前に進める子ども」なので、「おたすけ先生」がいたらめっちゃ喜ぶだろうなあと思う。特別支援学級・学校で区切られた場所にいたら、物理的には特定の子どもにしか相手は出来ないが、普通学級に入ってきてくれたら、支援が必要な子の相手をしながらも、その周りの応援を必要としている子どもたちもサポートできる。また、こういう風に「おたすけ先生」が機敏かつ柔軟に対応してくれるので、障害のある子も、その周りにいる子も、困らなくて済む。分けていなければ、より広範に・柔軟に助け合えるのだ。

「私たちは、『ともに学ぶ』なかで何度も何度も子どもたちの言葉や行動のなかに奇跡を見てきました。当初は分離したうえでの訓練や学習を望む保護者もいますが、ともに学ぶなかで、しだいに、奇跡のような出来事に出会い、子どもの成長を感じ始めます。
子どもに対して担当者・係をつくらないということと、もうひとつ大事なことは、特別な場所をつくらないことです。どんな親しみのあるいい名前をつけた部屋であっても、そこが特定の子どもが先生と向き合い学習をしたり、活動場所として使用している限り、他の子どもたちにとっては自分とはまったく関係のない特別な場所になってしまうのです。すでに特別視(特別扱いではない)されている子どもたちと『交流』の名のもと通常学級で一緒に学ぶ時間があっても、しだいに心のなかで排除が始まり、偏見は子どもの心に定着していくのです。」(p172)

大学の講義でインクルーシブ教育について議論をするときに、学生たちのネガティブな記憶で必ず出てくるのが、「障害のある子どものお世話係をさせられて嫌だった」という経験である。これは、本来は教員がしなければならないサポートを「勉強の出来る子」に押しつけている、という意味で、本末転倒である。この小学校では、12人のインカムチームが「おたすけ先生」でいるので、そういう係は作っていない。それだけでなく、「ひまわり学級」であろうが「おおぞら学級」であろうが、「どんな親しみのあるいい名前をつけた部屋であっても、そこが特定の子どもが先生と向き合い学習をしたり、活動場所として使用している限り、他の子どもたちにとっては自分とはまったく関係のない特別な場所になってしまう」というのは、本当にそのとおりである。多くの大学生が、そしてかつての私自身が、障害のある子とない子が共に学ぶのは「理想論」だと思い込んでいた背景には、「特別視(特別扱いではない)されている子どもたちと『交流』の名のもと通常学級で一緒に学ぶ時間があっても、しだいに心のなかで排除が始まり、偏見は子どもの心に定着」したから、というのがある。ここを打ち破るためには原学級保証が必要であり、先日はイタリアのフルインクルーシブ教育を紹介したが、イタリアに行かずとも、伊丹空港のお膝元である豊中市でも半世紀かけて実現してきたのである。

そうすると、こんな学び合いのエピソードが生まれる。豊中で育ち、今は西宮のメインストリーム協会で活動している鍛治さんを巡るエピソードである。

「隣の席の友だちから『かっちゃんノート書きや!』と言われたので、『障害者やからノート書かなくてええねん』と返すと、友だちは『そっか』と言って、うまくさぼることができました。
鍛治さんは、『なんてすばらしい言い訳だろう』と思ったそうですが、その日の終わりの会で大変なことが起こりました。クラスの全員から、『鍛治君は都合のいい障害者だと思います。そんな都合のいいやつのために移動教室の手伝いとかやりたくありません』と言われてしまったのです。実際にそれから3日ほど、体育や音楽の移動教室の際に一人になってしまうことがありました。
『俺、小学校でやっていかれへんかもしれへん』と母親にこの間のことを相談すると、『それはあんたが悪い。障害者である前に一人の人間として、『鍛治のためやったら力になりたい』と思ってもらえる人間になりなさい』と諭されたそうです。
次の日、泣きじゃくりながらクラスのみんなに謝って許してもらいました。この間、担任の先生は見守ってくれていました。ここで担任が『みんな、鍛治さんは障害者ですよ。冷たいことを言わないで助けてあげて』などと言っていたら、その瞬間子どもたちの人間関係は切れてしまったでしょう。
『ともに学び、ともに生きる』なかで、子どもたちはお互いに批判できる関係、本気でけんかできる関係を育んでいるのです。」(p139)

障害のある子もない子も、ズルする子はいる。鍛治さんも、そんなズルをしていた。しかも自らの障害をダシにして。すると、クラス全員から『鍛治君は都合のいい障害者だと思います。そんな都合のいいやつのために移動教室の手伝いとかやりたくありません』と宣言される。これは、彼には死活問題であり、母親に泣きついたところ、『鍛治のためやったら力になりたい』と思ってもらえる人間になりなさい』と諭された。だからこそ、「次の日、泣きじゃくりながらクラスのみんなに謝って許してもらいました」という。障害の有無ではなく、クラスメイトとして対等に批判しあい、謝罪する。本気でぶつかり合うからこそ、ほんまもんの仲間になる。それを教員が応援している構図が、実に素敵である。

なぜ豊中でそんな実践が出来たのか。これは「すべての差別からの解放をめざす、民主的な人間の育成に努める教育」である「解放教育」のバックボーンがある(p11)。実際1971年に豊中市教育委員会によって定められた「同和教育基本方針」には、以下のような規定が書かれていた。

「同和教育を推進するうえで、障害児が人間として生きる権利、教育を受ける権利を保障することは重要な課題である。障害児の生活を守り、その社会的自立をめざし、障害の種類と程度に応じた教育内容と方法が創造され実践されなければならない。
しかし、現在まで、担当者による実践の積み重ねや問題の提起はあったとしても、障害児教育全体の充実にまで発展しなかった。すなわち、教育条件の不十分さと一般的な理解の不足などから、学校教育の中での正しい位置づけがなされないばかりか、重症障害児が教育を受ける機会の保障もきわめて不十分であり、父母や子どもの強いねがいを実現するに至らなかった。
したがって、障害児教育の総合的な推進をはかり、障害児の社会的自立への手だてを明らかにしなければならない。そのためには、系統だった教育施設の整備をすすめるとともに、関係者の研修機会を拡充するなど総合計画を樹立し、教師・父母・地域・医療関係者が一体となって推進しなければならない。」(p213-214)

この宣言に基づいて、「系統だった教育施設の整備をすすめるとともに、関係者の研修機会を拡充するなど総合計画を樹立し、教師・父母・地域・医療関係者が一体となって推進」してきた半世紀の積み上げがあるからこそ、豊中では「障害児教育の総合的な推進」が展開されてきたのだ。

インクルーシブ教育は、クラスを一緒にするだけではだめだ。原学級保証のような形で、障害がある子もない子も共に学び合い、担任の先生だけでなく、全ての先生が「おたすけ先生」として関わってくれる。そのような、目の行き届いた安心できる環境だからこそ、鍛治さんとクラスメイトのような本気のぶつかり合いが可能になる。そんな環境が豊中でも出来るのだから、全国に拡がって欲しい。本当にそう思う。

懲罰から対話と尊重へ

どんな内容かよくわからなくても、著者や訳者が信用できる人なら、ジャケ買いではなくても「ネーム買い」する本ってある。今回は、訳者に「プリズン・サークル」にも出てきた藤岡淳子さんと、同じ映画に登場し『刑務所に回復共同体をつくる』の著者である毛利真弓さんが並んでいたので、どんな内容かよくわからないまま購入して読み始めたら、めちゃくちゃ面白かった。

「誤解3:生徒は適切な振る舞い方を知ってから学校に来るべきです。
事実:多くの子どもや若者は、家や自分のコミュテニィの大人によって影響を受け、そこで示されたことを見て真似ています。もし彼らの生活の中にいる大人が適切な行動のモデルを示せなかったり、肯定的な社会的・情緒的行動をよく理解していなかったりすれば、生徒たちにそれらのスキルを持って学校に来ることを期待することはできません。私たちは教育者として読み書きや数学を教えるのと同じように、行動についても教える必要があります。」
『学校に対話と尊重の文化をつくる修復的実践プレイブック』明石書店、p30)

これは教育関係者がよく間違えやすい誤解であり、核心部分に触れる話でもある。

学校の先生は、子ども時代から「しっかり」「ちゃんと」勉強が出来た「優等生」が大半だ。つまり自分自身も「適切な振る舞い方」を身につけてきた経験を持つ。一方、学校をさぼりがち、遅刻しがち、嘘をつく、問題行動をする・・・といった子どもを目の前にすると、なぜそれが出来ないのか、が理解しにくい。そして、常識的な推論からして、「親が悪い」し、「適切な振る舞い方を知ってから学校に来るべきです」となる。

ただ、その親自体が「適切な行動のモデルを示せなかったり、肯定的な社会的・情緒的行動をよく理解していなかったり」する場合も、充分に考えられる。虐待やトラウマの連鎖ではないが、自らが養育不全のなかで育ってきた親の中には、子どもにどう関わってよいかわからない・大人自身がモデルを示せない親もいる。その際、「教育者として読み書きや数学を教えるのと同じように、行動についても教える必要」が学校にはあるのだ。そして、これは「貧困地区」に限ったことではない。

この本は、「学校に対話と尊重の文化をつくる」ことを目指した本である。ただ、実は「対話と尊重の文化をつくる」ことそれ自体を、僕たちは学校で学んでいない。だからこそ、親が子どもにそのやり方を理解していない可能性は充分にあるのだ。僕の場合は、ありがたいことに、娘の通ったこども園では毎月保護者学習会を開いてくれていた。そこでは「子どもをみたら、家庭環境や親と子の関わり方がすべてわかる」という明確な原理のもと、親が子どもにどう関わるか、について毎月理事長先生から教わっていた。そういう風に親が学んで変わる機会がなければ、そのチャンスを提供することも、学校に求められている、というのも、よくわかる。

そして、「問題行動」や「困難事例」と呼ばれる現象への、現状の学校への対応のあり方にも、この本は疑問を向ける。

「修復的実践は、80%は事前対応型/先回り型、20%は事後対等型/反応型という80/20モデルに基づいて構築されています。これまで学校の方針は懲罰的なものであり、正しい罰則を与えれば行動を変えられると信じてきました。しかし、幼稚園から高校までの学校で過ごしたことのある人なら誰でも、懲罰的な行動が必ずしも生徒に望ましい結果をもたらすとは限らないことを知っています。どこか上位の機関に送る、クラスから排除する、居残り、停学、あるいは退学といった従来の懲罰的な対処は、根本的な問題に取り組んでいないため、問題の解決にはなりません。」(p35)

これまで、学校で子どもが起こした問題は、子どもの問題とされていた。それは問題の個人化であり、発達障害や精神障害ゆえなどとラベルが貼られると、「医学モデル化」することにもつながる。そして、そのような現象に対して、「クラスから排除する、居残り、停学、あるいは退学といった従来の懲罰的な対処」がなされてきた。でも、「懲罰的な行動が必ずしも生徒に望ましい結果をもたらすとは限らないこと」は、自分自身の経験でもわかっていることである。つまりやってしまった結果に責任を取りなさい、と脅すだけの「事後対等型/反応型」の懲罰では限界があるのだ。だからこそ、「80%は事前対応型/先回り型、20%は事後対等型/反応型という80/20モデル」が大切になってくる。

では、どのような「事前対応型/先回り型」が必要なのか? この本の秀逸なのは、「事前対応型/先回り型」のアプローチの具体例がふんだんに紹介されている点である。

たとえば、能動的参加の連続体の図を紹介している部分について。授業に「参加する」がもっと意欲的になると、自分も積極的に関わる「投資する」モードになり、更にやる気になると、やったことへのフィードバックまでも求める「推進する」になる。他方、授業に気が乗らない場合は「撤退する」だし、更にやる気を失うと課題を「避ける」ようになり、もっとも強烈な場合は授業時間を「破壊する」行為にでてしまうかもしれない。このような能動的参加の連続体の鍵を教えてえいる学校では、こんなやりとりがなされているという。(p95)

「今日私は『参加する』ことを目標にしました。あまり実感はありませんが、これは重要なことだし、弁論エッセイを書く必要があることはわかっていたので、『参加する』にしたんです。でもその後、動物実験について話しているうちにとても面白くなってきて、『投資する』に移りました。」
「私は『避ける』でした。いろいろなことがあって気が散っていたんです。でも他の人に影響しないようにしていました」

これは、子どもたちが自分自身の授業への参加度を、自分自身に認識させる方法である。こうやって子どもたちは自分で決めた参加や関与度に自覚的になれるし、他者を邪魔しないでいることや、出来れば積極的に参加するきっかけにもなる。また、この連続体は教員にも役立つ。

「彼女がどこにいたのか教えてくれて感謝しています。もし私が少しだけでも彼女の位置を動かすことができたら、『撤退する』に移ってもらうことができて、『参加する』になるのもそう遠くはないでしょう。これを知ることで私の不満が解消されれば、私自身と私の生徒たちの目標設定ができます。そうすれば、私たちの間でそれほど大きな争いもなくなるでしょう」

教員の仕事は、子どもたちが積極的・能動的に授業に参加出来るようなデザインである。だが、子どもの状況によって、授業から「撤退する」「避ける」「破壊する」タイプの子どもたちもいる。その言動に対して、教員が懲罰的に排除したり叱責しても、根本的な解決にはつながらない。その際、子どもたちがこの「能動的参加の連続体」モデルを知っていて、自分がどの位置にいるのか、に自覚的だと、教員もその子どもの状態に寄り添うことが出来る。一方的に叱ったり、相互が理解し合えず対立するのではなく、共に「撤退」から「参加」に向かうためにはどうすればよいか、を一緒に考え合うことができる。これが修復的アプローチの特徴だと感じた。

そして、より「ややこしい」子どもと教員が良い関係を作るためには、教員が10分間、子どもとともの一緒に時間を過ごす「バンキングタイム」が重要であることも、書かれていた。その中で、教員が何かを蓄える(バンキング)するためのアプローチとして、以下のような内容が示されていた。

・生徒がリードすることについていく:教師型質問、方向づけ、指示は制限しましょう。安全であれば、むしろ生徒が活動を方向づけ、使うものを彼らの選択で決定するとよいでしょう。
・観察する:生徒の行動、感情、言葉、行動について心のノートを作りましょう。また、あなたの反応と相互作用についてもメモを取りましょう。
・ナレーションする:生徒がしていることを説明する言葉を使いましょう。(略)例えばプレーごとに描写するようなスポーツキャスター、生徒の言葉にコメントしたり繰り返したりするリフレクション、生徒のしていることを真似する模倣などがあります。
・感情にラベルをつける:生徒が示したポジティブ・ネガティブな感情について言葉にします。生徒の表現は言語的な場合も非言語な場合もありえます。あなたの役割は、それに気づき、触れることです。
・関係性についてのテーマを発達させる:これらのコメントは、あなたにとって彼らが重要で、その関係に価値を置いているというメッセージを生徒に対して送ります。
(p148)

これを読んでいて、支援困難事例に関してのソーシャルワークの関わり方のコツでもある、と感じた。「ゴミ屋敷」などに関わる場合、「ゴミを溜めることは悪いこと」という「常識的理解」が先行して、相手のしていることを冷静に「観察する」ことが出来ない。すると、対象者の言動を「ナレーション」なんて出来ない。ついつい「ゴミを捨ている」ということにしがみついて、相手が「リードすることについていく」ことができない。すると相手の「感情にラベルをつける」こともできない。結果的には相手との「関係に価値を置いているというメッセージ」を送ることができず、「関係性についてのテーマを発達させる」こともできない。

逆に言えば、ここに書かれている5点って、相手の内在的論理の把握の方法そのものである。例えば娘に関わる父である僕にとって、こちらの注意に従わない娘にガミガミ言いたくなる局面で、娘を観察することができるか、は大きな問いだ。注意や叱る行為をせずに、彼女がやっていることを実況してみれば、彼女もその行為に気付いてくれる可能性がある。そうやって、本人がリードすることについていきながら、彼女のポジティブ・ネガティブな感情に言葉を与えつつ、父と娘の関係性をよりよいものにすることも、できそうだ。親が変われば、子どもも変わる。教師が変われば、生徒も変わる。その具体的な方法論が示されていると読んでいて感じた。

そして、本書の原題は”The Restorative Practices Playbook”である一方、訳書タイトルは『学校に対話と尊重の文化をつくる修復的実践プレイブック』となっている点も、非常に興味深い。「修復的実践プレイブック」という原題に「学校に対話と尊重の文化をつくる」という修飾語が足されているのである。これが、味噌である。

毛利さんと藤岡さんは、刑務所における回復共同体づくりにおいて、かなりの苦労をされてきた。それは、硬直した刑務所文化を変えることへの抵抗感との闘いであったことは、毛利さんの本を読んでいても感じた。そして、その二人がこの本を訳す時に、「対話と尊重の文化をつくる」ことの重要性を痛いほど感じていたことも、想像に難くない。それは、刑務所でもまさに同じであり、もっといえば学校で修復的実践が展開されていれば、「問題行動」や「困難事例」にも予防的介入を果たせるようになり、結果的には少年院や刑務所に送られる若者が減るかも知れないのだ。

そのような「対話と尊重の文化をつくる」ことができるか、は非常に現代的課題だし、本書はその具体的な方法論や、教員や支援者が自分のアプローチを見直せるワークシートもついていて、非常に有用的である。それだけでなく、懲罰から対話と尊重を基盤にすることで、学校文化を変えうる、という意味では、認識論的な枠組みの掛け替えを実践を通じて目指している、濃厚な1冊である。学校の教員、だけでなく、対人直接支援に関わる多くの人が読んでみて、気づきや発見のある1冊だと思う。

差異を肯定するインクルーシブ教育

日本で特別支援学校の教員をしていて、かつイタリア留学経験のある人って、ほとんどいないと思う。そんな逸材、大内さんが書いた本を読んでいたら、こんなフレーズに出会った。

「インクルーシブな教育を前提としているイタリアでは、特別なニーズのある生徒への配慮は、『いかにしてインクルーシブな学習環境をつくりだし、生徒がクラスの中に包摂されるようにするか』という集団的、社会的な包摂におのずと向けられることになる。まさしく、イタリアの支援教師に課せられた任務は、障害のある生徒がクラス集団に参加するための支援を、いかに有効かつ適切におこなえるかということにある。
その一方で、分離した教育を前提とした日本では、特別なニーズのある生徒への支援は、『いかに自分のことは自分でできるようにするか』といった、『個人的な自立や成長』を促すことに偏りがちになる。しかし、日本のこうした方向性での支援や配慮には、社会的な包摂への希薄さもあいまって、極端にいえば、かえって社会的な分離を推し進めてしまうというパラドックスに陥りかねないリスクも含まれている。」(大内紀彦『フルインクルーシブ教育見聞録――イタリアの現場を訪ねて』現代書館、p38-39)

イタリアでも日本でも、障害などの特別なニーズのある生徒への支援や配慮はなされている。ただ、『いかにしてインクルーシブな学習環境をつくりだし、生徒がクラスの中に包摂されるようにするか』と、『いかに自分のことは自分でできるようにするか』では、問いの向き先が全く違う。前者は特別なニーズのある生徒が普通学級で包摂されるように、クラスの学習環境を変えようというアプローチである。ただ、後者の問いは、特別支援学級での目標が「『個人的な自立や成長』を促すことに偏りがち」であるという警句である。そして、僕はこのイタリアと日本の支援観の違いは、ノーマライゼーションを巡る解釈の対立を思い出していた。

ノーマライゼーションの育ての父と言われるスウェーデン人のベンクト・ニィリエはノーマライゼーションについて、以下のように定義している。

「ノーマライゼーションとは、正常という意味ではないのだ。これは、人間を“ノーマルにする”べきであるという意味ではないのだ。これは、誰かに誰かの特別な基準(例えば隣人の51%の人たちがすることであるとか、“専門家”が最善であると考えること)に従うような行動を強制されるという意味ではないのだ。これは、知的障害のある人が“ノーマル”であるべきとか、その他の人たちと同じように振る舞うよう期待されるという意味ではないのだ。ノーマライゼーションとは、知的障害者が、可能な限り社会の人々と同等の個人的な多様性と選択性のある生活条件を得るために、必要な支援や可能性を与えられるべきであるという意味だ。ノーマライゼーションとは、“ノーマル”な社会で、障害も一緒に受け入れられ、他の人たちと同じ権利と義務、可能性を持っているという意味だ。」(ベンクト・ニィリエ『再考・ノーマライゼーションの原理-その広がりと現代的意義』現代書館 p178-179、強調は引用者)

ここで太字の部分をみてほしい。「知的障害者が、可能な限り社会の人々と同等の個人的な多様性と選択性のある生活条件を得るために、必要な支援や可能性を与えられるべきである」というのは、『いかにしてインクルーシブな学習環境をつくりだし、生徒がクラスの中に包摂されるようにするか』というのと通底している。

一方、このノーマライゼーションの原理をアメリカで受けいれられるように「改竄」したヴォルフェンスベルガーは、以下のように定義している。(ちなみに両者の価値前提の違いについて詳しくは拙著『当たり前をひっくり返す』(現代書館)参照)

「対人処遇の手段は、できるだけその独自の文化を代表するようなものであるべきであり、逸脱している人(その可能性のある人)は、年齢や性というような同一の特徴をもつ人たちの文化に合致した(つまり、通常となっている)行動や外観を示しうるようにされるべきだ、ということである。『通常となっている』という用語は、道徳的というより統計的な意味であり、“標準的“とか“慣例的“と同じと考えられよう。『可能な限り通常となっている』という語句が示唆しているのは、何が、どれだけ『可能な限り』ということになるかは、経験をしていくプロセスで決定されるということである。」(ヴォルフェンスヴェルガー「対人処遇における逸脱の概念」『ノーマリゼーション』学苑社、所収、強調は引用者)

ここでも太字の部分をみてみよう。「年齢や性というような同一の特徴をもつ人たちの文化に合致した(つまり、通常となっている)行動や外観を示しうるようにされるべきだ」というのは、『いかに自分のことは自分でできるようにするか』という「『個人的な自立や成長』を促すことに偏りがち」な視点そのものである。

そして、前者は差異を抱えた(障害があるまま)でも自立しているというノーマライゼーションの「異化的側面」と整理され、後者は障害がある人が『可能な限り通常となっている』という意味で、ノーマライゼーションの「同化的側面」と言われている。そして、この二つは本質的に対立する。なぜならば、後者は障害の差異を肯定せず、健常者に近づけること=ノーマル、と標準化を目指す思想だからである。一方、前者は障害という差異を肯定し、その差異がある人を標準化するのではなく、差異がある人でも馴染めるクラス環境をどう構築するか、と環境を変えることに主眼を置いているからである。

こう整理していくと、日本の特別支援教育はイタリアのインクルーシブ教育と真逆である理由が見えてくる。それは、学校教育において、障害者を健常者に近づける「同化的側面」を重視する日本に対して、障害のある子どもが普通学級で安心して学べるようにクラス環境を変えるイタリアは、障害という差異を肯定する、ノーマライゼーションの「異化的側面」を重視しているからである。

そして、障害という差異を抱えた子どもたちも普通学級で学ぶためには、当然環境を大きく変えていく必要がある。大内さんが見学した小学校の1年生はこんな風に構成されていた。

「40人弱の生徒がいる小学校の第一学年は、『パンドーロ』クラスと『チャンベッラ』クラスの2クラスに分けられていた。どちらのクラスにも、イタリアを代表するお菓子の名が用いられていた。(略) 最初に足を踏み入れたのは、算数をやっていた『チャンベッラ』クラスだった。2名の障害児を含む20名弱の生徒のクラスに、4名の指導者が配置されていた。もう一方の『パンドーロ』クラスには、1名の障害児を含む20名弱の生徒がいて、3名の指導者が配置されていた。」(大内、前掲書、p21-22)

普通学級のクラスサイズが基本的に20名前提でやっている! これはOECD諸国の平均(21.9人)であるが、日本は小学校1年で35名である。娘の通う小学校は1年生の時に105名がいたので、35名マックスだった。正直、障害があろうとなかろうと、こないだまでこども園や保育園で走り回っていた子どもたちを45分なり50分なり座らせておくだけで、先生はめちゃくちゃ大変である。(そのあたりについては『ケアしケアされ、生きていく』でも分析した)

一方、イタリアでは20名がクラスサイズで、複数担任制をしいていて、さらに障害のある子ども一人に指導者が一人つく。だから、2名の障害児なら4名の指導者がつく。こう書くとめちゃくちゃ贅沢なようだが、じつは日本では特別支援学校の建設費に20億とか40億円!もの費用をかけている。箱物の建築費にそれだけの費用をかけ、運営コストも考えると、その費用を人件費に充当すれば、十分に可能なようにも思われる。

さらに、これは昔スウェーデンで聞いた話を思い出す。スウェーデンでも障害のある子がいるクラスの方が保育園や小学校では人気だ、と聞いていた。それって、スウェーデンの親が意識高い系だから、と思った人、いませんか? もちろん、そうではなくて、教員の数が多いほど、障害がない子どもへの目配りも増えるのだ。だって、20人しかいないクラスで、4人の先生がいたら、障害のある子が2人いても、その指導員はつきっきりで障害のある子に関わっていたとしても、その周りの子どもたちに声かけとか、躓いている部分をアドバイスすることくらいできる。すると、よりきめ細やかな指導が、障害のない子へも与えられるのだ。

さらに、一人の教員が指導する状況は、ミニ王国を作り出し、指導力のない教員だと学級崩壊の危機がある。でも、複数担任でチーム支援にすると、クラス全体の指導力がある。インクルーシブ教育を進めるにあたって、こういう形でクラスサイズや学級運営の形を変えていくことは、現実的な選択肢である(複数担任制についてはこの記事も参照)。

そして、障害のある子を支援する「支援教師」養成講座の様子が書かれた部分でも、非常に興味深い箇所があった。

「注目すべきなのは、各々のグループの中で支援の対象の生徒が抱えている『困難』や『問題』が、クラス全体の活動の中に明確に位置づけられていることである。こうすることで、支援対象の生徒の課題は、クラスメイトの目にも見えやすくなり、クラス全体に共有することになり、さらには、この課題にどう対応し、解決し、乗り越えていくのかを、一緒に考える機会が生み出されていくことにもつながっていく。
たとえばグループAであれば、『電動車いすを活用するステファノの移動の不自由さ』、グループBであれば『見通しのもてなさに由来するエンマの不安』、グループCであれば、『生徒Pの人間関係づくりの不得意さ』といった事態に対する課題はクラス全体の協働学習を通じて改善されていくように道筋が立てられている。クラスの雰囲気や環境やルールに障害のある生徒を適合させていくのではなく、彼らの特性をクラスの側で受け入れて共有し、一緒に共存のための対処法を考え、解決策を講じるという方法がとられているのである。そして、この活動をいかにサポートするかが、まさに支援教師の腕の見せどころになっている。」(p54-55)

これは、障害がある子どもがクラスのなかにいることを前提として、障害のある子とそうでない子がどう協働学習をできるのか、をクラスの成長課題と捉えている部分である。障害のある子は差異がある=標準化されないので、他の子どもと同じ協働学習は出来ない、と切り捨てず、むしろ差異のある子との協働を、クラス全体の学びのチャンスと捉えている点が、非常に魅力的だ。その際、大内さんのこの指摘が本質的だ。

「クラスの雰囲気や環境やルールに障害のある生徒を適合させていくのではなく、彼らの特性をクラスの側で受け入れて共有し、一緒に共存のための対処法を考え、解決策を講じるという方法がとられているのである。そして、この活動をいかにサポートするかが、まさに支援教師の腕の見せどころになっている。」

同じ事が出来ないから排除するのとは、真逆である。障害という差異があり、違いがある子どもと協働するために、「一緒に共存のための対処法を考え、解決策を講じるという方法」が模索される。そして、そのためにこそ、支援教師がいるのだ。支援教師は、『いかに自分のことは自分でできるようにするか』ではなく、いかに障害のある子とそうでない子が協働するか、をサポートするために存在するのである。

実は、このことは、日本の義務教育でも求められている。学校教育法第21条では、以下のように規定されている。

「第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)第五条第二項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」

義務教育の目標の第一優先順位は、教科教育ではなく、「自主、自律及び協同の精神」を育てることにある。そのために、チーム教育、チーム学習は基盤である。そして、それは学校を分ける分離教育では出来ない。日本の学校教育法第21条を真面目に遵守しようとすれば、同化的側面で障害者をノーマルにしようとするのではなく、差異のある障害のある子とそうでない子が協働できるようにクラスサイズや学校運営のあり方を変える、ノーマライゼーションの異化的側面が求められている。そして、それこそ大内さんのいう、フルインクルーシブなのである。

まだまだ書きたいが、長くなったので、この本の紹介はこの辺で。すごく読みやすくて、イタリアのインクルーシブ教育がすごくわかりやすくわかるので、この本はオススメです。

ケアへの解像度をぐっと上げる一冊

毎回本を送り合う村上靖彦さんから、またまた魅力的な一冊が送られてきた。『傷つきやすさと傷つけやすさ ケアと生きるスペースをめぐってある男性研究者が考えたこと』(KADOKAWA)である。この本は村上さんの新境地の開拓にも繋がっていると、読んでいて思った。それは冒頭で以下のように宣言されたところから、はじまる。

「ところで、本書では一人称単数形を『僕』と表記する。幼稚かもしれないが、日常生活での僕は、自分を『僕』ないし『オレ』と呼ぶ。今までの著書では日常では使わない『私』を用いていたのだが、そうしてしまうと、僕自身の経験から切り離されてしまうことに気がついた。『私』『私たち』と書いているときには、僕自身が生活のなかで感じたことや戸惑いを切り落としており、記述している事態に対して責任を負っていない。なので、今回は実験的に『僕』と書いてみる。そして多くの人に当てはまるだろう一般的な事態を表現するときに『自分』『私たち』というニュートラルな代名詞で対比する。」(p8)

自分をどう名乗るか。これは大きな問題だと思う。多くの科学論文では、僕や私は登場しない。筆者や発表者、としか語られない。それは客観性が重視される自然科学の伝統に従い、主観性を排除した論理的な構成を目指す時に、僕や私などの主語が邪魔になる、という価値前提である。また、教授会等で発言する場合、あるいは新書や雑誌、新聞など一般向けに書かれる媒体であっても、私と表記する場合が多い。公的に自分の意見を表明する場合、私の方が一般的である、という社会通念がある。

でも今回の村上さんは、それらを分かった上で、敢えて「僕」という表記を使う。これは勇気がいったことだと思う。竹端も個人のブログではずっと「僕」と書いてきた。でも、最初の単著を書く際、どう考えても「私」という主語で書くと、内容が書けないことが見えてきた。それは村上さんの言うように「僕自身の経験から切り離されてしまう」からである。だから、怖々、おずおずと、僕と書いて、当時こんな註もつけておいた。

「例えば論文における「筆者」という立ち位置は、客観性を担保する為の装いであるが、書き手の意図を後景化させる効果がある。また、僕自身は「私」という表現を、個人的にはあまり使い慣れていない。そこで今回は敢えて、客観的な「筆者」や、普段使い慣れない「私」ではなく、普段のブログで書き慣れた「僕」という主語を用いる事で、大学教員というエクリチュールから距離を取ろうとしている。」(竹端寛『枠組み外しの旅 「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p214)

なので村上さんのこの態度表明は、「同志発見!」的な嬉しさがあった。

さて、中身に入ると赤線引きまくり、のオモロイ一冊なのだが、その中でも僕自身が特に刺さったフレーズをいくつか引用してみたい。

「家父長的な資本主義が成立したのにともなって、<広い意味のケア>は家のなかで主婦に押しつけられ、<強い意味のケア>は病院などの施設に隔離された。」(村上、前掲書、p56)

これもすごくわかりやすい整理だし、手前味噌ながら、僕が昔書いた論文のタイトル「「家族丸抱え」から「施設丸投げ」へ─日本型“残余”福祉形成史」ってそういう意味だったのだ、と深く納得した。障害者や高齢者のケアは、「家のなかで主婦に押しつけられ」る一方で、それが限界を超えたり、主婦がいない場合、「病院などの施設に隔離された」歴史がある。広義の意味でのケアを<広い意味のケア>としたとき、それは家庭の主婦に押しつけられ、より集中的な支援が必要という意味で<強い意味のケア>は病院や入所施設などに押しつけられる。これはまさに「家族丸抱え」か「施設丸投げ」という、ケアの二者択一的現状なのだ。そして、村上さんは、そのような二者択一を超えるためにはどうすればよいか、を本書で考察している。

介護殺人について触れた場面で、こんな風にも語っている。

「やむを得ない事情から介護の負担を一人で背負い込んでしまっているが、この『やむを得ない事情』の多くは、『家族で面倒を見ないといけない』『人に迷惑をかけてはいけない』という『自助』の意識である。つまり社会が押しつける自己責任論を、内面化したことで生まれた感情だ。本書では『人に迷惑をかけられない』という意識を、『ケアが不足していて困っている』というSOSへと読み替える。」(p63)

ケアの二者択的現状を超えるための第一歩は、ケアに関する認識を変えることである。村上さんはその第一歩として、「『人に迷惑をかけられない』という意識を、『ケアが不足していて困っている』というSOSへと読み替える」ことを提唱する。これは、サラリと書いているが、実は本質的な読み替えである。

拙著『ケアしケアされ、生きていく』のなかで、「迷惑をかけるな憲法」の話を書いた。憲法にも各種条文にも書かれていない「人に迷惑をかけてはならない」を、日本国憲法よりも上位概念として護っている学生が山ほどいることを目にして、そう命名した。介護殺人も、他人の世話になりたくない、とか、他者に迷惑をかけてはならない、というこの規範意識や「迷惑をかけるな憲法」から、「家族丸抱え」に限界が来て、家族内殺人に至るのである。

この現象は確かに、「『ケアが不足していて困っている』というSOS」そのものなのだが、そう読み替えよう、というこの社会のコードはない。ただ、村上さんが長年フィールドワークをして、『子どもたちがつくる町 大阪・西成の子育て支援』(世界思想社)という著作にもまとめられた大阪の西成などでは、多くの支援者達がこの読み替えを自然にしていたのだと思う。そうしないと、虐待やセルフ・ネグレクトなど、かなりしんどい状況にある子どもやその親の苦境に対応することが出来ないからだ。そして、長年その現場に通い続け、支援者の言葉を聞き続けた村上さんだからこそ、「『人に迷惑をかけられない』という意識を、『ケアが不足していて困っている』というSOSへと読み替える」ことが出来たのだ。この命名のし直しは、ケアへの解像度をぐっと上げる効果があるし、「困難事例」を読み解く際の鍵にもなると思う。

「社会的困窮地域の子ども支援での調査を通して学んだのは、西野さんや松浦さんに限らず<かすかなSOSへのアンテナ>が地域の支援で共有されていることだ。かすかなSOSは自発性と能動性のミニマムな姿でもある。ケアの中の暴力の姿の一つは、困窮に気づかれないがゆえにケアを受け取ることができずにいることだ。SOSのかすかなシグナルを発する能動性と、シグナルを受け取る人の受動性を確保することは、ケア的な主体を確保するための最後の砦となる。」(p174)

最も困難を抱えている人ほど、それを言語的に表現出来ない。だから、援助されずに困難の悪循環に陥っている。その時に、支援する側が<かすかなSOSへのアンテナ>を持ち、それが地域の中で共有されているかいなか、によって、その困難を抱える人が放置されるか、受け止められるか、の違いが出てくる。「『ケアが不足していて困っている』というSOS」は、理路整然とした言語では語られない。冬なのに薄着であるとか、着替えがあまりなされていなそうだ、親子とも疲弊しきった顔をしている、怒鳴り散らして困惑している・・・そういう「違和感」を「かすかなSOS」と読み替えることができるか、でケア対象として受けとめるが出来る可能性がぐーんと上がってくるのである。

その上で、本書がこれまでの村上作品から一歩出て、新たな境地になっていると思う箇所について、もう少し述べておきたい。

「どこからか押しつけられた生産性でもなく隔離や排除でもなく、(個人の欲望をゆがめる)競争や管理にも頼らずに、自らのイニシアチブで自分が属するコミュニティを組み立てるほうが、おそらく僕たちは幸せになる。」(p114)

これは言われてみたらその通り、だけれど、「僕」を主語にしなかったら村上さんにも書けなかった記述だとおもう。なぜなら幸せか不幸か、は主観的な世界だからだ。そして、この村上さんの主観にごっつい共感を抱く自分がいる。

「生産性でもなく隔離や排除でもなく、(個人の欲望をゆがめる)競争や管理にも頼らずに」いるためには、その排除や競争、管理の論理そのものと真逆の者目指す必要がある。他者比較や能力主義的な何かと距離を置く必要がある。その時に村上さんは、その可能性がどこにあるかを考えて、「自らのイニシアチブで自分が属するコミュニティを組み立てる」という提案をする。その例として、友人の青木真兵・海青子夫妻がしている私設図書館ルチャ・リブロの話を例に挙げている。僕も何度か訪れ、二人と対話を重ねるなかで、たしかにあの二人が目指しているのも、その有り様だな、としっくりくる。

その上で、ケアをどんな風に変えて行けばよいのか、について出発点として次の二つをあげる。

「1,ケアを家族に、そして家族の誰か一人に閉じ込めない。ましてや主婦やヤングケアラーに押しつけない。家族に担えなくなった人を施設に閉じ込めない。ケアを可能な限り開き、分担する。
2,ケアに浸透してしまった管理と効率の追求を除去する。」(p115)

この二つも、めちゃくちゃ大切なことである。僕が20年以上、精神病院や入所施設を批判する仕事をし続けてきた。そこでの人権侵害や虐待状況の問題性を論じてきた。でも、その問題点を、こんなに端的に示すことは出来ていなかった。さすが、現象学的質的研究の第一人者は、ものごとの本質を射貫き、適切な形で概念や言語として提示するプロフェッショナルだ、と感じる。

1つめのほうは、「<広い意味のケア>は家のなかで主婦に押しつけられ、<強い意味のケア>は病院などの施設に隔離された」というこの家父長制的現実を変える提言である。ケアを中心に据えた社会に移行していくためには、「ケアを可能な限り開き、分担する」ことが大前提として必要になる。

だが、そのケアが抑圧的であれば、それは全体主義化された社会になる。だからこそ、2点目に指摘しているが、「ケアに浸透してしまった管理と効率の追求を除去する」必要がある。パターナリスティックで一方的な管理統制ではなく、この本では「応援」というフレーズを用いている(p131)。「生活を応援する」というのは、あくまでも本人に主体性が残り、その主体性が生きるように支援者も「一緒に○○する」というスタンスである。それは、こうすべきだと指示命令するabout-nessとは真逆の、共に○○するというwith-nessのスタンスである。ケアがこう読み替えられたら、相互エンパワーメント的な関係性が生まれてくる。

まだ一杯引用したいのだが、そろそろ今日の執筆のタイムリミットなので、最後にもう一点、村上さんの実存的な変化について、引用しておきたい。

「僕が一瞬感じた優遇されている側としてのいらだちは、パートナーが世界に対して日々負っているより大きな傷と怒りと鏡合わせになっている。」(p203)

実は村上さんが今回、主語を私ではなく僕にしたのは、この記述に象徴されているのだと思う。彼は、この数年間の間で新たなパートナーと生活を共にするようになり、そのパートナーから様々なことを学び続けている。その学びは、抽象化された情報処理能力の高さで処理できる内容ではない。文字通り、生身の人間とぶつかり合うなかで、身をよじるようにして相手に突きつけられる、実存的な学びである。その学びが、本書の迫力というか、彼の実存の揺さぶりに繋がり、それが村上さんのケア論を新たな地平にもたらす原動力になっている。その部分が、前作『ケアとは何か』(中公新書)との最大の違いであり、読んでいる僕にとっては最も面白い部分であった。

それは一体どういうことか? これ以上書くとネタバレになるし、本書のなかで、村上さんがパートナーから学んだこともしっかり書かれている。またその部分が本書のタイトル『傷つきやすさと傷つけやすさ』の種明かしにもなっている。なので、興味があったら、是非本書を手に取って読んで頂きたい。

精神医療の枠外から捉える「権力・支配・植民地化」

信田さよ子さんの『暴力とアディクション』(青土社)を読む。彼女の文章は大変読みやすいし、内容もめちゃくちゃ面白いのだが、読み通すのに時間がかかる。それは書かれている内容が、あまりに本質的で、かつ私たちの常識をえぐるような内容だからだ。

「家族に対する責任を放棄しながら、家長の権力だけをふりかざしてケアを要求する父親、経済的支柱である父親が倒れないようにケアを備給し支え続ける母親、両親の関心外に置かれ幼少時より親に代わって責任を負う子どもたち。父は仕事に、母は結婚生活にそれぞれ挫折し、子どもは目の前で日常的に繰り広げられる暴力的な両親の関係にさらされ続けることで、自らの存在が親の不幸の源泉ではないかという罪責観を刻印される。アルコール家族のこのような姿は、性別役割分業とプライバシー重視に貫かれた近代家族のひとつの典型のように思われる。誰もがどこかに思い当たる三者の姿ゆえに、それぞれの独立した三つの名前が必要だったのではないだろうか。」(p101)

アルコール依存症の父親と、共依存の母親、そしてアダルト・チルドレンの子ども。それぞれを別々の問題として表現するのではなく、その家族の相互作用の悪循環が極まった結果として三つの「現象」が生じている。しかも、その三つの「現象」を一つずつ因数分解して個別に理解しても、総和としての家族システムの病理にはたどり着かない。その三者がどのような関係性の悪循環に陥っているのか、どのようなパワーバランスの固着や仮の安定をしているのか。そういう力動を読み解かないと、総和としての家族の不幸をそのものとして捉えることができない。

信田さんの本はどれも、これらのダイナミクスをそのものとして捉えようとしている本だからこそ、迫力がある。しかも、それを普段の日常から切り離された「病理家族」として有徴化するのではない。そうではなく、彼女の切り口は常に、「性別役割分業とプライバシー重視に貫かれた近代家族のひとつの典型」として、「誰もがどこかに思い当たる三者の姿」として描こうとする。だからこそ、自分がアルコール依存や共依存、アダルト・チルドレンの当事者「でなくても」、その記述を読んでいたら、思い当たる家族関係の悪循環にたどり着き、グサグサときて、読みやすくて面白い文章なのに、時々に読むのが止まるのである。

「じつは日本では21世紀になるまで、家族の間に『暴力』は存在しなかった。正確に言えば、妻に『手を上げる』夫はいても、妻に暴力をふるう夫は存在しなかったのである。『法は家庭に入らず』という法の理念によって、『暴力』という判断は家庭の入り口で立ち止まらざるを得なかった。そもそも暴力という言葉には、すでに『正義(ジャスティス)は被害者にある』という価値判断が埋め込まれている。その判断の及ばない世界こそが家族だという考えは、今でも一部の人達に共有されている。家族の美風がそれによって壊されてしまうと真顔で主張する中高年男性は多い。法が適用されない=無法地帯が家庭だったのだ。」(p140)

「家庭」が「無法地帯」と言われると、何だかざわざわする。でも、この記述の通り、虐待防止法は21世紀になってようやく効力を発揮しはじめた。それまで日本に虐待や家庭暴力がなかったのではない。そうではなくて、暴力を暴力として認定しなかったのだ。妻に『手を上げる』夫に対して「暴力」だと判定しなかった。それは、信田さんによれば「『正義(ジャスティス)は被害者にある』という価値判断」と通底する。もしこの正義を被害者である妻に当てはめると、夫は「加害者」として認定される。そして、その夫による家父長的な=パターナリスティックな暴力の認定は、国家による暴力の認定と同じように否定したいことだ。それこそが「家族の美風がそれによって壊されてしまうと真顔で主張する中高年男性」の無意識・無自覚な価値前提ではないか。そういう風に彼女は踏み込んでいく。

「なぜ不介入なのか。この点に関して女性学では公的暴力と私的暴力の共謀性、密約を指摘している。国家の暴力を温存し不可視にするために、家族における暴力(家長である男性の)を温存しているという指摘である。筆者は90年代末までは目の前のDV事例とかかわりながらもがいていたが、この視点を得てまるで霧が晴れたような思いに襲われたことを思い出す。そうか、そうだったのか、と。
性暴力に関する法律も、つい最近改正されるまで明治憲法のままの内容だった。そのことにも国家の意思を痛感させられる。性にまつわる暴力や生殖に関する制度の改変において、国家の意思がもっとも露わになるのではないか。DVの問題も、加害者逮捕や公的な加害者プログラム実施には、防止法制定後20年以上経っても、相変わらず日本は及び腰なままなのである。」(p198-199)

信田さんは、独立カウンセラーとして、公的な=健康保険で支払われる精神医療の「枠外」に居続けていた。そこで「食べていく」ために、精神医療や臨床心理学だけでなく、社会学や女性学、哲学の議論もフル活用して、議論を鍛えていく。その中で、DVの被害者や加害者への自由診療のカウンセリングで見聞きする事例が、国家の暴力と相似形である事に思い至る。彼女が出会い続けてきた「夫が妻に手を上げる」というのは「私的暴力」であると認識し直すことで、「公的暴力と私的暴力の共謀性、密約」が、ありありと彼女に繋がってきた。それと共に、国家の暴力性が最も無意識・無自覚に放置されている現象として、家庭内暴力に対しての法制度の未設置や、性に関する暴力の放置を見いだした。

ぼく自身も、夫婦間のDVや子どもへの虐待の議論が90年代から増えてきたとき、社会のアメリカ化であり、アメリカと日本は違う、と思い込んでいた。でも、「ちゃぶ台をひっくり返す父」としてマンガでも映像でも絵が描かれる父親は、明らかに家庭内で暴力行使をしている。それを『法は家庭に入らず』という形で放置=無法地帯としていた、ということは、その暴力の承認や肯定である。それは、国家による暴力の承認や肯定とのパラレルであり、戦後の日本社会で第二次世界大戦を承認・肯定しようとするモーメントと相似形である、と言われると、なるほど、と頷かざるを得ない。これが信田さんの迫力である。

彼女は自由診療という保健医療の枠の外から眺め続け、現行の制度内精神医療の構造的問題をも知悉しているからこそ、自分たちはそれとは対極の有り様を目指す。

「ヒエラルキーや権威構造とは無縁のイコールパートナーとして、礼を尽くして相互リファーに徹すること。そして医療モデルとは異なる援助論に立脚し、診断的態度や用語とは別の言葉で援助する。その先に見えてくるのは、加害・被害、紛争処理・修復的司法といった問題群であり、権力・支配・植民地化といったキーワードである。」(p182)

日本の従来の制度内精神医療は、あくまでも医療モデルが基盤であり、医師が意思決定権をがっちり握り、看護師やソーシャルワーカー、臨床心理士はパラメディカル、コメディカルという名称で、脇役として据え置かれている。でも、彼女はその枠外を主戦場として、医師に頼らず意思決定の主体者であろうとした。その時に、自分の決定権を独り占めせず、「ヒエラルキーや権威構造とは無縁のイコールパートナーとして、礼を尽くして相互リファーに徹すること」を大切にしてきた。だからこそ、彼女の本を読めば、「医療モデルとは異なる援助論」が見事に言語化されている。そして、その医療モデルではない援助論には、「加害・被害、紛争処理・修復的司法といった問題群であり、権力・支配・植民地化といったキーワード」が基盤になる。

そして、僕が信田さんの本に惹かれ続けるのは、この問題群やキーワードである。精神病を個人の問題として医学モデル的に固着させれば、見えてこない問題群やキーワードである。でも、アルコール依存、共依存、アダルト・チルドレンという個別現象の関連性や連関性を、総体としての家族ダイナミクスとして眺めると、家族にそのような力動性を与える社会の歪みを捉えざるを得ない。それには、「権力・支配・植民地化」といったこの社会の抑圧体系との接点を見いださざるを得ないし、その歪みを減らし、弱毒化していくためには、治療ではなく「「加害・被害、紛争処理・修復的司法」という問題群との接点を見いだしていく必要があるのである。

というわけで、彼女の本は一冊読むと、また別の本を読みたくなる、という強烈な効果があって、これからまた何冊も注文して読み進めようと思う。重い議論で、読むのはしんどいけど、この社会の生きづらさ、生き心地の悪さの根底を理解するためには、信田さんの論考は決して外すことは出来ないことだけは、確信を持っている。

「制約としての男らしさ」と対峙する

以前、四半世紀かけて読めた本としてハーマンの『心的外傷と回復』をブログで取り上げた。今回そのハーマンが前著から30年後に書き上げたのが、今日のブログで取り上げる『真実と修復:暴力被害者にとっての謝罪・補償・再発防止策』(みすず書房)である。

ハーマンは、本質的な事を語る。であるがゆえに、読むと心がえぐられる。それは、僕たちが直視したくないけど、厳然として存在している、この社会の裏ルールのようなものをしっかりあぶり出す事が、「真実と修復」につながるからだ。

「どんな暴君も(彼の妄言に反して)全知全能であることはない。専制支配が続くのは積極的加担あるいは受動的黙許をする大勢があるためである。逆に言えば、それまで傍観者であったものが一歩踏み出して傷つけられたものの側に立つとき、専制は崩れはじめる。暴君につけられた傷を癒やすことは、その周囲にいる人々、つまり当事者だけでないより大きなコミュニティが倫理的責任を自覚して連帯することから始まる。真実を探し出して知ろうとする勇気を手放してはならない。」(p36)

いじめやハラスメント、暴力といった「専制支配が続くのは積極的加担あるいは受動的黙許をする大勢があるためである」。つまり、専制支配に加担しているのは、「受動的黙許」であれ傍観者がそれに異議申し立てをしないからである。ゆえに、「それまで傍観者であったものが一歩踏み出して傷つけられたものの側に立つとき、専制は崩れはじめる」。それには「真実を探し出して知ろうとする勇気」が必要になる。この勇気とは、まさかそんなことがあるはずがない、という常識や思い込みを横に置くことも含まれる。

「私見であるが、女性がお飾りでなくなるほど労働進出するようになると性暴力や搾取が語られるようになり、おもむろに『大掃除(housecleaning)』が始まるらしい。悪人の名を明らかにして、公衆の前に引き出し、権力の座から降ろす運動である。これは手が汚れる仕事だ、しかし誰かがやらなくてはならない。
精神医学界にもその一時代があった。八〇年代初頭、精神科医の女性比率が一五%をこえたころである。アメリカ精神医学会の女性委員会がそのタイミングで声を上げたのは偶然ではなかったはずだ。女性患者を著名医師達が性搾取しているのは周知の事実だった。」(p210)

これを読んで、思い出したことがある。四半世紀以上前、精神障害の当事者グループで出会ったHさんのことである。彼女はたびたび精神病院で性搾取を受けたことを、当時大学院生だった僕にも話してくれた。でも、まさか公立病院でそんなことがおこるはずがないと思い込んでいた。それに彼女はしょっちゅうその話をみんなに話しているし、彼女の話があちこちに飛び、脈絡もつかめず、突拍子もないことを言っているように聞こえてしまった。「恨み骨髄、あの世まで、やで!」としばしば仰っていたのだが、彼女の心的世界と現実世界はもしかしたら違うのかもしれない、と思い込んでいた。それはまさに「受動的黙許」の姿勢であり、精神症状故の「関係妄想」ではないかと勝手に価値判断をしていたのだ。これは、本当に赦されないことである。

これは加害者のDARVOと一致している。それは「否認、非難、責任転嫁(Deny, Attack, Reverse Victim and Offeender」の頭文字である(p65)。性被害者に対して「そっちもその気があったのではないか?」「そんな服装で歩くのが悪い」「あちらが誤解している」などという言い訳がパターン化されて繰り返される。僕の例で言うならば、まさか精神病院で性虐待が起こるはずはない、という否認の感情があったと思う。

そしてこのようなDARVOに繋がるのは、この社会に拡がる「ポルノ動画のイデオロギー」とは無縁ではない。

「『イエスはイエス、ノーはノーだ! 私がどんな服装をしているかに関係なく! 私がどこを歩いているかに関係なく!』と。ヒルシュ教授によれば『実践的』性教育(実際のデート場面に近いかたちでノーと声に出す練習をする)を受けた女性は、大学に入ってからのレイプ被害に遭う確率が半分以下になる。
『性の市民権』概念が男性に求めるものは、性関係が相互的であり同意にもとづいて結ばれるものだと学習することである。これはポルノ動画のイデオロギーを脱学習することでもある。女性たちが心の奥底では『モノ扱いされる』ことを望んでいる、というのがポルノ動画の基層にあるファンタジーである。ポルノ動画は『嫌がる女ほど悦んでいる』という思想を植えつけるものだ。」

「性関係が相互的であり同意にもとづいて結ばれるものだ」というのは、至極真っ当で何の疑いの余地もない内容である。でも、『イエスはイエス、ノーはノーだ! 私がどんな服装をしているかに関係なく! 私がどこを歩いているかに関係なく!』と女性が訴えなければならない背景には、「誘うような服装をしている」とか「夜中に一人で歩くのだから襲われても仕方ない」という「受動的黙許」が社会に蔓延しているからである。「イエスはイエス、ノーはノーだ!」であり、アカンもんはアカン、のである。

その上で、『性の市民権』を「学習」するために、「ポルノ動画のイデオロギーを脱学習」する必要がある、というのも、心から同意する。「ポルノ動画は『嫌がる女ほど悦んでいる』という思想を植えつけるものだ」というポルノ的ファンタジーの構造があり、それを男性は学習し続けてきたからである。そして、残念ながら僕自身も思春期に、「ポルノ動画のイデオロギー」に染まっていた。だが、その「脱学習」をしてくれたのは、他ならぬ今のパートナーである。

「現実世界では従属させられることに快楽をおぼえる女性はまれであるが、しかしそうであるみたいに振る舞わなければならないことが多いので、そのうち擬装するようになっていく。女性が育つのは、男性こそがセックスの主権者であると信じられている社会のなか、男の望むものを差し出すことが女の義務となっている社会のなかである。快楽を装うことはたいていうまくいくもので、これは若い男性の多くがパートナーの欲求を気にかけていないからである。本当に心から気にしていない場合もあるし、男を喜ばせる行為は女をも喜ばせるものだと信仰されている場合もある。」(p183)

僕のパートナーは、ありがたいことに擬装を全くしてくれなかった。「イエスはイエス、ノーはノーだ!」と僕にいつも伝えてくれていた。「男性こそがセックスの主権者であると信じられている社会のなか、男の望むものを差し出すことが女の義務となっている社会のなか」にあっても、嫌なものは嫌だ、とハッキリ口にしていた。付き合いだした当初、「僕の欲求を気にかけてくれていない」と逆上する時もあったが、よく考えたら、それは僕自身が「パートナーの欲求を気にかけていない」ということそのものである。そして、彼女と暮らす中で、支配従属ではない関係性を僕は学んでいくことになった。それが結果的には「ポルノ動画のイデオロギーの脱学習」であり、「性関係が相互的であり同意にもとづいて結ばれるものだ」という「性の市民権」の学習である。そして、こういうことを若いうちから学ぶためには、包括的性教育が本当に重要だと今なら痛感する。

そして、この本の中では「有害な男性らしさ(toxic masculinity)」より、より中立的な「制約としての男らしさ(restrictive mascurinity)」という呼び名が紹介されている(p186)。そしてこの「制約としての男らしさ」はすごく良い名称だな、と思う。

例えば、パートナーとの関係性をどう深めていけばよいか。それに関して、「ポルノ動画のイデオロギー」しか学習素材がないというのは、ずいぶん了見が狭いし、他者とほんまもんの関係性を深める上では有害であり大きな制約である。他者の気持ちや意見をどういうふうに尊重すればよいのか。そして私の気持ちや意見をどう伝えればよいのか。それを「相互的であり同意にもとづいて結ばれる」なかで、少しずつ深めて行く。それが関係性の豊穣さであり、お互いが「モノ扱いされる」ことのない、対等で対話的な関係性の構築である。それはスムーズに進まず、紆余曲折があるだろう。でも、そういうことも織り込み済みで、「イエスはイエス、ノーはノーだ!」とお互いにぶつけ合い、折り合いを付けていく。それがめっちゃ大切なのだと思う。

「暴力の根本にあるのは専制による支配である。これを防ぐには、相互性を学び、実践することだ。相互性とは民主主義における信頼と正義の土台石である。相互性のもとに生きることは皆にとっての利益であり、そのなかで生きることを私たちは幸せと感じrうだろう。」(p217)

他者をモノ扱いするのが、暴力や専制による支配の根源にある。だからこそ、その真逆である「相互性を学び、実践すること」が大切なのだ。それは、前回のブログでも引用した、「対等な存在としての人びとからなる社会」を基板づける「関係の平等主義」を模索する必要がある理由でもある。性虐待や性被害は、局所的で例外的な「他人事」ではない。「制約としての男らしさ(restrictive mascurinity)」が跋扈する社会では、残念ながら普遍的な出来事なのだ。だからこそ、それに抗して、関係の平等主義をどう模索できるか。これもすべての人にとって自分事の課題なのだろうと思う。

そして最後に、この本の訳者の阿部大樹さんが、「否認、非難、責任転嫁(Deny, Attack, Reverse Victim and Offeender」に関して、2011年の東日本大震災の後の原発からの「自主避難者」にも当てはまるのではないか、と指摘していたのも、重要である。あたかも原発事故がなかったかのように「否認」したり、再開発を進めようとする。あるいは被曝への不安ついて「科学的ではない」と「非難」する。ましてや、自主避難する人に「賠償金目当てだ」とあたかも本人のせいであるかのように「責任転嫁」する。これらは、日本政府や東京電力という加害者責任を放置し、暴力を被害者に押し付けるという意味で、まさに性被害者と同様の構造である。さらにいえば、そこに支配—服従の構造も含まれている。こういうDARVOに対して、「積極的加担あるいは受動的黙許」をしてはならない。「それまで傍観者であったものが一歩踏み出して傷つけられたものの側に立つとき、専制は崩れはじめる」のだから、「イエスはイエス、ノーはノーだ!」と言い続けなければならない。これも大切な視点なので、メモしておく。

福祉哲学にも導く入門書

僕はしばしば書くものが小難しくて、哲学的だ、と言われる。福祉やケアを研究対象にしているが、支援現場職員への研修では、僕は技法論や法解釈の話はほとんどしない。昔はしていたが、最近は政策の話もほとんどしなくなった。そんな僕が最近もっぱら研修テーマにするのは、支援現場の価値観を問い直す「モヤモヤ対話的研修」である。それはなぜか? 実は、福祉現場でどのような支援をすべきか、というのは、価値対立の問題でもあると僕は考えているからだ。

たとえば支援者の常識的な指示に従わない対象者は「どうしようもない人」なのか「学習性無力感」に陥っているのか? 前者であれば、「甘やかすな」と一括されておしまいになる。でも、虐待やいじめを受け続けてきて人生に絶望し、自暴自棄になっている後者なら、どうエンパワメントできるか、という支援課題が見えてくる。そして、しばしば同じ人が両方の側面を持っていたりもする。

そんなときに、法律や制度的知識だけでは、太刀打ちできない。対象者とどのような関係を結ぶか、という際に、支援者は相手や自分をどのように捉えているのか、という価値前提が常に問われているし、それは倫理や哲学の問題だと思っている。だからこそ、福祉哲学が必要なのだが、なかなかそれにピタリとくる一冊がなかった。だが、今回取り上げる新書はまさに、切れ味鋭い福祉哲学の入門書でもある。

「自尊とは、①自分にとって重要な生きがいがあり、②それを実際に追求することを実感できる、そのような場合に可能となる、重要な道徳感情である。」
「現実に目を向けると、残念ながら、自尊(セルフ・リスペクト)の社会的基盤はまだ充分なものではない。人種やジェンダーによる差別は依然として残っている。また、そこまで明白な不平等出ないとしても、近年では「セルフ・ネグレクト」と呼ばれる現象が注目を集めている。払ってしかるべき自身へのケアを怠ってしまうという問題である。生活が疎かになり、体調に異変を覚えても病院に行かない、身の回りの整理ができず、といったことが起こる。度合いがひどくなれば、絶望死にゆきつくこともあるだろう。
これはたんに当人の性格の問題ではなく、きちんとした生活をしていた人が、わずかなアクシデントをきっかけに陥ることも少なくない。私も生活が苦しかったころ、乱雑な部屋を片付けもせず、帰宅するとすぐ横になって自堕落に過ごす、という不健康な暮らしになりがちだった。」(田中真人『平等とは何か運、格差、能力主義を問いなおす』中公新書、p33-34)

田中さんは政治哲学が専門で、ロールズという政治哲学者の研究をしている。そして、この本では平等な社会を自尊をキーワードに述べようとしている。その際、自尊(セルフ・リスペクト)の対置として「セルフ・ネグレクト」が書かれていて、おお!とうなった。僕は虐待や権利擁護も専門にしていて、よく聞く言葉なのだが、自分が研修をしていても、セルフ・ネグレクトの反対は「自尊(セルフ・リスペクト)」である、とは言えていなかった。でも言われて見たらその通りで、自分自身の無視・放置であるセルフ・ネグレクトは、「①自分にとって重要な生きがいがあり、②それを実際に追求することを実感できる」という自尊感情が奪われている、失われていく中で、忍び寄ってくる感情である。

しかもこの本が良いのは、政治哲学を論ずる田中さんご自身の「自尊」が脅かされた経験も語ってくれている点である。雲の上の政治哲学、でなく、「きちんとした生活をしていた人が、わずかなアクシデントをきっかけに陥る」「自堕落」について、自身の経験を元に記述してくれていて、セルフ・ネグレクトは決して「他人事」ではない、と書いてくれている点である。こういう記述を見ると、信頼が出来る。ぼく自身は『権利擁護が支援を変える『困難事例を解きほぐす』といった本を書いているくらいなので、セルフ・ネグレクトは「自分事」問題なのだが、政治哲学を論じる人が、こういうアクチュアルな関心を寄せてくれていると、嬉しくなる。

そして、この本は支配なき関係の平等が大切と主張しているのだが、支配は何故だめか、という整理もすごくよい。

「支配は必ずしも苛烈なかたちをとるとは限らない。支配者が独裁者となるケースもあるが、支配者は慈悲深い主人でもありうる。配下に一見やさしく接し、財やサービスをふんだんに提供してくれるかもしれない。だがそれは、配下が主人に反抗しない限りにおいてである。支配者は配下の自律や独立を嫌う。エンパワメントするのではなくクライアントにするのである。
支配関係—非対称的な関係の固定化—がある社会は平等なものとはいえない。」(p18)

四半世紀前の大学院生のころ、所属講座の教員からアカデミック・ハラスメント(アカハラ)を受けていた。僕にアカハラをした教員は、確かに支配者だった。その人は、「一見やさしく接し、財やサービスをふんだんに提供してくれる」「慈悲深い」人と僕は最初思っていた。だが、その人の思うことと違うことをした時、相手は「配下が主人に反抗」したと感じて、強烈なバッシングをした。「あなたみたいな弱い人は、大学院を辞めてしまいなさい!」とはっきり明言された。以後大学に行くのが怖くなり、実際その人の車が大学にあるのを見ると、僕はサッと帰宅することもなんどもあった。

それは、大学院生をエンパワメントするのとは真逆で、自分に従わせるクライアントにするのであって、非対称的な関係の固定化、だったのだ。本当にあの支配は、辛かった。その当時は、、「①自分にとって重要な生きがいがあり、②それを実際に追求することを実感できる」という自尊感情が根こぎにされる状況だった。

では、自尊の社会へと転換するにはどうしたらよいのか。田中さんは二つの条件が満たされる必要がある、という。

「まず消極的には、差別や多大な格差が是正されなければならない。そのうえで積極的には、多様な価値観や生き方が社会に認められていることが重要になる。」(p196)

その上で、この本は差別と格差と差異という三つの不平等を、次の様に書き分けている。

「①差別=否定される不平等—原則としてあってはならないもので、もし存在するとしたら、優先して対策が講じられなければならない。
②格差=容認される不平等—少なくなることが望ましいものだが、実際上ゼロにすることはできないために、一定の範囲内に収まるならば認められる
③差異=承認される不平等—一人ひとりのユニークな違いに由来するもので、これを消去しようとすると、むしろさまざまな問題が生じる。」(p64)

この整理は非常に明確であり、福祉哲学の基盤にもなる三つの不平等の整理である。障害者差別、在日外国人差別などのようなものは、あってはならないものである。また所得格差は、現実に存在しているが、アメリカの大企業のCEOなどはあまりに給料を取り過ぎであり、その格差は「一定の範囲内に収まる」べきものである。他方、差異は、あなたと私は違うのであり、その他者の他者性や己の唯一無二性を消し去ることは問題だ、という事になる。

これを書き写しながら、ノーマライゼーションの同化的側面と差異化的側面についての論争を思い出していた。ノーマライゼーションの原理とは、障害のある人も障害のない人と同じ環境を提供すべきである、という理念であり、後に障害者権利条約の基盤となる「他の者との平等を基礎として(on an equal basis with others)」もこの原理から来ている。(詳しくは以下のブログ拙著を参考にして欲しい)。

で、このノーマライゼーションはnorm(規範)という言葉から派生しているのであり、健常者の規範を押しつける、という誤解が広まっていった。そのことに対して、障害当事者の側から、障害という「差異」を消し去るような取り組みはよくない!という異議申し立てがなされていた(例えば横須賀さんの論文など)。これは、さっきの三つの用語を使うなら、障害者への「差別」はアカンし、障害者ゆえに健常者との経済的「格差」があるなら、それは年金や所得保障、就労支援などを通じて最小化する必要がある。でも、障害者は健常者に同化する必要ななく、障害という「差異」はそのものとして認められ、承認されるべきである、という整理になる。

田中さんもこんな風に書いている。

「平等は、あらゆる違いをなくすことではない。差異の消去や個性の画一化は、いわば等しく不自由になることだ。それは支配の不在の対極に位置する。そしてもちろん平等は、苛烈な差別や著しい格差の放置を認めない。関係の平等主義がめざす『対等な存在としての人びとからなる社会』とは、分離すれども平等(separate but equal)ではなく、差異ゆえに平等(different and equal)というヴィジョンをかかげるものなのである。」(p72)

田中さんの本書には「痺れるフレーズ」が何カ所も出てくるが、「分離すれども平等(separate but equal)ではなく、差異ゆえに平等(different and equal)というヴィジョン」ってめっちゃ格好いい。障害者は隔離や拘束など、分離されてきた歴史がある。そして、入所施設や精神病院、特別支援学校という特別な場所を作り、「分離すれども平等(separate but equal)」と言い張ってきた。でも、これは差別であり、是正すべき事情である。具体的には、普通学級の中で、地域生活のなかで、「差異ゆえに平等(different and equal)」が満たされることの方が、遙かに価値があるのだ。そして、福祉的実践とは、まさに「分離すれども平等(separate but equal)ではなく、差異ゆえに平等(different and equal)というヴィジョン」を掲げ続け、その方法論を模索することに、醍醐味があるのである。

また、僕も2月に『能力主義をケアでほぐす』(晶文社)という本を書いたが、この本にもめっちゃ通底する箇所がある。

「しばしば功績の概念は、各種の不平等、とりわけ経済上の多大な格差を正当化するために用いられる。だがみてきたように、純粋な功績の概念はほとんど効力をもっていないし、かりに市場メカニズムによって評価に多大な違いが生まれるとしても、市場はあくまでも制度の一部であって全体ではない。一部の価値を全体の評価に短絡させるのは、典型的な論理の詐術である。」(p97-98)

新自由主義化された社会に暮らす私たちは、あまりにも『要は経済なんだよ、バカ!』という侮蔑的なフレーズを「そういうものだ」と内面化してきてはいないか。確かに市場原理は重要であるが、田中さんの言うように、「市場はあくまでも制度の一部であって全体ではない」のである。でも、金を稼げないこと=価値がない、かのようにYouTuberなりインフルエンサーが大手を振っている現象って、「一部の価値を全体の評価に短絡させるのは、典型的な論理の詐術」そのものだよなぁと思いながら読んでいた。

これについては、もう一つ引用して起きたいフレーズもある。

「ある思想家がホンモノかニセモノかの基準のひとつは、『まやかしの言論』への感度にある。この問題に意識的でない者は、イデオローグやインフルエンサーではあるかもしれないが、けっして政治哲学をきちんと学んだ者ではない。『よい差別もある』『貧乏になる自由もある』といった粗雑な言葉づかいをまともに受け取るべきではない。」(p7)

ここまではっきり言明してくれると、実に痛快である。そう、学者と名乗る人の中にも、そしてイデオローグやインフルエンサーにも、「『よい差別もある』『貧乏になる自由もある』といった粗雑な言葉づかい」をしている人がいる。その方がPVが稼げて、再生回数も上がって、広告収入が増えるのかもしれない。でもそれは『まやかしの言論』である。そして、忙しい人生において、そんなニセモノの『まやかしの言論』に惑わされている暇はない。本書を読んで、それも改めて思った。

その上で、評価上の平等を目指す上で、重要なことも指摘しておられる。

「アーレントのいう富(資本)のプロセスに回収されない事柄や時間を大切にすることである。金銭が(さほど)介入しないギブアンドテイクの関係性を築くこと、具体的で直接的な人間関係を重視すること、他律的でない趣味に打ち込むこと。それぞれじぶんの時間を生き、忘れがたい一瞬の光景を記憶に刻み込むこと。時間どろぼうに対してノーと言える、自分なりのスタイルをつくりあげることが重要なのだ。そうした人びとが多くなるに連れ、コミュニティや開かれたドアの数もまた増えてゆくだろう。」(p212)

これは、手触り感のあるコミュニティをどう作っていくか、という問いでもある。例えばぼくの場合、ワインを買うのはこの店で、服についてはこのショップの○○さんにおたずねし、Macは△△さんに質問し、キャンプなどは□□さんが詳しいし・・・というかたちで、「金銭が(さほど)介入しないギブアンドテイクの関係性」を結構築いてきた。もちろん相手から頼まれたら、自分が出来る範囲で何とかしようとする。また、合気道や山登りを通じて、「じぶんの時間を生き、忘れがたい一瞬の光景を記憶に刻み込むこと」ができた。でも、僕にとっては子育ても、まさに娘や妻との大切な時間を生きるきっかけになっている。子育てをしたからファンタジーと改めて向き合い、「「時間節約家」からの戦線離脱」も、少しずつはじめている。

そして、こういう営みを少しずつ積み重ねる中で、「①自分にとって重要な生きがいがあり、②それを実際に追求することを実感できる」という自尊感情が改めて育まれつつあると本書を読んでいて、改めて感じた。

そういう意味で、この本は平等や運、格差、能力主義を問い直す上で格好の一冊だし、福祉や支援を支える基盤的な思想・哲学を提供してくれている「福祉哲学のバックボーン」になりそうな一冊でもある。

メッシュワークと批判的知性

忙しくなってくると、自分が読みたい本は読めても、自分が慣れ親しんでいない世界の本はなかなか読みにくい。そういう時は読書会に限るよなぁ、と書き出しを書いてみて、以前も同じ表記があると気づいた(こちら)。で、その時と同じように、岡部さんに紹介されて読書会の本に選ばれなかったら、ティム・インゴルドの500ページを超える人類学の大著は、絶対読み通せなかったと思う。でも、面白かった。

インゴルドの人類学本はブームのようになっている、という知識は知っていた。一冊手に取ってみたが、以前は途中で投げ出した記憶もある。だが今回は読書会までに「読まねばならない!」ので、最後まで必死に読み終えた。難解で投げ出したくなるような部分もあったのだが、時折シュッと目が見開かれるような景色に出会えるのが、彼の本の特徴かもしれない。たとえばこんなところとか。

「生物学の哲学者ジョルジュ・カンギレムが1952年に出版した『生命の認識』のなかで書いたように、『生きるということは、放射状にのびることであり、基準となる標点から出発し、その周囲で環境を有機的に構成することである』。有機体はそのとき、次のようなものとして描かれる:

これこそが有機体であり、世界と関わり合う多数の経路に沿って拡張する存在である人間にも同じく当てはまるであろうことは言うまでもない。有機体と人間はそのとき、ネットワークにおける節(ノード)というよりもむしろ、結び目からなる編み物の結ぶ目(ノット)である。そしてある結び目をなす撚り糸が、他の結び目では別の撚り糸と結びつきながら、メッシュワークを構成する。」(ティム・インゴルド『生きていること動く、知る、記述する』左右社、p174)

インゴルドは「生きていること」は、上記の図のような「結び目からなる編み物の結ぶ目(ノット)」であり、それが積み重なったメッシュワーク=網細工だという。こう書いていて、僕が10代の頃から好きなキャロル・キングの名曲Tapestlyを思い出していた。

My life has been a tapestry of rich and royal hue
An everlasting vision of the ever changing view
A wondrous woven magic in bits of blue and gold
A tapestry to feel and see, impossible to hold

ググってみたら、こんな風に素敵に訳しておられる方もおられた。

“私のこれまでの人生は豊かで気高い色合いのタペストリー
それは永遠の夢の様な千変万化の光景
細かい青や金の素敵な織物の魔法
感じ取るものであり、触れはしないものだった”

僕は10代からずっとこの曲を折に触れ聞き、人生とは「つづれ織り」のようなものだと思っていた。見ることも感じることも出来るが、掴むことが出来ないつづれ織り。それは同じく10代から聞いていた中島みゆきの「糸」の歌詞ともつながる。

“縦の糸はあなた
横の糸は私
織りなす布は
いつか誰かを
暖めうるかもしれない”

中島みゆきは、あなたと私の出会いで織りなす布が生まれ、いつか誰かを温めるかもしれないと歌う。一方、キャロル・キングは、一人の人生の中にも様々な出会いや別れのなかでタペストリーが編まれていくと語りかける。どちらも、カンギレムの「生きるということは、放射状にのびることであり、基準となる標点から出発し、その周囲で環境を有機的に構成することである」というフレーズをつながっていく。人と人が出会い、タペストリーを織りなし、それが豊かになって放射状に伸びていく。インゴルドはそれを「結び目をなす撚り糸が、他の結び目では別の撚り糸と結びつきながら、メッシュワークを構成する」と述べている。

そして、読書会で全然知らなかった領域の本を読むことも、まさにメッシュワークだよなぁ、と感じる。これまで自分にはなかった視点からインゴルドが差し出してくる撚り糸が、ぼく自身の実存とある結び目で結びつくことで、キャロル・キングや中島みゆきという別の世界での結び目と結びついて、メッシュワークを構成していくのである。なるほど、確かに。

そしてメッシュワークは絵画の固定的・静的な枠組みを揺らしていく。

「陸と気象のあいだの関係は、大地と天空のあいだの不透過な境界面を横断するものではなく、むしろ世界を結ぶことと解くことのあいだの関係なのである。この結ぶことと解くことに比類なく鮮烈な生命を与えてられているのが、フィンセント・ヴァン・ゴッホの絵画である。美術史家のフィリップ・ローソンはこう述べている。『群れをなす線の差し迫った運動が私たちに示してみせるのは、・・・気象は気象している(weathering)、畑は畑している(fielding)・・・ということである』」(p290)

この本に引用されている鉛筆素描をネットで見つけたので、興味がある人は見て欲しいのだが、麦畑も糸杉も風も、みんな「いま・ここ」で動いている。その動きを動きのままゴッホは捉えようとしているので、「気象は気象している(weathering)、畑は畑している(fielding)」のである。そこには、「世界を結ぶことと解くことのあいだの関係」が現されている。気象している動きの中で、麦畑も糸杉も揺れ、その揺れのなかでも、麦畑は畑していて、糸杉と気象と結びついている。そういうメッシュワークがこの絵画の素描では描かれている。

しかも、インゴルドが取り上げたゴッホの作品は、完成後の有名な絵画『糸杉のある麦畑』ではなく、その作品の元になった鉛筆素描である点が重要だ。そのことに、読み終えてブログを書く段階で気づいた。それは本書最後の方で、こんな記述がなされているからである。

「ギアツの用語を使用するならば、エスノグラファーの記述について言われる『厚さ』は、ブライソンが説明するような絵の動いている状態を覆い消してしまう油絵の具の密度と不透明性を思い起こさせる。この絵をつくるために行われたすべての修正、変更、そして描き損じが、目に見える表面の下に隠されることで、絵画は完結した全体として、再現された現象の全体性の構図を保つ。そして、完全なエスノグラフィーもまた、その記録の痕跡を隠し、生活世界の写実的な絵を、すでにできあがったものであるかのように表面上に提示する。」(p511)

これは実はよくわかる話である。僕も質的研究を続けてきたので、社会学であれ人類学であれ、調査者が現地に入り込んで見聞きしてきたことを描き出すエスノグラフィーを読む機会がある。もちろん優れた記述が多いのだが、たまに美しすぎる・立派すぎる記述を読んでいると、ほんまかいな!?と思うことがある。それは、インゴルドによれば、油絵の具を塗ってしまうことにより、「この絵をつくるために行われたすべての修正、変更、そして描き損じが、目に見える表面の下に隠される」のである。そういうエスノグラフィーは、「記録の痕跡を隠し、生活世界の写実的な絵を、すでにできあがったものであるかのように表面上に提示する」と告発しているのである。そして、インゴルドは油絵の具で塗り固める以前の線描に人類学が戻ることを呼びかけている。

「線描は非構成性という原則を前提としており、閉ざされた社会世界ではなく、開かれた社会のなかで、生はどのように生きられているのかをよりよく理解することを可能にする反全体化の力を秘めている。これらの生は、枠に嵌められているからではなく、絡み合っているからこそ、社会的なのである。すべての生は基本的に多重構造であり、同時に走る多くの線が絡み合っており、この意味において社会的なものなのだ。」(p509)

その直前にインゴルドは「線描の本質は、静的な存在よりも、動的な発展にある」(p498)とも述べている。油絵やエスノグラフィーは完成された作品であり、それは「静的な存在」である。ある意味作品は「閉ざされた社会世界」となってしまう。一方で、線で描くことは、「修正、変更、そして描き損じ」がある、「動的な発展」状態であり、「開かれた社会」である。そして、この完成形とは真逆の「動的な発展」は、「枠に嵌められているからではなく、絡み合っているからこそ、社会的」だと彼は語る。そして、この絡み合いこそが人類学の醍醐味である、と。

「人類学を真に他の学問から区別するのは、前章の結論を繰り返すならば、それが何かに関する研究ではなく、何かとともに行う研究だということである。人類学者は、人びととともに仕事をし、研究する。彼らは共同で作業する環境に身を置くことで、人類学者は教師や仲間たちが事物を見、聞き、触れる仕方を学ぶ。」(p544)

「何かに関する研究ではなく、何かとともに行う研究」というのは、研究対象と自分を分けるabout-ness的志向ではなく、研究対象と自分が一緒に考え合う、という意味でwith-ness的志向である。対象者世界を出来上がった絵画やエスノグラフィーのような「完成形」として塗り込め・枠に嵌めるのではない。そうではなくて、対象者と一緒に考え合い、素描を修正し、変更し、描き損じも含めて共有していくなかで、「動的な発展」を遂げ、「絡み合い」を豊かにしていくメッシュワークが人類学だという。

「人類学が試みているのは、本質的に比較対照であるが、対照されるものは、区分された物体や実体ではなく、さまざまな存在の仕方なのである。それは、異なる存在の方法に対する気づき、あるいは、ある存在の仕方から別の仕方への移行可能性が常に存在する事に対する絶え間ない気づきであり、この気づきこそ人類学的態度を定義するものである。それは、私が『横目で見る』と呼ぶもののうちにある。私たちはどこにいても、何をしていても、常に物事が異なった仕方で行われるかもしれないことを認識している。」(p547)

「ある存在の仕方から別の仕方への移行可能性が常に存在する事に対する絶え間ない気づき」を「人類学的態度」というのなら、それは僕がずっと持ち続けていることである。僕は福祉や医療をフィールドにしながら、常に「これでいいのだろうか? 別の可能性はないだろうか?」と「別の仕方への移行可能性」を問い続けている。

これを書いていて、以前ブログで取り上げた人類学者グレーバーのあのフレーズを思い出していた。

「人間はなにかをつくる前に、それがどのようなものになってほしいのかを心の中で思い描く。だから私たちは別の可能性も想像できる。その意味で、人間の知性は本質的に批判的なものである。」(デヴィッド・グレーバーの『価値論』以文社、p102)

「さまざまな存在の仕方」を想起する、ということは、「別の可能性も想像」することである。そして、グレーバーはそのことを批判的な知性という。そう人類学的態度とは比較対照の中から、「別の仕方への移行可能性」を想像し続ける、物事を「横目で見る」やりかたなのだ。それなら、僕は精神病院をフィールドでずっとしてきたことである。

人類学が比較対照をするのは、「さまざまな存在の仕方」だという。例えば服を着ている、遠い場所なら車や鉄道、飛行機で移動する、月曜日から金曜日まで働き土日は休む、というのが、西洋近代社会の合理性になっている。でも、別の文化・価値体系を持っている人々であれば、裸に近い姿で過ごすのが当たり前だったり、歩ける範囲でしか移動しなかったり、ダラダラするのが基本で食料がないときだけ働くという人々もいる。そういう人は「未開人」などとラベルが貼られている。それを物見遊山で眺める、のは人類学的仕事ではないとインゴルドはいう。そうではなく、彼女ら彼らの合理性を、一緒に何かをしながら学ぶことで、西洋近代的な因果論的合理性を比較対照し、「異なる存在の方法に対する気づき、あるいは、ある存在の仕方から別の仕方への移行可能性が常に存在する事に対する絶え間ない気づき」をもたらすのだ。

精神病になったら、重度の場合は精神病院に一生入院するしかない。

これは、近代合理性の因果律の古いバージョンである。そして、日本の精神医療は未だにこの呪縛に縛られており、それ故に、滝山病院や神出病院、最近ではみちのく記念病院などで、虐待は起こり続けている。これは精神病院が必要悪である、という価値前提に縛られているからである。でも、そこで「別の仕方への移行可能性」を考えることは、精神病院をなくしても機能する社会を想起する、という意味で、批判的思考である。フィンランドやイタリアに調査に出かけたのは、精神病院システムに依存する割合をできる限り最小化する、「別の仕方への移行可能性」を問い続けているからである。

そうか、僕は「ありもの仕事」=ブリコラージュ的な仕事をしてきたけど、それは「人類学的態度」に近いのかも知れない。

そして、インゴルドは「人類学はエスノグラフィーではない」という挑戦的なフレーズを最終章に用いている。

「人類学者は、自分自身に対して、他者に対して、また世界に対して、考えたり話したりするように、書くのである。言葉による呼応のやり取りは、人類学的対話の中心にある。それは、私たちが自分自身を『フィールドのなか』にいると考えるか、あるいは外にいると考えるかにかかわらず、どこでも実行することができる。人類学者は、私が主張してきたように、世界のなかで、そして世界とともに考え、話し、書くのである。人類学を行うためには、世界をフィールドとして考える必要はない。『フィールド』とはむしろ、エスノグラファーが、文章で記述するためにみずから目を逸らした世界について、回顧的に想像するために用いるためにもちいる特殊な用語なのである。エスノグラファーが書くことは、非記述的な呼応(non-descriptive correspondence)の一つというよりも、非呼応的な記述(non-correspondent description)のひとつ、つまり(絵画やドローイングとは異なり)観察から離れた記述である。したがって、もし誰かが肘掛け椅子に引きこもるとすれば、それは人類学者ではなく、エスノグラファーなのだ。探求から記述へと移行するとき、彼は必然的に行為のフィールドから身を引かなければならない。」(p552)

先ほどのゴッホの絵画でいえば、出来上がった「糸杉のある麦畑」は、完成形として閉ざされて、そこに対話の余地がないという意味において、「非呼応的な記述(non-correspondent description)」である。そして、エスノグラフィーという作品も、同じように呼応(correspondence)を閉じていないか、をインゴルドは鋭く問う。人類学者は、あくまでも呼応に開かれていると。ゴッホの鉛筆素描は、まだ書き足す余地がある、という意味で、「非記述的な呼応(non-descriptive correspondence)」なのである。対象世界「について」書くのがエスノグラフィーだとするならば、人類学的記述とは、対象世界「とともに」書く。それが「世界のなかで、そして世界とともに考え、話し、書くのである」ということの意味である。

たとえば、42歳で子どもが産まれ、家事育児という「ままならぬものに巻き込まれる」と、外に出かけて比較対照する仕事が出来なくなってしまった。その渦中で、ケアの本を読み漁り、目の前の子どもや妻と対話をし続けてきた。そのプロセスをウンウンと唸りながら書き上げたのが、『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』(現代書館)というエッセイだが、よく考えたらあの本は、「世界のなかで、そして世界とともに考え、話し、書く」行為だったと思う。それは、「非記述的な呼応(non-descriptive correspondence)」を部分的にでも言葉にした、という風にも言えるかも知れない。

そうであるならば、僕は人類学を勉強して来なかったのだけれど、案外インゴルドの主張する世界と近いところにいるかもしれない。そんな読後感だった。