誰の何が“水増し”されているのか?

天畠大輔さんと言えば、以前『<弱さ>を<強み>に』(岩波新書)をブログで取り上げた。今回、彼の博論本(『しゃべれない生き方とは何か』生活書院)が書籍化され、それをご恵贈頂く。この新書の背景がわかる、重厚な博論である。

この博論本は、意思決定支援とか権利擁護に携わる人には、是非とも読んで欲しい一冊である。なぜなら、意思の表明や形成を支援するとはなにか、という根本的な問いについて、考察されているからである。

新書紹介のブログで触れたように、天畠さんは発語が出来ないし手を動かせないので、自分一人で主体的な言語表現が現時点では出来ない(そういう器具がまだ開発されていない)。そのかわりに、介助者に「あかさたな話法」で読み取ってもらう。ただ、それにはものすごく時間がかかるので、天畠さんと共有経験や共有知識の多い介助者を「通訳者」として雇用し、何が言いたいかを「先読み」してもらいながら、なるべくスムーズに意思決定し、言語表現したいと思っている。だが、ここで深刻かつ本質的なジレンマにひっかかる。

「筆者が大学院に進学し、博士論文を執筆したいと考えた動機には、『もっと誰かに賞賛されたい』という思いがあった。そして、その背景は、『私一人』に向けられたものであってほしかった。その意味で博士論文は、『オーサーシップが一人』であることが原則であることから、筆者の承認欲求を満たすのに『うってつけ』であった。
しかし、その意図とは裏腹に、本研究での実際は、筆者の思考を表出する段階でさまざまな『通訳者』が関わり、論文を書き上げるというものであった。このような論文執筆過程は、承認欲求を満たすための『諸刃の刃』である。『通訳者』の存在は、筆者の思考を整理し表出するうえで必要不可欠なものだが、一方では筆者の思考を“水増し”する存在であり、筆者一人の賞賛には至らない(オーサ—シップが認められない)という危険性もあった。
こうしたジレンマは、筆者が『この文章を書いたのは誰か』という点を再帰的に振りかえることによって生じている。」(p341-342)

この箇所を読んだ時、「なんてほんまもんの葛藤をさらけ出しているのだろう!」とびっくりしながら読んだ。

天畠さんだけでなく、僕だって博論を書き上げる欲求の中には「承認欲求」とか、「『もっと誰かに賞賛されたい』という思いがあった」のは間違いない。ただ、それは普通は口にはされない。でも、彼は敢えてそれを「博士論文そのもの」のなかで書いて考察した。なぜならば、「博士論文は、『オーサーシップが一人』であることが原則である」というこの原則と、彼の意思決定支援とは、ジレンマというか、深刻な矛盾をはらむ可能性があったからだ。

それは「あかさたな話法」そのものが持つ矛盾である。そのことは、社会福祉学に掲載された論文『「発話困難な重度身体障がい者」の文章作成における実態―戦略的に選び取られた「弱い主体」による,天畠大輔の自己決定を事例として―』にありありと書かれている。天畠さんとどれらけの共有知識・体験があるか、によって、通訳者の書くメールの内容が大きく異なることが、上記の論文の中で掲載されている。同じように、研究論文の考察の進め方においても、通訳者が大学院レベルの知識を持って問いかけてくれることによって、天畠さんの考察が、一人で考えていた時よりも結果的に膨らんでいく様が記載されている。

そのことを指して、「筆者の思考を“水増し”する存在であり、筆者一人の賞賛には至らない(オーサ—シップが認められない)という危険性」がある、とはっきりと述べているのである。だからこそ、天畠さんは「筆者が『この文章を書いたのは誰か』という点を再帰的に振りかえる」ことをし続けてきたのである。

自己決定や自己選択は、確かに素晴らしい。だが、支援を受けない中での自己決定や自己選択だと、天畠さんは、そもそも選べないし決められない状況におかれてしまうほどの、重度障害を抱えている。そして、支援を受けた自己決定や自己選択をしていく際に、通訳者と天畠さんの相互行為は、通訳者の属性や経験によって異なる。だからこそ、同じメールの返信をする中でも、全然違う内容が書かれてくる。それくらい、天畠さんの意思形成や意思表明には、天畠さん以外の通訳者の関わりが深く関与してしまっている。それゆえに、天畠さんは『この文章を書いたのは誰か』を問い続け、通訳者は「筆者の思考を“水増し”する存在」ではないか、と悩み続けるのである。

その点を深掘りするにあたり、彼はグレゴリー・ベイドソンの『精神の生態学』とも対話している。以下、天畠さんの書籍での引用の前後部分も含めて、原典から引用しておく。

「1 アルコール依存者の『醒めた』生活が、なんらかのかたちで彼を酒へ—酩酊のコースのスタート地点へ—追いやるのだとしたら、彼の陥っている<醒め>のスタイルが強化されるような“治療”を行っても、症状の軽減も統御も、望むことはできないはずだ。
2 彼の<醒め>のありかたが、飲酒へと彼を追いやるのだとしたら、その<醒め>には、なにかしらのエラー(病と呼んでもいい)が含まれるはずだ。そのエラーを、<酔い>が、少なくとも主観的な意味で『修正』しているはずである。つまり間違っているのは彼の<醒め>の方であり、<酔い>の方は、ある意味で“正しい”ということになる。
3 これに代わる仮説として、しらふの時のアルコール依存者は、まわりの人たち異常に正気であり、その正気に耐えられずにアルコールに手を伸ばすのだという説が考えられる。(略)しかし本論は、それを斥ける。(略)世間の狂った前提への反抗として飲酒に走るのではなく、世間によってつねに強化され続けている自分自身の狂った前提からの脱出を求めて飲酒に走る—この違いが重要だと思う。」(グレゴリー・ベイドソン『精神の生態学』新思索社、p422-423)

この後、天畠さんはこう続ける。

「この酔いを筆者の例に引き寄せれば、コミュニケーションのアウトプットに多大な時間を要する自分の障がいそのものが、『異常な』状態であって、その状態から脱するために、自らを酔わせてくれる『通訳者』に依存していくのだといえる。また『情報生産者』として社会で活動したいと考える欲求も、『異常な』状態である現時点での自分から脱していきたいという思いが源泉にあると言えるだろう。つまり『通訳者』アシストに依存している状態が、自分にとっての『正常な状態』であるからこそ、自分の『情報生産者』であろうとする欲求を満たしてくれる特定の『通訳者』への過度な依存から抜け出せないのである。」(p308−309)

じつは、天畠さんのこのフレーズに、ずっとモヤモヤしている。

ベイドソンは「世間によってつねに強化され続けている自分自身の狂った前提からの脱出を求めて飲酒に走る」のだと述べてる。天畠さんはそれを、「コミュニケーションのアウトプットに多大な時間を要する自分の障がいそのものが、「異常な」状態であって、その状態から脱するために、自らを酔わせてくれる『通訳者』に依存していくのだ」と解釈しているが、なんだかそれは違うような気がするのだ。

ポイントはベイドソンが述べている「世間によってつねに強化され続けている」という部分である。天畠さんは確かに「コミュニケーションのアウトプットに多大な時間を要する」障害を持っている。だが、別にその障害自身は「世間によってつねに強化され続けている」訳ではない、と僕は解釈する。そうではなくて、「博士論文は、『オーサーシップが一人』であることが原則である」『この文章を書いたのは誰か』というフレーズが象徴するように、自分一人で最初から最後まで完遂することこそ、私の作品・オーサーシップ・評価・責任、だとされる。その自己責任原則こそ、「世間によってつねに強化され続けている自分自身の狂った前提」ではないだろうか。そして、天畠さんはそこからの「脱出」を求めて、「通訳者への依存に走る」のだ、という仮説を引いてみたくなる。

これはベイドソンの「間違っているのは彼の<醒め>の方であり、<酔い>の方は、ある意味で“正しい”」という話にも繋がっている。

ぼく自身は、天畠さんの著作を読んできて、先読みも含めた通訳をしてくれる通訳者と二人三脚で「情報生産者」であり続ける天畠さんの姿は「正しい」<酔い>だと思っている。むしろ、「筆者が『この文章を書いたのは誰か』という点を再帰的に振りかえる」ように強迫的に天畠さんに強いる、その「彼の<醒め>」の方こそ、「異常な」状態ではないだろうか。「コミュニケーションのアウトプットに多大な時間を要する自分の障がいそのものが、「異常な」状態」だと天畠さんに考えさせる、その世間の強迫観念こそが「異常」だと、僕には思えるのである。

ベイドソンは「アルコール依存者の『醒めた』生活が、なんらかのかたちで彼を酒へ—酩酊のコースのスタート地点へ—追いやるのだ」と述べ、その「『醒めた』生活」そのものの中に、「世間によってつねに強化され続けている自分自身の狂った前提」がある、と見抜いている。天畠さんの文脈に沿いながら、僕なりに敷衍すると、情報生産者は一人の力で文章を書かなければならない、通訳者と二人三脚で書くことは佐村河内○○のように、オーサーシップが認められないし、それって実力の水増しである、という前提そのものに、「異常さ」や「狂い」が内包してはいないか、という問いである。

そして、実は天畠さん自身も、結論部分で「醒め」の「狂い」を問い直そうとしている。

「一般に、個人の論文執筆は指導教員や他の研究者のアドバイスなどを参考にしながら作成される。そのとき成果物である論文が誰のアイデアによって作成されたものであるかは普通、問われない。(略)しかし、筆者においては、論文執筆チームが暗黙のうちには成立せず、いわばガラス張りのなかで複数の個人による論文執筆が遂行される。そのため、“水増し”や過剰な“サービス精神”の問題が表面化することになる。しかし、この問題はむしろ逆の観点から捉えられるのではないだろうか。
つまり、何ゆえ、健常者は“水増し”の恩恵を受けながら筆者のようなジレンマを感じずに、しかも成果物を自分のものとしておけるのか。また、健常者の世界からの“水増し”や“サービス精神”がどのようにフェードアウトし不可視化されているのか、という問いである。本質的には健常者も“水増し”や“サービス精神”の利益を享受しているにもかかわらず、筆者のようにそれに対するジレンマを痛切に感じることはない。ここに、上げ底を意識しなければならない障害者と、それを意識する必要がない健常者という非対称的な関係から、この社会の能力主義的な規範が見えてくる。」(p303-304)

天畠さんの指摘は全くその通りである。ぼく自身を振りかえってみても、博論で「京都中の精神科ソーシャルワーカーにインタビューせよ、それが出来なかったら君の博論はない!」と根本的なアイデアを授けてくださったのは師匠大熊一夫であり、「ソーシャルワーカーに共通する法則性を導き出してごらん」と博論の根幹の整理を指導してくださったのは、指導教官の大熊由紀子さんである。ぼくの博論という成果物は、師匠や指導教官といった先達からのギフトによって、なされている。「何ゆえ、健常者は“水増し”の恩恵を受けながら筆者のようなジレンマを感じずに、しかも成果物を自分のものとしておけるのか」と問われたら、ぼくはあまりにその通りで、返す言葉もない。

つまり、僕が受けた恩恵は「フェードアウトし不可視化されている」一方で、天畠さんが受けた恩恵は「ガラス張り」であるがゆえに、「“水増し”や過剰な“サービス精神”の問題が表面化することになる」のである。

それは、あまりにアンフェアだ。

そして、天畠さんは情報生産者になるプロセスにおいて、「上げ底を意識しなければならない障害者と、それを意識する必要がない健常者という非対称的な関係」というこの社会の「能力主義」がおかしいと感じた。そして、それを内面化していたご自身という、「世間によってつねに強化され続けている自分自身の狂った前提」にも気づいた。だからこそ、そこ「からの脱出を求めて飲酒に走る」という形で、通訳者への依存をしながら、情報生産者として生き抜こうと決意したのではないだろうか。

すると、天畠さんがここで指摘しているのは、「本質的には健常者も“水増し”や“サービス精神”の利益を享受しているにもかかわらず、筆者のようにそれに対するジレンマを痛切に感じることはない」という<醒め>の自覚であり、その健常者がジレンマを痛切に感じないということ自体に、「なにかしらのエラー(病と呼んでもいい)」があるのではないか、という問いかけのようにも、ぼくには読めた。それは、意思表明や意思形成、意思決定をめぐる、根本的な問いが含まれているような気がする、のだが、それ以上のことはまだ僕には言えないので、天畠さんから頂いたギフト(水増しではなかったら、よいのだが)として、考え続けることにしよう。

いずれにせよ、魅力的で多くの問いかけが生まれる大作である。

「名前のつかない感情」を同定する

静謐な、でも、暖かく語りかけてくれる一冊の本がある。

「万人にとって絶対的に有用な本があるということはなく、あらゆる本がそれぞれ、あるタイミングで、誰かを助けるべく眠っている、と私は解釈しています。利用者と本の間に図書館員が入り、そのマッチングを行うのがレファレンスです。」(青木海青子『本が語ること、語らせること』夕書房、p64)

一見すると、書かれていることは、その通りのように、おもえる。だが、青木さんは図書館の本質に「自助を助ける」があると語る。そして、「誰かを助けるべく眠っている」本と、それを必要とする人とを繋げるのがレファレンスであり、司書の役割である、という。そして、注にはこんなことも添えている。

「一般図書館でのレファレンスでは、『身の上相談』や『悩みごと』にお応えすることはできません。あくまでも『彼岸の図書館』であるルチャ・リブロでのレファレンスということで、あしからず。」(p65)

ぼくも仕事柄、図書館には日々お世話になるが、『身の上相談』や『悩みごと』を相談しようと思ったことは、ない。でも、パートナーの青木真平さんとの『彼岸の図書館』(夕書房)を読んだり、お二人の「オムライスラジオ」に出演させてもらって、青木海青子さんという司書さんになら、普段は相談出来ない、本を巡る相談が出来るのではないか、と思っていた。

そこで、ぼくも対談させてもらった青木真平さんの新著『手作りのアジール』(晶文社)の出版記念イベントでご夫婦とご一緒した際、海青子さんに次の様に尋ねてみた。

「ぼくは普段ノンフィクションとか研究書ばかり読んでいると、根詰まりしてきて、息苦しくなることがあります。でも、ドラマとか映画って、次の展開がわかって主人公が恥ずかしい思いをしそうになると、自分が恥ずかしくなって「もう見てられない」ので、最後まで見れないのです。小説でも、そんな場面にさしかかるとドキドキして、バタンと閉じてしまって、読めなくなってしまいます。でも、ゲド戦記をこないだ読んだら、最後まで読めました。村上春樹の作品は例外的にほとんど読めます。こんな僕に、お勧めの一冊ってありませんか?」

書き起こしてみると、ずいぶん無茶ぶりなのだが、海青子さんは「じゃあ・・・」と頭を巡らせながら、一冊の本を紹介してくださった。それが、O.R.メリングの『夏の王』(講談社)である。で、この本が面白かったですと御礼のメールを送ったところ、もう一冊、伊藤遊さんの『鬼の橋』(福音館書店)もお勧めくださった。どちらも、本当に素敵な作品だった。前者は現代アイルランドと妖精国の、後者は平安京時代の京都と三途の川の、どちらも彼岸と此岸のパラレルワールドを行き来する物語である。そうそう、村上春樹の小説は好きだ、ともお伝えしていたのもあってか、こういうパラレルワールドを行き来する、かつその中で主人公が試練を乗り越え勇者になる成長物語をご紹介頂き、なんて素敵な司書さんなのだ、と驚嘆した。そして、冒頭でご紹介した海青子さんの初の単著には、その裏側も書かれている。

「同定とはたとえば、利用者が探している本と、他館が所蔵する本の書誌情報等を確かめ、同一本であると確定する作業のことです。本の方から『同じ本だよ』と自己申告してくれるわけではないので、同定にはなかなか手間がかかります。記載情報や造本など、その本の特徴、性質をよく見定め、本の声なき声を聞く必要があるのです。」(p70)

なるほど、これは大学図書館の司書さんでもしてくださる作業である。その一方、「あくまでも『彼岸の図書館』であるルチャ・リブロでのレファレンス」においては、同定の「問いの次数」があがる。「相談者さんのまだ名前のつかない感情に相対し、本をひっくり返しながらある一節と同定する私たちの試み」(p71)というフレーズを見つけた際、僕が海青子さんから教わった読書体験も、まさにぼくのモヤモヤした想いや感情が「同定された!」という感動だったと思い出す。

僕は物語世界を希求しながらも、自分の「まだ名前のつかない感情」とうまくフィットしてくれる小説とあまり出会えず、困惑していた。その困惑をそのまま『身の上相談』や『悩みごと』という形で、海青子さんにお伝えした。すると、ルチャ・リブロでのレファレンスでやってこられたように、彼女の頭の中で「本をひっくり返しながらある一節と同定」してくださり、ぼくに差し出してくださった。それが、僕の心の中で灯火となって、心を温めてくれた。こんな素敵で豊かな読書体験は、本当にありがたいかぎりである。

そんなルチャ・リブロの司書、青木海青子さんのエッセイは、様々な相談者のお悩みに本でお応えする、というコンセプトに基づきながら、合間合間で彼女の想いも綴られている。

「もしあなたが今いる状況をしんどいと感じているなら、ぜひ心に窓を持ってみてほしいのです。すぐに窓枠に足をかけて乗り越えていくことはできないでしょう。でも、別の風景を目にすることで、前を向けるかもしれない。未来が少し楽しみになるかもしれない。そうしているうちに、窓の隣に扉が現れることだってあるかもしれません。
ひとりぼっちで窓の外を眺めるのがつまらなければ、私たちがお手伝いしたり、一緒に眺めることもできます。窓を持つ手助けをする図書館であれたら。そんなことをぼんやり考えながら、今日も司書席に座っています。」(p16)

彼女がパートナーと共に私設図書館ルチャ・リブロを開くのは、「心に窓を持つお手伝い」を兼ねている。本という媒介が心の窓になり、別の可能性を模索できる。そんなお手伝いをするための、「窓を持つ手助けをする図書館」。本当に素敵な実践だと、改めて感じる。そして、「相談者さんのまだ名前のつかない感情」をも一緒に同定しようと模索してくれる司書さんが座っている図書館は、心のアジールになるだろうと改めて感じる。都会から距離のある、東吉野村にわざわざ訪れる人が絶えない理由も、この本を読めば、よくわかる。また、この本で海青子さんや真平さんが紹介してくれた書籍がどれも魅力的で、あれこれ読んでみたいと思わせる、素敵なブックガイドでもある。

本の最後に、海青子さんがしんどかった時期に、本を通じて真平さんとの出会いが深まっていったエピソードを読みながら、ぼくも「じんわり温かな気持ち」をお裾分けしていただいた。でも、それは本書を読んでのお楽しみ。本好きな人、モヤモヤしている人に、届いてほしい一冊である。

優生思想を「いま・ここ」に繋げる一冊

歴史は高校生の頃から、嫌いになってしまった。それは教科としての歴史で、暗記しなければならない事項が爆発的に増え、それで嫌になってしまったのだ。だから、センター試験は倫理・政経で受けたし、未だに歴史コンプレックスがある。大人になって、世界史も日本史もちゃんと流れを知っていないことで、ずいぶん損した気分になったし、「マンガ世界の歴史」も買っているけど、未だに本棚に積ん読状態だ。

そんなぼくでも、食い入るように読み終えた「歴史といま・ここをつなぐ一冊」があった。それが、藤井渉さんの『ソーシャルワーカーのための反『優生学講座』――「役立たず」の歴史に抗う福祉実践』(現代書館)である。何が良い、って、いま・ここ、で疑問に思わず口にしているフレーズや考え方、価値前提が、歴史的にどのように構築されてきたか、を辿る一冊だからだ。例えば、こんな風に。

「『障害者を納税者に』との論理自体は少なくとも100年前から繰り返されてきた古典的なものであり、『社会が低納者の害毒から免れる』という認識との関連性を考えずにはいられません。また、障害者への教育や就労支援が結果的には社会の『コスト』抑制につながる、という論理も同様に100年前から語られていました。そして、障害者の『コスト』をめぐっては、間接的であるにせよ、優生学思想も具体的に絡んで述べられていたのです。」(p95)

この15年近く、障害者就労は劇的に進んできた。確かに「障害者を納税者に」というのは、聞こえのよいフレーズである。だが、「納税者」というラベルに「社会に役立つ人」、そこから「障害者」に「社会のお荷物」というラベルを付与すると、「社会が低納者の害毒から免れる」という現在の社会から見れば明確な差別的な100年前の論理と、実は地続きである事が見えてくる。入所施設や精神病院の削減、あるいは就労支援や障害者教育を「コスト」論で語りたくないのは、それは「社会のコスト抑制」というのが、実はナチス・ドイツの障害者殲滅計画(T4計画)と地続きであるからだ。

「ナチス政権下では治療ができない人たちへの『安楽死』、つまり殺害が議論され、そこでは国家的な『コスト』となる障害者がピックアップされていた状況が見られます。当時のプロパガンダでは、その『コスト』を強調したプラカードが多々用いられていました。
障害者の『コスト』の計算は、元々、施設を対象とした社会調査をもとに行われていた形跡が見られます。その調査では重度知的障害者の保護に年間一人あたり平均1300マルクを費やしているとされ、その人口は2〜3万との推計があり、平均寿命を50歳と設定した上で、膨大なコストを非生産的なものに費やしていることが強調されたりもしていました。そこには、障害者が生まれることによって、『コスト』が積み重ねられていくという、将来予測までを踏まえた『遺伝的価値』が問われていた状況が見られます。」(p126)

書き写していても寒々しくなるが、「納税者」と「社会のお荷物」を分けた上で、納税できない重度障害者に年間1300マルクかかり、その人が50年生きたとしたらいくらかかり、2万人いると年間いくらかかるか、を全て計算して、それが「膨大なコスト」である、と「客観的」に述べてしまう。こんなコストを「非生産的なものに費やす」余裕がありますか?あなたの税金ですよ?と畳みかける。そして、そのような「非生産的」な存在を「モノ」扱いにするからこそ、ガス室に送り込んで「安楽死」させることも肯定してしまう。つまり、お金のためには、人殺しもやむを得ない、という論理がナチスの政権下ではまかり通っていたのである。そして、さすがにガス室に送り込むことは日本ではしていなかったが、「非生産的」で「社会のお荷物」とラベルが貼られた重度障害者の「遺伝的価値」を淘汰するために、強制不妊手術をしてきたのは、日本でも第二次世界大戦後も続いてきた。また、相模原の障害者殺傷事件の犯人は、「役立つ障害者かどうか」で殺害対象を選別してていた。つまり、いま・ここの私たちの社会の価値判断と、T4計画の価値判断も、隔絶されたものではなく、連続性のあるものだ、というのが藤井さんの論からわかってしまうのだ。

そして、このような排除や選別の論理は、私たちの「いま・ここ」の社会の中に根深く浸透している。

「社会では熱心に人を『平均』と比較し、『異常』として判断することをあまりにも軽々に行っています。偏差値もそうですし、新型出生前診断はその典型だと思います。一方で、社会が『異常』と見なした人たちが、今度は『普通』を求める場合はあまりにも道は険しく、社会は途端に無関心になります。
つまり、『異常』を判別するために『平均』が軽々しく用いられる一方で、『平均』の論理で排除されてしまった人たちが、隔離され、社会的に不利を背負わされた後で、地域社会で『普通の生活』を送りたい、『平均的な生活』を送りたいと言った場合は、『なんでそういうこと言うんですか?』といった態度で、あまりにも無関心になる。社会にはこういう姿勢のギャップがあって、それを本人は日常生活のあらゆる場面で見せつけられてきているのです。」(p39-40)

「新型出生前診断」は、本当に簡単に出来る。妻が妊娠中も、「できますよ」と医師から言われた。だが、私たち夫婦は相談した上で、「結構です」と断った。それは、これから生まれてくる待望の命に対して、「平均と比較し、異常として判断すること」にどのような意味があるのか、それをして染色体異常がわかったら堕胎するのか、そのような神のような選別的な眼差しを私たちが持てるのか、を夫婦で話し合った上で、そんなことを軽々にしたくはない、と価値判断したからである。

また、入所施設や精神病院からの地域移行や、特別支援学校から普通学校での学び合いというへのインクルーシブ教育への移行について話をすると、『なんでそういうこと言うんですか?』という声もしばしば聞く。特別な支援が必要な人に向けた専用の施設や病院、学校があるから、それでいいではないですか? 地域の中で一緒に暮らすのは手間もコストもかかりますよ、と言わんばかりの問いである。でも、藤井さんが言うように、そもそも「専用の施設や病院、学校」が作られるのは、「『異常』を判別するために『平均』が軽々しく用いられる一方で、『平均』の論理で排除されてしまった人たちが、隔離され、社会的に不利を背負わされた」というプロセスの「後」なのである。「平均の論理」で「異常」とラベルが貼られ、排除・隔離の後に、社会的な不利を背負わされている。このことに関する認識がなく、『なんでそういうこと言うんですか?』と私たちが無自覚に口にするのは、あまりにも、排除の歴史を自覚していない、ということでもある。

そして、この「平均」の論理は、偏差値の論理でもあり、社会的排除の論理でもある、と藤井さんは整理する。

「優生学では、本来複雑である人の『才能』や『知能』に正規分布の人口構成を措定、あるいは断定しながら、その平均から外れた人たちを『異常者』だとして、その人たちを当時の言葉で『精神薄弱者』と言って蔑視していった思考や経緯が見えてきます。」(p158)

偏差値がどれくらいだから、どの高校や大学に入れる。ごく当たり前のように使っている、このフレーズ。でも、それは「本来複雑である人の『才能』や『知能』に正規分布の人口構成を措定、あるいは断定」するプロセスである。模擬試験や入学試験で、人の才能や知能をバッチリ測れる訳ではない。あくまでも目安だし一つの基準に過ぎない。でも、それに縛られると、東大出身の人は賢い、とか、そういうことに囚われてしまう。

ものすごく恥ずかしい話なのだが、ぼくもかつて、めちゃくちゃ偏差値に囚われていた。

京都出身で、京都大学に合格者数が日本一という事が自慢だった高校に通っていたので、「京大に入れない奴はバカだ」と思い込んでいた。で、浪人しても、センター試験で点数が足りず、一浪して阪大人間科学部に入る。でも、大学一年生の時は、「阪大生はバカばかりだ」と思い込んでいたので、すごく嫌な奴で、あまり友達も出来なくて、全然楽しくない大学一年生だった。その後、震災ボランティアなどで同級生と出会い、そう思い込んでいた自分自身が「最大のバカ」だったことに気づくのだが、それはぼくが10代後半に偏差値をあまりにも内面化して、その牢獄に囚われていた、ということでもある。

また、この牢獄はそれに気づいても、簡単に抜け出せない。障害者福祉を学び始め、多くの障害当事者の知人友人と出会った後も、インクルーシブ教育については、能力主義的なぼくの価値前提を覆すことは、簡単ではなかった。だが、大阪の大空小学校の実践や、それを語る木村先生の本を読む中で、ぼく自身の価値前提に深く刻み込まれた集団管理型一括指導の学校空間そのものの歪みや、そこに合わない人の社会的排除のことまで踏まえると、そもそも「平均から外れた人たちを『異常者』」として蔑視するシステムそのものが問題ではないか、とやっと気づけるようになった(そのことは、模擬講義で話したこともある)。

そして、このような偏差値の盲信も、実は歴史的な文脈の中で受け継がれてきたことも、藤井さんの著述から見えてくる。

「優生学では平均を用いて人の能力を測定し、平均から外れた『異常』を判別することで、『異常』に対する排除の方途や正当性を示そうとしていました。そのための手段として、回帰分析や相関係数といった数理統計学が開発された経緯もあったのでした。
この考えは知能検査をめぐる研究でより顕著に示されていきました。そこで『低い』成績を示した人たちを『低能』や『不良』などと称し、侮蔑の対象として知的障害者たちが取り上げられました。
それだけではありません。それは確率論的に計算すると遺伝するため、その『淘汰』が必要だと主張されていたのです。優生学を唱えた学者達は、人を『才能』や『知能』といったモノサシで評価し、それによって人の分布を表そうとしました。そのときに前提としたのがベル型の正規分布です。そして、その下位の端に位置する人たちを社会の構成員から切り取っていく、つまり『剪除』していくことで、世代的な再生産を通して『民族』や『人種』の『遺伝の改良』を考えたと言えます。」(p193)

偏差値に代表される正規分布は、「『異常』に対する排除の方途や正当性」を科学的に示すために用いられた。「そのための手段として、回帰分析や相関係数といった数理統計学が開発された経緯もあった」。言語表現が出来ない障害者をガス室で抹殺したり、刃物で殺傷する。それだけ聞くと、おぞましいと感じる。だが、それに「もっともらしい」「合理的な」理屈を与えて正当化するために、平均からの逸脱や正規分布などの統計学的知識が用いられ、殺人と言わずに『剪除』という曖昧なフレーズを用いることで、「世代的な再生産を通して『民族』や『人種』の『遺伝の改良』」というやばそうな考えを合理化していく。そこに科学が加担していった歴史と、偏差値の歴史には、土台が一緒、という共通性があるのだ。(そして、この科学の恣意性については、精神医療に関して以前拙稿で論じたこともある)。

いずれにせよ、藤井さんの本を読み進める中で、19世紀から20世紀初頭に隆盛した優生学や、世界大戦期におけるその「応用」など、一見すると昔話に思える出来事が、いかに自らの「いま・ここ」の価値前提に直結しているか、が見えてきて、恐ろしくなる。でも、絶対に知っていた方がよい。特に、「支援」に関心がある人は、その支援が誰のため、何のためか、を土台から考える上で、この本は批判的に物事を捉えるための重要な補助線となるだろう。何度か読み返したい一冊だし、注や参考文献が恐ろしく充実しているので、ここから色々な文献を辿ってみたいとも思う。

「生きられたフィールドワーク」を追体験する

フィールドワークの方法論の本は色々読んで来たけど、類書とは一線を画する一冊が『人間と社会のうごきをとらえるフィールドワーク入門』(新原道信編著、ミネルヴァ書房)である。

何が圧倒されるって、中堅・若手のフィールドワーカーの葛藤やモヤモヤが、そのものとして書かれている。その泥臭さがいい。ぼく自身もフィールドワーク経験でモヤモヤしていたので、そのモヤモヤをシンクロさせるような、ほんまもんのモヤモヤで溢れている。

「その後もクアラルンプールでのフィールドワークは継続した。といっても、しばらくはインタビューはやめ、ただヨガ教室に参加するのみだった。時には、数ヶ月ひたすら一緒にエクササイズしただけで日本に帰るので、先生の方から『本当にこれが研究になっているのか』と心配されたこともある。私にはもはや何を聞けば良いのか、何を知りたいのかもわからなくなっていた。このとき、私自身がヨガの実践者であったことは、意味があったように思う。自分の関心や疑問を明確に言語化して相手に伝えることができなくても、私がヨガについて真剣に考えたいと思っていることは察してもらえていたようだった。」(栗原美紀さん、p238)

「研究をめぐる方法論には、おおまかな定石がある。たとえば、<公害を知りたいなら、何か具体的な事件・問題を対象とした事例研究から始めるべきである>。あるいは、<人物研究の対象は、亡くなってしばらく経過し、当該人物に関する社会的評価がある程度つかめてから取り組むべきである>。筆者は、こうした定石は耳にしながらも、呑込むことはできず、自らの立場を決めかねたままの時間が長かった。あなたの研究の方法は?と問われると答えに窮し、壁を感じた。いまも、その壁を乗り越えてきたとは言えない。」(友澤悠季さん、p79-80)

「なぜ、『からだひとつ』で生きる姿に反響したのか。それはひとえに、私の父が、祖父が、祖母が、おじが、みなそうやって生きてきたからである。私は修士課程の院生時代より、自分では明確に意識することなしに、フィールドに『ついて』分析するのではなく、フィールド『から』考える方法を模索していた。『からだひとつ』で食べていくことは困難である。からだを壊したら困窮へと一直線だ。そして貧しさは、他者に馬鹿にされる引き金にもなるだろう。貧困は、経済的問題であると同時に存在をめぐる問題である。けれども、そこにはまた、他者に身体を委ねないという自由の感覚もある。」(石岡丈昇さん、p115)

マレーシアのヨガ道場に通う、環境社会学者の飯島伸子の足跡を追う、マニラのボクシング・キャンプに入り込む・・・。一見すると全くバラバラなフィールドワークである。でも、ここで語られた三人のモヤモヤは、「それ、それ! 僕もおんなじ事を感じてきた!!!」というモヤモヤである。

栗原さんの語るように、フィールドワークに通いながら、「私にはもはや何を聞けば良いのか、何を知りたいのかもわからなくなっていた」というのは、ぼく自身にも何度もある。特に長期に通った精神科病院とか、スウェーデンでの知的障害者の当事者団体とか、しばしば通っているうちに、何のために通っているのか、わからなくなっていった。問いがなくなる、というより、それまでの事前調査や仮説で抱いた問が消失しながら、ではそれを越える問いが浮かんでこない。でも、とにかく通い続けながら考えるしかない、というじれったい思いを抱えた期間である。そして、後から考えると、そういう移行期混乱を経た上でないと、オリジナルな問いは浮かんでこないのだ、とも経験則として感じている。

また、友澤さんの語る「こうした定石は耳にしながらも、呑込むことはできず。自らの立場を決めかねたままの時間が長かった。あなたの研究の方法は?と問われると答えに窮し、壁を感じた。いまも、その壁を乗り越えてきたとは言えない」というのも、まさにぼく自身に当てはまるので、そうそう!と頷いていた。フィールドワークや先行研究の「定石」とは、これまでに刊行された、すでに行われた内容としての「定石」である。確かに、そうすれば手堅いのかもしれない。でも、なんだかよくわからないけど、すんなり鵜呑みに・呑み込むことができない。論理的には説明出来ないけど、何だか違うような気がする。

また、「研究方法」は?と聴かれて、○○法で、という枠組みをしっかり言えたらどれほどいいだろうと思う。でも、実際にオモロイと思う対象や現場に出会ってしまい、それをひたすら追いかけている間に、○○法という解釈枠組みへの当てはめばかり考えていると、せっかく肉薄したい現実が、するりと通り抜けてしまうような気もする。あるフレームを当てはめる、ということは、そのフレームからこぼれ落ちるものは「なかったことにする」となりかねない。それもモノグラフにまとめる時には必要かも知れないが、すくなくともその現場でオモロイと感じている現象や対象を追いかけている「いま・ここ」で、すぐに解釈してフレームに切り落としてしまうようなことはしたくない。だからこそ、僕だって「あなたの研究の方法は?と問われると答えに窮し、壁を感じた」し「いまも、その壁を乗り越えてきたとは言えない」のである。

そして、これは石岡さんの語るように、ぼく自身も「自分では明確に意識することなしに、フィールドに『ついて』分析するのではなく、フィールド『から』考える方法を模索していた」ということなのだと、改めて思う。フィールドを対象化して、その全体像を客観的に把握する。そのような形の、大量な情報処理をスマートにこなしながら一つの「客観的な物語」に仕上げるフィールドワークもあるだろう。でも、僕には無理だった。そうではなくて、フィールドで感じるモヤモヤをもとに、そこ「から」考えて、自分自身の個人史と交錯させながら、その現場「から」考え続けるしかないと思ってきたし、それをずっとつづけてきた。

そういう意味では、今回引用できなかった他の著者の方々のフィールドワークも含めて、この本に登場する方々は、みんな現場でオロオロしたり、モヤモヤしたり、悩み不全感を抱きながら、自分自身と向き合いながら、現場で感じた事を必死になって言語化されようとしてきた。そして、それこそぼく自身もフィールドワークでやってきたことだし、大学院の頃にこういう先輩のモヤモヤこそを知りたかった(のに知る機会がなかった)と改めて感じる。

その上で、この本の編著者である新原先生について。

僕は直接お目にかかったことはないのだが、新原先生のお弟子さんで、この本の著者の一人、鈴木鉄忠さんとは、フランコ・バザーリアやトリエステ方式に関する著作や通訳でお目にかかり、以後共同研究をさせて頂いている仲間である。今回はお二人からこの本を頂いた。そして、鈴木さんからは、研究会を通じて新原先生の誠実でひたむきなフィールドワークの姿勢を又聞きして学び続けてきた。

例えば、インタビューさせてもらった相手に、なるべく早くその日の感想や感じた事をお礼メールに添えてフィードバックとして返したほうがよい、というのは、鈴木さん経由で学んだことであり、僕もこの数年、しっかり実践していることだ。非対称な関係性での搾取を増やさないためにも、きちんとフィードバックをすることが、フィールドやインタビュー相手への最低限の敬意につながる、というのも、言われてみればその通りなのだが、それを実直にやっておられるからこそ、イタリアという異境の地で、多くの方々と信頼関係を切り結んで来られたのだと思う。そのあたり、新原先生の若い時代の試行錯誤については、以前『旅をして、出会い、ともに考える』という素敵な著作で学ばせて頂いたことでもある。

そして、今回新原先生が書かれた部分として、特に「いま・ここ」のぼく自身に繋がっている部分を、最後に触れておきたい。

「デイリーワークは、『勉強の時間に』というよりは、むしろ『オフ』の時間、ふつうの時間をフィールドとして、日常生活のあらゆる様々な場面で、素朴かつ率直に、感じ、考えたことを、“大量で詳細な記述法”によって“描き遺す”ことを基本とする。“大量で詳細な記述法”は、とりわけ、たいへんな時期、危機の瞬間、予想外のことや困ったことが起こっているとき、いままでのやり方ではうまくいかないときに、真価が問われ、深化していく方法だ。ゆっくりものを考え書くことなどできない状況で、たとえそれがつたないものでも、その日の社会と自分を観察し、その日に“描き遺す”という“不断/普段の営み”を続けると、自分の中に『洞察力』がつくられていく。」(p26)

実はこの「デイリーワーク」という言葉に、この5年ほど、どれほど救われただろう!

子どもが生まれて、家事育児をなるべく対等に分担しようとしたら、フィールドワークどころではなくなってしまった。すると、自分の存在価値というか「売り」のような部分がもぎ取られたようになり、アイデンティティ・クライシスのようになりかけた。そんな折に鈴木さんから「デイリーワーク」という言葉を聞き、そうか、フィールドワークしていなくても、「いま・ここ」で出来ることがあるんだ、とすごく救われた。

まさに仕事中心モードから子育て中心モードへの転換期こそ、「たいへんな時期、危機の瞬間、予想外のことや困ったことが起こっているとき、いままでのやり方ではうまくいかないとき」であったので、ぼくはデイリーワークにすがるしかなかった。だからこそ、ツイッタやブログで断片的に思うことを書き付けたり、それを現代書館のnoteで連載させて頂いてきた。ぼく自身は、子育てについて断片的に考え、書き続けることは、「ゆっくりものを考え書くことなどできない状況で、たとえそれがつたないものでも、その日の社会と自分を観察し、その日に“描き遺す”という“不断/普段の営み”」であったのだと思う。それは、フィールドワークが出来なくてもデイリーワークなら出来るのだ、という大いなる発見であり、希望や勇気を頂く視点だった。

そういう意味で、新原さんが序章の締めくくりに書かれたことが、見事に華開いた素晴らしい一冊だと感じたし、私の中では色々なことが鳴動し続けている。

「『生きられたフィールドワーク』と読者の間で、かすかな鳴動が産まれ、“対話的にふりかえり交わる”という“交感/交換/交歓”が生まれることを祈念しつつ」(p31)

内省に基づく自己変革の可能性

かつて「死刑は絶対必要だ!」と主張するゼミ生がいた。彼は正義感が強く、野球部仕込みでがっちり鍛えた身体で、一時期は警察官も目指していた。目つきも鋭く、がたいも大きく、一見強面だけれど、芯は優しい好青年だった。「悪いことした奴は、それなりの報いを受ける必要がある」と言い張っていた。

そんな彼の事が気になって、アメリカの無期限刑の人々の実像を描いた『ライファーズ』という映画をゼミで観た。後に書籍化もされている作品である。映画を見終わった瞬間、彼はその場で顔を埋め、立ち上がれなくなっていた。理由を聞くと、「こいつらは悪い、どうしようもない、と決めつけていたけど、この映画を観て、彼らがそうなってしまう理由がわかってしまった」と途切れ途切れに言い始めた。そこから彼は自分の「死刑は絶対必要」という主張をどう扱ってよいのか困惑し、逡巡しながら、卒論には自らの生きづらさのことを綴ってくれた。その序章には、こんなことが綴られていた。

「私はこれまで21年間強さは力であると思っていた。そかし、その力を得ようとした結果、本当の自分の姿というものがいつしかなくなり、他者からの評価という檻を自分で作りいつしかその檻の中で存在している自分こそが本当の自分と思うようになってしまっていた。しかし、卒論を通して強さとは何なのだろうか、本当の自分とは何なのだろうかということを追求してきた。」

僕がどれだけ知識を伝えるよりも、一度観た映画に決定的な影響を受け、彼は自分の「強さは力である」という信念体系を問い直し始めた。映画には、その力がある。この映画を作り上げた坂上香さんが、今度は日本の刑務所で長期撮影をした上で、『プリズン・サークル』という映画を作った。僕はコロナ期にオンラインで観る機会があり、深く心を打たれた。そして、この春書籍化されたものも読み終えて、更に深く、ずっしりと色々な事を考え始めている。

「帰る場所があるって感覚が、たぶん本当にない。子どもの頃、帰るところなんてなかったし・・・。ここの教育的なこと言うと、サンクチュアリがないですよね。心安まる安全な場所がないっていうか・・・。だからたぶん、常に助けてほしいってどこかで思ってて。でも、今自分が何に対して苦しい思いをしているのかとかはわかってなくて・・・」(坂上香『プリズン・サークル』岩波書店、p166)

ここで言うサンクチュアリとは、聖域や避難所という意味だけでなく、「安心して語り合える場」(p88)のことを指す。厳罰主義の日本の刑事司法において、刑務所内では私語が「やましいこと」と疑われ、刑務官に反論をすることも許されず、本心で安心して話せる場が刑務所内にないのが一般である。だが、この『プリズン・サークル』の舞台となった島根あさひ社会復帰センターでは、『ライファーズ』で描かれた回復協同体(Therapeutic Community):TCを参考にしながら、刑務所内で日本初のTCを作り上げている(そのあたりは坂上さんのインタビュー記事でも描かれている)。その仲間同士の語り合いの場で出てきた、ある受刑者でTC参加者が語ったのが、上記の内容である。

子ども時代に「安まる安全な場所」があるかどうか。それは、その子どもが大人になっていくにあたり、自尊心や自己肯定感を抱くことができるか、という部分で、基盤的な問いである。「帰る場所がある」からこそ、冒険もできる。涙を流す、悔しい思いをする、仲間とうまくいかない・・・時にでも、「帰る場所がある」から、そこで心を休め、話を聞いてもらい、ゆっくり暖かい布団で眠って、鋭気を養う。そして、翌朝、気持ちも新たに、何かに取り組める。

子育てをしていて感じるのは、もともと悪い子どもなんていない、ということだ。お友達やこども園の他の子と接していても感じるのは、子どもは、それぞれの性格はあるけれど、みずみずしい感性を持っている。その感性は、育ててくれる親に大きく影響される。悪い子がいるのではない。子どもがいろいろなお試し行動や、親の言うことを聞かなかった時、大人が子どもにどう接するか、という相互作用の中で、子どもに希望が生まれたり、逆に絶望に陥ったりする。

「ちっちゃい頃から・・・ひたすら親父の暴力っていうか・・・、母親にする暴力が、すごく嫌だったっちゅうか・・・。親父が目の前で暴れる行為がすごく嫌で・・・、夜中寝とると、音ですぐ飛び起きるんですよね・・・。台所でガラスが割れる音とかで、すぐ母親を助けに行くんすけど、ひたすら僕がこうやって止めに入るっていうか、そういう役をやってたっていうか・・・」(p64)

この本の中では、TCに参加する受刑者から、上記のような虐待やいじめを受けた語りが随所に語られる。誤解してほしくないのは、「かわいそうな経験を持つ受刑者だから、免罪してよい」という趣旨で書かれているのではない。そうではなくて、無垢な子どもが、暴力を避けられずに日常的に受けたり垣間見る中で、安心して語れる場所どころか、「帰る場所」もないような日々を過ごしていく。その過酷なプロセスを経る中で、悪循環から脱却できず、被害経験を繰り返し受け、それが反転して加害経験へと転化していく。これらのことが、TCの中で語られていく。

「他者に害を与えたのに、他者への反省がないどころか、被害者面しているのではないか!?」

上記のような怒りや感情的反発を持つ人もいるかもしれない。しかし、受刑者による再犯を防止する、あるいは同じような犯罪が繰り返されるのを防ぐためには、受刑者がなぜ・どのような論理で犯罪に至るのか、その背景にどのようなパターンがあるのかを理解する必要がある。原因がわからないのに、対策をしても、それは感情論か道徳論で終わってしまい、根本的な対応にはならない。

理解と共感は違う。犯罪者がどのようなプロセスでその行為に及ぶのか、の構造を理解することは、それを免罪することとも、その行為に共感することとも違う。坂上さんも、この映画の撮影の中で、TC参加者が十分に反省していないように見えたり、自らの加害行為についてちゃんと振り返れていないような場面、あるいは性加害の語りの場面などについて、共感ができないことも率直に語られている。その上で、彼らがなぜ共感できないような罪につながるのか、を、TCの取材を通じて理解しようとする。この真摯さが、この映画や本の中で、立体的に浮かび上がってくる。

なぜ、坂上さんはこんなに真摯に向き合えるのだろう、と思っていたら、その背景も本書では綴られていた。彼女は中学時代に日常的ないじめや集団的なリンチを体験していた。あるときなどは、そのリンチ現場に遭遇したのに「見て見ぬふり」をした教員がいて、学校がその事件をなかったことにした、という二次被害も受けた。そのことを綴ったあと、以下のように書かれていた。

「私は一日休んだだけで翌々日から学校に通い、何もなかったように立ち振る舞う一方、万引きをしたり、弟に暴力を振るったりと、加害や逸脱行為に走っていった。家庭もサンクチュアリからほど遠かった。私が刑務所にいないのは、『その後』に恵まれたからとしか言いようがない。早い段階で『逃げ場』を求めて海外に留学できていなければ、あるいは映像という表現を持てずにいたら、また、報復とは異なる価値観やそれを指し示してくれる人々に出会えていなかったら、どうなっていただろうか。」(p115)

残念ながら、日本社会において、しんどい家族経験やいじめ、学校経験をした・している人は少なくない。ぼくも、小学校時代に「しんどいいじめ→学級崩壊」という経験がある。だが、ぼく自身が幸運にも刑務所にいないのは、たまたま家庭で安心して話せたからだ。一方、坂上さんは家庭もサンクチュアリからほど遠く、加害や逸脱行為にご自身が手を染めることもあった。でも、彼女は海外に留学できたり、映像という表現手段を持てたので、そして報復とは異なる価値観やそれを指し示してくれる人々に出会えていたから、刑務所に行かなくて済んだ。逆にいえば、安心して話せる場がなく、「逃げ場」もなく、暴力以外の表現手段もなく、報復とは異なる価値観を話し合える仲間がいなければ、その結果として犯罪行為に手を染める可能性は十分にある、ということである。

ここまで辿ってくると、かつてのゼミ生が語ってくれたことを、立体的に振り返ることができる。

彼はどうして「21年間強さは力であると思っていた」のだろう。彼は卒論の中で、小学校の時に暴力教師と出会い、腕っ節の強さで乗り越えるしかない、と身体を鍛えてきた背景を綴っていた。その中では、「力づく」で対応する以外の「逃げ場」や「表現方法」がなかった。そして、「他者からの評価という檻を自分で作りいつしかその檻の中で存在している自分こそが本当の自分と思うようになってしまっていた」と語ってくれた。これは、まさに社会的に構築された自己、そのものである。

だが、彼はゼミ空間の中で安心して語れる場や仲間、というサンクチュアリと出会い、そして『ライファーズ』という映画を通じて、力に頼ることのしんどさや、「力こそすべて」が思い込みであること=社会的構築性そのものと出会ってしまった。それが、映画を観た後に彼を立ち上がれなくさせた背景にあった。だが、そのプロセスそのものを振り返ることによって、「卒論を通して強さとは何なのだろうか、本当の自分とは何なのだろうかということを追求」することができた。

今回、『プリズン・サークル』の映画を観て、本を読んで改めて感じたのは、もしかしたら僕がこのゼミ生とやってきたことは、TCでやられていたこととも通じるのではないか、ということである。TCに参加する、卒論を書く本人が、加害や被害に向き合い、これまで言葉にならなかった想いを言語化する。そして、それを支援者や教員が後押しする。その中で、本人がはまり込んだ悪循環構造や認識枠組みを、そのものとして理解する後押しをする。それができると、他者に「○○しなさい」と指導されなくても、自分から変わっていくことができる。これが、ゼミ生が立ち上がれなくなるほど受けた衝撃以後、卒論を書くまでに変容したプロセスであり、『プリズン・サークル』に出てくるTC参加者の中で観られた変容課程のダイナミズムにあるのではないか。

暴力から自由になるためには、他者による指導や処罰、ルールよりも、本人の深い内省に基づく自己変革こそが重要なのではないか?

そういう意味では、もう一度改めて『プリズン・サークル』は見直してみたい映画だな、とも感じた。

子育てで立ち戻るべき視座

ふだんは育児書や保育の本を読まないのだが、この本は一気読みしてしまった。

「子どもの育ちは、右肩上がりで少しずつできるようになってあたりまえという幻想に捉われやすいものです。実際の子どもの育ちは、右肩上がりで一本道ではなく、行ったり戻ったり、ジャンプしたりと、不規則に変化します。それがあたりまえなのです。環境の変化で排泄の失敗が続いたり、夜泣きがひどくなったり、偏食になったり、急に『お母さんやって』と甘えたり・・・と、いろいろな退行(現象)を見せるのは、決して特別なことではありません。」(赤西雅之著『親のねがい。保育者の言葉。手を取り合って、子どもを育てる』郁洋舎、p30)

確かに、うちの娘さんの成長も、一本道とは全く違う。実際の娘さんも、ふだんからうろうろしたり、行きつ戻りつ寄り道しつつキョロキョロしつつ、生きている。そして、彼女の育ちもまさにそれと同じ。不規則な変化で、予想不可能であり、うまくいったかとおもったら、今度はまた出来なくなったり、あっちいったりこっちいったり、である。親は自分が出来ていることが前提になっているから、正比例のように、順々に出来てくれるはずだ、と思っているけど、何もかも新しいことを学ぶ娘さんにとって、そんなに簡単に順応できるはずもない。そのことを忘れてしまっていたよなぁ、と改めて気づかされる。

そして、忘れていたこと、といえば、もう一つ大切なことがある。

「一人ひとりの年齢や生活背景が多種多様でも、子どもを授かるということに関しては、みんな『初心者』だということは、つまり最初から子育てがうまくできる人はいないということです。『子育てはうまくできなくてあたりまえ』なのです。」(p11-12)

子どもが5歳なら、まだこの世界に誕生して5年分の学びしか出来ていない。一方、ぼくは42歳の時に子どもが生まれているから、十分学んで来たはずだ、という不遜な思い込みが支配しやすい。でも、子どもが生まれたとき、初めて父になったのである。すると、父親としてはまだ5年の経験しかしていないのだから、「うまくできなくてあたりまえ」なのである。でも、47年も生きていると、うまくいくはずだ、という思い込みに支配されやすい。だからこそ、子どもの成長が一本道でなく、行きつ戻りつ寄り道しつつ、であることを自覚化・意識化することと、親の初心者としてのぼくじしんも、同じように一本道で成長するわけではない、ということを知っておくと、過剰な期待を抱かず、「うまくいかなくてあたりまえ」なんだから、と落ち着いて子どもとも、そして自分自身とも、向き合えるのだと思う。

「子どもが親を困らせる仕草は、理解してもらえないことの苛立ちと、コミュニケーションがうまくいかないことへの焦りと孤独感です。それが母親に向けられているのです。子どもの内なる言葉で表すと、『ぼくは自分ひとりではできない。どうしていいかわからない。どうしてひとりでできるように育ててくれないんだ』となります。父親に向かわないのは、父親は子どもにとって『主たる保育者』として認められていないからです。」(p93)

特に最後の箇所にはドキリとさせられる。ぼくは「主たる保育者」として娘から認められているか、というと、結構怪しい。ご多分に漏れず、「お母さん、お母さん」と娘は言っている。だが、ドキリとしたのは、それだけではない。「ひとりでできるように育てる」という支え方、子どものアシストの仕方は、まさに必要不可欠とわかりながら、そう簡単ではないからだ。

「誰かにやってもらって、完結して満足する子どもはひとりもいません。子どもは、自分でやりたいのです。でも、あらゆることが未熟でうまくできず、お手伝いが必要です。それは受け入れますが、そのお手伝いは自分でできるようになるまでのひとときの方策なのです。ということは、親は『子どもがひとりでできるように手伝う』という工夫と知恵が求められるわけです。つまり、手伝いは『過小でもダメ、過剰でもダメ』ということです。」(p93)

これが最も難しい。どうしても子どもに構い過ぎになったり、子どもがやいやいわあわあ言い出したら、もう関わるのがしんどくなって、関わりが過小になってしまう。でも、それは親中心の視点である。ここで大切なのは、「子どもは、自分でやりたいのです」という子ども中心の視点を、忘れずに持ち続ける事が出来るか、という問いである。親は、ついついコツを知っていたり、こうした方が上手くいく、早くできる、綺麗に仕上がる・・・と余計なアドバイスをしてしまう。そして、子どもはそんなアドバイスを求めていないので、怒り出す。よく考えたら、その失敗は妻に対してしていたのと、同じ失敗である。他者に関与する基本は、あくまでも「ひとりでできるように手伝う」しかないのだと、書き写しながら改めて痛感する。

「大人による『指示、命令、禁止』のような言葉は、むしろ子どもはそこから逃げようとするのではないでしょうか。『言われたくない』『聞きたくない』となると、言葉に対する信頼が失われます。意欲的に覚えて、使って、多くの人とつながり合いたいとする興味、関心もうすれるでしょう。子どもがたくさんの言葉に囲まれている環境のなかで育ったとしても、その言葉の内容、質によっては、『耳を塞いだまま聞こうとしない』『見るべきものを見ようとしない』という結果になってしまいます。」(p153)

これも、イテテ、の指摘である。とっさの時に、ついつい、「指示、命令、禁止」の言葉を多用している自分自身に気づかされる。確かに、やってほしくないこと、危ないこと、があると、指示や命令、禁止の言語を親は使いたくなる。でも、子ども中心の視点で捉え直すと、確かにぼくだって『言われたくない』『聞きたくない』言葉なのだ。それは子どもだから、未熟だからしかたない、のではない。言葉に対する信頼や興味を失うような言葉がけは、すべきではないのだ。子どもが心を開き、耳を傾け、観察したくなるような、そんな言葉がけに、どうやったら親のぼくもバージョンアップ出来るのか。それが改めて、ぼく自身に問われていると、これも痛感した。

こんな、親にグサグサ刺さる言葉を、わかりやすい子どもとの関わりの実例を用いながら解説してくれる、この本の著者、赤西雅之先生は、娘の通うこども園の理事長先生である。そして、ぼくはよく、子どもの送り迎えの際に、理事長先生とおしゃべりする。あるいは親の学習会で、色々教わる事も多い。

彼はノウハウ的な「こうすればうまくいく」ということは一切言わない。それよりも、誰もが押さえておくべき本質とは何か、をいつも模索しておられる。そして、親の模索に合わせて、一緒に考えてくださるのがありがたい。(ただ、たまに謎かけや禅問答のような問いかけをうけて、こちらも考え込んでしまうときもあるのだが)

この本も、赤西先生のスタンスが貫かれている。だから、一度読んだだけで、「こうすればうまくいく」秘技は書かれていない。でも、その代わりに、立ち戻るべき基本や、外してはならない視座は、しっかり書かれている。子ども中心の視点にたつ。子どもがひとりで出来るように、どのように手伝えるか、を考える。その際、指示や命令や禁止ではなく、子どもが信頼して行動を変えるような言葉がけをどうすべきか、を常に意識する。こういったことが、この本の中に溢れている。

ついでに言えば、親の視点と保育者の視点が両方書かれていて、一つの課題や事象について、複眼的に捉えられるのもありがたいし、この複眼的な視点で、自分だったらどうだろう、と考え直すのも大切だと思う。

だからこそ、子育てしながら困ったとき、あるいは子どもの対応にどうしようか悩むとき、そうではなくてもたまに、この本を読み返して、改めて立ち戻るべき視座とは何か、をつねに振り返り、自分自身を捉え直し、子どもとの関わりをバージョンアップさせたい。そんなことを思いながら読んでいた。

実存を深く問う本との出会い

書き手が自らの実存をかけて、魂を込めて書き上げた本と向き合う時、それは己の実存が問われるし、魂が揺さぶられる。小松原織香さんの『当事者は嘘をつく』(筑摩書房)を読んでいて感じたことである。

小松原さんは自らも性被害を受け、そのことに苦しみ、自助グループで助けられながら、やがて性被害や修復的司法に関する研究を深め、その論考で博士号を取って研究者になった。被害を受けたときから、研究者になるまでの、様々な心の葛藤や揺れ、実存が揺さぶられるような問いが、全編にわたって描かれている。今回の著作で、はじめてそれを対外的に公にされた。

だが、この本を詳細に紹介することはしない。実存をかけて、魂を込めて書き上げられた素晴らしい本に「返礼」するためには、己がこの本でどのように実存が揺さぶられたか、魂が震えたか、の自分語りをするしかない。そう思わせる「力作」である。

ぼくが大きく揺さぶられたのは、次の部分である。

「私は、当事者が望んで自己の探求を行う手法として『当事者研究』を使うことには賛同するし、大きな価値があるのだろうと思う。しかしながら、私は『当事者研究』のなかに、当事者の生々しい言葉をすべて『回復』の言説に回収しようとする支援者の欲望の匂いを嗅ぎつける。」(p93)

なぜ揺さぶられたのか。それは、「当事者研究」に関して、それをリスペクトしつつもモヤモヤしていたことを、ズバリと指摘しているからである。

支援者は、当事者の「回復」を目指した仕事をしている。そして、精神障害を持つ人は、自分自身との折り合いをうまくつけられず、家族や仕事場などの対人関係のまずさ・しんどさ・悪循環が重なる中で、「回復」しにくい。そんな「絶望」の状況の中で、北海道の浦河にある「べてるの家」のソーシャルワーカーの向谷地さんが生み出したのは、当事者が自らの悪循環を仲間と「研究」し、自己病名をつけることによって、その悪循環から逃れる方策に言葉を与え、それを「練習」することによって、「回復」していくプロセスを生み出してきた。この浦河発の当事者研究は全国的に、そして国外でも広まり、一定の評価がされてきた。ぼくも、浦河に何度か出かけ、本も沢山読んで、多くの事を学んで来た。

ただ、「当事者研究」を手放しで評価していたのではない。確かにすごく魅力的な実践なのだけれど、なんだかなぁ、とモゴモゴしてしまう部分があった。小松原さんは、そこをバッサリ、次の様に描き出す。

「私にとって性暴力被害者の直面している問題とは、社会制度や社会構造の不備であった。十分な支援制度が確立されず、経済的に不安な状況で性暴力被害者は苦境に陥っていた。性暴力被害の当事者として語るのは『社会を変える』ために訴えたいからであり、自己のトラブルの対処方法を知りたいのではなかった。その点において、『当事者研究』はそれぞれの当事者が直面する問題を個人化、内面化しており、自己や個人的な知り合いといった小さな人間関係に矮小化していると、私には思われた。」(p92)

これは極めて重要で本質的な指摘である。

ぼく自身は、精神障害や薬物依存、社会的ひきこもりなどの圧倒的な悪循環を前にして、その悪循環からの離脱を、仲間と共に考える「研究」である「当事者研究」は、これまでの支援のあり方を覆すような可能性や魅力を持っている、と感じている。

その一方で、自立生活運動から学び、障害者制度改革にコミットし、脱精神病院に向けて「社会を変える」ために動いてきたぼくにとって、「当事者研究」に感じていた物足りなさは、「それぞれの当事者が直面する問題を個人化、内面化しており、自己や個人的な知り合いといった小さな人間関係に矮小化」している部分だった。

当事者研究の創始者である向谷地さんは、その背景を次の様に語る。

「わが国における統合失調症を中心とした当事者活動が、社会的・政治的な変革と地位の向上を目指す『社会変革機能』に偏り、いわゆる明確な『自己変革機能』を持ち得なかったのは、その部分の役割を、精神科医をはじめとする援助者が『治療』と『援助』の名のもとに独占してきた、という背景がある。」(向谷地生良『統合失調症をもつ人への援助論』金剛出版、p53)

精神障害者の当事者活動が、1970年代からずっと、主として「社会的・政治的な変革と地位の向上を目指す『社会変革機能』に偏」っていたのは、事実である。抑圧的な社会に対してNOと言い、精神病院の劣悪な処遇を改善するように訴え続けてきた。だが、自らが精神症状になることによる、上記の「悪循環」からどう抜け出せばよいのか、という『自己変革機能』に関しては、「精神科医をはじめとする援助者が『治療』と『援助』の名のもとに独占してきた」のであり、当事者はその部分では無力であった。しかも、治療や援助が必ずしも上手くいかず、援助者も無力に陥っていた。

当事者研究のパラダイムシフトは、この無力状態を超えるために、当事者運動の『自己変革機能』を用いて、治療や援助ではうまくいかなった、当事者の抱える悪循環から抜け出る方策を「研究」によって導き出すことであり、それによって「己のトラブルの対処方法」を、援助者に教わるのではなく、自分たちで導き出すことが出来た。

これは本当に画期的で、重要な進歩だと感じている。

だが、である。ぼく自身が以前から「当事者研究」を尊重しつつも、それだけで良いのかな、と感じていた危惧は、「自己変革機能」に集中するあまり、「社会変革機能」を手放したり、置いてけぼりにしていないだろうか、という危惧だった。この点については、少しだけ上記の向谷地論考を引用しながら、『権利擁護が支援を変える』にも書いたし、ブログでも「向谷地さんへの反論、というよりも」という形で書いた事もある。どちらも、精神病院での強制収容を減らす・なくすといった、「社会を変える」を重視しなくてもよいのか、という問いだった。

だが、小松原さんの見抜いた「『当事者研究』はそれぞれの当事者が直面する問題を個人化、内面化しており、自己や個人的な知り合いといった小さな人間関係に矮小化している」という指摘と、「私は『当事者研究』のなかに、当事者の生々しい言葉をすべて『回復』の言説に回収しようとする支援者の欲望の匂いを嗅ぎつける」という警句には、重大な問いが含まれている。

向谷地さんが、べてるの家が、という個人批判ではない。そうではなくて、「当事者研究」を称揚し、それを研究者もこぞって研究する流れの中で、精神医療の構造的問題への告発という「社会変革機能」が矮小化・なかったことにされ、「自己変革機能」の先鋭化にのみ、すすまないか、という問いである。また、それは「当事者の生々しい言葉をすべて『回復』の言説に回収しようとする支援者の欲望の匂い」に結びつき、当事者研究を支援する支援者・研究者の「欲望」が支配する可能性はないか、という問いである。

もちろん、混沌とした中で生きるより、「回復」した方がよい。でも、「当事者の生々しい言葉をすべて『回復』の言説に回収しようとする」ことは、複雑でアンビバレントな思いを持つ当事者の実存を「回復の途上にある者」というフレームの中に縮減して理解することではないか。そして、それは語る人の唯一無二性の生きる苦悩を、「回復者の苦悩」という形で標準化・パターン化して「わかったふり」をすることにつながらないか。そこに、向谷地さん自身がかつて批判した「精神科医をはじめとする援助者が『治療』と『援助』の名のもとに独占してきた」、自己変革機能の他者のフレームによる独占が継続する可能性はないか、という問いである。

「その傷つきやすく、混乱している私に向けられる、支援者の善意ややさしさや愛情こそが、私(たち)の言葉を『回復』の言説に回収し、もともと秘められていた生命力を奪っていく。支援者に『わかってほしい』と思っているかぎり、私の目指す道は拓かれることがない。
だからこそ、愛情深く優秀で真摯な支援者たちに背を向けなければならないのだ。『良き支援者』の協力の誘いこそが当事者の言葉の力を奪うのであり、形骸化した『当事者の語り』はかれらの知の体系に埋め込まれる。私は『わかってほしい』という心を捨てて、当事者として支援者と闘わなければならない。」(p98)

支援者や研究者が、当事者の生きる苦悩を理解しよう、わかろうとする。それは他者の合理性の理解、という基本的で重要な営みである。だが、そこに「回復」のフレームワークを用いると、その当事者の生命力のある「生の言葉」を、「回復」のどの段階か、を査定するモードで捉えるようになってしまう。「混乱している私」から発せられる、まとまらない言葉を、そのものとして受け取るのではなく、「回復」の初期・前段階における昏迷や葛藤だな、と「解釈」して受け取ってしまう。そして、その言葉をまるごと受け止め理解するのではなく、そこに「回復」という視点に基づく「解釈」を入れ込むことによって、「当事者の言葉の力を奪うのであり、形骸化した『当事者の語り』はかれらの知の体系に埋め込まれる」のである。これが、「良き支援者」だけでなく「共感的な研究者」のやっている、相手の実存と向き合わない暴力ではないか、という問いだと受け取った。

そこで、改めてぼく自身はどうだったか、を振りかえってみる。

四半世紀前、精神病院でのフィールドワークを始めるとき、ぼく自身は、理解が解釈にするっとすり替わる暴力が、恐ろしかった。それは、自分の師匠が『ルポ 精神病棟』を書いていた大熊一夫だったから、というのが大きい。精神病院の中にはもちろん「愛情深く優秀で真摯な支援者たち」がいる。にもかかわらず、長期社会的入院が続いている。支援者個人がいくら愛情深くて優秀で真摯でも、社会制度や社会構造が不備で、精神病院から出られないのであれば、あくまでもその構造を告発し続ける必要がある。師匠はそのスタンスで、一貫して告発し続けてきた。

だからこそ、ぼくは元々学部時代から河合隼雄やユングが好きで、神田橋條治とか中井久夫とかよみかじり始めていたけど、師匠と出会い、精神病院で当事者の方々と出会うようになって、博士論文を書き上げるまでの間、精神科医や心理学者による本を読むのを「封印」した。そういう本を読んでいたら、出会う相手を勝手にエセ診断したり、解釈するのではないか、と恐れたからだ。ぼくが通った阪大人間科学部の図書館には、臨床心理学や精神医学の本が沢山あったので、時間的に余裕があった院生時代にそれらを封印していたのは、今から思えば何という勿体ないことをしたのだろう、とも思う。でも、それよりも、「その傷つきやすく、混乱している」当事者の語りを、「回復」や「診断」の枠組みに矮小化して理解・解釈するのではなく、そのものとして受け取るためには、当時のぼくとしては、「そういう本は読まない」という選択肢しかなかったのだと思う。結果的に、その経験があるからこそ、当事者会の中に混ぜてもらうこともできたし、大阪精神医療人権センターに長年ボランティアとして関わらせてもらうきっかけにもなった。「良き支援者」が孕む暴力性には、直観で気づけていた、と今だからわかることである。

あと、この本を読んでいて、ぼく自身が「救われた」と思うエピソードを、もう一つだけ取り上げたい。

性暴力と修復的正義で博士論文を書き上げた小松原さんは、その後、水俣における修復的正義について考えるため、水俣に通うようになる。そこで、彼女は当事者ではなく、研究者として社会問題に関わることになる。その際、以下のような気づきがあった、という。ちょっと長いが、重要な箇所なので引用する。

「私は自分が当事者の立場になっていれば、もっと丁寧にものごとを積み上げて論じたはずだ。
それなのに、私の筆は走り、一面的で浅薄だが、自分なりの視点を打ち出した論文が書けてしまった。なぜなら『当事者』ではない『研究者』だからだ。かれらの苦しみの声を聞かず、ひたすらに自分の見たいものだけを見て、論文を書く鈍感で精力的な研究者。それは私の忌み嫌った研究者像だった。
『なるほど、だからかれらはスラスラと論文が書けたのか』
私は自分が『当事者ではない』ことを受け入れた。同時に、私が思ったことは、『だったら、私は仕事をしなければならない』ということだった。
私が『書けない』ことに葛藤し、苦しみ、筆が進まなかったのは当事者だったからである。だからこそ、水俣に来て私が『書けない』と思うことは、苦悩のふりをしているようにしか思えなかった。私はここでは、『書けない』わけがない。『書ける』のだから、書かなくてはならない。」(p155)

ぼく自身は、長年精神障害や「困難事例」という問題をずっと研究しながら、医者でも福祉専門職でもないし、また当事者でもないのに、どうしてこの問題をずっと研究し続けているのだろう、という問いを抱えてきた。自分自身の立ち位置=ポジショナリティを、問い続けてきた。でも、「当事者」になってしまうと、「書けない」のである。それは、大学教員の当事者だからこそ、日本の大学の構造的問題を書くことが出来ない。こないだ『日本の私立大学はなぜ生き残るのか』という、英国人による優れたフィールドワークの成果を読んで、ぼくの私学勤務で見聞きしたけど書けなかったことがズバリと書いてあって、驚いた。そう、「当事者」だから「書けない」ことでも、「当事者ではない」から見抜けるのだとつくづく感じた。

そして、ぼくは当事者でも医者でもソーシャルワーカーでも当事者研究者でもないことが、自分自身の劣等感というか、寄る辺のなさのようなものとして、あった。でも、今回の彼女の発見を読むことによって、『当事者ではない』ことの可能性を再発見した。「『書けない』わけがない。『書ける』のだから、書かなくてはならない」し、『だったら、私は仕事をしなければならない』のである。

長年放置してきた、精神医療の社会学に関する単著化プロジェクトも、そろそろ本腰を入れて考えなければならない。そんなエールまで勝手に受け取った。

正解のない問い、だからこそ

頂いたわたしをつくるまちづくり 地域をマジメに遊ぶ実践者たち』(尾野寛明・中村香菜子・大美光代著、コールサック社)を面白く読んだ。そして、版元が出している文芸誌「コールサック」109号に書評を頼まれたので、以下のように書いてみた。

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きっかけは直感

「まちづくり」なんて、わたしには縁もゆかりも関係もない。そう思う人こそ、手に取ってほしいのがこの本である。少し前までは「まちづくり」に関係はなかった中村さんと大美さん。人生におけるモヤモヤが深まった30代半ばに尾野さんと出会い、そこから物語が始まる。恋物語ではないのだが、別種の「熱さ」が、この本には内包されている。

中村さんと大美さんは、一見すると性格が真逆である。三人の子どもを育てながら、高松の有名な子育てサークルであるぬくぬくママSUN’Sの代表を務めている中村さん。自己肯定感低め、承認欲求高めであるため、団体の活動を継続しつつも、満たされない思いをずっと抱え続けてきた。他方、大美さんは、やりたいことがある人の助けになろうと全力になるマネージャータイプで、「私の話なんかで大丈夫ですか?」が口癖だった。そして、シングルマザーでうつも経験し、職場の閉鎖と共に退職も迫っていた。そんな二人がうっかり出会ってしまったのが、「高松地域づくりチャレンジ塾」だった。

いや、ちょっと待って。「まちづくり」に興味もないのに、いきなり「地域チャレンジ塾」に入塾するのですか? そんなツッコミを筆者もしたくなる。大美さんは、退職のタイミングで、職場の信頼できる先輩にチラシを紹介され、「6回分で5000円」という安さに半信半疑であったが、それが参加するきっかけになった。中村さんは、末っ子が3歳で幼稚園に入るタイミングで、子連れでなく子育てサークルが出来るのだろうか、と不安を抱えていた時に、相談にのってもらっていた仲間がSNSで告知しているのを見て、「これだ!」と思った。二人とも中身を理解していないなかで、直感だけで入塾を決める。向こう見ずな二人だ。でも、こういう向こう見ずな直感が、人生を切り開く突破口だったりする。

「風の人」に翻弄される

尾野さんは2011年から全国各地で「起業しないでいい起業塾」を開いている、地域づくりの担い手のプロである。しかも、1982年生まれの彼が最初に人材育成を始めたのは20代! ご自身も大学生の頃からやっていた古本屋の経営を、Amazonでの通販専門店だったこともあり、東京都内から賃料の安い島根の過疎地に移した事がきっかけで、中山間地域の過疎化や担い手不足の問題に直面する。その中で、古本屋経営をしながら、移住支援や地域づくり支援をしているうちに、「一歩を踏み出したいと思っているが、何から始めていいかわらからない」「放っておけない身の回りの課題があるけれど、モヤモヤしていてうまく説明できない」という悩みを抱えている人に沢山出会う。そして、普段は別の仕事を持ちつつ、地域の事にも関わってみたいけれども、一歩が踏み出せない人達を「週末ヒーロー予備軍」と名付けたところから、物語が大きく展開し始める。

尾野さんご自身は、企業経営者だし、カリスマ性もあり、メディアで数多く取材されている。だが、世の中、カリスマだけでなりたっている訳ではないし、まちづくりって、一人のカリスマだけで担えるものでもない。これは彼自身が過疎地に関わる中で、痛いほどわかっていた。だからこそ、「毎年10名ずつ週末ヒーロー予備軍を発掘し、10年かけて100名の輪を作っていこう」というキャッチフレーズで、全国各地で高松と同様の塾を展開し、2021年時点では全国20カ所以上で開催している。

こう書くと立派そうな人に見えるが、大美さん曰く、尾野さんは「正論なし、正義感なし、責任感なし」の「三なし男」である。筆者は彼と岡山で姉妹塾(『「無理しない」地域づくりの学校』)を7年続けてきたが、あまりに的確な!指摘に吹いてしまった。そう、紛うことなく「三なし男」である。だからこそ、彼は各地で風を吹かせることができるのだとも感じている。

正論や正義感は、しゃべっている方は気持ちよいが、聞かされる側はしばしばうっとうしいお説教でしかない。「わかっているけど、それが出来ないから困っているんでしょ」と。そして、「僕について来たら全力でサポートするよ」というのは、体の良い責任感に聞こえるけど、実際のところハラスメントや共依存関係に簡単にこじれてしまう。彼は全国各地を旅しながら、様々な週末ヒーロー予備軍に会い続けながら、一カ所にこだわらず、ふらりとその場に現れて、じっくり話を聞く。その上で、的確なコメントや情報提供をして、懇親会で飲んだくれた後に、サクッと次の現場に出かける。そういう意味では、「風の人」であり「三なし男」だ。でも地元でずっとくすぶっている「週末ヒーロー予備軍」にとって、そういう無責任な外の風が、閉塞感のある現状を突破する大きなきっかけになる。

わたしをつくる

そんな3人の出会いや成長のプロセスが記されたこの本が、まちづくりにご縁のない「普通の人」にもお勧めな理由は何か。それが、表題にある「わたしをつくる」というフレーズだ。他者と関わり、関係性を結びながら、何かを始め、継続する。そのためには、他者や対象となる業界・地域を知る以前に、自分自身の内側に眠る潜在的な可能性や、強み・弱みを知る必要がある。尾野さんの講座では、「自己紹介」から始まるマイプランを毎回受講者が発表し、自分のことを話し続ける。大美さんや中村さんも、このマイプランを発表し続ける中で、自分が何者で、どんなことに興味があって、何をしたいのか、を言語化できるようになった。

実は、まちづくりだけでなく、研究であれ詩作であれ、己の井戸を深く掘り下げて、自分の内なる鉱脈にたどり着くことが出来ると、その人は以後、自分を巡る世界が豊穣になるのではないか、と思っている。そういう意味で、尾野さん自身はまさに「三ない男」というマイプランを実践する「風の人」だし、中村さんや大美さんも、マイプランを通じて、30代のモヤモヤをくぐり抜け、次に自分は何をしたいのか、の鉱脈に出会うことができたのではないか、と思う。

そういう意味では、この本は自らの鉱脈にまだたどり着けていない「普通の人」にこそ是非とも読んでみてほしいし、ご自身にしかない鉱脈にたどり着くガイドブックとしても活用されてほしい。そんな風に思っている。

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追記的に書いておくと、この本はモヤモヤしている人に本当にお勧めの本である。

最初の一歩をどう踏み出していいのかわからない、何かを変えたい・はじめたいけど何から始めていいのかわからない、という人は多いと思う。そこで、自己啓発の本やセミナー、Youtubeにはまったり、あるいはヨガやジムに通ったり、通信講座を受けてみようとしたり。

もちろん、それもありなのだけれど、商品としてあるパッケージを購入するということは、そのパッケージや枠組みに従う、ということである。それは、確かに楽だし、そのパッケージが優れていれば、その手本に従うことで、一定のスキルやレベルはあがる。だが、あくまでもそのパッケージや枠組みの範囲内において、という限定はついているのだけれど。

一方、この本の主題である「まちづくり」には正解がない。また、私がどう関わったらよいか、という「正攻法」もない。だからこそ、私がどんな人間で、どんな風に生きてきて、何が得意で、どんなことだったら当たり前のように出来て・・・という自分の「在庫整理」というか「強みと弱みの棚卸し」が必要になる。そんな自分の内面との「垂直の対話」をしながら、自分が住んでいる・関わっている地域にも少しだけ目を向けて、そこで気になる地域課題をぼんやり探す。色々な人に出会ってみる。そういう「水平の対話」を行いながら、「垂直の対話」と重ね合わせるなかで、ほかならぬ自分だからこそ出来そうな何か、が少しずつ見えてくる。

これは、誰かがパッケージやノウハウを示してくれる訳ではないし、正解がない、自分への問いである。正直、一人でやると、どうやっていいのかわからない。だからこそ、同じ課題を持つ仲間と語り合い、何度もマイプランを書き直すプロセスの中で、「垂直の対話」と「水平の対話」を繰り返し、小さな試行錯誤もやってみるなかで、改めて自分と出会い直すのである。そして、そのプロセスを通じて、他者比較をするとか劣等感にさいなまれている暇があったら、自分の目の前の課題をコツコツ掘り下げてみようよ、というモードに転換する。この地道なプロセスこそが、結果として、他の誰とも違う唯一無二の「わたしをつくる」のである。そういうプロセスがあるからこそ、他者に必要ともされ、それが結果的に「まちづくり」にもつながるのだ。

表題「わたしをつくるまちづくり」に込められたメッセージは、案外深い。今回追記を書いていて、改めて感じた。

複雑な権力関係を可視化するインターセクショナリティ

今日は長い表題だ。その場もズバリ『インターセクショナリティ』(コリンズ&ビルゲ著、人文書院)を読んだ。まさに王道を行く概説書であり、読み進めるのに時間はかかったが、決して難解ではなく、読みやすくて、この概念への見通しがよくなった。

インターセクションとは交差点のことである。なので、インターセクショナリティとは「交差性」と訳されている。何と何が交差するのか。それによって、これまで見えていなかったどのような点が可視化されるのか。著者は冒頭で、以下のように明快に定義している。

「インターセクショナリティとは、交差する権力関係が、様々な社会にまたがる社会的関係や個人の日常的経験にどのように影響を及ぼすのかについて検討する概念である。分析ツールとしてのインターセクショナリティは、とりわけ人種、階級、ジェンダー、セクシャリティ、ネイション、アビリティ、エスニシティ、そして年齢など数々のカテゴリーを、相互に関係し、形成し合っているものとして捉える。インターセクショナリティは、世界や人々、そして人間経験における複雑さを理解し、説明する方法である。」(p16)

この定義を、最近「はやり」のヤングケアラー問題に当てはめてみたら、どんなことが言えるだろうか。最近流行しているから、だけでなく、研究室に関わる方がヤングケアラー経験を持つ方だったり、ゼミ生の卒論調査でヤングケアラーに関わるスクールソーシャルワーカーへのインタビュー調査をするのに同席させてもらったり、あるいはブログで書いたが教育社会学系のエスノグラフィーを読み進めたりする中で、ヤングケアラーを単に「親を世話するかわいそうな子ども」と単純化して理解してはならない、と思い始めている。そこで、ヤングケアラーを巡る「世界や人々、そして人間経験における複雑さを理解し、説明する」ために、インターセクショナリティを使うと、どんな風に言えそうだろうか。

まず、ヤングケアラーの親の中には、精神疾患の当事者が結構な割合でいる。私も精神障害者支援を研究してきたので、これまで当事者が子育てをされている例も、見聞きしてきた。ただ、精神障害者福祉の視点だと、あくまでも当事者の子ども、という切り取り方であり、その子どもがどのような苦悩を抱えているのか、になかなか焦点が当たってこなかった。

次に、精神疾患を抱えた親を持つ子どもは、親の世話や障害の理解、だけでなく、自分や兄弟の世話なども必要で、充分に勉強が出来なかったりする。だが、これまでは「自分でする」「家族でする」ことが当たり前になっていると、それが出来ない子どもや家庭は「ルーズな家の子」とひとくくりにされていた。しかし、「出来ない」背景にある、親の困難や子どもの困難という複合性に目を向けると、その困難の内在的論理が浮かび上がる。これは、以前論文にも書いたが、ゴミ屋敷を巡る「困難さ」に関して、世間や常識といった「合理性のレンズ」で眺めるのではなく、あくまでも本人の「非合理の合理性」を捉えることが必要である部分である。

さらに、精神疾患を持つ親の抱える困難は、それだけではない場合がある。離婚してシングル家庭であるとか、経済的困窮を抱えているとか、近所や親戚との関係性がうまくいかないとか、依存症の離脱がしにくいとか・・・様々な不利や障壁とセットになっている場合もある。

すると、上記に挙げただけでも、障害とジェンダー、貧困や教育格差、福祉的支援の有無・・・といった様々な領域・要因が絡み合っている事が見えてくる。これが、複合的問題であり、多重な困難として家族全体に覆っているからこそ、ヤングケアラーの問題が大変なのである。

しかもだ、そんなヤングケアラーを「個人の悲劇」モデルで考えると、「交差する権力関係が、様々な社会にまたがる社会的関係や個人の日常的経験にどのように影響を及ぼすのかについて検討する」機会を喪失してしまう。親が精神障害(発達障害)を持っているから、シングル家庭であるから、貧困であるから・・・という理由で、子どもがヤングケアラーを引き受けなければならない、という直接的な因果関係はない。上記の理由が重なった上で、「そのような家庭や子どもに充分な支援が行き届いていない」がゆえに、ヤングケアラー問題が大きくなっているのだ。そこには、権力構造が、その問題を放置してきた、という構造的な瑕疵があるのである。それは、家族介護は日本の美風である、ケアは家族が責任を負うべき「家族責任」だ、という日本型福祉の発想が根底にあり、だからこそ、家族内のケアに国家が関わるのは残余的であり、家族が抱えきれなくなったら精神病院か入所施設に丸投げ、という「家族丸抱え」か「施設丸投げ」の論理があるのである。

この交差する権力関係や、その前提となる日本型福祉の権力構造を見抜いて、それを批判しないと、ヤングケアラーのような問題は、くり返し起こり続けるのである。そして、以下の「ウィメン・オブ・カラー(非白人女性)」の表記を「ヤングケアラー」に言い換えてみると、多くの事が学べる。

「(1)個人のアイデンティティと集団のアイデンティティ感のつながりを描き、(2)社会構造に焦点を当て、(3)ウィメン・オブ・カラーに対する暴力的な権力関係を理論化し、権力の構造的、政治的、象徴的な力学を強調し、そして(4)インターセクショナリティの研究目的は、社会正義イニシアティブへの貢献にあることを読者に思い起こさせる」(p142)

そう、ヤングケアラー問題が放置されていることは、社会的不平等の温存であるばかりでなく、ヤングケアラーが家族介護の枠組みに矮小化され、放置されることによって、社会構造への焦点化を妨げ、個人の悲劇に矮小化され、結果的に社会的正義が損なわれている状態なのである。

「『批判的(クリティカル)』という用語は、社会的不正義の状況下において起こる社会問題を批判し、拒否し、解消しようすることを意味する。」(p106)

ヤングケアラーは個人の悲劇だ、と矮小化して、ヤングケアラーを巡る社会的不正義の状況を放置するのであれば、インターセクショナリティ概念は必要ない。だが、障害やジェンダー、貧困などが複雑に絡み合うことによって明らかに社会的な不正義がヤングケアラーに襲っていて、その状況を批判し、拒否し、解消しようとするなら、ヤングケアラーにどのような交差する権力作用が働いているか、を批判的(クリティカル)に捉える必要がある。これは、ヤングケアラー問題にも共通する視点であると感じる。

そして、本書の最後の方では、教育の構造的問題にも触れている。サラ・アーメド(Sara Ahmed)による以下の言葉の引用は、非常に重い。

「<ダイバーシティ>という用語の登場は、<平等>を含む他の(そして、おそらくより重要な)用語から離れることを伴う。ダイバーシティの制度的な魅力に警戒しながら、制度に組み込まれやすいことが脱政治化の表れではないかと問いかけなければならない」(p285)

「ヤングケアラー」が流行語になる以前から、「SDGs」は流行語になっている。その中でも、ダイバーシティ=多様性、というのはキー概念の一つになっている。多様であって何が悪いのか? そんな突っ込みも受けそうだ。多様性が悪いのではない。ただ、多様性を尊重することが「制度に組み込まれる」ことによって、「脱政治化」されることを危惧している。それは、よくわかる。制度に組み込まれることによる「脱政治化」、とは、例えばLGBTや障害理解を大学教育の中に組み込むことによって、多様性を担保したことが「お墨付き」が得られた、と「勘違い」することである。もちろん、障害やジェンダーの理解教育は必要だ。でも、理解教育をしたらそれで免罪符を渡されるわけではないのは、ヤングケアラー理解や啓発教育でも同じだ。実際に、障害を持って、セクシャルマイノリティで、ヤングケアラーとして、社会的不平等の扱いを受けたり、社会的な不正義の状況に置かれている人がいた時に、それを解決する「政治化」された行動が必要になる。それを、個人の不幸や悲劇に矮小化して、理解はするけど行動しない、あるいは温情的な行動に終始するようでは、「制度に組み込まれることによる脱政治化」であり、「批判的(クリティカル)」とは言えないのである。

ヤングケアラー問題も、制度的な解決が求められている。だが、制度に組み込まれることによって「脱政治化」し、ヤングケアラーが置かれている社会的不正義や構造的な抑圧を、なかったことにしたり、そこに触れずに表面的な解決策を探るだけでは、本質的な問題への対処とは言えない。こういう複雑な問題こそ、どのような構造的課題が複雑に絡み合っているのか、を解きほぐし、その交差性を明らかにする中で、では他の類似の問題だったらどう対応できているのか、あるいは他と同様何が支援不足として明らかになっているのか、を炙り出す必要がある。ヤングケアラー問題でいえば、ファミリーソーシャルワークや家族全体の福祉的支援の欠落、障害や貧困、女性支援などの縦割りを超えた重層的相談支援の不全、などの問題も見えてくる。こういったことの交差性=インターセクショナリティを押さえることが出来るか、社会構造の改革へと踏み切ることが出来るか、それによって社会的不平等の温存や放置を変えていくことが出来るか、が問われているのだ。

今回はヤングケアラーに引きつけて論じたが、この本ではもっと沢山の有益な示唆があり、そのほんの一部しか今回は触れることが出来なかった。インターセクショナリティのことが気になる方は、是非ご自身で手に取って読んで頂きたい一冊である。

積ん読の効用!?

世の中には、買ってすぐ読める本と、寝かしておいた方が良い「積ん読」本がある。今回は、2014年に購入しているから、7年前に買い求めた、定評のある一冊なのだけれど、ぼくは最近まで「読めなかった」。でも、2022年の今だからこそ、読んですごく良かった。それが『その後の不自由』(上岡陽江・大嶋栄子著、医学書院)である。

「疲れたって言えばいいのに言えずに自殺未遂しちゃう人たちですが、『死ぬ』としか言えなくて本当に死んじゃうことが私は怖いんです。だから、グチも不満も何も言えなくて“いい人でしかいられない”人たちに、『少し日常的に困ってることを話そう』とか言ってあげてください。手首を切ってまで生き延びようとしている人たちなんだから、グチがないわけはありません。」(p103)

この記述の迫力というか、真の価値を、7年前のぼくが理解出来ていたか、というと、多分怪しい。それはちょうど1年前に読んだ、荒井裕樹さんの本に出てくる「苦しみ」と「苦しいこと」の違い、などを補助線にすると、やっと理解出来る世界である。

「疲れた」という「グチや不満」が言えない。だからこそ、リストカットしたり、本当に死んじゃう人がいる。そんなの普通じゃあり得ない、と、昔なら思っていた。でも「疲れた」「しんどい」という形で「苦しみ」を表現出来ないから、でも「苦しいこと」をわかってほしいから、自殺未遂しちゃうとか、手首を切るのである。これは「死にたい」のではなくて、「手首を切ってまで生き延びようとしている人」の、「苦しいこと」という自己表現なのだ。そのことを押さえた上で、上岡さんや大嶋さんの語る内容を読んでいくと、ほんとうに頷くことが多い。

「アルコールや薬などアディクションは止まらないままであっても、たしかによくなっていく。よくなっていくとは、仕事、お金、社会的地位など“何か”を手に入れるといった、上昇していくことではないと思います。
むしろ自分がさまざまなものへのめり込みながら逃れようとしたこと、忘れようとしたことを、なかったことにしないでほしいのです。嗜癖にのめり込んだ意味を消して生きることは、自分を否定しながら生きることです。人に迷惑をかけたことをきちんと償うことは大切ですし、病気のせいにして自分を正当化するのはそれこそビョーキです。
けれども、自分のなかにある、『そうでもしなければ生きられなかったなかで嗜癖が必要だった』というその“意味”を消してしまうと、等身大の自分と、表面に見せている自分の距離が少しずつ大きくなってしまいます。その距離の大きさはやがてバネのような反動となり、ふたたび本人を嗜癖の世界へと押し戻してしまうでしょう。」(p127-128)

「嗜癖」や「アディクション」を「仕事中毒」と入れ替えると、案外多くの人に当てはまる可能性の言葉ではないだろうか。ぼくはそれを、子育てをしながらの5年間の間に感じている。

子どもが産まれる前は、「馬車馬の論理」だった。業績をとにかく沢山出さなければ、そのためにはもっともっとインプットして、もっとアウトプットしなければ、と強迫観念的に思い込んでいた。読めるはずもないほどの大量の本を買い込み、研修や講演の依頼があればとにかく引き受けて全国各地を移動しまくり、予定表をみっちり詰める事をデフォルトにして、その中での効率性を高める為のライフハック本を読みまくっていた。それは、「もっともっと」という「上昇」志向そのもの、だった。

だからこそ、子育てを始めて仕事を極端に減らした時、身を切るように苦しかった。あれは、今から思うと、仕事中毒というアディクションから離脱する時の苦しみだったのかもしれない、と思う。自分の存在価値が否定されるような苦しみに、当時は感じられた。でもよく考えてみれば、それまでのぼくは、仕事中毒になることで、自分自身の自己肯定感を満たそうとしていた。忙しいほど評価されていると思い込んでいた。そして、忙殺されることで、「自分がさまざまなものへのめり込みながら逃れようとしたこと、忘れようとしたこと」を、「なかったこと」にしていた。

子どもが産まれた後、仕事の量を極端にセーブすると、その「なかったこと」が見えてきた。「等身大の自分と、表面に見せている自分の距離」というものが、クリアになってきた。それはぼく自身が仕事中毒という「嗜癖にのめり込んだ意味」を考え直すプロセスでもあった。前任校で准教授から教授になり、給与も上がり、講演や研修にもひっきりなしに呼ばれていた。でもそのなかで、ある種の虚像というか、「等身大の自分」から離れた何かになっていたのだと、今になっては思う。

「ケアと男性」で書き続けてきたが、子育てというのは、本当に思い通りにならない、想定外の、自分で選択も決定も出来ないことだらけだ。子どもの事で、親が振り回されまくっている。それは、腹が立ったり、トホホと思うことだらけだ。でも、そのプロセスがあるからこそ、娘や妻との関わりのなかで、ぼくは有り難いことに、「等身大の自分と、表面に見せている自分の距離が少しずつ大きくなって」いくことを食い止めることができた。娘と関わっていると、虚像のぼくを出そうとしても、等身大のぼくに引き戻してくれるのである。

嗜癖と仕事中毒を、それでもやっぱりごっちゃにされたくない、と感情的に反発する人はいるだろう。でも、『そうでもしなければ生きられなかったなかで嗜癖や仕事中毒が必要だった』という補助線は、沢山の気づきをもたらしてくれると思う。それは医師で、自分自身も仕事中毒でクラシック音楽CDの「買い物依存症」でもあったGabor MateのTED映像をみても、そう思う。彼はこう語っている。

「依存とは一時的な安らぎや喜びを与えながら、長期的には害になり悪影響をもららす行動のことで、その悪影響にも関わらずやめることができないもの」

この定義に照らすと、家族や他の社会関係、等身大の自分自身との関係もなおざりにして仕事に忙殺されるほど、のめり込むことは、明確な「依存」でありアディクションである。

そして、この本はそういったアディクションから距離を取った「その後の不自由」が描かれている。確かに、一度距離を取ったからといって、そう簡単に自由になれるわけではない。子どもが赤ちゃんの時代は仕事をかなり減らしていたが、今はこども園に行き、そのうち小学校に行くようになると、少しずつ仕事できる時間が増える。そして、放っておいたら、また以前と同じように仕事中毒になりかねない。だからこそ、等身大の自分、とか、向き合ってこなかった、逃げていた自分自身の実存と不自由ながらも向き合う事が出来るか、が「その後」の人生には問われているのだ。

「回復とはある地点に到達することではなく、むしろ変化し続ける過程そのものを指している」(p126)

アルコール依存でもリストカットでも仕事中毒でも、その地点に到達して無限ループに入っている限り、「回復」とは言わない。その悪循環から出る、ということは、何かに没頭・埋没・はまり込んだ状況から抜け出る、ということである。生きていると、様々なことが起こる。そのことに、柔軟に対応し続け、変化し続ける。その過程が「回復」というのだ。それは、子どもを育てながら、柔軟に対応し続け、今も変化をし続けている、というか、娘にそれを迫られている父としては、本当によくわかる。

・・・と書いてみて、単なる書評を書くつもりが、まさか自分語りをするとは思ってみなかった。でも、それほど、アディクションの問題って、すごく縁遠い、一部の人の困った・他人事の問題のように見えて、いま・ここ、の自分に近い、自分事の課題なのだと思う。そしてそれを実感として言葉にするためには、購入してから7年間、寝かせて置く必要があっとのだと思う。時間はかかったけれど、いい本を読めました。