「能力不足」ではなく「機能不全」

勅使河原真衣さんは新著をバカバカ出しておられる。前回、書評ブログ(「ダメなあいつ」は絶対ダメ!)を書いたのはちょうど1ヶ月前だったのだが、今回は別の本の書評ブログを書く。

「職場の傷つきを個人の『能力』の問題にすると、どんな『いいこと』があるのか?
1,組織の責任回避:組織が責任を持って解決すべき問題にならないですむ。
2,『問題社員』の排除:特定の<弱い><できの悪い>社員を『評価・処遇』することで実質的に排除できる。
3,無限に努力する社員の創出:『問題社員』にならずに『活躍』しつづけるためにはがんばらねばならないという認識を植えつけることができる。」
勅使河原真衣『職場で傷つく』大和書房 p126)

この表記をみて、首がもげるほどうなづいた、だけでなく、ちょうど20年前のことを思い出していた。

20年前、博士号は取れたけど就職が全然決まらず、50の大学に公募書類を出して落ち続けていた時、それでも運良く調査研究の資金を得られて、とある施設に入り込んで調査していた。その施設は業界の人が名前を聞けば誰でも知っている有名な施設で、その支援内容は全国的にも知られており、創設者はカリスマ支援者と言われていた。その施設で、なんか職員間の関係性がよくないなぁ、と思い始めていたので、20名くらいいた支援職員全員にインタビュー調査をしてみたのだ。すると、次の7つのポイントが浮かび上がった。(地域移行後の障害者地域自立生活を支えるスタッフ教育のあり方に関する基盤的研究

  1. 方向性・速度・やる気のズレ
  2. 職員の連携のなさがもたらすもの
  3. 仕事や会議の非効率的・非効果的運営
  4. 職人芸ではまわりきらない
  5. 責任の所在の不明確さ
  6. 部下の育成と自己変革の失敗
  7. 自ら伸びていくことの失敗

この調査をする中で、支援対象者に熱意を持って関わるカリスマ職員が、実は同僚にはめちゃくちゃ厳しい、ということも見えてきた。「自分と同じ給料をもらっているのに(上司なら自分より高い給料なのに)これくらいも出来ないなんて」という声を何度も聞いた。でも、そもそもその上司も、現場支援に愛着があり、管理職としてのトレーニングを受けていないので、どのように責任を取ってよいのかわからない。法人内での人事異動もあるのだが、個々人の機能や持ち味を見極めた人事異動ではないので、「『問題社員』の排除」や「組織の責任回避」的な人事異動になってしまう。だからこそ、結果としてこの組織では「無限に努力する社員の創出」につながり、それが出来ない職員は「能力がない」「やる気がない」と評価されていた。

ただ、この法人も創設者も、みんな「いい人」だったので、上記の報告書に誠実に向き合ってくれた。調査結果をウェブ公開してもいい、と言ってくれたし、この内容について向き合いたいから、法人運営の組織改善の手伝いをしてほしい、とも言われた。なので、この報告書を書き上げた後、数年レベルで法人内でのコミュニケーション改善のお手伝いをしてみた。どうやっていいのかわからないので、ファシリテーションや経営学、職場改善など様々な本を付け刃で読んで、色々会議の在り方を変えようとしたのだが・・・やがて尻すぼみになってしまった。

その時に何が間違っていたのかわからずモヤモヤしたけど、20年後、勅使河原さんの本を読んで図星に書いてあった。

「『職場の傷つき』という本来関係論的な問題も、個人の『コミュ力』の問題にすり替える土俵は整い、皆がうまくやれるよう組織が配慮することは何ら要請されず、個人だけが『うまくやること』を『コミュ力』として、絶えず求められる。」(p136)

20年前のぼくは、さすがに個人の「コミュ力」の問題にすり替えてはいなかった。でも、職場内のでコミュニケーション不全の問題とすり替えていて、その背後に潜んでいた「『職場の傷つき』という本来関係論的な問題」という構造上の問題に、目を向けることが出来なかったのだ。そして、その背景に「能力主義」の問題があるなんて、当時は思いも寄らなかった。

「能力主義はなぜ人を傷つけるのか?
1,断定:本来揺れ動く状態なのに、『あの人は優秀』『あなたが能力が低い』と言い切ってしまうから。
2,他者比較:『○○さんはできているのにあなたはできていない』という無限の背比べ競争を正当化するから。
3,序列化:勝った人はまた勝つために競争し、負けた人も今度は勝てるように競争し、1つでも上位に行きたいと思わせるエンドレスなしくみをつくるから。」(p146)

20年前に向き合ったその法人は、生産性がない、と言われかねない「より集中的な支援が必要な障害者」を一人の生活者として捉え、入所施設で丸抱えするのではなく、地域の中で主体的に生きていけるように支援する、というほんまもんの支援が出来ている老舗法人だった。その意味では、支援対象者に対しては能力主義的なメガネを一切かけてはいなかった。

だが、勅使河原さんの文章を読んで、やっぱりと気づいてしまったのだ。僕がヒアリングした時も、『あの人は優秀』『あなたが能力が低い』という断定が、そこかしこに法人内を漂っていた。また、『○○さんはできているのにあなたはできていない』という他者比較も言葉には出さないけれど、でも実際には漏れ出ていた。職人的に徹底して仕事をしている人も、今から思えば「序列化」のなかで「エンドレス」な戦いをしていたのかもしれない。そういう意味で、支援者間での能力主義は、残念ながら蔓延していたし、違和感を持っていたぼく自身も、それが職場内での能力主義的な問題である、と意識化・自覚化できなかった。ましてや「職場の傷つき」にまで、アプローチできなかったのだ。だからこそ、組織開発のプロである勅使河原さんのこの本は、圧倒的迫力をもって、僕に迫っていた。20年前に見えていなかったのは、このことだったのか、と。

そこで勅使河原さんは解像度の高い整理をしてくれる。

「こうした事案は、『被害者・加害者』のような二項対立的な図式で語りがちかもしれませんが、『正しい・間違っている』でもなければ、『良い・悪い』でも語り尽くせないのです。ただただ、ある状況で、お互いに見えている世界・認識が違う、ということです。その状況で、お互いがかけているメガネが違うことを意識せず、誤って次のことに盲進していくのが、いわゆる『トラブル(傷つき)』の状態といえます。」(p166)

私たちは二項対立で考えると、思考が楽なので、ついついそうなりやすい。誰が被害者か、誰が正しくて、何が悪いか。そうやって決めつけることで、「頑張っている自分は悪くない、悪いのは怠けているあいつだ!」と自己正当化しやすい。その一方、「ただただ、ある状況で、お互いに見えている世界・認識が違う」というメガネの掛け替えは、理論的にはわかるけど、問題の当事者になってしまうと、それは受け入れにくい。「あいつにもあいつなりの合理性がある、と認めることは、あの人の努力の足りなさを甘やかすだけではないか、それを許していいのか。僕はこんなに頑張っているのに・・・」。そうなってしまいやすい。

この堂々巡りから脱するためには、どうすればよいのか? 勅使河原さんは、それを自分の組織で考えるためのヒントを、以下のように提示している。

・今どんな人がいて、どんな「機能」を持ち寄り、目標に近づくことができそうか?
・逆にどの「機能」は担える人が見当たらず、穴ができていそうか?
・それを繕うには、その「機能」を外から探すのか?
・今いる人員の中で、「機能」を拡張させられそうな人がいないかどうか?(p244)

彼女は組織が職務上必要としている「機能」を、個人の「能力」の話にすり替えることで、「職場で傷つく」が生まれるとも指摘している(p203)。ということは、職場の機能の問題は、個人の「能力」云々にすり替えず、職場の関係性の問題として、職場が引き受けるべきであり、個人を責めてはならない、というこだ。その上で、職場が「機能不全」を起こした時に、誰が足を引っ張っているか、と問題の個人化・悪魔化を行い、誰かを排除すると、無限ループに陥る。それを回避するには、人ではなく「機能」にフォーカスせよ、と。そして「機能」が上手く噛み合うように、組織をチューニングし続けることが大切だ、と彼女は指摘している。「職場で何らかの組み合わせの不整合が出ている」ならば、「噛み合わせの悪いところ」を発見し、「それは組み合わせでどこまで変えていけそうか?」をすりあわせるしかない、と。(p262-263)

僕は20年前、これは全く分かっていなかった。現場の組織に関わったこともないから、無理もない。でも、その後20年、上記の報告書を見たいくつもの社会福祉法人の中堅・幹部職員から、「うちの法人内の問題・ゴタゴタ・歪み・・・を図星で指揮されている」と言われた。そして、実際複数の法人の組織改革のお手伝いを、それこそ見よう見まねでしてきた。その時この本があったら、と悔やまれてならないし、これからそういう話が舞い込んだ時は、「幹部研修で『職場で傷つく』を読んだ上で、モヤモヤ対話してみませんか?」と提案することが出来そうだ。

そういう意味で、20年間モヤモヤ考え続け、答えの出なかった問いに、大きなヒントを与えてくれる一冊だった。

世界を描くことは、アブラムシを記述すること

二段組みで本文だけで400ページくらいある本を、しかも自分の専門領域ではないのに読み通すのは、簡単なことではない。俊英な岡部さんとの読書会で候補に挙がらなかったら、多分読み通せなかった、けど読んですごく勉強になったのが文化人類学者アナ・ツィンの『摩擦 グローバル・コネクションの民族誌』(水声社)である。同じ著者の『マツタケ』(みすず書房)も面白かったのだが、これも分厚くて、こちらは途中で挫折している。

今回なんとかこの本を読み終わって、改めてこの本は何の本だったのだろうと辿り直してみると、それはアブラムシの本だったのだ。え、なんだって?

「APHIDS(アブラムシ)、すなわちArticulations among Partially Hegemonic Imagined Different Scales(部分的に覇権を握る、想像された異質な諸スケールの結合)である」(p127)

この本ではインドネシアの辺境の熱帯雨林の開発と保護をめぐる様々なアクターの物語が「分厚い記述」で描かれている。地元住民のなかでも、山林開発企業の買収に応じて現金を手に入れたい人もいる一方、環境保護のアクティビストと同調する人もいる。焼き畑農業をやっている伝統的農業における村落共同体と、国や州における官僚的な支配システムにもズレがある。幻の金山騒動では、カナダの鉱山会社や投資家まで巻き込んだグローバルな投資活動が活発化した後、実はそれは贋物鉱山で金は全くとれなかった、というお粗末な結果も描かれている。スカルノからスハルト、その後の政権における政治腐敗が開発独裁とどのように繋がっているのか、も描かれている。一方で、インドネシアの中産階級の大学生達が自然を再発見し、環境保護アクティビストになっていくさまも描かれる。

一見すると、位相が違いそうな様々な記述が書かれているが、このような「部分的に覇権を握る、想像された異質な諸スケールの結合」によって、インドネシアの熱帯雨林地帯におけるグローバル・コネクションの摩擦と連鎖が描かれているのが本書である。そして、アブラムシの記述を見て思い出したのが、アリの話だった。

「以前は、アクター‐ネットワーク‐理論のラベルをはがして、「翻訳の社会学」、「アクタン‐リゾーム存在論」、「イノベーションの社会学」といった具合にもっと精緻な名称を選ぶのもやぶさかではなかったが、ある人から指摘されて考えが変わった。つまり、ANTという頭文字は、目が見えず、視野が狭く、脇目をふらず、跡を嗅ぎつけて、まとまって移動するものにぴったりであると言うのだ。アリ(ant)が他のアリたちのために書く。これは、私のプロジェクトにぴったりではないか。」(ラトゥール 2019a:22-3)

上記はラトゥールの主著『社会的なものを組み直す』の訳者の伊藤さんが引用されているHPから持ってきたActor Network TheoryはANT(アリ)である、という一節である。

アリもアブラムシも、実に小さくか弱い存在である。一匹で世界を変えられるような存在とは真逆である。でも、それぞれのアリやアブラムシが動き続けるなかで、より多くの構造が動き出す。それぞれの個体の間でも、あるいはアリとアブラムシの間でも、異質な諸スケールが「結合」されていくことによって、「部分的な覇権」が生まれてくる。

ムラトゥス山脈西部の山麓にあるマングールという焼き畑農業の移動耕作民の村は、グローバルヒストリーにおいてはアブラムシやアリのような小さくか弱い存在である。だが、この村の開発を巡って、州や国の役人だけでなく、ASEANのジャーナリストやグローバルな環境保護アクティビストとつながり、開発中止のうねりが出来ていく。しかし、この中で、村人達は外部者と一致団結し、大きな物語を作り出したのではない。「異なる位置にいるアクティビストたちが異なるストーリーを語るのは、彼らがマングールの森について明らかに異なった歴史を築いてきたから」(p361)という意味では、一見するとバラバラな、あるいは同床異夢な物語が描かれている。でも、実はこの同床異夢性の中に筆者は「部分的に覇権を握る、想像された異質な諸スケールの結合」というアブラムシの本質を見る。

「多くの環境主義の擁護者が環境学者に問うているのは、データを結合して地球規模の見取り図を作成するために、いかにして互換可能なデータセットを収集できるかである。この見方からすると、現地の視点は技術的な問題として乗り越えるべき課題となる。私のストーリーはそれとは逆のアプローチを切り開く。私たちが互換性のないデータセットに注目したらどうなるだろうか? 換言すれば、社会的な立場やジャンル、実践的な知識が、私たちの集めるデータを形成するあり方に着目したらどうなるだろうか? 互換不可能性を排除するのではなく、その不可能性がどこに差異をもたらすのかを明らかにする必要があるのだ。」(p374-375)

互換可能なデータセットとは、比較可能な数値化されたデータである。気温や湿度、森林面積や開発された大地の面積、土壌汚染の証拠となる各種の有害物質の含有量・・・、これらは何らかの「客観的な評価基準」で比較検討が可能なものである。環境保護などを主張する際も、このような互換可能なデータセットの収集に基づいた議論が、説得力があるとされる。

だが、アナ・ツィン氏は「私のストーリーはそれとは逆のアプローチを切り開く」と述べる。比較可能な数値に縮減されない互換性のないデータセットである「社会的な立場やジャンル、実践的な知識」が、「部分的に覇権を握る、想像された異質な諸スケールの結合」を生み出していく。その有様が「摩擦」や「差異」を生み出す。マングールの環境保護の動きに関して、村人の中でもその歴史的記憶が違って語られる。それは外部のアクティビストや州政府関係者との語りとも異なる。だが、唯一の正解がある、というfact信仰とはこのアプローチは異なる。違って語られる記憶にいかなる摩擦や差異があるのか。それはなぜ・どのようなプロセスで作り出されていくのか、をアクター間の連接(ネットワーク)を手繰りよせながら描いていくのだ。これはアクターネットワーク理論とは言わないANT、アリとアブラムシの結合の物語なのである。

「摩擦はグローバル・コネクションをより強力かつ効果的なものにする。また同時に、意識せずとも、摩擦はグローバルな力のスムーズな動作を邪魔しにくる。差異は混乱を招き、日常的な機能不全や予期せぬ天変地異をもたらしうる。グローバルな力が良く油を注された機械のように動作するというまやかしは、摩擦によって否定される。加えて、差異は時に反乱を揺動する。摩擦は、象の鼻に入るハエになれるのだ。
摩擦に注目することでグローバルな相互のつながりを民族史的に記述する可能性が開かれる。(略)私たちが問うのは、普遍が真実なのか虚偽なのかということではなく、普遍が持つ種々の厄介な関わり合い(エンゲージメント)である。」(p29)

僕がブログを書くのは、本の紹介の意味もあるが、こうやって文章を筆写する中で、筆者の論理構造を追体験する意味も大きい。今回この部分を筆写しながら、アブラムシはハエでもあったのか、と気づかされた。それだけでなく、この本は色々なややこしい話がたっぷり書かれていて、読んでいて疲れるし、どこにいくねん、と思いながら読んでいるのだが、実は社会運動といわれるものは一枚岩では全然なくて、差異は混乱を招くし、スムーズな動きは摩擦によって否定されるのだけれど、そのような動的混乱や反乱、揺動こそが、金融資本主義やグローバライゼーションといった大文字の政治に抵抗する「蟻の一穴」になりうる、ということだ。普遍はシュッとしたスマートな真実なのではない。本書を読んでいても感じるが、「普遍」として歴史的に記述・記憶されるものも、実は「種々の厄介な関わり合い(エンゲージメント)」の極めて薄氷を踏む動的平衡のなかで成り立っているのである。

これと同じ記述を、自分の専門で出来るか、と言われたら、大変心許ない。でも、精神医療の構造を問い直すのなら、こういう形での「種々の厄介な関わり合い(エンゲージメント)」による「摩擦」や「差異」を描く方法もあるのだ、と学ぶことができたのは、大きな成果だ。

類い希なる通訳者

村上靖彦さんの本から、常に刺激を受け続けている。彼は元々現象学者なのだが、大阪に引っ越してきた後、看護や福祉、ケア領域での現象学的質的研究を続けている。中でも『子どもたちがつくる町 大阪・西成の子育て支援』(世界思想社)はめちゃくちゃ面白くて、ブログにも書評を書いたことがある。

今回、その村上さんが、西成や様々な現場で観察してきた支援を哲学としてまとめたのが、『すき間の哲学』(ミネルヴァ書房)である。読み出したら面白くて一気読みしてしまったので、忘れないうちに読書メモを。

すき間とは、村上さんは「世界から存在しないことにされていること」と「法権利の保護の外側におかれてしまい、権利によって守られていないこと」と暫定的に定義する。その上で、次の二つを指摘する。

・法律や制度のすき間にこぼれ落ちて支援を受けることもなく社会から見えなくなっている人たちがいる。しかもこのすき間は突然ぽっかり開くこともある。
・排除を生み出す強い圧力が社会にはある。(p5)

これは障害や貧困の話だけではない。「保育園落ちた、日本死ね」というのは、共働きで子育てをしようとしたら「突然ぽっかり開いた」待機児童という法律や制度のすき間にこぼれ落ちてしまった人が、「私はここにいる!」と異議申し立てをした、「すき間の可視化」だった。そこから、待機児童が問題化し、政策化されてていった。この当時でも、小さいのに預けられる子どもがかわいそうだ、などの「排除を生み出す強い圧力」があったが、幸いにしてその抑圧より共感の回路のほうが圧倒的に強かったため、政策化されてていった。そういう「すき間」の問題に、村上さんも西成との出会いを通じてはまり込んでいく。

「個人が経験する逆境は、しばしば社会構造において生じる排除を背景に持つ。
縦軸の逆境は、横軸の排除と連動する。本人がまず直面するのは足元の困難であり、穴を生み出した横方向の社会構造的な排除は隠されている。社会的排除の横の拡がりと、垂直的な逆境とが交差する地点に人は立たされる。すき間は逆境でもある。」(p94)

待機児童問題も、子どもを産んだのに働き続ける・ベビーシッターを雇えないあなたがわるい、と個人の問題にされていた。そういう風に自己責任や問題の個人化がされると、足元の困難で必死な本人は反論しにくい。「日本死ね」という悲痛な叫びは、保育園に預けて働きつづけて税金も納めようとするのに、なんなんだよ!という社会構造的な排除に対する怒りの言葉から出てきた。「社会的排除の横の拡がりと、垂直的な逆境とが交差する地点に人は立たされ」た時に、これは私だけのせいなのか!と異議申し立てしたからこそ、可視化したものである。それほど、縦軸の自己責任や問題の個人化の圧力は強いし、そうやって縦穴の間口を拡げることにより、「穴を生み出した横方向の社会構造的な排除」はますます見えなくなっていく。

「すき間は、マジョリティ側の知によって把握可能なものではなく、未知の外国語を学ぶように未知のものと出会い、すき間に置かれた人が持つ未知の文化を学ぶことでマジョリティの知の体系を組み替え、両者がお互いの文化を吟味して誤解を重ねつつも、少しずつ接近することによってでしか可能ではない。そのような総合不可能なすき間へのアクセスを含んだすき間との接続を、メルロ=ポンティは『側面的普遍』と呼んでいる。」(p135)

僕が大学院生のころから、精神病院や地域でのサポート現場で学んで来たのは、まさに「未知の外国語を学ぶように未知のものと出会い、すき間に置かれた人が持つ未知の文化を学ぶこと」だった。教科書がないので、その言葉を話し、その文化を生きる人々の独特の生き方を少しずつ、学び続けてきた。その中で、健常者コミュニティの知の体系なるものの独善性に、少しずつ気づき始めた。

この際、最大の障壁になるのが、「マジョリティの知の体系を組み替え、両者がお互いの文化を吟味して誤解を重ねつつも、少しずつ接近すること」である。相手の言語や文化を理解するのは、表面的には単なる知識の拡張で済まされると思い込みやすい。でも、本当に相手の言語や文化に通じようとするならば、しばしば自らの知の体系の独善性を組み替えることが求められる。これは、自分の実存を脅かしかねないほどしんどい。例えば、イタリアで精神病院を廃絶に導いた医師、フランコ・バザーリアは、こんなことを言っている。

「あらゆる医学的知識の内容は病人を管理し抑圧するためにある、ということを認めなければなりません。病人は主体として治療を受けるのではなく、病人が生産の歯車のなかに戻れるように、治療は行われます。私たちが精神病の問題に向き合うためには、精神医学の知識、精神分析、薬物療法、電気ショック、インスリン療法、脳外科といった、医師たちが利用してきたすべての方法と手段を議論の対象にしなくてはなりません。」(フランコ・バザーリア『バザーリア講演録 自由こそ治療だ』岩波書店p133)

少なからぬ人が精神疾患になるのは、生産の歯車において、しんどく苦しい状態に追い詰められてきたからである。それなのに、「病人が生産の歯車のなかに戻れるように、治療は行われます」という論理をそのものとして放置して良いのか、とバザーリアは問いかける。これは精神医療という社会の「すき間」で、精神障害者の側に立ち続けた「通訳」としてのバザーリアだからこそ見えた風景である。自分たちは、精神病の問題に向き合う時、「マジョリティの知の体系を組み替え、両者がお互いの文化を吟味して誤解を重ねつつも、少しずつ接近する」努力が出来ているか、と。すき間の穴に落ち込んで、社会的な排除も受けている人を、自分たちの言語で自己責任だとか努力不足だとか、あるいは治療不能だとか、そうやって糾弾してはいないか。「未知の外国語を学ぶように未知のものと出会い、すき間に置かれた人が持つ未知の文化を学ぶ」アプローチがとれているか、と。

これは生物学的精神医学が主流になっている今の精神医療にも問われ続けていることだと思う。

「『通訳』を、すき間を探す人、すき間とマジョリティをつなぐことのメタファーと理解して考えてみる。通訳は、声として認識されていなかった声を理解可能なものとする。マジョリティは、マイノリティの困難について教えられたとしても、なぜそれが困難なのか、どのように苦痛なのか分からないことがある。困難や苦痛をマイノリティ本人に説明を求めるのは不当な不払い労働である。そのときマジョリティとマイノリティのあいだに立って通訳する存在は貴重だろう。すき間を発見し理解し反転する可能性として通訳可能性があるはずだ。反転可能性がない限り、すき間はすき間にとどまり続ける。そして『通訳』は語り得ない困難を暫定的な言葉に変換する役割を担う。当事者自身は語る言葉を持たないかもしれない。あるいは当事者に説明させることが暴力になる場合があるからだ。」(p255)

村上さんは、ご自身が出会ってきた魅力的な支援者達は、すき間を発見する人という意味において、ある種の「通訳者」だという。そしてその指摘に、僕も深く頷く。

大学で働いていて、現場支援をしていない僕は、「すき間」と直接で会えるチャンスが少ない。そんな僕でもヤングケアラーや若者支援、不登校やひきこもり、ゴミ屋敷や「複合・多問題な困難事例」など、様々な「すき間」の言語と文化を学び、自らの認識回路を少しずつアップデートしてきた。それは、ぼく一人では絶対に無理であった。僕の知らない言語や文化を知り、すき間を探し、そのすき間の声を僕にも分かるような言語で「通訳」してくれる様々な人々との出会いの中で、学んで来た。以前は圧倒的に「支援者」の属性の人が多かったのだが、最近では「当事者経験を持つ支援者」とか、「当事者経験を経て通訳的な語りをしている人」から、沢山のことを学ばせてもらっている。そういう方々との対話の中で、「すき間のか細いSOSの声」をキャッチする大切さも、少しずつ自分事として理解出来るようになりはじめた。

そして、この視点を持ってみると、実はマジョリティの中にいても、「通訳」的視点が必要な場面がそこかしこにあることが、逆に見えてくる。職場でも、提出物が出せない、教員の指導を聞かない学生のことを、以前は怠けている・サボっている・だらしないと思いこんでいた。でも、多くの「通訳」から学びを深めるうちに、実は目の前の学生たちも、様々な生きる苦悩を抱えていて「すき間」に落ち込んでいるのだ、と気づきはじめることができる。あるいは、授業で発言を求めると、「障害者の問題は自分には関係ない!」と述べるような学生さんは、別のどこかで追い詰められている可能性があるのではないか、という社会学的想像力が働き始める。「社会から見えなくなっている人たち」の「すき間は突然ぽっかり開くこともある」。すると、目の前にいる、一見マジョリティにおもえるこの学生さんも、じつはすき間にぽっかり陥っている可能性がないか?問題が不可視化されている可能性はないか、という問いが浮かぶ。そうやってすき間を探すことが出来る。

「迷惑をかけるな憲法」に従っている学生たちと接していると、マジョリティの規範を必死になって遵守してきた彼女ら彼ら達も、すき間とは縁遠くない、と思っている。気づいたらぱっくりと口を開けているすき間。そんな落とし穴にはまらないように、能力主義を内面化し、自己責任化した世の中で、必死になってリスクヘッジしている若者達。で、運悪くすき間にはまり込んでしまった人も、運が悪かったのだ、と思い込んで、社会的排除や抑圧の問題だと思いたくない。なぜなら、社会構造の問題なら、自分だってその落とし穴にはまり込む可能性があるから。努力して歯を食いしばって頑張っているのだから、自分だけはそんなはずはないと思い込みたい。だからこそ、すき間はなかったことにしたい。

そういう学生たちにとって、僕の授業はそういう「すき間」の事象を取り上げ続けるため、僕が「通訳」としてすき間の声を取り上げ続けるため、不快に思う学生もいるようだ。「自分とは関係のない障害者のことを学んでも、メリットにならない!」と。でも、その時のメリット・デメリットとは、近視眼的なマジョリティの論理である。さらにいえば、薄々気づいている、ぱっくりと開いているすき間の存在を「自分と関係ない」と断言したい・見ないフリをして過ごしたいからこそ、「寝た子を起こすな」と怒りを僕に向けているようにも、思える。

だが、子育てをし始めて、このような「すき間」はむしろそこかしこに埋め込まれている、と感じる。自分がすき間にはまっていないのは、たまたまの幸運が重なっているからだと、すき間の言語と文化を学べば学ぶほど、痛感する。だからこそ、誰もが取りこぼされない社会に向けて、すき間の言語と文化を学び続け、認識をアップデートし続けなければ、と思う。

自分が感じてきたこと、考えてきた、モヤモヤしてきたことを、哲学の言語を用いながら整理してくれる村上靖彦さんもまた、類い希なる通訳者だと思う。

終わらない「死亡退院」

一年前、単科精神科病院である東京の滝山病院での虐待事件が起こった際、ブログでも論評をした。先月末、その続編のETV特集であり、やっと今日録画を見た。事前に滝山病院からの退院支援に取り組む弁護士で精神保健福祉士の相原さんが、「この映像はかなり内容が複雑だと思います」とツイートしていたので、どういう難しさなのだろう、と思って見た。見て思ったのは、確かにわかりにくよなぁ、と思う一方で、この構造を描かない限り、精神科病院の虐待はなくならない、と改めて思った。

映像や相原さんの解説に屋上屋を架さないために、違う視点でこの映像からわかることを述べてみよう。一つは、精神障害者が「二級市民」として劣等処遇されている現実、二つ目は医師の性善説と裁量権が原因究明の障害になり続けていること、そして三つ目は国の無責任状態と民間精神病院の相互依存体質である。

正直に申し上げると、日本の精神障害者は市民権や基本的人権が剥奪された人間だと思う。それは以前のブログでも書いたことである。なぜそうなのか。映像では、滝山病院には透析が必要な患者で精神疾患がある人=合併症患者が沢山入院している、と述べられていた。そして、透析患者だけでなく癌や他の疾病であっても、精神疾患を持っている患者は、他科の入院が拒否される場合が少なくない。だからこそ、「身体症状との合併症で行き場のない患者」が滝山病院を頼りにして、虐待から一年後も、未だに数十人の入院患者がいるのである。

ここには根深い差別が存在している。そもそも、精神疾患を持つから、普通の透析病院で見れない、というのは、理由にはならない。それって、糖尿病だから癌患者は受け入れない、というのがあり得ないのと共通である。でも精神疾患はそれが現実に赦されてしまっている。これは、医療者の中にある精神障害者差別であり、精神障害者は一般市民と区別しても良い、という意味で、二級市民扱いなのである。それが赦されてしまっている状況がそもそも問題である。

いやいや、精神疾患の専門性がない一般科では、精神疾患と透析など他科との合併症治療は無理だ、という論理も成り立つ。だが、それは精神疾患が医療的に治療可能だ、という前提に基づく。しかし、斎藤環さんも精神疾患にはバイオマーカーがないので、生物学的精神医療の前提は崩れた、と述べている。生物学的精神医学の特性が際立つなら、確かに精神科が受け皿にならざるを得ない。でも、精神症状に関して生物学的な治療が前提とされないなら、生きる苦悩が最大化した状態、と整理できる。そして、そういう状態で「苦しいこと」を抱えている人が透析患者でもある、とするなら、そこにどう寄りそうか、が透析治療の専門医にも求められる。さらにいうと、糖尿病ゆえに透析になる人は、生きる苦悩が最大化してそうなる、とするなら、実は透析治療においても、生物学的治療だけでなく、心理・社会的支援が求められるはずなのだ。その点が全く欠けている。それは精神障害者を、普通の市民として認めず、二級市民として扱うことを、この社会が赦しているから生じている現象でもある、と言えそうだ。

ちなみに、生物学的治療だけでなく、心理・社会的支援が必要だ、というのは、プライマリーケアの世界の卓越した書籍(『「卓越したジェネラリスト診療」入門』)でも力説されている。

二つ目の、医師の性善説が原因究明の障害になり続けていることについて。番組の中では、カルテ開示をした12人の患者のうち、7人が褥瘡があり、うち4人は死亡と褥瘡との因果関係がある、と他の医師に指摘された点である。褥瘡はスウェーデンは虐待の大問題として取り上げられるが、日本ではそういう指摘はなされない。不適切なケアの結果としての褥瘡だとスウェーデンでは考えられるが、滝山病院では本人の医療的状態として捉えられ、医療や福祉の怠慢とは行政には指摘されていない。

この点に関連して、滝山病院の朝倉院長が以前経営していた朝倉病院における患者虐待事件に関して22年前に書いた論文の内容が、残念ながら現在でも活かされてしまう。院生の時に書いたこの論文を引用してみる。

「医療監視.病院実地指導とも、「犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならない」ため、強制力を持たない「調査」になる。一方「犯罪捜査」をするはずの警察は、これらの医療問題にたいしては「医師の裁量権」と「医療の専門性」を理由に通常踏み込んだ捜査はしない。すると現実には、3事件に象徴されるように、医療行為については医療監視や病院実地指導による厳しい「調査」がなされていないため、いかに犯罪性が高いと思われる医療行為であっても、警察などの「犯罪捜査」機関は手も足もでないのである。これでは、精神病院における不適切な医療行為を放置したままである、と言っても過言ではないのではなかろうか。」

22年前の論文で書いたことが全く今も通用する、というのは、論文書きとしては普遍性があることを書けて嬉しいはず、なのだが、この被害実態が全く変わっていないのは、本当に悲しい限りだ。

映像の中でも、薬の過剰投与だけでなく、危篤などの病状悪化の際には、「ICUみたいに人工呼吸をつけ濃厚治療をしお金になる」と病棟スタッフは証言していた。それは、22年前の朝倉病院事件で、口から食べられる患者であっても中心静脈栄養を使いまくって、過剰な医療をして儲けていた構造と全く同じなのである。しかも、滝山病院の第三者委員会の弁護士は、「医療行為の適切性について第三者委員会で検討が付託されていない」「医療行為は捜査機関が調べるべきだ」と述べていた。

でも、同じようや虐待事件があった神戸の神出病院の第三者委員会報告書では、医療行為や病棟看護の不適切性については、しっかり書かれている。なぜ違うのか。神出病院事件の第三者委員会には、看護の専門家が入っていたが、滝山病院の第三者委員会には弁護士だけで構成されている。そもそも、最初から医療行為についてチェックする姿勢も能力も、この委員会にはなかった、とも言える。だからこそ、二つの第三者委員会報告書では、何をどのように問題として取り上げるのか、に大きな違いがあるのだ。これは、第三者委員会の設置を求めた神戸市と東京都の姿勢の違いでもある、と言えるかもしれない。

滝山病院事件において、医療行為の内容は、「医師の裁量権」と「医療の専門性」をもとに、捜査機関でも調べられてこなかった。朝倉病院事件では、不正請求があったから、強制捜査によって捜査された。今回の映像では、滝山病院では不正請求はなかったので、その部分での追求はなかった、と述べられている。医療行為の内容自体を行政監査で問えないこと、犯罪捜査でも虐待の有無や不正請求は調べても医療行為の加害性について問わないことも、大きな問題である。

三つ目は国の無責任状態と民間精神病院の相互依存体質について。今回の映像でも出てきた民間精神科病院協会の代表の山崎氏は、「本来合併症の治療は国公立の病院が引き受けるべきだが、それができていない」と批判していた。それは表面的にはその通りなのだ。ただ、かれは国がそれに反論できないことをわかっていて、だから民間精神科病院が劣悪であっても赦されるべきだ、という論を張っている。何しろ精神科医に拳銃を持たせろ、と言っているくらいなのだから。

これは明らかに、国の無責任状態に乗じて、民間病院が劣悪な処遇をしても赦されるべきだ、という意味で、相互依存的体質である。そして、それは22年前の朝倉病院事件以来、ではなく、僕の師匠大熊一夫が1970年に酔っ払ってアルコール依存と詐病し、精神病院に入院して「ルポ・精神病棟」を書いた時以来から、全く変わらぬ構図なのである。

滝山病院長の朝倉医師の報酬が年間6320万円で、その院長報酬は経常利益の337%であるとか、そもそも22年前の朝倉病院事件で精神保健指定医を剥奪されたのに、5年前に保険医資格を再取得できたから、滝山病院長を引き受けられたとか、これは許認可行政の怠慢である。それは、前述の神出病院の理事長が5年間で18億円という巨額の報酬を得ていたことにもつながる。劣悪な医療環境で虐待事件を起こす病院の経営者層が暴利をむしばんでいたのは、明らかに患者からの搾取であり、病院組織を劣悪なままにし、経営者利益の最大化を目指した姿である。民間病院なのだから経営の自由がある、という反論も聞こえてくる。でも、多額な保険料や税金が投入されているなら、その費用の使い道として不適切である、と保険料や税金の支払い拒否をしてもいいくらいだ。でも、一つ目に戻るが、実は行政だって精神障害者を二級市民と見なしているからこそ、このような重大な人権侵害事案に向き合わない。転退院も積極的に進めようとしない。

そのような構造的問題の連鎖が絡まり合って、滝山病院事件が構成されているのである。

現状分析はわかった。ではどうすれば変えられるのか? そういう声も聞こえてきそうだ。その点に関して、優生保護法による強制不妊手術に対する国家賠償責任を認めさせた弁護団の新里宏二弁護士の声を紹介したい。

「踏みつけられた人の権利なんて『時の壁』で終わり、というのが国の主張でした。そうではない。法は、少数者の権利を守るものです。目の前の被害を救済するために、どう解釈・運用すべきか。法は、私たちに知恵を絞るよう求めているのです」

「法は、少数者の権利を守るものです」。この当たり前のことが、強制不妊手術を受けさせられた障害者だけでなく、精神科病院入院患者にも護られていない。だからこそ、滝山病院事件に代表されるように、「目の前の被害を救済するために、どう解釈・運用すべきか」が問われるのだ。それは、強制入院の違法性を問う国家賠償訴訟をしている伊藤時男さんの声にもつながる。

あと、精神医療がそろそろ生物学的精神医学の敗北を認める必要がある。他の内科と同じようにするなら、生物学的医療知識を持つ(とされる)精神科医の言うことに無批判に従う必要がある。でも医療も本人の生活支援の一部と捉え、チーム支援が前提になると、精神科医の発言も、他の専門職によって評価され、時には批判や修正の対象になる。このような立ち位置の違いを超えた連携や対話こそがないと、こういう滝山病院事件は繰り返し起こり続ける。今回の取材でも、滝山病院の朝倉院長のやり方に異議を唱えても、これは必要なのだから、と過剰な心臓マッサージや投薬が行われ続けたことが、描かれている。これは医師の性善説や裁量権、および医療構造における医師の絶対的権力性が生み出した「鬼子」のようなものである。

以前のブログにも書いたが、「医師が看護師を植民地的支配していたら、それは看護師と患者の関係性にも全く同じように転移する」。滝山病院での虐待構造は、劣悪な看護師個人の問題ではなく、病院全体の植民地的支配、およびそこで患者が人間扱いされていなかった、という構造的問題として捉える必要があるのだ。

朝倉病院事件から20年も過ぎたのに、全く同じパターンの「死亡退院」が、「必要悪」と見なされ、繰り返しが続いている。これは入院精神医療が構造的に生み出す社会的な虐待であり、医療過誤とは言えないのか。医療に踏み込んでその問題性を行政や捜査機関は問わないのか。そのことにずっとモヤモヤしている。そして、こういう社会構造を放置するのはアカン!とは、何度もなんどもしつこく言い続けなければならないと思う。「死亡退院」の内実に隠された悲劇を繰り返さないためには、すべきことがまだまだ沢山ある。

実存に迫るアクターネットワーク理論

6月は2回の学会出張で、一回は久しぶりに対面で口頭発表をしたので、くたびれた。日曜日に福祉社会学会で報告した「媒介子」としての精神疾患 −「病気の治療」から「関係性の変革」へ−」は2万字の報告原稿を書いたので、結構これで大変だった。この「媒介子」というのは、アクターネットワーク理論(ANT)の用語なのだが、僕がこの概念に親しむきっかけとなったラトゥールの主著『社会的なものを組み直す』の訳者、新潟大学の伊藤嘉高さんからご恵贈頂いた単著『移動する地域社会学—自治・共生・アクターネットワーク理論』(知泉書館)を、東京に行く新幹線でやっと読み始める。理論と実践の往還から構成される彼の本は、骨太だけどめちゃくちゃ面白かった。

「問題なのは、秩序の見直しが必要な場合や、状況が大きく変化している場合に、中間項がさまざまな存在と連関することで媒介子化し、さらにそうした多なる媒介子同志が連関することで、新たな一としての中間項が構築されていく循環の不在である。
そこで、移動する地域社会学は、とりわけ本書第11章で行ったように、ある出来事に対して、地域社会の構成員であるアクター(住民)が発する不安や反論を極力尊重する。それらを契機にして、制度や専門知のように私たちの生活に横たわる固定制や不動性を構築する事物の連関(ネットワーク)を明らかにすることで(脱ブラックボックス化)、その固定制や不動性のさらなる分節化を促そうとする。」(p278)

この部分を書き写しながら、ぼく自身がアクターネットワーク理論にはまっていく理由が、よくわかった気がした。

僕が福祉現場で出会うのは、「秩序の見直しが必要な場合や、状況が大きく変化している」状況である。いま、国は重層的支援体制の構築なるものを推進しようとしている(それについては僕が関わった「「包括的な支援体制」の整備が市町村の努力義務になっているなんて知らなかったという人へのガイドブック」も参照)。なんで包括的な支援体制が必要か、というと、もともと「家族を含み資産」と考えた福祉的支援がいよいよ崩壊し、セクショナリズムを越えて支援体制を再構築しないと、地域支援が維持できないからだ。独居高齢者や老老介護の家庭とは、家族内での支え合い(媒介子としての連関)が不全となり、「見守りや支援が必要な家族ユニット」として中間項化している。そういうご近所では助け合いも限界を迎え、小地域単位で限界集落化(=中間項化)しているのである。

その時に、地域支援で求められているのは、伊藤さんが書くように、「中間項がさまざまな存在と連関することで媒介子化し、さらにそうした多なる媒介子同志が連関することで、新たな一としての中間項が構築されていく循環」をどう作り出すか、である。でも、これは極めて難しい。

なぜなら、端から見ていると衰退・自滅していくように思えても、既存の秩序を「当たり前」と思ってきた地域住民にとっては、その秩序を揺るがす「ある出来事に対して、地域社会の構成員であるアクター(住民)が発する不安や反論」が生まれてくるからだ。市町村合併や小学校や病院の統廃合、だけでなく、町内会や自治会のやり方を変える、PTAの連絡や回覧板をLINEに変える、など、技術的合理性や持続可能性があると思える改革であっても、既存の秩序を変えられる側にとっては、感情的な反発が先立ち、受け入れられないことがある。

その際の伊藤さんの整理は、非常に示唆深い。

「地域社会の構成員であるアクター(住民)が発する不安や反論を極力尊重する。それらを契機にして、制度や専門知のように私たちの生活に横たわる固定制や不動性を構築する事物の連関(ネットワーク)を明らかにすることで(脱ブラックボックス化)、その固定制や不動性のさらなる分節化を促そうとする。」

制度や専門知がこうなっているから、仕方ない。そういう説得の仕方は、住民には納得が出来ないし、時には反発する。11章では青森の自治体病院再編に関するケース分析が書かれているが、その中で、行政や医療関係者の意図した持続可能性や合理性に住民が反発したことを巡って、以下のような考察が展開されている。

「住民の不安や疑念を無知によるものとして片付け、専門知を『厳然たる事実』として押しつけるのではなく、住民からの不安や疑念に基づき、『議論を呼ぶ事実』として、再編がもたらす健康上の効果と影響を可視的なデータとして示すことで、住民が『批判的に近づく』ことができるようにすべきではないか。具体的には、本章で行ったような受診行動と健康上の問題に関する調査を実施し、住民からの『反論』を集め、病院再編を支える専門知の『厳然たる事実』を常に『議論を呼ぶ事実』に引き戻す経路を確保することが必要である。そうすることで、地域間の利害関心と地域住民と医療従事者の利害関心を翻訳(変換)する政治プロセスと政治的決定を生み出すことができるだろう。」(p272-273)

これは本当になるほどな、と思うのだ。自分の街から病院がなくなる、と言われると、住民は不安になる。そして、「住民の不安や疑念を無知によるものとして片付け、専門知を『厳然たる事実』として押しつけ」られると、感情的な反発は強まり、火に油を注ぐことになる。その際、臭いものに蓋をするのではなく、一時的な反発だからと「忘れる」まで時間を待つのでもなく、「住民が『批判的に近づく』」支援をした方がいい、と伊藤さんは「大胆」な提案をする。病院再編は、医師数の確保や赤字経営の脱却など、何らかのデータに基づく合理性が、その根拠にある。だが、住民は「気軽に通院できていた病院がなくなったら、何かあったときにどうしてくれるのだ?」という別の直観に基づいて、反発している。であれば、「住民からの不安や疑念に基づき、『議論を呼ぶ事実』として、再編がもたらす健康上の効果と影響を可視的なデータとして示す」ことが大切なのだ。その中で、「病院再編を支える専門知の『厳然たる事実』を常に『議論を呼ぶ事実』に引き戻」し、「受診行動と健康上の問題に関する調査を実施し、住民からの『反論』を集め」、このプロセスを通じて、住民と専門家が台頭に対話出来るような支援を行う。これこそが、「地域間の利害関心と地域住民と医療従事者の利害関心を翻訳(変換)する政治プロセスと政治的決定」につながるのだ。

でも、じゃあそれは誰がするの?という問いが浮かぶ。そこに伊藤さんは、社会学者や社会調査士が「媒介子」になれる可能性を示している。

「大学の医師数や病院勤務医数など本章で見てきたようなデータに加え、今日であれば、再編による受領行動の変容を示すレセプト情報等データベース(NDB)から、心筋梗塞や脳卒中、重度熱傷などの二次救急医療の二次医療圏内完結率を示すことはもちろんのこと、二次医療圏内で迅速に治療できることによる予後の効果を『具体的に』示すことが、住民の議論と反論と理解を喚起する指標となるだろう。これは早川洋行(2012)が指摘するような行政文化に対して、社会学者が住民との『媒介子』となって変容させる一つの方法ともなるだろう。」(p273)

行政や病院側と地域住民の利害関心が異なり、対立している状態というのは、前者のデータを一方的に示されることによる、感情的な反発である。後者は、別の感覚的な不安から、前者のデータに納得できないのだ。そうであれば、「心筋梗塞や脳卒中、重度熱傷などの二次救急医療の二次医療圏内完結率を示すことはもちろんのこと、二次医療圏内で迅速に治療できることによる予後の効果を『具体的に』示す」というかたちで、住民側の不安に直接答えるデータを提示する必要がある。それを病院側がしてくれたら有り難いが、出来ない場合もある。その場合、間にたつファシリテーターやコーディネーター的な存在が必要であり、それは社会学者や社会調査士が担える、と伊藤さんはいうのだ。

このことを読んでいて、社会学者の新原道信さんの言う「社会のオペレーター」を思い出していた。

「“社会のオペレーター(生活の場に居合わせ、声を聴き、要求の真意をつかみ、様々な「領域」を行き来し、〈ひとのつながりの新たなかたち〉を構想していくひと)”が育っています。「3.11」の後、地域の方たちとの間で何か出来ないかと考え、立川の昭和記念公園に隣接する砂川地区で、〈地域との協業〉を続けてきました。ゼミ生たちは、立川プロジェクトという調査研究・地域活動グループをつくって、砂川地区の団地の運動会や夏祭り、防災ウォークラリー、子ども会の八ヶ岳キャンプといったイベントのみならず、毎月の役員会など地域づくりの舞台裏にも参加させてもらい参与的な調査研究をしてきました。」

新原さんは、「生活の場に居合わせ、声を聴き、要求の真意をつかみ、様々な「領域」を行き来し、〈ひとのつながりの新たなかたち〉を構想していくひと」を社会のオペレーターと名付けているが、これはまさに、住民の声を聞きながら、病院や行政への不安・不満の背景という「真意」をつかみ、病院データベースを用いながら、「様々な「領域」を行き来し、〈ひとのつながりの新たなかたち〉を構想していくひと」そのものである。

また、こういうのは工学系の人も得意である。新潟つながりで言えば、都岐沙羅パートナーズセンター理事・事務局長の斎藤主税さんは、地域のこれからを話し合う場では地域カルテを作り、中学校区単位での人口動態の変化や社会資源をまとめた地域カルテを作るのを支援している(新潟市のはこちらに)。住民と行政や専門家が、共にこれからの将来を話し合うための共通の認識土台を作るのは、まさに社会のオペレーターの役割であり、「媒介子」としての専門家役割でもある、といえそうだ。そして、本当はこういう部分に、生活支援コーディネーターなども関われると、大きな可能性はある。

だいぶ寄り道したが、伊藤さんの本に戻ろう。

アクターネットワーク理論の日本への紹介者としても有名で、理論肌にも思える伊藤さんは、実は吉原直樹さんのお弟子さんとして、バリやマカオ、仙台など様々な地域でのフィールドワークを続けてきた。そして、アクターネットワーク理論に基づいて、彼のフィールドワークを捉え直しているのがこの本の後半部分であり、それがものすごく面白かった。ただ、彼がこういう形で理論と実践の統合が出来たのは、彼の変わった遍歴にも一端がある、という。

「大学院修了後には、海外留学を経て、最初の常勤ポストを山形大学医学部に得たこともあり、2008年からは10年間にわたって、主に医療をフィールドとした研究に取り組むことになった。しかし、そこで、医師を絶対的頂点とするヒエラルキーのなかで、自分の社会学の『枠組み』がほとんど通用しない現実に直面させられることになった。ハード・サイエンスに根ざすとされる営みと、時としてそれらと対抗的に扱われる社会学の営みの関係をどのように考えればよいのか。今日でも科学的エビデンスの位置づけをめぐる両者の軋轢がしばしば表面化しているが、その際に筆者が思い起こしたのがANTであった。
そこで、勤務先の環境のこともあり、しばらくの期間は、地域社会学から医療社会学や科学社会学に軸足を移し、ANTの可能性を追求することになった。そして、ANTのポテンシャルを知る中で、ANTの方法には、日本の地域社会が築き上げてきた独自の視座と方法をさらに彫琢できる可能性があることにも気づかされた」(p281)

僕も精神医療に関わっているから、彼の苦悩がめちゃくちゃわかる。昔、精神神経学会の権利擁護部会のシンポジウムに招待されて新潟に出かけた際、発表が終わった後、知り合いの精神科医がやってきて、「あんたの話に誰も興味がない!」と宣言されて、びっくりした記憶がある。曰く、「大学の医局は生物学的精神医学一色なのだから、きみのような心理社会的な話は受けるはずがない。事実、この会場は小規模だし、来ているのはマイノリティだけだ!」と。

今から思えば実に失礼なことを言われたのだが、その時は割とおちこんだ。でも、僕は一回だけだったけど、伊藤さんはそういう環境に10年も!いたのである。生物学的医学は数値化出来るエビデンスが絶対のハード・サイエンスである。一方、住民の反発や感情にはエビデンスがないと一蹴されやすい。そういう環境の中で、ハード・サイエンスと地域住民の間には媒介子として入る(=社会のオペレーターとしての)社会学者の位置づけを、伊藤さんは見いだした。それが「住民の不安や疑念を無知によるものとして片付け、専門知を『厳然たる事実』として押しつけるのではなく、住民からの不安や疑念に基づき、『議論を呼ぶ事実』として、再編がもたらす健康上の効果と影響を可視的なデータとして示すこと」であり、それを可能にしたのが、アクターネットワーク理論だった。だからこそ、医療社会学や科学社会学を自家薬籠中のものとして、「移動する地域社会学」をさらに彫琢させていったのが、この伊藤さんの大著だと、あとがきを読みながら、しみじみ感動していた。

僕が心を動かされる本は、卓越な情報処理が網羅的になされている・理論分析が鮮やかなだけの本「ではない」。情報処理や理論分析の背後に、著者の実存が乗っかっている時、深い余韻や感動が残る。この本も、間違いなくそういう余韻や感動を与えてくれた一冊だった。

思考や意思への固着を手放せるか

依存症の本はこれまで色々読み囓ってきた。でも、赤坂真理さんの『安全に狂う方法 アディクションから掴みとったこと』(医学書院)は、類書にはない読書体験だった。「人を殺すか自殺するしかないと思った」作家が、その根源を辿った時に出会ったのがアディクションという概念だった。そして、実際に依存症経験者と出会い、共にパフォーミングアーツで踊る中で、危険な狂い方「以外の何か」をつかみ取っていく。それを、作家の内的現実と重ね合わせながらノンフィクションで描いていく。そんな「物語」である。

物語を表層的な論理で「解釈」するのは野暮なので、ぼく自身が何をどのようにこの本から感じたのか、受け取ったのかを言葉にしてみたい。

「アディクションとは、『強度のとらわれ』である。あることについて考えることが一日の大半を占めてしまい、必要なことまでを圧迫する。しかもその状態から、努力で離れることができない。」(p45)

この表記を読んで、「強度のとらわれ」であれば、お酒やギャンブル、違法薬物、恋愛といった「よくあるアディクションの対象」以外のこともありうる、と思った。お金、名声、権力、支配欲、学歴、社会的地位、「いい人」・・・こういったものに「強度のとらわれ」を持つ人は、この社会には沢山いる。ただ、依存症の対象として認識されるのは、「強度のとらわれ」により、社会生活が不適合に状態になったり、社会規範から極度に逸脱したと評価されるから、である。一方、「強度のとらわれ」の対象が、社会的に称揚・容認されるものであれば、アディクションとはそもそも呼ばれない。起きてる時間ずっとモニターに齧り付いて株やFX投資をして巨額の富を得るとか、寝ても覚めても組織内の権力闘争に勝つことばかり考えているとか、他者を蹴落としてでも営業成績一位になることに執着しているとか、だって「強度のとらわれ」にもかかわらず・・・。

「アディクションが『自分の全てでないペルソナ(仮の姿)が自分のようになってしまう』主客転倒から起きるとしたら、生きづらさというものの一大原因はそこにあると私は思う。なぜそうなったか。『愛されなかったから』ではないだろうか。愛されたかったから、自分を曲げた。自分を曲げてでも、愛されたかった。愛される一側面に特化するようにがんばった。」(p50)

この本の主人公の1人である、アディクション経験者の倉田めばさんは、青年期まで「勉強ロボ」だった。親の期待に必死に答えるために、優等生をしてきた。でも、それでぶち切れて、薬物に依存するようになった。親が勉強している時しか愛してくれない、という条件付きの愛情に、反抗した。「愛されなかった」ことから、薬物に固着するようになった。

逆に言えば、「愛されなかった」心の空虚さを満たすために、薬物ではなく、お金、名声、権力、支配欲、学歴、社会的地位、「いい人」・・・に固着していたら、彼はアディクトとは呼ばれなかっただろう。でも、社会的に好ましい何かを獲得しても、にも関わらず心が空虚な人は沢山いる。「愛されなかった」ことの代償行為として、外形的評価に固着しても、基盤としての「愛されたい」が満たされたり成就・昇華・成仏されないと、いつまでも強欲的に自分の固着対象を追い求める。それはアルノ・グリューンがかつて喝破した『「正常さ」という病』そのものである。

僕は倉田めばさんに、20年以上前に、一度だけ授業でお話を伺ったことがある。その時の資料に強烈なインパクトを受け、依存症や生きづらさの問題を考える時には、ずっと折に触れ、思い出している。

・母はよく私に言った「薬さえ使わなければいい子なのに」私は思った(いい子の振りをするのが疲れるから薬を使っているのに・・・・・)
・警察や診察室、家族の前では私はいつも言わされた「もう二度と使いません、やめます」その度に私は私を見つめるチャンスを失っていった。
・私にとって薬物とは言葉であった。ダルクのミーティングは本来の言葉を取り戻す作業である。自分の言葉を取り戻したときに、薬物が不必要になってくる。
「拾い集めた言葉たち」

「いい子の振りをするのが疲れるから薬を使っているのに」というのは、その時にはなぜだか理解出来なかったけど、鮮烈なメッセージとして僕は受け止めた。それまで、「ダメ、ゼッタイ!」を鵜呑みして、薬物依存する奴は「ダメな奴」だと僕は思い込んでいた。でも、親や社会から求められた「いい子」という正常さの規範なら、僕だって内面化している。その「いい子」の呪縛性に疲れ果てて、「薬を使っている」。それなら、僕だって「わかりうる」「ありうる」話かも知れない、と。それは僕の社会規範の前提をグラグラ揺らす何かだった(その時にはここまで言語化出来なかったが)。

親に愛されたいけど、「いい子の振りをするのが疲れ」てしまった。でも、「自分を曲げてでも、愛されたかった」。これ自体が葛藤の最大化である。「愛される一側面に特化するようにがんばった」のに、親はそのことを評価せず、社会規範にしがみついて断罪し、「もう二度と使いません、やめます」と言わされた。そのことによって、倉田さんはどんどん壊れていく。「自分の全てでないペルソナ(仮の姿)が自分のようになってしまう」主客転倒が加速していく。すると「私は私を見つめるチャンス」を見失ってしまう。だからこそ、倉田めばさんにとって、「薬物とは言葉であった」のだ。

「親が悪いと言いたいのではない。この親も特定の価値観への固着度合いが病の域に達していて、他のものが見えないだけだ。しかもその固着対象は『普通』であり、悪くは見えないからこそ、このアディクションはむずかしい。その社会の規範として何が優勢であるかにもかかわる問題である。」(p191)

「薬さえ使わなければいい子なのに」と母が言うとき、その母自体も「特定の価値観への固着度合いが病の行きに達していて、他のものが見えないだけ」なのかもしれない。でも、本人はそんなことを全く思ってはいない。なぜならば、「いい子」という「固着対象は『普通』であり、悪くは見えないから」。先に挙げたお金、名声、権力、支配欲、学歴、社会的地位、「いい人」・・・は「社会の規範として」「優勢」であるからこそ、そこに依存=アディクトすることは、問題とされない。「特定の価値観への固着度合いが病の域に達していて、他のものが見えない」状態であっても、薬物依存のめばあさんは糾弾され、「いい子」に固着する親は誰からも批判されない安全圏にいるのだ。

恐るべき非対称性である。

めばさんは本書の中で、こんな風にも語っている。

「アディクションとは最初の傷に対する二次障害である
言葉にできない傷がそこにあると指し示す行為である
苦しさに対するセルフ緩和ケアである
寄りかかるものが何もないときに、寄りかかることができる架空の壁である
一人の自分がもっとも一人になることによって寂しさを忘れる手段である」(p157)

「いい子の振りをするのが疲れるから薬を使っているのに」という時、まずいい子でいなさい、と親が子どもを縛ることによって、つまりは親による子どもの「モノ」化や支配(=特定の価値観への固着度合いが病の域に達すること)によって、めばさんは最初に深く傷つけられた。そして、その「傷に対する二次障害」として薬物への『強度のとらわれ』=「二次障害」に陥る。傷から逃れるための「セルフ緩和ケア」であり「架空の壁」であり、「寂しさを忘れる手段」なのだが、そのことによって、さらに追い詰められる。本当は「傷つけないで」「他者評価をせずに自分を見て、愛して」が根本にあるはずだ。でも、その根本の部分が満たされなかったからこそ、の代替言語=セルフ緩和ケア、としてのアディクションをも、「薬さえ使わなければいい子なのに」と批判される。「いい子を期待されなかったら、自分は薬を使わなかったのに」と言えない子どもは、ますますアディクションにはまり込む。そういう悪循環構造の高速度回転を見て取った。

では、この悪循環の高速度回転から、どうやって抜け出せるのだろうか。

「『問題は、それを作ったときと同じ思考では解決できない。We cannot solve our problems with the same thinking we used when created them.』
これはアインシュタインの言葉である。同じ思考に固着してしまうことそのものがアディクションなら、アディクションを思考や意思で解決することの不可能性はよりはっきりする。同じ思考(行動も元は思考である)に固着して、身動きがとれない、しかも本人の努力やコントロールでそこから離れることができない。それがアディクションなのだから。
AAがアディクションに対し無力であると認め、自分を越えた力、ハイヤーパワーに委ねるのは、自我の限界を認めることかもしれない。それは近代以降の人間にとって脅威かもしれないが、もともとその自我に合わせて自分を制限してきたことが、生きづらさだったのかもしれない。」p232

僕はブログで他者の文章を抜き書きするのが好きだ。それは、テキストを読んでいるときには気づかなかった筆者の論理を、文字通り書き写すことで追体験する、というか、筆者のロジックをじっくり追うことが出来るからである。そして書き写すうちに、元々書き写したいなと思った箇所とは別の部分で、意外な発見があったり、こういうロジックだったのか、とびっくりすることがある。今回で言うなら、最初読み進めたとき、アインシュタインのロジックに基づき、「アディクションを思考や意思で解決することの不可能性」を整理した部分に、深くなるほど!と頷いていた。だからこそ、ハイヤーパワーという言葉が出てくるのですね、と。

でも、今回抜き書きする中で、一番気になったのは、最後の部分である。

「それ(=自分を越えた力、ハイヤーパワーに身を委ねること)は近代以降の人間にとって脅威かもしれないが、もともとその自我に合わせて自分を制限してきたことが、生きづらさだったのかもしれない。」

「自我に合わせて自分を制限してきたことが、生きづらさだったのかもしれない」というのは、書いていてそうだよなぁ、と深く感じた。いま、小二の娘は、学校の宿題で本当に大変そうである。それは、人類学者のジェームス・スコットのアイデアを借りるなら、野生の秩序(vernacular order)で生きてきた娘が、小学校空間において圧倒的な公的秩序(official order)と向き合うことによるしんどさ、なのかもしれない。そして、それは「自我に合わせて自分を制限」するしんどさかもしれない、と補助線を引くと、僕にとっては自分事としてよくわかるのだ。

デカルト以後の西洋近代社会は、「野生の秩序(vernacular order)」という「自然」をコントロールし、手懐け、自家薬籠中のものにすることによって、文明を進化させていった。天気予報やダムによる治水、プランテーション栽培などを通じて、荒ぶる神というか人間を翻弄する自然を人間が支配できる部分が格段に増えていった。そのようなテクノロジーは、やがて人間のマインドそのものも支配するようになる。野生の秩序なんて未開人・子どもの愚かな思考だ、と。ちゃんとした大人なら、公的秩序にしっかり従う「よい子」でいなさい、と。

でも、他ならぬ自分を、頭の中で考えた論理性という自我=「公的秩序(official order)」に縮減すると、そこから漏れ出てしまう部分がある。それをなかったことにするのか、そのものとして大切にするのか。多くの人は「なかったことにする」のを必死になって選び、「社会化」する。でも、それは自分の魂の一部を切り取る・縮減するものであり、痛みを伴う。それが「生きづらさ」と通底するなら、「論理の病」が「生きづらさ」なのかもしれない。中学生の約5人に1人が「不登校」または「不登校傾向」にあるという記事を目にすると、この昭和時代に構築された「頭の中で考えた論理性という自我=公的秩序(official order)」がそもそも限界を超えているのではないか、とすら思う。

だからこそ、「自我の限界」の外に出る必要があるのだ。AAに代表されるセルフヘルプグループでは、言いっぱなし・聞きっぱなしのミーティングの場が大切にされるが、それは論理による説得、あるいは思考や意思への固着を手放す一つの形態なのかもしれない。でも、それ以外のルートもある。それは古来からの儀礼的儀式の中に、踊りや祭礼、歌や声明、パフォーマンスとして、受け継がれていた。そして赤坂真理さん倉田めばさんは、「自我の限界」を越えるパフォーマンスとして踊る中で、ハイヤーパワーにアクセスしていく。それは「大いなる流れ」に身を委ねるような経験だったのだろうな、と読み手の僕は感じる。昔、未来語りのダイアローグを自分でやってみたときに、まさに大きな流れに導かれるように、対話空間が場や人を動かしていったように。

表題にある「安全に狂う方法」とは、自我に支配されない舞台空間において、自我境界を越えてパフォーマンスを「生きる」ことによって、「野生の秩序」を取り入れ、取り戻し、それによって思考や意思への固着を手放すプロセスなのだと、僕は受け取った。

本の紹介というより、この本を読んで僕が受け取った(誤読した!?)ものを言語化してみた。読みやすくて、すごく深い部分が動かされる本なので、良かったら一度読んでみてほしい。

「ダメなあいつ」は絶対ダメ!

勅使河原真衣さんの『働くということ—「能力主義」を超えて』(集英社新書)を読む。前著『「能力」の生きづらさをほぐす』は子どもたちへのバトンという形態を取りながら、ご自身の実存的苦悩も最終章に織り込んだ作品だったが(そのことはブログにも書いた)、今回はコンサルタントとして向き合ってきた組織開発の話をガッツリ書いておられる。その中で、ほぉと思ったことがあった。

「『使いやすい』『部内の雰囲気』『いい人』『ややこしい奴ら』・・・など、すべてそうなのです。誰から見た、何の話なのでしょう。職場においてこれらの『評価』を下す組織の構造を、対話や観察の時間をいただき、つぶさに調べていきます。ある組織の現状のダイナミクス(力学)を明示した上で、これから組織が達成したい・すべきことに合わせて、変えるべき点はどこか? 改革するためには現状の組織力学のうちどの点をいじるとよさそうか? を示し、ディスカッションを深めていくのです。
話者が解釈や意図を持って使っている表現を、問いを通じて手繰り寄せ、話者が見ている世界観を理解した上で、解釈の溝を埋めていく・・・」(p99-100)

この表現を読みながら、これって僕がしていることとも近いな、と感じていた。

ぼく自身、たまに色々な人や組織から相談案件が持ち込まれる。その際、相談する側も、なぜどのように僕に相談していいのかわかからない、という、非定型な相談ばかりが、僕のところに持ち込まれる。相手もよくわかっていないのだから、僕も解決策なんて知るよしもない。だからこそ、僕に出来ることは、勅使河原さんが言語化してくださっているように、「話者が解釈や意図を持って使っている表現を、問いを通じて手繰り寄せ、話者が見ている世界観を理解」することだけ、なのだ。ただそれをしているうちに、おぼろげながら、「ある組織の現状のダイナミクス(力学)」が見えてくる。すると、「これから組織が達成したい・すべきことに合わせて、変えるべき点はどこか? 改革するためには現状の組織力学のうちどの点をいじるとよさそうか?」という問いも自ずと生まれてくる。

例えば社協職員が動かない、という主訴で来談された市役所職員の方に、よくよく話を聞いていくと、市と社協の上下関係の構造的矛盾に話が転化したこともある。あるいは、部下が思うように働かないという所長の話を聞いているうちに、その機関で「すべきこと」と、職員達が「したいこと」にズレが生じていることが見えてくることもある。「何を問題だと当人が『語っている』のか?」(p98)に耳を傾けながら、ご本人の世界観と解釈している組織のダイナミズムのズレのようなものを探しだし、そこからどう介入していくのかを探ろうとしている。

それを無意識・無自覚にやっていたので、彼女によって言語化されると、「ああ、そういうことだったのか」と深く納得する。

そしてこの本の肝だと僕が感じるのは、以下の部分だ。

「次第に、その所長は『優秀』な奴を『選ぶ』、できる奴だけ育てる、というような感覚から、自分のモードを『選ぶ』ことで、どんなメンバーも活躍させることができることを体得しました。」(p171)
「ダメなあいつをどうしようか?という問いは、俺がどう采配するか?に変える事で初めて問題解決へのスタートラインに立てる、と」(p181)

「あいつはダメだ」とジャッジする際、無意識で無自覚な前提として、「おれはイケている・大丈夫だ」という価値前提がある。平たく言えば、You are worng!と言う当の主体はI am right.を当然の価値前提にしているのだ。そして、「自分は正しい、お前は間違いだ!」と言われた方は、非常に不快な気分になるし、その人の発言は、例え上司や査定者であっても、聞きたくない。だからこそ、うまくかみあわない。

これは僕の慣れ親しんだ領域で言えば、支援者と対象者、先生と生徒、多機関連携なんかでもしばしば聞かれる現象である。支援者や先生が、対象者や生徒の「問題行動」を指摘する際、対象者個人が「問題がある」と無意識に認識している。でも、家族療法で言われているように、人と問題は分けて考える必要があるし、人から問題を離す(問題の外在化をする)必要がある。その人そのものが問題なのではない。そうではなくて、その人が問題とされる言動をしているのは、どのような背景や構造があるのか、を探っていく必要があるのだ。「ダメなあいつをどうしようか?」という視点では、いつまでもダメなままなのだ。

その際、支援する・選ぶ・教える側(する側)が、「自分のモードを『選ぶ』」ことが本質的に大切だ、と勅使河原さんは指摘する。「ダメなあいつをどうしようか?」という問いを抱えている間は、相手の問題点ばかりが目につく。だが、当の相手は、自分が攻撃されていると思うと、防御に回り、うまくいかない。その際、「ダメなあいつ」とダメとあいつを同一視することをやめ、あいつがダメな状況にいるのはなぜか、どのようなプロセスでダメな状況に陥っているうのか、その状況を変えるために、「俺がどう采配するか?」と問いを変えることによって、状況は動き出すという。

相手が「ダメな状況」に陥っているのを私がわかっている(=俯瞰的に見れている)のに、その「ダメな状況」を「ダメな奴だ」と批判しているだけでは、支援する・選ぶ・教える側(する側)としての「仕事をしていない」ことになる。そうではなくて、「ダメな状況」からどうすれば脱することが出来るのか、その人がより良いパフォーマンスをするために、どのように環境設定を変えればよいのか、と問いを変え、そのために、する側がもっている裁量権や采配を活用して、文脈を変える支援が出来るか、が、他ならぬ「する側」にこそ、問われているのである。

そして、そういう視点は、教育でも必要不可欠だ、と勅使河原さんは述べる。

「どの子もその子の合理性のもと、ある種の生存戦略を持って、生活しているわけですから、そうした本人からのアウトプットを何はともあれ一旦引き出すことこそ、いの一番で行うべきことではないでしょうか。相手の口を塞がないこと—これが、以外に思う方もいるでしょうが、社会構成員を要請すると謳う者(=教育)が担うべき基本所作であると思うのです。」(p214)
「『行儀が悪い子』『言うことを聞かない子』など、個人に評価を下すのは容易ですが、その人の在り方は、環境に大きく左右されています。環境に対するある種の合理性が必ずあると言い換えることもできる。『コラ!』の前に、『左手さぁ、どうかした?』と一言尋ねることができたらどんなにいいことか。それも鬼の形相で、はなく。『働くということ』の大大大大大前提について、そんなことも思います。」(p215)

支援する・選ぶ・教える側(する側)が、「やってはいけない・許されない」と認識している何かを、支援される・選ばれる・教えられる側(される側)がしている。その時に、問答無用に注意・叱責することを、する側はしがちである。でも、それは一番してはいけないことだ、と勅使河原さんは言う。なぜなら、それは「相手の口を塞」ぐことになるから。そして相手の口を塞ぐことは、する側とされる側が非対称性になり、する側がされる側を一方的に支配する権力関係になるから、である。

「やってはいけないこと(許されないこと)」を叱らないのは、甘やかしているのではないか?

真面目な「する側」の人は、そう感じるかも知れない。勅使河原さんも、甘やかしていい、などとは言ってはいない。そうではなくて、「問題行動」であったとしても、「その子の合理性のもと、ある種の生存戦略を持って、生活しているわけですから、そうした本人からのアウトプットを何はともあれ一旦引き出すこと」が大切なのだ。『行儀が悪い子』『言うことを聞かない子』と「する側」が査定や批判をする前に、本人の言動の背景にある「環境に対するある種の合理性」を理解する為にも、「『コラ!』の前に、『左手さぁ、どうかした?』と一言尋ねること」が根本的に必要なのだ。

そして、これはインクルーシブ教育を進めた大空小学校の初代校長の木村泰子先生の箴言とも一致する。

「お母さんが子育てで困ったら、次の三つの言葉を子どもに尋ねてみて。
『大丈夫?』
『何に困っている?』
『私にできること、ある?』」

「する側」が「される側」の「困った現象」に出会った時に、「相手の口を塞がない」ために、必要な三段階が書かれている。まずは、叱責する前に「大丈夫?」と本人のことを気にしていることを伝える。その上で、「何に困っている?」と本人がどのような理由でそのような現象をしているのかの理由や合理性を伺う。そして情報を集めた上で、「私にできること、ある?」と「する側」が具体的に協力できそうなポイントを探るのである。それこそが、「「ダメなあいつをどうしようか?という問いは、俺がどう采配するか?に変える事で初めて問題解決へのスタートラインに立てる」という勅使河原さんの指摘の本質的な意味でもある。

この本は、能力主義に根本的な問いを挟んでいるが、「働く」現場で、それ以外の価値をどう見いだしたら良いのか。

「『競争』が必要な構造があったから、人は足を引っ張り合ってしまう。他方でここには、そんなことをするインセンティブすらないわけです。やるべきことは、周りを蹴落として上に行くことではなくて、『自分はこういう思いで、こういうタスクを抱えている。ここまではやれているけど、あとこの部分についてインプットが欲しい』とかって、プロアクティブ(前のめり)に求め合うこと。個人の『有能さ』を追い求めると、周りに『助けてー』とか、『知恵を貸してー」と言うのって気が引けますが、この組織体制のもとでは全然苦しいことじゃない。ひとたび自分の中の仕事観が変わって、選ぶべきは自己のモードなんだな、って腹落ちして初めて、仕事が楽しくなりました。」(p193-194)

会社内や学校内という狭いコミュニティの中で競争が必然とされると、足の引っ張り合いやいじめなどが起こりやすい。それは、個人の問題ではなく、個々人を能力に急き立てるインセンティブを持ち込んだ組織構造の問題なのである。だからこそ、組織自体が、そのような構造化から距離を取ることができるか、が問われている。「個人の『有能さ』を追い求める」と「周りを蹴落として上に行くこと」が横行し、組織内での連携や協働はうまくいかない。であれば、「周りに『助けてー』とか、『知恵を貸してー」と言うのって気が引けますが、この組織体制のもとでは全然苦しいことじゃない」という組織風土をどう作れるか。「プロアクティブ(前のめり)に求め合うこと」こそ重要だ、と組織が所属する個人にどのように要請できるか。それが、問われているように思う。

そういう形で組織変容をしていくなかで、「ひとたび自分の中の仕事観が変わって、選ぶべきは自己のモードなんだな、って腹落ちして初めて、仕事が楽しくなりました」と個人の変容が実現されるのだ。つまり、「ダメなあいつをどうしようか?」という蹴落としモードの問いを「する側」は封印して、「俺がどう采配するか?」と「選ぶべきは自己のモードなんだな」と「する側」が気づき、組織風土を変えて行く。これが、「される側」のパフォーマンスの最大化にとって、結果的には鍵になるのだ。

他人を変える前に、己自身の足元を見つめ直し、まず自分が変わる。

「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分の未来だけ」

この言葉を具体的に組織開発の言語で整理して下さった名著だった。

難民・移民問題と精神病院の共通点

子どもが産まれて以後、出張を減らしたこともあり、家から参加出来るZoom読書会を色んなオモロイ人としている。すると、たまに僕が全く知らないジャンルの著者の本が提示される。おっかなびっくり読んでみると、めちゃくちゃ面白くてびっくりすることがある。今回ご紹介する北川眞也さんの『アンチ・ジオポリティクス—資本と国家に抗う移動の地理学』(青土社)もそうだった。批判的地理学の世界も知らないし、対象となっている難民やロジスティクスの問題も囓ったことがない。でも、読み始めたら、僕の知っている世界と通底していた。

「収容所は、過去でも現在でも、権力の地図学的合理性と政治的理性の矛盾が生じるとき、つまり『国家が空間的に人びとをどう資格づけたらよいかわからないが、その移動性を統治し、かれらの適切な『場所』を定める必要があるときはいつでも現れ出る暴力的な政治的テクノロジーとして扱われるべきだろう』」(p242)

これはヨーロッパのユダヤ人や難民の収容所を念頭に置いて書かれた文章である。でも、日本の精神病院や入所施設にも、そっくりそのまま当てはまる。障害が「重度」とされ、支援を受けなければ「標準的な暮らし」がしにくいと国家にラベルを貼られた人たち。それは「国家が空間的に人びとをどう資格づけたらよいかわからないが、その移動性を統治し、かれらの適切な『場所』を定める必要があるとき」として国家に問われる問題である。そういう人びとも「国民」として遇する必要があることは、「政治的理性」としては理解している。でも、「標準的な暮らし」にはなじまないから、排除したいという矛盾が生じたとき、「山奥の、人里離れた場所に入所施設や精神病院を建てたら良い」という「地図学的合理性」が働く。実際、虐待問題を起こした神出病院は、神戸市の外れに位置づけられていて、周囲に障害者施設なども建っている。障害者虐殺事件が起こった津久井やまゆり園も相模湖近くの山の中だった。離島や山奥にあるハンセン病施設も全く同じ論である。そういう形で、排除したい人びとを国家は「暴力的な政治的テクノロジー」として「目につかない場所」に追いやり、分断統治するのである。

そのような収容所においては、虐待ではなく「歓待」が行われても、その構造的な問題は変わらない、という。難民を人道的に保護していたレジーナ・パチスの例を引いて、こんな風に北川さんは整理する。

「レジーナ・パチスへ歓待し、無償で食事や医療などのサービスを提供する人びと、いや何よりロゼルト神父が、『客人』に対して主権者のごとく君臨することになると言える。レジーナ・パチスが仮に『五つ星のホテル』だっとしても、内部では『主権者』としての神父の道徳、さらには気分を含めた決定が圧倒的な力を有することには変わりはない。レジーナ・パチスの『客人』にとっては、神父に気に入られるのか、嫌われるのかといった私的なことが人生の重大問題となり、かれらは『歓待』空間のなかで感情労働に従事することを強いられる。『私はロゼルト神父に不快な思いをさせたくない』というのが、拘禁された移民たちがもっとも頻繁に語るフレーズだった。」(p204-205)

残念ながらこの描写には馴染みがある。精神病院や入所施設、あるいは最近ではグループホームでも、虐待が相次いでいる。そういう施設においては、善意に基づく支援者が、いつの間にか「主権者」となる。そして、「歓待」は簡単に「支配」にすり替わる。そして、絶対的権力を持った支配者は腐敗していく。その後ロゼルト神父は、このレジーナから逃亡を試みた「客人」への虐待容疑で逮捕された。これは『権利擁護が支援を変える』とか『「当たり前」をひっくり返す』で議論してきた、福祉の構造的宿痾の問題と同じである。善意の支援者が圧倒的権力虐待をするようになる、という部分も含めて、権力勾配が激しい環境において、第三者の監視が入らない密室では、このようなことが普遍的に起こり続けるのである。

この慣れ親しんだ世界に通底する収容所問題について分析した第一部、第二部もめちゃくちゃ面白かったのだが、第三部「ロジスティクスとインフラによる戦争」は、全く知らない領域で、そういう風に捉えることが出来るのか、という学びが満載であった。

これを象徴するのが、「ジャストインタイムで、その地点まで(just in time, to the point)』(p252)というフレーズである。「Amazon当日お届け便」なんて、まさにその局地であり、僕もついつい使ってしまうフレーズは、まさにロジスティクスとインフラ整備の成果である。ただ、それによって、沢山のものが破壊され、我々が奴隷的消費者になっている。その極北の世界が、世界最大の虐殺が行われているガザ地区である。

「目的は、ガザ住民の抵抗や叛乱、独立の意思を粉砕するために、『ガザの人口全体を物理的生存の最低限度に近いところに置いたままにする』ことなのだ。実際、2008年から、イスラエル国防省は、ガザのパレスチナ人を餓死させたり、栄養失調を強いたりせず、最低限の生の水準に置くには、どれくらいのカロリーが必要となるのか計算していた。『人道的最小値』として、一日平均2279カロリーとされ、それがガザへの入場を許可されるトラックの数—週五日、106台のトラック、うち77台は食料—に翻訳されるというわけである。だが実際には、このレッドラインを下回る物資の輸送しか許可されてこなかったという。」(p291)

「餓死させたり、栄養失調を強いたりせず、最低限の生の水準」というのは、以前のブログで書いた、「犠牲化不可能であるにもかかわらず殺害可能である生」としてのホモ・サケルそのものである。そして、精神病院は、一つの収容所だが、ガザ地区は封鎖された一つの地域である。そのエリアすべての計算可能なものとして把握し、『人道的最小値』をトラックの台数に「翻訳」して、それだけを「ジャストインタイムで、その地点まで(just in time, to the point)』として送り届ける。そういうロジスティクスやインフラを、イスラエルはガザ地区に仕込んできた。今の虐殺はハマスへの報復云々ではなく、以前から周到に練られてきた構図がある、と北川さんは指摘しているのである。

そのようなロジスティクスとインフラ管理による支配は、日本における技能実習制度においても用いられている。

「技能実習制度という労働レジームが、暴力的なカプセル化を構造的に生み出しており、それがさらなる暴力的な管理を構造的に生み出しているのは確かである。パスポートや銀行通帳の没収をはじめ、携帯電話の使用禁止、寮に数多く詰め込まれる実習生、不衛生で汚い寮、WiFiのない環境、致死的な長時間労働、低賃金、賃金未払い、いじめ、性暴力、殴打、恐喝、負傷、死亡。実習生から何かしら異議申し立てがあれば、管理団体は強制帰国で解決を図ろうとする。多額の借金を抱えて来ている実習生にとって、強制帰国は極めて恐ろしいものだという。雇用主側からの性暴力の場合では、出身国の家父長制的規範のため、被害者が容易には表沙汰にできないこともある。この意味でも、労働移植はカプセル化した隔離的空間をつくりだしている。」(p393)

技能実習生のこのような「カプセル化した隔離的空間」を読んでいても、残念ながら精神病院で見た現実と通底している。神出病院で起きた虐待事件に関しての第三者委員会報告書を読んでいても、真冬でも暖房がつかない病棟という劣悪な環境や、そこでの患者の虐待構造、また患者の退院可能性のなさなどが克明に報告されている。私が昔フィールドワークで出会った精神障害の当事者は、病院内での性暴力があったが、「妄想ではないか?」取り合ってもらえなかった、と話していた。こういう「暴力的なカプセル化」は「一級市民」として承認されない人びとには、残念ながら、ずっと行われてきたやり方であった、と本書を読んで改め感じた。

もう一点、紹介しておきたい部分がある。

「『犠牲者』『犠牲者女性』について、受け入れ社会の特定のイメージやステレオタイプを強いることであり、拒否すれば、強制送還されうるという主権的な関係である。裏を返せば、女性達はこの『犠牲者』像に合わせ、みなが同情するような振る舞いを続けるように迫られる。(略)こうした女性をはじめとする難民たちは、西洋的な難民像、いわばキリスト教的図像学に由来するとされる人間の『苦難』、『貧窮』、『トラウマ』、『深刻さ』を抱えているように振る舞わなければならないのだという。」(p232-233)

このフレーズから、ヴォルフェンスベルガーによる「ノーマライゼーションの改竄」を思い出していた。(これは『「当たり前」をひっくり返す』の6章で取り上げている)

アメリカ人で知的障害者のことを研究していた学者であるヴォルフェンスベルガーは、1960年代、先進地のスウェーデンに訪問して、ノーマライゼーションの育ての父、ニィリエと出会った。その際、ダンスパーティーで出会った女の子について、こんなエピソードを残している。

「ヴォルフは部屋の隅に立って、皆のダンスを見ていた。ちょうど、誰かのお誕生日祝いの会が開かれていたからだ。しばらくして、彼は考え考え私に尋ねた。『あの女の子だけど、ダンスをしませんかって誘ってきたから、一緒に踊ったんだ。あの子は・・・なの?』 この女の子は少し英語ができたので、ヴォルフには、この子が少し英語のできる普通のスウェーデン人の女の子なのか、それとも知的障害がある女の子で、英語を習った子なのかわからなかったのだ。そこで私は彼に、あの女の子は確かに知的障害のある子だと保証した。ヴォルフには、この女の子が知的障害者でなく普通の女の子として“合格者”と見えたのだった。この女の子は社会的に価値ある役割を得ていたということだったのだ。」(ベンクト・ニィリエ『再考・ノ-マライゼ-ションの原理: その広がりと現代的意義』現代書館、p92)

スウェーデン人のニィリエは、知的障害のある人にも、その社会の通常の(ノーマルな)生活様式を提供する必要がある、という意味で、ノーマライゼーションの原理を提唱した。一方、アメリカ人のヴォルフェンスベルガーにとっては、知的障害のある人が「この女の子が知的障害者でなく普通の女の子として“合格者”と見えた」ことこそ価値がある、と捉えた。それは、「この女の子は社会的に価値ある役割を得ていた」という評価である。それは、社会的な権力を持つ側が、合格か不合格かを選別できる、という視点である。

これはまさに北川さんの指摘する、「受け入れ社会の特定のイメージやステレオタイプを強いることであり、拒否すれば、強制送還されうるという主権的な関係」そのものである。難民として受け入れられるためには、「西洋的な難民像、いわばキリスト教的図像学に由来するとされる人間の『苦難』、『貧窮』、『トラウマ』、『深刻さ』を抱えているように振る舞わなければならない」。それは、「この女の子が知的障害者でなく普通の女の子として“合格者”と見えた」というのと、構造的類同性を持つ。つまり、権力を保持する側が、マイノリティに対して、支援を受けるからには許容される振る舞いをすべきだ、と、内面まで支配しようとしていること、そのものなのである。

その上で、それらの抑圧者に対する抵抗運動として、オペライズモ(サボりやストライキ)やスクウォッティング(空き家占拠)などのアクションが提起されている。これが、精神障害者支援の領域でどんな風に言えるのか、まではまだ自分の頭で整理できていない。でも、様々な抑圧と抵抗に共通するフレームワークを考える上で、本書の洞察はめちゃくちゃ学びが大きかった。

追記:精神医療の領域でオペライズモやスクウォッティングに近い事って何だろう、とボンヤリ考えていたら、オペライズモの源流イタリアで、同時代で精神病院をぶっ潰したフランコ・バザーリアの以下の発言を思い出していた。

「あらゆる医学的知識の内容は病人を管理し抑圧するためにある、ということを認めなければなりません。病人は主体として治療を受けるのではなく、病人が生産の歯車のなかに戻 れるように、治療は行われます。私たちが精神病の問題に向き合うためには、精神医学の知識、精神分析、薬物療法、 電気ショック、インスリン療法、脳外科といった、医師たちが利用してきたすべての方法と手段を議論の対象にしなくてはなりません。」(フランコ・バザーリア『バザーリア講演録 自由こそ治療だ!』岩波書店、p133)

精神障害者の就労支援で最大の矛盾。それは、精神障害者が病気になるのは、生産性至上主義の社会で、歯車の一つとして必死になってズタボロまで働いて、その帰結として精神疾患になった当事者が、「社会復帰」の目標を、フルタイム労働者にする、という矛盾である。自分が病気になった原因である「生産の歯車」に戻りたいという「強迫観念」。ここからどう自由になれるか、が、ほんまもんの治療やリカバリーとして問われている。

そのとき、映画「人生ここにあり」に描かれたイタリアの社会的協同組合とか、あるいは不登校やひきこもり経験のある当事者が、対等な関係性を仕事の場で求めた結果作り上げた労働者協同組合440hzとか、そういう協働労働的な何か、が、「生産の歯車」に戻らないための抵抗のありようとして考えられるのではないか、と付記しておく。

ケア的な土着思考

友人の青木真兵さんから『武器としての土着思考』(東洋経済新報社)をお送り頂く。「土着とは、自分にとっての『ちょうどよい』を見つけ、身につけること」(p20)と定義づけているように、この本の原稿を書きながら、真兵さん自体が、「自分にとっての『ちょうどよい』を見つけ、身につけ」ようとしていて、すごくよい。しかも今回は版元が経済系出版社ということもあり、資本主義とガッツリ向き合うプロセスを通じて、「自分にとっての『ちょうどよい』を見つけ」ようとしているのが、面白い。

「近代化によって人びとは『しがらみ』から解き放たれ、個人個人が己の責任において人生を選択できるようになりました。ただ、『しがらみ』からは自由になりましたが、その自由は商品の中から選ぶ自由だったということです。僕が目指す『地に足をつける』とは、『自らの生』を商品からも商品以外からも自由に選ぶことができるようになることを意味します。そのためにはまず、商品以外という選択肢が存在することを知る必要があります。これが現代社会における外部への『出口の入り口』です。」(p31)

多くの人がお金持ちになりたがるのは、経済的自由を手に入れるためである。これは、「商品の中から選ぶ自由」である。そして、お金持ちになれるのは人口の1%以下であり、その他の99%はそれに憧れる。これが資本主義の論理である。でも、真兵さんはその枠組みそのものを問うている。「商品の中から選ぶ自由」だけが自由ですか?と。それ以外の選択肢も用意して、「『自らの生』を商品からも商品以外からも自由に選ぶことができるようになること」の方が、現実的ではありませんか?と。そして、「商品以外という選択肢が存在することを知る」ことこそ、『地に足をつける』ことではありませんか?と。資本主義の「外部への『出口の入り口』」を探すこと。それが「「自分にとっての『ちょうどよい』を見つけ、身につけ」る土着思考である、と喝破している。

でも、自由=「商品の中から選ぶ自由」と意識すらしたことが無かった人にとっては、「外部への『出口の入り口』」なんて言われても当惑してしまう。だからこそ、彼は丁寧にその入り口の見つけ方も教えてくれている。

「実体経済、現実、ローカル、アナログが『地に足をつけること』で、金融経済、仮想、グローバル、デジタルが『飛び立つこと』を意味するわけではありません。僕の言う土着することは、その状況に応じて適した手段を選べることを意味します。だから、例えば山村で狩猟採集と炭焼を中心とした自給自足の生活を行い、インターネットや携帯電話に頼らない生活をすることが土着することだとは考えていません。反対に、都市に住みながら商店街の馴染みの個人商店で買い物し、銭湯に行ったりして地域経済の中で生活することは十分に土着することだと思っています。
自分にとっての『ちょうどよい』を見つけ、手放さないこと。そのためには手段を選ばない。これが土着することの肝なのだと思っています。」(p75)

「その状況に応じて適した手段を選べること」とは、その都度、行動原理を変えていくことである。確かに真兵さん自体が、大都会の西宮で生きづらさ・息苦しさを感じて、奈良県の山深い東吉野村に引っ越し、私設図書館「ルチャ・リブロ」を開いている。でも、その一方で、オムラジというポッドキャストを配信し、僕も毎月「生きるためのファンタジーの会」のZoom収録でご一緒している。彼の場の開き方は、リアルであろうとバーチャルであろうと変わってはいない。「自分にとっての『ちょうどよい』を見つけ、手放さない」という原則を大切にし、そのために、アナログもデジタルも、現実も仮想も、縦横無尽に使い倒しているのである。

それから、「都市に住みながら商店街の馴染みの個人商店で買い物し、銭湯に行ったりして地域経済の中で生活することは十分に土着すること」というのにも、深く頷く。

僕の場合、ワインを買うのはこのソムリエさんから、お肉は近所の精肉店で、魚は地元のスーパーで、そして服を買うのはこの人から、お米は岡山の福ちゃんで、柑橘類は尾道のファームでと、関係性の中で決めている部分が割とある。それは一見すると「商品の中から選ぶ自由」のようにも見える。でも、お金は介在するけれども、馴染みの客として買い続けることにより、関係性を構築し続けている部分が結構ある。確かにネットで最安値を探す生活に比べたら、「割高」かもしれない。でも、「しがらみ」ではない心地よい関係性を構築する中で、「自分にとっての『ちょうどよい』を見つけ、手放さない」部分を増やしていく。すると、日々の暮らしがより豊かになっているようにも感じる。

そして、「現代社会における外部への『出口の入り口』」の一つが、「ケア」なのではないか、とも思う。7年前からその「出口の入り口」にうっかり入ってしまったおかげで、「商品の中から選ぶ自由」の外側が、少しずつ見えてきた。娘のケアをしなければならない、というのは、正直に申し上げて、一つの「しがらみ」である。そして、自分の時間を奪われる面倒な「しがらみ」だと思うなら、ベビーシッターなり塾なり習い事なりを金銭的に購入して、その「しがらみ」を外部化するのも、一つのやり方である。その方が、自分の時間が確保できるだろう。

だが、僕自身、娘という「ままならない存在に巻き込まれる」からこそ、見えてきたことが沢山ある。今朝も算数を教えていて、何度教えてもなかなか繰り下がりが上手く出来ず、集中力も続かない娘にイライラしてしまった。当の本人にとっては、いま初めての苦手な算数という経験に圧倒的に戸惑っている。その彼女の視点にたったら、「なんでこんなこと出来ないの?」と父が怒ると、それは彼女の世界への信頼感の崩壊に繋がるのだ。そして、彼女のそばにいて、彼女のペースで学ぶのを親が付き合い続けることは、成長途中の彼女が、自分なりの『ちょうどよい』を見つけるお手伝いでもある。そして、それこそ「娘が育つ父になる」ために僕が求められている変容課題だとも思った。「ちょうどよい」の模索とは、そんなよりよい関係性の模索でもあるかもしれない。

「どうしても僕たちは、『物事を決める』ことに重きを置きがちです。しかし、大事なことは結果ではなく、その過程です。なぜならその過程がちゃんとしていれば、自ずと結果はついてくるからです。なぜ結果ばかり求めてしまうかというと、それはこの世のどこかに『正しい答え』があると思っているからです。」(p118)

算数で同じ間違えをする娘にイラッとくる父は、「結果ばかり求めてしまう」ダメな父である。彼女は、何度も同じ間違いを繰り返しながら、少しずつ原理を学んでいる。そのプロセスを、「なんで同じ間違いをするの?」とか「さっきやったやん!」などと恫喝してしまっては、彼女の学ぶプロセスを死んだものにしてしまう。これでは、学びの面白さに行き着かない。

それに関連して、最近危惧していることも、正直に告白しておきたい。

自分のせいでうまく物事が行かなかったとき、娘はたまに「自分はあほや」と自分の頭を叩くようになった。それは親に叱られ、追い詰められ、悪いのは自分だと内面化して、自罰的になっているからである。ややこしい時にこれくらいは出来て欲しいと親は口で注意する・圧力をかける。だが、当の娘自身にとってはものすごく高いハードルだったり、やりにくかったりする。だから出来ないのだけれど、それは自分のせいである、自分が悪い、と思い込んで、自分を罰している。これは、本当にまずい。

親が「正しい答え」に固執して、それが出来ない娘に圧力をかけてしまっている。でも、娘はその「正しい答え」を今、模索して理解しようとしている。その大切なプロセスを、娘のペースで理解しようとする試行錯誤を奪ってまで圧力をかけている。だからこそ、親に期待されたことが出来ないと感じて、「自分はあほや」と自分の頭を叩くのである。叩いているのは娘であるが、叩かせているのは親の私である。書いていて、ほんとうに悲しいし、間接的に虐待しているのかもしれない、と思うと、ゾッとする。

「寅さんはおいちゃんと喧嘩をしてどんなに激怒しても、二度と家には入れなくなることはありません。また妹のさくらが寅さんを完全に見捨てることはないでしょう。つまり「何度でも失敗が許されている」のです。寅さんが旅先で自分の労働力によって社会とつながり、困っている人を救う「ケア力」を発揮できるのは、そもそも実家でケア的空気を胸いっぱい吸い込んでいるからだとも言えます。」(p144)

娘が「自分はあほや」と自分の頭を叩く「自己表現」を通じて親に伝えようとしている強烈なメッセージとは、娘にとっての実家が「何度でも失敗が許されている」環境ですか、という問いなのだ。親の僕が、「正しい答え」に固執して、彼女が間違えながらも安心して学び続ける場を保障していますか?と。そういう「ケア的空気を胸いっぱい吸い込」めていないからこそ、頭を叩いているのである。それは、親こそ変われ、という強烈な彼女のメッセージなのだ。父がそれを受け取れるか。めっちゃズキズキしながらこの文章を書いている。

「短期的に見れば常識から外れていたり、いい結果を生まないと思われたりしても、その子の存在を認め、信じて待つことが大切です。信じて待つとは、社会的な成功かどうかではなく、本人にとっての成功が見つかるまで大人が失敗のケツをふくということです。」(p134)

幼稚園児までの間は、あれほど信じて待っていたのに、教科学習が始まると、宿題のペースに飲み込まれ、子どもを信じて待てずに急かせる父親への強烈なカウンターパンチのようなフレーズである。「本人にとっての成功が見つかるまで大人が失敗のケツをふく」ことが大切なのに、「小学生なのだから(一度習ったのだから、こないだできたのだから・・・)」と彼女に無理して自分で「失敗のケツをふく」ことをさせている。だからこそ、彼女は苦しくて、「自分はあほや」と自分の頭を叩くのかもしれない。

そう考えた時、娘にとっての「ちょうどいい」を応援する親の僕が、娘の存在を認め、信じて待てるか。最近モヤモヤしている自分事が、真兵さんの本の書評を書いているうちに湧き上がってきたので、こんなヘンテコな文章になってしまった。でも、未だ土着人の娘が「商品を選ぶ自由」に囲い込まれないために、資本主義の「外部への『出口の入り口』」を持ち続けるために、僕にとっては大切な学びが得られる一冊だった。

「問いの立て方」を変える跳躍

内田樹先生の本はかなり読み続けてきた方だが、ブログでご紹介するのは久しぶり。発刊されたばかりの『勇気論』(光文社)がすこぶる面白くて一気読みする。ヨシタケシンスケの挿画も、何というかほっこりする。

探偵の推理の話は何度か読んだ記憶があるが、今の自分にはぴったりくるので、改めて筆写してみる。

「探偵は現場に残された断片から推理して、その帰結として正解を『発見』する。推理というのは、それぞればらばらに散乱している断片的事実を並べて、それらの断片のつながりを説明できる一つの仮説を構築することです。その仮説がどれほど非常識であっても、信じがたい話であっても、「すべてを説明できる仮説はこれしかない」と確信すると名探偵は「これが真実だ」と断言する。これは「論理」というよりむしろ「論理の飛躍」なんです。」(p28)

実はぼくはこの内田先生の論理を、福祉現場のアセスメント研修でも度々活用させて頂いている。親が要介護状態で子どもがひきこもり、とか、介護サービスの受け入れを拒否している在宅一人暮らしで老衰している高齢者とか、福祉現場では「困難事例」と言われる対象者に支援者は頭を悩ませる。でも、それは対象者と支援者の「関係性の中での心配事や困難」である。ということは、支援者の関わり方を変えれば、心配事や困難は減っていく可能性がある。そのために必要なのが、「断片的事実」を集めながら「仮説を構築」することである。

独居高齢者がサービス受け入れを拒否している。が、近所のひとは放っておいたら心配だ、と言われ、支援者がおうちを訪問する。散乱する室内、失禁でべちょべちょになったベッド。でも、本人は昼から、刺身をあてにビールや焼酎を飲むのが何より楽しみで、どうもヘルパーなどを入れたらこの昼からの生活を規制されるのではないか、と恐れているようだ。こういう断片的な情報を集めていくと、「昼からお酒を飲んでもよいので、生活環境を整えてもらい、在宅一人暮らしを支えるチームを作る」という目標が出来る。そのために、ヘルパーや訪問看護も、「生活指導をするのではなく、楽しく昼から酒が飲めるように、生活が崩壊しないような支援を」という方針を、本人がいる場所で共有する。そうすると、あれほど頑なにサービス受け入れ拒否をしていたお年寄りが、「それでもいいなら、助けてもらいたい」とぼそっとつぶやく。

内田先生は、この文章の後に、とても大切なことを付け加えている。

「同じ断片を見せられて、誰もが同じ仮説にたどりつくわけではありません。凡庸な知性においては常識や思い込みが論理の飛躍を妨害するからです。」(p29)

これは結構大切な部分である。「同じ断片」でも「常識や思い込み」に支配されていると、別の論理的帰結に陥る。失禁をしてまで昼から酒を飲んでいる独居高齢者。この断片的情報を「常識」のレンズに照らせば、「失禁するなら昼は酒を飲まさないほうにした方がよい」という帰結にたどり着くかもしれない。それを指摘されるのが嫌でサービス受け入れ拒否をしていても、「健康のために」「衛生状態を向上させるために」という錦の御旗で説得しにかかるかもしれない。そして、その説得が受け入れられなかったら、「分からず屋だ」と「困難事例」のラベルが貼られるかも知れない。

でも、それは「失禁してまで昼から酒を飲むなんて、何事だ!」という一つの「もっともらしい」価値観の押しつけである。だが、人間の生き様は千差万別である。朝から酒を飲むひともいれば、晩酌をたまにするだけで十分なひと、そもそも飲まない・飲めないひともいる。人それぞれ、なはずなのに、「健康」「衛生」「病気」など科学的な「錦の御旗」を掲げると、特定のやり方のみが正しい、となる。そして、その常識や思い込みをもって対象者を見ると、科学的・常識的に正しい・標準的な生き方の評価軸から外れて生きているひとの内在的論理を理解することは出来ないのだ。

だからこそ、必要なのは「論理の飛躍」であると内田先生は言う。

「例外的知者の例外的である所以はその跳躍力なんです。彼らの論理的思考というのは、いわばこの跳躍のための助走なんです。こうであるならこうなる。こうであるならこうなる・・・と論理的思考を積み重ねることによって、思考の速度を上げている。そして、ある速度に達したところで、飛行機が離陸するように地面を離れて高く遠く跳躍する。「論理的にものを考える」というのはこの驚嘆すべきジャンプにおける「助走」に相当するものだと僕は思います。そこで加速して、踏切線で「常識の限界」を飛び越えて、日常的論理ではたどりつけないところに達する。
でも、凡庸な知性は、論理的に突き詰めて達した予想外の帰結を前にして立ちすくんでしまう。論理的にはそう結論する他ないのに、「そんなことあり得ない」と目をつぶって踏切線の前で立ち止まってしまう。それが「非論理的」ということだと僕は思います。」(p29)

論理を積み上げると、予想外の帰結にたどり着くときがある。でも、それは凡庸な知性と例外的知者の分岐点である、と内田先生は言う。その予想外の帰結が見えたとき、常識や思い込みが邪魔になって立ちすくみ、「そんなことあり得ない」と目をつぶり、これまでのパターンの中に閉じこもるのか。あるいは、その予想外の帰結が見えた段階で、「「常識の限界」を飛び越えて、日常的論理ではたどりつけないところに」「高く遠く跳躍する」か。そのどちらかで、見える世界は大きく異なる。

福祉現場でも同じだ。福祉や医療の専門家が、自らの「正しさ」や「価値前提」を押し付けるのか。相手の特有の正しさや価値前提をとりあえず理解しようと試みる事が出来るか。それは、探偵が断片的な証拠から真犯人を探るプロセスと似ている。先日ブログで紹介した、精神障害のある人を地域で支えるACT-Kの実践を観察した近田さんの『精神医療の「「治す」とは異なる」専門性』においても、「治す」以外の別の価値観、別の可能性が模索されている。そして、その別の可能性の模索の中で、「驚嘆すべきジャンプ」としての「神社のお札」や「シイタケの原木」が用いられ、それが「治療」より優れた「成果」を出していく。

常識からの跳躍を行い、予想外な論理的な帰結と向き合う。これは確かに「勇気」のいることだ。でも、その「勇気」はロジックの積み重ねなので、決して「向こう見ず」ではない。とはいえ、ひとは常識や思い込みに支配されていると、その論理に従えず、「非論理的」な言動をしてしまう。そして、問題をこじらせてしまう。だからこそ、智者に相談に訪れる。

「僕のところに寄稿依頼や講演依頼が来るのは、僕が何か有益な『情報』を提供できるからではないと思うんです。情報なら、あるいはある問題についての答えなら、どのトピックについても僕より百倍も詳しい人がいくらでもいるから、その人たちに訊けばいい。
僕に訊きに来る人たちはどちらかというと「どういうふうに問いを立てたらいいんでしょう?」というタイプの質問を向けてきます。私たちの目の前にはいったい「どういう問題」があるのか、それがよくわからない。問いの立て方を知りたい。答えを知りたいんじゃなくて。」(p107-108)

これを拝読しながら、僕は内田先生ほどの智者でもないけれど、そういう「相談」なら何度も受けたことがあるよなぁと思い出していた。

「答えが一義的に決まっている問い」であれば、僕の所に相談にはこない。「モヤモヤするけど、どう考えてよいのかわからない」「相手との関係性がわるくて、色々試行錯誤してみたけれど、全然解決の糸口がみえないままだ」「新しく事業を始めたいのだが、何をどこから手をつけてよいのかわからない」という、よくわからない相談が持ちかけられる。

相手が考えてわからない問題に、最初から僕が答えを持ち合わせている訳ではない。ただ、よくよく話を聞いてみると、相手は論理的な積み上げとしての「予想外の帰結」を受け入れるのを拒否して、最初からそれについては考えないようにしている場合もある。「相手が悪い(無能力だ、わからずやだ、仕事をしていない・・・)」と思っていたが、実は自分の相手への関わり方が、相手の無能力を社会的に構築する上で決定的要素(の一つ)であることが、僕との対話の中から浮かび上がってきたこともある。

そのとき僕がしていることは、まさに「問いの立て方」を変えることである。相手が問題である、ではなく、相手と自分の関係性の中での問題である、と「問いの立て方」を変えるだけで、ずいぶん見えている世界の解像度が異なってくる。「どうやって昼から酒を飲むのを止められるか?」ではなく、「昼から酒を飲みながらでも、陽気で愉快に在宅一人暮らしを続けられるか?」と問いを変えると、目的を実現するための方法論もガラッと変わる。

情報処理能力が高く、賢くて知識も多そうなのは文体からもわかるのだが、読んでいてつまらない結論に至る文章の書き手、もいる。そういう人って、「学界」の「常識」を網羅しているのだろうが、逆にその知識によって窒息させられているように感じる。そういう人は、「問いの立て方」自体もアカデミズムの定石から離れられないように見える。これは勉強熱心な支援者の中にも、たまに見られる現象だ。色々な勉強会に出ているし、様々な方法論も知っている。にもかかわらず、目の前の当事者という「生のデータ」の情報を集めていくと、自分が学んだ技法の標準的やり方に当てはまらない事態になる。そのときに、「自分が学んだこと」という常識や思い込みを横に置き(現象学で言うなら括弧でくくり)、逸脱値に見える事態から読み取れる、論理的で予想外の帰結に真正面から向き合うことが出来るか。これで、支援も論文もイノベーティブになるか、月並みなもので終わるか、が大きく別れるのである。

孤立に耐えることのできる人は他者の他者性に耐えることができる。理解も共感もできない他者を前にした時に、それを「人間ではない」とか「忌まわしいもの」とかいうふうにラベルを貼って分類して、処理することを自制して、しばらくの間の「判断保留」に耐えることができる。」(p286)

常識の世界での帰結を「しばらくの間「判断保留」」して、それ以外の可能性を考える。言われてみれば、それは確かに主流の価値観から離れることであり、「孤立に耐える」ことかもしれない。僕は社会福祉学と福祉社会学の汽水域で仕事をしてきた。福祉学系の学会で発表すると、福祉現場のリアリティから離れた抽象度の高さだと指摘され、社会学系の学会だと具体的過ぎて社会学的インプリケーションに欠けると批判された。どの学会に行っても、孤立してきた。まあ、そういうもんだ、と思って、30代から40代にかけて孤立に耐えてきたのかもしれない。

でも、そういう風に一匹狼的に書き続けてきたからこそ、このブログを読んでメールをもらい、そこから魅力的な社会福祉学者や福祉社会学者とお友達になったこともある。子どもが産まれた42歳から、出張も出来なくなっていよいよ孤立が深まるか、と思ったが、様々なジャンルのオモロイ研究者仲間とZoomで読書会を続けてきたら、むしろ30代より学びを深めているかもしれない。それは、孤立に耐えてでも、「問いの立て方を変える」ことを大切にし続けてきたからこそ、他者の他者性に出会いやすくなったからではないか、と思う。

というわけで、内田先生の本は、汲んでも汲み尽くせない叡智を提供してくださっている。