「メタの概念」と「構造」

 

春の収穫祭の饗宴が続いている。
南の島から新ジャガをお送り頂き、パートナーのお友達からはブロッコリーにウド、菜の花を頂く。昨日は帰宅してみると、新ジャガはそぼろ肉と煮込み、ブロッコリーはガーリック炒めに、ウドは味噌和えに、菜の花は塩ゆでで美味のマヨネーズに絡ませて、頂く準備が出来ていた。いやはや、様々な皆様方に感謝感謝、である。赤ワインに非常に合う和食となった。

で、酔っぱらいながら読み始めた一冊を、今朝も何となく読み進めてバッチリ目が覚める。

「構造における不変性(『他の一切が変化するときに、なお変化せずにあるもの』)とは、体系のなかに最初からみいだされ、色々変換しても変換されずに残る固有のものという意味ではない。構造という見方においては、変換されえないものなどなく、体系を構成する要素も要素間関係も、一切のものが変換しうる。つまり、要素も要素のあいだの関係もすべて変化しているにもかかわらず、そこに現れる『不変の関係』という不思議なものが<構造>ということになる。
けれども、それが不思議なものに思えるのは、一つの体系のみを考えるからである。レヴィ=ストロースの言葉にあるように、構造における不変の関係とは、一つの集合(体系)から別の集合(体系)へ移行する関係のことである。構造の探求(すなわち構造分析)とは、一つの体系と、それとは別の体系の間に変換の関係をみいだすことにほかならない。つまり、この変換の関係が不変の関係と呼ばれているものなのであり、変換のないところに不変なものもみいだせない-したがって構造もまたない-のである。」(小田亮「レヴィ=ストロース入門」ちくま新書 48-49

ここしばらく、分析とは何か、とか、研究とは何か、という基本的な事がよくわからなくなり、困惑していた。今もまだよくわからないことは確かなのだが、でも以前書いた「説明」「説得」に関することにも現れているように、単なる記述ではなく、「一歩踏み込んで事象の説明による説得の努力をしている」か否かが問われていることくらいは、ようやく体得出来てきた。その一方で、次の一節も、僕の頭の中で引っかかっていた。

「内容が高度になればなるほど、専門的になればなるほど、『共通項』は失われることになる。そのような思惑の下で、『富士山の裾野』を追い求める動きが顕著になり、世界最高峰への登頂を目指して空気の薄い空間で力の限りを尽くす気力は失われていってしまった。(略)共通項を求める運動のベクトルには、裾野にいくのとは違う方向性がありうる。元来、思考とは、より『メタの概念』を求めての精神の無限運動である。普遍的な適用力を持つ概念は、決して『わかりやすさ』の病理に堕することなく、世界全体を引き受けることを可能にしてくれるのである。裾野をうろうろするばかりでなく、世界最高峰への登頂を志してはじめて見えてくることもあるのだ。」((茂木健一郎「思考の補助線」ちくま新書、109

ここに書かれた「メタの概念」とは何だろうか? そして、僕自身は専門分化という名のタコツボ化に陥ったり、あるいは「裾野をうろうろするばかり」になっていないか? こういった疑問が頭の片隅でずっと点滅していたのだ。そう、「共通項を求める運動のベクトル」が自らの内部にあるのだろうか、という疑問があったのだ。もちろん、僕には「世界最高峰への登頂」が現時点で可能だなんて思ってはいない。ただ、裾野にずっといるだけなら、研究者などやめて、実践者になった方がよっぽど為になる。大学に籍を置いて、現場と関わる、ということは、せめて中範囲であれ、客観的に物事を眺めるポジションで、現場のリフレクションのお手伝いをする、そういうことではないか、と思い始めたのだ。そう思って、以前にも引いた方法論の教科書を開いてみると、こんな風にも書かれている。

「社会システム一般の包括的な理論というのではなく、より限定された、到達のレベルを少し低くした理論の<ピラミッド>を設定し、理論的な成果の系統的な整理にみられる厳密な理論への志向と個別的なテーマで行われる経験的な調査研究の累積的な成果との、双方への緊密な関連づけをすることができれば、領域としては部分的で、理論的な射程は中範囲であるが、具体的なデータに支えられて確定度の高い理論を作りあげることになる。これが当面の目標として望ましい、とマートンは考えたのである。」(新睦人『社会学の方法』有斐閣、171)

今までの僕は、「個別的なテーマで行われる経験的な調査研究の累積的な成果」を、そのものとして提示することしか出来ていなかった。そこに「理論的な成果の系統的な整理にみられる厳密な理論への志向」が足りないから、とある査読で修正の上、通過した際の備考欄に「今後のさらなる社会学的考察が望まれる」という査読者からのメッセージが添えられていたのである。その際、「社会学的考察」って何だろう、というそのものが、改めてよくわからなくなってしまっていた。そして、茂木氏の先の「より『メタの概念』を求めての精神の無限運動」を読むにつれ、そういう「無限運動」をせずに、裾野から出てこれない自身のタコツボ的現状がわかって来た段階で、先の「構造」の話に行き着くのだ。

「要素も要素のあいだの関係もすべて変化しているにもかかわらず、そこに現れる『不変の関係』という不思議なものが<構造>」である。今まで多少なりとも関わってきた、「個別的なテーマで行われる経験的な調査研究の累積的な成果」を眺めてみて、一歩引いて、「そこに現れる『不変の関係』」を見出そうとしているか? そういう中範囲の「構造」を掴もうとする努力をすることなく、何か他の理論をこねくってそれっぽく見せていたことはないか? だからこそ、仲間の研究者に「文献研究ではない、論理的枠組みの持ち込みは禁止!!」と指摘されたのではないか?

他の論理的枠組みは、もちろん何かを考える上での「ヒント」につかってもよい。でも、それを無理矢理当てはめた気になっているだけでは、「具体的なデータに支えられて確定度の高い理論」とは真逆の事態になってしまう。茂木氏が問うているのは、借り物の理論に安逸に安住するのではなく、目の前の「要素も要素のあいだの関係もすべて変化している」現実の中から、「そこに現れる『不変の関係』という不思議なもの」がないかどうか、を、「空気の薄い空間で力の限りを尽くす気力」で考え続けられるか否か、であることが、少しわかりはじめた。

さて、どう腰を据えて、現実と理論の「双方への緊密な関連づけをすることができ」るか? 恐ろしい宿題だ。

体型から体系へ

 

4月の頭からひとりサマータイム、である。
我が家の寝室は東向きなのだが、日に日に朝の明るさが増してくる。すると、5時とか6時に目覚めてしまう。以前は二度寝しようともがいていたのだが、どうせ頭が冴えているのなら、サマータイムと考えて起きて活動を始めた方がよい。去年からそれに気づいて、身体の成り行きに任せて、ひとりサマータイム、である。加えて今年は、来週から毎週月曜日は非常勤で東京に行くので、5時起きしないといけないのだし。

家の窓から見える愛宕山の桜だけでなく、JAの直売所でも春を感じる。ウドに菜の花に、バジル。ウドは天ぷらに、菜の花はおひたしにして白ワインと共に食し、バジルの苗は植木鉢に植えてみる。ついでに最近さぼっていた靴も磨き、よい休日を過ごす。この前から部屋の大掃除をして、紙ゴミだけでなく服も靴も、使わないモノをごっそりモノを捨てたので、少しずつ、色んな見通しがよくなってきた。で、外部環境の見通しをよくした後のターゲットは、心の見通しである。

「自分の陰のイメージを、実在しているひとのなかに探すのは、それほどむずかしいことではない。自分の周囲にあって、何となくきらいなひとや、平素はうまくゆくのに、ある点だけむやみと腹が立つようなとき、それらは自分が無意識内にもっている欠点ではないかと考えてみると、思い当たることが多いに違いない。われわれは自分の意識の体系を持っているが、それを簡単に作り替えるのは容易なことではないので、ともかく、それをおびやかすものは、悪として斥けがちになる。自分の知らないこと、できないこと、嫌いなこと、損なことは、ともすると悪と簡単な等式で結ばれやすい。」(河合隼雄著「ユング心理学入門」培風館、p105)

河合隼雄氏の本を読んだのは、随分久しぶりである。一回り以上も前、大学生だったころ、結構河合ファンで図書館であれこれ借りては読んでいた記憶がある。僕の所属した学部には臨床心理学科もあり、密かに心理系に進みたい、と願っていた時期もある。だが、高校時代に精神科医になりたいと漠然と考えていた時、数学と理科の壁に阻まれて諦めたように、統計の授業が面倒くさくて、結局そのコースを選択しなかった。にもかかわらず、精神医療の問題に、大学院以後は社会学的アプローチで関わるようになるのだから、世の中は面白い。かつ、博論が終わるころまでは、何となく無意識の規制が働いてか、精神科医や臨床心理家の書くものすら読まない、という時期もあった。今から思うと、専門家中心主義の問題を社会学的にみようするのに、その専門家の書き物に魅了されていたら、眼鏡が曇ってしまう、と感じていたのだろうか。だが、30代になり、ようやく「それはそれ、これはこれ」と分けて考える器が育ち始めたような気がする。よって、久しぶりにユング心理学の世界に触れる。

自我の形成が今より遙かに未熟だった当時、先に引用した部分をどれだけ、アクチュアルな問題意識として捉えることが出来ただろうか? おっさんになった今、「「自分の陰のイメージを、実在しているひとのなかに探すのは、それほどむずかしいことではない」というフレーズがグサッとくる。そう、鼻につく人、って、自分の嫌な部分の分身(やその極大化)だから、嫌なんだよね。

自分の薄くなった頭皮を初めて手鏡越しに見た時、妻にデジカメで自身の「背脂さん」を撮影された時、そんな見たくもないけど明白な事実を見た時、すごく嫌な気になって、でも何とも出来ない運命論と諦めて、「しゃあないやないか、おっさんやから」と逆ギレする。「自分の意識の体系を持っているが、それを簡単に作り替えるのは容易なことではないので、ともかく、それをおびやかすものは、悪として斥けがちになる」んだよね。でも、余裕がなく、運命論や悪として斥けた20代とは違い、少しだけ余裕が出てきた30代は、その意識体系を作り替える作業に取りかかろうとしている。昨年からブログで時折触れているダイエットもその1つ。今、76キロ前後で止まっているが、これだって最大84キロから比べたら、大部の進化。でも、何とかもう少し痩せられるのでは、という気になり始めている。これも、意識体系の漸進的な「変容」なのではないか、と感じている。

そういう体型の「変容」を実感出来ると、性格や性質といった意識体系の方も、もしかしたら漸進的な「変容」が可能なのではないか、と感じ始めている。「嫌なんだよね」と他責的文法で愚痴を言う暇があったら、その中に自分で引き受けられる部分を探して、ちいとは改善出来ないか? そんなことを思い始めているのだ。陰を糾弾するのは、文字通りジメジメしていて、陰気くさい。ならば、大変だけれど、それを統合すべく、ぼちぼちと1つずつ石を積み上げていった方が、オモロイのではないか。should,must論ではなく、would like toとして、そんな風に感じ始めている。

単なる春の「血迷い」かもしれない。でも、そういうを大事にしたいような気もする。

生き様としての「補助線」

 

世の中には、たった1時間程度で読めて、かつ沢山の内容が吸収できる本もあれば、逆に一生懸命時間をかけてたどっても、からきしその養分をくみ取れない(あるいは元々養分のない)本もある。今日、ジムの近所で買って、運動30分自宅に帰って風呂読書30分で読み終えたのは、間違いなく前者。

「僕はいま怒濤のような忙しさのなかにいます。一年中、常に働いていて、スケジュールがずっと先まで埋まっている。この状態を自分自身で振り返るうちに、面白いことに気がつきました。少し前までは、『ものすごく忙しく仕事をしている』感覚だったのですが、それが『ものすごく忙しく勉強している』という感覚に変わってきたのです。大勢の前で講演する時も、親しい人と話をする時にも、そこでの対話を通して自分の中に新しい自分を発見している。これは、常に新しい発見が出来るような、高いレベルのコミュニケーション能力が身に付いたと言い換えることが出来ます。」(茂木健一郎「脳を活かす勉強法」PHP53-54

仕事柄こういう「勉強法」の本は読み漁っている。医師などが脳の機能に基づいた勉強法を書いたものも読んでいた。でも、何だか薄っぺらく、うさんくさい雰囲気が漂う。科学的装いを施した精神論、という臭いがプンプンな本もあるからだ。だが、この本は違う。自分の予備校講師時代の経験、あるいは予備校の恩師から教わった考え方と同じ方向性であるからだ。例えば「速さ」「分量」「没入感」という三拍子が揃って「人の目を気にせず、なりふりかまわずやる」という「『鶴の恩返し』勉強法」。これは、僕自身、大学受験の時に実践していた。

二次試験の前、英作文対策として恩師に指示されたのは、「中学校の1~3年生の教科書をとりあえず丸暗記すること」。予備校生としてなりふり構っていられなかった少年タケバタは、家にいるとついだらけて「没入感」に浸れないので、通学定期を持っていた阪急電車を選んだ。京都河原町-大阪梅田間を走る、昼下がりのがら空きの急行電車。かつて車掌室だったデットスペースに陣取り、なりふり構わずブツブツ音読しながら、京都と大阪を何往復もしていた。そうして20日間で、3年間分を丸暗記する、という「速さ」と「分量」をこなすうちに、稚拙でも文意を損なわない英語のフレーズが出てきた。これは、受験から15年以上たった今でも、海外に出かけた折りに、すごく役立っている。

事ほど左様に、自分自身のたどってきた方法論は、彼自身の方法論とも似ていて、かつ脳科学的にもその通りだ、と言われると、何だか嬉しいし、先に引用した「『ものすごく忙しく勉強している』という感覚」などは、そう考えることも出来るよね、という実感と、それから自分自身もそう考えたいよね、という願望が混ぜ合わさった気持ちを持っている。

「誰しも、仕事があまりに忙しい時は『○○をやらなければならない』といった負荷や重圧のため、ついネガティブな発想をしがちです。しかし、そういう時は脳の特性をあまり活かせていない時でもあります。たとえば『確かに忙しいけど、いろんなことを学べるチャンスだ』と見方を変えるのも手です。」(同上、p55

この冬の反省は、『○○をやらなければならない』と「負荷」モードだったことだ。それよりは、『確かに忙しいけど、いろんなことを学べるチャンスだ』と考えられる方が、確かに楽しいし、楽しいことは脳を活性化させる、というのも、よくわかる話。と、こんな風に紹介すると、やっぱり茂木さんってエンターテナーなの、と思われる方もいるかも知れないので、実は茂木本を読むきっかけになった次の一節も引用しておく。

「一見関係がないと思われるものたちの間に『補助線』を引き、その生き様において自分自身が『補助線』と化して、断片化してしまった知のさまざまの間を結ぶ。そのような、世界の統一性を取り戻す精神運動には、途方に暮れるようなエネルギーが必要とされる。怒りこそが、そのようなエネルギーを私たちに与えてくれるのだろう。破壊する怒りではなく、『魂の錬金術』を通して、さまざまを創造する『白魔術』としての怒り。(略)そんな生成の過程は、奇跡的なことのように見えて、実は生きとし生けるものに普遍的な原理そのものに根ざしている。」(茂木健一郎「思考の補助線」ちくま新書、193-194

この部分だけ引用したら、何のこっちゃ、と思われるかもしれないが、そういう方は同書を直接読んでみて頂きたい。何だか彼のパッションをグッと詰め込んだ同書で初めて、テレビ以外の茂木氏を知り、一気に興味がわいてしまった。そう、僕だって何で福祉分野をフィールドにしているか、といえば、単純に「怒り」なんだと思う。「何でこんなままほったらかせてるねん」とか、「こんな状態でほんまにいいんかいな」といった怒り。その怒りを、「破壊」に向けるのではなく、「魂の錬金術」として、そこから、この現実を変えうる可能性のある何かを生み出すことが出来るか?そのために、「その生き様において自分自身が『補助線』と化し」て、色んなモノをつなぎ合わせながら、役立つ何かを差し出すことが出来るか?

自分自身が媒介役となるために、もっと深い勉強が必要。それが、月並みだけれど、この冬の内省期に気づいた一番のことだった。だからこそ、四月の頭に、「『ものすごく忙しく勉強している』という感覚」という枠組みを知れたのは、ラッキーだった。さて、どういう「補助線」を作り出せるか。知ったのだから、ちゃんと実践あるのみ、ですね。

四年目の春

 

先週大阪に出張の折、久々にこのHPの管理人N氏とお茶をする。このHPの体裁を少しリニューアル出来ないか、という議論。

山梨に仕事が決まった時に、高校の後輩で今ではウェブ関連の仕事をしている彼に、HPのコンセプトを一緒に考えてもらい、一からデザインして頂いた。有り難い友人である。だが、ご案内のように、ブログ以外はほとんど更新が出来ていない。もちろん忙しいから、というのもあるのだが、それ以外に、HPのコンセプトに関する認識が、大学で講義をし始めて、だいぶ変わってきたから、というのもある。それは、自分自身のものの考え方の変化、というものと密接につながっている。

ちょうど4年前の今日、辞令交付式で初めて正規職員としての採用証書をもらった頃は、まだ大学の研究者、というより、頭の中身はそれまでのドメインであった「大学院生」「予備校講師」といったものが支配していた。そういうノリでHPの構築もしたし、授業の組み立てもしていた。勿論、その当時を振り返ってみて、その当時の考え方自体が間違っていた、とは思わない。だが、3年ほど研究や教育にフルタイムのプロ(対価を貰うという意味での)として携わる中で、その職業に関する認識やスタンスは徐々に、時には急激に変化していった。

ここしばらく、このブログ上で自身のスタンスの不甲斐なさ、中途半端さを新しい(再)発見に織り交ぜながら書いていたが、それをご覧になられたM先生が、「タケバタさんは今、反省モードなのですね」と仰っておられた。確かにそのモード、である。誰にもあんまり相手にされない、ぺーぺーの学生、のつもりでいたが、気づいたらその発言が多少影響力を持ってしまう立場に変わっていた。福祉関連の書籍や論文を読んでいて「つまんないよ」とブーたれていた一方的読者の立場から、時には「書き手」として「月並みな文章だね」と批判を受けはじめた。外野席から大声でヤジを飛ばしていた時から、内野席でコーチ兼プレーヤーとして、ヤジも含めて受け止めながら、試合展開に気を配ることになった。そして何より、一緒に学ぼうとしてくれる学生達と出合い始めた

こういったポジショニングの転換の中でも、もちろん元々持つ志向性や思考の癖、のようなものは変わっていない。だが一方、その方法論、というか、メッセージの伝え方、ものの受け止め方、といった広義のコミュニケーション戦略については、変えた方がうまく伝わりそうで、かつそれに合理的な理由があると感じられた時には、変え始めている。そのチャンネルの切り替えが十全に出来ているか、と言われると、それはまた別問題だが、とにもかくにも、職責を全うする、と言う意味でのプロフェッショナルとしては、ちゃんとそれをすべきなんだよなぁ、と感じ、行動しようとしている。その中で、研究者としてのポジショニングがどこにあるのだろう、とこの春休みにずっと考えていたから、ここ最近の(再)発見モードになっていたのだ。

先週末の大阪では、山梨に引っ越す前にずいぶんお世話になっていた、あるNPOに立ち寄り、大阪の「お母様」と「妹」と慕う二人の麗しい女性と議論。その場でもすごく感じたのが、「自分はもう、現場の人間ではない」という当たり前の事実だ。確かにそこにはコミットし、年に数回はその現場の活動に参加するし、電話でのやり取りも結構行っている。だが、3年という月日の流れの中で、当然の事ながら、その現場のリアリティは、第一線としては感じられなくなっている。だが、それを単に否定するのではなく、その上での「自分がその現場に返せる役割って何だろう」と考えていた。研究者として、生煮えの中途半端に小難しい言説を吐くことが、決して私に求められている訳ではない。そうではなくて、その現場の実践を、別の立場・角度から分析、整理、説明した上で、その現場の活動・営みが再び元気に・よりよくなってもらうような仕事がしたい、と願っている。明らかにアクションリサーチ的な、対象から離れて客観的に掴む、というより、その対象と寄り添いながら、しかも、その現場が上手く変遷していくお手伝いをしたい、という志向性が昔から強い。だからこそ、では「どう寄り添うのか」、「どう整理するのか」、「どう再定義し直すのか」といったことが問われているのだと思う。

これは自身が関わらせて頂いている県の仕事でも同様だ。昨年度1年間動き回ってみて、必死になって関わる中で、一定程度の認知と多少の信頼は、市町村行政や現場支援者、当事者の方々に持って頂けたのではないか、と思っている。そして、あと1年の任期の間に、では何が出来るか、が問われている。当然そこで求められるのは色んな要素があると思うが、寄り添い方、整理の仕方として現在自分が考えているのが、「特別アドバイザーの任期が終わった後も持続するシステム・考え方・方向性を、どのように作るか」ということだ。これまで行政に一貫性がない、とか、担当者が変わればコロコロ方針が変わる、と批判されてきた。当事者の思いや願いに基づいた政策、ではなく、あるいは政策主体的、とも言い切れず、その場その場で変わる部分は、どの行政をみても、ゼロとは決して言えないと思う。そして、そう批判される行政の中には、一担当者の思いではどうにもならない、構造的問題が色々あることも、少しは学んだ。

そういう所与の条件を加味した上で、自立支援協議会という枠組みを舞台に、どう当事者主体のしかけを作れるのか、そしてそれをどう引き継げるのか、が大きな課題だ。この仕事の後半戦に入って、変えてはいけないスタンスと、そろそろ変えた方が良い部分と、感じている。

そう、教育も、研究も、実践も、新年度で心機一転が求められている。そういう意味で、あのときの決意表明は「エイプリールフール」だったんです、なんて格好悪いことを言わなくてもいいようにしないと、ねぇ。

説得の視点

 

この一週間は旅の日々だった。そして、旅先に持って行ったり、途中で買い求めた本から、改めて大切なことを教わった一週間でもあった。

「『記述』(description)という作業は、観察や記録をもとにして事象の実態を正確または精密に述べることを目的としている。これに対して、『説明』(explanation)という作業は、結果として生じている事象がいかなる原因またはそれに準じた理由を用意して、その関係について納得を得ることを目指している。(略)記述することは、基礎的な作業であって、どのような高度な数理分析も正確で精密な記述データなしには成り立たない。けれども、多くのすぐれた社会学者の作品が私たちを魅了する理由の重要な1つは、単なる概念や事実記述だけでなく、そこから一歩踏み込んで事象の説明による説得の努力をしているからであろう。」(新睦人『社会学の方法』有斐閣、p188-189)

旅先で読み始めたこの方法論のテキストの中で、一番ハッとさせられたのが、上記の部分だ。僕自身の最近の仕事は、「一歩踏み込んで事象の説明による説得の努力をしている」だろうか? 単なる概念や事実記述でお茶を濁していないだろうか? 多忙を理由に、「説得の努力」を放棄していないだろうか? そう振り返ってみて、沖縄行きの機内で読んでいたあるフレーズを思い出す。

「事件や現象はそんな一面的なものじゃない。もっと多面的なはずだ。でもメディアは、その多面性からどうしても目をそらす。そしてその帰結として、事象や現象はかぎりなく単純化される。こうして世界はメディアによって矮小化される。そしてこの矮小化された単純簡略な情報に馴れてしまった人たちは、複雑な論理を嫌うようになる。つまり胃袋が小さくなる。後はもう悪循環。わかりやすさを好む視聴者や読者によって、メディアは事件や現象の単純化を当たり前のようにこなし始め、そのスパイラルが加速する。」(森達也『視点をずらす思考術』講談社現代新書、p138)

15日は大学の卒業式。二回目の卒業生を送り出した後、沖縄行きの最終便に乗り込む前に羽田空港の売店で買い求めたのが、上記の新書。いつものように森達也氏の視点が面白くて、結局那覇のホテルで床につく前には一気に読み終わる。この森氏のメディアへの警句は、書き手としての僕自身への警句としてもグサリときたのだ。

伝え手が、「説得の努力」をしていないだけでなく、その基盤となる「記述」に際しても、「単純化」「一面化」していたとしたら、目も当てられない。複雑な論理を解きほぐしながら説明する、ということから全く遠ざかり、「単純簡略な情報」として記述しているようでは、それは「記述」以前となってしまう。

1月から3月にかけて、やっつけ仕事のようにバタバタとスケジュールをこなしながら、心身共に不全感が蓄積されていった。で、ご先祖のお墓参りのついでに休養をとろうと南の島まで逃避行するフライトの中で、早速自身の精神的不全感の原因について気づかされる。「説明」する仕事が出来ていないばかりか、「記述」する姿勢もなっていなかったのだ。

「僕のメディア・リテラシーの定義は、『メディアは前提としてフィクションであるということ』と『メディアは多面的な世界や現象への一つの視点に過ぎない』という二つを知ること。自分の視点をずらすだけで新しい位相や局面が、断面や属性が、まるで万華鏡のようにあらわれる」(同上、p42

そう、独自の「説明」するためには必要不可欠な、「自分の視点をずらす」ということが、できてなかったんだよね。自分自身の頭を通して、自分の眼鏡でしか見えないものをみて、そこから稚拙でも自分なりに説明する。このサイクルが出来ていなかったのだ。情けないけれど。だからこそ、月並みな論理、月並みな記述、月並みな説明しか浮かんでこない。月並みな説明なら、ネットをちょっと引っかければ五万と出てくる。何も僕がしゃしゃり出る必要は全くない。そういう「ゴミ文章」を自分は書き散らしていたのか、と思うと、ドッと倦怠感が襲う。でも原因がわかってくると、多少力もわいてくる。

南の島で木曜日まで心身ともに充電し、金曜日の朝に6日ぶりにメールを開いてみるが、恐れていたほど処理に時間もかからない。なあんだ、メール&パソコン依存症状態だったんだね、とわかる。どうも最近パソコンの前にいる時間が長すぎて、じっくりと考え、視点をずらし、論理を構築する時間的余裕をつくっていなかったようだ。きちんと休みを取ること、自分の頭で考えること、この二つは、真っ当な仕事をするために、必要不可欠。研究の上でも、実践の上でも、今、もう一皮むける必要性を感じている。この一皮むけるためには、情報に溺れて「知ったかぶり」することなく、落ち着いて自分なりに論理構築をする時間的余裕を作るのが前提なんだよね。

と、何だかゲームのやりすぎをたしなめる親や教師の「お小言」に近い文言を書いてしまった。さて、パソコンはこれくらいにして、ちゃんと考える時間をとらないと。

ステップを合わせる

 

寝る前の、しかもこんな丑三つ時にパソコンの前に向かうのは、安眠のためによくない。こないだニュースでも、就寝直前のPCとの接触が、睡眠の妨げになるって言ってたっけ。でも、にもかかわらず、最終の「かいじ」で家に戻る車内で読み始めた本を、風呂につかりながら読み進めていて、どうしても、短い時間でいいから、今晩中に触れておきたいフレーズに出会った。

「ストーリーテリングはダンスである。このことは、1人の人が誰か他の人に、『あなたは変わるべきである。もしあなたがこうしたら、○○はより良くなるだろう』ということではない。もし、それがただ彼らに語られたものであるだけであるなら、そして彼らがその会話で何も経験しないなら、1ヶ月後、誰がそのことについて考えるだろうか? あなたが物語を語っているとき、そして、より重要なことだが、あなたが誰か他の人からの物語から刺激を受けて新たに物語を創り出しているとき、それが2人の会話であろうと、20人の会話であろうと、そのときそのすべての会話がダンスになる。それは行ったり来たりするし、さらに来たり行ったりする。そして、より重要なことだが、もしあなたが真に聞き、そしてあなたが真に知りたいなら、物語の交換から生じる率直さ、誠実さは、エネルギーを与える経験になる。人々がそうしたエネルギーをもらったその後に、彼らは自分たちが言ったことはちゃんと聞かれていると感じるし、さらには認められているとさえ感じる。彼らは、それが自身の本能や心の中でひびいていると感じることができるのである。このエネルギーによって、彼らはできるかぎり何か新しいものを見始めることができる。」(カタリナ・グロー「教育用ビデオ制作におけるストーリーテリング」『ストーリーテリングが経営を変える』同文館出版所収、p218-9

読んでいて思った。そうか、多くの場面で僕は「独り相撲」してたんだ、と。

先日も、同様の失敗をしてしまった。ある現場での講演会において、私ともう1人の方が講演をしていた。当日、開催時間が遅れたこともあってか、終了時刻を過ぎても、こちらが伝えたい話が伝えきれずにいた。後数分でまとめよう、と焦りながら話していたとき、フロアのある男性が、突如大声でこう仰った。

「そろそろ話を切り上げたらどうですか!」

まったく思わぬ方向から飛んできたタマに、大パニックになってしまった。ここからある程度話をまとめて、という展開が、ボキッと折られたのだ。一息ついて、深呼吸をして、謝るところから、スタートすべきだった。なのに、なのに。思い出すだけでも情けないのだが、あろう事か、逆ギレ、とまではいかないものの、怒りながら話をまとめている自分がいた。一度そうやって短気に火がついてしまうと、収集が全くつかない。今までの1時間半以上かけて暖めてきた(であろう)雰囲気もぶちこわし、さんざんな講演会だった。自分自身、すっかり嫌になってしまっていた。

で、なぜその時、そのオジサンがそんなことを仰ったのか。理由は色々あるかもしれないが、今にして思うと、僕のその時の語り口が、『あなたは変わるべきである。もしあなたがこうしたら、○○はより良くなるだろう』的なものだった部分に起因するような気がする。実は、数日前、その会に参加していた他の方にお逢いした際、同様のことをやんわり注意されていたのだ。だが、その時は、まだ気づけずにいた。しかし、風呂読書の中でこのフレーズに突き当たった時、氷解していった。そうか、またいつもの“I am right, you are wrong!”的フレームワークをやっちゃんたんだ、と。

馬鹿な話だが、最近まで、こちらが一生懸命語りかけることが大切だと思い、そのことにのみ専心している自分がいたことに気づいた。だが、「彼らがその会話で何も経験しないなら、1ヶ月後、誰がそのことについて考えるだろうか?」というフレーズが、まさに僕にも問われている。僕の、少なくともその日の講演では、その場の参加者が「何も経験しな」かったのだ。「物語の交換」をするどころか、延々と「タケバタの物語」を押しつけていたのだ。それを2時間もやられたら、そりゃ、僕だってたまらない。早く終わらないか、と気になって当たり前だ。つまり、「行ったり来たりするし、さらに来たり行ったりする」ようなダンスを踊れていなかったのだ。

自分以外の誰かに「できるかぎり何か新しいものを見始める」ようになってほしいと願うとき、お説教モードの独り相撲では絶対に動かない。ちゃんとまず僕自身から、相手のストーリーを伺い、相互交換する中から、少しずつ、共鳴する部分を探り出していくべきなのだ。そういう、チューニングを合わせる作業、つまりはダンスのステップを合わせる作業をしていく「行き来」の共同作業の中から、信頼と、心を溶かすきっかけが産まれるのである。脅すのでも、教化するのでも、こじ開けるのでもない。大切なのは、向こうから開くのを、一緒にステップを踊りながら、誠実に待つことである。

これは、会話でも講演でも同じ部分があると思う。その場の雰囲気にちゃんと共鳴し、その流れにうまくチューニングを合わせ、ステップを踊れるか? 逆ギレする、というのは、僕自身が踊る資格がないことを白日の下にさらしている、と証明しているようなものだ。情けない。1:1でも、50人を前にしても、きちんと相手をみて、相手とダンスできるように心がけられるか? 自分自身の勝手なストーリーを押しつけていないか? 1人であろうと、集団であろうと、その相手と共にダンスを踊ろうとしているか? 

明日からは、まずステップの練習からだね。

自戒モード

 

久しぶりにゆっくり机の前で仕事が出来る。
必要に迫られて、4年前に読んだ本を読み返していたら、グサリとくる箇所に突き当たった。

「相互浸透の度合いが低い(あるいはそれが欠落している)場合は、データと分析が乖離している状態にあると考えていいだろう。こうした乖離は、たとえば、調査者が最初と最後の部分で精緻な概念図式を展開しているようなレポートにみいだされる。その中間の部分では、最初と最後の部分で提示される概念図式に関連づけられていない、抽象度の低い常識的な記述が展開される。つまり、分析がデータから発展させられる、あるいはデータの分析のために使用されるというより、レポートのそれぞれの末尾でデータに付加されているように見えるのだ。レポートを通してデータと分析が緊密に結合されていないので、両者の関係は不明確なものとなる。このようにレポートにおいてデータと分析の相互浸透を達成しそこなうということは、事実上、調査者が現実に何の分析もしていなかったことを意味する。」(J・ロフランド&L・ロフランド『社会状況の分析』恒星社厚生閣 p225)

この数年間の間に、「データと分析が緊密に結合されていないので、両者の関係は不明確なものとな」った、つまりはデータと分析の「相互浸透を達成しそこな」ったレポートを書いてこなかったか? 思い当たる節がないと言えば嘘になる。「時間がない」のを言い訳に、「抽象度の低い常識的な記述」で済ませたものがある。そもそも「最初と最後の部分で精緻な概念図式」すら描けなかったものもある。こういうタケバタは、筆者らによれば次のタイプに当てはまるようだ。

「記述過剰の過誤は、分析に対して過剰な記述が提供される場合である。著者は状況の具体的で詳細な事実を提示することに熱中するあまり、そうした事実を整序・説明・要約する分析概念と着想との関連を見失うのだ。このようなレポートは、単純な歴史記述ないしジャーナリスティックな記述と類似している」(同上、p224)

ただ、ここで注意しておかなければならないことがある。優れたジャーナリストなら、「記述過剰」に陥らないことは、私の師匠などを見ているとよくわかる。記述する方法が学術的かジャーナリスティックか、は別として、師匠の作品などは事実の記述だけでなく、そこから「事実を整序・説明・要約する分析概念」を立ち上げて、現実へ切り込んでおられる。それに対して、己の仕事はどうか? 「状況の具体的で詳細な事実を提示することに熱中」してはいなかったか? そういえば、昔師匠が仰った「下手な研究者は無駄に情報ばかりを求める」というのも、「記述過剰」への警句だったんですね。

何で今頃こんな事に気づくのか。いや、私には有り難い仲間がいて、ちゃんと教えてもらったのであります。先週スキーに出かけていてさぼってしまったある研究班の会合の議事録が送られてきたので、読んでみると、私の担当部分にこんな事が書いてあった。

「注意点:文献研究ではない、論理的枠組みの持ち込みは禁止!!」

同じチームのH氏は的確に、私の怠慢・さぼり癖・問題点を見抜いている。「記述過剰」および、自身の論理展開ではない、他から借りてきた「概念図式を展開している」私の仕事ぶりに対して、厳しく「そりゃ、あかんよ!」とおしかりを受けたのである。これって、ロフランド夫妻の仰る「事実上、調査者が現実に何の分析もしていなかったことを意味する」という宣告のパラフレーズそのものだ。グサッとくるけど、言われてごもっとも。さてどないしよう、と本棚を探していて、偶然久しぶりに目にとまった本を開けてみたら、引用した件の記載が目に飛び込んできた。あまりにバッチリな記述に、思わず「すんません」と思ってしまう。さて、今からとある別の研究の中間まとめ。データと分析をじっくり付き合わせるような、「相互浸透の度合い」を高める仕事をせねばという自戒モードであった。

月またぎの旅行

 

昨日今日と、久しぶりに遊んできた。

ところは車山高原。そう、今季初滑りに出かけたのだ。一昨日は東京で一日会議があったのだが、夕方には「風邪気味ですので先に帰らせてください」と早々に切り上げ、明日の神戸での会議は「前から約束していましたので」と断ってまで、何とか空けた丸二日。事実、沖縄出張から帰ってきて、本当に風邪を引いてしまい、半分仕事を休んでダウンしていたのだが、何とか葛根湯のおかげで「病み上がり」。年に1度、東京からやってくる大学時代の友人Nとそのパートナーを甲府駅で拾って、4人で今年も白樺湖方面へとアクセラ号を疾走させていく。

大門峠で徐々に雪景色が深まり、白樺湖は結氷していうる上に、昨年より少し雪深い模様。更に車を進めて辿り着いたスキー場は快晴で風があるのでサラサラな雪質。しかも金曜なので人も少ない。3拍子そろったコンディション。だが、今回は病み上がりで、仕事も忙しく、前回教えてもらったTコーチの教えを復習する間もなかった。しまった、と思いながら、スキージャンパーのポケットをまさぐっていると、まさにその教えをメモしたこのスルメの過去ログのプリントアウトしたものが出てきた。このときほど、ポケットに何でも詰めておく自分の癖に感謝したことはない。駐車場からスキー場に出かける坂道で、ありがたく拝読する。そう、足の裏で滑るんでしたよね・・・。

なのに、最初の滑りでは、無意識のうちに怖くて足をグーにして、無理矢理肩や腰で曲がろうとしていた。下まで滑ってみて、なんでエッジが効かないのだろう、と意識して、はっと気づく。しまった、一番してはいけないことをしていた。しかも、変に力を入れたもんだから、足の裏が緊張して痛くって仕方ない。以後、足の裏を意識しながら滑っていくのだが、なかなかその痛みは取れにくかった。よって、1時間滑ってお昼ご飯、その後1時間あまり滑って今度はお茶、と大変「文化会系」(=非体育会系)スキーである。

とはいえ、Tコーチに受けた実質的プライベートレッスン!は一年後もしっかり身に付いていた。一旦感覚を取り戻すと、何とか足をそろえて滑り始める。中級コースの、角度が急な斜面も、Tコーチに教えてもらった通りに、怖ければボーゲンで、少し慣れたら右に左に多少エッジをかけながら降りていくと、見た目はどうであれ、難なく降りていける。そうすると、俄然面白くなっていき、結局リフトが止まる直前の4時半くらいまで滑り続ける。

で、泊まったペンションでは、温泉にもつかり、超美味しいビールに心を躍らせ、最初のアペリティフがすごく美味しくてというあたりまでは、よかった。だが、そう、病み上がりなのである。そこの食事がヨーロッパテイストの、ハーブをバリバリに効かせ、濃厚なテイストで、脂っこい食べ物だったせいもあるのだろう。急に途中から脂汗が出てきて、みんなが美味しいと喜ぶデザートもパス。食いしん坊のタケバタにしては、相当の緊急事態である。部屋に戻って胃薬を飲もうとしたら、我慢できずにトイレに直行。そういえば、本来のタケバタは胃弱である事を忘れていた。久しぶりに風邪菌と共に外にはき出してしまい、ベッドに横たわって2時間程、コンコンと寝る。その後、すっきりして別室での宴会会場に合流したのだが、おつまみもお酒にも全く手が出ず、ひたすらお茶ばかり。改めて、最近の無茶な日々を反省していた。

という悔恨の念が天に届いたのか!?、翌朝は多少調子を盛り返す。翌朝、雪がちらつく露天風呂で汗をたっぷりかき、またもヘビーな朝食は少し学習したので量を減らして、ゲレンデへ。9時半には着いたのに、車、車、車。しまった、今日は土曜日だった。そう、めちゃくちゃ多い人、人、人である。ただ、幸か不幸か多少吹雪いていたので、人は多くても雪質は悪くない。リフトもそんなに並ばずとも乗れた。滑っているうちに多少日差しも出てきて、午前中何本か滑っていく。だが、今度は、ウェアーに問題が! 4年前にスウェーデンに住んでいた折、北極圏のイエリバーレに遊びに出かけたのだが、その際に買ったモコモコのダウンジャンパー。零下10度以下の散策には良いかもしれないが、スキーをするには分厚すぎるし、超汗っかきのタケバタにはジッパーを閉めると、あまりに暑い。で、滑りながら少しジッパーを下げると、とたんに冷風が吹き込んで来て、その後リフトに乗ってる間、その冷気が全身を冷やしていく。一難去ってまた一難。また風邪を呼び込んでは仕方ないので、足もガクガクだし、お昼前には早くも終了。
早速着替えて、帰宅の途に着く。

まあ、その甲斐あって、何とか風邪も引かず、帰りに美味しいそばも食べ、諏訪の魚屋にも寄り、3時過ぎには友人夫婦を甲府駅でお見送り。久しぶりに仕事を一切忘れて楽しんでいたので、ちょっと喉はイガイガ気味だが、大変リフレッシュできた。さて、来週もまたまた山ほど課題があるが、頑張れそう。2月最後の夜はとんでもない終わり方だったが、3月のはじめは良いスタートを切れた、ことにしておこう!

那覇空港より

 

先週はコペンハーゲンで、今週は那覇、節操なく空港から書いております。

日曜日に山梨に帰り着き、時差ぼけする間もなく、月曜日からゼミに県自立支援協議会に東京出張に、とドタバタしていた。ここしばらく、11時か12時に寝て7時に起きる、というリズムがかなり確立されているためか、スウェーデンのようにそれが大きくずれると、本当に身体きつく、時差ぼけもしんどい。だが逆に、日本に帰ってくると、日常に戻る事もあってか、思いの外スムーズに時差ぼけなく日本に順応する。それはよいのだが、スウェーデンの記憶がもう薄れつつあるのが非常にまずいのだが

で、今週はこの1年間かけて準備してきたことが、新たな局面にさしかかりつつある。
火曜日は、ようやく県の自立支援協議会の第一回会合が行われる。この自立支援協議会というのは、自立支援法の中で市町村、都道府県単位に実施が義務づけられているもので、地域での政策課題を、障害当事者と関係機関が同じテーブルについて議論出来る場だ。厚労省はこれに力を入れているが、現時点で設置されているのは1800近い市町村のうちの4割。また、その内容も、千差万別になりはじめている(と予想される。なんせ、ネガティブな実態についてはなかなか語られる事がないので)。

でも、千差万別、と書いたのは、この協議会さえ開けば薔薇色、とは僕自身、思ってはいないからだ。行政が開く各種審議会、公聴会、協議会に類するものの中には、形骸化したものもあれば、そこまでいかなくとも「魂のこもっていない」会、あるいは「地域代表のガス抜き会」といったものもあったと思う。で、この自立支援協議会だって、当然のことながら、同じ危険性を孕んでいる。

だからこそ、山梨では「出来る限り実質的な議論の場を作ろう」と下準備を重ねてきた。拙速に形だけを作るのではなく、行政の担当者と各領域の地域代表者が膝を詰めて全県的課題を議論できるような場作りをしよう、と構想を練ってきた。行政担当者にも、地域の様々な支援者とも、方向性をお互いに納得しあうために、何度も何度も話をしてきた。その上で、ようやく第一回の会合、という入口にたどり着けたのである。だからこそ、この第一回会合から、早速各種課題の整理のための準備作業が始まっている。セレモニーよりも実質的議論のスタートに、感慨深げになる暇もなく、動き始めた。

また、金曜日は各地域で山梨の地域作りの旗振り役のone of themになって頂いている、各コーディネーターの方々と合宿をしながら議論。夜中までとことん話し合う。措置制度から支援費制度、障害者自立支援法とこの数年で法律がガラガラと変わる中で、地域の当事者・家族の声を「圏域ネットワーク会議」としてまとめてこられたコーディネーターの方々の位置づけも、大きく変わりつつある。そのまっただ中にあって、皆さんの役割を再確認しながら、県や地域自立支援協議会の中でどう地域支援に取り組んでいけるか、について、具体的に議論を重ねていた。地域で解決しきれない課題を話し合う県の器(県自立支援協議会)が出来たからこそ、そこでどういう中身ある議論が出来るか、が、市町村の現場で再度問われている。その意味で、県の体制だけでおしまい、ではなく、地域レベルと県レベルの課題共有と解決に向けた模索をどうしていくのか、という往復をどうしていこうか、が目下の最重要課題なのである。

という議論内容も踏まえ、日曜朝は場所を変え、ジャケットがないと少し肌寒いくらいの沖縄で、とある学会の自由報告してし上記課題を発表していた。「障害者福祉政策とソーシャルアクション-インキュベーターとしての自立支援協議会」というタイトルもアヤシイが、この自立支援協議会が新たな社会資源創出の為の公的な「インキュベーター」機能を持ちうるとしたうえで、それを実質的に機能させるために各アクターがどう動くべきか、といったようなことを、報告していた。90年代に言われた「住民参加の福祉計画作り」が、うまくいったところもあるが、形骸的に終わった地域も少なくない。障害福祉計画にしても、しかり。この「住民参加」や「参画」について、自立支援協議会という枠組みをどう使えるか、そのために、各地域の当事者・行政担当者・コーディネーター・支援者といったアクターがどのようなリーダーシップを取りうるか。こういった成熟途中の課題を、幾ばくかの理論的視点も混ぜながら、現在検討中の課題としてフロアの皆さんに投げかけ、有意義なコメントを頂けた、と思う。

なんだか、今回は研究者としてなのか、実践者としてなのか、の位置づけがしにくく、その間の立場で話をしていたようだが、たまに現場を離れ、アカデミックなモードで少しこの現場の事象を整理する事は、自分のスタンスを再確認・再点検する意味でも非常に有益だ。そういう意味で、この1週間は、大いに自分のスタンスやこれまでの歩みを振り返る良い機会になった。

明日は朝からある圏域で、この1年間の変化について、県の動きについてなど、地域の現場に報告する機会があり、24時間滞在で山梨に戻る、というドタバタぶり。だが、ちゃっかりと買い物もしていた。去年沖縄にたった44時間だが滞在していたので、地図はなくても土地勘はおぼろげながらある。今回はゆいレールの牧志駅内のコインロッカーに荷物もジャケットも放り込み、国際通りをすたすた歩いて、繁華街へ。公設市場はたまたま休みだったが、ソーキそばを食べ、付近の露天で買い物もし、以前立ち寄っていい泡盛を教えてくれた泡盛専門店でパートナーへのお土産も買って、空港にたどり着き、現在に至る。

これから山梨まで5時間半かけて帰るのか、と思うと、ぐったりするが、まあ、しゃあない。今週の木曜日には北欧の調査報告をしなければならず、それ以外の原稿もある。粛々と、文化的雪かきのごとく、目の前の仕事を飛行機の中でも片づけていこう。そう、来週末は久しぶりにスキーだし。そんなことを考えながら、そろそろ搭乗案内のアナウンスが始まった。

あわてんぼうのサンタクロース

 

コペンハーゲン空港、時刻は午後1時を迎えるところである。

前回は水曜の現地時間午後、ストックホルム空港からお伝えしたが、その後、イエテボリに移動。イエテボリでは、以前の調査でお世話になった団体の支援者Aさんとその息子さんが迎えてくれる。なんでも風邪を引いて学校を休んでいるんだけれど、よくなった、とかで、二人で出迎えてくれた。ストックホルムでは全く知り合いがおらず、風邪を引きかけたこともあって心細かった。だから、余計にこういう歓迎は嬉しい限り。第二の我が家に戻ってきた気分である。

落ち着ける、というとノルドスタン(イエテボリ最大のショッピングセンター)の中にある投宿したホテルでは、バスタブがあった。ストックホルムのホテルではバスタブがなかったので、これは嬉しい限り。昔はさして気にならなかったけど、年を取ると、海外に出かけた際、普段と同じ環境でくつろげるかどうか、で仕事の質が全然違ってくる、と感じている。

それは、昨日の晩、ある日本人のご家庭で頂いたみそ汁をすすりながらも感じる。わざわざホテルやレストランで高いお金でかつあまり美味しくなさそうなshishiやらsobaを食べたいとは思わない。だが、例えば即席みそ汁であったり、あるいはこういったおよばれの席でみそ汁が出てくると、それだけでふわっと安らぐ。お風呂にしても、食べ物にしても、ダイレクトに身体に効くものは、海外出張時のような環境変化の負荷が大きいときほど、ありがたい。両方ともまさに「身に浸みる」効果があったのだ。

で、数珠繋ぎ的に書いていくと、調査自体も今回はきちんと内面化(=身に染み渡る)ものとなった。4年前、スウェーデンに住んでいたおり、最終報告書としてこんなことを書いた。

「スウェーデンではノーマライゼーションがどこまで浸透したか?」

この報告書は副題に「グルンデン協会におけるself advocacyのあり方とイエテボリ市における地域生活支援ネットワーク調査に基づいて」とつけたように、知的障害者の当事者団体(セルフアドボカシーグループ)の活動を追いかけた内容と、ある市における障害者支援の実情を調べたものの二本立てになっている。で、その調査の続きとして、前回スウェーデンに訪れた際(2006年秋)は、そのグルンデン協会のその後を追いかけていた。今回のスウェーデン調査では、後者の、スウェーデンにおける障害者の地域生活支援のその後、を調べていたことになる。(と今こうやって書いてみて、ようやく気づいた!)

4年前の報告書にはもちろん様々な限界やもっと書くべきであったことなどを感じたから、こうやって追加調査に訪れている。だが、でもそれを割り引いたとしても、手前みそだが、わりかしこの報告書は内容がてんこ盛りだと思う。ただ、半年の現地滞在で見聞きしたことを一つの報告の中にギュッと入れようとがんばりすぎて、読み手にとって(ということは後で読む僕自身にも)話題が広範すぎて、というか、情報の編集が下手くそで、きちんと書いている際に伝えたかった事が、伝えにくいパッケージになっていた。今回4年ぶりにその報告書を読み直し、またフォローアップの調査をしても、わりかしこの調査時の知見がポイントを突いていた、と再発見する。そして、この4年間で失敗の中から少しは学んで、次に書く際は、もう少し的を絞って(焦点化して)、まとまりあるものが書けるのではないか、と思っている。

この地に来る直前に、友人の研究者に現地で会う人のことを尋ねた際、こんなやりとりが帰ってきた。

「北欧研究も第二世代、あるいは第三世代に入り、理念紹介と現場紹介の中間部分を丁寧にやっていく時代に入っています。」

断っておくが、僕自身はスウェーデン語の読み書き話は出来ず、今回も半分英語で、半分通訳をお願いして調査をしたので、北欧研究者とはいえないし、今後もそうはなれない。あくまでも日本の障害者福祉の研究者である。でも、スウェーデンのことを紹介する際に「理念」か「現場紹介」か、の二者択一的な(しかもその表層を伝える)やり方では、限界があることは、まさに身に浸みてわかる。障害者の権利法であるLSSの実態についても、あるいはセルフアドボカシーグループの活動についても、実態から見ると、必ずしも手放しで喜べない問題点も抱えている。でも、よく考えたら、それってどこの組織にも共通する話。日本の実情を調べる際に、そういうバランスを欠いた論文では許されないのに、海外のことであれば、特に英語圏以外では、まずは紹介が先なので、そのあたりは不問にされてきた。だが、いよいよ友人含め、北欧研究者が増えてくると、その先にあるかの国の「実態」と我が国のそれとの比較のまなざしが求められている。もちろん、それは僕自身とて例外ではない。

今回通訳をお願いした方も、こんな事を仰っておられた。「日本人によるスウェーデンの紹介は、時としてユートピア的になり、そうでなければ批判ばかりになる」。この発言は、まさに正鵠を得ている。バランスを欠いたワンサイドの見方では、誰も納得しない。良いものの中にも問題があり、悪いと見なされている事の中にも、そうではない部分もある。そのどちらにも目を配り、そこから何を抽出(=抽象化)できるか、が研究者に求められていることなのだと思う。

4年前の足跡を辿りながら新たな情報を入れていく中で、今回の旅では、そんなバランス感覚の大切さ、を改めて実感していた。

そうそう、ブログを終える前に、表題にかいたことにも触れておかなければ。
いつもお世話になっているM先生から、前回のブログを拝読され、こんな書き出しのメールを頂いた。

「ブログを見る限り、『あわてんぼーのサンタクロース♪♪』のような感じで現地に行かれたようですが、ヒアリング自体は有意義なようで何よりです。」

コペンの空港ではトランジットでたっぷり時間があり、4時間分のワイヤレスインターネット代金を払ってしまったので、グーグルで今、ひいてみたら、こんなyou tubeの映像に出会った。イヤホンをヨーヨーマによるバッハの無伴奏チェロ組曲を奏でるipodさんからレッツノート君に差し替えると、こんな楽しげな歌詞が飛び込んできた。

「あわてんぼうの サンタクロース
えんとつのぞいて おっこちた
あいたた ドンドンドン
あいたた ドンドンドン
まっくろくろけの おかお」

確かにそうですね。今回は出国前があまりにドタバタしていたので、「えんとつのぞいて おっこちた」かのように色々忘れ物もしたし、まあ大変だった。でも、帰国する直前の今の気分は、この歌詞の最後のフレーズに託することができそうだ。

「あわてんぼうの サンタクロース
もいちどくるよと かえってく
さよなら シャラランラン
さよなら シャラランラン
タンブリンならして きえた」

スウェーデンだけでない、いろんな現場は何度も何度も「もいちどくるよ」と訪れなければ、その本質はわからない。でも、どうせ戻ってくるのなら、帰る際は「シャラランラン」と「タンブリンならして」楽しく消え(=日本に帰り)たいよね。時差ぼけも1週間たってようやく直ってきたようだし(=日本でまたしんどいのだろうけど)、せめて気分はるんるんと、日本に戻ることにしよう