スキーマと子育て、枠組み外し

最近、スキーマ療法の本にはまっている。きっかけは、中核的感情欲求という考え方に出会ったことだ。日本でスキーマ療法を広めた伊藤絵美さんの本には、このように紹介されている。

「1,愛してもらいたい、守ってもらいたい、理解してもらいたい。
2,有能な人間になりたい、いろいろなことがうまくできるようになりたい。
3,自分の感情や思いを自由に表現したい、自分の意思を大切にしたい。
4,自由にのびのびと動きたい。楽しく遊びたい。生き生きと楽しみたい。
5,自律性のある人間になりたい。ある程度自分をコントロールできるしっかりとした人間になりたい。」
伊藤絵美『つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。』医学書院、p146)

この5つの概念とは、この6年間、娘を育てるなかで、試行錯誤しながら、大切にしてきたことだった。また、お世話になったこども園の理事長先生から、繰り返し学んできたことであった。たとえば、こんなふうに。

「誰かにやってもらって、完結して満足する子どもはひとりもいません。子どもは、自分でやりたいのです。でも、あらゆることが未熟でうまくできず、お手伝いが必要ですそれは受け入れますが、そのお手伝いは自分でできるようになるまでのひとときの方策なのです。ということは、親には『子どもがひとりでできるように手伝う』という工夫と知恵が求められているわけです。つまり、手伝いは『過小でもダメ、過剰でもダメ』ということです。」
赤西雅之『親のねがい。保育者のことば。 手をとり合って、子どもを育てる』郁洋舎、p93)

この記述を中核的感情欲求に当てはめてみよう。子どもが「自分でやりたい」というとき、2「いろいろなことがうまくできるようになりたい」し、4「自由にのびのびと動きたい」し、5「ある程度自分をコントロール」したい。「でも、あらゆることが未熟でうまくできず、お手伝いが必要」だ。ただ、親はこの際、3「自分の意思を大切にしたい」という子どもの思いを大切にし、「『子どもがひとりでできるように手伝う』という工夫と知恵が求められている」。そして、そのような関わりを親がすることによって、子どもは「1,愛してもらいたい、守ってもらいたい、理解してもらいたい」という中核的感情欲求が満たされるのだ。

6歳児の親として率直に申し上げると、この5点を子育てで重視するのは、「言うは易く行うは難し」である。「手伝いは『過小でもダメ、過剰でもダメ』」とは、頭ではわかっていても、実際にそれを親として実行しようとすると、色々な壁が立ちはだかる。僕の場合は、「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」と言ってしまったことが何度もあった。でも、幸いに3年間、こども園で娘がしっかり遊びながら、「自由にのびのびと動きたい。楽しく遊びたい。生き生きと楽しみたい」という中核的感情欲求を満たされる関わりをしてもらった。また、親もこども園の様々な行事に参加し、一緒に遊ぶようなチャンスをもらえた。だからこそ、「手伝いは『過小でもダメ、過剰でもダメ』」ということが、少しずつ身体で理解できるようになってきた。

そんなプロセスを経た後だからこそ、この中核的感情欲求という概念には、「あ、こんなふうに概念化されているんだ!」と驚きだったし、この5つの欲求が満たされない時、「認知構造」という意味合いを持つ「スキーマ」の領域で、心の傷や損傷を受ける、という説明も、深く頷くことができた。

「1,人との関わりが断絶されること
2,『できない自分』にしかなれないこと
3,他者を優先し、自分を抑えること
4,物事を悲観し、自分や他人を追い詰めること
5,自分勝手になりすぎること」(『つらいと言えない人が・・・』p146)

娘が通ったこども園で、赤西先生は毎月「保護者学習会」を開催してくださっていた。それは、保護者の「初心者マーク」で、教習も受けないまま子育てをしている新米保護者に、子育ての軸や基盤を伝えてくれる、ありがたい学習会だった。ただ、彼がその学習会や、グループ懇談会などの場で伝えてくれる内容は、親にとっては、時にはかなりきつかった。なぜなら、彼はこう断言するからだ。

「子どもをみたら、家庭環境や親と子の関わり方がすべてわかる。」

つまり、こども園で子どもが過ごす様子を観察する中で、親がどのように子どもに関わっているのか、夫婦の間でコミュニケーションがとれているか、親はどのような価値観を大切にしているのか、が見えてくるというのだ。そして、実際にグループ懇談会の場で、様々な子どもの行動の背景にある、親や家庭環境の状況や課題をズバリと指摘し、涙を流すママ友たちもみてきた。そして、彼が指摘していたのは、上記の5つの部分で、保護者が傷ついている・課題を抱えていて、それが子どもにも反映されている、という指摘であった。

理事長先生の職人芸的な世界をすごいな、と思っていつも参加していたのだが、実はそれは子どもたちのスキーマ領域における傷つきの理解と、そこに影響を与えている保護者のスキーマ領域における課題との相関関係の指摘だ、と、「スキーマ療法」を知ることによって、見えてきた。そして、この際に重要なのは「早期不適応スキーマ」である。伊藤絵美さんの別の本には、「人生の早期に形成され、形成された当初は適応的であったかもしれないが、その後のその人の人生において、むしろ不適応的な反応を引き起こすスキーマ」として定義され、以下のよう特徴があるという。

「・全般的で広範な主題、もしくはパターンである。
・記憶、感情、認知、身体感覚によって構成されている。
・その人自身、およびその人とその人をとりまく他者との関係性に関わっている。
・幼少期および思春期を通じて形成され、その後精緻化されていく。
・かなりの程度で非機能的である。」
伊藤絵美『スキーマ療法入門』星和書店、p29)

こども園という「人生の早期」の段階で、親から中核的感情欲求が満たされていないと、「『できない自分』にしかなれないこと」「他者を優先し、自分を抑えること」といった否定的な感情を抱く。それは、「幼少期および思春期を通じて形成され、その後精緻化されていく」ものである。自分の中で「パターン化された思考」であり、その「パターン化された思考」枠組み=スキーマに支配され、「その人自身、およびその人とその人をとりまく他者との関係性」が規定されていく。

小難しく書いたので、僕の場合でみてみよう。

僕は子育てをしているとき、子どもが言うことを聞かないとき、制止をきかずに勝手な行動をするときに、無意識・無自覚に「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」と叱ることがあった。このような無意識・無自覚に出てくる言葉は「自動思考」である。そして、この自動思考が生まれてくるのは、「パターン化された思考」枠組み=スキーマである。

僕の場合、中核的感情欲求の傷付きとして、おそらく「3,他者を優先し、自分を抑えること」「 4,物事を悲観し、自分や他人を追い詰めること」が当てはまる。それは、第三領域の早期不適応スキーマである「ほめられたい」「評価されたい」スキーマ、および第四領域の「完璧主義的『べき』スキーマ」が、支配的だったと改めて気づかされる。

これは子育てをしながらつくづく痛感しているのだが、団塊世代の父親は出張が多く家事は一切しなかった。母親は、専業主婦でワンオペ家事をし、3歳下の弟のお世話も大変だった。だからこそ、僕は小さな頃から、お兄ちゃんとして「ちゃんとしなきゃ」「きちんとしなきゃ」を深く内面化した「良い子」だった。そんな少年ひろしくんの「幼少期および思春期を通じて形成され、その後精緻化されていく」「ちゃんとする」「きちんとする」は、学校や勉強への適応面でプラスになった。結果的に大学教員になれたのは、このスキーマゆえだったとも思う。

でも、この早期不適応スキーマは、僕の心をむしばんだ。そのことに気づかされたのが、東日本大震災後の危機だった。ボランティア・NPO論を教え、自分も阪神淡路大震災でのボランティア経験があり、「被災地に行かなければならない」と思い込んでいた。でもその一方、政府の審議会の仕事は佳境を迎え、原発爆発に恐れおののいて、「行きたくない」と強烈に思っている自分もいた。あの時期、全速力でアクセルとブレーキを同時に踏み込み、気が狂いそうになっていた。そのとき、必死になって正気でいるために書いていたのが、ブログ「存在論的裂け目」である。

このときから、自らを縛る思考枠組みや暗黙の前提とした規範を、気が狂いそうになりながら見つめ直し、疑い始めた。たまたま前の年に「魂の脱植民地化」概念と出会っていたこともあり、自分自身の魂が植民地化されているのは、自分を縛る「すべきだ」「しなければならない」という思考枠組みだと気づいた。そして、それを観察し、決別するために、とにかく原稿を書き続け、翌年は初の単著となる『枠組み外しの旅—「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)という本を書き上げた。

そして、振り返ってみると、僕が外そうと文字通り命がけで格闘した枠組みは、「早期不適応スキーマ」でもあったのだ。その当時、不勉強でそれを知らないまま格闘してきた。また、「早期不適応スキーマ」はあくまでも個人が親世代との関係性の中で引き受けたスキーマだが、僕が問うた「枠組み」=「魂の植民地化」は、家族内関係がそのような「早期不適応スキーマ」として連鎖するような、そのような抑圧的な社会システムへの問いだった。そういう意味では、アプローチや登ろうとする山は、すべて一致している訳ではない。だが、この「早期不適応スキーマ」という言葉と出会えたことで、自分が必死でもがいてきた「枠組み外し」とは、「早期不適応スキーマ」から距離をとる、という意味で、スキーマ療法的な世界に近かったのだ、と、今頃になって気づかされた。

そして、子育てをしていて改めて感じるのは、冒頭に述べた中核的感情欲求を、まずは親自身がしっかり学び、自らがその中核的感情欲求を満たされてきたか、をセルフモニタリングすることの重要性である。率直に言えば、この部分を、全く傷つけられていない人はたぶん少ないと思う。みんな、なにがしかの傷を抱えている。それは、僕や妻だけでなく、ゼミ生や娘のママ友を見ていても、そう思う。伊藤絵美さんも、まずは自らのセルフケアから始めた、といっていた。

だからこそ、子育ての最初の方で、この中核的感情欲求の重要性を学び、自らの心の傷や、「早期不適応スキーマ」を理解することで、子どもの中核的欲求を大切にしやすくなっていく。親が『子どもがひとりでできるように手伝う』ためには、子どもに関わる親が、自らの子ども時代から「早期不適応スキーマ」を見つめ直し、それを無意識・無自覚に子どもにすり込まないように、批判的に意識化していくことが大切なのである。

そして、ぼくはそれを、文章を書くプロセスの中で、考え続けてきた。そういう意味では、昨年上梓したエッセイ『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』(現代書館)の中でも、そうとは書いてはいないけど、ぼく自身の「早期不適応スキーマ」の問い直しがずいぶんなされている、と今更ながら気づかされる。

そういう意味では、僕にとっては、先にスキーマ療法の世界を知るのではなく、「いま・ここ」で出会えたのは非常に意味や価値がある、と感じている。伊藤絵美さんは、支援者向けのセルフケアのワークブックなども書いておられるので、引き続き読ませてもらい、学びを深めてみたい。

構造的暴力と有責性

精神科医の高木俊介さんは、「統合失調症への病名変更の立役者」であり、病院中心型の精神医療を変えるため、重度の精神障害者を多職種チームで訪問しながら在宅で支えるACT-Kを主催している、改革派精神科医の旗手の1人である。オープンダイアローグを日本に紹介した第一人者としても知られており、縁あって彼との関わりが深まり、2017年にはACT-Kで行われた集中研修にも参加させていただき、ACT-Kのチームの皆さんとも仲良くなった。

そんな高木さんは中井久夫も見田宗介も読み込む大の読書家であり、著作も沢山出しておられる(何冊か頂いたこともある)のだが、ブログで紹介するのは初めて。今回の本は、精神医療の構造的暴力が、現場の中の人(精神科医)によって、それこそ社会学的な視点で描かれて、実に印象深かった。例えば、「暴力」に関して。

「私が使命感に燃えて往診し、暴力的に入院させてきた患者が何人もいるのであるが、10年後にその病院を去る時に、一人ひとりの患者に挨拶していった。その時には、私が『暴力』で治療した患者、つまり力で押さえ込んできた患者のうち、良くなって喜ばれた患者は退院して目の前にいない。残っている患者の多くが、私が勤務を離れた慢性病棟の病室の隅で、人を拒否して時に暗く険しい表情でうずくまっている患者になってしまっていた。あるいは、病棟の中で一番扱いに困る患者になってしまっていた。
その時まで、ずっと同じ病院にいながら、自分は見ないようにしていた、あるいはすべて患者の病状のせいにして済ませていた。それらに気づいた時、私は愕然となった。この人たちは自分が作ったのだ。人が自分の暴力性に気づくことの難しさというものを、私は自分自身で体験したのである。治療という正当な『力』を行使しているつもりが、それは自分の力ではなく、病院というシステムの中にある力で、その力に自分自身が振り回されていたのだ。力を操るという自分の意気込みは、すべて病院の力であり、自分は精神病院という『全制的施設』が振るう力の操り人形にすぎなかったのだと気づいたのである。』(高木俊介『危機の時代の精神医療 変革の思想と実践』日本評論社 p83-84)

精神科医には、権力が付与されている。自傷他害の恐れのある患者に対して、本人の同意を得ることなく強制的に入院させることのある権限が付与されているのだ。そして、ここで描かれているのは、家族の要請に基づいて往診し、自傷他害の恐れがありと判断した患者を、病院チームが「暴力的に入院させてきた」事例である。強制入院経験のある多くの当事者は、この拉致監禁のような「暴力的な入院」そのものがトラウマ経験になった、と語る。だが、家族が困り切っていたから、とか、他の代替手段がなかったから、などの理由で、強制入院は未だに日本では多く行われており、そのうちの大半が、行政命令ではなく、家族の同意に基づく入院という玉虫色の「医療保護入院」である。(この構造的問題は以前、シノドスに書いた)。

当時の高木さんは、「患者さんの治療のために」という使命感をもって、自分が率先して往診していた。だが、病院を離れる際、「『暴力』で治療した患者」のうち、病院を退院出来ていない患者の大半が、「人を拒否して時に暗く険しい表情でうずくまっている患者になってしまっていた。あるいは、病棟の中で一番扱いに困る患者になってしまっていた」ことに気づく。

この時、高木さんが他の精神科医と違ったのは、「この人たちは自分が作ったのだ」と気づいた点である。専門家は、特に経験年数を経れば減るほど、無謬性に取り込まれる。専門性を持っている玄人の俺が間違うはずがない。治らない患者は、患者の気質や病気・病状の酷さ故に治らないのだ、と。これは、一見すると専門家によるアセスメントや見立てのようでいて、実は自らを免責し、患者に責任を押しつける、責任回避の論理を「科学的合理化」するプロセスでもある。医療過誤の中には、このプロセスがしばしばありそうだが、それはなかなか明るみに出ない。なぜなら、医師と患者には治療情報に対する圧倒的な非対称性があり、かつ精神科医と精神障害者では、社会的に付与された「立場性」にも恐ろしいほどの格差があるからだ。だからこそ、精神科医の「科学的合理化」は信奉され、患者の命がけの抗議や意義申してては「病状のせい」「興奮や幻覚・妄想状態」とラベルが貼られ、さらなる強制医療の犠牲になりやすい。

高木さんは、ご自身が病院を退職するとき、「自分は見ないようにしていた、あるいはすべて患者の病状のせいにして済ませていた」重大な真実に気づいてしまった。それは「この人たちは自分が作ったのだ」という、自らの有責性である。相手に責任を押しつけている間は、病気のせい、に出来てしまう。だが、自分に責任があるとなると、なぜ・どのように責任があるのか、という解釈フレームががらりと変わる。

「治療という正当な『力』を行使しているつもりが、それは自分の力ではなく、病院というシステムの中にある力で、その力に自分自身が振り回されていたのだ。力を操るという自分の意気込みは、すべて病院の力であり、自分は精神病院という『全制的施設』が振るう力の操り人形にすぎなかったのだと気づいたのである。」

これは、文字通り地と図が反転するようなパラダイムシフトであり、ルビンの壺の「壺」が「顔」に見えるようなゲシュタルトの転換の瞬間であった。それまで、往診して、強制的に入院させることは、「治療という正当な『力』の行使」であり、患者さんんには申し訳ないけれど、治療という良いことをするために、「しかたのないこと」だと思い込んで来た。そして、善意に基づく自らの行為を、そのような形で自己正当化してきた。

だが、それは「暴力」という権力行使だとラベルを貼り替えると、全く違う世界が見えてくる。自らの善意や「治療のため」という信念は、「強制入院を正当化する病院システム」を維持するために用いられていたのだ。そこから高木さんは、「力を操るという自分の意気込みは、すべて病院の力であり、自分は精神病院という『全制的施設』が振るう力の操り人形にすぎなかったのだ」という事に気づく。自分が主体的に治療している、と思い込んでいたが、それは「精神病院という『全制的施設』」が、その暴力的な管理支配を維持し正当化するための「力の操り人形にすぎなかった」のである。暴力的な精神病院システムの温存のために、自らの善意が搾取され、でもそのことに気づかず、自らの「使命感」を長らえさせてきたのだ。

恐らく、その構造的な暴力や、自らがその構造的暴力の手先になっていることに気づいた医療者は、高木さんだけではなかっただろう。だが、そのことに気づいても、「生活のため」と蓋をして暴力行使をし続けていると、滝山病院のようになってしまう(この問題についてはブログにも書いた)。あるいは、自分には何も出来ないと、そっと現場を離れて、口を紡ぐ人も沢山いたと思われる。

高木さんが違ったのは、「この人たちは自分が作ったのだ」と気づき、それを今回の本のように、自らの有責性を明るみしたことである。それだけでなく、「自分は見ないようにしていた、あるいはすべて患者の病状のせいにして済ませていた」構造への有責性を引き受け、その後ACT-Kを主催し、暴力行使を最小化しながら、入院をなるべくしない地域精神医療のシステム構築にその後の人生を賭けてきた点である。

この本を読んでいて、改めて高木さんの発見は、イタリアで精神病院廃絶に向けた立役者になった精神科医フランコ・バザーリアのそれと一致すると感じた。

「病気ではなく、苦悩が存在するのです。その苦悩に新たな解決を見出すことが重要なのです。・・・彼と私が、彼の<病気>ではなく、彼の苦悩の問題に共同してかかわるとき、彼と私との関係、彼と他者との関係も変化してきます。そこから抑圧への願望もなくなり、現実の問題が明るみに出てきます。この問題は自らの問題であるばかりではなく、家族の問題でもあり、あらゆる他者の問題でもあるのです。」 (ジル・シュミット『自由こそ治療だ』社会評論社、p69)

バザーリアは、治療すべき客観的対象だと思われていた「精神病」という「病気」を、「生きる苦悩」が最大化した状態だ、と置き直した。それは、精神医療におけるパラダイムシフトである。「病気」であれば、治らないのはその「病気」のせいである。医者の責任は最小化される。一方、「苦悩」が根源だと見立てやアセスメントを変えると、「彼と私との関係、彼と他者との関係も変化」する。その人の「苦悩」の一部が、強制的に入院させられたことへのトラウマや傷つきであるならば、その「苦悩」という「問題の一部」の責任は、強制入院を認めた・暴力的な権力行使をした精神科医自身にも降りかかってくる。だが、そういう形で自らの有責性を認めることで、「この問題は自らの問題であるばかりではなく、家族の問題でもあり、あらゆる他者の問題でもある」という構造的理解が、精神科医に出来るようになるのだ。

(このことについては、論文「「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」でじっくり論じたので、ご興味のある方は、ご一読いただきたい。)

高木さんの本に戻ろう。高木さんは、上記のプロセスを以下のように総括している。

「私たち精神医療従事者にとってもっとも解決困難なものが、今も昔も、精神医療そのものが生みだしてしまう暴力であろう。収容所環境—密室環境というものはどうしても暴力を生みやすくなる。さらに、その環境の全体が、E・ゴフマンの言う『全制的施設』となっている。その中で、私がそうだったように、治療者としての役割に誇りを持っていながら、勘違いしてしまう。『力(force)』のつもりで行使したものがいつの間にか『暴力(violence)』に変容している。そういうことを精神医療の現場は生み出す。
それに対抗するように、患者自身がその支配システムに抗議を行うための暴力、対抗暴力がある。そういう暴力に対して、私たちは精神医学の言葉でそれを『無効化』する。彼の怒り、抵抗、抗議—それが正当な抗議でも、『衝動性』『拒否性』『易怒性』といったレッテルを貼って治療の対象にしてしまう。このような患者の感情の否定、無効化は、精神病院の中だけでなく地域の中の処遇でも起こるものだ。精神障害者と私たち支援者との関係性の中で起こる問題である。」(p88)

支援対象者と支援者の「支配ー服従」関係の中で生じる暴力。それは、精神障害者に限った話ではない。「問題行動」「困難事例」「多問題家族」と地域でラベルを貼られ、支援者の指示・誘導に従わないクライアントは、人格障害などのラベルが容易に貼られ、「暴力」と「対抗暴力」のぶつかり合いになりやすい。その中で、支援者も当事者も共に傷つき、支援拒否に至り、地域で問題を拗らせ、強制入院など不幸な結末に陥る場合もある。

この時、「『力(force)』のつもりで行使したものがいつの間にか『暴力(violence)』に変容している」という現実に、治療者や支援者がどれだけ自覚的か、が大きく問われる。そして、「彼の怒り、抵抗、抗議—それが正当な抗議でも、『衝動性』『拒否性』『易怒性』といったレッテルを貼って治療の対象にしてしまう」という構造的暴力にも、しっかり意識化・自覚化が出来ているか、で変わる。それは、バザーリアの言葉を借りるなら、「病気ではなく苦悩に向き合う」ということである。病気なら「治療する・される」の関係性は、非対称になりやすい。だが、「彼の苦悩の問題に共同してかかわるとき、彼と私との関係、彼と他者との関係も変化」するのだ。

他にも引用したい素敵なフレーズがちりばめられているのだが、長くなったので、もう一カ所のみ、引用したい。

「今世紀になってますます加速する中間的共同体の崩壊によって、親密な人間関係は同一世帯の中にまで切り詰められ、家族の葛藤は行き場を失って家庭内に煮詰められる。社会の問題であった暴力は、いまや家庭内の問題となる。社会性を獲得するモデルは親子関係と夫婦関係にしか求められず、世代間の仕切りは失われ、社会と家族の間の防壁もあいまになる。
社会の成長の終焉は、個人の成長をも神話にする。『成長する人間』は理念型としての『人格』を形成していくが、その成長を失えば個人はそれぞれの発達段階に応じた『特性』の束に過ぎないものとなってしまう。精神医学において人格障害という診断が下されることが激減したように、社会からもその構成員の『人格』という概念が消滅していくのだ。
同時に『人格』に取って代わった『特性』は、社会的な評価としての『能力』で計られ、数値化されていく。こうして発達障害こそが、社会への不適応、社会からの逸脱、コミュニケーションを阻む『欠陥』として、教育の過程で、社会化の過程で絶えず見いだされる現代精神障害という地位に押し出されてきた。
これが今、私たちが立ち竦んでいる場所なのだ。」(p222-223)

高木さんは、臨床の中から見えてくる社会の構造的変化のダイナミズムを、社会学的に記述する能力にも長けている、と改めて思う。20世紀の終わりから21世紀の初めにかけて、確かに「人格障害」という名前はニュースや書籍のタイトルでしばしば目にした。だが、その名称が話題にならなくなるのと同時に、「発達障害」ブームが今に至る形で席巻している。それは、バブル崩壊以後の「社会の成長の終焉」と共に、「成長する人間」としての「人格」の終焉なのかもしれない、という高木さんの指摘は、実に深い投げかけである。そういえば最近、「人格の陶冶」という言葉も、とんと聴かない。

一方で、中間的共同体の崩壊の中で、夫婦関係や親子関係以外の関係性が見失われていくに従い、「発達特性」と「発達障害」が有徴化されるようになってきた。これは、社会の閉塞感、社会的規範の先鋭化、逸脱への監視や許容力のなさ、が個人に転嫁されたものだと考えると、わかりやすい。その人の「人格」や「個性」と言われていたものが、「能力」で計られ、情緒障害、適応障害、多動障害などの形で、欠陥として指摘される。それは、発達障害とラベルを貼られた児童生徒の急増や、そこにリンクする形での放課後デイサービスや療育事業の隆盛を見ていてもわかる。娘の通う学校でも、そのようなお子さんが沢山いる。

「これが今、私たちが立ち竦んでいる場所なのだ」と高木さんが指摘する時、「この人たちは自分が作ったのだ」という有責性を、僕には感じた。それは、他者や個人に責任を押しつけて、治療してあげるという善意や、批評家としてラベリングするような「高みの見物」をするのとは、正反対だ。この社会において、抑圧的な構造・システムにも関わる構成員の一人として、この社会的排除のシステムにどう抗っていけばよいのだろう、という意味で、コミットメントや責任を分有する感覚である。そして、このような開かれの感覚にこそ、次の時代を考えていくヒントがあるような気もする。

ろくでもないこと「も」起き続ける日本社会において、自分自身の有責性を自覚して、現場で出来ることからし続けること。それが、高木さんからもらったバトンかもしれない。

「バカヤロー」と言われた時に

アダム・カヘンの本を最初に読んだのは、2010年に読んだ『手ごわい問題は、対話で解決する』だったとブログを検索してしる。僕はブログを外部記憶装置として活用しているので、めっちゃ助かる(^_^) この本を読んだあたりから、システム思考やU理論の本などを猛然と読み進めていった。

で、検索すると2015年には『社会変革のシナリオ・プランニング』を興奮して一気読みしたことも綴られている。つまり、アダム・カヘンの本はぼくの性分に合うようだ。

今回、最新刊の『共に変容するファシリテーション』(英知出版)も読んだ。以前は仰ぎ見るだけだったけれど、今回は彼が沢山自分の失敗を書いてくれていた&この十数年の間に、ファシリテーターの数を沢山こなしてきた&2017年にダイアローグの集中研修を受けたあとぼく自身のあり方も大きく変容した、こともあり、すごく親近感を持って、この本を読み終えた。

その中で、色々なことを思い出したエピソードは、カナダの先住民の人々とのワークショップを行った際、彼らの代表の1人のマスワゴンがカヘンに述べた、次の一言だ。

「お前さんは信頼できない」

実はぼく自身も、ファシリテーションの現場で「バカヤロー」と叫ばれたこともあるし、「あんたの言っていることは理想論だ」とも言われたこともある。そして、このような、ある種の全否定的な発言と対峙する際、ファシリテーターの全存在が問われているのだ、と思う。

カヘンは、その際のことを、こんな風に述べている。

「多くのファシリテーターはよく考えもせず、参加者たちが『ただ気難しいだけ』と想定してしまうものだが、私はそうではないことを理解した。カナダでは(他の国と同様に)何世紀もの間、先住民が植民地化され、虐殺され、抑圧され、疎外され、白人に騙されてきたのだ。白人達は自分たちのやり方で傲慢に物事を押しつけてきた。このワークショップの参加者は、私がこの垂直型の『正しい答えを私たちが持っている』というアプローチを再現していると考え、それを受け入れる余地がなかったのだ。彼らは、このプロセスを自分たちの状況ややり方に合った方法で実行することを望んでいた。」(p206-207)

僕が「理想論だ」と突きつけられた時のことを今から振りかえると、「垂直型の『正しい答えを私たちが持っている』というアプローチ」を取っていた。僕が持っている「正解」の価値観を押しつけようとしていて、相手は別の「正解」を価値観として持っていたので、僕の価値観の押しつけに我慢ならなかったのだ。そして、「バカヤロー」と叫ばれたのは、あるシンポジウムの終了直前で、「うまく話をまとめられた」と安堵した瞬間だった。その人は、「バカヤロー」に続けて、「俺にしゃべらせろ!」と怒鳴ったのである。どちらの時も頭が真っ白になる、自分の積み上げてきたプロセスが自己否定されるような事態であった。

で、カヘンはその後、どうしたのか。彼が説明を全て終えた後に、仲間のファシリが「お前さんは信頼できない」と発言したマスワゴンに、「今なら信頼できるか」と尋ねた。すると、相手はこう言ったという。

「いいや。しかし、このプロセスは信頼する」

それに対して、カヘンはこんな風にリプライした。

「あなた方に私やそのプロセスを信頼せよとは申しません。次のステップに進み、そしてどのような進捗があるか、次に何を行うかを確認することを提案しています」

その上で、カヘン達のチームは、自分たちが当初計画していたやり方を一部修正し、先住民達の伝統的なスピリチュアルな儀式を最初と最後に用いたり、先住民メンバーによるファシリテーションの時間を増やしたりした。その中で、マスワゴンにも許されるようになった。そのことを、カヘンは以下のように振りかえっている。

「私が、他の文脈で成功したアクティビティを使うことを主張した(それまでに形成された理論や実践をダウンロードしている)際、私はそのときその場所で自分たちが直面している特定の状況に十分に注意を払っていなかった。しかし、マスワゴンの発言で、ファシリテーション・チーム全体がこの状況をより明確に捉えることができ、うまく方向転換することができた。」(p208)

自分の積み上げてきた「正しさ」に縛られず、「そのときその場所で自分たちが直面している特定の状況に十分に注意」を払う。これは容易なことではない。10年以上前、僕の発言に「理想論だ」と反論した相手に対して、僕はあろう事が頭に血が上ってしまい、100人以上の受講生がいるその現場で、言い合いになってしまった。それは「垂直型の『正しい答えを私たちが持っている』というアプローチ」を相手に押しつけることであり、相手は猛反発し、場は荒れ、すごく嫌な雰囲気に場が支配された。まさに問題の一部は自分自身だった。

一方で、「バカヤロー」と言われたのは、その後ダイアローグを学びはじめた後だった。だからこそ、「そのときその場所で自分たちが直面している特定の状況に十分に注意」を払おうとした。残り3分で、会場の完全撤収までも10分くらいしかない、かつ主催者も司会も誰も凍り付いている300人くらいが集まった場において、みんな僕を見ていた。状況をハンドリングするのは、シンポジウムのファシリの僕だけ、だった。だからこそ、その場に意識を集中し、「しゃべらせろ!」と怒鳴った本人にマイクを渡しながら、時間はない中でも本人にも語りかけながら、緊迫した対話を繰り返した。本人の思いのコアを聞き取り、シンポジウムの登壇者がその方と同じ思いであることを伝えると、本人は「わかった、以上!」と締めくくってくれた。緊迫したセッションは3分で閉じることが出来、完全撤収の時間も間に合った。本人は、某大学の名誉教授で、そこで議論された内容について是非とも意見を述べたかったけど述べる場がなかったのでつい激高した、と後で謝ってくれた。

そのことを思い出しながら、以下のフレーズを読むと、味わい深い。

「政治的・心理的に、自分を外側に、そして上に置くこと(「私は無実である」)に慣れている人々にとって、このような責任を引き受けること(「私は無実ではない」)は、不快なストレッチを伴う。したがって、コラボレーションを通じて変容をもたらそうとする際の重要な課題は、自分がいかに問題の絡み合う状況の一部分であるかを理解出来るようになることである。」(p215)

ファシリテーターが、自らの正解にしがみついていると、「問題の一部は自分自身」と引き受けることは出来ない。「あんたの言っていることは理想論だ」と言われた際、ぼくは自らの正義を守りたくて、そして「自分を外側に、そして上に置くこと(「私は無実である」)」に慣れきっていて、それを否定されたことが悔しくて、躍起になって相手を叩き潰そうとしていた。それは、本当にやってはいけない権力行使だったのだと、今になって深く反省する。

そして、その後ダイアローグを学ぶ中で、「バカヤロー」と言われた際、残り三分しかない場でそれを言われたことの意味を引き受けようと思った。「このような責任を引き受けること(「私は無実ではない」)は、不快なストレッチを伴」ったが、そこから逃げてしまったら、意味がないと覚悟した。でも、そうやって緊迫した3分間を相手とコラボレーションする中で、場が変容していくのを実感した。「自分がいかに問題の絡み合う状況の一部分であるかを理解出来るようになる」ことは、ファシリテーターが場の変容にコミットする上で必要不可欠だ、と気づけたのだ。

『共に変容するファシリテーション』を読んで、13年前には出来ていなかった苦労を、この間僕もしてきたのだな、と感じた。そして、ダイアローグをまなび、いま・ここでの場の変容に向けて共にコミットする面白さを感じていたが、それは改めて理にかなっているのだ、とリスペクトする「ファシリ仲間」のカヘンから改めて教わった。そんな読後体験だった。

「他者の合理性」の連鎖と蓄積

大学院生の頃から、精神病院でのフィールドワークを始めた。その後、病院から出て地域支援に転じたソーシャルワーカーの事が気になり、いつのまにかソーシャルワーカーや支援者の聞き取りを沢山してきた。その一方で、魅力的な障害者運動の当事者リーダーたちと出会い、沢山のことを学ばせてもらってきた。今でも、福祉現場の支援者エンパワメントの研修を沢山していて、オモロイ支援者とがっつり議論する機会も多い。

だが、こういう現場で聴いた事を、ほとんど論文や本の形で言語化したことはなかった。相手の語りを自分の価値観やフレームの中に落とし込んで、そのフレームの「具体例」として説明するのは、他者を搾取するようで嫌だった。でも、それ以外の方法でどうやって表現して良いのかわからなかった。だからこそ、制度や政策の論文を書いたり、障害者福祉の理念や歴史に関する本を書いてきた。それ以外に書きようがないと思い込んできた。

今回、岸政彦さんが編者となった『生活史論集』(ナカニシヤ出版)を読み進める中で、こういう語りの方法があったのだ!と気づかされた。この本の中では、聞き手である研究者の分析枠組みの傍証として、当事者の語りが出てくる訳ではない。むしろ逆である、と岸さんは言う。

「私たちが沖縄的共同性について、あるいは『沖縄的なもの』について考えるときには、ある種の『沖縄的合理性』について考えなければならなくなる。沖縄の人びとは、私たちと同じように、そしてさらに世界中の人びとと同じように、限られた条件のもとでよりよい人生を生きようと懸命に努力しているのだ。沖縄の人びとはただ単に、割り当てられた『規範』のようなものを再生産するだけの機械ではない。沖縄の人々は、なにごとかをなしているのである—私たちと同じように。そこには理由があり、同期があり、そして『利益』がある。行為はただ規範を再生産し記号や象徴を交換するだけの退屈なものではない。そこには利害があり、切れば血の出るような切実な『合理性』があるのだ。」(p217)

この「沖縄」を「ゴミ屋敷」や「精神病院入院経験者」、「魅力的な支援者」と入れ替えても、同じ事が言えそうだと僕は感じている。世間の標準なるものから距離がある・外れたとラベルが貼られている人も、その人なりの「利害があり、切れば血の出るような切実な『合理性』がある」。それを、当事者以外の研究者が当てはめる「規範」の枠組みの中で描くことは、なんだか違うんじゃないかな、と思って、聴いた声を書くことはできなかったのだ。でも、岸さんが以前から提唱している「他者の合理性」の理解社会学に関しては、ぼく自身もその可能性を模索していて、当事者の語りを入れずに、理論的な考察として、「「合理性のレンズ」からの自由 : 「ゴミ屋敷」を巡る「悪循環」からの脱出に向けて」という論文にしたことがある。

そして、今回この本に出てくる様々な語りを読みながら、「限られた条件のもとでよりよい人生を生きようと懸命に努力している」語りの迫力に胸を打たれた。それは「切れば血の出るような切実な『合理性』」が語られているからであり、そのように語りを紡いでいく聞き手がいるからである。岸さんは、聞き手が大切にしていることを、以下のように整理している。

「生活史とは、出来事と選択と理由の、連鎖と蓄積である。そしてその連鎖と蓄積を通じて、人生そのものに『意味』というものを付与していくのである。私たちは自分の経験、出来事、他者、場所などに、常にさまざまな意味付けををおこなう。それは希望に満ちたものでもあるだろうし、絶望的なものであるかもしれない。私たちの人生の中心には意味があり、その意味をめぐって私たちの人生は展開する。意味によって人は生かされていて、そして生きていることで意味が生み出されていく。」(pxx)

実は、社会運動には様々な「規範」がある。ぼく自身は、障害者運動の「規範」をある程度理解している(つもりだ)。でも、「規範」的な文章を書くのであれば、別に僕がしなくても、当事者運動のリーダーたちや現場の当事者と共に運動の最前線にいる研究者たちが書いた方が、遙かに説得力がある。だが、規範に頼らず文章を書くには、何らかの自分語りも必要になる。しかし、それをすると、当事者の声を自分語りの材料に使ってしまいそうで、それは危うい。だからこそ、単著の一冊目『枠組み外しの旅』は当事者運動から自分がいかに学んできたのかを規範ではなく「僕」を主語として語った。子育てでインタビューもままならなかった時期は、オートエスノグラフィー的な『家族は他人、じゃあどうする?』を仕上げた。

でも、今振り返ってみると、『枠組み外しの旅』だけでなく、『家族は他人、じゃあどうする?』も「出来事と選択と理由の、連鎖と蓄積」の記述だった。「そしてその連鎖と蓄積を通じて、人生そのものに『意味』というものを付与していく」プロセスを記述した、とも言えそうだ。妻や子どもという「他者」と生を共にする。その「出来事と選択と理由の、連鎖と蓄積」のなかに、いかなる内的合理性があるのか。子どもについむかっとしたり、「ちゃんとしなさい」と怒鳴ってしまう時に、どのような「連鎖と蓄積」があるのか。自分自身の体験を振り返り、それを反省的に記述するプロセスの中で、いかなる常識の「連鎖と蓄積」に絡め取られてきたのか、そこから離脱するのがいかに難しいか、を検討してきた本とも言えそうだ。これも岸さんの語りを借りるなら、子育てという「意味によって人は生かされていて、そして生きていることで意味が生み出されていく」プロセスを観察し、言語化したのが、昨年出した上記のエッセイだった、と言えそうだ。

僕自身は、脱施設化やオープンダイアローグを研究してきたが、これは旧来の精神医療に対する強烈なアンチテーゼ、という意味で、規範性を強く帯びている。ただ、規範性を持った書き方では限界がある、という苦しさも抱えていたし、それは2ヶ月ほど前に「偽解決と紋切型を越えるために」というブログにも整理した。

だからこそ、今回の『生活史論集』を読んでいて、勇気づけられた。僕が聞いてきた様々な声を、こういう形で語りとして伝える方法論があるのだ、と。ぼく自身の規範や枠組みに押し込めるのではなく、当事者の内在的論理の「出来事と選択と理由の、連鎖と蓄積」を積み上げて行く。その中で、「狂うとはどういうことか」、とか、「心の病を抱える人を支えるとはいかなることか」、などを、語り手の語りを通じて紡いでいくことが出来そうだ、と思い始めている。規範がダメだ、といっているのではない。ある規範を大切にしている人が、どのような「連鎖と蓄積」のなかで、その規範を大切にしてきたのか。その人間的な「出来事と選択と理由」を探っていくことのほうが、尊重したい規範の迫力が伝わってくるのではないか。そんな仮説を抱いている。

そろそろインタビュー調査を再開したいな、と思っていた矢先だったので、本当に沢山の刺激や学びを受けた。次の論文では、「他者の合理性」の「連鎖と蓄積」をあぶり出す、この切り口で何かを書いてみたい。

感覚を開き、モデュロールを超える

実家を出て、30年近く、ずっとアパートやマンションの借りぐらしである。そもそも、実家もマンションの一室だったので、一軒家に住んだことがない。なので、建築や家の本は「遠い存在」だと思い込んでいた。だが、優れた紹介役にかかると、ぐっと身近な存在として響いてくる。

「僕は建築家として、『人間と建築は二つで一つである』と考えています。こんなことをしたい、こんなふうに生きたいと思うことと、それを成し遂げる日々の生活空間、つまり建築は、いつもセットだからです。これらは決して切り離すことができません。建築について考えることは、自分の生き方について考えることと同じなのです。」(光嶋裕介『ここちよさの建築』NHK出版、p6)

確かに子どもが生まれてから、出張をほとんどなくした時期は、家にいる時間が格段に長くなった。当時は赤子をケアするのに必死だったが、ハイハイから一人立ちし、そして小学生となって宿題をするようになると、家の配置をどんどん変えて行った。なるべく家族三人で一緒に居られる空間と時間を作りたいと思い、居間に花を絶やさず、掃除機を毎日かけて、子どもが遊ぶのを見ながらパソコン作業をしたり、ご飯を作ったり、洗濯物を娘と一緒に片付けたり、してきた。この家のなかで娘や妻との日々を過ごす、という意味では、「人間と建築は二つで一つである」。

だが、借家の我が家は、アルミサッシ故に断熱性が低く、僕の仕事場は北向き&磨りガラスで外が見えないし、冬はものすごく寒いし夏は湿気がこもりやすい。光嶋さんの説く「ここちよさ」を目指そうとしても、そもそもソフトでは解決しないハードの問題が立ち塞がっている。それはどうしようもないものだと思い込んでいたけど、光嶋さんの本を読むと、なぜそうなるのかが、見えてくる。モダン建築の第一人者、ル・コルビジェが「身体と建築の調和する関係を求めて、普遍的な法則」として提示した「モデュロール」(p68)を指して、こんな風に説明している。

「私たちは、モデュロール的な考え方にすっかり馴らされてはいないでしょうか。さまざまなことを規格化すれば効率が上がり、大量生産が可能になります。建築においても、同じようなカタチの家、同じような無個性なガラス張りのビルがどんどん建っています。こうした風景は、そこに住まう私たちの姿であることを忘れてはなりません。」(p71)

モデュロール的な建築と言えば、ショッピングセンターやコンビニ、ファミレスのような、どこでも代わり映えのしない、効率化と規格化を徹底的に追求した建物のことが浮かぶ。基本的にそういう場は疲れるので、なるべく近づかないようにしてきた。だが、この光嶋さんの指摘を読んで、ふと考え込んでしまった。僕が半世紀近く住んできたマンション類は、すべてモデュロール的なものであった!と。京都の実家は僕が生まれた頃に大手デベロッパーが作り上げたマンション団地。その後、借りぐらしをしてきた山梨や姫路のマンションも、すべてモデュロール的な建物である。そもそも、他人に貸して稼ぐタイプのマンションは、そうすることで収益率の最大化を目指せるのだ。普段は効率化や規格化の弊害を説いている自分自身が、まさにそのような効率化と規格化の権化のような賃貸マンションに住み続けていたとは。「こうした風景は、そこに住まう私たちの姿であること」を、ぼく自身はすっかり「忘れて」、というか無自覚なままでいたのだ。なんというお間抜け!

「しかし、私たちはモデュロールではありません。一人ひとり異なる身体をもった個別の人間です。身体が個別であるということは、感覚も感性もまた個別であるということです。自分には自分の環世界があり、人と比較する必要などないのです。
では、私たちはどうすれば自分の環世界を自覚できるのでしょうか。そのためには、自分が外の世界をどのように感じ、自分がどんな空間をここちよいと感じるのかを、自分の身体を通して経験するほかありません。あらゆる感覚の中かから自らのここちよさを発見する。外の世界に対しても内なる自分に対しても、感覚を開いていくことが自分のここちよさにつながると僕は思っています。」(p72)

光嶋さんは、合気道凱風館の門人である。僕もこの4月から凱風館に入門させて頂いたので、稽古仲間でもある。彼は、合気道を通じて、身体感覚の感受性を豊かにしてきた、と述べている。そして、この「外の世界に対しても内なる自分に対しても、感覚を開いていくことが自分のここちよさにつながると僕は思っています」というのは、すごく大切なことだと、ぼく自身も思う。

たとえば道場を変えることによって、ぼく自身の環世界は大きく変わりつつある。凱風館では、呼吸法をものすごく大切にしている。光嶋さんのパートナーの永山さんが主催される高砂道場の稽古に、4月から娘と通っているが、彼女の呼吸法は本当に美しく、柔らかく、深い。その呼吸法を娘と共に学ぶ中で、「自分が外の世界をどのように感じ、自分がどんな空間をここちよいと感じるのかを、自分の身体を通して経験」させてもらっているのだ、と感じる。そして、それが「ここちよさ」を自覚するプロセスであり、自分が何を「ここちよい」と感じるのかを気づくプロセスそのものが、他者と異なる自分自身の唯一無二性に気づくプロセスなのだとも感じる。僕はいま、50近くになってやっと「感覚を開く」練習を始めたばかりなのかもしれない。

その上で、光嶋さんは「ここちよい住まいのつくり方」として「七つの条件」を掲げている。すべてを紹介したらネタバレになるので、特に今の自分に刺さっているいくつかの条件をご紹介したい。

「窓が切り取る外の風景に変化を与えてくれるのは、光です。第2章で述べた『建築の美しさの主役は光である』という話を思い出してください。季節の移ろいや日常の小さな変化を感じることができるのは、窓から入ってくる光のおかげなのです。」(p93)

京都の実家はマンションの11階で、桂川の近所だったので、南側の和室から、桂川の川の流れを眺め続けてきた。確かにその光は本当に日々変化し、季節の変化や一日の変化を光で感じることが出来た。ごく何気ない風景なのだけれど、言われてみたら、あの光の移り変わりを日々感じられたのは、実に贅沢だったのだと今になって気づく。だからこそ、書斎の窓が磨りガラスなのは本当に残念で、光の移ろいが感じられないのは、感覚遮断そのものなのだな、とも気づかされる。

「チューニングされた本棚は、生きた本棚だと言えます。生きた本棚は、物理的に本がよく動く。本を置く場所が変わったり、並べ替えられたり、手で触れられることで本棚は生き生きします。
そもそも、本に囲まれていると、もっと知りたいという学びへの渇望が発動するものです。まだこれから新たに読むことができるという無限の可能性にワクワクします。」(p97)

これもよくわかる話だ。我が家でも研究室でも、たまに本の入れ替えや間引きを行う。そして、並べ替える。すると、本棚に息吹が流れ、新たなエネルギーがわいてくる。自分の中で放ったらかしにしていた興味関心が賦活され、あれとこれが関連しているかも、とか、アイデアが豊かに湧き出す。

逆に言えば、それを怠って本棚に乱雑に積み重ねているうちに(それは机であっても同じなのだが)、エントロピーはどんどん積み重なり、乱雑さや混沌が最大化していく。それは、頭の中身の乱雑さの増幅と軌を一にしている。ただ、我が家は本棚の数が制限されているし、本を買いまくるので、整理に限度があるのが、最近の現状だ。一部分はチューニングされていても、本棚全体のチューニングにはたどり着かない。このあたり、収納スペースを増やす、だけでなく、適切に本を間引きするなど、「ここちよさ」を維持する努力がもっと必要だと、改めて感じさせられる。

そして、「他者を招く」ことの効用も光嶋さんは説く。

「他者を招くことのいいところは、他人の目という別の視点で自分の空間を認識できるところです。他者の視点によって自己が変容し、さらに他者にもその変化が伝播する。連鎖する相互作用、それもここちよさの一つなのです。」(p101-102)

これも深く納得する。他者を招こうとすると、一定程度片付けなければならない。そのプロセス自体が、「他人の目という別の視点で自分の空間を認識」するプロセスなのだと思う。そして、それ以上に面白いのは、「他者の視点によって自己が変容し、さらに他者にもその変化が伝播する。連鎖する相互作用、それもここちよさの一つ」だと光嶋さんが述べている部分である。自分の感覚や認識を開き、他者を招き、そのプロセスの中で、自己認識が変容し、その変化が他者にも伝わる。そういう「連鎖する相互作用」のなかで、「ここちよさ」が動的に形成されていく。お招き頂いて楽しいのは、そういう「連鎖する相互作用」が働いている空間だからだ、と気づかされる。

「2時間で読める教養の入り口」というシリーズなので、確かにサクッと読めた。でも、余韻が深い。それは、自分自身が「住まい」とどんな風に向き合えば良いのか、の感受性が、読書体験の中で開かれていったからである。ずっと借り暮らしだったので、そろそろ家がほしいなぁとか、今から買うなら中古でリフォームするしかないなぁ、とか、色々な妄想が、この本を通じて浮かんでくる。そういう意味で、この本は実に読み応えのある一冊だった。

(あと、どうでもいいけど、彼が集中する際にはキース・ジャレットを聴いている、と書いていて、彼との共通点がまた一つ見つかった。僕のフェイバリットはGod Bless The Child。あのうなり声が、いいんだよね)

「結論ありき」の構造を暴く

四半世紀前、ジャーナリストの大熊一夫氏に弟子入りした。彼は『ルポ・精神病棟』をはじめとした、福祉や医療現場の構造的な「闇」をえぐり出す、優れたジャーナリストである。彼が僕に教えてくれたジャーナリストの極意には、以下のようなものがあったた。

・わかったふりをしない
・自分の足で稼ぐ
・対象にギリギリ迫る
・なぜそうなるのかを自分の頭で徹底的に考え続ける

取材相手が「説明」したことを鵜呑みにして、わかったふりをしない。何だか変だな、おかしいな、と思ったら、自分で動いて関係者を徹底的に取材する中で、事実を積み上げていく。そうやって、しつこく対象への「問い」を深めていくなかで、ことの本質にギリギリ迫っていく。そのプロセスを通じて、その問題構造がどのように構成されているのか、を仮説を立てながら自分の頭で考え続け、足で稼いで検証し続ける。それが、構造的問題の本質に迫るアプローチだと教わった。

今回ご紹介するのは、上記のプロセスを忠実に踏んだルポルタージュ『ルポゲーム条例 なぜゲームが狙われるのか』(山下洋平著、河出書房新社)である。それは、あるツイートから始まった。

「弊社のニュース、淡々と報じてますが、賛成2268人、反対は333人は肌感覚として解せない… そもそもパブコメは賛成反対のアンケートではなく(そんな選択肢の項目はない)、内容見て振り分けたのだと思う。 担当記者ではないですが、情報公開請求してみます。」

KSB瀬戸内海放送の記者、山下洋平さんは、香川県のゲーム条例が制定されるプロセスを元々取材していた訳ではない。ただ、2020年3月12日に、条例のパブリックコメントの結果が発表された自社のストレートニュースを自宅で見ていて、「肌感覚として解せない」と感じた。

「まず驚いたのは、寄せられた意見の多さだ。パブリックコメント(通称パブコメ)は、国や自治体が法令や計画の策定にあたって事前に広く意見を募るというもの。香川県が過去に行ったパブコメで寄せられた意見は毎回数件に止まっていて、『時間制限』で全国的な注目を集めたとはいえ、桁違い、いや桁が3つ違う。そして何よりこの素案に『8割以上が賛成』というのは、SNSなどで目にしていた意見とは賛否の割合が真逆と言ってもいい。」(p11-12)

何かがおかしい、と感じたことに、わかったふりをせずに、事実を確かめる。これは科学や調査報道の基本である。山下さんの場合は、そこでパブコメの「原本」を情報公開請求をしてみた。そして、膨大な賛成意見を分類しているうちに、以下のことに気づき始めた。

「 「現在、寄せられた意見の仕分けをしているんですが、メールで寄せられた賛成意見にはいくつかのパターンがあることが分かりました。同じものを重ねています。例えばこちら。『条例通過により明るい未来を期待して賛成します。賛同します』といったほぼ同じ文言の、1行だけの文章が多く寄せられています」
 KSBの集計によると「皆の意識が高まればいい」という内容が173通、「明るい未来を期待して…」が140通、「ネット、ゲームが子供達に与える影響様々ですので、賛成」が136通と、特に多くなっています。」(ゲーム条例のパブコメ「原本」が開示 多数を占めた賛成意見「全く同じ文章」が何パターンも 香川

たまたま重なるにしては実に変な、誤字や独特の言い回し(「依存層」「ご感て想」)がそのままになっている意見が、コピペのように何度も何度も意見として出てくる。また賛成意見のうちの1900通が、同じPCから出された可能性があることも見えてきた。しかもその意見は、パブコメの受付窓口とは違う場所から投稿されていたのだ。つまり、賛成票が組織票として生み出された。そして、パブコメは賛否を問うものではなかったにも関わらず、「賛成が8割」という「事実」が「論より証拠」として示され、それが条例可決の大きな「決め手」になっていく。このパブコメがおかしいと思った議会の一部会派から条例の可決前にパブコメを議員に見せるよう要望するも、「個人情報の黒塗りが間に合わない」ことを理由に開示が拒否され、条例が可決された後になって、開示される。

このような「何だか変だ」を前に、山下さんは一つずつ、地道に取材を進めていく。この条例制定を主導した大山県議会議長が報道から逃げるように去って行く姿勢であったことや、「ゲーム条例は憲法違反で人権侵害」と提訴した現役高校生のこと、県弁護士会が「公権力がむやみに介入すべきでない」と会長声明を出したことや、そういう事実を報じ続ける中で、「検証ゲーム条例」(2020年6月放送)「検証ゲーム条例2」(2022年7月放送)などの調査報道も積み上げていく。そして、これらの報道は、全て同社のホームページでアーカイブ化され、ヤフーニュースやYoutubeにもアップされていった。

僕は山下さんとひょんなきっかけで知り合いになり、このゲーム条例の報道を見続けてきた。だからこそ、今回、その集大成として出された山下さんの単著は感慨深いものがあったし、一気読みした。その中で感じたことを、以下、メモ的に書いておきたい。

・ゲーム条例は、科学と社会と政治の接点や境界が非常に揺れ動くものであったこと

依存症の問題は、社会との相互作用の中で生まれてくると思っている。ゲーム依存症なるものは、団塊ジュニアの僕にとっては「ファミコン」「マイコン」が生まれて以来に構築されたものであることを肌感覚で知っている。つまり、それ以前にはなかったものが、ゲーム機やパソコン、スマホが当たり前のように家庭に入っていく、この40年の中で生まれてきたものだ。

ただ、ゲーム依存なるものを「病気」とは断定できない。「ゲーム障害」という概念を提起したWHOも「Gaming Disordermが『病気』であるという言い回しは不適当である」(p175)という見解を持っている。つまり、依存状態という現象があっても、それが病気ではない、ということである。にも関わらず、そこに特定の精神科医が関与して、「依存状態なのだから制限する必要がある」という「科学的根拠」が生み出されていく。だが、同じ精神科医の中にも、吉川徹さんのように「他のものを避けていたら、ゲームとネットしか残っていなかった」という「社会的孤立」としてのゲーム依存を指摘している論者もいる。つまり、「ゲームへの依存状態という現象さえ減らせばよいから時間を制限せよ」という論理と、「ゲームに依存せざるを得ない状態がどのように社会的に作られているのか、子どもの内在的論理を辿ることの方が重要だ」という論理が、医師の中でも別れているのだ。そして、前者は「ダメ、ゼッタイ!」に代表される厳罰主義だが、依存症治療の世界的スタンダードは「ダメ、ゼッタイ、がだめ!」である、ということである。依存症治療のリーダー的存在である医師の松本俊彦さんは、アディクションの反対はコネクションだ、とまで言い切っている。

ここから、「ゲーム依存は病気なのだから時間制限するしかない」という、一見最もらしい「科学的根拠」自体がもともとアヤシい、ということが見えてくる。

さらに、ここに科学を政治に持ち込む力も見えてくる。山下さんの本の1章は、先述の大山議員と、地元の四国新聞社が果たした役割について触れられている。ゲームの「麻薬的な依存症」(p25)を度々議会で指摘し条例制定の動きを作った大山議員と、彼のことを連載で取り上げ、「キャンペーン 健康は子ども時代から~血液異常・ゲーム依存症対策への取り組み~」を報じる中で、条例制定の機運を作り上げていった地元新聞社。ちなみにこの新聞社に関しては、自民党選出の国会議員が社主の兄弟で、色々なことが報じられれている

つまり、様々なアクターからなる政治的思惑が、不確かな(論争中の)「科学的根拠」を選びとり、条例制定に向けた特定の社会的な動きが生まれ、パブコメの組織票的なものと連動して、一つの条例に結実し、多角的に検討することもなく、「賛成多数」で可決される。一度制定してしまった条例が、疑義を突きつけられても無視され、「事実」として機能し始めていくのであった。このような「動き」の構造が、調査報道に基づくこのルポルタージュから見えてくるのである。

現時点で事実として機能している条例という制度は、社会的に構築されてきた。そのプロセスを再検証することで、その社会的な構築の中に、どのような恣意性があるのか、そこに何らかの歪みや強引さがなかったか。それが規定された条例にどのような悪影響を与えうるのか。これらを検証する上で、山下さんが果たした地道な調査報道や、本書という形で仕上がったルポルタージュは、非常に役立つ。そして、それは他の自治体現場で動きつつあるなにか考える際にも、役立ちうる。

それは、賛成票を議員の親族に頼まれて書いた人の、次の言葉に象徴されている。

「私たち県民の知らないところでいろんなことが決められていく。それも結論ありきみたいな形で。で、決まった後に知らされるっていうことをすごく疑問に思ってますし、ちょっと憤りも感じる部分です」(p218)

そんな「結論ありき」で決められていくことはイヤだ! 山下さんの憤りに、心から共感する自分がいる。

裁量とあそび

著者や本の内容を全く知らないで読んだ本って、久しぶりだ。NPOやボランティア・市民活動系でアクティブな方々が何人か推薦しておられ、タイトルが気になって手に取った一冊を、気づいたら一気読みしていた。

「PTAなど地域活動によくある『年度での役員交代の組織』では、『なぜこれをやっているのかよくわからない』(価値の問い直しが行われない)、かつ『とにかくリスクをゼロにしたい』(去年通りにすることでなんとか一年問題なくすごしたい)ので、結果、『リスクをとってなにかしてみるなんてとんでもない』=新しい試みは生まれず同じ事を繰り返すことになる。」( 西川正『あそびの生まれる時:「お客様」時代の地域コーディネーション』ころから、p124)

長年、地域活動なるものに対してモヤモヤしていたのだが、それが「価値を問い直さないこと」と「リスクをゼロにすること」の掛け合わせのなかで生じている、と言われて、これほど的確に本質を射貫く整理に出会った事がなかったので、びっくりした。しかもこの西川さん、NPOの運営などに関わるだけでなく、小学校や中学校のPTAに民生委員まで務め、筋金入りの地域活動をしている達人である。僕のような頭でっかちではなく、自らの観察に基づく整理で、本当になるほど、と頷く限り。

実は、ぼく自身が「オモロイ」と思うことは、この対極にあるのかもしれない。西川さんの整理を読んでいて、そう思う。「なぜこれをやっているのかわからない」というのは、活動の意味や価値に関する「了解」がないからだ、と西川さんは言う。でも、「しなければならない」「以前からそうなってまんすんで」と押しつけられる。すると、「意味なし感」や「やらされ感」が大きくなり、同じように役に当たった仲間達で相談する時間もないので、「わからない感」や「キャパオーバー感」も募り、「孤立感」に陥る。これらが重なると「つらい」「つまらない」になり、「負担感」がつのる。それは意味ある何かをやっている(doing)ではなく、やらされる「動員」である、と喝破する(第2章)。

僕は「動員」なるものが本当に嫌いなので、心からこの整理に賛同する。そして、僕が「オモロイ」と感じることは、西川さんの整理によると、「工夫する力が強い」ものと「工夫する余地が大きい」ものの掛け合わせの領域だ、と理解した。西川さんは、「工夫する力」とは、「与えられた状況の中で、なんとか工夫してみようとする指向性の強弱」と整理する。一方、「工夫する余地」は「プログラムの自由度が高い」「やり方がきまっていない」「マニュアル、ルールが少ない」「自分たちで決める領域がある」などのことを指す(p60)。そして、「工夫する力の強弱」と「工夫する余地の大小」を縦軸と横軸のマトリックスにして、それぞれがどのようになっているかを描く。それは以下のような図になる。(多分ご本人の資料としてネットで見つけたもの)

これを眺めながら、僕が博士論文を書いていた時に調べた、ソーシャルワーカーの裁量労働論と重なるな、と思った。「与えられた状況の中で、なんとか工夫してみようとする指向性」としての「工夫する力」とは、結果は左右できないけど、方法論的な裁量があるかどうか、が託されている状況である。一方、「プログラムの自由度が高い」「やり方がきまっていない」「マニュアル、ルールが少ない」「自分たちで決める領域がある」という「工夫する余地」は、どのような結果を導き出すか、に関する裁量があるとも言える。すると、ソーシャルワーカーや警察官などが、現場でどのようなリーダーシップを取っているか、を整理した論文の図と繋がってくる。

僕が最もイヤなのは、結果にも方法論にも何も裁量がなく、ただただ言われたことだけやる、というタイプの「行政的手続き」である。一方、それ以外であれば、「オモロサ」を見いだすことが出来る。それは、「工夫する力」(方法)や「工夫する余地」(結果)のどちらか、あるいは双方に、それを担うぼく自身の意見を反映する裁量が残されているからである。

これは、仕事に限った話ではない。ボランティア活動やPTAなどの地域活動においても、前例踏襲主義は、結果や方法に全く裁量のない「行政的手続き」となる。そうであれば、なぜそれを住民が義務としてやらなければならないのだ、それは本来行政がすべきだ、とか、なるべくその義務から逃げたい、ということになる。近年の町内会・自治会離れや、民生委員のなり手不足の問題などを見ていると、この前例踏襲型の「行政手続き」を住民に押しつけることの限界が見えてくる。

では、裁量を与えられて、結果であれ方法論であれ自由が与えられたら、それだけで人は活き活きと地域活動をするのだろうか。それもまた違う、と西川さんは言う。

「ひとりひとり自分の言葉で、『やってみたいね』を語る。と同時にひとりひとり自分の言葉で『心配ごと』を語る。それぞれの意見をもちよって、互いに応答しながら『こんなふうになるといいね』『こうしたらおもしろいかも』とわいわい話し合えること。『こうなったらどうする?』『これはまずくない?』『じゃあ、こうしたらどう?』と話せること。すなわち価値とリスクを出し合って、対話を丁寧にすれば、結論は自ずと生まれてくる。その結論は誰かに属しているものでもなく、『みんな』に属している。そして、そこで生まれてくるのは(当面の)結論だけではない。参加者のひとりひとりに私のイベントであるという当事者としての自覚が生まれている。『なにかあったら誰のせいか?』という『帰責性』ではなく、『このイベントがよくなるかどうかは、私次第』という責任感が生まれる。」(p131)

これを読んで唸った。僕が学んできた「未来語りのダイアローグ」と一緒じゃん、と。

方法であれ結果であれ、未来に裁量が与えられる、ということは、夢や希望も生まれるが、一方でリスクや心配ごと、不安も最大化する。その際、まずは夢や希望をあーだこーだとわいわい話す。その上で、その希望を実現するにあたって、現実的にある不安や心配ごともシェアしていく。それは、問い直すべき価値をみんなで共有し、リスクに関する不透明感を減らしていきながら、実際に出来そうな価値を了解しあい、そして各人が引き受けられるリスクを分かち合うというプロセス。この対話を通じて、参加する人1人1人が当事者性を持ち、自分にも出来る事がある、という責任感が生まれてくる。それは、困難な状況で対話に臨んだ精神障害のある人とその家族、支援者の話し合いでも、実に似たような希望を生み出す対話があった。

そう、絶望的に見える状況でも、実は工夫する余地と工夫する力はある。それを前例踏襲という形で蓋をし、裁量を制約すると、文字通りわくわく感は死滅していく。とはいえ逆に、裁量が付与されても無責任・無制限に放り投げられたら、途方に暮れるばかりだ。その問題に関わることになったチームのなかで、希望や期待、モヤモヤや不安が共有され、あーだこーだとわいわい言い合う中で、未来語りのダイアローグが進み、その中でリスクが低減し、価値への了解が生まれてくるのである。それがチーム形成のプロセスであり、地域活動が「オモロイ」と思えるダイナミズムが生まれる過程そのものなのだ。

この本って、PTAや民生委員、町内会・自治会に関わる人だけでなく、社協で言うなら生活支援コーディネーターとか、行政のまちづくり担当とか、住民との協働に携わる専門職は、是非読んでほしい。そして、自らの裁量労働の面白さと、住民達の裁量の活かし方を、どううまく掛け合わせるか、を考えるきっかけにして欲しい。そして、本のタイトルに絡めるなら、裁量が「あそび」につながったとき、わくわくやオモロサが生まれてくる。それこそ、地域活動が持続可能になるための、遠回りなようでいて、最も近道なのだと思う。

対話的に存在すること(dialogical being)

読み手にその準備が出来ていないと、しっかりと読み込めない本というのがある。そういう本って、よく言われるのは、概念や論理が難解で、一定程度の基礎文献を読まないとアタックできないようなものだとイメージされやすい。

今回ぼくが読んだ本は、ダニエル・フィッシャー著『希望の対話的リカバリー:心に生きづらさをもつ人たちの蘇生法』(明石書店)。この本は、上述の意味での難解さはない。翻訳本だが、リカバリーに精通しておられる訳者の松田さんの翻訳は非常になめらかで、意を尽くした日本語にしてくださっている。そこで出てくる概念や論理も、平易な日本語で書かれていて、理解できる。にもかかわらず、2019年の刊行当初、手に取った時に、自分の中にすっと入ってこなかった。今回読んだ時も、時間はかかった。でも、すっと入ってこないのとは真逆の、圧倒的迫力があって、読み飛ばすことが出来なかった。それはなぜだろう?

たぶん、ぼくの中で、ダニエルさんの言うことを理解できる素地が増えたからかもしれない。あるいは、ダニエルさんの言葉を受け止めるレディネスが出来たというか。

ダニエルさんは、アッパークラスのおぼっちゃまで、親も医者で、自身も医学部に入った24歳まで、順風満帆だった。でも本人はその時期を「ものまね鳥」の時期だったと語る。親や権威ある人の目や意向に忠実で、徐々に自分の気持ちを抑えていった。でも、その後、「精神疾患の急性症状」と呼ばれる事態に何度か遭遇し、これまでの自分が崩壊(ブレイクダウン)する3度の入院をした30歳までの間に、これまでの仮面を打ち破り(ブレイクスルー)、自分の声に出会う。その後、精神科医として独立開業をしながら、精神障害者の当事者運動にコミットしていく。その中で、リカバリーやオープンダイアローグの概念とも出会い、薬に頼らない(だが否定しない)、人間的な対話の中から生み出される希望に基づくリカバリーをご自身でも模索し、多くのピア(精神障害を持つ仲間)と協働しながらエンパワメントの道を探る。その記録が書かれた本である。

彼は入院の経験を経て、以下のように振り返る。

「私の3回の入院のあと長い間、私は自分自身に問うた。『私に何が起こったのか? なぜそれは起こったのか? どうすればそれが再度起こるのを防ぐことができるのか? どうすれば学んだ教えを他の人たちに伝えることが出来るのか?』 私は、姿を現すことを切望している本当の私が、内なる深いところにいた—そして、いる—のだということに気づいた。青年だった頃、私はそれが姿を現すのを妨げていた。性的虐待を受けたことや、父のハンチントン病や、50%の確率で私がハンチントン病をもつ可能性があることや、肺炎で死にかけたことや、母のうつ病、そういったことのトラウマによって私は傷ついていた。私は、研究室で、偉大な発見をするための作業に没頭していた。そうした発見は、すべての人の不幸を解決し、私にノーベル賞をもたらすであろうものだった。生の他の面はすべて二次的なものであるように思えた。私は人々の目を見るのが怖かった。私はオープンになったり、自らの感情を見せるのが怖かった。私は、傷つけられたり、拒絶されたり、見捨てられるのが怖かった。そういった私の怯えた部分は生きることを恐れており、それは生に対して『ノー』と言っていた。その偽りの自己は、私の本当の『自己』を過度な合理性による保護的なモノローグに閉じ込めていた。」(p144)

「その偽りの自己は、私の本当の『自己』を過度な合理性による保護的なモノローグに閉じ込めていた」というフレーズは、精神病院への入院経験のない僕にも、強く響く。「頑張って良い高校、良い大学に行けば、良い未来が切り開かれる」「だからもっと頑張らなくちゃ」・・・こういう狭い因果論というか、「過度な合理性」に、ぼく自身も10代からはまり込んできた。大学院に行った後も、「博士号をとって、常勤の就職先を見つけて、論文を書きまくって・・・」と目標を変えるも同じような狭い因果論=過度な合理性から抜け出せなかった。特に20代の僕はまさに「傷つけられたり、拒絶されたり、見捨てられるのが怖かった」。ただ幸いなことに、27歳の時にパートナーと一緒に暮らすようになり、相手が自分の感情をむき出しにしてくるので、こちらも感情を引っ込めている場合ではなかった。それでも30歳で大学教員になってから、論文書きや講演・研修にしゃかりきになっていた間は、仕事面では「過度な合理性」にやはり囚われていた。

だが、2017年に子どもが生まれてからの6年間は、「本当の声」を持つ存在と向き合う日々だった。「過度な合理性による保護的なモノローグ」を「社会性」とするなら、それを獲得していない状態。そんな状態から6年間の育ちに付き合うなかで、逆に、「過度な合理性による保護的なモノローグ」を「社会性」だとする、その「社会性」そのものへの疑いが強まっていった。それよりも、いつでもオープンに自分の感情を素直に表現する娘の方がよっぽど「まとも」ではないか、と思った。そんな娘の言動に対して、「ちゃんとしなさい」「他人に迷惑をかけてはいけません」と「しつける」こと、そのものが、娘の本当の声を奪い、「過度な合理性による保護的なモノローグ」なのではないか、と思うようになった。それは、娘がこども園に入った3歳以後、特に感じるようになりはじめた。

その視点を持つと、僕の感情や魂がいかに抑圧されているかも、この数年、思い続けてきた。繰り返しになるが、ぼく自身は精神科病院への入院経験もないし、虐待を受けた経験もない。でも、3歳で弟が生まれて以来、彼がアトピー性皮膚炎で大変辛い思いをしたこともあって、両親は弟にかかりっきりになった。「お兄ちゃんだからしっかりしなければならない」を内面化してきた。「ひろしはちゃんとしているから」と親に言われ、それを誇りに思ってきた。でも、そうやって実年齢以上に背伸びして「しっかりする」「ちゃんとする」と、それは己の子どもらしい感情や伸びやかさに蓋をしてきたのだと思う。それに加えて、小学校の5,6年生の頃、いじめで学級崩壊する経験をしていて、生きることに絶望していた。これを書きながら思い出したのだが、こないだ娘と共に谷川俊太郎の絵本「ぼく」を読んでいて、「ぼくはしんだ」というフレーズに一番近かったのが、小学校の5,6年生の頃だった。家が11階だったので、ここから飛び降りたら楽になる、と思っていた。 それは別の絵本『橋の上で』の少年と同じだった。中学から猛烈進学塾で猛勉強していたのは、10歳くらいのときに、それまでの豊かな感情やオープンさの一部分が文字通り死んで、「過度な合理性による保護的なモノローグ」で生き残ることに専念したのではないか、と。

ダニエルさんは、24歳で精神病院に入るほど、それまでの古い自我が崩壊(ブレイクダウン)した。一方僕は、10歳くらいまでに、野生の(Vernacularな)自分自身の「声(Voice)」に蓋をして閉じ込めて、「ものまね鳥」よろしく社会的に評価される何かを追い求めて走り続けてきた。精神病院に入るほど自我の崩壊の危機はなかったけれど、それは野生の自分の声に固く蓋をしたから、であった。一方、ダニエルさんは、その野生の自分自身の声に蓋がしきれなくなって、24歳から30歳まで、意識の変性状態を通過した後に、自分の声を取り戻した。果たして、どちらがより人間的な人生なのだろう?

こういうことを考えながら彼の本を読んでいたら、ほぼ全ページに線を引き、ドッグイヤーしまくりで、どのフレーズを引用して良いのやらわからない状態になってしまった。なので、とりあえず目に付いた2,3のフレーズを引用する。

「私がつねに感じてきたのは、どれだけ深く混乱していても、それぞれの人の内部には、しっかりした、強さの核が隠れているということである。私は、そういった、しっかりとした、力に満ちた核を、その人の本当の『自己』と呼んでいる。人がどれだけ苦しんでいても、力に満ちた、核となる、本当の『自己』がつねにそこにあるのだということをいつも忘れないでいることが重要だと思っている。危険な時期を体験している誰かを私が助けているとき、私はつねにその人とともにいようとする。その際、私は自信を運ぶようにしている。その人は自らの中にある隠れた強さを頼りにできるのだという自信を。」(p84-85)

幻覚や妄想、あるいは言葉を失うなどの急性期の精神症状が出ている時には、「自我が崩壊」していると言われていた。確かに、「過度な合理性による保護的なモノローグ」から逸脱している、という意味では、その人の社会性は「崩壊」しているように見える。でも、ダニエルさんは、自分や仲間の数多くの経験をもとに、「どれだけ深く混乱していても、それぞれの人の内部には、しっかりした、強さの核が隠れている」と宣言する。そして「人がどれだけ苦しんでいても、力に満ちた、核となる、本当の『自己』がつねにそこにあるのだということをいつも忘れないでいることが重要だと思っている」と述べる。

「本当の『自己』」なるものは、取り出すことは出来ないし、検証可能性がない、という意味で、非科学的である。だが、それは科学的手続きでは検出できない、という意味で、既存の科学の範囲の外であるだけで、だから「ない」とは断言できない。それは、6年間娘の成長を横で見ながら感じていることである。娘の社会的な自己を「本当の『自己』」を切り分けて取り出すことなんて出来ないし、それを科学的に証明も出来ない。小学校に入って、集団登校に順応している娘が、こども園の年長組から急速に社会性を身につけつつある。でも、ありがたいことに、家では「本当の『自己』」を見失っていない。だからこそ、娘と関わるのは時にややこしくて、面倒だ。とはいえ、彼女は「親にとって都合のよい子」に育たなかった分、「力に満ちた、核となる、本当の『自己』」が力強く存在する。それが、彼女の魅力なのだと思う。

そして、ダニエルさんが教えてくれるのは、精神症状が急性期の人であっても、「力に満ちた、核となる、本当の『自己』」がその人の内側にしっかりと存在するということである。自我が崩壊しているように見えても、そんな状態でさえ、「本当の『自己』」はあるのである。ここから、さらに妄想が浮かぶ。「過度な合理性による保護的なモノローグ」に適合的な人の方が「本当の『自己』」に蓋をして、遠ざけているのではないか、と。それは、かつてのぼく自身のことを振り返っても、思い当たるところが結構あったりする。ダニエルさんは、ご自身の経験から、「過度な合理性による保護的なモノローグ」によって抑圧されている、「力に満ちた、核となる、本当の『自己』」は、精神的な危機の状態でも、たとえ言葉がしゃべれない状態にあてっも、しっかり存在すると知っているのだ。

「機械化による、力を奪うような攻撃はこれまで以上に広がってきているので、私たちは『人間』であることの意味を思い出す必要がある。私たちの協働的な任務は、『モノローグ的に何かをすること』(monological doing)から『対話的に存在すること』(dialogical being)へと物事の方向を変えることによって、平和で凝集的な世界コミュニティを築くことである。」(p270-271)

2023年はオープンAIの実力を見せつけられた年でもあるが、マニュアル通りの回答や自動運転や顔認証装置も含めて、『モノローグ的に何かをすること』(monological doing)は、この10年以内に急速に機械化されていく。そんな今だからこそ、ダニエルさんがいうように、「私たちは『人間』であることの意味を思い出す必要がある」のだ。そしてその肝こそ、『対話的に存在すること』(dialogical being)だと教わり、これも深く納得する。

思えば集団管理型一括処遇というのは、20世紀型の教育や医療の肝であった。それはフーコーがパノプティコン(監視塔からすべての牢獄を管理できるシステム)の例を用いながら、学校や病院が、まさにこのような監視装置になっている、と喝破したことでもあった。ベルトコンベア式の効率的な収容・処遇の方法論を、自動車や機械の製造だけではなく、人間に当てはめる。そして、標準化された知識や標準化された医療を提供し、標準的な教育や治療を受けさせる。それが、20世紀型の教育や医療の肝であり、それで識字率があがり、平均寿命も格段に向上した。だが、それらは機械モデルである。人間が人間らしく生きるためには、そのような『モノローグ的に何かをすること』(monological doing)だけでは、成り立たない。人間らしさの核には、『対話的に存在すること』(dialogical being)がある。その部分に教育や医療がどれだけ着目できるか、が問われているのだが、残念ながら精神病院は『モノローグ的に何かをすること』(monological doing)の極地である。それは、以前のブログでも触れた通り。

だからこそ、地域のなかで、『対話的に存在すること』(dialogical being)がどう豊かに展開されるか、が問われる。ダニエルさんも学んだオープンダイアローグとは、まさに精神病院ではなく、地域の中で、「対話的に存在すること」を応援する仕組みだ。娘が「本当の『自己』」を奪われないためにも、教育の分野においても、「対話的に存在すること」は必要不可欠な要素である。そして、それは子どものため、だけではない。娘の父である僕が、10歳の時に部分的に封印して、以後30年以上「死んだことにした」なにかを取り戻すためにも、「対話的に存在すること」というのは、重要なプロセスなのだと思う。そして、それこそが「リカバリー」の中心概念にあるとも思う。

「いつもトレーニングの最初に参加者に思い出してもらっているのは、参加者は、他の人を『直す』(fix)という衝動を抑制する必要があるということである。参加者は、苦しみにある本人が内なる知恵を持っているのだということを覚えておかなくてはならない。そういった知恵は、自らの苦しみを理解して小さくするための自分自身の方法を作り出すものである。にもかかわらず、トレーニングを受ける人達は〔直そうとしてしまうので〕、我慢することや、他の人を直そうとする衝動に抵抗することを頻繁に思い出す必要があるだろう。」(p206)

急性期の精神症状を持つ人であっても、「苦しみにある本人が内なる知恵を持っている」のだし、「自らの苦しみを理解して小さくするための自分自身の方法を作り出す」力を持っている。これは、僕で言うなら、我が娘や大学で接する学生と言い換えても同じだ。そういう相手を前にして、ぼく自身が「他の人を『直す』(fix)という衝動」を持っていなかったか、という嘘になる。でも、その衝動に自覚的になり、それを我慢する必要がある。なぜならば、それは本人の「内なる知恵」や「内なる声」を邪魔することになるからだ。

苦しみの渦中にいる人間相手に対して、『モノローグ的に何かをすること』(monological doing)という行為は、相手の苦しみをさらに増幅させかねない。そうではなくて、『対話的に存在すること』(dialogical being)によって、その苦しみを共に受け止め、本人が自分で方法論を見つけ出すのを応援することこそが、リカバリーへの道につながるのだと思う。それが「心に生きづらさを持つ人たちの蘇生法」への道なのだろう。こちらが勝手によかれと思って道を示すと、それは「苦しみの理解」ではなく、「苦しみの抹殺や封印」になりかねない。そのような「他の人を『直す』(fix)という衝動を抑制する必要がある」のだ。これは肝に銘じておきたい。

まだまだ語りたい、引用したい部分は沢山あるが、今日はこの辺で。

「自国の異邦人」の理解社会学

積ん読になっていた話題の書、『壁の向こうの住人たち:アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』(ホックシールド著、岩波書店)を読む。ホックシールドは、客室乗務員やケア労働者などが自らの感情をマネジメントする事が職務の一つになっている、という「感情労働」概念を作り上げただけでなく、共働き労働者が会社の論理に呑み込まれていく『タイムバインド』など、優れたエスノグラフィーを書き続けた社会学者である。その彼女が、トランプが大統領になる直前の、ティーパーティー運動が盛んだったアメリカ南部を何度も訪問し、「アメリカの右派」の一般市民と友人になりながら、彼ら彼女らの話に耳を傾けていく。そこから見えてくる世界を描いた、優れたエスノグラフィーである。

この本の原題はStrangers in their own landと書かれている。「自分の国にいる異邦人」というタイトルは、訳書のタイトルと重ねると、クリアに見えてくる。アメリカでは右派の共和党と左派の民主党、だけでなく、北部と南部、など様々な「壁」があり、その向こう側の住人たちは「自分の国にいる異邦人」に見える。それだけでなく、この本の副題(これは原題も変わらず)にある「アメリカの右派を覆う怒りと嘆き」とは、ティーパーティーに集まる白人の中高年齢者保守層が、自分自身のことを、「自分の国にいる異邦人」だと見なしている。政府のことが信用できない。そんな中で、自分たちの感情を鼓舞してくれる右派に傾いていく、そんな心情倫理の内在的論理を描いていく名作である。

例えば不動産管理会社で会計士として働いているジャニースのことを、以下のように描く。

「ジャニースの仕事観は、より大きな道徳的規範に根ざしている。その道徳観は、アメリカンドリームをめざす列の前後に並ぶ人々に対する彼女の感情を形づくっていた。『懸命に』というのが重要だ。適性や報償、成果以上に、勤勉は自尊感情をもたらしてくれる。それは、清く正しい生き方を貫いて教会に通っていれば、おのずと備わるものだ。列の前に割り込む者は、こうした信条を持たないのだと、ジャニースは感じている。リベラル派—列に割り込む者を産みだした社会運動に関わる人々—は、よりルーズで不明瞭な道徳規範を共有しているにちがいない。リベラル派は、たぶん、教会に所属していないから、個人の倫理観そのものをきちんと認めないのだ。(略)ジャニースがたいせつにしているアメリカの一部は、いま国家という荒波に勇敢に抗う小さな防波堤のようにしか見えない。アメリカンドリームそのものが、奇妙で、非聖書的で、過度に具体的で、尊厳に欠けたものになってしまった。辛抱強く列に並んでいるジャニースは、自分の国にいながら異邦人のような気持ちを味わわされている。古きよきアメリカを守る唯一の砦は共和党なのである。」(p224-225)

なるほど、アメリカンドリームは、聖書的な希望だ、と理解すると、色々つながってくる。「懸命に」働くこと、という勤勉さが聖書的であり、その聖書的な働き方をしながら、夢を手に入れる「列に並ぶ」白人労働者たち。マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で描いた、禁欲的なプロテスタントの論理そのものである。懸命に働けば夢がつかめると信じてきたのに、どれだけ働いても給料は良くならないし、会社からレイオフされる危険性もある。それはおかしい。「辛抱強く列に並んでいる」のに、「自分の国にいながら異邦人のような気持ちを味わわされている」。

それの原因はなにか、そう考えたときに、思い当たることがある。「リベラル派—列に割り込む者を産みだした社会運動に関わる人々」は、このアメリカンドリームの「列」を乱してきた。アファーマティブ・アクションなどを通じて、黒人や移民、障害者、女性・・・などマイノリティに対して、学校や職場での優先枠を作った。これは、「懸命」に働いている白人労働者からすれば、「列に割り込む者を産みだした社会運動」であり、非聖書的なものに映った。それを「国家という荒波」が助長している。環境保護やアファーマティブアクションに税金を沢山投入するのは、アメリカンドリームの列をかき乱す「荒波」であり、辛抱強く列に並んでいる白人労働者にとっては、余計なこと以外の何物でもない。そういう余計なことをしなかったのは、古き良きアメリカであり、それを支持するのがティーパーティーや共和党右派なのだ。かつて、民主党員だった労働者たちがこぞって右派転回するのは、ティーパーティーが自らの心情倫理を適切にすくい上げてくれている、と感じるからである。

そして、「懸命に働けばアメリカンドリームを手に入れられる」という心情倫理は、「構造的忘却」をもたらす。ホックシールドがフィールドワークをしたこの本の舞台はアメリカ南部、ルイジアナ州レイクチャールズ市なのだが、ここは全米屈指の重化学工業地帯であり、汚水や危険物質の河川への廃棄や投棄、地下の空洞への埋設などで、その自然がズタズタに破壊され、環境破壊がひどい。だが、住民達は、その環境汚染についてはみんな口をつぐんだり、見ないようにしている。熱心に教会に通うジャッキーに聴いたことを、こんな風に記述している。

「『この町全体が石油で動いていますのでね。だからわたしは、工場に勤めている人の奥さんふたりと話が出来るんです。ふたりとも、政府の規制は、雇用の悪化を招いたり、工場の新規進出を妨げたりすると考えています。危険のことは触れたくないんです。だって、あの人達がそういう仕事をしていることを非難したように聞こえますもの。傷つけたくないんですよ』
またもや、黙して語らず。多くの工場労働者は板挟みに陥っている。地元のカルカシュー・ロッド・アンド・ガン・クラブ(釣りと狩猟の同好会)の熱心なメンバーであり、野生動物をこよなく愛している彼らは、環境汚染については罪悪感をいだいている。しかし工場の従業員としては、口をつぐむ義務を感じているのだ。ジャッキーもヒースも、そうした気持ちを尊重して黙っている。」(p251)

この本に出てくる、ホックシールドが友人となった、ティーパーティーに関わるルイジアナの白人労働者家族は、たぶんお友達として出会ったら、ふつうに「いい人」なのだと思う。だからこそ、カリフォルニアのバークレーという、民主党のメッカ!から舞い降りた白人女性のホックシールドだって、主義主張の違いをわかりながらも、受け入れてくれた。そして、幼少期はザリガニ釣りや魚釣りを楽しむ、アメリカの田舎を満喫した経験をホックシールドに語ってくれた。だが、石油産業に依存し、それしか工業がないとなると、環境汚染については罪悪感があるけれども、懸命に働く職が奪われては元も子もなくなるので、「口をつぐむ義務を感じる」。そして、そういう友人や教会仲間と繋がっているので、地元の人は「黙して語らず」となる。恐ろしいほどの環境汚染や事故が起きても、その責任を原因企業に求めたり、規制を強化するような連邦政府や州政府の環境保護政策を敵視し、逆に自分たちの税金をそういう企業の誘致に湯水のように使う政治家を応援する。そのことは、ジャッキーの次の発言に象徴されている。

「わたしたちは資本主義のために、環境汚染という犠牲を払ったんです」(p255)

資本主義を擁護するためには、環境汚染という犠牲は仕方ないし、ましてや政府が環境汚染対策のために公金を投入するのは許せない。自分が環境汚染されている地域で暮らすにもかかわらず、自分の生活環境を破壊する大企業を擁護する。一見すると論理的に見えず、ホックシールドもこの問いは難問だったが、フィールドワークを重ねるうちに、徐々にある構図が見えてきた。

「わたしは何度も首をひねった。なぜこんなに問題が山積みなのに、それを軽減してくれる連邦政府のお金をあんなに疎んじるのだろう、と。これらの疑問は、経済的利益を重視したものだった。経済的利益がまったくの無関係であったわけではないものの、わたしは、感情的利益—自国にいながら異邦人であるという感覚からの、めくるめく解放感—がきわめて重要であることを発見した。
政治的に正しい感じ方のルールから解放され、似たような考えを持つ強力な多数派の一員である、という高揚感、“ハイ”な気分を一度経験すると、多くの人は、この高揚感にいつまでも浸っていたくなる。そのために、彼らは異論を退ける。肯定を求める。わたしが話を聞いたある女性は、六時間ものあいだずっとトランプのことをとうとうと話し続けた。想定されうる批判を先取りして反論し、疑問を差し挟む余地をいっさい与えなかった。そんなふに盾でかばうようにして話をしたのは、自分の高揚感を守るためだったのだろう。」(p324)

大企業によって、自分たちの生活環境が汚染されている。また、大企業のロビイストが政治家に働きかけ、州政府や連邦政府の環境規制の法制度を規制緩和し、企業誘致の名目で、大企業の法人税を減税したり、建設費補助に莫大な税金を投入する。これらを「経済的利益」の観点でみるなら、全くの損失である。そして、リベラル派からみれば、なぜルイジアナの住民達は、このような「経済的利益」の損失をゆめゆめ放置しているのか、が理解出来ない。

だが、南部の白人労働者階級は、「アメリカンドリームという列に並ぶ」のを黒人や移民、女性などに割り込まれたと感じている。アメリカの産業衰退も伴って、自分たちの夢が実現出来そうにない。経済的利益が今後あまり得られなさそうな現実において、「自国にいながら異邦人であるという感覚からの、めくるめく解放感」としての「感情的利益」は、「経済的利益」と違ってすぐに獲得できるし、高揚感ももたらされるので、一度経験したらやみつきになる。そして、「カウボーイ頭」(p324)であるトランプの口から「偉大なアメリカを取り戻す(Make America Great Again)」という呪文を唱えられたら、その感情的利益=異邦人性からの解放やアメリカンドリームの再来に心を躍らされる。それが、ティーパーティーからトランプ旋風にいたる原動力になってきたのだ。

そして、ホックシールドは、経済的利益より感情的利益を求める白人保守層を生みだしたのは、リベラル派でもある、という。

「私が話をした人の大半と同様、ダニーも、自分が犠牲者だとは思っていなかった。そういう言葉を使うのは、自分を『かわいそうなわたし』と哀れんで政府のお情けにすがろうとする輩だけだ。『犠牲者』という単語はしっくりこないようだった。実際、彼らは、犠牲になったというリベラル風の解釈に立ってものを言うこと自体を批判する。しかしわたしは、ルイジアナ州南西部に暮らす年配の白人保守層—チームプレイヤー、信奉者、カウボーイ—は紛れもない犠牲者だと思う。彼らは産業システムの負の部分を、精いっぱい虚勢を張って引き受けている。そしてリベラル派は、規制が行き届いたきれいな環境の遠く離れた“青い州”で、そのシステムの恩恵を享受しているのだ。」(p271)

「産業システムの負の部分を、精いっぱい虚勢を張って引き受けている」アメリカ南部の工業地帯の労働者階級と、「規制が行き届いたきれいな環境の遠く離れた“青い州”で、そのシステムの恩恵を享受している」東部や西部のアッパークラスのリベラル派。この構造的差異を受け入れることは、「犠牲者」と認めることであり、「自分を『かわいそうなわたし』と哀れんで政府のお情けにすがろうとする輩」に成り下がりたくないから、それは選ばない。「虚勢を張って」でも、自分たちの感情的利益を守ろうとする。そして、その虚勢に基づく感情的利益をティーパーティーの人々が享受している一方、規制に守られた民主党の地盤では、リベラル派は住環境が保護され、南部の重化学工業地帯で作られたプラスティック製品を使って便利な生活をする、という意味で、経済的利益を得ている。

このような対立は、超富裕層への異議申し立てをしたオキュパイ・ウォールストリート(ウォール街を占拠せよ)の運動との対比として、以下のように語られる。

「今日の右派にとって、主たる戦場は、工場のフロアでも、オキュパイの抗議活動でもない。ディープストーリーの中では、地元の社会福祉事務所や、受け取るに値しない者に障害年金やフードスタンプが届けられる郵便受けがそうした闘いの場なのだ。やる気のない怠け者に給付金を支給している。これほど不当なことはないと思う。オキュパイの活動家たちにとって“不当”とは、財源が“正当に分配”されず、適正に配分された社会が実現していないという、モラルの問題だ。しかし右派の人々のディープストーリーの中では、税金を“払う者”とそれを“奪う者”という文脈で、“不当”が語られる。つまり、左派の怒りの発火点は、社会階層の上部(最富裕層ととその他の層とのあいだ)にあるが、右派の場合はもっと下の、中間層と貧困層の間にあるわけだ。左派の矛先の矛盾は民間セクターに向けられるが、右派の場合は公共セクターである。皮肉なことに、双方とも、まじめに働いたぶんの報酬をきちんともらいたい、と訴えている。」(p212−213)

アメリカの南部白人保守層は、アメリカンドリームを夢見て、聖書を信じて、懸命に働いてきた。そんな彼ら彼女らにとって、超富裕層は、夢の体現者であり、憧れの的である。彼らが税金を納めていない、脱税をしていても、そもそもそれも自助努力の末にお金を有意義に使っている、と見なされる。一方、自分の税金をかすめ取ると右派には見える、生活保護受給者や障害年金の不正受給は許せない。税金を“払う者”として、それを“奪う者”が許せないのだ。それは、中間層と貧困層の争いだけでなく、公教育や公的セクターそのものが「税金を奪う」存在と信じられている。超富裕層が所得の再分配に応じないこと、所得税も法人税も減税するように政治家に働きかけることは、左派からみたら由々しき“不当”な行いにみえるが、政府を信用せずアメリカンドリームを夢見るカウボーイ的白人保守層にとっては“正当”な自己防衛に見える。「まじめに働いたぶんの報酬をきちんともらいたい」という訴えが元になるが、左派は超富裕層や大企業を攻撃し、右派は公共セクターと貧困層を攻撃する。同じ国にいながら、全く違う論理が、どちらも内的合理性を持っているのだ。

そんな「自分の国にいる異邦人」の友人とたくさん出会い、彼ら彼女らの話を聴き続けたホックシールドは、最後に、リベラル左派の友人に手紙を送るとしたら、こんな内容になるだろう、と書く。

「あなたはこう思っているかもしれない。右派の組織作りを進める有力者たちは、自分たちの金銭的な利益を追求するために、一般の右派支持者の心に巣くう悪魔—欲、利己主義、人種的偏見、同性愛恐怖、恵まれない人のために使われたくないから税金を払わずにすませたいという欲望—に訴えかけ、彼らを『ひっかけ』ようとたくらむのだ、と。私がニューオリンズのトランプ支持者の集会で見た限りでは、たしかにそうしたアピールはいくらかおこなわれています。しかしそれが目立つがために、右派の人々の別の一面—どんなに不安な経済状況でも列に並んで待つ辛抱強さ、忠誠心、自己犠牲、忍耐力—が見過ごされているのです。ディープストーリーを生きる彼らの、天使のような心が。
もし彼らと同じような状況におかれたら、あなたも同じような見方をするようになるかもしれません。その可能性を考えてみてください。」(p331)

「もし彼らと同じような状況におかれたら、あなたも同じような見方をするようになるかもしれません。その可能性を考えてみてください」というのが、これぞ、「他者の合理性の理解社会学」そのもの、なのである。相手をバカだ、非合理だ、悪魔だ、非理性的だ、と糾弾しない。そうではなくて、相手の中にある良い部分である、「どんなに不安な経済状況でも列に並んで待つ辛抱強さ、忠誠心、自己犠牲、忍耐力」を、話をしながらじっくり理解する。そして、そのような良い部分が毀損されている、という彼らの認識を、そのものとして受け止める。だからこそ、自らの誇りやプライドを取り戻したい、という感情的利益を再度得るために、経済的利益を度外視しても、列に割り込む黒人や移民が悪だ、という「ディープストーリー」に浸りたくなるのだ。

最後に、この「ディープストーリー」についてのホックシールドの解説を引く。

「ディープストーリーとは、“あたかもそのように感じられる”物語のことだ。シンボルという言語を使って、感情が語るストーリーなのだ。そこからは良識に基づく判断は取り除かれている。事実も省かれている。物事がどのように感じられるかのみが語られる。そのような物語は、政治的対極にある者同士が一方後ろに引いて、たがいに相手がどのような主観のプリズムを通して世界を見ているかを探索する機会を与えてくれる。わたしは、そのような探索を経なければ、左だろうが右だろうが、他人の政治観は理解出来ないと考えている。なぜなら、わたしたちは誰もがみんななんらかのディープストーリーを持っているからだ。」(p191)

事実や経済的利益よりも、“あたかもそのように感じられる”という感情的利益を重視した物語。それがディープストーリーである。主観のプリズムを通じた世界観であり、右派であろうと左派であろうと無党派層だろうと、「わたしたちは誰もがみんななんらかのディープストーリーを持っている」。そして、事実や論理を整理して、こちらの方が正しいとか、こう考えることが良識だ、と主張しても、別の主観のプリズムを通じて、経済的利益より感情的利益を優先するならば、その事実や論理、良識は受け入れられないこともある。それは自分の“あたかもそのように感じられる”という実感と異なる事実や論理、経済的利益だからだ。だから、超富裕層より貧困層がズルいと感じるし、危険物質を垂れ流す企業より環境汚染を規制する政府の方が役立たずだと感じるし、「列に並んで待つ辛抱強さ」を馬鹿にするリベラル派は許せないのだ。

そして、「他者の他者性」を理解するとは、「ディープストーリーを生きる彼らの、天使のような心」を理解する事だと、左派のホックシールドは友人や読者に伝えようとする。相手のディープストーリーを理解するプロセスを通じて、それとは違う己のディープストーリーをも理解する必要がある。そして、二つの物語の違いには、どのようなシンボルという言語が使われているのか、いかなる感情が語られているのか、を分析する必要がある。これが、経済的利益の分析ではなく、感情的利益の分析に必要不可欠である。それこそ、感情労働を一貫して研究の柱にしてきたホックシールドの分析枠組みがしっかり見据えられている。

これは、アメリカだけで使えるレンズだとは思えない。米軍基地や原発被災地などで、価値観が分かれている沖縄や福島、だけでなく、例えば選挙では維新が圧勝するけど都構想は否決された大阪など、日本国内でも「壁の向こうの住人たち」を理解する必要がある。そのディープストーリーに耳を傾ける必要がある。そんなことを気づかせてもらった労作だった。

時の精霊

2023年3月26日、娘のこども園の卒園式が開かれた。雨が降って春冷えの園内で、心暖まる素敵な卒園式に参加しながら、ぼくはクロノスとカイロスの二つの時間を考えていた。

クロノスというのは、昨日から今日へ、過去から未来へと客観的に刻む時のことを指す。一方カイロスは、主観的な時間であり決定的な「いま・ここ」という瞬間のことを指す。子どもたちは、この卒園式を少し緊張しながらも笑顔で過ごし、園の先生とわかれるのはさみしいけど、4月から始まる小学生に向けて、前途洋々な気分でいる。その一方、保護者や先生方は、子どもと共に作り上げてきた園生活が終わるのか、と思うと様々な思いがこみ上げてきて、あちこちで何度も涙を流し、鼻をすする音が聞こえる。ぼくも何度か涙を流し、胸が熱くなっていた。これからどんどん時間が早くなっている娘たち。一方、「いま・ここ」の時が永遠であってほしい保護者や先生たち。ここで、クロノスとカイロスが交差するのだ。

そして、これは5日前の3月21日に本番を迎えた卒園記念親子ミュージカルのテーマでもあった。「時の精霊」と題されたミュージカルのあらすじは、こんな感じだった。

「時間の無い国で、人々は毎日幸福に暮らしていました。ある日、広場の真ん中の大きな木の前でひとりの子どもが言いました。「この木、花が咲かないね」。そこで子ども達は魔法使いを訪ね、「木に花を咲かせる」方法を聞きます。魔法使いは、「やめておけ」と子ども達の願いを聞いてくれません。ところが、双子の魔法使いの妹ボタンが、子どもを弟子にすることを条件に、願いを聞き入れます。ボタンは、時間の扉を開いて、閉じ込めていた時の精霊クロノスを解き放ってしまいます。やがて、時間は動き始め、木に花が咲きました。しかし、クロノスは暴走し、時間はますます早く動いて、花は枯れ、大地は荒れ果ててしまいました。人々はその国に住めなくなり、散り散りに別れていきます。「貧困」や「争い」に巻き込まれた人々は、放浪を続けます。やがて、子ども達が平和な国を取り戻すため、立ち上がります。」

娘がこども園に入った3歳の頃、大混乱の最中だった。そもそも娘は、親と離れることに不安が高まっていた。しかも、2020年春はコロナ危機のせいで臨時休校になり、出鼻をくじかれた。そんな情勢で、親も相当緊張感が高く、それが娘にも伝わって、娘は園でじっとしていず、ギャアギャア言って、一人で座っていられなかった。それは、今から思えば、命がけのSOSの表現だったのかもしれない。全身で「苦しいこと」を表現しようとしていた。でも、親も子どもにどう関わってよいかわからず、親子三人の「苦しいこと」が続いていた。

だが、娘が通ったこども園では、大人が全力になって「子どもの成長を止めるな」を合い言葉に、コロナ下でも、出来る限りふつうに子どもと接してくれ、子どもの遊びを保障してくれた。コロナ下でも夏祭りは近所の山から竹を切り出して櫓を組んだし、運動会では子どもたちが一枚一枚クレヨンで描いた重い万国旗がはためていていた。8キロハイキングやマラソン大会など、親も一緒に出場する行事も多く、四季折々のイベントもあった。日々の基本は毎日園庭でサッカーや泥遊びに興じ、ダイナミックに遊び続けていた。先生方は、娘の不安をしっかり受け止め、娘の可能性を沢山見いだし、応援してくださった。そんな環境の中で育ったおかげで、娘は安心してエネルギーを発散することができ、大混乱はいつの間にか鎮まっていった。時間の無い国で、娘たちは毎日幸福に暮らしていた。

そんなカイロスの時間を二年経て、娘は混乱期を超え、少しずつ落ち着いて、園での生活に安心感を持っていった。そんな心の拠り所が出来たあと、小学校との移行期にあたる年長組あたりから、意識的にこの園では時間の扉を開き、カイロスではなく、閉じ込められていた時の精霊クロノスが解き放たれるように、一気に時間が動き始める。年中組までの緩やかな雰囲気とは一変して、年長さんとして年下のお友達のお世話をし、小学校に向けて数字の書き取りやクロスステッチ、サッカーのリーグ戦など、頭も身体もフル活躍する。

実は、父も母も娘も、この卒園式を、夢物語のように迎えている。それは、たった5日前まで、園行事の集大成として、先述の親子ミュージカルの練習にかかりっきりだったからだ。妻は、時間のない国にクロノスを解き放つ魔法使いボタンの役を演じ、娘は魔法使いの弟子、父は暴走するクロノスを演じた。それは、実に象徴的な舞台だった。

クロノス役の父ちゃんは、子どもが生まれるまで、「クロノスは暴走し、時間はますます早く動いて、花は枯れ、大地は荒れ果ててしまいました」という世界を生きてきた。まさにそれは、生産性至上主義にどっぷりつかっていた時代であり、身も心も枯れ果てていた。父ちゃんは、馬車馬の論理にどっぷりはまり込んでいた

でも、こども園の3年間で感じたのは、そのような暴走する時間とは対極の、「いま・ここ」を大切にする、主観的な時の感覚だった。娘が混乱している時も、あるいは落ち着いていたり、家で荒れているときも、すべて「いま・ここ」を真剣に生きるからこそ、娘なりの世界観を必死に構築しようともがいているからこそ、の表現である。それは、「早くしなさい」というクロノスの指導や叱責が及ぶことない、「いま・ここ」のしたいことがぎゅっと濃縮されて詰まったカイロスの時間である。そして、娘は3歳から6歳の三年間で、そのカイロスの時間をこども園で十分に体験出来たからこそ、小学校以降のクロノスの時間に飛び込む勇気と自信を与えられたのだ、と思う。

一方、クロノスの時間にどっぷり浸っていたお父ちゃんとお母ちゃんにとって、この三年間は、カイロスの時間を取り戻す日々であった。全力で子どもと共に楽しもうとする先生方や他の保護者たちと出会う中で、「いま・ここ」の時間を子どもと全力で過ごすようになっていった。他の子どもと比較して出来ているとか出来ていないとか比較する視点を横に置き、他のお友達の名前もどんどん覚え、我が子のように他のお友達も愛おしくなり、その成長を喜べた。この1年くらい、彼ら彼女らの成長にじんわりきて、行事でも娘よりも他のお友達をじっくり観察することもあったくらいだ。そして、同じようにこども園生活を乗り越えてきた同志のお父ちゃん、お母ちゃんと沢山仲良くなった。

それは、日本社会の同調圧力的な標準化された時間とは別の、「いま・ここ」を娘やお友達、その父ちゃん母ちゃんと共に楽しむ、まさにクロノス的なせき立てられた時間から一歩距離を置いた、祝祭的な時間だった。園の行事は沢山あり、土日も含めてめっちゃ忙しかったけど、それはクロノス的な時間に追い立てられるのとは逆で、いま・ここ、の濃密なカイロスの時間を堪能するプロセスでもあった。

その集大成のような親子ミュージカルは、親子三人にとって、文字通りの試練であった。この園は、子どもも大人もみんな本気で容赦しない。本番前日のリハーサルで、娘は立ち位置を覚えずそわそわていると、総合監督の理事長先生から娘に向かって「たけばたぁ、何やってんだ!」と怒声が飛ぶ。娘が泣くと、理事長は「自分の頭で考えろ、泣いたらそれで済むわけではない」とさらに追い詰める。でも、その後担任の先生が「なぜ怒られたか?どうしたらよいか?」を本人が納得できるように時間をかけて説明してくださったので、娘は当日間違えずに立ち位置に立て、「今日は出来ているな」と理事長先生からも褒められた。

同じように、父も母も、浴びるほどダメ出しをされて、腹が立ったり、落ち込んだりする一ヶ月だった。でも、それは娘が新たな学習回路を開き、未知で不確実な世界に飛び込んで試行錯誤するときに、感じる不安やしんどさそのものである。夫婦とも、親子ミュージカルに出演させて頂き、葛藤の最大化場面に立ち会ったからこそ、娘がどのように暴れたり、しんどい思いをするのか、がわかった。おそらく小学校に入った移行期においても、同じように混乱するだろう。だからこそ、3歳の葛藤の最大化を乗り越える支援をしてくれた先生方が、6歳で小学生になるための移行期混乱の時期に、別の新たな試練をあえて親子三人に与えてくださったことに、文字通り「有り難い」と感じた。

時間の扉は、一度開いてしまうと閉じることが出来ず、その時間はもっともっと早く過ぎ去るばかりだと、娘が三歳の頃まで、思い込んでいた。でも、この園に親子三人がどっぷり関わる中で、カイロスの時間は十分に取り戻すことが可能なのだ、と学ぶことができた。むしろ、カイロスの時間を安心して生きることが、クロノスに魂を奪われないこつなのだと、知ることができた。

ミュージカルの練習においては、クロノス役の父親たちにも、総監督の理事長先生からの怒声が飛ぶ。「もっと飛んでみろ」「子どもたちの方が立派に飛んでいるぞ」「ちゃんと子どもたちと戦え」・・・これらの声が、今でもぼくの中で、こだましている。そして、実はクロノスのぼく自身は、カイロスの子どもたちと、ほんまもんの戦いをせねばならなかった。頭でっかちの父ちゃんにとって、カイロスの子どもたちの純粋さや謙虚さを、クロノス世界の要領の良さとか「わかったふり」で誤魔化してはならなかった。だからこそ、本気で子どもとぶつかることが求められたのだ。おかげで父ちゃんは、ミュージカル当日はクロノスの「時の精霊」に憑依して、めっちゃ悪くなれたと思う。それは、子どもたちがクロノスを退治するのに、本当に必要不可欠な要素だった。そして、子どもたちのクロノス退治のおかげで、お父ちゃんはカイロスやファンタジーを取り戻しつつある。

子どもを預けるだけ、ではなく、フルに子どもと共に親が関わることが求められたのが、こども園の3年間だった。それは、正直に言えば、最初の頃は面倒だった。でも、そうやって、面倒に感じるクロノスの父を揺り動かしてくださったからこそ、いま・ここ、の子どもの喜びを共感できる、カイロスの時間を父が持つことが出来た。そういう意味では、時の精霊がこの園に宿っていたおかげで、娘や母だけでなく、父までも、平和な世界を取り戻すことが出来たのだと思う。

今つくづく痛感するのは、こども園で育てられたのは、子どもだけでなく、父も母も同じように鍛えられた、ということだ。子どもが生まれて6年、親業もたった6年である。知ったかぶりも出来ないし、いつまでも子どもに翻弄される。でも拙著のタイトル『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』の副題である、育ち直しをこの3年間、みっちり伴走してもらえた。こんなに豊かなカイロスの時間を味わえたのは、子どもにとっても、父母にとっても、まさに値千金である。