“非経済的な”背景条件を問い直す

新書とは呼べないほど、結構な硬派で「歯ごたえ」のある新書を読んだ。

「資本主義の特異性の一つは、構造的な社会的関係を、あたかも経済的関係であるかのように扱うことだ。実際、すぐ気づいたのは、そのような『経済システム』を存立させる、“非経済的な”背景条件について議論する必要性だった。それらは、資本主義経済の特徴ではなく資本主義社会の特徴なのだ。この点を全体像から消し去るのではなく、資本主義とは何かという理解に組み込まなければならない。それは、資本主義を経済よりも、もっと大きなシステムとして概念化することを意味する。」(ナンシー・フレイザー『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』ちくま新書、p41)

資本主義について語ろうとすると、どこかで知識不足を恥じて語れない自分がいた。経済学の素養を学んでいないので、資本主義については語れないのではないか、と思い込んでいた。これは資本主義を経済に基づいて語る、という考え方である。フレイザーはそれに異を唱える。私たちが資本主義にモヤモヤしているのは、「構造的な社会的関係を、あたかも経済的関係であるかのように扱う」からだ、と。資本主義経済が成り立つためには、そこには「“非経済的な”背景条件」がある。この背景条件を議論することは、資本主義「経済」を議論するのではなく、「資本主義『社会』の特徴」を考える必要がある。それは、「経済よりも、もっと大きなシステムとして概念化すること」である、と。

フレイザーはそこで、「“非経済的な”背景条件」として、「社会的再生産」と「自然」、「被征服民」と「公共財」の「搾取」や「収奪」を指摘する(p242-243)。先進国の人々が安価で買えるファスト・ファッションは途上国における、「被征服民」状態にある人々の低賃金労働という収奪が前提になっている。「24時間働けますか」と残業や休日出勤、単身赴任もいとわず男性が働けるのは、家事や育児、ケアを女性に押しつけることによって、である。石油も天然ガスも天然水も、自然を収奪することによって、大資本が利益を得ているが、何百年、何千年とかけて作り上げた自然の恵みに対して、大資本は「返礼」をしていない。また、水道公営化とか行政の人材派遣会社への再委託問題に代表されるように、公共財を民営化することで、公的ななにかから営利を最大化し、住民サービスの質の低下も起こっている。

これらは、「“非経済的な”背景条件」であって、資本主義経済そのもの、ではない。でも、資本主義経済を高速度回転させる上での「当たり前の前提」であり、それによって、この社会がよりいびつな形に変質し、人々の生き心地が悪くなる、という意味で、「資本主義『社会』の特徴」である。それをわかりやすく描き出しているのが、本書である。

そして、ケアを「“非経済的な”背景条件」と定義しなおすことによって、よりクリアに言えることがある。

「社会的再生産の労働はどの社会においても不可欠である。ところが、資本主義社会の場合、その労働はもっと特別な機能も担う。それは、労働者階級を生み出して補充し、搾取によって剰余価値を吸い上げることだ。したがって、ケア労働は資本主義システムが『生産的』と呼ぶ労働を生み出すが、ケア労働そのものは皮肉にも『非生産的』とみなされる。」(p104)

性別役割分業が進んだ社会におけるケア労働は、労働者が労働者として働けるように、主婦が労働者の食事を作り、洗濯をし、シーツを交換し、子どもや年寄り、障害者の世話をした。生産年齢人口にある男性は、そのような主婦のケアを受けることで、やっと外で労働者として働く基盤ができた。労働者の給与分以上の働きをすることで、資本家は「剰余価値を吸い上げる」ことができる。でもそれくらい会社や工場でしっかり働いてもらうためには、一日の大半を仕事に費やすことになる。すると、社会的再生産の労働を女性に押しつけざるを得ない。しかも、社会的再生産の労働は「生産的」な労働の「外部」=「“非経済的な”背景条件」になるので、「ケア労働そのものは皮肉にも『非生産的』とみなされる」のだ。

僕が子育てを始めたとき、もっともつらかったのは、「ケア労働そのものは皮肉にも『非生産的』とみなされる」という認識前提だった。赤子のケアに必死で、五回の洗濯と、母乳を出すための豚足スープをコトコト煮て、夜泣きする娘に深夜付き合って子守歌を歌っていながら、「今日は何にもできていない!」と嘆いていた。でも、何もしてないわけではない。事態は全く逆で、子育てのケアや、娘にかかりっきりになる妻へのケアを必死でこなしていたのである。にもかかわらず、「今日は何にもできていない!」と嘆く僕自身は、ケアをこれほど大切な営みだと日々感じながらも、「ケア労働そのものは皮肉にも『非生産的』とみなされる」という認識前提から自由になれていなかったのだ。

そのような認識前提が資本主義「社会」に共有されている。だから、介護や看護、保育などのケア労働は、「エッセンシャルワーカー」とかコロナ下で言われながら、非常に賃金が安い。それは「主婦でも誰でもできる仕事」と馬鹿にされているからだ。でも、自分がやってみて初めてわかったのは、社会的再生産の労働は、ものすごく高いスキルが求められるし、気配りや配慮が求められる労働である。にもかかわらず、専業主婦という「不払い労働者」に託してきた歴史があるという理由だけで、「非生産的」とラベルが貼られ、賃金が低く据え置かれることには、がまんがならないし、そのことに、「生産労働」に埋没しているおっさんはあまりにも無自覚だ、ということだ。

「資本は、ケア労働にまったく何の(金銭的な)価値も認めない。無償で無限に利用できる活動として扱い、ケア労働を維持する取り組みをほとんど、あるいはまったく行わない。このような放置状態に加えて、際限なく蓄積する資本の苛烈な衝動を考えれば、資本主義にはつねに、みずからが依存する社会的再生産のプロセスを不安定にする恐れがある。」(p203)

「保育園落ちた、日本死ね!」という苛烈なワーキングマザーの訴えがあって、それが社会化されることにより、この10年ほどの間に少子化対策がやっと急速に進んできた。最近では「学童保育の待機児童」問題が大きくなっていて、学童の枠をどう広げるか、が課題になっている。ただ、この流れに、二重の意味でモヤモヤしている僕自身がいる。一つは、学童保育指導員の給与の低さであり、もう一つが学童に預けなければならない親の働き方の問題だ。

前者は「ケア労働にまったく何の(金銭的な)価値も認めない」がゆえに、賃金が引く抑えられていて、学童指導員のなり手が少ない、という問題だ。でも、それだけではない。男も女も馬車馬のように働かなければならないので、学童指導員に預けざるを得ない、という事態そのものって、「際限なく蓄積する資本の苛烈な衝動」に、ぼくたちが巻き込まれているのではないか、という危惧を抱いているのだ。それは、スウェーデンに半年間住んでいた時の記憶から、更にそう思う。

20年前、2003年の秋から2004年の春にかけて、スウェーデンで在外研究をしていた。イエテボリのアパートを借りて暮らしていたのだが、そこでは朝7時過ぎに地元の幼稚園や小学校に送り届ける父母の姿を見かけた。そして、仕事に行って、猛烈に働いた後、午後3時過ぎには、仕事を切り上げ、子どもを迎えに出かけて、家路に急ぐパパやママも当たり前のように見ていた。つまり、子どもが小さい間は、6−8時間で仕事を切り上げ、さっさと家事育児モードに戻る親を沢山見ていたのだ。それは同一賃金同一労働で有名なオランダでも似た現象があることは、以前のブログでご紹介した。

その一方、日本で共働き夫婦を見ていると、ガッツリフルタイムで働いてしまったら、子どもを学童の終わるギリギリの時間まで預けざるを得ない家庭もしばしば聞く。それは、その家庭云々の問題ではなく、「際限なく蓄積する資本の苛烈な衝動」に巻き込まれて働き続ける中で、「みずからが依存する社会的再生産のプロセスを不安定にする」現状のように思えてならないのだ。

そして、社会的再生産の収奪プロセスと同じような資本主義の矛盾を「自然」にも見いだす、と著者は指摘する。

「自然は、原材料やエネルギーなど商品生産の投入物を供給する蛇口であり、商品生産の廃棄物を吸収するシンクでもある。そのいっぽう、商品生産による生態学的費用を資本は負担しない。自然は自動的に、際限なく自己補充するものだ、と都合よく解釈する。これもまた、己の尻尾に喰いつく蛇、みずからが依存する自然の共喰いにほかならない。どちらの例にしても、領域間に存在する矛盾の基盤には、経済の枠を超えた資本主義の危機の傾向がある。社会的再生産の危機の場合もあれば、生態学的な危機の場合もある。」(p203)

「商品生産による生態学的費用を資本は負担しない」。これは水俣の水銀公害や福島の原子力公害などの「人災」を見ていても、全くその通り。チッソや東京電力は、住民への賠償は幾ばくかは行っても、「商品生産による生態学的費用を資本は負担しない」。その背景には、「自然は自動的に、際限なく自己補充するものだ、と都合よく解釈する」傾向があり、自然が豊かな日本はそれが特に顕著なようにも思う。そして、グレタさんや斎藤幸平氏の発言が近年注目されているのは、「己の尻尾に喰いつく蛇、みずからが依存する自然の共喰いにほかならない」ことへの警句であり、「生態学的な危機」への警鐘なのだ。

フレイザーはマルクスを尊敬していることもあり、その昔に読んだ『共産党宣言』と同じような、鮮やかな資本主義批判は面白かった。ただ、こもれマルクスと同じなのだが、資本主義批判の切れ味は鋭いのだが、そのオルタナティブとしての共産主義なり社会主義の提示が弱いし、もっと具体的に読みたかった、というのが正直な読後の感想である。ただ、それはないものねだり、であり、社会的再生産の現場でモヤモヤしている僕自身が、日々の実践の中で見つけていく課題でもあるのだろうな、と思った。

いずれにせよ、骨太だけど、読み応えのある一冊です。

新書の文体はいかに生み出されたか

1ヶ月ほどブログがご無沙汰していた。この間、圧倒的な忙しさで、日々をこなすのに必死だった。その中でも、報告すべき事は、あれこれある。

一番に報告すべき事、それは、5冊目の単著で初めての新書である『ケアしケアされ、生きていく』(ちくまプリマ—新書)が10月上旬に発売されたことである。後書きにも書いたが、この本の企画が通ったのが3月末で、4月から一月一章書き続けて、夏休みにはゲラが出来上がって10月に刊行、なので、自分でも驚くほどのハイスピードである。でも、これまで考えてきたことを、新書というメディアの中で、プリマ—新書なので中高生にも読んでもらえるように、と詰め込んでみた。すると、これまでの本とは違う感想が寄せられている。するする読めた、という感想が沢山寄せられているのだ。

僕はこれまで「実際のお話はわかりやすいのに、本は難解ですね」と言われることがしばしばあった。ジャーナリストの大熊一夫に師事し、「文章は省略と誇張だ」と学んだだが、客観性や論理構築力がものをいうアカデミズムで生き残っていくためには、ジャーナリズムとは違う文体を自分で探す必要があった。2003年春に博論を書き終わり、それまで禁欲的だった他ジャンルの本の乱読を再開した時、むさぼるように読みはじめたのが、当時売れ始めた内田樹先生の著作であり、彼が沢山書いているブログ「内田樹の研究室」であった。そして2005年に大学教員になった後、自分の文体を生み出そうともがいた際に、このブログを立ち上げて模倣していたのが、内田先生の文体である。彼の本を読んで学んだ論理骨法を、自分のブログの中でトレースするように敷衍していく。それで、知的筋トレをずっと続けてきた。

ただ、多くの方がご承知のように、内田先生の文体は「難しい内容をするすると読める」力量が本当に卓越している。難しい語彙や論理がてんこ盛りに入っているのだが、内田先生の文章にかかると、そういう難解な何かが入っていても、なんだか読めてしまうのである。僕はそうやって彼の本を読み続け、沢山の語彙や論理を学んできた。でも、自分自身が書き手として内田先生の骨法をまねて実践しようとすると、どうしても表現が硬くなり、ゴリゴリの文体になる。僕にとっての最初の著作である2012年の『枠組み外しの旅』は、そういう難さ・堅さ・硬さが文体に含まれていた。それをどうやって開いたり柔らかくしてよいのか、その方法論を当時の僕はわかっていなかった。

その文体が開かれてきたのは、子どもが生まれた後だ。

毎日の家事育児で必死になっていると、なかなか難解な本はじっくり読めなくなる。という消極的な理由だけではない。娘や妻とのケア関係って、大概が「とほほ」話であり、それは難しい漢語や論理ではなく、感情の言葉で伝えないと、実感が伝わらない。でも、ケアには論理がないわけではない。逆に、日々のケアを巡る葛藤の政治を言語化しようと思ったら、これまで培ってきた文体とは違う、望遠レンズではなく接写レンズのような、解像度を上げたレンズで描く必要があるのだ。

それをしてみたいと思って始めたのが、現代書館のnoteでの連載「ケアと男性」だった。

この連載においては、編集者の向山さんに徹底的に鍛えてもらった。僕は彼女にコーチ役として、徹底的に気になることはコメントしてもらうように、お願いした。というのも、僕はそれまでの癖で、どうしても小難しい用語や論理についつい逃げ込んでしまうので、「この部分はわかりにくい」「もっとわかりやすい表現にしてはどうですか?」など容赦なくコメントしてもらわないと、子育て中でくたくたになっているママには読んでもらえないだろう、と思ったからだ。この本の想定読者としては、子育て中のママに共感してもらい、ママからパパへとお勧めしてもらう、という展開をイメージしていたので、睡眠時間が短くて・子育てでテンパっているママでも読めたで!という文体が、必要不可欠だったのだ。

そして、おかげさまで、その戦略は当たった。この連載を、高松の子育てサークル「ぬくぬくママSun’s」のメンバーである現役の子育て中のママ達に読んで頂いたら、めっちゃわかる、と沢山の共感メッセージを頂いた。その言葉がどれも素敵なので、出来上がった4冊目の単著エッセイ『家族は他人、じゃあどうする?』の帯に、その言葉をいくつか使わせて頂いたほどだ。連載の書籍化をする中で学んだのは、ミクロなケアの世界をふだんの言葉で描写しながら、その背後にある社会的な抑圧を、そのふだんの言葉につなげて描けば、ミクロとメゾ・マクロ世界がつながるのではないか、という予感だった。

だからこそ、このエッセイを上梓してから一年も経たないうちに依頼された新書執筆において、目指した文体や内容も自ずと固まっていた。「ミクロなケアの世界をふだんの言葉で描写しながら、その背後にある社会的な抑圧を、そのふだんの言葉につなげて描く」という、新しく発見した骨法を、子どもと私の二者関係だけでなく、そこに第三の項も入れて開いていこうという戦略である。

そのときに真っ先に思い浮かんだのが、20年近く定点観測してきた大学生の世界だった。彼女ら彼らと付き合うなかで、僕は20歳前後の若者達の生きづらさを沢山聴いてきた。そして、6年前から子育てをするなかで、20歳の若者が自己を抑圧し、他者に迷惑をかけてはいけないと必死になり、就活も含め他者の査定に怯えている姿が、我が家で毎日接している、自己主張満載の娘の姿と全く違うことを改めて「発見」し、驚き始めた。どんな子どもでも、こども園の時分くらいまでは、溌剌として、自分の思っていることをストレートに相手に伝えてくれる。それが言葉であれ、涙やだだをこねるという非言語であれ、思いを素直にぶつけてくれることには変わりない。そんな娘と比較して、大学生の皆さんは社会化されているというけど、もしかしたら思いが抑圧され、去勢され、自発的に奴隷のように従う自発的隷従ではないか、と思うようになってきたのだ。

そうすると、溌剌とした6歳の世界が、自己抑圧的な20歳になぜ変化するのか、を考える必要がある。その背景として浮かんできたのが、48歳のぼく自身の世界である。振り返ってみると、僕も溌剌とした6歳の世界から、自己抑圧的な20歳の世界へと変化してきたし、そこには社会の能力主義や生産性至上主義を内面化して、弱肉強食の競争原理を生きてしまった自分自身の姿が見えてきた。そして、一歩引いてその姿を捉えると、失われた30年は、昭和が終わった後の30年とつながっており、今年が「昭和98年」だとすると、昭和時代のOSで社会を動かす矛盾が、ぼく自身や大学生、そして娘にも深く押し寄せているのではないか、という仮説が浮かんできた。

そんな妄想を一章ずつ言語化して定着していくと、具体的なケアの言語で、ケアレスな社会の様相を描くことができはじめた。そうやって積み上げていくうちに、8万字の新書の世界が浮かび上がってきたのである。さて、この新書の中で「ミクロなケアの世界をふだんの言葉で描写しながら、その背後にある社会的な抑圧を、そのふだんの言葉につなげて描く」こいとができているか。それは読者の皆さんから、ぜひともフィードバック頂きたい部分である。

一人でも多くの人に、この新書が開かれていることを、著者としては心から願っております!

社会の“設定”を問う

昨年、『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』という子育てエッセイを書いた。その執筆中において、育児エッセイの類いは一切読まなかった。読んでしまったら、原稿が書けなくなるのではないか、と恐れたからだ。

今回、人に勧められて読んだ松田青子さん『自分で名付ける』(集英社)を読んで、改めてそう思った。この著者には、かなわない、と。同じような経験をしていても、描写の鮮やかさ、状況から感情を掬い取るセンス、それをことばの配列にする力。そういったものは、文学的センスがあると、キラリと光るのだ。

「妊娠中にはじめて気づいたのだが、電車の乗り降りの時間も短すぎる。
妊娠後期にさしかかる頃、一般的な帰宅時間の、わりと混んでいる電車に乗っていたら、降りる際に後ろにいた男性に背中をぐいぐいと強い力で押された。
彼は私が妊婦だと気づいていなかったかもしれないが、それは本来、妊婦じゃなくてもやってはいけないことだし、そうしないと無事に降りられないかもしれない人を焦らせる電車の“設定”、ひいてはそうしないと仕事や生活が円滑に回らないとする社会の“設定”がおかしいんじゃないだろうか。余りがない。ギリギリすぎる。」(p141)

これは僕も子育てをして、ベビーカーを押し、小さな娘の手を引いて電車に乗るようになって初めて気づいたことである。そして悲しいけど、以前はぐいぐい押す男性の論理を内面化していたことも。ジョルダンで調べて、最短距離で最速の時間で移動しないと、次の予定なり電車に間に合わない! そればっかり気にしていたら、その「障害物」になる存在は「じゃま」に映るのだ。

でも、人間を「障害物」であり「じゃま」と捉えた発想を内面化していたぼく自身は、前回のブログで書いた『モモ』でいうなら、時間泥棒に心身とも支配されていたのである。「時間節約をしてこそ未来がある!」と。

そして、妊娠や出産、子育てをするようになると、この時間泥棒の論理の外に出ざるを得ない。だからこそ、の気づきが、小説家であり翻訳家でもある松田さんの手にかかると、こんなにも鮮やかに描写されている。これは、研究者の僕にはかなわん!と。

そして深く共感するのが、それは押してくる男性の属人的問題ではなく、「そうしないと仕事や生活が円滑に回らないとする社会の“設定”がおかしいんじゃないだろうか。余りがない。ギリギリすぎる」という「社会の“設定”」の問いにしている点だ。急がなければならない、周りを配慮する余裕がないのは、個人が粗忽なせいだ、というだけでなく(もちろん粗忽も問題なのだが)、この社会では「余りがない。ギリギリすぎる」という“設定”になっていて、それが大問題だ、というのである。

そして、それは子育てを通じて変容せざるをえない女性と、変容を迫られていない男性の非対称性の課題でもある。事実婚のパートナーであるX氏について、松田さんはこんな風に書いている。

「Xがいなければ、非対称性に気づかずにいられるし、大変さも自分の中で完結するから精神的にもっと楽、という事実は、なんとも言えないものがあったが、新しい事実でもなかった。このエッセイ集の担当編集者Kさんの友人は、学生時代、性差別について話すKさんを茶化していたけれど、自身の妊娠中、つらい体を抱えている自分と何一つ変わっていない夫との差をまざまざと実感し、トイレで一人号泣。Kさんの言っていた意味がわかったという連絡があったそうだ。」(p175)

男性の僕は生理も妊娠もできない。だからこそ、生理痛もわからないし、つわりのしんどさもわからない。これは生物学的事実である。だが、そこに、「想像力」とか「共に○○できるか」という補助線が入ると、大分景色が変わってくる。夫の方は、妻が妊娠しても、以前と同じように酒も飲めるし、オールナイトのイベントも行ける。なぜなら、妻が妊娠しても「何一つ変わっていない」からだ。実際、X氏もそうしていたので、松田さんは激怒していた。ぼく自身も妻が妊娠してから出張は少しは減らしたけど、ゼロにはしていなかった。以前の延長の仕事の仕方を変えてはいなかった。

だが、僕たち夫婦は幸か不幸か、親類縁者から遠く離れた山梨で子育てを始めた。そして、二人とも高齢出産。そういう中では、僕しか妻をケアできる人はなかった。だからこそ、「出張はやめてほしい」と言われた。これは、出産を機に、「あなたも変わってほしい」という最後通告だった。この通告に従うのは、僕には身を切るように痛かった。なぜなら、時間泥棒の論理の外に出なければならなかったからだ。妻は、つわりが来て、子どもを産んで、という生物学的な変化を経ているので、「そうせざるをえない」状態だった。でも、僕は生物学的には何も変化していなかった。にも関わらず、結婚生活を続けるうえで、夫婦関係の上で、「そうせざるをえない」状態に追い込まれた。ここまでにならないと、妻のしんどさが理解できなかった。

だからこそ、この本は、子どもを持ちたい・現に子育て中の父親にこそ、是非こそ読んでほしいと思う。前半は、男性中心主義の日本社会が、妊婦や子育て中の母をどう追い詰めるか、それが松田さんにとってどういらつくか、が赤裸々に書かれている。正直、ぼく自身も読んでいて、身につまされ、いててと思い、彼女の怒りの刃が自分に向いているのではないか、と怖くなることもあった。でも、彼女の怒りは、X氏にだけでなく、X氏がそれを当たり前と思っている「社会の“設定”」に向かっているのである。男性と女性の非対称性が極限になる妊娠・出産を経験したものとして、この「社会の“設定”」があまりに非合理に満ちているのではないか、と怒っているのだ。これは、めちゃくちゃ共感する。

でも、彼女は子育てをして、自分の時間を奪われた、と思っていない。お子さんのOさんとの日々について、こんな風にも書いている。

「Oと一緒にいる時に、Oに合わせるのは、Oがこの世に生まれた瞬間からすでに当たり前のことになっていて、その間に自分の時間が消えていっているという事実は、自分で思っていた以上に感じにくかった。
なぜなら、Oという存在が面白かったからだ。
まだできないこと、できるようになったこと、はじめてのこと、が毎日のように更新されていくOといると、あまりにも面白く、それだけで、それも、立派な私の時間だった。」(p169-170)

改めて書き写していて、素敵な表現だと思う。

確かに子どもには手を取られる。我が家でも妻と二人で娘のことを、「めちゃくちゃかわいいけど、めちゃくちゃややこしい存在やな」としばしば言い合っている。でも、それを「自分の時間が奪われている」と感じると、そこに自分中心主義というか、自分の時間を阻害する子ども、という論理が見えてくる。でも、松田さんは、そうではなかった。「Oという存在が面白かったからだ」というのは、その通り。子どもは、本当に面白い存在だと、うちの娘を見ていても思う。

そして、それは「立派な私の時間だった」し、それだけでなく、立派な「私たちのかけがえのない時間」なのだと僕は思う。僕がエッセイを書いたのは、その私たちのかけがえのない時間の面白さを、言葉という形で残しておきたいと思ったからだ。

だからこそ、松田さんのこの素敵な育児エッセイは、自分のエッセイを出す前に読んだら、「こんなの書けないよ!」と落ち込んで自分の原稿が書けなくなっただろう、という意味で、今まで読まなくて良かった。でも今読むと、共感の頷きだらけ、の素敵な本だし、ぜひ女性だけでなく男性も手に取ってほしい。そして松田さんの本を読んだら、もしよかったら、僕の本も手にしてほしい。(最後は宣伝 (^_^))

「時間節約家」からの戦線離脱

ルチャ・リブロの青木ご夫妻と、現代書館の編集者向山さんの4人で、「生きるためのファンタジーの会」を続けている。(その経緯は以前のブログにも書いた)

今回の課題図書は、ファンタジーの代表作とも言えるミヒャエル・エンデの『モモ』(岩波書店)。鉄板中の鉄板で、僕も持っていたし、読んだつもり、になっていた。でも、今回読み直して、以前はちゃんと読めていなかったのではないか、と疑うほど、内容は覚えていなかった。でもいまの僕には深く突き刺さった。

モモは実はダイアローグの名手である。

「小さなモモにできたこと、それはほかでありません。あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能を持っていたのです。
モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモはそういう考えをひきだすようなことを言ったり質問したり、というわけではないのです。ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。するとあいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すっとうかびあがってくるのです。」(p23)

冒頭に出てくるこの部分が、僕は好きだ。そして、深く頷く部分でもある。

「話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。」

話を聞くことは、簡単なことではない。それは聞いているうちに、ついつい聞いているこちら側が、他のことを考えたり、聞いているうちに心に浮かんだことを言いたくてうずうずしたり、としているうちに、「注意ぶかく聞く」ことが疎かになるのだ。ゆっくりと時間をかけて、相手の話を遮らずに、最期まで聞く。しかも、その間、相手に心身を集中する。それは簡単ではない。でも、もしそれが出来ると、相手は自分の話だけでなく、存在そのものも受け止めてもらったと安心する。だからこそ、「あいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すっとうかびあがってくる」のだ。

そんな貴重な存在が街の噂になり、「モモのところに行ってごらん」と口々に唱えるようになった。だからこそ、彼女は色々な人から食べ物を提供され、満足した生活を送れていた。時間泥棒の灰色の紳士たちがやってくるまでは。

この灰色の紳士たちは、人々に、生産性や効率性の概念を植え付ける。もっと時間を効率的に使い、短時間でできる限り労働生産性を上げ、無駄なことをするな、という考え方である。そして、モモのところにってじっくり話を聞いてもらう、というのは、金銭的価値を生み出さない、という意味で、無駄なこととカウントされる。

この時間泥棒が植え付けた概念は以下の通りだった。

「時間節約こそ幸福への道!
あるいは
時間節約をしてこそ未来がある!
あるいは
君の生活を豊かにするために—時間を節約しよう
けれども、現実はこれとはまるっきりちがいました。たしかに時間貯蓄家たちは、あの円形劇場あとのちかくに住む人たちより、いい服装はしていました。お金もよけいにかせぎましたし、つかうのもよけいです。けれども、ふきげんな、くたびれた、おこりっぽい顔をして、とげとげしい目つきでした。もちろん、『モモのところに行ってごらん!』ということばを知りません。」(p103)

「時間節約こそ幸福への道」という標語は、ぼく自身の中でも深く内面化していたものである。効率的に働くために、出張中の電車内でもノートPCをカタカタ打ち続け、todoリストを徹底的に潰しながら、原稿をできる限り早く書こうとあくせくしてきた。でも、そうやって時間節約に必死になっていた時は、「ふきげんな、くたびれた、おこりっぽい顔をして、とげとげしい目つき」だったと思う。そして、多分その時代に『モモ』を手に取ったとしても、内容を理解出来なくて、というか、その内容を理解することが己への批判になりそうで恐ろしくて、本質的な理解を拒んでいたのだと思う。もちろん、その当時の僕は「『モモのところに行ってごらん!』ということばを知りません」し、モモのメッセージにも耳を傾けられなかった。

そんな時間泥棒の虜になっていたぼく自身だが、モモが読めるようになったのは、多分二つの契機がある。一つは2017年に受けたダイアローグの集中研修であり、もう一つが同じ年に生まれた娘の存在だ。

2017年にオープンダイアローグの集中研修を受け、対話の認識が文字通り変わった。それまで、相手が話す前に自分が話をしようとしたし、相手が話をしている間も、次の展開をどうすれば良いのか、を必死に考えていた。良い聞き手、ではなかった。インタビュー調査もしていたけど、相手を誘導することもあったかもしれないし、相手により良く評価してもらおうと気の利いたコメントをしていたのかもしれない。とにかく、我が我が、という部分があって、注意深く聞くことが出来ていなかった。

でも、オープンダイアローグの研修で教わったことは、モモが地でいくことである。先入観や専門知識を横において、ただただ相手の話を最期まで遮らずに聞くこと。そして、聞いた内容が合っているか、きちんと相手に確認すること。それに対してコメントや意見をしたくなったら、「いま・ここ」で心に浮かんだことに限定して、相手に確認を取ってから、短めに場に差し出してみること。そうやっていくと、相手の差し出した音と己の音が、一つの音として調和するのではなく、違う音として響き合うポリフォニーが生まれる。すると、そのポリフォニーのあとで、お互いの他者の他者性がよりクリアに理解出来るようになる、というのだ。すると気がつけば、「じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すっとうかびあがってくるのです」という経験を、ぼく自身も何度もしている。

これは1:1の対話に限らない。ゼミであっても、オンラインの研修打ち合わせであっても、授業の場であっても、「ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけ」で、物事が動き出し、無理にまとめようとしなくても、自ずからまとまっていく経験を積み重ねてきた。

でも、このじっと聴き続ける、というのは、時間泥棒の敵である。相手が何を話してくれるのか、は予想不可能という意味で、不確実性が高い。一見すると、生産性に乏しかったり、リスクが高まるようにも思える。でも、ここでいう生産性やリスク管理とは、昨日うまくいったやり方の延長線上での今日という意味で、前例踏襲的な生産性・リスク管理である。そこにはまり込むことが「時間泥棒」と言われているのは、ある種の無時間モデルというか、時間的な変化を考慮に入れず、同じことを、同じように繰り返す、という意味で、標準化・規格化された生き方に縮減することだからである。その反復強迫を「世の中こういうもんだ」「どうせいっても仕方ない」と鵜呑みにするからこそ、生産性と効率性は上がり、その分の生きがいのようなものも、時間泥棒に奪われていく。

一方、そういう灰色の世の中に対して、モモは決然とNOを言う。安易に従おうとしないし、人々の生の実存や喜びをじっくり分かち合いたいと願う。そういう、ある種の「前近代性」というか時間の呪いから自由だからこそ、彼女は時間の国のマイスター・ホラと出会い、時間泥棒たちとの命がけの闘いに向かうことが出来たのだ。

10歳くらいの読者には、そのモモの問いかけを、ストレートに受け止める器量があるのだろう。でもこの本を最初に買い求めたのは、奥付から想像すると1996年なので大学生のころ。すっかり僕は能力主義の虜だった。大学院生の頃とか、社会人になって、何度か読もうと思ったが、そういえば挫折していたのだと、改めて思い出した。

そんな僕がモモを読める主体に変化したもう一つの理由が、僕にとっては子育てだ。特に子どもが小さかった頃、子どもの全存在と向き合う日々で、家事育児に必死になっていたら、時間泥棒の入る隙間がない。その当時は「戦線離脱」と思い込んでいたけど、今となっては、「時間節約家」としての戦線離脱だったのかもしれない。そう考えたら、これは名誉な撤退ではないか!と改めて気づくことが出来た。

ただ、あまり書きすぎると、オムラヂの収録で話すことがなくなるので、今日はここまで。『モモ』を巡る対談の収録も楽しみだ。

支配ではなく対話を

信田さよ子さんの本は何冊か読んできたが、彼女の古典的名著は手つかずだった。今回、新版として出された『アダルトチルドレン 自己責任の罠を抜けだし、私の人生を取り戻す』(学芸みらい社)を読んで、多くのことを学んだ。

「“べき”で通し、正しいことを行っている家族がどうして寒々として息苦しいのでしょうか。“べき”とは外側の基準に自分を合わせていくことです。『今』『この』『私の』肯定は、そこにはありません。基準に合致した自分だけが許される。今の家族は条件つきの自分しか許されない場になってしまっています。もうひとつ、“べき”とは、宗教的な意味合いも含んでいます。教義に照らし合わせることで行動の指針を決めているからです。言い換えると、“べき”は裁きの言葉でもあります。勉強すべき、妻は〜すべきという言葉が毎日飛び交うのは、まるで裁判所のようではないでしょうか。これほど息苦しいものはありません。」(p93)

この本の副題に書かれている、「自己責任の罠を抜けだし、私の人生を取り戻す」ためにまず大切なのは、“べき”(=should, must)から逃れることだ、と信田さんは説いている。『今』『この』『私の』無条件な肯定はそこにはない。そうではなくて、親や先生、大人や世間などの「外側の基準」に合致したときだけ許される。そういう条件付きの承認が“べき”なのである。さらに、査定基準としての「裁きの言葉」を内面化することで、それができていない自分をどんどん追い込んでいく。たしかに、学生さんを見ていても、そのような“べき”に追い込まれ、苦しんでいる、でもそこから抜け出せない人は沢山いるようだ。

その際、信田さんは「内なる親」との闘いを勧めている。

「インナーチャイルドよりも『インナーペアレンツ』(内なる親)に注目すること、これは自分で自分をではなく、自分のなかに棲みついた親をどうするか、という作業につながります。親に傷つけられた傷を癒やすのではなく、自分のなかにいる親との関係をどうしていくかという問題だと考えるからです。
日本の場合、ACの苦しみは、親の人生と子どもの人生が未分化で、融合的に『おまえのためだよ』とか『普通でいなさい』とか『人に迷惑をかけちゃいけません』などのように、正しさや常識とともに植えつけられるものが、真綿で首を絞められるようにその人を追い詰めていくことにあります。『親の恩』『親子の絆』とか『私が世話をしないとあなたはダメ』など・・・。
『私がいないとおまえはダメになる』というくらい親にとって甘美な言葉はありません。親の支配の万能さを表しています。」(p115)

大学生を見ていて、「自分のなかにいる親との関係をどうしていくかという問題」を抱えている人が結構いるように思う。私の勤務する大学は「良い子」が多い。そういう良い子の中には、『おまえのためだよ』とか『普通でいなさい』とか『人に迷惑をかけちゃいけません』というフレーズを内面化して、自分の気持ちよりも墨守すべき基準(=“べき”)と頑なに守っている学生達が少なからずいる。それは親や先生、大人による「支配」だと信田さんは喝破する。そして、そういう外的規範が「内なる親」として子どもの中に棲みついた時、「真綿で首を絞められるようにその人を追い詰めていく」のである。

本書のタイトルは、アダルトチルドレン(AC)である。元々はアメリカでアルコール依存症の親を持つ子ども(Adult Children of Alcoholics)の独特の問題として論じられていた。「共依存」や「機能不全家族」という言葉とともに、日本でも爆発的に広まった。

だが、信田さんの慧眼は、このACの根幹に「支配」関係があると見抜き、それは決してアルコール依存症の親を持つ子に限らないと、喝破した点にある。

「私たちはACというコンセプト、ACという言葉で、現代の大多数の、典型的な中流家庭のなかで育ったとてもいい子たち—まわりの目を気にし、周囲の期待を先に先に読んで、おもしろおかしくしてその場をもたせて、明るさを支えている若者たちの、ある苦しさを切り取ることができます。」(p68)

授業やゼミなどで、「とてもいい子たち」の声を聞き続けてきた僕としては、信田さんのいうことがすごくよくわかる。「まわりの目を気にし、周囲の期待を先に先に読んで、おもしろおかしくしてその場をもたせて、明るさを支えている若者たち」は、結構な割合で、生きづらさや苦しさを抱えているのだ。そして、それが「内なる親」や“べき”という外的基準であり、「支配」の問題だと言われると、誠にその通りだと頷く。

「なぜACが肯定言語かというと、まず、ACの基本が『親の支配を認める』ということにあるからです。つまり、ACとは親の支配を読み解く言語なのです。
ACとは私たちの生まれ育った家族における親の影響、親の支配、親の拘束というものを認める言葉なのです。つまりそういう支配を受けて今の私がいるということ、まったく純白のところから私たちが色をつけられたのではなくて、親の支配のもとにあって、影響を受けながら今このように生きていることを認める言葉なのです。自分がこんなに苦しいのは、『私がどうも性格がおかしいのではないか』とか、『私が意志が弱かったのではないか』ということではなくて、そこには親の影響があったのだと認めることで、『あなたには責任はない』と免責する言葉でもあるわけです。」(p210)

親として6年暮らしてきたから、よくわかる。「親の支配」は厳然として存在する。そして、私は子どもを支配しようとしているとき、自分自身もまた親に支配されてきたこを、遡及的に思い出す。そして、接している学生達が生きづらさや苦しさを感じている時に、しばしば耳にするのが、『私がどうも性格がおかしいのではないか』とか、『私が意志が弱かったのではないか』というフレーズなのである。だからこそ、虐待を受けたり自傷他害に巻き込まれていない家庭の子どもであっても、「親の支配」が真綿で首を絞めるように及んでいる子どもたちに対しては、『あなたには責任はない』といわなければならない。そして、ぼく自身は娘を「すべきだ」とか「あなたのため」とか「普通でいなさい」というソフトな呪いの言葉で隔離拘束したくない。心から、そう思う。

そして、信田さんは「共依存」や「機能不全家族」にも、新たな光を指し示す。共依存は、アルコール依存症の夫に依存する妻、という文脈でいわれていて、妻が夫をそそのかす、という文脈で使われていたが、それは夫の暴力を免責し、被害を受ける側にも問題があったとする「被害者有責論」につながる危険な発想だという。その上で、以下のように指摘する。

「むしろ共依存は親子関係に代表される『ケア』することの支配性を指摘する言葉として大きな意味を持っています。母親が世話をするという形で子どもを支配し、教育やしつけという形で子どもを自分の思い通りに方向づけて縛っていく姿については、カウンセリングの場で息子や娘の立場から長年聞かされ続けてきました。(略)こうした親は、『すべて子どものために』といいますが、実は、親が子どもへの支配感を満足させるために子どもが自分の思い通りに成長しているかどうかを確認するためであることが多いのです。自分の今の生き方に対する空虚感や不全感を、子どもや夫の面倒を必要以上に見て、自分のいいように仕立てることにすり替えていく、こうして自分の支配感を満足させることができます。」(p50-51)

母親による子どもの支配。それは、父親の不在や欠損とつながっている。父がワーカホリックだったり、家で存在感がなかったり、暴力を振るったり、という中で、母親は「自分の今の生き方に対する空虚感や不全感」を、父親との対話の中で解決することができない。だからこそ、子どもを支配することで、「教育やしつけという形で子どもを自分の思い通りに方向づけて縛っていく」ことで、代償的に実現しようとする。しかも、自分自身の自己実現なら、自分で満ち足りた感覚を抱くことができるが、自分ではない子どものことゆえに、なかなか空虚感や不全感は埋まらない。80点取れたら100点を求めるし、良い高校に入ったら、次は大学で会社で・・・とその要求はエスカレートする。『すべて子どものために』という錦の御旗の下で行うから、子どもは簡単には反論できず、でも“べき”を押し付けられていくから、生きづらさをどんどんため込んでいく。母の支配感の持続は、子どもも摩滅を代償に得られるのだ。なんと不幸な関係!!

こういう不幸な母子の世代間密着を越えるにはどうしたらよいか。システム家族論では世代間密着を「世代間境界の侵犯」と捕らえる、と規定した上で、信田さんは次のように述べる。

「世代間境界の問題は、夫婦の関係の重要性を訴えているのです。その理由は、本書すべてを使って訴えていることに重なります。親(なかでも母)は夫婦仲良く、支えられ支える関係を子どもに見せていなければならないからです。なぜなら、子どもは母の不幸、母の不全感を背負い、自分が悪いのではないか、自分がそうさせたのではないかと思うからです。
子どもを幸せにするには、母が父から支えられていること、そしてある程度満たされて生きていることが、いちばん根底にある条件なのです。」(p162)

母が子どもに必要以上に執着するのは、母が父から支えられていないからである。このメッセージは、本書で通奏低音をなしている。そして、フラストレーションを抱えて子どもを支配している母親達は、夫婦関係が悪く、夫を罵り、馬鹿にして、諦めている。一方、夫もまともに妻に話しかけていないどころか、仕事を理由にして家に寄りつかなかったり、家にいても自室に閉じこもってゲームをしていたり、暴力を振るったり、家族に無関心だったりする。つまり、妻と夫がまっとうに向き合って対話していないからこそ、妻はそのエネルギーを子どもに向け、世代間境界を侵犯するのである。

だからこそ、母が父から支えられ、父も母から支えられ、という「支えられ支える関係」を取り戻すことが、子どもの安心安全に直結する、という信田さんの指摘は、深く頷く。幸い、僕たち夫婦は、高齢出産ということもあり、「支えられ支える関係」を築かないと子育ては成立しなかった。だが、それはぼく自身が、子育てを始めてやっと「仕事依存症」に気づき、禁断症状を抱えながらも、そこから距離を取ってはじめて、できたことである。それに気づけていないと、家族関係は最悪な悪循環に陥っていたと思うと、本当に冷や汗ものである。

最後に、家族機能が欠損していたり、問題を抱える家族を指して、以前は「機能不全家族」と呼んでいただが、信田さんは25年前に本書の元本を作った時と違って、いまはもう使わない、という。

「どこかに機能十全な(完全に機能する)家族があるというのは誤解であり、そんな幻想を抱かせる言葉は、犯罪的であるとすら今は考えているからです。」(p245)

この指摘にも、心から同意する。「機能十全な(完全に機能する)家族」というのは、理念型というか幻想というか、どちらにせよ、現実には存在しない。僕の原家族(両親と兄弟)だって完全に機能していた家族ではないし、僕と妻と娘の家族にだって、至らない点は沢山ある。どこの家族も、なんらかの歪みや至らなさ、欠損を抱えているのであって、機能不全家族がデフォルトなのだ。「うちは機能十全家族です」と誇るような人がいたら、その人の闇は相当深いと思う。

そういう意味では、機能不全家族がデフォルトな社会において、親による子どもの支配から自由になるためにはどうしたらよいか。それは、親が子どもに過剰な期待を抱くのではなく、支配に自覚的になり、なるべく子どもが親から自立して行動できるように応援することなのだと思う。そして、妻と夫は、子どもにのみ注力する(支配欲を行使する)のではなく、子どもを育てながらも、ユングのいう「個性化」を果たしていくことが大切なのだと思う。そのためには、親が子どもを支配するのではなく、夫婦と子どもの間での対話を重ね、支えられ支える関係性を育みつづけられるか、が改めて鍵だと感じた。ものすごく面倒だけれど、こういう地道な対話の積み重ねこそが、隘路を開く入り口にあると思う。

何のために勉強するの?

10月にちくまプリマー新書から『ケアしケアされ、生きていく』という単著を出す。この本を書くプロセスで、読んで確認したいと思った本もあれば、「本を書き上げるまでは読まないでおこう」と思った本もある。今からご紹介する本はその本で、ものすごく魅力的な本で圧倒され、「この本を事前に読んだらかなり自論も引っ張られそうだ」と感じた一冊だ。

「あなたはこれから、善き人を追い求めながら、そのたびにあくどい自分を見いだして絶望しながら、生き抜いてください。人を気遣い、配慮すればするほど、自分に避けがたく悪が忍び寄ることを全身で感じながら、自分の善意にことごとく挫折しながら、それでも強く生き延びてください。」(鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』ちくまプリマー新書、p106)

著者の鳥羽さんは福岡で学習塾を20年行い、小中高の子どもたちと向き合い続けている同世代。実は、僕の新書の編集者が上記の本の編集もしていて、オススメされたのだが、なんとなくこの本に影響されそうだから、と読むのを後回しにしてきた。彼は、10代の子どもたちが、親や先生に翻弄されて、自分を見失ったり自信を喪失するプロセスをずっと垣間見てきたからこそ、大人に手厳しい。そして、10代の子どもたちに向けたメッセージは、生ぬるい優しさは一つもなく、本気のメッセージである。

「悪をなさないとしても、それはあなたが悪を克服したことを意味しません」(p98)とも明言する。政治的な正しさが行き渡り、昭和の時代に比べたら、わかりやすい・物理的な暴力は減ったのは事実である。そして、悪をなさない人も増えただろう。でも、だからといって、悪をなさないことは、悪の克服とは違う、と鳥羽さんは言い切る。ブラック企業で働く人々も、悪人ではない。真面目にしっかり仕事をしようと思ったら、資本の論理に生真面目に従おうとしたら、搾取プロセスの中に組み込まれていくのだ。それが「避けがたく悪が忍び寄ること」なのである。そのことに青年も自覚的であれ、と鳥羽さんはメッセージを発する。悪は善のすぐ側にあり、放っておいても、忍び寄るし、善意はことごとく挫折する。それでも、にも関わらず、悪を克服出来ないことを意識しながらも、善い人生に向けて、生き抜いて欲しい。このような、鳥羽さんの祈りの言葉が各所にちりばめられている。

「あなたを護ることは、同時にあなたを抑圧することになる。でも、抑圧しすぎると子どもは育たない。だからといって、抑圧しなければ私は子どもを育てられない・・・。そうやって延々と逡巡を繰り返すうちに苦しみのループに巻き込まれ、親はその思考からいっときもあなたを手放すことができなくなります。
こうして親は、世間の波に巻き込まれるうちに親としてのこわばりを身につけていきます。親たちは、親として話すようになると同時に、自分独自の言葉を手放してしまうのです。
親は『わたしもちゃんとした親でありたい』と望みます。しかし、親はそのとき、あなたに対してちゃんとしたいというより、世間に対して恥ずかしくないようにちゃんとしたいと思っているんです。そしてしまいには、親はほとんど世間そのものとして、あなたの前にたちはだかるようになります。」(p137-138)

これは、ぼく自身も20歳の大学生と20年近く付き合っていて、本当に強く感じることである。自信を喪失している、○○したいというアクセルより「してはいけない」「どうせ無理」とブレーキを踏み続けている学生に限って、「親はほとんど世間そのものとして、あなたの前にたちはだかる」のだ。特に母親が「毒親」として立ちはだかっている例を、沢山見聞きする。

でも、それは母親のみの問題とは到底思えない。『わたしもちゃんとした親でありたい』と望む母親の強烈な姿を見聞きする一方、父親の存在が不在である場合が多いのだ。ぶっちゃけて言うと、そういう家庭に限って、母と父が対話をしておらず、母は孤独で、父を呪っているケースが結構あるように思う。母が毒親になる、ということは、父が仕事に逃げたり家庭を放棄したり、という父の不在とセットになって、存在しているように思う。いずれにせよ、それは親同士が協働して子どもと向き合おうという努力を放棄し、親自身が抑圧されているからこそ、子どもも抑圧を通じてしか育てられない状況に陥っているのである。

そして、さらに追い打ちをかけるのは、「世間に対して恥ずかしくないようにちゃんとしたい」という日本社会の同調圧力だ。親が自分たちで子どもと向き合う論理を持たない場合、親が最後にすがれるのは「世間」になる。すると、子どもが自分らしい思いを親にぶつけたときに、「公務員の方が安定しているよ」とか、「手に職を付けなさい」とか「もう少し現実的に考えて」という親は、「ほとんど世間そのものとして、あなたの前にたちはだかる」しかないのだ。それは、「親たちは、親として話すようになると同時に、自分独自の言葉を手放してしまう」という残酷なプロセスである。

子どもが自分独自の言葉や思考を持つとき、それは親の支配下を逃れる時である。これまで親が子どもを抑圧してきたならば、その抑圧に抵抗し、その支配を無効にしようと子どもなりに努力する。それは、親にとっては、自らの帝国が崩壊する危機なので、ものすごく恐ろしいことである。だからこそ、親が子への抑圧を手放し・出来る限り減らし、子どもを見守ることが出来るか、が問われている。でも、これまで支配の論理に慣れていた・それでうまく回してきた(つもりになっている)親にとっては、最大の武器を手放し、素手で子どもと付き合うようなものであり、これほど恐ろしいことではない。そう思う親もいるだろう。だからこそ、「世間」という「呪いの言葉」に頼りたくなるのだ。

これは、ぼく自身も、娘が思春期になったときに、当然問われることだと思う。だからこそ、次のフレーズをかみしめておきたい。

「勉強することの大きな意味のひとつは、それを通して子どもが親の思考の影響から距離を取ることができる点にあります。そういう意味で、親の言葉一つに影響を受けすぎるあなたはつくづく勉強が足りないんです。」(p214)

これは学生と接していてもそう思うし、我が子が成長していくなかでも、肝に銘じておかなければならない。だけでなく、ぼく自身の青年期の経験とも合致する。

本を読むこと、思考を深めることの最大の魅力は、自分独自の視点を少しずつ獲得していくことである。それは、「親の思考の影響から距離を取ること」そのものである。京都で暮らした高校時代、母校の仏教系学校の校長である僧侶が、学校の金を使い込み、先物相場で数千万円の損失をして、校長を退職した事件があった。だが、我が家でとっていた地元紙は、宗教法人に遠慮して、深追いする記事を書かなかった。一方、友人が持ってきた全国紙では、そのことを徹底追求して記事にしていた。その時、親の見ている世界を作っているのは、京都の狭い現実であり、京都を相対的に見る全国紙から見ると、違う世界が広がっている、とはじめて気づくことがでいた。また、月に一度の法話で立派なことを言っている人も、「善き人を追い求めながら、そのたびにあくどい自分を見いだして絶望し」ているのだと気づいた瞬間でもあった。

それから、全国紙に切り替えてもらい、図書館で本を色々読むようになった。親の言っていることと、違う切り口や視点を、少しずつ学ぶようになっていった。すると、親の発言だけでなく、自分が過ごした家庭環境そのものを、俯瞰して捉えるメタの視点を身につけられるようになっていった。それが、箱の外に出る勇気だと思うし、自分が嵌入している社会構造の自覚化なのだと思う。ぼくは、10代でそれが出来た訳ではなく、20代からずっと本を読み続け、そこで考えたことをブログで書き続けながら、おっさんになってやっと気づきを深めていった、のかもしれない。

「親の言葉一つに影響を受けすぎるあなたはつくづく勉強が足りないんです」

これはめちゃくちゃドギツイ言葉だ。でも、ぼくも多くの20歳と出会ってきて、深く頷く。親の言葉に囚われていて、その呪縛から抜け出せない人は、もちろん親も悪いのだけれど、自分自身もその呪縛から逃れるための別の視点を持てていないのだ。そして、その別の視点を持つための、最短で確実なプロセスとは、勉強することなのかもしれない。

「大人たちは良かれと思ってあなたにさまざまなアドバイスをしてくれます。でもその多くがむしろあなたを『正しさ』でがんじがらめにしてしまう言葉ばかりなんです。あなたに必要なのはみんなとは違う自分独自の生き方を見つけることなのに、大人があなたに耳打ちするのは、どうすれば『普通』になれるか、みんなとうまく合わせられるかということばかりなんです。」(p245)

「どうすれば『普通』になれるか、みんなとうまく合わせられるか」を必死になって模索すると、世間で浮かない、空気を読んで、同調圧力にもうまく従える「いい子」になれる。でも、それは「世間にとっての都合のいい子」であり、自分自身の魂を毀損する生き方である。そして、「世間にとっての都合のいい子」として歯を食いしばって我慢してきた大人たちは、子どもたちも同じような鋳型にはめ込もうと、「良かれと思ってあなたにさまざまなアドバイス」をする。それは、社会に適合するための『正しさ』であり、「みんなとは違う自分独自の生き方を見つける」方法論ではない。

だから、そんな大人たちの声とは距離を取り、自分の頭で考え、様々な本と対話し、試行錯誤をしながら、自分の声を手に入れてほしい。筆者の懇請が聞こえてくるようだ。

「君は君の人生の主役になれ」

本書はこのタイトルフレーズで終わる。これは、子どもだけではない。子を育てる大人じしんが「自分の人生の主役」であるだろうか。子どものせいにして、子どもをダシにして、自分の人生の主役を引き受けることから逃げてはいないだろうか。僕は、鳥羽さんにそうも問いかけられているように感じた。子どもと生きる私も、子どもと共に、主体的に生きることができる。それは、『ケアしケアされ、生きていく』という本の中に詰め込んだ話でもある。いつか、鳥羽さんと対話をしてみたい。そんなことを感じた。

「思春期」の内在的論理と向き合う

以前から注目していたスクールソーシャルワーカーの鴻巣麻里香さんの新刊『思春期のしんどさってなんだろう? あなたと考えたいあなたを苦しめる社会の問題』(平凡社)を読み終える。たくさんの10代の若者たちと丁寧に向き合い続けてこられた彼女だからこそ、書かれた内容に、頷くポイントがすごく多い。

「合理的な理由がない規則を守らなければならないのは理不尽です。理不尽とは道理が通らないことです。『たとえ合理的な理由がわからなくても、規則は守らなければならない』という世界で過ごすうちに、理不尽や疑問はのみこまなければならない、がまんして受け入れなければならないんだと、刷り込まれてしまいます。
それも一種の色眼鏡です。なぜかというと、社会に出たときに、『理不尽なことでも引き受けなければならない』『疑問はのみこまなければならない』という色眼鏡で世の中を見るようになるし、自分自身を見るようになるからです。」(p41)

実際、大学一年生と議論をしていると、すでにこの色眼鏡をしっかり身体化している学生がどれほど多いか。「おかしいと思ったら、その違和感を表明するか?」とお尋ねすると、多くの学生が『疑問はのみこまなければならない』と応えてくれる。その理由を探っていくと、たとえば高校でスマホの学校持ち込み禁止について、教員に異議申し立てしたけれど、「ルールなんだから従え」以上の理由を教えてくれず、強制された。だからこそ、「たとえ合理的な理由がわからなくても、規則は守らなければならない」という色眼鏡を内面化したという。そして、この色眼鏡は、日本社会の理不尽さを肯定し、理不尽なルールでも同調圧力で従え、という圧を強化していく。授業中に「そうはいっても先生、長いものには巻かれろ、でしょ」と言われて、呆気にとられたこともある。

では、この現状を変えるにはどうしたらよいのか。鴻巣さんは、わかりやすく具体的に説いていく。

「子どもたちにとって必要なのは、『みんなで仲良く』ではなく自分とだれかのあいだの心地よい境界線がどこにあるのか、少しずつ気づいていくプロセスだと思います。それは自分も大事にして相手も尊重することです。人と自分とではちがっていて、自分とだれかのあいだに境界線をしっかり守りたい子も居れば、ファジーでゆるくて、相手と混ざり合うことが心地よい子も居る。(略)
そこに、『仲良くすることはよいことだ』、言い換えれば『だれかを苦手と思うのはよくないことだ』というメッセージが降りてくれば、おたがいに境界線を図り合って距離を取る、つまり自分を大事にする、相手を尊重するということがよくわからなくなってしまいます。」(p63-64)

学校に関わる人で、「みんなで仲良く」という「大前提」に公然と異を唱える人はなかなかいない。でも、あたなも私も、教師も校長も、すべての人と適切な関係性を結ぶことが出来るわけではない。実際に、挨拶をするけどそれ以上深入りしない、あるいは距離を置いて遠ざかった経験は、誰しもある。でも、それは固定的なものではなく、小学校の時は大の仲良しだったけど、その後疎遠になったとか、逆に学生時代は名前を知っているだけだったのに大人になってから唯一無二の親友になるとか、そんなのざらである。

にも関わらず、「みんな仲良くまとまりあるクラス」というテーゼを教員や学校が掲げ、それに従うのが当然という同調圧力がかかると、それを「理不尽」に感じる子どもたちも増えてくる。本当は「おたがいに境界線を図り合って距離を取る、つまり自分を大事にする、相手を尊重するということ」が最も大切なはずなのに、その境界線を取る行為が、『だれかを苦手と思うのはよくないことだ』という形でネガティブに規範化されると、息が詰まってしまう。このあたり、特に小さい頃から人の顔色を見て育ってきた僕は、すごくよくわかる。一方、6歳の我が娘さんは、自分がしゃべりたい人としゃべった後、ふわふわとよそにいく力も持っているので、この圧は親の僕の方が感じているのかもしれない。

また、この本は、親や教師など若者と付き合う大人が、じっくり胸に手をあてて考えてほしいフレーズが沢山ある。たとえば、家にいて若者が苦しいと感じる理由について、以下のような説明がなされている。

「自分の部屋にノックせず勝手に入ってこられる、留守にしている間に机のなかをみられている、家族が無断で自分の物を使っている、事故にあったら心配される前に叱られた、脱衣所で着替え中や入浴中に親(とくに異性の親)にドアを開けられる、女の子だという理由で(弟や兄は免除されるのに)自分だけ家事を手伝わされる、テスト前には外出が許されない、予定を勝手に決められる、週末はきょうだいのスポーツの試合に強制的に同行させられる、成績が下がると外出や部活動が制限される、アルバイト代を親に渡すように要求される、進路について親の希望が優先される、忙しい親の代わりに家事のほとんどを担ったり小さな弟妹の面倒を長時間みなければならない、病気や高齢の家族の介護を担わなければならない(この問題は「ヤングケアラー」として認識されるようになりました)、そして両親の仲が悪かったり、親の精神状態が不安定だったりアルコールに依存していたりでつねに緊張している、親が不在にすることが多かったり親の交際相手が頻繁に家に来て居場所がない、などです。」(p155)

書き写していて胸が潰れそうになるくらい、リアルで現実的な苦しさである。一見些細にみえることでも、これは明らかに対等ではない、支配や抑圧的関係性である。そしてこのような支配や抑圧に対して、「嫌だ」「やめてほしい」「許せない」と言っても「思春期(反抗期)だから」の一言でまともに親や周囲に取り扱ってもらえないと、二次被害をうけて、ますます辛くなると思う。鴻巣さんが指摘している上記の例はどれも「合理的な理由がない規則」であり「道理が通らない」「理不尽」である。学校の校則など、家の外でも理不尽な環境が当たり前で、さらに安心していれるはずの家でも、また別の理不尽に出会い続けたら、生きる意欲が減退するのも当たり前だ。不登校や引きこもり、リストカットや自殺などの「社会的逸脱」と言われるものが、このような学校や家庭における「理不尽」の蓄積に基づいて社会的に構築されていくともいえる。

だからこそ、この本の副題は「あなたと考えたいあなたを苦しめる社会の問題」と書かれているのだ。あなたを苦しめるのは、あなたの内面の弱さではないし、自己責任でもない。社会の問題である事に気づいてほしい。そんな鴻巣さんの祈るようなメッセージが響いている。

あと、若者達は情け容赦ない評価に晒され続け、傷ついているからこそ、次のメッセージは大人としてしっかり受け止めたい。

「たとえば『この子はこういう場面でこんな行動をしました。その行動は素晴らしいと思います』というのであれば、『あなたはこういう子』という決めつけにはなりません。それは観察の描写と感想です。けれども、『この子はこういう行動をしていました。とてもやさしい子です』とか『とても活発です』などとその子の性格を表す言葉で断定的に評価すると、それは性格を決めつけることになります。
その評価を見て『あ、私は先生からこう見えてるんだ。じっさいはちがうんだけどな』と、納得しない場合も多いでしょう。でも『大人から期待される自分』がどんな自分かは察知できます。『自分は大人からやさしくあることが求められてるんだな』『活発であることが期待されているんだ』『リーダーシップが求められているんだ』などまわりからの期待がわかると、人は自然とそれに沿う自分になろうとしてしまうものです。でも、『まわりが期待するからこうあらねばならないんだ』と自分を追い込んだり、『こうあらねばならないのに、なかなかできない』と感じると、苦しくなってしまいます。」(p195-196)

こういう苦しさを抱えている大学生と、何人もあってきた。それは、大人の期待の内面化、および自分よりも大人の評価を気にするスキーマが機能しているのだと思う。でも、ここで問われるのは、そういう子どもの内面の評価、ではない。そうではなくて、子どもにそう思わせる親や教師の側に問題はありませんか、というのが、鴻巣さんの問いかけなのだ。その子の言動を見て、「観察の描写と感想」にとどめず、そういう言動をするから「とても○○な子だ」と評価や決めつけをしていませんか、と。

書きながらギクッとしている。僕も以前、「観察の描写や感想」よりも、「評価や断定」をしょっちゅうしていたな、と。それは、相手の内在的論理を理解しようとするのではなく、「わかったフリ」をして、思考の省略をしたり、あるいは相手にマウントを取るために、やっていたのだと、反省的に書き記す。そして、そういう「わかったふり」や思考の省略は、相手を追い込み、苦しめてきたのだ、と。僕と接点があったのに、フェードアウトしていった学生さんの中には、僕のこのような評価や断定の姿勢があったのだと思うと、本当に申し訳ない。

でも、実は48歳のおっさんの僕が改めて思うのは、ぼく自身も、「観察の描写や感想」をされるより「評価や断定」をされて育ってきた。だから自己正当化したいのではない。そうではなくて、自分がされたことで嫌だった、理不尽だったことを振り返り、それを繰り返さないための自己省察が僕だけでなく、今の大人には欠けているのではないか、という点である。令和の世の中なんだから、昭和的認識をアップデートしようよ、と。

おわりに、でも、鴻巣さんは大人達に具体的アドバイスをしてくれている。

「よいことをするのではなく、害になることをしない。この『しない』が、まずは必要です。たとえば容姿や体型についてコメントしない、女の子だから・男の子だからと精査で役割を決めつけない、不必要に無断で身体にふれない、趣味や予定を押しつけない、秘密を持つことを禁じない、苦労話やがまん話をしない、取り引きしない(○○したいなら△△しなさい、など)、約束を破らない、イライラを態度に出さない、話をきく前に決めつけて叱らない。でないと、子ども達にとって『敵ではない大人』にはなれませんし、そのプロセスをすっ飛ばして子どもの味方や理解者になれるはずはありません。」(p219)

これも、いてて、である。一言で言えば、ハラスメントをするな、につきる。のだが、「イライラを態度に出さない」とか「話をきく前に決めつけて叱らない」を娘の前でちゃんとできているか、といわれると、怪しい場合がある。学生さんに「よいことをする」押しつけがましさはないか、「害になることをしない」という原則をしっかり保持しているか、自己点検しなきゃならないと、改めて思う。

最後に、僕がもっとも心に突き刺さった、17歳の「さくや」さんの言葉を引用しておく。

「きいてくれない大人に『思春期だから』って言われても、納得出来るわけではないですよ。大人には、思春期という言葉を慎重に使って欲しいです。葛藤は抑圧するなにかがないと生じないから。必ず抑圧してくるものがあるんです。大人が対応しなきゃいけないのは思春期の子たちの心のなかにはない、私たちのまわりにあります。用紙をジャッジするな、性的に消費するな、理不尽なルールやめろ、いじめ暴力虐待なくせ、です。思春期はいろんな気づきがはじまる時期です。おかしなことやイヤなことに、おかしい、イヤだと思えるようになる時期。大人が向き合うべきは、おかしいって感じる私たちじゃない。おかしなことやイヤなことにたいしてです。」(p186)

子どものパフォーマンスの最大化を疎外し、その芽を摘んでいるのは、大人達である。それが失われた30年を形作ってきた理由でもあると、僕はさくやさんのメッセージを読んで、痛切に感じた。そして、大人が思春期の子ども達を搾取したり抑圧するのではなく、大人自身が、自分自身の抱える「おかしなことやイヤなことにたいして」向き合えるか。大人自身が、この社会の理不尽にたいして、おかしい、へんだ、イヤだと声を上げ続けられるか。それが、率先垂範としての大人に問われている。改めてそう感じた。

わからなさを感じる対話

リアルに知っている仲間二人の往復書簡を書籍として読む体験は初めてである。お一人は、奈良の東吉野村で私設図書館ルチャ・リブロを主催する青木真兵さん。青木さんの出された『手づくりのアジール』で対談させて頂いたこともあるし、彼のやっているポッドキャスト「オムラヂ」で、「生きるためのファンタジーの会」という連載シリーズでおしゃべりし続けている。もうお一人は、建築家の光嶋裕介さん。彼とは青木真兵さんと内田樹先生の対談イベントで出会い、その後本を贈り合うだけでなく、この春から娘と僕は光嶋さんのパートナーの永山さんが主催される合気道高砂道場に通うことになった。なので、合気道仲間であり、今回二人が出された往復書簡の見本が光嶋さんの手元に届いた日がちょうど稽古日で、私にも直接手渡しでお裾分け下さった。

この往復書簡『つくる人になるために』(灯光舎)は、二人の俊英の自在な対話で、実に刺激的である。たとえばこんな感じ。

「<光嶋>生と死や男と女、都市と農村を単純に二項対立させないで、矛盾を排除しない寛大な姿勢で受け入れることで、もっと豊かな視点を獲得し、対立が乗り越えられると思う。そうすることで、何か結果を気にして視野が狭くなることが避けられる。むしろ、何事も揺らぐこと(動き)で結果よりもプロセス(過程)にこそピントを合わせることが出来るように思います。」(p58)

「<青木>じつは僕が「ふたつの原理を行ったり来たりする」ことを提唱しているのは、「寛大さ、寛容さ」というよりも、人間の認識と分析、発信の限界を考えると、どうしても二項対立的にならざるを得ないのではないかと思っているからです。そしてそれをでき得る限り防ぐためには、その二項対立の図式を認めたうえでそれを行ったり来たりすることで中和するという、ちょっとニヒリスティックな考えからきています。」(p207)

二人は結果よりもプロセス(過程)にピントを当てる重要性については同意している。その一方、二項対立に関する認識は異なっている。光嶋さんは「矛盾を排除しない寛大な姿勢で受け入れる」という、受け入れ側の構えとしてこの問題を捉えようとする。一方、青木さんは「二項対立」を人間の認識と分析、発信の限界における必然と捉えた上で、その図式を中和するために、「ふたつの原理を行ったり来たりする」。違うアプローチなのだが、「揺らぐこと(動き)」が生じるというプロセスは共通しているのである。

そして、この揺らぎや行ったり来たりをなぜするのかという問いに、青木さんはこんな風に書いている。

「現代に生きのびる人々が『わからない』状態に耐えきれないことと関係しているのだと思います。現代社会は本当は『わからない』ことが溢れているにもかかわらず、『わかったフリ』をして生きていかなければなりません。そのしんどさに僕は耐えきれなかった。たとえば、なんだか体調が悪いとか、朝いつもと違う道を通って会社や学校に向かいたい気持ちとか、昨日は何事もないように話せたあの人に対して今日は同じように振る舞えないこととか。
本当は僕たち個人個人は『わからない』や『不安定』という感覚でいっぱいいっぱいなのに、社会では『わかる』『安定』を求められてしまう。この社会的要請を乗り越えるためには、『わかったフリ』をするという矛盾を抱えるしかない。これにがまんできなかったんです。」(p20)

二項対立という分類でありラベルは、じつに「わかりやすい」。二つにわけることによって、葛藤なくスムーズに情報処理が出来る。でもこれは情報量の縮減であり、現にあるはずの何かを「ノイズ」として切り落とすことによって成立する。男と女の二項対立に閉じた世界では、LGBTQが完全になかったことにされたり、「精神病」という別のカテゴリーに押し込めることによって、「わかったフリ」を出来たのだ。この二項対立的な図式は実に安定的であり、静的なものである。

でも、若き建築家と思想家の二人は、「わかったフリ」で情報量を縮減しようとしない。「わかったフリ」のしんどさに耐えられない、我慢できないと、なれ合いの世界の外に出ようとする。光嶋さんはこんな風に描く。

「自分で考える力を発揮するには、常時接続を一度切断し、孤独の中で集中する必要がある。孤独を抱えると足元が不安定になり、動きが発生します。そうした揺らぎをもつと自分の中の状態が俯瞰的によく観察できるのだと思うのです。自分の内部に集中していると、意識は逆に外部へと同化的に広がっていきます。こうした空間と身体との相互作用こそ、身体で空間を思考することの証であり、自分が世界の一部であると実感する瞑想的な時間になっていく。このような世界と自己の関係を頭で理解するのではなく、身体全体で空間が浸透してくるように感覚的に考えることで、次なるアクション(行動)へとつなげることができるようになる。勇気をもってジャンプする感じ。」(p166-167)

二項対立図式で「わかったフリ」が出来る世界とは、自分で考えなくてもよい、という意味で、思考の省略であり、長いものに巻かれろ、的な同調圧力に堕しやすい。一方、その社会的・後天的にラベルが貼られた対立軸なりフレームを外すと、自分の頭で考える必要が出てくる。正直、それは面倒くさいことである。なぜならば、ググるとかChat-GPTに要約してもらう世界の「外」に出る必要があるからだ。

そして、このときの「外」とは、自分の内部に意識を集中させることである、という指摘が興味深い。外をキョロキョロ見回すのではなく、内に目を向ける。他の人とは違う動きをすることによる不安や孤独から逃げず、孤独の中で集中してみる。すると、「孤独を抱えると足元が不安定になり、動きが発生」する。

ここでも動きだ。この二人は、確かに移動が多く、沢山本を読むし、多動的にうろちょろしている。でも、そのうろちょろとは、世間やSNSに惑わされるうろちょろではない。「わからなさ」をそのものとして抱え、不安定をそのものとして受け止めるからこそ、「そうした揺らぎをもつと自分の中の状態が俯瞰的によく観察できる」のである。

光嶋さんはこの「空間と身体との相互作用」を合気道の稽古で身につけていった、という。実は僕も合気道を10年以上稽古しているのだが、正直この部分が「わかっていない」。「自分の内部に集中していると、意識は逆に外部へと同化的に広がっていきます」というのは、内田樹先生の文章を僕も読み続けてきたので、なじみのあるフレーズではある。だが、僕は体感として、この部分がわからない。

わからないからこそ、実はこの4月から、ぼく自身も凱風館に入門した。正直、山梨の道場で有段者になったあと、自分がどのように成長していけばよいのか、わからなくなっていったのだ。学んだ型を繰り返す中だけでは、それ以上の上達はしない。でも、それ以外にどのような方法論を用いれば、自分自身のわざとして身につくのか、その方法論がさっぱりわからなかった。そして、こどもが生まれ、姫路に引っ越したこともあり、合気道の練習から遠ざかっていった。

この4月以後、凱風館で稽古をし、娘と共に高砂道場に通う中で、少しずつ感じ始めた事がある。凱風館では、多田宏師範の流れをくみ、呼吸法にかなりの時間をかける。そしてこの呼吸法こそ、「自分の内部に集中していると、意識は逆に外部へと同化的に広がって」いく稽古なのである。・・・ということまでは、頭ではわかった。だが呼吸法を始めて3ヶ月の僕は、意識が外部に同化的に広がっていく、ということは、実感としてはわかっていない。そして、この部分は「わかったフリ」をしたくないと思っている。

「空間と身体との相互作用こそ、身体で空間を思考することの証であり、自分が世界の一部であると実感する瞑想的な時間になっていく」という文言は頭では理解できるけど、合気道の稽古を通じて、身体を通じた実感としては、まだ理解できていない。これを「わかったフリ」をせず、毎回の呼吸法を丁寧に行うなかで、いつか実感として空間と身体の相互作用が感じられるようになりたい。そう欲望している自分がいる。きっとそれは、瞑想やマインドフルネスに至るための第一歩として、呼吸に意識を向け続け、あるがままの状態を感じることである、と「頭ではわかっている」。でも、いかんせん頭でっかちで、身体ではわかっていない。

この身体を通じた「わからなさ」を大切にしたい。頭でっかちになって「わかったフリ」で誤魔化したくない。わからなさを感じ続けたい。二人の往復書簡を読みながら、改めてそう感じた。

その意味で、僕はこの往復書簡自体に同期しているのかも、しれない。光嶋さんの後書きを読みながら、その思いは強くなる。

「自分で書いた言葉を自分で読むことで、自分自身を知っていく。もしくは、自分の中の他者を発見する。自分の中の複数性に気がつかされるといえるかもしれません。それは、自分のあり得たかもしれない『もう一人の自分』と出会うような感覚でした。僕の言葉でいうと『自分の地図』をつくるためには、他者からのパスを起点にして、自己との対話(内省)を通して自分の中の他者性と向き合うことが成熟への道であり、大人になることだと思っていました。綿密なパスまわしです。」(p186)

この二人の往復書簡は、価値観が一緒だねと確かめ合うハーモニー(調和)ではなく、他者性や複数性に開かれる、という意味でポリフォニーである。お互いの投げかけに応答するなかで、新たな異なる音が重なっていく。そして、その音の重なりは、予定調和ではなく、むしろ逆に、「自分で書いた言葉を自分で読むことで、自分自身を知っていく」プロセスなのだろうと思う。それがなぜ、綿密なパスまわしなのか。

ここで言われるパスの「綿密」さとは、計画制御的な、ルートを綿密に定めたパスではない。そうではなくて、相手に託されたパスを受け取って、その瞬間から動きながら自分の身体をくぐらせた上で、暫定的な仮説として相手に提示する。その提示された仮説に相手も呼応し、言葉が紡がれていく。その紡がれた言葉のパスを再び受け取る中で、「自分で書いた言葉を自分で読むことで、自分自身を知っていく」といった、自分の言葉への膨らみがうまれていく。これが、綿密なパス回しであり、この往復書簡の魅力なのだと、今回わかった。対話している相手は、目の前の他者だけではない。かつてその他者に向けて放たれた自分の言葉も、他者性を持って自分に響いていく。他者の他者性だけでなく、己の唯一無二性をも受け取るプロセスが、往復書簡の中に響き渡っている。だからこそ、この往復書簡の風通しがよいのだと思う。

ちなみに、僕の動き方はたぶん光嶋さん寄りなのではないか、となんとなく感じる。自己陶冶的なありようで、スケジュールを詰め込みすぎとか、身体を壊したりしてはじめて色々なことに気づく、という部分で(僕の場合はよく風邪を引く)。でも、青木さんの「いやなものはいやだ」「わからないものはわからない」という潔さも気持ちいいし、そういう部分を、少しずつだけれど増やしつつある。そういう意味で、二人の豊かなポリフォニーから沢山の何かをパスしてもらったような気がしている。

ちなみに、青木真兵さんのパートナーである青木海青子さんの挿絵がめちゃくちゃいい。熊くんや羊さん?の絶妙な挿絵によって、二人の鋭いやりとりに、別の余白が生まれていく。しかも、どの挿絵も、そのシーンにあまりにもぴったりの挿絵なので、思わず「本業ですか?」とお尋ねしたくなる位の魅力。そして、紙質が手触り感のよいざらつきで非常に良い。電子書籍にはぜったい出来ない、「紙の本、ここにあり!」という風合いである。初版本は特製シールまで付いていて、限定版の価値がある。ちなみに僕のは緑の蝋燭シールでした♪

自分の頭で考えてみたい人、わからなさの面白さを感じたい人に、是非手に取ってほしい一冊である。

「決められた道」の外にある想像・創造力

三好春樹さんといえば、介護業界で知らない人はモグリ、なほどのレジェンドで、著作も沢山出しておられる。「関係障害論」とか気になる何冊かは買い求めたけど、積ん読していて、読んではいない。ちょうど介護保険がはじまった頃、大学院の博論の指導教官だった大熊由紀子さんを想定した彼の北欧批判=全室個室批判に遭遇して、ちょっと過激でしんどいなぁ、と思っていたからだ。

だが、ふと思い立って、中高生向けに書かれたちくまプリマ—新書『介護のススメ! 希望と創造の老人ケア入門』を読んだら、これが面白い。すいません、読まずギライ、しておりました。ものすごくロジカルで、見通しが良い本である。

「介護の『介』は、この媒介の『介』なのです。つまり、『他のもの(=介護者)を通して、あるもの(=主体としての老人)を存在せしめること」、これが介護です。
老人が自分の身体と人生の主人公になるために、私たちが自分を媒介にする、つまりきっかけにすることです。
老人が主体、私たちは老人にとっての手すりや杖なのです。でも単なる杖ではありませんね。パスカルの名言をもじりました。『介護者は考える杖である』。」(p198)

介護者を通して、主体としての老人を存在せしめる。つまり、ご本人が自分の身体や人生の主人公であることを、認知症や虚弱などで失いつつある・奪われているときに、介護者が媒介として機能することによって、介護者を手すりや杖として用いることにより、老人が主体性を回復する。そのための介護だ、というのは、心からの納得である。

その上で、徘徊や暴力行為、叫びなどの「問題行動」についても、「考える杖」として、別の視点を差し出す。

「認知症の人は、体の中からの不快感ばかりがあって、その理由がわからない。不安だから眠れない、徘徊する。そして藤田ヨシさんのような寝たきりの人は、徘徊する代わりに大声で歌う、叫ぶんでしょう。
そうすると私たちが『問題行動』と呼び、『BPSD』なんて言い換えてきたものは、認知症老人が体の不調を私たちに訴えているものだということになります。つまり『便秘に気がついていない介護によって引き起こされた行動』ということになります。
『問題行動』、つまり藤田ヨシさんの『歌』、叫び、幻覚めいた訴えは、私たちへの非言語コミュニケーションだったんだ。だとしたら、こうした『問題行動』を薬で抑え、おとなしくさせようというのは、二重の意味で間違っていることになります。」(p148-149)

徘徊する、大声で歌う、叫ぶ。注意をしても、制止をしても、その行為が止まらない。このような状況を、業界用語では「問題行動」「困難事例」と言う。本人に問題があり、本人が抱える困難だ、というラベリングだ。

でも、三好さんは「問題介護によって生じた老人の行動」(p140)と読み替える。ご本人にとっては、「体の中からの不快感ばかりがあって、その理由がわからない。不安だから眠れない、徘徊する」という内在的論理がある。歩けない人なら、大声で歌う。これらを反社会的・逸脱行動で認知症の周辺症状(BPSD)だからと「わかったふり」をしても、ご本人の身体と人生を取り戻す介護や支援にはつながらない。ではどうすればよいか。「『歌』、叫び、幻覚めいた訴えは、私たちへの非言語コミュニケーションだった」と気づき、何を伝えたかったか、を克明に見ていく。すると、藤田さんの場合は、便秘の時に大声で歌うことが見えてきた。であれば、ポータブルトイレでの排泄支援をすると、声は出さなくなったそうだ。

ただ、今の老人ケアだけでなく、精神科病院でも行われているのは、このような非言語な訴えを理解しようという「考える杖」とは真逆の営みである。それは、「こうした『問題行動』を薬で抑え、おとなしくさせよう」という抑圧的支配の論理である。これが、医学的なもっともらしさ、で正当化される。確かに、大声や徘徊はそれで止まるかも知れない。でも、本人の身体と人生は「薬漬け」の被害を受け、取り戻すことは出来ない。周囲にとってはケアが楽になるかも知れない。でも本人の尊厳はズタズタになるのだ。

なぜ、こういう重要なことに、医者は気づけず、三好さんは気づけたのか。それは、彼が「道を外れた」経歴だったからかも、しれない。

早熟だった高校生の三好さんは、学生運動にコミットして高校を退学処分。中高一貫校でいい大学を出て良い会社に入って出世して定年、という理想的世界から10代にしてドロップアウトして、トラック運転手などを経て、介護の世界にたどり着く。そこで、「望ましいレール」なるものが、胡散臭いことに気づくのだ。

「老人たちの人生を知ればするほど、『決められた道』なんてないんだと思うようになるのです。人生はみんなバラバラ。ここで暮らしている一人一人もじつに個性的ですが、ここに至る過程も個性的。一人一人が波瀾万丈、すごいエピソードがあるんです。(略)
そう思うと私は気分がスッと楽になりました。道を外れてしまったことを悔やむ気持ちもなくなりましたし、逆に、元の道に戻ってやるものかといった気負いもなくなったのです。『道』に拘る必要なんかないんですから。」(p68-70)

今の学生を見ていても、「決められた道」を固く信じて、そこから外れることを極端に恐れ、腹が立っても、理不尽に思っても、黙って従っている学生が沢山いる。三好さんは、その理不尽さに異を唱え、黙っておらず行動して、高校を退学処分になり、中高一貫校の標準的ルートである良い大学・良い会社から決定的に外れた。でも、波瀾万丈の人生を経た個性的な老人と出会い、「決められた道」の幻想というか、うさんくささに気づいてしまう。それよりも、自分の「個性」を活かすことのほうが意味や価値があると気づく。それまで「道を外れてしまったことを悔やむ気持ち」を持っていたが、「『道』に拘る必要なんかない」と気づく。

このフレーズを読みながら、「決められた道」を「標準化・秩序化された支援」と言い換えてみたくなる。教科書を読んで、標準的な知識や正解を先に暗記してから、介護や医療、福祉に携わるようになると、この「決められた道」=正解を外れることはしにくい。でも、一人一人の人生に関わる介護現場において、標準的な介護なるものはない。波瀾万丈の人生を経た、個性的なご本人が、身体的な状態との相互作用の中で、どのようなしんどさがあるのか、便秘やうつ症状など様々なつらさをどんな風に表現しているのか。そういう個別の事情を、その人と向き合いながら、共に探すしかない。「決められた道」から外れた人を「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」のではなく、なぜその人がいかなる理由で「決められた道」から外れるかをアセスメントする、それが標準化・秩序化された支援を超えた、個別支援なのだと、この部分を拝読して改めて感じた。

そして、これが可能になったのは、彼が理学療法士としての勉強をし始めたのは、老人介護をはじめた後、28才の時に大検をとった後だったという背景もあるようだ。彼は、元々勉強ギライだったが、この専門学校の勉強は面白かった、と語る。

「学校で教わることが、みんな、老人の顔と名前に結びつくんです。ある病気について教わると、その病名のついていた入所者が頭に浮かびます。そうすると、その人が訴えていたことの意味がわかってきたり、自分が病気についての知識がなかったため、見当外れの対応をしていたことを反省したりするのです。
もちろん、出会ったことのない病気や障害についても学びますが、生活場面を体験しているので、そんな人には入浴ケアで何を気をつけるべきか、食事ケアでは、と想像を働かせながら勉強できるのです。
ここでは勉強は試験のための暗記ではなく、いい介護をするための武器を手に入れることなんです。」(p72-73)

強いて勉める勉強ではなく、自発的に学ぶ喜びが、この文章の中に溢れている。自分がやっている仕事の中で生まれた疑問や「問い」を深め、理論を知り、解決可能性に気づき、また問いや解決策がズレていたことに発見する。それは、己の愚かさとの出会いでもあるが、新たな試行錯誤の可能性との出会いでもある。三好さんはそれを「いい介護をするための武器を手に入れること」と述べていた。このような暗記ではない、ほんまもんの学びを理学療法の学校でしたからこそ、彼はその後、その学びを現場で探求していく。理論だけでもなく、実践だけでもなく、理論と実践の往復をご自身の中で深めていったのだ。

実は三好さんがお好きではない!?北欧では、こういう社会人の学び直しが当たり前になっている。高校卒業後、一旦社会人経験をしたり、あるいは介護現場で働いた後、問いを持って大学に入ってくる学生は少なくない。だからこそ、現場でぼんやり感じた疑問や問いを深めることが出来るし、それは良い武器になるのだ。日本でも、現場経験を踏まえて社会人大学院生になる人が最近増えてきて、僕のところでも今年から一人、現場のソーシャルワーカーが社会人院生をされているが、そういう「現場での問い」を持って学ぶことは、めちゃくちゃ深くてオモロイ学びにつながると思う。

その上で、三好さんは介護には「想像力」と「創造力」の二つの「ソーゾーリョク」が必要だという。(p41)

この人はなぜお風呂に入りたがらないのか、徘徊をするのか、大声で歌うのか。それに対して、ああでもないこうでもないと本人の内在的論理を「想像」する「想像力」。そして一旦「こういう背景があるのではないか」と仮説を立てたら、その仮説をもとに、ではどうやったら現状を変化させることが出来るのか、を現場で考えて、実際に変化を起こしていく「想像力」。これが介護には満載で、こんな風に「工夫」できることが、介護という仕事の魅力なのだ、と彼は語る。

なるほど、三好さんが主催される雑誌のタイトルがレヴィ・ストロースの名言「ブリコラージュ」(ありもの仕事)なのも、そんな「工夫」と「創造力」が介護の原点だからなのだな、と改めて納得した。この本は、福祉や介護に興味のある若者、だけでなく、福祉現場で働く人も、自分の仕事を見つめ直す上で、オススメの一冊です。

診断名をカッコにくくる、の先にあるもの

10年以上前、精神病という病気ではなく、生きる苦悩に目を向けよ、というバザーリアの言葉に衝撃を受けた。そのことは、論文にも書いた。診断名をカッコでくくる、という現象学的精神医学の面白さは、『当たり前をひっくり返す』の中でも描いた。だが、診断名をカッコでくくったあと、ではどうするのか、がもう一つぼんやりしていた。

今日ご紹介するのは、その生きる苦悩にどのように焦点化すると、医学モデル的な診断に依存しなくても、精神病状態に関わることができるのか、が理論的にも実証的にも整理された、迫力ある一冊、イギリスの臨床心理士二人による大著『精神科診断に代わるアプローチ PTMF 心理的苦悩をとらえるパワー・脅威・意味のフレームワーク』である。読み始めたら面白くて、他の本を放り出して、読み終えてしまった。

眠れない、幻覚や妄想に囚われる、不安感が強い・・・そういった状態に、世界的に用いられているDSMなどの標準化された診断基準を当てはめるのではなく、Power(パワー)、Threat(脅威)、Meaning(意味)のFramework(フレームワーク)から以下のように問い直すという。

・「どんなことがあなたに起きましたか?」(パワーは人生にどのように作用しているのか)
・「その出来事はあなたにどのような影響を及ぼしましたか?」(そのことは、どのような脅威をもたらしているのか)
・「あなたはそのことをどのように理解しましたか?」(そうした状況と経験の意味はどのようなものか)
・「生き延びるために、何をする必要がありましたか?」(どのように脅威へ反応しているのか)
・「あなたの強み(ストレングス)は何ですか?」(パワーリソース(力を与えてくれるものや人)と、どのようなつながりをもっているか)
そしてこれら全てを統合するために、
・「あなたのストーリーを教えてください」(p32)

これって、岸政彦さん達が主張している「他者の合理性の理解社会学」そのもの、である。そのことはブログにも書いたが、相手の人生に生じた生きる苦悩や不安の最大化状態を、そのものとして理解しようとする試みである。一方、標準的な精神医学であれば、DSMのマニュアルに記載されている内容に沿った話が聞かれ、それ以外の内容は「診断基準に関係ないから」と切り落とされている。でも、睡眠障害や幻覚妄想などが同じ状態であっても、なぜそのような状態に至ったのか、のプロセスは千差万別で、標準化できない。それを標準化できる範囲に切り落として聴くのが診断的な聞き方とするなら、PTMFで焦点化しているのは、それとは全く正反対の聞き方である。相手の実存的苦悩を、相手の内在的論理を、他者に非合理に見えても本人には合理的なプロセスを、そのものとして聴く、ということである。その聞き方は、恐らく生活史の聞き方と通底しているはずだし、というか、精神病状態に至った生活史を伺っていくのなら、上記の質問は必要不可欠になる。

しかも、この聞き取りの際に、生きる苦悩を個人の悲劇と矮小化せずに、その苦悩の背後にある社会構造の抑圧を、そのものとして捉えようとする。例えば、こんな風に。(p92)

DSMの診断基準:「現実にあるいは想像上で見捨てられることを避けるための尋常ではない試み」
現実:何十年もの間、扶養者や家族から強制的に引き離された

DSMの診断基準:「アイデンティティの障害:顕著で不安定な自己イメージあるいは自己の感覚」
現実:家族、親族とのつながり、故郷、祖国の喪失

DSMの診断基準:「慢性的な空虚感」
現実:度重なる喪失、トラウマと力を失うことに寄る悲嘆、絶望感

DSMの診断基準:「不適切な、激しい怒り、あるいは怒りのコントロール困難」
現実:迫害や強制的な同化政策、司法や医療、教育制度での差別によって、さまざまに蓄積されたトラウマ

ここで描かれている対比は非常に示唆的だ。一見すると、DSMの診断基準は、目の前で起きている状況を適切に描いているように思える。だが、「尋常ではない試み」や「慢性的な空虚感」「激しい怒り」・・・がなぜ・どのように生じるのか、の背景を探ろうとしない。そういう状況にあるのだから、この薬を処方すれば、その急性症状は治まる、という発想である。

だが、家族から強制的に引き離れたり、トラウマによる絶望感がひどかったり、生きていく中で差別を繰り返し受け続けたり、という「社会的現象」は、薬を飲んでも消えない。薬を飲んでぼんやりするという「副作用」によって、その苦しみは一時的に負担感が減るかも知れない。でも、鋭敏な感覚が戻ってくると、怒りや悲しみ、不安や恐れは何度も何度もぶり返す。それくらいの圧倒的な体験をしているのである。とはいえ、DSMの診断基準では、その圧倒的な体験にアプローチすることはないので、その「症状」と折り合うことは難しい。

著者達は、こんな風にも書いている。

「ほとんど全ての苦悩の体験の根底には、自分がどう考え、感じ、行動し、人生を送るべきかという(多くは隠された)前提と、基準や理想に従って生活することの失敗(事実であれ、そう思ったのであれ)とのぶつかり合いがあることも見てきました。こういったことは、現実の困難に直面しているのか、目指しているものが非現実的なのかにかかわらず、結果として自分を責めることになり、さまざまな心の痛みを伴う意味に繋がるのです。(略)
診断モデルと対照的に、PTMFは私たち個人の意味づけに関して、その源である社会的な期待やイデオロギーの圧力にまで遡ってみることを推奨しています。」(p94)

確かに、ぼく自身が経験してきた苦悩も、「どうしたいのか」と「どう失敗した・うまくいかなったのか」の「ぶつかり合い」がある。そして、○○したい、という基準や理想には、新自由主義的価値前提とか、消費者主義とか、偏差値至上主義、親や先生に褒められたい・評価されたい・・・など、様々な「社会的な期待やイデオロギーの圧力」がある。それをそのものとして炙り出すことが、すごく大切なのだと実感する。

最近、スキーマ療法の本も読み漁っていて、個人の認知枠組みを変える威力はすごいな、と思っていた。そういう認知枠組みを変えるフレームワーク(認知行動療法:CBT)の威力を認めつつ、著者達は以下のように警鐘をならす。

「CBTには有用な側面もありますが、そのほとんどが、社会的文脈の役割を軽視し、問題と解決策を主に個人の中に置くことで、診断的思考を支持し、維持するものです。」(p114)

たとえば前回のブログに書いたが、ぼく自身の早期不適応スキーマとして、他者評価や他者比較を自動思考的にしてしまう、というスキーマがある。そして、その認知の歪みを理解し、それをどう変えていくのか、がCBTやスキーマ療法で問われている。だが、その社会的文脈を掘り下げるなら、僕は団塊ジュニアで、僕の両親は団塊世代だった。父親は出張が多く、戦時中に父親を亡くし、母子家庭で育って、「もう家事はしたくない」と思って結婚し、家事育児を専業主婦の母親に丸投げした。そして母親は、3歳下の弟が生まれたあともワンオペ家事を続けて一杯いっぱいだった。そんな母親を見ていて、「お兄ちゃんだからしっかりしなければ」と刷り込まれた3歳のひろっちゃんは、親の目線を内面化して、ちゃんとする、きちんとする、しっかりする、を頑張って守ってきた。これが「他者評価や他者比較に縛られる僕」の社会的文脈であり、男性稼ぎ主型モデルがもたらした弊害でもある。この専業主婦モデルのパワーが竹端家にどのように働き、いかなる脅威をもたらしたのか、を見ることなく、「僕の認識を変えればよい」になると、それは自己啓発本の世界になる。だが、そこで、昭和的頑張りズムが団塊ジュニア世代にどのように作用したのか、という社会構造の歪みと個人の歪みの相互作用を、そのものとして捉えることに、このPTMFの意味や価値があるのだと改めて思う。

そして、社会構造がどのように個人の認知に作用しているのか、について、以下のように指摘している。

・脅威とパワーのネガティブな影響の蔓延について、それを認識することへの抵抗が社会の全てのレベルにおいて存在する。
・脅威と脅威への反応を切り離し、「医学的な病」のモデルを維持することには、個人、家族、職業、組織、コミュニティ、ビジネス、経済、政治などの多くの既得権益が絡んでいる。
・このような影響が相まって、自分の経験を自分の言葉で意味づけるための、社会的に共有された思考の枠組みが奪われている。(p110)

「どうせ」「しゃあない」「世の中はそういうものだ」・・・こういう諦念の中には、「脅威への反応」である場合が少なくない。あるいは、薬物やアルコールの濫用、リストカットやオーバードーズ、不眠症や幻覚妄想などの「医学的な病」も「脅威への反応」と言えるかもしれない。だが、「脅威とパワーのネガティブな影響の蔓延」を、そのものとして認識することは恐ろしい。なぜなら、自分はそういうものに襲われている、と思うと、生きているのが不安になるからだ。だからこそ、「どうせ」「しゃあない」と蓋をして、見ない振りをしたくなる。しかし、それに目を背け、蓋をしても、蓋をしきれないほどの不安やしんどさがあふれかえってくる。だからこそ、薬物やアルコールの濫用、リストカットやオーバードーズ、不眠症や幻覚妄想などの「医学的な病」という形で「脅威への反応」をするのだ。

その際に、そういう「脅威への反応」をなぜしてしまうのか、を分析し、蓋をそのものとして見つめ直す必要がある。「自分の経験を自分の言葉で意味づけるための、社会的に共有された思考の枠組み」を取り戻す必要があるのだ。僕は東日本大震災の直後、一次的存在論的安定の蓋が取れてしまい、気が狂いそうになった。その直後からブログを書きながら、最初の著書『枠組み外しの旅』に結実していくのは、呪縛的に機能した脅威への反応としての思考枠組みの蓋を外し、自分の経験を自分の言葉で意味づけるための、新たな別の思考枠組みを構築するための、命がけの旅だったのだ、と思う。それをすることで、僕は気が狂う一歩手前で、戻って来れた。これは、まさにぼく自身に降りかかっているパワーを分析し、そこにいかなる脅威があるのか、を読み解いた上で、そうした状況と経験の意味はどのようなものか、を価値付け直した。それを、ぼく自身が取り組んで来たストーリーに紐付けて著作化した、という意味では、今思えばあの本はPTMF的な本だったのだ、と気づいてしまった。

だからこそ、このPTMFのフレームワークは、僕を強くエンパワーしてくれるし、色々これから考えて行く上での補助線になりそうだ。もっと色々書きたいけど、とりあえず今日はこのくらいにして、興味を持ったら、是非ともこの本を買って読んでみて欲しい。