パスポート騒動

 

今月下旬に東南アジアに出かける。タイで仕事があるのだが、ついでにラオスとミャンマーにも立ち寄るつもり。来年度のボランティア・NPO論も念頭に置いて、国際協力現場を取材してこよう、と思っているのだ。で、航空券の手配も済み、ミャンマーに行くにはビザも取得しなければ、と思って、今朝、一緒に出かける先生宛にビザ取得の書類をファックスで送っていた。そのついでに、なんだかちょっと気になって、自分のパスポートを探し出す。で、パスポートを開いて、ぎ、ぎくり。1996年3月5日に取得した、ということは・・・そう、2006年3月5日が有効期限の最終日なのだ。そう、あと3日しか残っていない!

気づいてしまってからが、さあ大変。気がついたのが今朝の午前9時過ぎで、あと1時間もすれば出張に出かけなければならない時間。とにかく山梨県のパスポートセンターのHPを見てみたら、パスポートを申請してから取得するまで中6日かかる。しかも、新たに作るなら、住民票も戸籍抄本も必要。そのついでにミャンマー大使館のHPを見ていたら、ビザを自分で申請しにいっても、即日ではなく翌日交付だそうな。ということは、今日は2日で、出発は21日だから、二週間でギリギリ、のスケジュールだ。

そうとわかったら、出張先には多少の遅刻をしてでも、今日中にパスポート申請しないと、と戸籍抄本と住民票を取得しに、さっそく市役所へ。で、市役所のロビーで戸籍抄本の書類を気づいて、はたと気づく。そうだ、僕の戸籍は甲府ではなく京都なんだ。あちゃー・・・っと思いつつ、早速104で区役所の番号を聞き、聞いてみる。今日書類を送っても、月曜日に手続きして、火曜日に発送するから、早くても水曜日に書類は家に戻ってくる。で、9日の木曜日に申請すると、16日にパスポートが出来る。で、16日に東京の大使館まで持っていったとして、17日にギリギリ取得できる・・・。これではあまりにあまり、だが背に腹は代えられない。京都の実家に電話をかけてもつながらないので、こうなったらこの危うい線でいくしかない・・・。

半ば絶望的な気分で、でもすでに遅刻も決定している時間なので、車を高速のインターチェンジに。そして、料金所を通過する直前に、ちょっと気になって車を路肩に止め、パスポートセンターにもう一度電話。「あの、かくかくしかじかで、今気が動転しているのだけれど・・・」としどろもどろに話していると、「戸籍は変わっていないのですか?」と問われる。
「ええ、変わっていないのですが」
「期限はいつまでですか?」
「あさってですが。」
「ならば、今日申請にこられたなら、戸籍抄本はいりません」
「え、えええ・・・」
「戸籍が変わっていなくて、パスポートの期限がまだ残っている間なら、戸籍抄本はいりません」
「そ、そうなんですか・・・」

その後、車をくるりとUターンして、パスポートセンターに直行することに。お休みだった妻に、自宅においたパスポートを持ってきてもらうようにSOSの電話をかけて、急ぎインターチェンジからパスポートセンターに引き返す。するとなんと偶然にも、パスポートセンターにはお客は誰もいない。職員の方に親切に教えてもらっている間に、パスポートも届けられ、書類も提出して、なんとか10日朝には届く手はずが整う。すると1週間猶予時間があるから、ミャンマーへのビザも十分に時間的余裕が出来る。ほーっ。。。

一挙に脱力感に襲われかけるのだが、いや、待てよ。時刻は既に出張先に着く予定時刻。こりゃまずい、と先方に電話をかけ、中央道をアクセラ号で疾駆する。いやはや、ほんとにパスポートはきちんと確認しないとダメだよね。旅行会社任せで怠けてたらいけない、と改めて気を引き締めた瞬間であった。

うぬぬの日々

 

月曜日以後、今日まで息つく暇もないほど、みっちり予定が詰まっていた。

月曜日はほぼ一日根を詰めて、二本のレポートの仕上げにかかる。特に、権利擁護に関するレポートの追い込みをかなりカリカリやっていた。この日も一日中PCの前にいて、何だか全身が疲れ果てる。

でもそのおかげで、火曜の午前に一応の区切り。両方を事務局の方にお送りする。ほっと一息ついている時、とある先生と雑談。いろいろな話の流れで、日本の精神医療の特殊性の話に及ぶ。そして、海外との違いで「どこが分岐点なのか」という話になり、昭和40年の法改正がある種のキーポイントの一つだ、ということを思い出していた。この年の精神衛生法の改正は、地域精神保健福祉の内容を盛り込はずだったのに、その直前に当時のライシャワー駐日アメリカ大使が精神障害のある若者に刺される、という事件があり、その影響で地域精神医療への展開は大きく制限された、という「ライシャワー事件」なるものが起こった。歴史にもしもはないけれど、この事件がなければ、もっと早く脱施設の流れになったのかどうか、が気になって、その後文献検索や図書館での調べものをしているうちに、あっという間に日が暮れる。図書館で面白い論文もゲットしたのだが、その紹介はまた週末にでも。で、夕方に久方ぶりにジムに出かけて、この日は終了。

水曜日。朝から山梨市で勉強会の進行。いつもは僕の一方的な1時間半ほどの講演が多いのだが、この場にお集まりの皆さんには、実は9月に自立支援法で講演をしている。9月から大部情報は追加されているけれど、でも同じような話をしてもなぁ、と思っていたら、主催者が気を利かせてくださり、現場の方々の声を聞く会に変えてくださった。タケバタは司会進行なので、当事者、家族、支援者、行政の様々な立場の方々に「法改正直前で今、困っていること」を順繰りに述べて頂き、論点整理のお手伝い。2時間という限定された時間だが、結構高濃度の議論となったようで、僕自身も相当勉強になった。会場の方からも同様の感想を頂き、コーディネーターとしてはほっと胸をなで下ろす。

その後、大学で今度は新入生となる高校3年生に解いてもらった課題文を読み込む。3,40人の学生の文章へコメントをつけて返すというのは、結構時間がかかる。しかも、大学の学びに不安と期待を持っている彼ら彼女らに、大学教員が初めてアクセスする場でもある。改善点の指摘だけでなく、これから勉強したいなぁと思って頂くような、cheer upの内容でないと、僕が受けとる側なら入る前からへこんでしまうだろうなぁ・・・。そんなことを考えながらチェックしているので、なかなかどうして、時間がかかるのだ。

で、水曜日はその後、教授会と学科会、それから退官される先生の送別会と会続きで日が暮れて、木曜の朝は必死でコメント作成を2時間で終える。なんせ、昼の「あずさ」で東京に出張だからだ。水曜の晩にプリントアウトした、「全国障害保健福祉関係主管課長会議(平成18年3月1日開催)」の資料を持って行くので、鞄が重い。来月から新たな法律に変わるのに、まだ具体的に決まっていない部分が多いので、サービス報酬の単価やら指定基準やら、そういう細かい詰めの部分がドバッと出てきたのだ。今回はめちゃくちゃ多いので、半分に縮小して一枚の紙に2枚の資料が入るように印刷設定したが、それでも200枚は超えている。当然読む気力は沸かないので、せめてもの手段として移動中の車内で読む、よむ・・・。やっぱりつまらないなぁ、とほほ、と消沈しているうちに、あっという間に列車は新宿。2時間半ほど会議に出て、今度は「かいじ」でとんぼ返り。

そして、今宵、奥さまと駅で待ち合わせ、久しぶりに外食に出かけた。駅の近くにある、感じの良い居酒屋。食事もお酒も美味しく、つい食べ過ぎたが、リーズナブルな値段だった。何より静かに落ち着けるので、久しぶりにゆっくりお食事タイム。今週はまだまだ強烈な日々が続き、明日からは今度は出張続き!なんだかゆっくり和む時間があまりにもないので、久しぶりに街中で団らんしていたのであった・・・。とはいえせっかくの団らんのあとも、帰宅後、急ぎの用事で頼まれた文献探しにパソコンと睨めっこしていたら、元の木阿弥なんだけど・・・うぬぬ。