孤独なのは医者だった

オープンダイアローグに関わる知り合いの精神科医の本を二冊読んで、腑に落ちたことがある。それは、実は旧来のシステムの中にいる精神科医ってめちゃくちゃ孤独な存在だ、ということだ。縛る・閉じ込める・薬漬けにする、という治療では、うまくいかない。でも、それ以外のやり方を教わっていないし、どうしていいのかわからないし、序列やヒエラルキーの激しい日本の医療界にあって、看護師やソーシャルワーカー、ましてや患者や家族にどうしてよいのかお尋ねするなんてことは「してはいけない」と思い込んでいる。だからといって、医局の先輩が教えてくれる訳でもない。すると、精神科医は孤独に陥るか、居直って独善的になっていく。

『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』(医学書院)の第9章「タマキ先生のビフォーアフター」に出てくる斉藤環さんは、治療者として抱え込んで独善的になっても上手くいかず、その後患者から距離を取って孤独に陥り、「斎藤ロボ」と陰であだ名がつけられていた。それは、彼の個人的性格もあるのかもしれないけど、基本的に薬物治療で上手くいかなくても、それ以外のやりかたを彼自身が知らないし、どうして良いのかわからず、袋小路に陥っていた、ということでもあった。

一般的に、精神病を抱えた人こそ孤独であり、治療者はその孤独を和らげる仕事をしている、というイメージを抱きやすい。でも、タマキ先生自身が、かなり孤独であり、それを他人にカミングアウトすることさえできなかったのだ。

それが、オープンダイアローグにであって、斎藤さんは鎧を脱ぐことが出来た。看護師や臨床心理士、ソーシャルワーカーなどに助けてもらう必要性や、そうすることで自分一人で患者と向き合う孤独を乗り越えることが出来、結果的に煮詰まっていた治療関係を開くことが出来た。その中で、診察の間に笑いも増え、「斎藤ロボ」ではなくなっていった。支援チームと一緒にダイアローグに関わることで、斎藤さんは圧倒的な孤独から解放され、「当事者が自発的にふるまうことのできる空白(スペース)を生み出すための対話」(p145)をはじめることができた。それは、斎藤さんの治療観のパラダイムシフトであり、「斎藤ロボ」が人間に戻るために必要不可欠な経路であった。

そして、孤独なのは「斎藤ロボ」だけではなかった。

「『先生は変わった。昔はロボットみたいだった』
私はAIのように、正しい方法をみつけることで、人を助けようとしていたのかもしれない。医学を必死に学ぶほど、私の脳は『標準化』されて、私の言葉は技法のようになっていったと思う。」(森川すいめい『感じるオープンダイアローグ』講談社現代新書

森川すいめいさんも、その昔、ロボットのようだったという。斎藤さん同様、誠実に治療に取り組んだ医者であり、両方とも従来の治療に煮詰まりを感じて、オープンダイアローグに出会った精神科医である。森川さんの言う「医学を必死に学ぶほど、私の脳は『標準化』されて、私の言葉は技法のようになっていった」というのは、非常に象徴的な発言だと思う。

旧来の近代合理的・線形的因果論に基づいた医学を真面目に学ぶと、生物精神医学が主流であり、それは標準化規格化された知識がたくさん身につく。でも目の前の生身の人間の生きる苦悩の最大化した姿には上手く当てはまらない。ではどうすればよいのか、を悩むと、それを乗り越えるための技法(方法論)にすがるようになる。技法は上手くなっても、どこかうまくいかない。だから、ますます知識を求め、技法にすがり、ロボット化していく。

努力は必要だが、努力の方法論を間違えると、うまくいかない。斎藤さんも森川さんも、そういう意味では、努力の仕方がわからず、袋小路に陥っていたのかもしれない。そんな二人は、治療がうまくいかず、孤独においやられた。そもそも、他者の苦悩を聞く仕事なのに、自分の苦悩には硬く蓋をしていた。そして、魂が蓋をされた状態で、ロボット化し、周囲との距離も出来て、孤独は深まるばかりだった。そんな袋小路を越えるためには、斎藤さんだけでなく、森川さんにも、チームが必要だった。

「それまでの、医師の私が中心になって行う対話は、対話なのか単に輪になっただけなのかがわからないものだったが、スタッフと対等の立場で話すようになったら、明瞭に対話は広がった。今では、他のスタッフが入ることで、対話がこれまでとは全然違う、豊かなものになることを実感している。私一人の考えではどうにもならないことがしばしばあるし、他のスタッフが話しているのを聞くことで刺激も受けられる。また、話さない時間があることで考える間が生まれ、私自身の中にも新し考えが浮かびやすくなる。対話の場にいるそれぞれの思いが重なって、新しい考えやこれまで話されていなかったことが話されるようになっていく。」(同上)

大学院生の時、精神科医の診察にしばらく陪席させてもらったことがある。その時、精神科医はカルテを見ながら患者に尋ね、それを患者が答える。あるいは患者が話したいことを口火を切って話し、医者はそれを聞く、というスタイルだった。どちらにせよ、医師と患者が1:1であると、その枠組みを超えることは簡単ではない。僕も、患者として医者の前に座ると、本当は言いたかったのに言い忘れて後で悔しい思いをしたこともある。だが、他の医療チームの皆さんと同席しながら、患者が一方的に話すのでも、医者が一方的に話すのでもなく、患者の話に関して他の医療チームの人が話すのを医者が聞け、患者も聞けると、聞きながら、自分なりに色々考えることが出来る。医者だって、本当はわからないことや判断に悩むこともある。1:1なら判断留保が出来ず、とりあえずの決断を迫られるが、チームでダイアローグするなら、あ新しい見立てを考えることもできるし、患者だって、医療チームの話を聞きながら、自分は本当に伝えたいことは・・・と落ち着いて組み立て直すことが出来る。ダイアローグによって、そういう間が生まれてくる。

そして、そうやって他の治療チームの前で見せてきた孤独を隠すための鎧を脱ぐことは、精神科医が、自分自身と向き合う必要性を示してもいる。

「トレーニングの中で行われたこの価値のセッションは、自分の人生につながるものでもあった。自分が何を大切にしていて、どうして働いているのか、今考えると、そんなことさえ人に話していなかった。自分の気持ちを隠したままで、職場によいチームを作れるはずがない。」
「それまでの私は、もう大人だし精神科医になったのだから、家族のことや傷ついた体験など、自分のことを他人に話すものではないと思っていたのだと思う。過去を乗り越えて今がある。私は未来に向かっている。そう考えていた。だから私は、自分が嗚咽していることに驚いた。私は、過去に蓋をしていただけだった。私は仲間たちに身をゆだねて涙し、自分で立つことが出来るようになるまで支えてもらった。そして、私は仲間の話を聞き、同じように涙した。私が体験したように、仲間にもそうしてあげたいと思った。あなたに支えが必要なときは、いつでもちゃんと支える。だから安心して、その傷を話してほしいと願った。」(同上)

森川さんがフィンランドで開催されたオープンダイアローグのトレーニングコースに参加していた時のエピソードを読んで、心動かされた、だけでなく、深く納得した。そういうことだったんだ、と。

現代の日本の(だけでなく、生物学的精神医学が主流であればどこの国の)精神科医は構造的に孤独になることを運命づけられている。治療チームで一緒に考えながら対話的に試行錯誤する方策がないし、1:1の患者—医者構造のなかでは、うまくなおせない場合も少なくない。そして、少なからぬ精神科医が、医者になる以前の思春期に、家族関係や発達段階でのトラウマや傷つき体験を背負っているが(斎藤さんもマンガでそのように描かれている)、「もう大人だし精神科医になったのだから、家族のことや傷ついた体験など、自分のことを他人に話すものではない」と、自分の生きる苦悩には蓋をされる。この蓋は、魂の植民地化であり、これをしてしまうと、共感能力が下がる。なぜなら、「自分の気持ちを隠したままで、職場によいチームを作れるはずがない」からである。そして、職場で看護や心理、SWなどとうまくチーム形成が出来ずに孤立して、それでも何とか事態を改善しようと、間違った方向で努力して、「ロボット化」してしまう。

こんなことを言ったら怒られるかもしれないが、4年前に森川さんとはじめて出会った時、「抱え込んだスーパーマン」のように感じた。マスコミを通じて、患者の為に身を粉にして駆け寄る姿が報じられていたが、実物の森川さんは、か弱くて、疲れていて、周りが必死にそんな彼を支えていて、大丈夫なのだろうか?と不安に思っていた。今から思うと、この当時の森川さんは、まだご自身の苦悩を外部の人に安心して話せる環境ではなかったのかも、しれない。

そんな閉塞感を越えるために必要なことはなにか。それはダイアローグなのだが、技法ではない。そうではなくて、「自分が何を大切にしていて、どうして働いているのか、今考えると、そんなことさえ人に話していなかった」ということに自覚化すること。そして、自分が蓋をしていた、そのような自分の大切な価値をちゃんと他者に話してみること。真摯に聞いてもらうこと。そのプロセスの中で、自分の言葉をちゃんと聴いてもらえた・言葉が届いた、という経験を重ねる中で、言葉を聞くこと、話すことへの信頼を取り戻すこと。そうなのかもしれない。

僕はこれを書きながら、4年前に自分自身が受けた、未来語りのダイアローグの集中研修のことを思い出していた。その場では、まだ頑なさが残っていた時代の森川さんもいた。

あの現場でも、ひたすら話したり、ひたすら聞いたりしていた。色々な技法や理念ももちろん頭に残ってはいるけど、結果的にずっと自分の根底に響いているのは、「ちゃんと話を聞いてもらえる」というのは、時として、涙が出てくるような体験である、ということだ。僕も、自分自身が大切にしている価値をみんなの前で話している時、ちゃんと聴いてもらえた、と感じると、思わず涙が出てきた。それは、自分の中で硬く蓋をしていた感情が開かれたような瞬間だった。

ぼく自身は、10年以上前に「魂の脱植民地化」と出会い、『枠組み外しの旅』という最初の単著を書くなかで、自分自身の中に抑圧していたもの、蓋をしていたものと、少しずつ向き合い始めた。だが、4年前の研修を受けた時、精神医療に関しては、まだまだ蓋をしている、というか、頑なな部分が多いと気づかされた。師匠大熊一夫が精神病院の構造的問題を告発して50年近くになるのに、どうして構造はこうも変わらないのだろう。どうしたら変わるのか? もしかしたら変わらないのではないか。そう思って、絶望的な気分になっていた。

だが、京都での集中研修に参加し、あるいはオープンダイアローグのネットワークにコミットするなかで、斎藤さんや森川さんなど、自分自身が変わることを通じて、精神医療を変えたいと願う精神科医が日本にもいることに気づいた。そして、今回二冊の本を読んで、実はそういった精神科医自身が孤独な存在であるばかりか、医療チームを作れず社会的に孤立もしていているならば、それが日本における精神医療の硬直状態の元凶の一つなのではないか、と改めて感じた。

北風と太陽、という表現がある。厳しく正面から吹き付けて(相手を批判して)、行動変容を強いる北風作戦。一方太陽作戦とは、ぽかぽかと暖かくすることで、相手が自発的に服を脱ぐ(行動変容する)のを促す作戦である。僕は、精神医療においては、ずっと北風作戦できた。日本の精神医療は世界的にみてひどく遅れているし、縛る・閉じ込める・薬漬けにすることでの権利侵害構造はとんでもないし、神出病院事件のような構造的な問題を生み出し続けているし、変わらなければならない、それを見て見ぬふりをしてよいのか、を批判し続けてきた。そして、その批判自体には意味や価値があると思うし、取り下げるつもりもない。

だが、その一方で、ここ4,5年で精神医療を提供する側の人々と関わる機会が増える中で、彼等彼女らの孤独についても知る機会が増えてきた。変わりたくても、変われない。どうしてよいのかわからない。誰とどのように連帯してよいかわからない。既存のシステムを、目の前の患者の治療をすることで精一杯で、それ以外のことを考える余裕がない。・・・こういったことが、結果的に現状を消極的に維持するシステムへの加担につながっていく。それに対して、北風作戦のような真正面からの批判を聞いても、まともに向き合う余裕がないがゆえで、馬耳東風になってしまう。そして、その構造的な対立関係はずっと残ったままになってしまう。そして、批判するぼく自身にも虚しさしか残らない。

そんな現状を変えるためには、まずは相手の内在的論理を知ることが重要である。そして、斎藤さんや森川さんの内在的論理を理解する中で見えてきたのが、精神科医だって孤独だし、閉塞感を抱えているけど、責任感が強かったり、自分が頑張って解決せねばと気負えば気負うほど、結果的に現状を肯定する、というか、現状のシステムのなかで何とかしてしまう方向にベクトルが向かってしまう、という、構造的な悪循環である。その中にいて、そこから出てこない叫びのようなものが、森川さんや斎藤さんの「ロボット化」には含まれていたのではないか。それを、今回この本を読む中で、気づかされた。

精神科医が、自らの自己防衛のためにまとう鎧を脱げるか。これは、強迫やshould, mustの強要ではなりたたない。森川さんや斎藤さんのように、安心して自分自身の生きる苦悩を差し出せるような、対話的環境が作られる必要がある。そのなかで、他者を治療する前に、まずは自分自身の生きる苦悩と向き合ったり、それをしっかりと聴いてもらえる経験をするなかで、話をすること・聞いてもらうこと、への絶望を希望に変える必要がある。精神科医のなかで渦巻く、自分自身への不信や対話への不安・絶望感を超えることなく、他者と対話的であることはできない。そういうような、自分自身の傷ついた魂と向き合ったり、その魂の植民地化された状態から、少しずつ回復していくような=脱植民地化されていくようなプロセスを、信頼できる仲間と経ることによって、やっと少しずつ、自分の言葉にも、他者の言葉にも、信頼を再び置くことが出来る。そして、そのような自分や他者への信頼の取り戻しこそが、実は、治療的経験にダイレクトに結びつき、他者を「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」という一方的関与から、他者との対話的関係のなかで、よりよい生き方を模索する回路が開かれていくのである。

そして、僕に出来ることは、そういう精神科医や治療チームの変容を応援することなのかもしれない、と思っている。

昨年から、精神病院や入所施設の内部の人々とのダイアローグの場面をいくつか経験させてもらっている。その中でも感じた事だし、今回の二冊を読んでも改めて感じるのは、対話的なチーム作りが、精神病院や入所施設という場では圧倒的に足りない、ということである。そうであれば、異なる他者が集合的にお互いの智慧を持ち寄って現状を変えていこうとするインセンティブも働かず、ずっと同じようなシステムが残り続ける。それを外部からいくら北風的に正論で批判しても、びくともしないどころか、余計に頑なさが残ってしまう。大切なのは、内部の人々も孤立しているし、チームで話し合う風土がない、ということに目を付けて、いかに安心して対話できる場を作れるか、に心を砕くことだと思う。

さらにいえば、現状の精神医療で権力を持っている精神科医が、己の呪縛性や魂の植民地化という現実に気づいて、その傷をまず癒やすプロセスが必要である、ということも言えるかもしれない。それがないと、他者を呪縛したり、他者の魂を毀損する仕組みを止める勇気を持てなかったり、そのようなシステムを消極的に肯定してしまうのかもしれない。

だからこそ、現役の精神科医である斎藤さんや森川さんの、勇気あるカミングアウトは非常に大切だし、ダイアローグの担い手として、率先垂範していると感じた。そして、この二冊は、多くの人に読まれてほしいと改めて感じた。

 

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。