2021年の三題噺

毎年恒例の、自分自身の一年を振りかえるブログ。今年も三題噺を書いて、店じまいとしたい。

1,暗中模索の日々

コロナ危機はこの一年でも収束せず、大学の授業もオンラインと対面を行ったり来たり。教養の大人数授業はオンラインで、それ以外の授業は対面で、とか色々やっていたが、講演はオンラインやハイブリッドがまだ多い。正直、打ち合わせや会議はオンラインで充分で、講演もウェビナーで結構代替できるので、移動するとはどういうことか、を改めて選び取るのがきっと来年以後になるのだと思う。

そんな中で、今年は暗中模索だった。

コロナ、にではない。自分自身のあり方に関して、である。今までのやり方を手放して、「いま・ここ」での試行錯誤を色々してきた。例えば原稿書き。今までは、自分の中である程度使い方を知っている内容で、原稿を書くことが多かった。でも、今年はサクサク書くというよりは、敢えて違うルートを辿る、というか、書き慣れていないテーマやアプローチを試しながら、何本か論考を書いた(どれも来年の春あたりに出る予定)。

あるいは授業やゼミ。大学教員になって16年目だけれど、今までのパターンとは違うやり方を試行錯誤している。例えば授業は、完全反転授業に切り替えていった。教科書や課題は事前課題としてやってきてもらい、授業時間中は、その内容に関する学生同士の議論を20分ほどしてもらい、そこから学生たちの声を拾い、その声に基づく授業をすることに切り替えっていった。そして、教科書や事前につくったレジュメも手放して、学生たちの「いま・ここ」の話題について行ってみることにした。すると、想定外の色々な声が出てきて、それらをまとめようとせず、色々その声に基づいた対話をして、黒板に学生たちの声を書き続けていると,自然とそのうちにまとまってくる、ということも、実感として感じるようになった。竹端が一方的にまとめるより、勝手にまとまっていくほうが、学生たちにとっても納得出来る内容になる、ということも、わかってきた。今まで、無駄な力が入りすぎていたのかもしれない。

それはゼミでも同じだ。今年は本当にフローというか、うまくゼミ内の議論や発表が流れるようにだけ意識をして、後は学生たちの力を信じて、任せていった。すると、4年生は各自のテーマで自分でアポを取ってどんどんZoomインタビューをしながら卒論をまとめてくれるし、3年生は自分たちで「3年ゼミプロジェクト」を企画して、それを面白く展開してくれた。授業にしてもゼミにしても、学生たちの潜在的な可能性を信じて、そのポテンシャルがうまく発揮できるような水路を作るお手伝いさえこちらが出来れば、あとは勝手に彼女ら彼らが進めていく。困ったときには最低限のアドバイスをするけど、それ以外は信じて見守れば良い。暗中模索の中で気づいたのは、もっと己を開け、という啓示でもあった。

己を開く、と言えば、開かれた対話性における「余白」を意識したのが、今年後半でもあった。余白があると、色々な出会いが流れ込んでくる。それを吟味して取捨選択する、よりも、面白そうならば、とりあえず対話的にその余白を大切にし、そこから生まれる流れも尊重してみる。すると、何だか良くわからない渦が生まれはじめ、それが自分にとっても大切な意味を持ち始める。そんな出会いが今年はいくつもあった。これも、暗中模索の試行錯誤ゆえに出会いであり、結果的にぼく自身が以前のやり方やパターンを脱皮しようとしているのかも、しれない。

2,直観に乗っかってみる

実は去年の大晦日のブログと似たエントリーになっているのだが、以前のパターンの脱皮とは、論理的整合性や客観性を優先させる世界から、「いま・ここ」で浮かび上がったこと=直観にのっかってみることであり、それを精査せずにとりあえずその流れに身を委ねてみることである。

それがこれまで出来ていなかったのは、直観を出しては叩かれ、ということを繰り返していたからだった。ちょうどこのエントリーの内容を考えていた時に、ふと思い出した「墓場ネタ」を、そろそろ時効だし、わざわざ「いま・ここ」で思い出したのだから、成仏させるためにも言語化しておきたい。

10年近く前のことである。お世話になっていたとある大御所から、セミナーでのコメンテーターを求められた。こちらは基調講演の方の本を読み込んで、それから関連する文献も読み進めた上で、そのセミナーに参加し、基調講演の話も踏まえた上で、20分程度のコメントを行った。その日のセミナーの「いま・ここ」の流れも掴むことが出来たので、我ながら割とコメントは上首尾だったと思うし、それはその場に参加されている方々の反応をみても明らかだった。こちらは、声をかけてくださった大御所に何とか面目がつく話が出来たのではないか、と、ホッと一息ついた。

その矢先、である。当の大御所の最終コメントで、直前に話した私のコメントを全否定された。「今の話、もっともらしいけど、信じちゃだめだよ。すごく荒い議論だし、○○の論点が抜けているし・・・」。正直、その話を聞きながら、気が滅入った。そんなの懇親会の席でこそっとお叱り頂いたらいいのに、よりにもよって大勢の前でつるし上げなくてもよいではないか!と。ご期待に添えなかったのなら申し訳ないけど、呼ばれて行ったのにその仕打ちはないじゃないか、と。懇親会の席で、周りの若手から「結構キツかったっすね」と言われて、こっちも混乱してヘトヘトになって帰宅した記憶がある。

で、今頃やっと気づいたのは、実はその大御所の想定を超えるコメントをしたが故に潰された、ということだった。つまり、その大御所に花を添えるには、もう少し凡庸なコメントをした上で、最後に大御所を褒めるようなスピーチを「すべき」だったのに、僕は自分のあらん限りの力を出して、大御所以外の人に着目させるような発表をしてしまったのだ。直観に基づいて、空気を読まずに発表すると、相手の逆鱗に触れる。それならその直観は、使わずにしまい込んでおいた方が良い。そういう「悪い学習」をしてしまったばっかりに、直観はなるべく蓋をして、出さないようにしていた。

でも、4年ほど前にダイアローグをみっちり学んで以来、「いま・ここ」での対話を大切にするようになった。すると、事前に用意した・仕込んだことではなく、「いま・ここ」で浮かぶことに乗っかる方が、対話としては絶対上手くいく、ということが改めてわかった。それは、原稿であれ、講義やゼミや研修であれ、あるいは家族や色々な人との対話であれ、同じである。そして、その時に、「いま・ここ」で考える前に浮かんだりイメージできる直観をまずは言語化してみて、それを後から論理づけていった方がうまくいく。実際、僕が大御所にディスられた時も、的外れだったからではなく、「あまりにもビンゴな話をしてしまった」こそ、潰されたのである。しかもその大御所は、こないだも若手をコテンパンにする書評を書いておられたので、はっきりわかった。僕が悪いんじゃない。もうそろそろ、ネガティブな記憶を書き換えても良い頃だ。

そして、大人になってから「生意気だ」という理由で、何度もハラスメントを受け、そういうハラスメントを受けないためには、直観に蓋をして、世間に迎合的になり、世間の幅や枠内に合わせた方が身のためだ、と思い込んできた。でも、それはある種のトラウマである。確かに20代までは、自分の直観に奢り高ぶり、増長になっていたのは事実だ。だからこそ、それは反省した方がよい。でも、だからといって、その直観をしまい込んだり、なかったことにしてしまったら、自分自身のあり様すら、矮小化されてしまう。それは嫌だ。

あと3年で50代を迎えるにあたり、そろそろ迎合的に、矮小化させた魂で生きるのはもう止めよう。「いま・ここ」で浮かぶことに誠実に生きよう。それが、暗中模索な日々の中で確信に変わってきたことであり、対話や授業、あるいは文章を書くことを通じても実感してきたこであり、来年以後、もっと自由に生きるためにも、自分の軸の根幹に置きたいことである。そして、それを気づかせてくれたのは、やはり娘だった。

3,娘という教師

娘は、忖度しない。空気を読まない。でも、そろそろ親の顔色を見始めている。そして、親の言うことを聞いてくれない時、だいたいぼく自身の関わり方のまずさが、反映している。本当に思い通りにならない相手である。

その相手と付き合って、もうじき5年になる。でも、ぼく自身が鍛えられてきたのは、そのような想定内=思い通りのパターンに安住できずに、常に自分のアプローチを振りかえり、これで良かったのか、とリフレクションさせてくれるのは、娘の力だった。そして、自分が変われば、娘との関係性が変わってくることも、何度も何度も経験している。すると、40代後半の今からでも、学び続け、変わり続けることで、娘とよりよい関係が生み出される。そういう事を僕にコーチングしてくれるのが、娘という教師の存在である。

だからこそ、父親の僕は、敢えて今までの慣れ親しんだ「勝ちパターン」を捨てて、暗中模索にこぎ出してみることが出来た。娘が直観を頼りにズンズスン進んでいくのを目の当たりにして、父ちゃんも、倉庫にしまい込んでホコリがかぶっていた直観を再びおずおずと使い始めた。ぼくが娘に教えるのではない。その真逆で、娘という存在と関わる中で、僕が娘から学び続け、変わるきっかけを与えてもらい続けているのである。なんという、有り難いことだ。

子育てとは親の育ち直し、というのは、本当にぼく自身にあてはまる。娘との相互作用を通じて、娘という鏡を通じて、己の強みも弱さも、明らかになる。そして、大声を出したり怒鳴ったり怒ったりするとき、娘が本当に危険な行為をしているから、というのは1割以下で、大半の場合は「親の思うように動いてくれないから」という己のエゴの極悪な姿を見せつけられたとき、それを自分事として受け止めないから、抑圧しようとして怒鳴って、娘のせいにして誤魔化しているのである。

それは、いやだ!

だからこそ、僕は娘からのコーチングを受けながら、娘も抑圧したくないし、自分も抑圧しないように、もっと直観を大切にしながら、自由に生きていきたいと思う。それが、この暗中模索の期間に気づいた最大の発見のような気がする。

【番外編:「言語化の達人」】

で、番外編なのは、こないだやった振り返り会で教わった「beの肩書き」について。それは、自分ではごく自然に出来ているけど、他人から見たら簡単に出来ているではない、ということが、その人の有り様を表している、という意味。

その話を聞いた「いま・ここ」で浮かんだのが、「言語化の達人」だった。とはいっても、美しい文章を繰り出す達人、という訳でない。そうではなくて、対話をしている時に、相手がモヤモヤ言葉を探している時に、「それってこういうことではありませんか?」とおたずねしてみると、「そうそう、それが言いたかったの!」と言われることが、実はしょっちゅうある。というか、僕の所に「ご相談があります」と持ち込まれる案件の大半は、そういう言語化がなされておらず、関係者がどうやったらよいのか、を解きほぐしかねている案件。その時に、僕はずっとお話を聞きながら、わからないことを質問しながら、要点を探り当てた上で、「それって、こういうことではないですか?」とおたずねしてみる。すると、「実はそうなんです」から始まって、相談の表面上の主訴とは違う、本当に解決すべきだけれど向き合いたくないからと置き去りにされてきた課題が浮かび上がってくる。そういう案件は、一度表面化されると、あとはご本人達が勝手に解決していく。

そういうものを探るときも、こっちが既存の枠組みや知識にあてまめるのではなく、じっくり聞いた上で、「いま・ここ」で感じる事を相手に投げかけ、相手の言葉を引き出し、さらにこちらの直観で思うことを伝え、というやりとりを深めるうちに、コツンと井戸の蓋にあたり、そこから、抑圧していた何かが吹き出してくるのである。そういう意味で、「ご本人も抑圧してしまいこんでいたけど、本当はそろそろ探り当てたいと思っているモヤモヤを、一緒に探りながら、言語化して顕在化させるアシスト」が僕には得意なのかも知れない。なんのこっちゃわからない表現かもしれないけど、最近そういう対話を結構楽しんでいたりする。

というわけで、暗中模索と表現出来た時点で、そろそろその時期を脱し始めているようなので、来年はさらにオモロク、じんわり楽しんでいこうと思います。

みなさま、よいお年をお迎えください。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。